(一握の砂以後)
ー(四十三年十一月末より)ー
ー 一握の砂以後 ー
呼吸すれば、
胸の中にて鳴る音あり。
凩よりもさびしきその音!
眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また、眼をあけるかな。
途中にてふと気が変り、
つとめ先を休みて、今日も、
河岸をさまよへり。
咽喉がかわき、
まだ起きてゐる果物屋を探しに行きぬ。
秋の夜ふけに。
遊びに出て子供かへらず、
取り出して
走らせて見る玩具の機関車。
本を買ひたし、本を買ひたしと、
あてつけのつもりではなけれど、
妻に言ひてみる。
旅を思ふ夫の心!
叱り、泣く、妻子の心!
朝の食卓!
家を出て五町ばかりは、
用のある人のごとくに
歩いてみたれど
痛む歯をおさへつつ、
日が赤赤と、
冬の霜の中にのぼるを見たり。
いつまでも歩いてゐねばならぬごとき
思ひ湧き来ぬ、
深夜の町町。
なつかしき冬の朝かな。
湯をのめば、
湯気がやはらかに、顔にかかれり。
何となく、
今朝は少しく、わが心明るきごとし。
手の爪を切る。
うつとりと
本の挿絵に眺め入り、
煙草の煙吹きかけてみる。
途中にて乗換の電車なくなりしに、
泣かうかと思ひき。
雨も降りてゐき。
二晩おきに、
夜の一時頃に切通の坂を上りしもー
勤めなればかな。
しつとりと
酒のかをりにひたりたる
脳の重みを感じて帰る。
今日もまた洒のめるかな!
酒のめば
胸のむかつく癖を知りつつ。
何事か今我つぶやけり。
かく思ひ、
目をうちつぶり、酔ひを味ふ。
すつきりと酔ひのさめたる心地よさよ!
夜中に起きて、
墨を磨るかな。
真夜中の出窓に出でて、
欄干の霜に
手先を冷やしけるかな。
どうなりと勝手になれといふごとき
わがこのごろを
ひとり恐るる。
手も足もはなればなれにあるごとき
ものうき寝覚!
かなしき寝覚!
朝な朝な
撫でてかなしむ、
下にして寝た方の腿のかろきしびれを。
曠野ゆく汽車のごとくに、
このなやみ、
ときどき我の心を通る。
みすぼらしき郷里の新聞ひろげつつ、
誤植ひろへり。
今朝のかなしみ。
誰か我を
思ふ存分叱りつくる人あれと思ふ。
何の心ぞ。
何がなく
初恋人のおくつきに詣づるごとし。
郊外に来ぬ。
なつかしき
故郷にかへる思ひあり、
久し振りにて汽車に乗りしに。
新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれどー
考へれば、
ほんとに欲しと思ふこと有るやうで無し。
煙管をみがく。
今日ひよいと山が恋しくて
山に来ぬ。
去年腰掛けし石をさがすかな。
朝寝して新聞読む間なかりしを
負債のごとく
今日も感ずる。
よごれたる手をみるー
ちやうど
この頃の自分の心に対ふがごとし。
よごれたる手を洗ひし時の
かすかなる満足が
今日の満足なりき。
年明けてゆるめる心!
うつとりと
来し方をすべて忘れしごとし。
昨日まで朝から晩まで張りつめし
あのこころもち
忘れじと思へど。
戸の面には羽子突く音す。
笑ふ声す。
去年の正月にかへれるごとし。
何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。
腹の底より欠伸もよほし
ながながと欠伸してみぬ、
今年の元日。
いつの年も、
似たよな歌を二つ三つ
年賀の文に書いてよこす友。
正月の四日になりて
あの人の
年に一度の葉書も来にけり。
世におこなひがたき事のみ考へる
われの頭よ!
今年もしかるか。
人がみな
同じ方角に向いて行く。
それを横より見てゐる心。
いつまでか、
この見飽きたる懸額を
このまま懸けておくことやらむ。
ぢりぢりと、
蝋燭の燃えつくるごとく、
夜となりたる大晦日かな。
青塗の瀬戸の火鉢によりかかり、
眼閉ぢ、眼を開け、
時を惜めり。
何となく明日はよき事あるごとく
思ふ心を
叱りて眠る。
過ぎゆける一年のつかれ出しものか、
元日といふに
うとうと眠し。
それとなく
その由るところ悲しまる、
元日の午後の眠たき心。
ぢつとして、
蜜柑のつゆに染まりたる爪を見つむる
心もとなさ!
手を打ちて
眠気の返事きくまでの
そのもどかしさに似たるもどかしさ!
やみがたき用を忘れ来ぬー
途中にて口に入れたる
ゼムのためなりし。
すつぽりと蒲団をかぶり、
足をちゞめ、
舌を出してみぬ、誰にともなしに。
いつしかに正月も過ぎて、
わが生活が
またもとの道にはまり来れり。
神様と議論して泣きしー
あの夢よ!
四日ばかりも前の朝なりし。
家にかへる時間となるを、
ただ一つの待つことにして、
今日も働けり。
いろいろの人の思はく
はかりかねて、
今日もおとなしく暮らしたるかな。
おれが若しこの新聞の主筆ならば、
やらむーと思ひし
いろいろの事!
石狩の空知郡の
牧場のお嫁さんより送り来し
バタかな。
外套の襟に頤を埋め、
夜ふけに立どまりて聞く。
よく似た声かな。
Yといふ符牒、
古日記の処処にありー
Yとはあの人の事なりしかな。
百姓の多くは酒をやめしといふ。
もつと困らば、
何をやめるらむ。
目さまして直ぐの心よ!
年よりの家出の記事にも
涙出でたり。
人とともに事をはかるに
適せざる、
わが性格を思ふ寝覚かな。
何となく、
案外に多き気もせらる、
自分と同じこと思ふ人。
自分よりも年若き人に、
半日も気焔を吐きて、
つかれし心!
珍らしく、今日は、
議会を罵りつつ涙出でたり、
うれしと思ふ。
ひと晩に咲かせてみむと、
梅の鉢を火に焙りしが、
咲かざりしかな。
あやまちて茶碗をこはし、
物をこはす気持のよさを、
今朝も思へる。
猫の耳を引つぱりてみて、
にやと啼けば、
びつくりして喜ぶ子供の顔かな。
何故かうかとなさけなくなり、
弱い心を何度も叱り、
金かりに行く。
待てど待てど、
来る筈の人の来ぬ日なりき、
机の位置を此処に変へしは。
古新聞!
おやここにおれの歌の事を嘗めて書いてあり、
二三行なれど。
引越しの朝の足もとに落ちてゐぬ、
女の写真!
忘れゐし写真!
