一握の砂

石川啄木


一   握   の   砂

石 川 啄 木 著






東 雲 堂 版




世の中には途法も無いじんもあるものぢや、歌集の序を書けとある、人もあらうに此の俺に新派の歌集の序を書けとぢや。ああでも無い、かうでも無い、とひねつた末が此んなことに立至るのぢやらう。此の途法も無い処が即ち新の新たる極意かも知れん。
定めしひねくれた歌を詠んであるぢやらうと思ひながら手当り次第に繰り展げた処が、

  高きより飛び下りるごとき心もて
  この一生を
  終るすべなきか

此ア面白い、ふン此の刹那の心を常住に持することが出来たら、至極ぢや。面白い処に気が着いたものぢや、面白く言ひまはしたものぢや。

  非凡なる人のごとくにふるまへる
  後のさびしさは
  何にかたぐへむ

いや斯ういふ事は俺等の半生にしこたま有つた。此のさびしさを一生覚えずに過す人が、所謂当節の成功家ぢや。

  何処やらに沢山の人が争ひて
  鬮引くごとし
  われも引きたし

何にしろ大混雑のおしあひへしあひで、鬮引の場に入るだけでも一難儀ぢやのに、やつとの思ひに引いたところで大概は空鬮からくじぢや。

  何がなしにさびしくなれば
  出てあるく男となりて
  三月にもなれり

  とある日に
  酒をのみたくてならぬごとく
  今日われ切に金を欲りせり

  怒る時
  かならずひとつ鉢を割り
  九百九十九割りて死なまし

  腕拱みて
  このごろ思ふ
  大いなる敵目の前に曜り出でよと

  目の前の菓子皿などを
  かりかりと噛みてみたくなりぬ
  もどかしきかな

  鏡とり
  能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
  泣き飽きし時

  こころよく
  我にはたらく仕事あれ
  それを仕達げて死なむと思ふ

  よごれたる足袋穿く時の
  気味わるき思ひに似たる
  思出もあり


さうぢや、そんなことがある、斯ういふ様な想ひは、俺にもある。二三十年もかけはなれた比の著者と比の読者との間にすら共通の感ぢやから、定めし総ての人にもあるのぢやらう。然る処俺等聞及んだ昔から今までの歌に、斯んな事をすなほに、ずばりと、大胆に率直に詠んだ歌といふものは一向に之れ無い。一寸開けて見てこれぢや、もつと面白い歌が比の集中に満ちて居るに違ひない。そもそも、歌は人の心を種として言葉の手品を使ふものとのみ合点して居た拙者は、斯ういふ種も仕掛も無い淮にも承知の出来る歌も亦当節新発明に為つて居たかと、くれぐれも感心仕る。新派といふものを途法もないものと感ちがひ致居りたる段、全く拙者のひねくれより起りたることと懺悔に及び候也。

      犬の年の大水後

藪 野 椋 十













函館なる郁雨宮崎大四郎君

同国の友文学士花明金田一京助君

この集を両君に捧ぐ。予はすでに予のすべてを両君の前に示しつくしたるものの如し。従つて両君はここに歌はれたる歌の一一につきて最も多く知るの人なるを信ずればなり。
また一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆の手に渡したるは汝の生れたる朝なりき。この集の稿料は汝の薬餌となりたり。而してこの集の見本刷を予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。

著     者










明治四十一年夏以後の作一千余首中よ
り五百五十一首を抜きてこの集に収
む。集中五章、感興の来由するところ
相邇きをたづねて仮にわかてるのみ。
「秋風のこころよさに」は明治四十一
年秋の紀念なり。















我を愛する歌 ……………………    一

………………………………    七九

秋風のこころよさに……………… 一三三

忘れがたき人……………………  一六一

手套を脱ぐとき…………………… 二三一









 
 

