悲しき玩具 (一握の砂以後) 石川啄木 ー(四十三年十一月末より)ー    内容 一握の砂以後百九十四首(歌) 一利己主義者と友人との対話(感想) 歌のいろいろ(感想) 悲しき玩具   ー一握の砂以後ー 呼吸〔いき〕すれば、 胸〔むね〕の中〔うち〕にて鳴る音〔おと〕あり。  凩〔こがらし〕よりもさびしきその音〔おと〕!    * 眼閉〔めと〕づれど、 心〔こころ〕にうかぶ何〔なに〕もなし。  さびしくも、また、眼〔め〕をあけるかな。    * 途中〔とちう〕にてふと気〔き〕が変〔かは〕り、 つとめ先〔さき〕を休〔やす〕みて、今日〔けふ〕も、 河岸〔かし〕をさまよへり。    * 咽喉〔のど〕がかわき、 まだ起〔お〕きてゐる果物屋〔くだものや〕を探〔さが〕しに行〔ゆ〕きぬ。 秋〔あき〕の夜〔よ〕ふけに。    * 遊〔あそ〕びに出〔で〕て子供〔こども〕かへらず、 取〔と〕り出〔だ〕して 走〔はし〕らせて見〔み〕る玩具〔おもちや〕の機関車〔きかんしや〕。    * 本〔ほん〕を買〔か〕ひたし、本〔ほん〕を買〔か〕ひたしと、 あてつけのつもりではなけれど、 妻〔つま〕に言〔い〕ひてみる。    * 旅〔たび〕を思〔おも〕ふ夫〔をつと〕の心〔こころ〕! 叱〔しか〕り、泣〔な〕く、妻子〔つまこ〕の心〔こころ〕! 朝〔あさ〕の食卓〔しよくたく〕!    * 家〔いへ〕を出〔で〕て五町〔ちやう〕ばかりは、 用〔よう〕のある人〔ひと〕のごとくに 歩〔ある〕いてみたれど    * 痛〔いた〕む歯〔は〕をおさへつつ、 日〔ひ〕が赤赤〔あかあか〕と、 冬〔ふゆ〕の霜〔もや〕の中〔なか〕にのぼるを見〔み〕たり。    * いつまでも歩〔ある〕いてゐねばならぬごとき 思〔おも〕ひ湧〔わ〕き来〔き〕ぬ、 深夜〔しんや〕の町町〔まちまち〕。    * なつかしき冬〔ふゆ〕の朝〔あさ〕かな。 湯〔ゆ〕をのめば、 湯気〔ゆげ〕がやはらかに、顔〔かほ〕にかかれり。    * 何〔なん〕となく、 今朝〔けさ〕は少〔すこ〕しく、わが心明〔こころあか〕るきごとし。 手〔て〕の爪〔つめ〕を切〔き〕る。    * うつとりと 本〔ほん〕の挿絵〔さしゑ〕に眺〔なが〕め入り、 煙草〔たばこ〕の煙〔けむり〕吹〔ふ〕きかけてみる。    * 途中〔とちう〕にて乗換〔のりかへ〕の電車〔でんしや〕なくなりしに、 泣〔な〕かうかと思〔ぉも〕ひき。 雨〔あめ〕も降〔ふ〕りてゐき。    * 二晩〔ふたばん〕おきに、 夜〔よ〕の一時頃〔じごろ〕に切通〔きりどほし〕の坂〔さか〕を上〔のぼ〕りしもー 勤〔つと〕めなればかな。    * しつとりと 酒〔さけ〕のかをりにひたりたる 脳〔なう〕の重〔おも〕みを感〔かん〕じて帰〔かへ〕る。    * 今日〔けふ〕もまた洒〔さけ〕のめるかな! 酒〔さけ〕のめば 胸〔むね〕のむかつく癖〔くせ〕を知〔し〕りつつ。    * 何事〔なにごと〕か今我〔いまわれ〕つぶやけり。 かく思〔おも〕ひ、 目〔め〕をうちつぶり、酔〔ゑ〕ひを味〔あぢは〕ふ。    * すつきりと酔〔ゑ〕ひのさめたる心地〔ここち〕よさよ! 夜中〔よなか〕に起〔お〕きて、 墨〔すみ〕を磨〔す〕るかな。    * 真夜中〔まよなか〕の出窓〔でまど〕に出〔い〕でて、 欄干〔らんかん〕の霜〔しも〕に 手先〔てさき〕を冷〔ひ〕やしけるかな。    * どうなりと勝手〔かつて〕になれといふごとき わがこのごろを ひとり恐〔おそ〕るる。    * 手〔て〕も足〔あし〕もはなればなれにあるごとき ものうき寝覚〔ねざめ〕! かなしき寝覚〔ねざめ〕!    * 朝〔あさ〕な朝〔あさ〕な 撫〔な〕でてかなしむ、 下〔した〕にして寝〔ね〕た方〔ほう〕の腿〔もも〕のかろきしびれを。    * 曠野〔あらの〕ゆく汽車〔きしや〕のごとくに、 このなやみ、 ときどき我〔われ〕の心〔こころ〕を通〔とほ〕る。    * みすぼらしき郷里〔くに〕の新聞〔しんぶん〕ひろげつつ、 誤植〔ごしよく〕ひろへり。 今朝〔けさ〕のかなしみ。    * 誰〔たれ〕か我〔われ〕を 思〔おも〕ふ存分〔ぞんぶん〕叱〔しか〕りつくる人〔ひと〕あれと思〔おも〕ふ。 何〔なん〕の心〔こころ〕ぞ。    * 何〔なに〕がなく 初恋人〔はつこひびと〕のおくつきに詣〔まう〕づるごとし。 郊外〔こうぐわい〕に来〔き〕ぬ。    * なつかしき 故郷〔こきやう〕にかへる思〔おも〕ひあり、 久〔ひさ〕し振〔ぶ〕りにて汽車〔きしや〕に乗〔の〕りしに。    * 新〔あたら〕しき明日〔あす〕の来〔きた〕るを信〔しん〕ずといふ 自分〔じぶん〕の言葉〔ことば〕に 嘘〔うそ〕はなけれどー    * 考〔かんが〕へれば、 ほんとに欲〔ほ〕しと思〔おも〕ふこと有〔あ〕るやうで無〔な〕し。 煙管〔きせる〕をみがく。    * 今日〔けふ〕ひよいと山〔やま〕が恋〔こひ〕しくて 山〔やま〕に来〔き〕ぬ。 去年腰掛〔きよねんこしか〕けし石〔いし〕をさがすかな。    * 朝寝〔あさね〕して新聞〔しんぶん〕読〔よ〕む間〔ま〕なかりしを 負債〔ふさい〕のごとく 今日〔けふ〕も感〔かん〕ずる。    * よごれたる手〔て〕をみる1 ちやうど この頃〔ごろ〕の自分〔じぶん〕の心〔こころ〕に対〔むか〕ふがごとし。    * よごれたる手〔て〕を洗〔あら〕ひし時〔とき〕の かすかなる満足〔まんぞく〕が 今日〔けふ〕の満足〔まんぞく〕なりき。    * 年明〔としあ〕けてゆるめる心〔こころ〕! うつとりと 来〔こ〕し方〔かた〕をすべて忘〔わす〕れしごとし。    * 昨日〔きのふ〕まで朝〔あさ〕から晩〔ばん〕まで張〔は〕りつめし あのこころもち 忘〔わす〕れじと思〔おも〕へど。    * 戸〔と〕の面〔も〕には羽子突〔はねつ〕く音〔おと〕す。 笑〔わら〕ふ声〔こゑ〕す。 去年〔きよねん〕の正月〔しやうぐわつ〕にかへれるごとし。    * 何〔なん〕となく、 今年〔ことし〕はよい事〔こと〕あるごとし。 元日〔ぐわんじつ〕の朝〔あさ〕、晴〔は〕れて風無〔かぜな〕し。    * 腹〔はら〕の底〔そこ〕より欠伸〔あくび〕もよほし ながながと欠伸〔あくび〕してみぬ、 今年〔ことし〕の元日〔ぐわんじつ〕。    * いつの年〔とし〕も、 似〔に〕たよな歌〔うた〕を二つ三つ 年賀〔ねんが〕の文〔ふみ〕に書〔か〕いてよこす友〔とも〕。    * 正月〔しやうぐわつ〕の四日〔か〕になりて あの人〔ひと〕の 年〔ねん〕に一度〔ど〕の葉書〔はがき〕も来〔き〕にけり。    * 世〔よ〕におこなひがたき事〔こと〕のみ考〔かんが〕へる われの頭〔あたま〕よ! 今年〔ことし〕もしかるか。    * 人〔ひと〕がみな 同〔おな〕じ方角〔はうがく〕に向〔む〕いて行〔ゆ〕く。 それを横〔よこ〕より見〔み〕てゐる心〔こころ〕。    * いつまでか、 この見飽〔みあ〕きたる懸額〔かけがく〕を このまま懸〔か〕けておくことやらむ。    * ぢりぢりと、 蝋燭〔らうそく〕の燃〔も〕えつくるごとく、 夜〔よる〕となりたる大晦日〔おほみそか〕かな。    * 青塗〔あをぬり〕の瀬戸〔せと〕の火鉢〔ひばち〕によりかかり、 眼閉〔めと〕ぢ、眼〔め〕を開〔あ〕け、 時〔とき〕を惜〔をし〕めり。    * 何〔なん〕となく明日〔あす〕はよき事〔こと〕あるごとく 思〔おも〕ふ心〔こころ〕を 叱〔しか〕りて眠〔ねむ〕る。    * 過〔す〕ぎゆける一年〔ねん〕のつかれ出〔で〕しものか、 元日〔ぐわんじつ〕といふに うとうと眠〔ねむ〕し。    * それとなく その由〔よ〕るところ悲〔かな〕しまる、 元日〔ぐわんじつ〕の午後〔ごご〕の眠〔ねむ〕たき心〔こころ〕。    * ぢつとして、 蜜柑〔みかん〕のつゆに染〔そ〕まりたる爪〔つめ〕を見〔み〕つむる 心〔こゝろ〕もとなさ!    * 手〔て〕を打〔う〕ちて 眠気〔ねむけ〕の返事〔へんじ〕きくまでの そのもどかしさに似〔に〕たるもどかしさ!    * やみがたき用〔よう〕を忘〔わす〕れ来〔き〕ぬー 途中〔とちう〕にて口〔くち〕に入〔い〕れたる ゼムのためなりし。    * すつぽりと蒲団〔ふとん〕をかぶり、 足〔あし〕をちゞめ、 舌〔した〕を出〔だ〕してみぬ、誰〔たれ〕にともなしに。    * いつしかに正月〔しやうぐわつ〕も過〔す〕ぎて、 わが生活〔くらし〕が またもとの道〔みち〕にはまり来〔きた〕れり。    * 神様〔かみさま〕と議論〔ぎろん〕して泣〔な〕きしー あの夢〔ゆめ〕よ! 四日〔か〕ばかりも前〔まへ〕の朝〔あさ〕なりし。    * 家〔いへ〕にかへる時間〔じかん〕となるを、 ただ一つの待〔ま〕つことにして、 今日〔けふ〕も働〔はたら〕けり。    * いろいろの人〔ひと〕の思〔おも〕はく はかりかねて、 今日〔けふ〕もおとなしく暮〔く〕らしたるかな。    * おれが若〔も〕しこの新聞〔しんぶん〕の主筆〔しゆひつ〕ならば、 やらむーと思〔おも〕ひし いろいろの事〔こと〕!    * 石狩〔いしかり〕の空知郡〔そらちごほり〕の 牧場〔ぼくぢやう〕のお嫁〔よめ〕さんより送〔おく〕り来〔き〕し バタかな。    * 外套〔ぐわいとう〕の襟〔えり〕に頤〔あご〕を埋〔うづ〕め、 夜〔よ〕ふけに立〔たち〕どまりて聞〔き〕く。 よく似〔に〕た声〔こゑ〕かな。    * Yといふ符牒〔ふてふ〕、 古日記〔ふるにつき〕の処処〔しよしよ〕にありー Yとはあの人〔ひと〕の事〔こと〕なりしかな。    * 百姓〔ひやくせう〕の多〔おほ〕くは酒〔さけ〕をやめしといふ。 もつと困〔こま〕らば、 何〔なに〕をやめるらむ。    * 目〔め〕さまして直〔す〕ぐの心〔こころ〕よ! 年〔とし〕よりの家出〔いへで〕の記事〔きじ〕にも 涙出〔なみだい〕でたり。    * 人〔ひと〕とともに事〔こと〕をはかるに 適〔てき〕せざる、 わが性格〔せいかく〕を思〔わも〕ふ寝覚〔ねぎめ〕かな。    * 何〔なに〕となく、 案外〔あんぐわい〕に多〔おほ〕き気〔き〕もせらる、 自分〔じぶん〕と同〔おな〕じこと思〔おも〕ふ人〔ひと〕。    * 自分〔じぶん〕よりも年若〔としわか〕き人〔ひと〕に、 半日〔はんにち〕も気焔〔きえん〕を吐〔は〕きて、 つかれし心〔こころ〕!    * 珍〔めづ〕らしく、今日〔けふ〕は、 議会〔ぎくわい〕を罵〔ののし〕りつつ涙出〔なみだい〕でたり、 うれしと思〔おも〕ふ。    * ひと晩〔ばん〕に咲〔さ〕かせてみむと、 梅〔うめ〕の鉢〔はち〕を火〔ひ〕に焙〔あぶ〕りしが、 咲〔さ〕かざりしかな。    * あやまちて茶碗〔ちやわん〕をこはし、 物〔もの〕をこはす気持〔きもち〕のよさを、 今朝〔けさ〕も思〔おも〕へる。    * 猫〔ねこ〕の耳〔みゝ〕を引〔ひ〕つぱりてみて、 にやと啼〔な〕けば、 びつくりして喜〔よろこ〕ぶ子供〔こども〕の顔〔かほ〕かな。    * 何故〔なぜ〕かうかとなさけなくなり、 弱〔よわ〕い心〔こころ〕を何度〔なんど〕も叱〔しか〕り、 金〔かね〕かりに行〔ゆ〕く。    * 待〔ま〕てど待〔ま〕てど、 来〔く〕る筈〔はづ〕の人〔ひと〕の来〔こ〕ぬ日〔ひ〕なりき、 机〔つくへ〕の位置〔ゐち〕を此処〔ここ〕に変〔か〕へしは。    * 古新聞〔ふるしんぶん〕! おやここにおれの歌〔うた〕の事〔こと〕を嘗〔ほ〕めて書〔か〕いてあり、 二三行〔ぎやう〕なれど。    * 引越〔ひつこ〕しの朝〔あさ〕の足〔あし〕もとに落〔お〕ちてゐぬ、 女〔をんな〕の写真〔しやしん〕! 忘〔わす〕れゐし写真〔しやしん〕!    * その頃〔ころ〕は気〔き〕もつかざりし 仮名〔かな〕ちがひの多〔おほ〕きことかな、 昔〔むかし〕の恋文〔こひぶみ〕!    * 八年前〔はちねんぜん〕の 今〔いま〕のわが妻〔つま〕の手紙〔てがみ〕の束〔たば〕! 何処〔どこ〕に蔵〔しま〕ひしかと気〔き〕にかかるかな。    * 眠〔ねむ〕られぬ癖〔くせ〕のかなしさよ! すこしでも 眠気〔ねむけ〕がさせば、うろたへて寝〔ね〕る。    * 笑〔わら〕ふにも笑〔わら〕はれざりきー 長〔なが〕いこと捜〔さが〕したナイフの 手〔て〕の中〔うち〕にありしに。    * この四五年〔ねん〕、 空〔そら〕を仰〔あふ〕ぐといふことが一度〔ど〕もなかりき。 かうもなるものか?    * 原稿紙〔げんかうし〕にでなくては 字〔じ〕を書〔か〕かぬものと、 かたく信〔しん〕ずる我〔わ〕が児〔こ〕のあどけなさ!    * どうかかうか、今月〔こんげつ〕も無事〔ぶじ〕に暮〔く〕らしたりと、 外〔ほか〕に欲〔よく〕もなき 晦日〔みそか〕の晩〔ばん〕かな。    * あの頃〔ころ〕はよく嘘〔うそ〕を言〔い〕ひき。 平気〔へいき〕にてよく嘘〔うそ〕を言〔い〕ひき。 汗〔あせ〕が出〔い〕づるかな。    * 古手紙〔ふるてがみ〕よ! あの男〔をとこ〕とも、五年前〔ねんまへ〕は、 かほど親〔した〕しく交〔まじ〕はりしかな。    * 名〔な〕は何〔なん〕と言〔い〕ひけむ。 姓〔せい〕は鈴木〔すずき〕なりき。 今〔いま〕はどうして何処〔どこ〕にゐるらむ。    * 生〔うま〕れたといふ葉書〔はがき〕みて、 ひとしきり、 顔〔かほ〕をはれやかにしてゐたるかな。    * そうれみろ、 あの人〔ひと〕も子〔こ〕をこしらへたと、 何〔なに〕か気〔き〕の済〔す〕む心地〔ここち〕にて寝〔ね〕る。    * 『石川〔いしかは〕はふびんな奴〔やつ〕だ。』 ときにかう自分〔じぶん〕で言〔い〕ひて、 かなしみてみる。    * ドア推〔お〕してひと足出〔あしで〕れば、 病人〔びやうにん〕の目〔め〕にはてもなき 長廊下〔ながらうか〕かな。    * 重〔おも〕い荷〔に〕を下〔おろ〕したやうな、 気持〔きもち〕なりき、 この寝台〔ねだい〕の上〔うへ〕に来〔き〕ていねしとき。    * そんならば生命〔いのち〕が欲〔ほ〕しくないのかと、 医者〔いしや〕に言〔い〕はれて、 だまりし心〔こころ〕!    * 真夜中〔まよなか〕にふと目〔め〕がさめて、 わけもなく泣〔な〕きたくなりて、 蒲団〔ふとん〕をかぶれる。    * 話〔はな〕しかけて返事〔へんじ〕のなきに よく見〔み〕れば、 泣〔な〕いてゐたりき、隣〔とな〕りの患者〔くわんじや〕。    * 病室〔びやうしつ〕の窓〔まど〕にもたれて、 久〔ひさ〕しぶりに巡査〔じゅんさ〕を見〔み〕たりと、 よろこべるかな。    * 晴〔は〕れし日〔ひ〕のかなしみの一つ! 病室〔びやうしつ〕の窓〔まど〕にもたれて 煙草〔たばこ〕を味〔あぢは〕ふ。    * 夜〔よる〕おそく何処〔どこ〕やらの室〔へや〕の騒〔さは〕がしきは 人〔ひと〕や死〔し〕にたらむと、 息〔いき〕をひそむる。    * 脉〔みやく〕をとる看護婦〔かんごふ〕の手〔て〕の、 あたたかき日〔ひ〕あり、 つめたく堅〔かた〕き日〔ひ〕もあり。    * 病院〔びやうゐん〕に入〔い〕りて初〔はじ〕めての夜〔よる〕といふに、 すぐ寝入〔ねい〕りしが、 物足〔ものた〕らぬかな。    * 何〔なに〕となく自分〔じぶん〕をえらい人〔ひと〕のやうに 思〔おも〕ひてゐたりき。 子供〔こども〕なりしかな。    * ふくれたる腹〔はら〕を撫〔な〕でつつ、 病院〔びやうゐん〕の寝台〔ねだい〕に、ひとり、 かなしみてあり。    * 日〔め〕さませば、からだ痛〔いた〕くて 動〔うご〕かれず。 泣〔な〕きたくなりて、夜明〔よあ〕くるを待〔ま〕つ。    * びつしよりと盗汗出〔ねあせで〕てゐる あけがたの まだ覚〔さ〕めやらぬ重〔おも〕きかなしみ。    * ぼんやりとした悲〔かな〕しみが、 夜〔よ〕となれば、 寝台〔ねだい〕の上〔うへ〕にそつと来〔き〕て乗〔の〕る。    * 病院〔びやうゐん〕の窓〔まど〕によりつつ、 いろいろの人〔ひと〕の 元気〔げんき〕に歩〔ある〕くを挑〔なが〕む。    * もうお前〔まへ〕の心底〔しんてい〕をよく見届〔みとど〕けたと、 夢〔ゆめ〕に母来〔ははき〕て 泣〔な〕いてゆきしかな。    * 思〔おも〕ふこと盗〔ぬす〕みきかるる如〔ごと〕くにて、 つと胸〔むね〕を引〔ひ〕きぬー 聴診器〔ちやうしんき〕より。    * 看護婦〔かんごふ〕の徹夜〔てつや〕するまで、 わが病〔やま〕ひ、 わるくなれとも、ひそかに願〔ねが〕へる。    * 病院〔びやうゐん〕に来〔き〕て、 妻〔つま〕や子〔こ〕をいつくしむ まことの我〔われ〕にかへりけるかな。    * もう嘘〔うそ〕をいはじと思〔おも〕ひきー それは今朝〔けさ〕ー 今〔いま〕また一つ嘘〔うそ〕をいへるかな。    * 何〔なん〕となく、 自分〔じぶん〕を嘘〔うそ〕のかたまりの如〔ごと〕く思〔おも〕ひて、 目〔め〕をばつぶれる。    * 今〔いま〕までのことを みな嘘〔うそ〕にしてみれど、 心〔こころ〕すこしも慰〔なぐさ〕まざりき。    * 軍人〔ぐんじん〕になると言〔い〕ひ出〔だ〕して、 父母〔ちちはは〕に 苦労〔くらう〕させたる昔〔むかし〕の我〔われ〕かな。    * うつとりとなりて、 剣〔けん〕をさげ、馬〔うま〕にのれる己〔おの〕が姿〔すがた〕を 胸〔むね〕に描〔ゑが〕ける。    * 藤沢〔ふぢさは〕といふ代議士〔だいぎし〕を 弟〔おとうと〕のごとく思〔おも〕ひて、 泣〔な〕いてやりしかな。    * 何〔なに〕か一つ 大〔おほ〕いなる悪事〔あくじ〕しておいて、 知〔し〕らぬ顔〔かほ〕してゐたき気持〔きもち〕かな。    * ぢつとして寝〔ね〕ていらつしやいと  子供〔こども〕にでもいふがごとくに  医者〔いしや〕のいふ日〔ひ〕かな。    * 氷嚢〔へうのう〕の下〔した〕より まなこ光〔ひか〕らせて、  寝〔ね〕られぬ夜〔よる〕は人〔ひと〕をにくめる。    * 春〔はる〕の雪〔ゆき〕みだれて降〔ふ〕るを  熱〔ねつ〕のある目〔め〕に  かなしくも眺め入〔い〕りたる。    * 人間〔にんげん〕のその最大〔さいだい〕のかなしみが  これかと ふつと目〔め〕をばつぶれる。    * 回診〔くわいしん〕の医者〔いしや〕の遅〔おそ〕さよ! 痛〔いた〕みある胸〔むね〕に手〔て〕をおきて  かたく眼〔め〕をとづ。    * 医者〔いしや〕の顔色〔かほいろ〕をぢつと見〔み〕し外〔ほか〕に 何〔なに〕も見〔み〕ざりきー  胸〔むね〕の痛〔いた〕み募〔つの〕る日〔ひ〕。    *  病〔や〕みてあれば心〔こころ〕も弱〔よは〕るらむ! さまざまの 泣〔な〕きたきことが胸〔むね〕にあつまる。    * 寝〔ね〕つつ読〔よ〕む本〔ほん〕の重〔おも〕さに  つかれたる 手〔て〕を休〔やす〕めては、物〔もの〕を思〔おも〕へり。    * 今日〔けふ〕はなぜか、  二度〔ど〕も、三度〔ど〕も、  金側〔きんがわ〕の時計〔とけい〕を一〔ひと〕つ欲〔ほ〕しと思〔おも〕へり。    * いつか是非〔ぜひ〕、出〔だ〕さんと思〔おも〕ふ本〔ほん〕のこと、 表紙〔へうし〕のことなど、  妻〔つま〕に語〔かた〕れる。    * 胸〔むね〕いたみ、 春〔はる〕の霙〔みぞれ〕の降〔ふ〕る日〔ひ〕なり。  薬〔くすり〕に噎〔む〕せて、伏〔ふ〕して限〔め〕をとづ。    * あたらしきサラドの色〔いろ〕の  うれしさに 箸〔はし〕とりあげて見〔み〕は見〔み〕つれどもー    * 子〔こ〕を叱〔しか〕る、あはれ、この心〔こころ〕よ。  熱〔ねつ〕高〔たか〕き日〔ひ〕の癖〔くせ〕とのみ  妻〔つま〕よ、思〔おも〕ふな。    * 運命〔うんめい〕の来〔き〕て乗〔の〕れるかと  うたがひぬー 蒲団〔ふとん〕の重〔おも〕き夜半〔よは〕の寝覚〔ねざ〕めに。    * たへがたき渇〔かわ〕き覚〔おぼ〕ゆれど、  手〔て〕をのべて  林檎〔りんご〕とるだにものうき日〔ひ〕かな。    * 氷嚢〔へうのう〕のとけて温〔ぬく〕めば、 おのづから目〔め〕がさめ来〔きた〕り、  からだ痛〔いた〕める。    * いま、夢〔ゆめ〕に閑古鳥〔かんこどり〕を聞〔き〕けり。  閑古鳥〔かんこどり〕を忘〔わす〕れざりしが  かなしくあるかな。    * ふるさとを出〔い〕でて五年〔いつとせ〕、  病〔やまひ〕をえて、 かの閑古鳥〔かんこどり〕を夢〔ゆめ〕にきけるかな。    * 閑古鳥〔かんこどり〕ー  渋民村〔しぶたみむら〕の山荘〔さんさう〕をめぐる林〔はやし〕の  あかつきなつかし。    * ふるさとの寺〔てら〕の畔〔ほとり〕の  ひばの木〔き〕の いただきに来〔き〕て啼〔な〕きし閑古鳥〔かんこどり〕!    * 脈〔みやく〕をとる手〔て〕のふるひこそ かなしけれー  医者〔いしや〕に叱〔しか〕られし若〔わか〕き看護婦〔かんごふ〕    * いつとなく記臆〔きおく〕に残〔のこ〕りぬー  Fといふ看護婦〔かんごふ〕の手〔て〕の  つめたさなども。    * はづれまで一度〔いちど〕ゆきたしと  思〔おも〕ひゐし かの病院〔びやうゐん〕の長廊下〔ながらうか〕かな。    * 起〔お〕きてみて、 また直〔す〕ぐ寝〔ね〕たくなる時〔とき〕の  力〔ちから〕なき眼〔め〕に愛〔め〕でしチユリツプ!    * 堅〔かた〕く握〔にぎ〕るだけの力〔ちから〕も無〔な〕くなりし やせし我〔わ〕が手〔て〕の  いとほしさかな。    * わが病〔やまひ〕の  その因〔よ〕るところ深〔ふか〕く且〔か〕つ遠〔とほ〕きを思〔おも〕ふ。  目〔め〕をとぢて思〔おも〕ふ。    * かなしくも、  病〔やまひ〕いゆるを願〔ねが〕はざる心〔こころ〕我〔われ〕に在〔あ〕り。 何〔なん〕の心〔こころ〕ぞ。    * 新〔あたら〕しきからだを欲〔ほ〕しと思〔おも〕ひけり、  手術〔しゆじゆつ〕の傷〔きづ〕の  痕〔あと〕を撫〔な〕でつつ。    * 薬〔くすり〕のむことを忘〔わす〕るるを、  それとなく、 たのしみに思〔おも〕ふ長病〔ながやまひ〕かな。    * ポロオヂンといふ露西亜名〔ろしあな〕が、  何故〔なぜ〕ともなく、 幾度〔いくど〕も思〔おも〕ひ出〔だ〕さるる日〔ひ〕なり。    *  いつとなく我〔われ〕にあゆみ寄〔よ〕り、  手〔て〕を握〔にぎ〕り、  またいつとなく去〔さ〕りゆく人人〔ひとびと〕!    * 友〔とも〕も妻〔つま〕もかなしと思〔おも〕ふらしー  病〔や〕みても猶〔なほ〕、  革命〔かくめい〕のことロ〔くち〕に絶〔た〕たねば。    * やや遠〔とほ〕きものに思〔おも〕ひし テロリストの悲〔かな〕しき心〔こころ〕も  近〔ちか〕づく日〔ひ〕のあり。    * かかる目〔め〕に  すでに幾度会〔いくたびあ〕へることぞ! 成〔な〕るがままに成〔な〕れと今〔いま〕は思〔おも〕ふなり。    * 月〔つき〕に三十円〔ゑん〕もあれば、田舎〔ゐなか〕にては、 楽〔らく〕に暮〔くら〕せるとー  ひよつと思〔おも〕へる。    * 今日〔けふ〕もまた胸〔むね〕に痛〔いた〕みあり。  死〔し〕ぬならば、  ふるさとに行〔ゆ〕きて死〔し〕なむと思〔おも〕ふ。    * いつしかに夏〔なつ〕となれりけり。  やみあがりの目〔め〕にこころよき  雨〔あめ〕の明〔あか〕るさ!    * 病〔や〕みて四月〔ぐわつ〕ー  そのときどきに変〔かは〕りたる  くすりの味〔あぢ〕もなつかしきかな。    * 病〔や〕みて四月〔ぐわつ〕ー  その間〔ま〕にも、猶〔なほ〕、目〔め〕に見〔み〕えて、  わが子〔こ〕の背丈〔せたけ〕のびしかなしみ。    * すこやかに、 背丈〔せたけ〕のびゆく子〔こ〕を見〔み〕つつ、  われの日毎〔ひごと〕にさびしきほ何〔な〕ぞ。    * まくら辺〔べ〕に子〔こ〕を坐〔すは〕らせて、 まじまじとその顔〔かほ〕を見〔み〕れば、  逃〔に〕げてゆきしかな。    * いつも子〔こ〕を  うるさきものに思〔おも〕ひゐし間〔あひだ〕に、 その子〔こ〕、五歳〔さい〕になれり。    * その親〔おや〕にも、  親〔おや〕の親〔おや〕にも似〔に〕るなかれー かく汝〔な〕が父〔ちち〕は思〔おも〕へるぞ、子〔こ〕よ。    * かなしきは、  (われもしかりき)  叱〔しか〕れども、打〔う〕てども泣〔な〕かぬ児〔こ〕の心〔こころ〕なる。    * 「労働者〔らうどうしや〕」「革命〔かくめい〕」などといふ言葉ことばを  聞〔き〕きおぼえたる  五歳〔さい〕の子〔こ〕かな。    * 時〔とき〕として、  あらん限〔かぎ〕りの声〔こゑ〕を出〔だ〕し、 唱歌〔しやうか〕をうたふ子〔こ〕をほめてみる。    *  何〔なに〕思〔おも〕ひけむー 玩具〔おもちや〕をすてておとなしく、 わが側〔そば〕に来〔き〕て子〔こ〕の坐〔すわ〕りたる。    * お菓子〔くわし〕貰〔もら〕ふ時〔とき〕も忘〔わす〕れて、  二階〔かい〕より、  町〔まち〕の往来〔ゆきき〕を眺〔なが〕むる子〔こ〕かな。    * 新〔あたら〕しきイソクの匂〔にほ〕ひ、 目〔め〕に泌〔し〕むもかなしや。  いつか庭〔には〕の青〔あを〕めり。    * ひとところ、畳〔たたみ〕を見〔み〕つめてありし間〔ま〕の  その思〔おも〕ひを、 妻〔つま〕よ、語〔かた〕れといふか。    * あの年〔とし〕のゆく春〔はる〕のころ、 眼〔め〕をやみてかけし黒眼鏡〔くろめがね〕ー  こはしやしにけむ。    * 薬〔くすり〕のむことを忘〔わす〕れて、  ひさしぶりに、 母〔はは〕に叱〔しか〕られしをうれしと思〔おも〕へる。    * 枕辺〔まくらべ〕の障子〔しやうじ〕あけさせて、 空〔そら〕を見〔み〕る癖〔くせ〕もつけるかなー  長〔なが〕き病〔やまひ〕に。    * おとなしき家畜〔かちく〕のごとき  心〔こころ〕となる、 熱〔ねつ〕やや高〔たか〕き日〔ひ〕のたよりなさ。    * 何〔なに〕か、かう、書〔か〕いてみたくなりて、  ペンを取〔と〕りぬー 花活〔はないけ〕の花〔はな〕あたらしき朝〔あさ〕。    * 放〔はな〕たれし女〔をんな〕のごとく、 わが妻〔つま〕の振舞〔ふるま〕ふ日〔ひ〕なり。  ダリヤを見入〔みい〕る。    * あてもなき金〔かね〕などを待〔ま〕つ思〔おも〕ひかな。  寝〔ね〕つ起〔お〕きつして、  今日〔けふ〕も暮〔くら〕したり。    * 何〔なに〕もかもいやになりゆく この気持〔きもち〕よ。  思〔おも〕ひ出〔だ〕しては煙草〔たはこ〕を吸〔す〕ふなり。    * 或〔あ〕る市〔まち〕にゐし頃〔ころ〕の事〔こと〕として、  友〔とも〕の語〔かた〕る 恋〔こひ〕がたりに嘘〔うそ〕の交〔まじ〕るかなしさ。    * ひさしぶりに、  ふと声〔こゑ〕を出〔だ〕して笑〔わら〕ひてみぬー 蝿〔はひ〕の両手〔りやうて〕を揉〔も〕むが可笑〔をか〕しさに。    * 胸〔むね〕いたむ日〔ひ〕のかなしみも、  かをりよき煙草〔たばこ〕の如〔ごと〕く、  棄〔す〕てがたきかな。    * 何〔なに〕か一つ騒〔さわ〕ぎを起〔おこ〕してみたかりし、  先刻〔さつき〕の我〔われ〕を  いとしと思〔おも〕へる。    * 五歳〔さい〕になる子〔こ〕に、何故〔なぜ〕ともなく、 ソニヤといふ露西亜〔ろしあ〕名〔な〕をつけて、  呼〔よ〕びてはよろこぶ。    * 解〔と〕けがたき 不和〔ふわ〕のあひだに身〔み〕を処〔しよ〕して、  ひとりかなしく今日〔けふ〕も怒〔いか〕れり。    * 猫〔ねこ〕を飼〔か〕はば、 その猫〔ねこ〕がまた争〔あらそ〕ひの種〔たね〕となるらむ、  かなしきわが家〔いへ〕。    * 俺〔おれ〕ひとり下宿屋〔げしゆくや〕にやりてくれぬかと、  今日〔けふ〕もあやふく、  いひ出〔い〕でしかな。    * ある日〔ひ〕、ふと、やまひを忘〔わす〕れ、 牛〔うし〕の啼〔な〕く真似〔まね〕をしてみぬ、ー  妻子〔つまこ〕の留守〔るす〕に。    * かなしきは我〔わ〕が父〔もち〕!  今日〔けふ〕も新聞〔しんぶん〕を読〔よ〕みあきて、  庭〔には〕に小蟻〔こあり〕と遊〔あそ〕べり。    * ただ一人〔ひとり〕の をとこの子〔こ〕なる我〔われ〕はかく育〔そだ〕てり。  父母〔ふぼ〕もかなしかるらむ。    * 茶〔ちや〕まで断〔た〕ちて、 わが平復〔へいふく〕を祈〔いの〕りたまふ  母〔はは〕の今日〔けふ〕また何〔なに〕か怒〔いか〕れる。    * 今日〔けふ〕ひよつと近所〔きんじよ〕の子等〔こら〕と遊〔あそ〕びたくなり、 呼〔よ〕べど来〔きた〕らず。  こころむづかし。    * やまひ癒〔い〕えず、 死〔し〕なず、  日毎〔ひごと〕にこころのみ険〔けは〕しくなれる七八月〔ななやつき〕かな。    * 買〔か〕ひおきし 薬〔くすり〕つきたる朝〔あさ〕に来〔き〕し  友〔とも〕のなさけの為替〔かはせ〕のかなしき。    * 児〔こ〕を叱〔しか〕れば、 泣〔な〕いて、寝入〔ねい〕りぬ。  口〔くち〕すこしあけし寝顔〔ねがほ〕にさはりてみるかな。    * 何〔なに〕がなしに 肺〔はい〕が小〔ちい〕さくなれる如〔ごと〕く思〔おも〕ひて起〔お〕きぬー  秋近〔あきちか〕き朝〔あさ〕。    * 秋近〔あきちか〕し!  電燈〔でんとう〕の球〔たま〕のぬくもりの  さはれば指〔ゆび〕の皮膚〔ひふ〕に親〔した〕しき。    * ひる寝〔ね〕せし児〔こ〕の枕辺〔まくらべ〕に 人形〔にんげう〕を買〔か〕ひ来〔き〕てかざり、  ひとり楽〔たの〕しむ。    * クリストを人〔ひと〕なりといへば、  妹〔いもうと〕の眼〔め〕がかなしくも、  われをあはれむ。    * 縁先〔えん〕にまくら出〔だ〕させて、  ひさしぶりに、  ゆふべの空〔そら〕にしたしめるかな。    * 庭〔には〕のそとを白〔しろ〕き犬〔いぬ〕ゆけり。  ふりむきて、  犬〔いぬ〕を飼〔か〕はむと妻〔つま〕にはかれる。      対 話 と 感 想 一利己主義者と友人との対話  B おい、おれは今度〔こんど〕また引越しをしたぜ。  A さうか。君は来るたんび引越しの披露をして行くね。  B それは僕〔ぼく〕には引越し位の外〔ほか〕に何もわざわざ披露するやうな事件が無いからだ。  A 葉書〔はがき〕でも済〔す〕むよ。  B しかし今度のは葉書では済まん。  A どうしたんだ。何日〔いつ〕かの話の下宿の娘〔むすめ〕から縁談〔えんだん〕でも申込まれて逃げ出したのか。  B 莫迦〔ばか〕なことを言へ。女の事〔こと〕なんか近頃もうちつとも僕〔ぼく〕の目にうつらなくなつた。女より食物〔くひもの〕だね。好〔す〕きな物を食つてさへ居れあ僕には不平はない。  A 殊勝〔しゆしやう〕な事を言ふ。それでは今度の下宿〔げしゆく〕はうまい物を食〔く〕はせるのか。  B 三度三度〔ど〕うまい物ばかり食はせる下宿が何処〔どこ〕にあるもんか。  A 安下宿〔やすげしゆく〕ばかりころがり歩いた癖〔くせ〕に。  B 皮肉〔ひにく〕るない。今度のは下宿ぢやないんだよ。僕〔ぼく〕はもう下宿生活には飽〔あ〕き飽きしちやつた。  A よく自分に飽きないね。  B 自分にも飽きたさ。飽きたから今度の新生活を始めたんだ。室〔へや〕だけ借りて置〔お〕いて、飯〔めし〕は三度とも外へ出て食〔く〕ふことにしたんだよ。  A 君〔きみ〕のやりさうなこつたね。  B さうかね。僕はまた君のやりさうなこつたと思つてゐた。  A 何故〔なぜ〕。  B 何故〔なぜ〕つてさうぢやないか。第一こんな自由〔じいう〕な生活はないね。居処〔ゐどころ〕つて奴は案外〔あんぐわい〕人間を束縛〔そくばく〕するもんだ。何処かへ出〔で〕てゐても、飯時になれあ直〔す〕ぐ家のことを考へる。あれだけでも僕〔ぼく〕みたいな者にや一種の重荷〔おもに〕だよ。それよりは何処でも構〔かま〕はす腹の空〔す〕いた時に飛〔と〕び込んで、自分の好〔す〕きな物を食つた方が可〔い〕いぢやないか。(間)何〔なん〕でも好〔す〕きなものが食へるんだからなあ。初めの間〔うち〕は腹のへつて来〔く〕るのが楽みで、一日に五回づつ食〔く〕つてやつた。出掛〔でか〕けて行つて食つて来て、煙草〔たばこ〕でも喫〔の〕んでるとまた直〔す〕ぐ食ひたくなるんだ。  A 飯〔めし〕の事をさう言へや眠〔ねむ〕る場所だつてさうぢやないか。毎晩毎晩同じ夜具を着〔き〕て寝〔ね〕るつてのも余り有難〔ありがた〕いことぢやないね。  B それはさうさ。しかしそれは仕方〔しかた〕がない。身体〔からだ〕一つならどうでも可〔よ〕いが、机〔つくえ〕もあるし本もある。あんな荷物〔にもつ〕をどつさり持つて、毎日毎日引越〔ひつこ〕して歩〔ある〕かなくちやならないとなつたら、それこそ苦痛〔くつう〕ぢやないか。  A 飯〔めし〕のたんびに外に出〔で〕なくちやならないといふのと同〔おな〕じだ。  B 飯を食ひに行くには荷物〔にもつ〕はない。身体だけで済〔す〕むよ。食ひたいなあと思〔おも〕つた時、ひよいと立つて帽子〔ばうし〕を冠〔かぶ〕つて出掛けるだけだ。財布〔さいふ〕さへ忘れなけや可い。ひと足〔あし〕ひと足うまい物に近〔ちか〕づいて行くつて気持は実〔じつ〕に可〔い〕いね。  A ひと足ひと足新〔あたら〕しい眠りに近づいて行〔ゆ〕く気持〔きもち〕はどうだね。ああ眠くなつたと思〔おも〕つた時、てくてく寝床を探しに出かけるんだ。昨夜〔ゆうべ〕は隣の室で女の泣〔な〕くのを聞きながら眠〔ねむ〕つたつけが、今夜は何〔なに〕を聞〔き〕いて眠るんだらうと思〔おも〕ひながら行〔ゆ〕くんだ。初めての宿屋〔やどや〕ぢや此方〔こつち〕の誰だかをちつとも知〔し〕らない。知つた者の一人〔ひとり〕もゐない家の、行燈〔あんどん〕か何〔なに〕かついた奥〔おく〕まつた室に、やはらかな夜具〔やぐ〕の中に緩〔ゆつ〕くり身体を延〔の〕ばして安らかな眠りを待〔ま〕つてる気持はどうだね。  B それあ可〔い〕いさ。君もなかなか話〔はな〕せる。  A 可〔い〕いだらう。毎晩〔まいばん〕毎晩〔まいばん〕さうして新しい寝床〔ねどこ〕で新しい夢を結〔むす〕ぶんだ(間)本も机も棄〔す〕てつちまふさ。何〔なに〕もいらない。本を読〔よ〕んだつてどうもならんぢやないか。  B ますます話〔はな〕せる。しかしそれあ話だけだ。初〔はじ〕めのうちはそれで可〔い〕いかも知れないが、しまひには吃度〔きつと〕おつくうになる。やつぱり何処かに落付〔おちつ〕いてしまふよ。  A 飯を食〔く〕ひに出かけるのだつてさうだよ。見給〔みたま〕へ、二日経〔た〕つと君はまた何処〔どこ〕かの下宿〔げしゆく〕にころがり込むから。  B ふむ。おれは細君〔さいくん〕を持つまでは今の通〔とほ〕りやるよ。吃度やつて見〔み〕せるよ。  A 細君〔さいくん〕を持つまでか。可哀想〔かあいさう〕に。(間)しかし羨〔うらやま〕ましいね君の今のやり方は、実はずつと前〔まへ〕からのおれの理想〔りさう〕だよ。もう三年からになる。  B さうだらう。おれはどうも初〔はじ〕め思ひたつた時、君〔きみ〕のやりさうなこつたと思〔おも〕つた。  A 今でもやりたいと思〔おも〕つてる。たつた一月でも可〔い〕い。  B どうだ、おれん処〔ところ〕へ来て一緒〔しよ〕にやらないか。可〔い〕いぜ。そして飽きたら以前〔もと〕に帰るさ。  A しかし厭〔いや〕だね。  B 何故〔なぜ〕。おれと一緒〔しよ〕が厭なら一人〔ひとり〕でやつても可いぢやないか。  A一緒でも一緒〔しよ〕でなくても同じことだ。君は今〔いま〕それを始めたばかりで大〔おほ〕いに満足してるね。僕もさうに違〔ちが〕ひない。やつぱり初めのうちは日に五度〔たび〕も食事をするかも知〔し〕れない。しかし君はそのうちに飽〔あ〕きてしまつておつくうになるよ。さうしておれん処へ来て、また引越しの披露〔ひろう〕をするよ。その時〔とき〕おれは、「とうとう飽〔あ〕きたね。」と君に言〔い〕ふね。  B 何だい。もうその時の挨拶〔あいさつ〕まで工夫〔くふう〕してるのか。  A まあさ。「とうとう飽〔あ〕きたね。」と君に言ふね。それは君に言ふのだから可〔い〕い。おれは其奴〔そいつ〕を自分には言〔い〕ひたくない。  B 相不変〔あひかはらず〕厭〔いや〕な男だなあ、君〔きみ〕は。  A 厭〔いや〕な男さ。おれもさう思〔おも〕つてる。  B 君は何日〔いつ〕かーあれは去年〔きよねん〕かなーおれと一緒〔しよ〕に行つて淫売屋〔いんばいや〕から逃げ出した時〔とき〕もそんなことを言〔い〕つた。  A さうだつたかね。  B 君は吃度〔きつと〕早く死ぬ。もう少〔すこ〕し気を広く持たなくちや可〔い〕かんよ。一体〔たい〕君は余〔あま〕りアンビシヤスだから可〔い〕かん。