その頃は気もつかざりし
仮名ちがひの多きことかな、
昔の恋文!
八年前の
今のわが妻の手紙の束!
何処に蔵ひしかと気にかかるかな。
眠られぬ癖のかなしさよ!
すこしでも
眠気がさせば、うろたへて寝る。
笑ふにも笑はれざりきー
長いこと捜したナイフの
手の中にありしに。
この四五年、
空を仰ぐといふことが一度もなかりき。
かうもなるものか?
原稿紙にでなくては
字を書かぬものと、
かたく信ずる我が児のあどけなさ!
どうかかうか、今月も無事に暮らしたりと、
外に欲もなき
晦日の晩かな。
あの頃はよく嘘を言ひき。
平気にてよく嘘を言ひき。
汗が出づるかな。
古手紙よ!
あの男とも、五年前は、
かほど親しく交はりしかな。
名は何と言ひけむ。
姓は鈴木なりき。
今はどうして何処にゐるらむ。
生れたといふ葉書みて、
ひとしきり、
顔をはれやかにしてゐたるかな。
そうれみろ、
あの人も子をこしらへたと、
何か気の済む心地にて寝る。
『石川はふびんな奴だ。』
ときにかう自分で言ひて、
かなしみてみる。
ドア推してひと足出れば、
病人の目にはてもなき
長廊下かな。
重い荷を下したやうな、
気持なりき、
この寝台の上に来ていねしとき。
そんならば生命が欲しくないのかと、
医者に言はれて、
だまりし心!
真夜中にふと目がさめて、
わけもなく泣きたくなりて、
蒲団をかぶれる。
話しかけて返事のなきに
よく見れば、
泣いてゐたりき、隣りの患者。
病室の窓にもたれて、
久しぶりに巡査を見たりと、
よろこべるかな。
晴れし日のかなしみの一つ!
病室の窓にもたれて
煙草を味ふ。
夜おそく何処やらの室の騒がしきは
人や死にたらむと、
息をひそむる。
脉をとる看護婦の手の、
あたたかき日あり、
つめたく堅き日もあり。
病院に入りて初めての夜といふに、
すぐ寝入りしが、
物足らぬかな。
何となく自分をえらい人のやうに
思ひてゐたりき。
子供なりしかな。
ふくれたる腹を撫でつつ、
病院の寝台に、ひとり、
かなしみてあり。
日さませば、からだ痛くて
動かれず。
泣きたくなりて、夜明くるを待つ。
びつしよりと盗汗出てゐる
あけがたの
まだ覚めやらぬ重きかなしみ。
ぼんやりとした悲しみが、
夜となれば、
寝台の上にそつと来て乗る。
病院の窓によりつつ、
いろいろの人の
元気に歩くを挑む。
もうお前の心底をよく見届けたと、
夢に母来て
泣いてゆきしかな。
思ふこと盗みきかるる如くにて、
つと胸を引きぬー
聴診器より。
看護婦の徹夜するまで、
わが病ひ、
わるくなれとも、ひそかに願へる。
病院に来て、
妻や子をいつくしむ
まことの我にかへりけるかな。
もう嘘をいはじと思ひきー
それは今朝ー
今また一つ嘘をいへるかな。
何となく、
自分を嘘のかたまりの如く思ひて、
目をばつぶれる。
今までのことを
みな嘘にしてみれど、
心すこしも慰まざりき。
軍人になると言ひ出して、
父母に
苦労させたる昔の我かな。
うつとりとなりて、
剣をさげ、馬にのれる己が姿を
胸に描ける。
藤沢といふ代議士を
弟のごとく思ひて、
泣いてやりしかな。
何か一つ
大いなる悪事しておいて、
知らぬ顔してゐたき気持かな。
ぢつとして寝ていらつしやいと
子供にでもいふがごとくに
医者のいふ日かな。
氷嚢の下より
まなこ光らせて、
寝られぬ夜は人をにくめる。
春の雪みだれて降るを
熱のある目に
かなしくも眺め入りたる。
人間のその最大のかなしみが
これかと
ふつと目をばつぶれる。
回診の医者の遅さよ!
痛みある胸に手をおきて
かたく眼をとづ。
医者の顔色をぢつと見し外に
何も見ざりきー
胸の痛み募る日。
病みてあれば心も弱るらむ!
さまざまの
泣きたきことが胸にあつまる。
寝つつ読む本の重さに
つかれたる
手を休めては、物を思へり。
今日はなぜか、
二度も、三度も、
金側の時計を一つ欲しと思へり。
いつか是非、出さんと思ふ本のこと、
表紙のことなど、
妻に語れる。
胸いたみ、
春の霙の降る日なり。
薬に噎せて、伏して限をとづ。
あたらしきサラドの色の
うれしさに
箸とりあげて見は見つれどもー
子を叱る、あはれ、この心よ。
熱高き日の癖とのみ
妻よ、思ふな。
運命の来て乗れるかと
うたがひぬー
蒲団の重き夜半の寝覚めに。
たへがたき渇き覚ゆれど、
手をのべて
林檎とるだにものうき日かな。
氷嚢のとけて温めば、
おのづから目がさめ来り、
からだ痛める。
いま、夢に閑古鳥を聞けり。
閑古鳥を忘れざりしが
かなしくあるかな。
ふるさとを出でて五年、
病をえて、
かの閑古鳥を夢にきけるかな。
閑古鳥ー
渋民村の山荘をめぐる林の
あかつきなつかし。
ふるさとの寺の畔の
ひばの木の
いただきに来て啼きし閑古鳥!
脈をとる手のふるひこそ
かなしけれー
医者に叱られし若き看護婦
いつとなく記臆に残りぬー
Fといふ看護婦の手の
つめたさなども。
はづれまで一度ゆきたしと
思ひゐし
かの病院の長廊下かな。
起きてみて、
また直ぐ寝たくなる時の
力なき眼に愛でしチユリツプ!
堅く握るだけの力も無くなりし
やせし我が手の
いとほしさかな。
わが病の
その因るところ深く且つ遠きを思ふ。
目をとぢて思ふ。
かなしくも、
病いゆるを願はざる心我に在り。
何の心ぞ。
新しきからだを欲しと思ひけり、
手術の傷の
痕を撫でつつ。
薬のむことを忘るるを、
それとなく、
たのしみに思ふ長病かな。
ポロオヂンといふ露西亜名が、
何故ともなく、
幾度も思ひ出さるる日なり。
いつとなく我にあゆみ寄り、
手を握り、
またいつとなく去りゆく人人!
友も妻もかなしと思ふらしー
病みても猶、
革命のことロに絶たねば。
やや遠きものに思ひし
テロリストの悲しき心も
近づく日のあり。
かかる目に
すでに幾度会へることぞ!
成るがままに成れと今は思ふなり。
月に三十円もあれば、田舎にては、
楽に暮せるとー
ひよつと思へる。
今日もまた胸に痛みあり。
死ぬならば、
ふるさとに行きて死なむと思ふ。
いつしかに夏となれりけり。
やみあがりの目にこころよき
雨の明るさ!
病みて四月ー
そのときどきに変りたる
くすりの味もなつかしきかな。
病みて四月ー
その間にも、猶、目に見えて、
わが子の背丈のびしかなしみ。
すこやかに、
背丈のびゆく子を見つつ、
われの日毎にさびしきほ何ぞ。
まくら辺に子を坐らせて、
まじまじとその顔を見れば、
逃げてゆきしかな。
いつも子を
うるさきものに思ひゐし間に、
その子、五歳になれり。
その親にも、
親の親にも似るなかれー
かく汝が父は思へるぞ、子よ。
かなしきは、
(われもしかりき)
叱れども、打てども泣かぬ児の心なる。
「労働者」「革命」などといふ言葉を
聞きおぼえたる
五歳の子かな。
時として、
あらん限りの声を出し、
唱歌をうたふ子をほめてみる。
何思ひけむー
玩具をすてておとなしく、
わが側に来て子の坐りたる。
お菓子貰ふ時も忘れて、
二階より、
町の往来を眺むる子かな。
新しきイソクの匂ひ、
目に泌むもかなしや。
いつか庭の青めり。
ひとところ、畳を見つめてありし間の
その思ひを、
妻よ、語れといふか。
あの年のゆく春のころ、
眼をやみてかけし黒眼鏡ー
こはしやしにけむ。
薬のむことを忘れて、
ひさしぶりに、
母に叱られしをうれしと思へる。
枕辺の障子あけさせて、
空を見る癖もつけるかなー
長き病に。
おとなしき家畜のごとき
心となる、
熱やや高き日のたよりなさ。
何か、かう、書いてみたくなりて、
ペンを取りぬー
花活の花あたらしき朝。
放たれし女のごとく、
わが妻の振舞ふ日なり。
ダリヤを見入る。
あてもなき金などを待つ思ひかな。
寝つ起きつして、
今日も暮したり。
何もかもいやになりゆく
この気持よ。
思ひ出しては煙草を吸ふなり。
或る市にゐし頃の事として、
友の語る
恋がたりに嘘の交るかなしさ。
ひさしぶりに、
ふと声を出して笑ひてみぬー
蝿の両手を揉むが可笑しさに。
胸いたむ日のかなしみも、
かをりよき煙草の如く、
棄てがたきかな。
何か一つ騒ぎを起してみたかりし、
先刻の我を
いとしと思へる。
五歳になる子に、何故ともなく、
ソニヤといふ露西亜名をつけて、
呼びてはよろこぶ。
解けがたき
不和のあひだに身を処して、
ひとりかなしく今日も怒れり。
猫を飼はば、
その猫がまた争ひの種となるらむ、
かなしきわが家。
俺ひとり下宿屋にやりてくれぬかと、
今日もあやふく、
いひ出でしかな。
ある日、ふと、やまひを忘れ、
牛の啼く真似をしてみぬ、ー
妻子の留守に。
かなしきは我が父!
今日も新聞を読みあきて、
庭に小蟻と遊べり。
ただ一人の
をとこの子なる我はかく育てり。
父母もかなしかるらむ。
茶まで断ちて、
わが平復を祈りたまふ
母の今日また何か怒れる。
今日ひよつと近所の子等と遊びたくなり、
呼べど来らず。
こころむづかし。
やまひ癒えず、
死なず、
日毎にこころのみ険しくなれる七八月かな。
買ひおきし
薬つきたる朝に来し
友のなさけの為替のかなしき。
児を叱れば、
泣いて、寝入りぬ。
口すこしあけし寝顔にさはりてみるかな。
何がなしに
肺が小さくなれる如く思ひて起きぬー
秋近き朝。
秋近し!
電燈の球のぬくもりの
さはれば指の皮膚に親しき。
ひる寝せし児の枕辺に
人形を買ひ来てかざり、
ひとり楽しむ。
クリストを人なりといへば、
妹の眼がかなしくも、
われをあはれむ。
縁先にまくら出させて、
ひさしぶりに、
ゆふべの空にしたしめるかな。
庭のそとを白き犬ゆけり。
ふりむきて、
犬を飼はむと妻にはかれる。
B おい、おれは今度また引越しをしたぜ。
A さうか。君は来るたんび引越しの披露をして行くね。
B それは僕には引越し位の外に何もわざわざ披露するやうな事件が無いからだ。
A 葉書でも済むよ。
B しかし今度のは葉書では済まん。
A どうしたんだ。何日かの話の下宿の娘から縁談でも申込まれて逃げ出したのか。
B 莫迦なことを言へ。女の事なんか近頃もうちつとも僕の目にうつらなくなつた。女より食物だね。好きな物を食つてさへ居れあ僕には不平はない。
A 殊勝な事を言ふ。それでは今度の下宿はうまい物を食はせるのか。
B 三度三度うまい物ばかり食はせる下宿が何処にあるもんか。
A 安下宿ばかりころがり歩いた癖に。
B 皮肉るない。今度のは下宿ぢやないんだよ。僕はもう下宿生活には飽き飽きしちやつた。
A よく自分に飽きないね。
B 自分にも飽きたさ。飽きたから今度の新生活を始めたんだ。室だけ借りて置いて、飯は三度とも外へ出て食ふことにしたんだよ。
A 君のやりさうなこつたね。
B さうかね。僕はまた君のやりさうなこつたと思つてゐた。
A 何故。
B 何故つてさうぢやないか。第一こんな自由な生活はないね。居処つて奴は案外人間を束縛するもんだ。何処かへ出てゐても、飯時になれあ直ぐ家のことを考へる。あれだけでも僕みたいな者にや一種の重荷だよ。それよりは何処でも構はす腹の空いた時に飛び込んで、自分の好きな物を食つた方が可いぢやないか。(間)何でも好きなものが食へるんだからなあ。初めの間は腹のへつて来るのが楽みで、一日に五回づつ食つてやつた。出掛けて行つて食つて来て、煙草でも喫んでるとまた直ぐ食ひたくなるんだ。
A 飯の事をさう言へや眠る場所だつてさうぢやないか。毎晩毎晩同じ夜具を着て寝るつてのも余り有難いことぢやないね。
B それはさうさ。しかしそれは仕方がない。身体一つならどうでも可いが、机もあるし本もある。あんな荷物をどつさり持つて、毎日毎日引越して歩かなくちやならないとなつたら、それこそ苦痛ぢやないか。
A 飯のたんびに外に出なくちやならないといふのと同じだ。
B 飯を食ひに行くには荷物はない。身体だけで済むよ。食ひたいなあと思つた時、ひよいと立つて帽子を冠つて出掛けるだけだ。財布さへ忘れなけや可い。ひと足ひと足うまい物に近づいて行くつて気持は実に可いね。