何だつて真の満足〔まんぞく〕つてものは世の中〔なか〕に有りやしない。従〔したが〕つて何だつて飽きる時〔とき〕が来るに定〔きま〕つてらあ。飽きたり、不満足〔ふまんぞく〕になつたりする時を予想〔よさう〕して何にもせずにゐる位〔くらゐ〕なら、生れて来なかつた方が余〔よ〕つ程〔ほど〕可いや。生れた者は吃度〔きつと〕死〔し〕ぬんだから。  A 笑〔わら〕はせるない。  B 笑〔わら〕つてもゐないぢやないか。  A 可〔を〕笑しくもない。  B 笑ふさ。可笑しくなくつたつて些〔ちつ〕たあ笑はなくちや可〔い〕かん。はは。(間)しかし何だね。君は自分で飽〔あ〕きつぽい男だと言つてるが、案外〔あんぐわい〕さうでもないやうだね。  A 何故〔なぜ〕。  B 相不変〔あひかはらず〕歌を作〔つく〕つてるぢやないか。  A 歌〔うた〕か。  B 止〔や〕めたかと思ふとまた作〔つく〕る。執念〔しうねん〕深〔ぶか〕いところが有るよ。やつぱり君は一生〔しやう〕歌〔うた〕を作るだらうな。  A どうだか。  B 歌も可〔い〕いね。こなひだ友人〔ゆうじん〕とこへ行つたら、やつぱり歌を作るとか読むとかいふ姉〔ねえ〕さんがゐてね。君の事を話〔はな〕してやつたら、「あの歌人〔かじん〕はあなたのお友達〔ともだち〕なんですか。」つて喫驚〔びつくり〕してゐたよ。おれはそんなに俗人〔ぞくじん〕に見えるのかな。  A 「歌人〔かじん〕」は可〔よ〕かつたね。  B 首〔くび〕をすくめることはないぢやないか。おれも実〔じつ〕は最初変だと思つたよ Aは歌人〔かじん〕だ! 何んだか変〔へん〕だものな。しかし歌を作つてる以上〔いじやう〕はやつぱり歌人にや違〔ちが〕ひないよ。おれもこれから一つ君を歌人扱ひにしてやらうと思つてるんだ。  A 御馳走〔ごちさう〕でもしてくれるのか。  B 莫迦〔ばか〕なことを言へ。一体〔たい〕歌人にしろ小説家〔せうせつか〕にしろ、すべて文学者〔ぶんがくしや〕といはれる階級〔かいきふ〕に属する人間は無責任〔むせきにん〕なものだ。何を書〔か〕いても書いたことに責任を負〔お〕はない。待てよ、これは、何日〔いつ〕か君〔きみ〕から聞いた議論〔ぎろん〕だつたね。  A どうだか。  B どうだかつて、たしかに言〔い〕つたよ。文芸上〔ぶんげいじやう〕の作物は巧〔うま〕いにしろ拙〔まづ〕いにしろ、それがそれだけで完了してると云ふ点〔てん〕に於て、人生の交渉〔かうせふ〕は歴史上の事柄〔ことがら〕と同じく間接だ、とか何んとか。(間)それはまあどうでも可いが、兎〔と〕に角〔かく〕おれは今後無責任〔むせきにん〕を君の特権として認〔みと〕めて置く。特待生〔とくたいせい〕だよ。  A 許〔ゆる〕してくれ。おれは何よりもその特待生が嫌〔きら〕ひなんだ。何日だつけ北海道〔ほくかいだう〕へ行く時青森から船〔ふね〕に乗つたら、船の事務長〔じむちやう〕が知つてる奴〔やつ〕だつたものだから、三等の切符〔きつぷ〕を持つてるおれを無理矢理〔むりやり〕に一等室に入れたんだ。室〔しつ〕だけならまだ可〔い〕いが、食事の時間〔じかん〕になつたらボーイを寄〔よ〕こしてとうとう食堂まで引張〔ひつぱ〕り出された。あんなに不愉快〔ふゆくわい〕な飯を食つたことはない。  B それは三等〔とう〕の切符を持〔も〕つてゐた所為〔せゐ〕だ。一等の切符さへ有れあ当〔あた〕り前ぢやないか。  A 莫迦〔ばか〕を言へ。人間は皆〔みな〕赤切符〔あかきつぷ〕だ。  B 人間は皆赤切符! やつぱり話〔はな〕せるな。おれが飯屋〔めしや〕へ飛び込んで空樽〔あきだる〕に腰掛〔こしか〕けるのもそれだ。  A 何だい、うまい物〔もの〕うまい物つて言〔い〕ふから何を食ふのかと思〔おも〕つたら、一膳〔ぜん〕飯屋〔めしや〕へ行くのか。  B 上〔かみ〕は精養軒の洋食から下〔しも〕は一膳飯、牛飯、大道の焼鳥〔やきとり〕に至るさ。飯屋〔めしや〕にだつてうまい物は有〔あ〕るぜ。先刻〔さつき〕来る時はとろろ飯〔めし〕を食つて来〔き〕た。  A 朝〔あさ〕には何を食ふ。  B 近所〔きんじよ〕にミルクホールが有るから其処〔そこ〕へ行く。君の歌も其処〔そこ〕で読んだんだ。何でも雑誌〔ざつし〕をとつてる家〔うち〕だからね。(問)さうさう、君は何日〔いつ〕か短歌が滅〔ほろ〕びるとおれに言〔い〕つたことがあるね。此頃その短歌滅亡論〔たんかめつばうろん〕といふ奴が流行つて来たぢやないか。  A 流行〔はや〕るかね。おれの読〔よ〕んだのは尾上柴舟〔おのへさいしう〕といふ人の書いたのだけだ。  B さうさ。おれの読〔よ〕んだのもそれだ。然〔しか〕し一人が言ひ出す時分〔じぶん〕にや十人か五人は同〔おな〕じ事を考〔かんが〕へてるもんだよ。  A あれは尾上といふ人〔ひと〕の歌そのものが行〔ゆ〕きづまつて来たといふ事実に立派〔りつぱ〕な裏書〔うらがき〕をしたものだ。  B 何〔なに〕を言ふ。そんなら君があの議論〔ぎろん〕を唱〔とな〕へた時は、君の歌が行きづまつた時〔とき〕だつたのか。  A さうさ。歌〔うた〕ばかりぢやない、何〔なに〕もかも行きづまつた時〔とき〕だつた。  B しかしあれには色色理屈〔りくつ〕が書てあつた。  A 理屈は何〔なん〕にでも着〔つ〕くさ。ただ世の中のことは一つだつて理屈〔りくつ〕によつて推移〔すゐい〕してゐないだけだ。たとへば、近頃の歌は何首或は何十首を、一首一首引き抜〔ぬ〕いて見ないで全体として見るやうな傾向〔かたむき〕になつて来た。そんなら何故〔なぜ〕それらを初〔はじ〕めから一つとして現〔あらは〕さないか。一一分解〔ぶんかい〕して現す必要が何処にあるか、とあれに書〔か〕いてあつたね。一応〔おう〕尤〔もつと〕もに聞えるよ。しかしあの理屈〔りくつ〕に服従すると、人間〔にんげん〕は皆死ぬ間際まで待たなければ何も書〔か〕けなくなるよ。歌はー文学は作家〔さくか〕の個人性の表現〔へうげん〕だといふことを狭〔せま〕く解釈してるんだからね。仮〔かり〕に今夜なら今夜〔こんや〕のおれの頭〔あたま〕の調子〔てうし〕を歌ふにしてもだね。なるほどひと晩〔ばん〕のことだから一つに纏〔まと〕めて現した方が都合は可いかも知れないが、一時間〔じかん〕は六十分で、一分は六十秒〔べう〕だよ。連続はしてゐるが初めから全体になつてゐるのではない。きれざれに頭〔あたま〕に浮んで来る感じを後〔あと〕から後からときれぎれに歌〔うた〕つたつて何も差支〔さしつか〕へがないぢやないか。一つに纏〔まと〕める必要が何処〔どこ〕にあると言ひたくなるね。  B 君〔きみ〕はさうすつと歌は永久〔えいきう〕に滅〔ほろ〕びないと云ふのか。  A おれは永久といふ言葉〔ことば〕は嫌〔きら〕ひだ。  B 永久でなくても可〔い〕い。兎に角まだまだ歌は長生〔ながいき〕すると思ふのか。  A 長生〔ながいき〕はする。昔から人生五十といふが、それでも八十位まで生〔い〕きる人は沢山〔たくさん〕ある。それと同じ程度〔ていど〕の長生はする。しかし死〔し〕ぬ。  B 何日〔いつ〕になつたら八十になるだらう。  A 日本の国語〔こくご〕が統〔とう〕一される時さ。  B もう大分統〔とう〕一されかかつてゐるぜ。小説〔せうせつ〕はみんな時代語になつた。小学校の教科書〔けうくわしよ〕と詩も半分はなつて来た。新聞〔しんぶん〕にだつて三分の一は時代語〔じだいご〕で書いてある。先〔せん〕を越〔こ〕してローマ字を使〔つか〕ふ人さへある。  A それだけ混乱〔こんらん〕してゐたら沢山〔たくさん〕ぢやないか。  B うむ。さうすつとまだまだか。  A まだまだ。日本〔にほん〕は今三分の一まで来〔き〕たところだよ。何〔なに〕もかも三分の一だ。所謂〔いはゆる〕古い言葉と今の口語と比〔くら〕べて見ても解〔わか〕る。正確に違つて来〔き〕たのは、「なり」「なりけり」と「だ」「である」だけだ。それもまだまだ文章の上では併用〔へいやう〕されてゐる。音文字〔おんもじ〕が採用されて、それで現〔あらは〕すに不便な言葉がみんな淘汰〔たうた〕される時が来〔こ〕なくちや歌は死〔し〕なない。  B 気長〔きなが〕い事を言ふなあ。君は元来性急〔せつかち〕な男だつたがなあ。  A あまり性急〔せつかち〕だつたお蔭〔かげ〕で気長になつたのだ。  B 悟〔さと〕つたね。  A 絶望〔ぜつばう〕したのだ。  B しかし兎〔と〕に角〔かく〕今の我我の言葉〔ことば〕が五とか七とかいふ調子〔てうし〕を失つてるのは事実〔じじつ〕ぢやないか。  A 「いかにさびしき夜〔よ〕なるぞや。」「なんてさびしい晩〔ばん〕だらう。」どつちも七五調〔てう〕ぢやないか。  B それは極〔きは〕めて稀な例〔れい〕だ。  A 昔〔むかし〕の人は五七調や七五調でばかり物〔もの〕を言つてゐたと思ふのか。莫迦〔ばか〕。  B これでも賢〔かしこ〕いぜ。  A とはいふものの、五と七がだんだん乱〔みだ〕れて来てるのは事実〔じじつ〕だね。玉が六に延〔の〕び、七が八に延〔の〕びてゐる。そんならそれで歌〔うた〕にも字あまりを使〔つか〕へば済むことだ。自分〔じぶん〕が今迄勝手に古い言葉を使〔つか〕つて来てゐて、今になつて不便〔ふべん〕だもないぢやないか。