A ひと足ひと足新しい眠りに近づいて行く気持はどうだね。ああ眠くなつたと思つた時、てくてく寝床を探しに出かけるんだ。昨夜は隣の室で女の泣くのを聞きながら眠つたつけが、今夜は何を聞いて眠るんだらうと思ひながら行くんだ。初めての宿屋ぢや此方の誰だかをちつとも知らない。知つた者の一人もゐない家の、行燈か何かついた奥まつた室に、やはらかな夜具の中に緩くり身体を延ばして安らかな眠りを待つてる気持はどうだね。
B それあ可いさ。君もなかなか話せる。
A 可いだらう。毎晩毎晩さうして新しい寝床で新しい夢を結ぶんだ(間)本も机も棄てつちまふさ。何もいらない。本を読んだつてどうもならんぢやないか。
B ますます話せる。しかしそれあ話だけだ。初めのうちはそれで可いかも知れないが、しまひには吃度おつくうになる。やつぱり何処かに落付いてしまふよ。
A 飯を食ひに出かけるのだつてさうだよ。見給へ、二日経つと君はまた何処かの下宿にころがり込むから。
B ふむ。おれは細君を持つまでは今の通りやるよ。吃度やつて見せるよ。
A 細君を持つまでか。可哀想に。(間)しかし羨ましいね君の今のやり方は、実はずつと前からのおれの理想だよ。もう三年からになる。
B さうだらう。おれはどうも初め思ひたつた時、君のやりさうなこつたと思つた。
A 今でもやりたいと思つてる。たつた一月でも可い。
B どうだ、おれん処へ来て一緒にやらないか。可いぜ。そして飽きたら以前に帰るさ。
A しかし厭だね。
B 何故。おれと一緒が厭なら一人でやつても可いぢやないか。
A一緒でも一緒でなくても同じことだ。君は今それを始めたばかりで大いに満足してるね。僕もさうに違ひない。やつぱり初めのうちは日に五度も食事をするかも知れない。しかし君はそのうちに飽きてしまつておつくうになるよ。さうしておれん処へ来て、また引越しの披露をするよ。その時おれは、「とうとう飽きたね。」と君に言ふね。
B 何だい。もうその時の挨拶まで工夫してるのか。
A まあさ。「とうとう飽きたね。」と君に言ふね。それは君に言ふのだから可い。おれは其奴を自分には言ひたくない。
B 相不変厭な男だなあ、君は。
A 厭な男さ。おれもさう思つてる。
B 君は何日かーあれは去年かなーおれと一緒に行つて淫売屋から逃げ出した時もそんなことを言つた。
A さうだつたかね。
B 君は吃度早く死ぬ。もう少し気を広く持たなくちや可かんよ。一体君は余りアンビシヤスだから可かん。何だつて真の満足つてものは世の中に有りやしない。従つて何だつて飽きる時が来るに定つてらあ。飽きたり、不満足になつたりする時を予想して何にもせずにゐる位なら、生れて来なかつた方が余つ程可いや。生れた者は吃度死ぬんだから。
A 笑はせるない。
B 笑つてもゐないぢやないか。
A 可笑しくもない。
B 笑ふさ。可笑しくなくつたつて些たあ笑はなくちや可かん。はは。(間)しかし何だね。君は自分で飽きつぽい男だと言つてるが、案外さうでもないやうだね。
A 何故。
B 相不変歌を作つてるぢやないか。
A 歌か。
B 止めたかと思ふとまた作る。執念深いところが有るよ。やつぱり君は一生歌を作るだらうな。
A どうだか。
B 歌も可いね。こなひだ友人とこへ行つたら、やつぱり歌を作るとか読むとかいふ姉さんがゐてね。君の事を話してやつたら、「あの歌人はあなたのお友達なんですか。」つて喫驚してゐたよ。おれはそんなに俗人に見えるのかな。
A 「歌人」は可かつたね。
B 首をすくめることはないぢやないか。おれも実は最初変だと思つたよ Aは歌人だ! 何んだか変だものな。しかし歌を作つてる以上はやつぱり歌人にや違ひないよ。おれもこれから一つ君を歌人扱ひにしてやらうと思つてるんだ。
A 御馳走でもしてくれるのか。
B 莫迦なことを言へ。一体歌人にしろ小説家にしろ、すべて文学者といはれる階級に属する人間は無責任なものだ。何を書いても書いたことに責任を負はない。待てよ、これは、何日か君から聞いた議論だつたね。
A どうだか。
B どうだかつて、たしかに言つたよ。文芸上の作物は巧いにしろ拙いにしろ、それがそれだけで完了してると云ふ点に於て、人生の交渉は歴史上の事柄と同じく間接だ、とか何んとか。(間)それはまあどうでも可いが、兎に角おれは今後無責任を君の特権として認めて置く。特待生だよ。
A 許してくれ。おれは何よりもその特待生が嫌ひなんだ。何日だつけ北海道へ行く時青森から船に乗つたら、船の事務長が知つてる奴だつたものだから、三等の切符を持つてるおれを無理矢理に一等室に入れたんだ。室だけならまだ可いが、食事の時間になつたらボーイを寄こしてとうとう食堂まで引張り出された。あんなに不愉快な飯を食つたことはない。
B それは三等の切符を持つてゐた所為だ。一等の切符さへ有れあ当り前ぢやないか。
A 莫迦を言へ。人間は皆赤切符だ。
B 人間は皆赤切符! やつぱり話せるな。おれが飯屋へ飛び込んで空樽に腰掛けるのもそれだ。
A 何だい、うまい物うまい物つて言ふから何を食ふのかと思つたら、一膳飯屋へ行くのか。
B 上は精養軒の洋食から下は一膳飯、牛飯、大道の焼鳥に至るさ。飯屋にだつてうまい物は有るぜ。先刻来る時はとろろ飯を食つて来た。
A 朝には何を食ふ。
B 近所にミルクホールが有るから其処へ行く。君の歌も其処で読んだんだ。何でも雑誌をとつてる家だからね。(問)さうさう、君は何日か短歌が滅びるとおれに言つたことがあるね。此頃その短歌滅亡論といふ奴が流行つて来たぢやないか。
A 流行るかね。おれの読んだのは尾上柴舟といふ人の書いたのだけだ。
B さうさ。おれの読んだのもそれだ。然し一人が言ひ出す時分にや十人か五人は同じ事を考へてるもんだよ。
A あれは尾上といふ人の歌そのものが行きづまつて来たといふ事実に立派な裏書をしたものだ。
B 何を言ふ。そんなら君があの議論を唱へた時は、君の歌が行きづまつた時だつたのか。
A さうさ。歌ばかりぢやない、何もかも行きづまつた時だつた。
B しかしあれには色色理屈が書てあつた。
A 理屈は何にでも着くさ。ただ世の中のことは一つだつて理屈によつて推移してゐないだけだ。たとへば、近頃の歌は何首或は何十首を、一首一首引き抜いて見ないで全体として見るやうな傾向になつて来た。そんなら何故それらを初めから一つとして現さないか。一一分解して現す必要が何処にあるか、とあれに書いてあつたね。一応尤もに聞えるよ。しかしあの理屈に服従すると、人間は皆死ぬ間際まで待たなければ何も書けなくなるよ。歌はー文学は作家の個人性の表現だといふことを狭く解釈してるんだからね。仮に今夜なら今夜のおれの頭の調子を歌ふにしてもだね。なるほどひと晩のことだから一つに纏めて現した方が都合は可いかも知れないが、一時間は六十分で、一分は六十秒だよ。連続はしてゐるが初めから全体になつてゐるのではない。きれざれに頭に浮んで来る感じを後から後からときれぎれに歌つたつて何も差支へがないぢやないか。一つに纏める必要が何処にあると言ひたくなるね。
B 君はさうすつと歌は永久に滅びないと云ふのか。
A おれは永久といふ言葉は嫌ひだ。
B 永久でなくても可い。兎に角まだまだ歌は長生すると思ふのか。
A 長生はする。昔から人生五十といふが、それでも八十位まで生きる人は沢山ある。それと同じ程度の長生はする。しかし死ぬ。
B 何日になつたら八十になるだらう。
A 日本の国語が統一される時さ。
B もう大分統一されかかつてゐるぜ。小説はみんな時代語になつた。小学校の教科書と詩も半分はなつて来た。新聞にだつて三分の一は時代語で書いてある。先を越してローマ字を使ふ人さへある。
A それだけ混乱してゐたら沢山ぢやないか。
B うむ。さうすつとまだまだか。
A まだまだ。日本は今三分の一まで来たところだよ。何もかも三分の一だ。所謂古い言葉と今の口語と比べて見ても解る。正確に違つて来たのは、「なり」「なりけり」と「だ」「である」だけだ。それもまだまだ文章の上では併用されてゐる。音文字が採用されて、それで現すに不便な言葉がみんな淘汰される時が来なくちや歌は死なない。
B 気長い事を言ふなあ。君は元来性急な男だつたがなあ。
A あまり性急だつたお蔭で気長になつたのだ。
B 悟つたね。
A 絶望したのだ。
B しかし兎に角今の我我の言葉が五とか七とかいふ調子を失つてるのは事実ぢやないか。
A 「いかにさびしき夜なるぞや。」「なんてさびしい晩だらう。」どつちも七五調ぢやないか。
B それは極めて稀な例だ。
A 昔の人は五七調や七五調でばかり物を言つてゐたと思ふのか。莫迦。
B これでも賢いぜ。
A とはいふものの、五と七がだんだん乱れて来てるのは事実だね。玉が六に延び、七が八に延びてゐる。そんならそれで歌にも字あまりを使へば済むことだ。自分が今迄勝手に古い言葉を使つて来てゐて、今になつて不便だもないぢやないか。成るべく現代の言葉に近い言葉を使つて、それで三十一字に纏りかねたら字あまりにするさ。それで出来なけれあ言葉や形が古いんでなくつて頭が古いんだ。
B それもさうだね。
A のみならず、五も七も更にことか三とか四とかにまだまだ分解することが出来る。歌の調子はまだまだ複雑になり得る余地がある。昔は何日の間にか五七五、七七と二行に書くことになつてゐたのを、明治になつてから一本に書くことになつた。今度はあれを壊すんだね。歌には一首一首各異つた調子がある筈だから、一首一首別なわけ方で何行かに書くことにするんだね。
B さうすると歌の前途はなかなか多望なことになるなあ。
A 人は歌の形は小さくて不便だといふが、おれは小さいから却つて便利だと思つてゐる。さうぢやないか。人は誰でも、その時が過ぎてしまへは間もなく忘れるやうな、乃至は長く忘れずにゐるにしても、それを思ひ出すには余り接穂がなくてとうとう一生思ひ出さずにしまふといふやうな、内から外からの数限りなき感じを、後から後からと常に経験してゐる。多くの人はそれを軽蔑してゐる。軽蔑しないまでも殆ど無関心にエスケープしてゐる。しかしいのちを愛する者はそれを軽蔑することが出来ない。
B 待てよ。ああさうか一分は六十秒なりの論法だね。
A さうさ。一生に二度とは帰つて来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。たゞ逃がしてやりたくない。それを現すには、形が小さくて、手間暇のいらない歌が一番便利なのだ。実際便利だからね。歌といふ詩形を持つてるといふことは、我我日本人の少ししか持たない幸福のうちの一つだよ。(間)おれはいのちを愛するから歌を作る。おれ自身が何よりも可愛いから歌を作る。(間)しかしその歌も滅亡する。理窟からでなく内部から滅亡する。しかしそれはまだまだだ、早く滅亡すれば可いと思ふがまだまだだ。(間)日本はまだ三分の一だ。
B いのちを愛するつてのは可いね。君は君のいのちを愛して歌を作り、おれはおれのいのちを愛してうまい物を食つてあるく。似たね。
A (間)おれはしかし、本当のところはおれに歌なんか作らせたくない。
B どういふ意味だ。君はやつぱり歌人だよ。歌人だつて可いぢやないか。しつかりやるさ。
A おれはおれに歌を作らせるよりも、もつと深くおれを愛してゐる。
B 解らんな。
A 解らんかな。(間)しかしこれは言葉でいふと極くつまらんことになる。
B 歌のやうな小さいものに全生命を託することが出来ないといふのか。
A おれは初めから歌に全生命を託さうと思つたことなんかない。(間)何にだつて全生命を託することが出来るもんか。(間)おれはおれを愛してはゐるが、其のおれ自身だつてあまり信用してはゐない。
B (やや突然に) おい、飯食ひに行かんか。(間、独語するやうに。)おれも腹のへつた時はそんな気持のすることがあるなあ。
(一)
〇日毎に集つて来る投書の歌を読んでゐて、ひよいと妙な事を考へさせられることがある。ー此処に作者その人に差障りを及ぼさない範囲に於て一二の例を挙げて見るならば、此頃になつて漸く手を着けた十月中到着の分の中に、神田の某君といふ人の半紙二つ折へ横に二十首の歌を書いて、『我目下の境遇』と題を付けたのがあつた。