成〔な〕るべく現代の言葉に近〔ちか〕い言葉を使つて、それで三十一字〔じ〕に纏〔まとま〕りかねたら字あまりにするさ。それで出来〔でき〕なけれあ言葉や形〔かた〕が古〔ふる〕いんでなくつて頭〔あたま〕が古いんだ。  B それもさうだね。  A のみならず、五も七も更〔さら〕にことか三とか四とかにまだまだ分解〔ぶんかい〕することが出来〔でき〕る。歌の調子はまだまだ複雑〔ふくざつ〕になり得る余地〔よち〕がある。昔は何日の間にか五七五、七七と二行に書〔か〕くことになつてゐたのを、明治になつてから一本に書〔か〕くことになつた。今度はあれを壊〔こわ〕すんだね。歌には一首一首各〔かく〕異〔ことな〕つた調子〔てうし〕がある筈だから、一首一首別〔べつ〕なわけ方で何行〔なんぎやう〕かに書くことにするんだね。  B さうすると歌の前途〔ぜんと〕はなかなか多望〔たばう〕なことになるなあ。  A 人は歌〔うた〕の形は小さくて不便〔ふべん〕だといふが、おれは小さいから却〔かへ〕つて便利だと思〔おも〕つてゐる。さうぢやないか。人は誰〔だれ〕でも、その時が過〔す〕ぎてしまへは間もなく忘〔わす〕れるやうな、乃至〔ないし〕は長く忘れずにゐるにしても、それを思ひ出〔だ〕すには余〔あまり〕り接穂〔つぎほ〕がなくてとうとう一生思ひ出さずにしまふといふやうな、内〔うち〕から外〔そと〕からの数〔かず〕限〔かぎ〕りなき感じを、後〔あと〕から後からと常に経験〔けいけん〕してゐる。多くの人はそれを軽蔑〔けいべつ〕してゐる。軽蔑しないまでも殆〔ほとん〕ど無関心にエスケープしてゐる。しかしいのちを愛〔あい〕する者はそれを軽蔑〔けいべつ〕することが出来ない。  B 待〔ま〕てよ。ああさうか。一分は六十秒〔べう〕なりの論法〔ろんぱふ〕だね。  A さうさ。一生に二度とは帰〔かへ〕つて来ないいのちの一秒〔べう〕だ。おれはその一秒がいとしい。たゞ逃〔に〕がしてやりたくない。それを現〔あらは〕すには、形が小さくて、手間暇〔てまひま〕のいらない歌が一番〔ばん〕便利〔べんり〕なのだ。実際便利だからね。歌〔うた〕といふ詩形を持つてるといふことは、我我日本人〔にほんじん〕の少ししか持たない幸福〔かうふく〕のうちの一つだよ。(間)おれはいのち〔ヽヽヽ〕を愛するから歌を作る。おれ自身〔じしん〕が何よりも可愛〔かあい〕いから歌を作る。(間)しかしその歌〔うた〕も滅亡〔めつばう〕する。理窟〔りくつ〕からでなく内部から滅亡する。しかしそれはまだまだだ、早〔はや〕く滅亡すれば可いと思〔おも〕ふがまだまだだ。(間)日本〔にほん〕はまだ三分の一だ。  B いのち〔ヽヽヽ〕を愛するつてのは可いね。君〔きみ〕は君のいのち〔ヽヽヽ〕を愛〔あい〕して歌を作り、おれはおれのいのち〔ヽヽヽ〕を愛〔あい〕してうまい物を食つてあるく。似〔に〕たね。  A (間)おれはしかし、本当〔ほんたう〕のところはおれに歌なんか作らせたくない。  B どういふ意味〔いみ〕だ。君はやつぱり歌人〔かじん〕だよ。歌人だつて可〔い〕いぢやないか。しつかりやるさ。  A おれはおれに歌〔うた〕を作らせるよりも、もつと深〔ふか〕くおれを愛〔あい〕してゐる。  B 解〔わか〕らんな。  A 解〔わか〕らんかな。(間)しかしこれは言葉〔ことば〕でいふと極〔ご〕くつまらんことになる。  B 歌〔うた〕のやうな小さいものに全生命〔ぜんせいめい〕を託することが出来〔でき〕ないといふのか。  A おれは初めから歌に全生命を託〔たく〕さうと思つたことなんかない。(間)何〔なん〕にだつて全生命〔ぜんせいめい〕を託することが出来るもんか。(間)おれはおれを愛〔あい〕してはゐるが、其のおれ自身〔じしん〕だつてあまり信用〔しんよう〕してはゐない。  B (やや突然〔とつぜん〕に) おい、飯食ひに行かんか。(間、独語〔どくご〕するやうに。)おれも腹〔はら〕のへつた時はそんな気持〔きもち〕のすることがあるなあ。 歌のいろいろ      (一) 〇日毎〔ひごと〕に集つて来る投書の歌〔うた〕を読〔よ〕んでゐて、ひよいと妙〔めう〕な事を考へさせられることがある。ー此処〔こゝ〕に作者その人に差障〔さしさは〕りを及ぼさない範囲〔はんゐ〕に於て一二の例を挙げて見るならば、此頃〔このごろ〕になつて漸〔やうや〕く手を着けた十月中〔ちう〕到着〔たうちやく〕の分の中に、神田の某君〔なにがしくん〕といふ人〔ひと〕の半紙二〔ふた〕つ折〔をり〕へ横に二十首の歌を書〔か〕いて、『我目下の境遇』と題を付けたのがあつた。 〇読〔よ〕んでゐて私は不思議に思つた。それは歌の上手〔じやうず〕な為〔ため〕ではない。歌は字と共〔とも〕に寧〔むし〕ろ拙〔まづ〕かつた。又〔また〕その歌つてある事〔こと〕の特に珍〔めづ〕らしい為でもなかつた。私を不思議〔ふしぎ〕に思はせたのは、脱字〔だつじ〕の多い事〔こと〕である。誤字〔ごじ〕や仮名〔かな〕違〔ちが〕ひは何百といふ投書家の中〔うち〕に随分やる人〔ひと〕がある。寧〔むし〕ろ驚く位〔くらゐ〕ある。然し恁麼〔こんな〕に脱字〔だつじ〕の多〔おほ〕いのは滅多にない。要〔い〕らぬ事〔こと〕とは思ひながら数へてみると、二十首の中に七箇所の脱字〔だつじ〕があつた。三首に一箇所〔かしよ〕の割合である。 〇歌つてある歌には、母が病気になつて秋風が吹〔ふ〕いて来〔き〕たといふのがあつた。僻心〔ひがみごゝろ〕を起すのは悪い悪いと思ひながら何時〔いつ〕しか夫〔それ〕が癖〔くせ〕になつたといふのがあつた。十八の歳〔とし〕から生活の苦しみを知〔し〕つたといふのがあつた。安〔やす〕らかに眠つてゐる母の寝顔を見れば涙〔なみだ〕が流れるといふのがあつた。弟〔おとゝ〕の無邪気〔むじやき〕なのを見〔み〕て傷〔いた〕んでゐる歌もあつた。金〔かね〕といふものに数々〔かずかず〕の怨〔うら〕みを言つてゐるのもあつた。終日〔しうじつ〕の仕事の疲れといふことを歌つたのもあつた。 〇某君〔なにがしくん〕は一体〔たい〕に粗忽〔そゝつか〕しい人なのだらうか?小学校にゐた頃から脱字〔だつじ〕をしたり計数〔けいすう〕を間違つたり、忘れ物をする癖〔くせ〕のあつた人なのだらうか?ー恁麼〔こんな〕事〔こと〕を問〔と〕うてみるからが既に勝手〔かつて〕な、作者に対して失礼な推量で、随〔したが〕つてその答へも亦〔また〕勝手〔かつて〕な推量に過ぎないのだが、私には何うもさうは思へなかつた。進むべき路を進みかねて境遇〔きやうぐう〕の犠牲〔ぎせい〕となつた人の、その心に消しがたき不平が有れば有る程、元気〔げんき〕も顔色も人先〔ひとさき〕に衰〔おとろ〕へて、幸運〔かううん〕な人がこれから初めて世の中に打つて出ようといふ歳頃〔としごろ〕に、早〔はや〕く既〔すで〕に医〔い〕しがたき神経衰弱に陥〔おちい〕つてゐる例は、私の知つてゐる範囲にも二人〔ふたり〕や三人〔にん〕ではない。私は「十八の歳〔とし〕から生活の苦しみを知つた人」と「脱字〔だつじ〕を多くする人〔ひと〕」とを別々に離して考へることは出来なかつた。 〇某君〔なにがしくん〕のこの投書は、多分何か急がしい事のある日か、心の落付かぬ程嬉しい事でもある日に書いたので、斯う脱字〔だつじ〕が多かつたのだらう。さうだらうと私は思ふ。然し若し此処に私の勝手に想像〔さうざう〕したやうな人があつて、某君〔なにがしくん〕の歌つたやうな事を誰かの前に訴〔うつた〕へたとしたならば、その人は果して何と答へるだらうか。 〇私は色々の場合〔ばあい〕、色々の人のそれに対する答へを想像〔さうざう〕して見〔み〕た。それは皆如何にも尤〔もつと〕もな事ばかりであつた。然しそれらの叱咤〔しつた〕それらの激励、それらの同情は果〔はた〕して何れだけその不幸なる青年の境遇〔きやうぐう〕を変〔か〕へてくれるだらうか。のみならず私は又次のやうな事も考へなければならなかつた。二十首〔しゆ〕の歌に七〔かしよ〕箇所の脱字〔だつじ〕をする程頭の悪くなつてゐる人〔ひと〕ならば、その平生の仕事にも「脱字」が有るに達ひない。その処世〔しよせい〕の術〔じゆつ〕にも「脱字〔だつじ〕」があるに達ひない。ー私の心はいつか又、今の諸々〔もろもろ〕の美しい制度、美しい道徳をその儘〔まゝ〕長〔なが〕く我々の子孫に伝へる為には、何〔ど〕れだけの夥〔おびたゞ〕しい犠牲を作らねばならぬかといふ事に移つて行〔い〕つた。さうして泌々〔しみじみ〕した心持になつて次の投書の封を切つた。         (二) 〇大分〔だいぶ〕前の事である。茨城〔いばらき〕だつたか千葉〔ちば〕だつたか乃至〔ないし〕は又群馬〔ぐんま〕の方だつたか、何しろ東京〔とうきやう〕から余り遠くない県の何とか郡〔こほり〕何とか村〔むら〕小学校内〔せうがくかうない〕某〔なにがし〕といふ人から歌が来た。何日か経つて其〔そ〕の歌の中の何首〔なんしゆ〕かが新聞に載〔の〕つた。すると間もなく私は同じ人からの長い手紙を添〔そ〕へた二度目の投書を受け取つた。 〇其の手紙は候文〔さふらふぶん〕と普通文〔ふつうぶん〕とを捏〔こ〕ね交ぜたやうな文体で先づ自分が「憐れなる片田舎〔かたゐなか〕の小学教師」であるといふ事から書き起してあつた。