〇読んでゐて私は不思議に思つた。それは歌の上手な為ではない。歌は字と共に寧ろ拙かつた。又その歌つてある事の特に珍らしい為でもなかつた。私を不思議に思はせたのは、脱字の多い事である。誤字や仮名違ひは何百といふ投書家の中に随分やる人がある。寧ろ驚く位ある。然し恁麼に脱字の多いのは滅多にない。要らぬ事とは思ひながら数へてみると、二十首の中に七箇所の脱字があつた。三首に一箇所の割合である。
〇歌つてある歌には、母が病気になつて秋風が吹いて来たといふのがあつた。僻心を起すのは悪い悪いと思ひながら何時しか夫が癖になつたといふのがあつた。十八の歳から生活の苦しみを知つたといふのがあつた。安らかに眠つてゐる母の寝顔を見れば涙が流れるといふのがあつた。弟の無邪気なのを見て傷んでゐる歌もあつた。金といふものに数々の怨みを言つてゐるのもあつた。終日の仕事の疲れといふことを歌つたのもあつた。
〇某君は一体に粗忽しい人なのだらうか?小学校にゐた頃から脱字をしたり計数を間違つたり、忘れ物をする癖のあつた人なのだらうか?ー恁麼事を問うてみるからが既に勝手な、作者に対して失礼な推量で、随つてその答へも亦勝手な推量に過ぎないのだが、私には何うもさうは思へなかつた。進むべき路を進みかねて境遇の犠牲となつた人の、その心に消しがたき不平が有れば有る程、元気も顔色も人先に衰へて、幸運な人がこれから初めて世の中に打つて出ようといふ歳頃に、早く既に医しがたき神経衰弱に陥つてゐる例は、私の知つてゐる範囲にも二人や三人ではない。私は「十八の歳から生活の苦しみを知つた人」と「脱字を多くする人」とを別々に離して考へることは出来なかつた。
〇某君のこの投書は、多分何か急がしい事のある日か、心の落付かぬ程嬉しい事でもある日に書いたので、斯う脱字が多かつたのだらう。さうだらうと私は思ふ。然し若し此処に私の勝手に想像したやうな人があつて、某君の歌つたやうな事を誰かの前に訴へたとしたならば、その人は果して何と答へるだらうか。
〇私は色々の場合、色々の人のそれに対する答へを想像して見た。それは皆如何にも尤もな事ばかりであつた。然しそれらの叱咤それらの激励、それらの同情は果して何れだけその不幸なる青年の境遇を変へてくれるだらうか。のみならず私は又次のやうな事も考へなければならなかつた。二十首の歌に七箇所の脱字をする程頭の悪くなつてゐる人ならば、その平生の仕事にも「脱字」が有るに達ひない。その処世の術にも「脱字」があるに達ひない。ー私の心はいつか又、今の諸々の美しい制度、美しい道徳をその儘長く我々の子孫に伝へる為には、何れだけの夥しい犠牲を作らねばならぬかといふ事に移つて行つた。さうして泌々した心持になつて次の投書の封を切つた。
(二)
〇大分前の事である。茨城だつたか千葉だつたか乃至は又群馬の方だつたか、何しろ東京から余り遠くない県の何とか郡何とか村小学校内某といふ人から歌が来た。何日か経つて其の歌の中の何首かが新聞に載つた。すると間もなく私は同じ人からの長い手紙を添へた二度目の投書を受け取つた。
〇其の手紙は候文と普通文とを捏ね交ぜたやうな文体で先づ自分が「憐れなる片田舎の小学教師」であるといふ事から書き起してあつた。さうして自分が自分の職務に対し兎角興味を有ち得ない事、誰一人趣味を解する者なき片田舎の味気ない事、さうしてる間に予々愛読してゐる朝日新聞に歌壇の設けられたので空谷の跫音と思つたといふ事、近頃は新聞が着くと先づ第一に歌壇を見るといふ事、就いては今後自分も全力を挙げて歌を研究する積だから宜しく頼む。今日から毎日必ず一通づゝ投書するといふ事が書いてあつた。
〇此の手紙が宛名人たる私の心に惹起した結果は、蓋し某君の夢にも想はなかつた所であらうと思ふ。何故なれば、私はこれを読んでしまつた時、私の心に明かに一種の反感の起つてゐる事を発見したからである。詩や歌や乃至は其の外の文学にたづさはる事を、人間の他の諸々の活動よりも何か格段に貴い事のやうに思ふ迷信ーそれは何時如何なる人の口から出るにしても私の心に或反感を呼び起さずに済んだことはない。「歌を作ることを何か偉い事でもするやうに思つてる、莫迦な奴だ。」私はさう思つた。さうして又成程自ら言ふ如く憐れなる小学教師に違ひないと思つた。手紙には仮名違ひも文法の違ひもあつた。
〇然しその反感も直ぐと引込まねばならなかつた。「羨ましい人だ。」といふやうな感じが軽く横合から流れて来た為めである。此の人は自分で自分を「憐れなる」と呼んではゐるが、如何に憐れで、如何にして憐れであるかに就いて真面目に考へたことのない人、寧ろさういふ考へ方をしない質の人であることは、自分が不満足なる境遇に在りながら全力を挙げて歌を研究しようなどと言つてゐる事、しかも其歌の極平凡な叙事叙景の歌に過ぎない事、さうして他の営々として刻苦してゐる村人を趣味を解せぬ者と嘲つて僅に喜んでゐるらしい事などに依て解つた。己の為る事、言ふ事、考へる事に対して、それを為ながら、言ひながら、考へながら常に一々反省せずにゐられぬ心、何事にまれ正面に其問題に立向つて底の底まで究めようとせずにゐられぬ心日毎々々自分自身からも世の中からも色々の不合理と矛盾とを発見して、さうして其の発見によつて却て益自分自身の生活に不合理と矛盾とを深くして行く心ーさういふ心を持たぬ人に対する羨みの感は私のよく経験する所のものであつた。
〇私はとある田舎の小学校の宿直室にごろごろしてゐる一人の年若き准訓導を想像して見た。その人は真に人を怒らせるやうな悪口を一つも胸に蓄へてゐない人である。漫然として教科書にある丈の字句を生徒に教へ、漫然として自分の境遇の憐れな事を是認し、漫然として今後大に歌を作らうと思つてる人である。未だ嘗て自分の心内乃至身辺に起る事物に対して、その根ざす処如何に深く、その及ぼす所如何に遠きかを考へて見たことのない人である。日毎に新聞を読みながらも、我々の心を後から後からと急がせて、日毎に新しく展開して来る時代の真相に対して何の切実な興味をも有つてゐない人である。私はこの人の一生に快よく口を開いて笑ふ機会が、私のそれよりも吃度多いだらうと思つた。