さうして自分が自分の職務に対し兎角興味を有ち得ない事、誰一人趣味を解する者〔△△△△△△△〕なき片田舎〔かたゐなか〕の味気〔あぢき〕ない事、さうしてる間に予々〔かねがね〕愛読してゐる朝日新聞に歌壇〔かだん〕の設けられたので空谷の跫音〔△△△△△〕と思〔おも〕つたといふ事〔こと〕、近頃は新聞が着くと先〔ま〕づ第一に歌壇〔かだん〕を見るといふ事、就〔つ〕いては今後自〔●〕分も全力を挙げて歌を研究する〔△△△△△△△△△△△△〕積〔つもり〕だから宜しく頼む。今日から毎日必ず一通づゝ〔△△△△△△△△〕投書するといふ事が書いてあつた。 〇此の手紙が宛名人〔あてなにん〕たる私の心に惹起〔ひきおこ〕した結果は、蓋〔けだ〕し某君〔なにがしくん〕の夢にも想はなかつた所であらうと思〔おも〕ふ。何故なれば、私はこれを読んでしまつた時、私の心に明〔あきら〕かに一種の反感〔はんかん〕の起つてゐる事を発見したからである。詩や歌や乃〔ない〕至は其の外の文学にたづさはる事〔こと〕を、人間の他の諸々〔もろもろ〕の活動よりも何か格段〔かくだん〕に貴い事のやうに思ふ迷信〔めいしん〕ーそれは何時如何なる人の口から出るにしても私の心に或〔ある〕反感〔はんかん〕を呼び起さずに済〔す〕んだことはない。「歌を作ることを何か偉〔えら〕い事〔こと〕でもするやうに思つてる、莫迦〔はか〕な奴だ。」私はさう思つた。さうして又成程〔なるほど〕自ら言ふ如く憐れなる小学教師〔△△△△△△△△〕に違ひないと思〔おも〕つた。手紙には仮名違〔かなちが〕ひも文法〔ぶんはふ〕の違ひもあつた。 〇然しその反感〔はんかん〕も直ぐと引込まねばならなかつた。「羨〔うらや〕ましい人だ。」といふやうな感じが軽く横合〔よこあひ〕から流れて来た為めである。此の人は自分で自分を「憐〔あは〕れなる」と呼んではゐるが、如何に憐〔あは〕れで、如何にして憐〔あは〕れであるかに就いて真面目に考へたことのない人、寧〔むし〕ろさういふ考へ方をしない質〔たち〕の人であることは、自分が不満足〔ふまんぞく〕なる境遇〔きやうぐう〕に在りながら全力を挙げて歌を研究しようなどと言〔い〕つてゐる事〔こと〕、しかも其歌の極〔ごく〕平凡〔へいぼん〕な叙事叙景の歌に過ぎない事〔こと〕、さうして他の営々〔えいえい〕として刻苦〔こつく〕してゐる村人〔むらびと〕を趣味を解せぬ者〔△△△△△△△〕と嘲〔あざけ〕つて僅に喜んでゐるらしい事〔こと〕などに依て解つた。己〔おのれ〕の為〔す〕る事、言ふ事、考へる事に対して、それを為〔し〕ながら、言ひながら、考へながら常に一々〔いちいち〕反省〔はんせい〕せずにゐられぬ心、何事にまれ正面〔まとも〕に其問題に立向つて底の底まで究〔きは〕めようとせずにゐられぬ心日毎々々自分自身からも世の中からも色々の不合理〔ふがふり〕と矛盾〔むじゆん〕とを発見して、さうして其〔そ〕の発見によつて却〔かへつ〕て益〔ますます〕自分自身の生活に不合理と矛盾とを深〔ふか〕くして行〔ゆ〕く心ーさういふ心を持たぬ人に対する羨みの感は私のよく経験する所のものであつた。 〇私はとある田舎〔いなか〕の小学校の宿直室にごろごろしてゐる一人の年若〔としわか〕き准訓導〔じゆんくんだう〕を想像〔さうざう〕して見〔み〕た。その人は真に人を怒らせるやうな悪口を一つも胸に蓄〔たくは〕へてゐない人である。漫然として教科書にある丈〔だけ〕の字句〔じく〕を生徒に教へ、漫然として自分の境遇の憐れな事を是認〔ぜにん〕し、漫然〔まんぜん〕として今後大に歌を作らうと思つてる人〔ひと〕である。未だ嘗〔かつ〕て自分の心内乃至身辺〔しんへん〕に起る事物に対して、その根ざす処如何に深く、その及ぼす所如何に遠きかを考へて見たことのない人である。日毎に新聞を読みながらも、我々の心を後から後からと急がせて、日毎に新しく展開〔てんかい〕して来〔く〕る時代の真相に対して何〔なん〕の切実〔せつじつ〕な興味〔きやうみ〕をも有〔も〕つてゐない人である。私はこの人の一生に快よく口を開いて笑ふ機会が、私〔わたし〕のそれよりも吃度〔きつと〕多いだらうと思つた。 〇翌日出社した時は私の頭にもう某君の事は無かつた。さうして前の日と同じ色の封筒〔ふうとう〕に同じ名を書いた一封を他の投書の間に見付けた時、私はこの人が本当に毎日投書する積なのかと心持眼を大きくして見た。其翌日も来た。其又翌日も来た。或時は投函の時間が遅れたかして一日置いての次の日に二通一緒〔しよ〕に来たこともあつた。「また来た。」私は何時もさう思つた。意地悪い事ではあるが、私はこの人が下らない努力〔どりよく〕に何時まで飽きずにゐられるかに興味を有つて、それとはなしに毎日待つてゐた。 〇それが確〔たしか〕七日か八日の間〔あひだ〕続〔つゞ〕いた。或日私は、「とうとう飽きたな。」と思つたその次の日も来なかつた。さうして其後既に二箇月、私は再び某君〔なにがしくん〕の墨の薄〔うす〕い肩上〔かたあが〕りの字を見る機会を得ない。来ただけの歌は随分夥しい数に上つたが、ただ所謂〔いはゆる〕歌になりさうな景物〔けいぶつ〕を漫然〔まんぜん〕と三十一字〔じ〕の形〔かたち〕に表〔あらは〕しただけで、新聞に載せるほどのものは殆どなかつた。 〇私は今この事を書いて来〔き〕て、其後某君〔なにがしくん〕は何うしてゐるだらうと思つた。矢張新聞が着けばたゞ文芸欄や歌壇や小説許りに興味を有つて読んでゐるだらうか。漫然と歌を作り出して漫然と罷めてしまつた如く、更に又漫然と何事かを始めてゐるだらうか。私は思ふ。若し某君にて唯一つの事、例へば自分で自分を憐れだといつた事に就いてゞも、その如何に又如何にして然るかを正面に立向つて考へて、さうして其処に或〔ある〕動〔うご〕かすべからざる隠れたる事実を承認する時、其某君の歌は自からにして生気ある人間の歌〔△△△△〕になるであらうと。         (三) 〇うつかりしながら家の前まで歩いて来た時、出し抜けに飼ひ犬に飛着かれて、「あゝ喫驚〔びつくり〕した。こん畜生!」と思はず知らず口に出すーといふやうな例はよく有ることだ。下らない駄酒落〔だじやれ〕を言ふやうだが、人は喫驚〔びつくり〕すると悪口を吐きたがるものと見える。「こん畜生」と言はなくとも、白なら白、ポチならポチで可いではないかー若し必ず何とか言はなければならぬのならば。 〇土岐哀果君が十一月の「創作〔さうさく〕」に発表した三十何首〔なんしゆ〕の歌は、この人がこれまで人の褒貶〔はうへん〕を度外〔どぐわい〕に置いて一人で開拓〔かいたく〕して来た新しい畑に、漸く楽い秋〔あき〕の近づいて来〔き〕てゐることを思はせるものであつた。その中に、   焼〔やけ〕あとの煉瓦〔れんぐわ〕の上に   Syo〔^〕benをすればしみじみ   秋の気がする といふ一首〔しゆ〕があつた。好い歌だと私は思つた。(小便といふ言葉だけを態々〔わぎわざ〕羅馬〔ローマ〕字〔じ〕で書いたのは、作者の意味では多分この言葉を在来の漢字で書いた時に伴つて来る悪い連想を拒〔こば〕む為であらうが、私はそんな事をする必要はあるまいと思ふ。) 〇さうすると今月になつてから、私は友人の一人から、或雑誌が特にこの歌を引いて土岐君の歌風を罵〔のゝ〕しつてゐるといふ事を聞いた。私は意外に思つた勿論この歌が同じ作者の歌の中で最も優れた歌といふのではないが、然し何度読み返して見ても悪い歌にはならない。評者は何故この鋭い実感を承認することが出来なかつたであらうか。さう考へた時、私は前に言つた「こん畜生」の場合を思ひ合せぬ訳に行かなかつた。評者は吃度〔きつと〕歌といふものに就いて或〔ある〕狭〔せま〕い既成概念を有つてる人に違ひない。自ら新しい歌の鑑賞家を以て任じてゐ乍ら、何時となく歌は漸ういふもの、斯くあるべきものといふ保守的な概念を形成〔かたちづく〕つてさうしてそれに捉〔とら〕はれてゐる人に達ひない。其処へ生垣の隙間〔すきま〕から飼犬の飛び出したやうに、小便といふ言葉が不意に飛び出して来て、その保守的な、苟安的〔こうあんてき〕な既成概念の袖〔そで〕にむづ〔、、〕と噛み着いたのだ。然し飼犬が主人の帰りを喜んで飛び着くに何の不思議もない如く、我々の平生使つてゐる言葉が我々の歌に入つて来たとて何も吃驚するには当らないではないか。 〇私の「やとばかり桂首相に手とられし夢みて覚〔さ〕めぬ秋の夜の二時」といふ歌も或雑誌で土岐君の小便の歌と同じ運命に会つた。尤〔もつと〕もこの歌は、同じく実感の基礎を有しながらも桂首相を夢に見るといふ極稀〔ごくまれ〕なる事実を内容に取入れてあるだけに、言ひ換へれば万人の同感を引くべく余りに限定された内容を歌つてあるだけに、小便の歌ほど歌としての存在の権利を有つてゐない事は自分でも知つてゐる。 〇故独歩は嘗〔かつ〕てその著名なる小説の一つに「驚きたい」と云ふ事を書いてあつた。その意味に於ては私は今でも驚きたくないことはない。然しそれと全く別な意味に於て、私は今「驚きたくない」と思ふ。何事にも驚かずに、眼を大きくして正面にその問題に立向ひたいと思〔おも〕ふ。それは小便と桂首相に就いてのみではない、又歌の事に就いてのみではない。我々日本人は特殊なる歴史を過去に有してゐるだけに、今正に殆どすべての新しい出来事に対して驚かねばならぬ境遇に在る。さうして驚いてゐる。然し日に百回「こん畜生」を連呼したとて、時計の針は一秒でも止まつてくれるだらうか。 〇歴史を尊重するは好い。然しその尊重を逆に将来に向つてまで維持しようとして一切の「驚くべき事」に手を以て蓋〔ふた〕をする時、其保守的〔ほしゆてき〕な概念を厳密に究明〔きうめい〕して来たならば、日本が嘗〔かつ〕て議会を開いた事からが先づ国体に牴触〔ていしよく〕する訳になりはしないだらうか。我々の歌の形式は万葉〔まんえふ〕「以前から在つたものである。然し我々の今日の歌は何処までも我々の今日の歌である。我々の明日の歌も矢つ張り何処までも我々の明日の歌でなくてはならぬ。         (四) 〇机の上に片肘〔かたひぢ〕をついて煙草〔たばこ〕を吹かしながら、私は書き物に疲れた眼を置時計の針に遊ばせてゐた。さうしてこんな事を考へてるた。ー凡そすべての事は、それが我々にとつて不便を感じさせるやうになつて来た時、我々はその不便な点に対して遠慮なく改造を試みるが可い。またさう為〔す〕るのが本当だ我々は他〔ひと〕の為に生きてゐをのではない、我々自身の為に生きてゐるのだ。 〇たとへば歌にしてもさうである。我々は既に一首〔しゆ〕の歌を一行に書き下すことに或不便、或不自然を感じて来た。其処でこれは歌それぞれの調子に依つて、或歌は二行〔ぎやう〕に或歌は三行〔ぎやう〕に書くことにすれば可い。よしそれが歌の調子〔てうし〕そのものを破ると言はれるにしてからが、その在来の調子それ自身が我々の感情にしつくりそぐはなくなつて来たのであれば、何も遠慮をする必要がないのだ。三十-文字〔もじ〕といふ制限が不便な場合にはどしどし字あまりもやるべきである。又歌ふべき内容にしても、これは歌らしくないとか歌にならないとかいふ勝手な拘束〔こうそく〕を罷めてしまつて、何に限らず歌ひたいと思つた事は自由に歌へば可い。かうしてさへ行けば、忙しい生活の間に心に浮んでは消えてゆく刹那々々〔せつなせつな〕の感じを哀惜〔あいせき〕する心が人間にある限り、歌といふものは滅びない。仮〔かり〕に現在の三十一文字〔もじ〕が四十一文字〔もじ〕になり、五十一文字〔もじ〕になるにしても、兎に角歌といふものは滅〔ほろ〕びない。さうして我々はそれに依つて、その刹那々々〔せつなせつな〕の生命〔いのち〕を哀惜〔あいせき〕する心を満足させることが出来〔でき〕る。 〇こんな事を考へて、恰度〔ちやうど〕秒針〔べうしん〕が一回転する程の間、私は凝然〔ぢつ〕としてゐた。さうして自分の心が次第々々に暗くなつて行くことを感じた。ー私の不便を感じてゐるのは歌を一行に書き下す事ばかりではないのである。しかも私自身が現在に於て意のまゝに改め得〔う〕るもの、改め得べきものは、僅にこの机の上の置時計や硯箱やインキ壷〔つぼ〕の位置〔ゐち〕と、それから歌ぐらゐなものである。謂はゞ何うでも可いやうな事ばかりである。さうして其他の真に私に不便を感じさせ、苦痛を感じさせるいろいろの事に対しては、一指〔し〕をも加へることが出来ないではないか。否、それに忍従〔にんじゆう〕し、それに屈伏〔くつぷく〕して、惨ましき二重の生活を続けて行く外に此の世に生きる方法を有たないではないか。自分でも色々自分に弁解しては見るものゝ、私の生活は欠張現在の家族制度、階級制度資本制度、知識売買制度の犠牲である。 〇日を移して、死んだものゝやうに畳の上に投げ出されてある人形を見た。歌は私の悲しい玩具である。                 土岐京果 石川は遂に死んだ。それは明治四十五年四月十三日の午前九時三十分であつた。 その四五日前のことである。金がもう無い、歌集を出すやうにしてくれ、とのことであつた。で、すぐさま東雲堂へ行つて、やつと話がまとまつた。 うけとつた金を懐にして電車に乗つてゐた時の心もちは、今だに忘れられない。一生忘れられないだらうと思ふ。 石川は非常によろこんだ。氷嚢の下から、どんよりした目を光らせて、いくたびもうなづいた。 しばらくして、「それで、原稿はすぐ渡さなくてもいゝのだらうな、訂さなくちやならないところもある、癒つたらおれが整理する」と言つた。その声は、かすれて聞きとりにくかつた。 「それでもいゝが、東雲堂へはすぐ渡すといつておいた、」と言ふと、「さうか」と、しばらく目を閉ぢて、無言でゐた。 やがて、枕もとにゐた夫人の節子さんに、「おい、そこのノートをとつてくれ、ーその陰気な、」とすこし上を向いた。ひどく痩せたなアと、その時僕はおもつた。 「どのくらゐある?」と石川は節子さんに訊いた。一ページに四首つゝで五十頁あるから四五の二百首ばかりだと答へると、「どれ、」と、石川は、その、灰色のラシャ帋の表帋をつけた中版のノートをうけとつて、ところど披いたが、「さうか。では、万事よろしくたのむ。」と言つて、それを僕に渡した。 それから石川は、全快したら、これこれのことをすると、苦しさうに、しかし、笑ひながら語つた。 かへりがげに、石川は、襖を閉めかけた僕を「おい呼びとめた。立つたまゝ「何だい」と訊くと、「おいこれからも、たのむぞ、」と言つた。 これが僕の石川に物をいはれた最後であつた。 石川は死ぬ、さうは思つてゐたが、いよいよ死んで、あとの事を僕がするとなると、実に変な気がする。 石川について、言ふとなると、あれもこれも言はなければならない。しかし、まだ、あまり言ひたくない。もつと、じつとだまつて、かんがへてゐたい。実際、石川の、二十八年の一生をかんがへるには、僕の今までがあまりに貧弱に思ほれてならないのである。 しかし、この歌集のことについては、も少し書いておく必要がある。 これに収めたのは、大てい雑誌や新聞に掲げたものである。しかし、ここにはすべて「陰気」なノートに依つた。順序、句読、行の立て方、字を下げるところ、すべてノートのままである。たゞ最初の二首は、その後帋片に書いてあつたのを発見したから、それを入れたのである。第九十頁に一首空けてあるが、ノートに、あすこで頁が更めてあるから、それもそのまゝにした。生きてゐたら、訂したいところもあるだらうが、今では、何とも仕やうがない。 それから、「一利己主義者と友人との対話」は創作の第九号(四十三年十一月発行)に掲げたもの、「歌のいろいろ」は朝日歌壇を選んでゐた時、(四十三年十二月前後)東京朝日新聞に連載したものである。この二つを歌集の後へ附けることは、石川も承諾したことである。 表題は、ノートの第一頁に「一握の砂以後明治四十三年十一月末より」と書いてあるから、それをそのまゝ表題にしたいと思つたが、それだと「一握の砂」とまぎらはしくて困ると東雲堂でいふから、これは止むをえず、感想の最後に「歌は私の悲しい玩具である」とあるのをとつてそれを表題にした。これは節子さんにも伝へておいた。あの時、何とするか訊いておけばよかつたのであるが、あの寝姿を前にして、全快後の計画を話されてはもう、そんなことを訊けなかつた。(四十五年六月九日) 明治四十五年六月十五日印刷 明治四十五年六月二十日発行 著 者  石川 一 発行者  西村寅次郎 印刷者  岡田錬一 発行所  東雲堂書店 ■このファイルについて 標題:悲しき玩具 著者:石川啄木 本文:「悲しき玩具」 明治45年6月20日発行(初版)      精選 名著復刻全集 近代文学館   昭和57年4月1日 発行 参照:●啄木全集 第一巻 歌集      1967年6月30日 初版第一刷発行      1972年6月30日 初版第六刷発行     ●啄木全集 第四巻 評論・感想      1967年9月30日 初版第一刷発行      1972年3月30日 初版第五刷発行      発行所 筑摩書房     ●直筆ノート      昭和五十五年 啄木忌 複製      発行  盛岡啄木会      異同       (1)歌集の最初に収録されている次の二首は、直筆ノートには載っていません。(原稿用紙の半片に書かれています。) 呼吸すれば、 胸の中にて鳴〔な〕る音あり。  凩〔こがらし〕よりもさびしきその音! 眼閉づれど、 心にうかぶ何もなし。  さびしくもまた眼をあけるかな。       (2)最後の194首目の後に、次のような歌の断片が書かれています。 大股に縁側を歩けば、 表記:原文の表記を尊重しますが、読みやすさに配慮して、以下のように扱います。 ○旧字体は、現行の新字体に変えました。新字体がない場合は、旧字体をそのまま用いました。 ○本文のかなづかいは、底本通りとしました。 ○〔 〕内は、ルビです。底本通り総ルビをふりました。 ○原文で使われているく形(\/)の反復記号は用いず、同語反復で表記しました。 ○底本では、1頁に2首が収められています。2首の間に、「*」がおかれています。このファイルでは、それに加えて、すべての歌と歌との間に、「*」を補いました。 入力:今井安貴夫 ファイル作成:里実工房 公開:2005年4月20日 里実文庫