〇翌日出社した時は私の頭にもう某君の事は無かつた。さうして前の日と同じ色の封筒に同じ名を書いた一封を他の投書の間に見付けた時、私はこの人が本当に毎日投書する積なのかと心持眼を大きくして見た。其翌日も来た。其又翌日も来た。或時は投函の時間が遅れたかして一日置いての次の日に二通一緒に来たこともあつた。「また来た。」私は何時もさう思つた。意地悪い事ではあるが、私はこの人が下らない努力に何時まで飽きずにゐられるかに興味を有つて、それとはなしに毎日待つてゐた。
〇それが確七日か八日の間続いた。或日私は、「とうとう飽きたな。」と思つたその次の日も来なかつた。さうして其後既に二箇月、私は再び某君の墨の薄い肩上りの字を見る機会を得ない。来ただけの歌は随分夥しい数に上つたが、ただ所謂歌になりさうな景物を漫然と三十一字の形に表しただけで、新聞に載せるほどのものは殆どなかつた。
〇私は今この事を書いて来て、其後某君は何うしてゐるだらうと思つた。矢張新聞が着けばたゞ文芸欄や歌壇や小説許りに興味を有つて読んでゐるだらうか。漫然と歌を作り出して漫然と罷めてしまつた如く、更に又漫然と何事かを始めてゐるだらうか。私は思ふ。若し某君にて唯一つの事、例へば自分で自分を憐れだといつた事に就いてゞも、その如何に又如何にして然るかを正面に立向つて考へて、さうして其処に或動かすべからざる隠れたる事実を承認する時、其某君の歌は自からにして生気ある人間の歌になるであらうと。
(三)
〇うつかりしながら家の前まで歩いて来た時、出し抜けに飼ひ犬に飛着かれて、「あゝ喫驚した。こん畜生!」と思はず知らず口に出すーといふやうな例はよく有ることだ。下らない駄酒落を言ふやうだが、人は喫驚すると悪口を吐きたがるものと見える。「こん畜生」と言はなくとも、白なら白、ポチならポチで可いではないかー若し必ず何とか言はなければならぬのならば。
〇土岐哀果君が十一月の「創作」に発表した三十何首の歌は、この人がこれまで人の褒貶を度外に置いて一人で開拓して来た新しい畑に、漸く楽い秋の近づいて来てゐることを思はせるものであつた。その中に、
焼あとの煉瓦の上に
Syobenをすればしみじみ
秋の気がする
といふ一首があつた。好い歌だと私は思つた。(小便といふ言葉だけを態々羅馬字で書いたのは、作者の意味では多分この言葉を在来の漢字で書いた時に伴つて来る悪い連想を拒む為であらうが、私はそんな事をする必要はあるまいと思ふ。)
〇さうすると今月になつてから、私は友人の一人から、或雑誌が特にこの歌を引いて土岐君の歌風を罵しつてゐるといふ事を聞いた。私は意外に思つた勿論この歌が同じ作者の歌の中で最も優れた歌といふのではないが、然し何度読み返して見ても悪い歌にはならない。評者は何故この鋭い実感を承認することが出来なかつたであらうか。さう考へた時、私は前に言つた「こん畜生」の場合を思ひ合せぬ訳に行かなかつた。評者は吃度歌といふものに就いて或狭い既成概念を有つてる人に違ひない。自ら新しい歌の鑑賞家を以て任じてゐ乍ら、何時となく歌は漸ういふもの、斯くあるべきものといふ保守的な概念を形成つてさうしてそれに捉はれてゐる人に達ひない。其処へ生垣の隙間から飼犬の飛び出したやうに、小便といふ言葉が不意に飛び出して来て、その保守的な、苟安的な既成概念の袖にむづと噛み着いたのだ。然し飼犬が主人の帰りを喜んで飛び着くに何の不思議もない如く、我々の平生使つてゐる言葉が我々の歌に入つて来たとて何も吃驚するには当らないではないか。
〇私の「やとばかり桂首相に手とられし夢みて覚めぬ秋の夜の二時」といふ歌も或雑誌で土岐君の小便の歌と同じ運命に会つた。尤もこの歌は、同じく実感の基礎を有しながらも桂首相を夢に見るといふ極稀なる事実を内容に取入れてあるだけに、言ひ換へれば万人の同感を引くべく余りに限定された内容を歌つてあるだけに、小便の歌ほど歌としての存在の権利を有つてゐない事は自分でも知つてゐる。
〇故独歩は嘗てその著名なる小説の一つに「驚きたい」と云ふ事を書いてあつた。その意味に於ては私は今でも驚きたくないことはない。然しそれと全く別な意味に於て、私は今「驚きたくない」と思ふ。何事にも驚かずに、眼を大きくして正面にその問題に立向ひたいと思ふ。それは小便と桂首相に就いてのみではない、又歌の事に就いてのみではない。我々日本人は特殊なる歴史を過去に有してゐるだけに、今正に殆どすべての新しい出来事に対して驚かねばならぬ境遇に在る。さうして驚いてゐる。然し日に百回「こん畜生」を連呼したとて、時計の針は一秒でも止まつてくれるだらうか。
〇歴史を尊重するは好い。然しその尊重を逆に将来に向つてまで維持しようとして一切の「驚くべき事」に手を以て蓋をする時、其保守的な概念を厳密に究明して来たならば、日本が嘗て議会を開いた事からが先づ国体に牴触する訳になりはしないだらうか。我々の歌の形式は万葉以前から在つたものである。然し我々の今日の歌は何処までも我々の今日の歌である。我々の明日の歌も矢つ張り何処までも我々の明日の歌でなくてはならぬ。
(四)
〇机の上に片肘をついて煙草を吹かしながら、私は書き物に疲れた眼を置時計の針に遊ばせてゐた。さうしてこんな事を考へてるた。ー凡そすべての事は、それが我々にとつて不便を感じさせるやうになつて来た時、我々はその不便な点に対して遠慮なく改造を試みるが可い。またさう為るのが本当だ我々は他の為に生きてゐをのではない、我々自身の為に生きてゐるのだ。
〇たとへば歌にしてもさうである。我々は既に一首の歌を一行に書き下すことに或不便、或不自然を感じて来た。其処でこれは歌それぞれの調子に依つて、或歌は二行に或歌は三行に書くことにすれば可い。よしそれが歌の調子そのものを破ると言はれるにしてからが、その在来の調子それ自身が我々の感情にしつくりそぐはなくなつて来たのであれば、何も遠慮をする必要がないのだ。三十-文字といふ制限が不便な場合にはどしどし字あまりもやるべきである。又歌ふべき内容にしても、これは歌らしくないとか歌にならないとかいふ勝手な拘束を罷めてしまつて、何に限らず歌ひたいと思つた事は自由に歌へば可い。かうしてさへ行けば、忙しい生活の間に心に浮んでは消えてゆく刹那々々の感じを哀惜する心が人間にある限り、歌といふものは滅びない。仮に現在の三十一文字が四十一文字になり、五十一文字になるにしても、兎に角歌といふものは滅びない。さうして我々はそれに依つて、その刹那々々の生命を哀惜する心を満足させることが出来る。
〇こんな事を考へて、恰度秒針が一回転する程の間、私は凝然としてゐた。さうして自分の心が次第々々に暗くなつて行くことを感じた。ー私の不便を感じてゐるのは歌を一行に書き下す事ばかりではないのである。しかも私自身が現在に於て意のまゝに改め得るもの、改め得べきものは、僅にこの机の上の置時計や硯箱やインキ壷の位置と、それから歌ぐらゐなものである。謂はゞ何うでも可いやうな事ばかりである。さうして其他の真に私に不便を感じさせ、苦痛を感じさせるいろいろの事に対しては、一指をも加へることが出来ないではないか。否、それに忍従し、それに屈伏して、惨ましき二重の生活を続けて行く外に此の世に生きる方法を有たないではないか。自分でも色々自分に弁解しては見るものゝ、私の生活は欠張現在の家族制度、階級制度資本制度、知識売買制度の犠牲である。
〇日を移して、死んだものゝやうに畳の上に投げ出されてある人形を見た。歌は私の悲しい玩具である。
土岐京果
石川は遂に死んだ。それは明治四十五年四月十三日の午前九時三十分であつた。
その四五日前のことである。金がもう無い、歌集を出すやうにしてくれ、とのことであつた。で、すぐさま東雲堂へ行つて、やつと話がまとまつた。
うけとつた金を懐にして電車に乗つてゐた時の心もちは、今だに忘れられない。一生忘れられないだらうと思ふ。
石川は非常によろこんだ。氷嚢の下から、どんよりした目を光らせて、いくたびもうなづいた。
しばらくして、「それで、原稿はすぐ渡さなくてもいゝのだらうな、訂さなくちやならないところもある、癒つたらおれが整理する」と言つた。その声は、かすれて聞きとりにくかつた。
「それでもいゝが、東雲堂へはすぐ渡すといつておいた、」と言ふと、「さうか」と、しばらく目を閉ぢて、無言でゐた。
やがて、枕もとにゐた夫人の節子さんに、「おい、そこのノートをとつてくれ、ーその陰気な、」とすこし上を向いた。ひどく痩せたなアと、その時僕はおもつた。
「どのくらゐある?」と石川は節子さんに訊いた。一ページに四首つゝで五十頁あるから四五の二百首ばかりだと答へると、「どれ、」と、石川は、その、灰色のラシャ帋の表帋をつけた中版のノートをうけとつて、ところど披いたが、「さうか。では、万事よろしくたのむ。」と言つて、それを僕に渡した。
それから石川は、全快したら、これこれのことをすると、苦しさうに、しかし、笑ひながら語つた。
かへりがげに、石川は、襖を閉めかけた僕を「おい呼びとめた。立つたまゝ「何だい」と訊くと、「おいこれからも、たのむぞ、」と言つた。
これが僕の石川に物をいはれた最後であつた。
石川は死ぬ、さうは思つてゐたが、いよいよ死んで、あとの事を僕がするとなると、実に変な気がする。
石川について、言ふとなると、あれもこれも言はなければならない。しかし、まだ、あまり言ひたくない。もつと、じつとだまつて、かんがへてゐたい。実際、石川の、二十八年の一生をかんがへるには、僕の今までがあまりに貧弱に思ほれてならないのである。
しかし、この歌集のことについては、も少し書いておく必要がある。
これに収めたのは、大てい雑誌や新聞に掲げたものである。しかし、ここにはすべて「陰気」なノートに依つた。順序、句読、行の立て方、字を下げるところ、すべてノートのままである。たゞ最初の二首は、その後帋片に書いてあつたのを発見したから、それを入れたのである。第九十頁に一首空けてあるが、ノートに、あすこで頁が更めてあるから、それもそのまゝにした。生きてゐたら、訂したいところもあるだらうが、今では、何とも仕やうがない。
それから、「一利己主義者と友人との対話」は創作の第九号(四十三年十一月発行)に掲げたもの、「歌のいろいろ」は朝日歌壇を選んでゐた時、(四十三年十二月前後)東京朝日新聞に連載したものである。この二つを歌集の後へ附けることは、石川も承諾したことである。
表題は、ノートの第一頁に「一握の砂以後明治四十三年十一月末より」と書いてあるから、それをそのまゝ表題にしたいと思つたが、それだと「一握の砂」とまぎらはしくて困ると東雲堂でいふから、これは止むをえず、感想の最後に「歌は私の悲しい玩具である」とあるのをとつてそれを表題にした。これは節子さんにも伝へておいた。あの時、何とするか訊いておけばよかつたのであるが、あの寝姿を前にして、全快後の計画を話されてはもう、そんなことを訊けなかつた。(四十五年六月九日)
明治四十五年六月十五日印刷
明治四十五年六月二十日発行
著 者 石川 一
発行者 西村寅次郎
印刷者 岡田錬一
発行所 東雲堂書店
■このファイルについて
標題:悲しき玩具
著者:石川啄木
本文:「悲しき玩具」 明治45年6月20日発行(初版)
精選 名著復刻全集 近代文学館 昭和57年4月1日 発行
参照:●啄木全集 第一巻 歌集
1967年6月30日 初版第一刷発行
1972年6月30日 初版第六刷発行
●啄木全集 第四巻 評論・感想
1967年9月30日 初版第一刷発行
1972年3月30日 初版第五刷発行
発行所 筑摩書房
●直筆ノート
昭和五十五年 啄木忌 複製
発行 盛岡啄木会
異同
(1)次の二首は、直筆ノートには載っていません。
(原稿用紙の半片に書かれています。)
1
呼吸すれば、
胸の中にて鳴る音あり。
凩よりもさびしきその音!
2
眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくもまた眼をあけるかな。
大股に縁側を歩けば、
○旧字体は、現行の新字体に変えました。新字体がない場合は、旧字体をそのまま用いました。
○本文のかなづかいは、底本通りとしました。
○底本通り総ルビをふりました。
○歌と歌の間に「*」がありますが、省略しました。
○原文で使われているく形(\/)の反復記号は用いず、同語反復で表記しました。
○歌番号を追加しました。
○行間処理(行間250%)を行いました。
入力:今井安貴夫
ファイル作成:里実工房
公開:2005年4月20日 里実文庫