我を愛する歌







1

東海とうかい小島こじまいそ白砂しらすな
われきぬれて
かにとたはむる




2

につたふ
なみだのごはず
一握いちあくすなしめししひとわすれず




3

大海だいかいにむかひて一人ひとり
七八日ななやうか
きなむとすといへでにき




4

いたくびしピストル出でぬ
砂山すなやま
すなゆびもてりてありしに




5

ひとさにあらしきたりてきづきたる
この砂山すなやま
なにはかぞも




6

砂山すなやますな腹這はらば
初恋はつこひ
いたみをとほくおもひづる




7

砂山すなやますそによこたはる流木りうぼく
あたりまはし
ものひてみる




8

いのちなきすなのかなしさよ
さらさらと
にぎればゆびのあひだより落つ




9

しつとりと
なみだをへるすなたま
なみだはおもきものにしあるかな




10

だいというひやくあまり
すな
ぬことをやめてかへきたれり




11

さましてなほでぬくせ
かなしきくせ
ははとがむな




12

ひとくれつちよだれ
はは肖顔にがほつくりぬ
かなしくもあるか




13

燈影ほかげなきしつわれあり
ちちはは
かべのなかよりつゑつきて




14

たはむれにはは背負せおひて
そのあまりかろきにきて
三歩さんぽあゆまず




15

飄然へうぜんいへでては
飄然へうぜんかへりしくせ
ともはわらへど




16

ふるさとのちちせきするたび
せきづるや
めばはかなし




17

わがくを少女等をとめらきかば
病犬やまいぬ
つきゆるにたりといふらむ




18

何処いづくやらむかすかにむしのなくごとき
こころぼそさを
今日けふもおぼゆる




19

いとくら
あなこころはれゆくごとくおもひて
つかれてねむ




20

こころよく
われにはたらく仕事しごとあれ
それを仕遂しとげてなむとおも




21

こみへる電車でんしやすみ
ちぢこまる
ゆふべゆふべのわれのいとしさ




22

浅草あさくさのにぎはひに
まぎれ
まぎれしさびしきこころ




23

愛犬あいけんみみりてみぬ
あはれこれも
ものみたるこころにかあらむ




24

かがみとり
あたふかぎりのさまざまのかほをしてみぬ
きしとき




25

なみだなみだ
不思議ふしぎなるかな
それをもてあらへばこころおどけたくなれり




26

あきれたるはは言葉ことば
がつけば
茶碗ちやわんはしもてたたきてありき




27

くさ
おもふことなし
わがぬかふんしてとりそらあそべり




28

わがひげ
下向したむくせがいきどほろし
このごろにくをとこたれば




29

もりおくより銃声じうせいきこ
あはれあはれ
みづかぬるおとのよろしさ




30

大木たいぼくみきみみあて
小半日こはんにち
かたかわをばむしりてありき




31

「さばかりのことぬるや」
「さばかりのことくるや」
問答もんだふ




32

まれにある
このたひらなるこころには
時計とけいるもおもしろく




33

ふとふかおそれをおぼ
ぢつとして
やがてしづかにほそをまさぐる




34

高山たかやまのいただきにのぼ
なにがなしに帽子ばうしをふりて
くだしかな




35

何処どこやらに沢山たくさんひとがあらそひて
くじくごとし
われもきたし




36

いかとき
かならずひとつはち
九百九十九くひやくくじふくりてなまし




37

いつも電車でんしやなか小男こをとこ
かどあるまなこ
このごろになる




38

鏡屋かがみやまへ
ふとおどろきぬ
すぼらしげにあゆむものかも




39

なにとなく汽車きしやりたくおもひしのみ
汽車きしやりしに
ゆくところなし




40

空家あきや
煙草たばこのみたることありき
あはれただ一人ひとりたきばかりに




41

なにがなしに
さびしくなればてあるくをとことなりて
三月みつきにもなれり




42

やはらかにつもれるゆき
てるうづむるごとき
こひしてみたし




43

かなしきは
くなき利己りこ一念いちねん
てあましたるをとこにありけり




44

あし
へやいつぱいにして
やがてしずかにきかへるかな




45

百年ももとせながねむりのめしごと
呿呻あくびしてまし
おもふことなしに




46

うでみて
このごろおも
おほいなるてきまえをどでよと




47

しろ
だいなりき
非凡ひぼんなるひとといはるるをとこひしに




48

こころよく
ひとめてみたくなりにけり
利己りここころめるさびしさ




49

あめれば
わがいへひとたれたれしづめるかほ
あめれよかし




50

たかきよりびおりるごときこころもて
この一生いつしやう
おわるすべなきか




51

この日頃ひごろ
ひそかにむねにやどりたるくいあり
われをわらはしめざり




52

へつらひをけば
腹立はらだつわがこころ
あまりにわれるがかなしき




53

らぬいへたたきおこして
るがおもしろかりし
むかしこひしさ




54

非凡ひぼんなるひとのごとくにふるまへる
のちのさびしさは
なににかたぐへむ




55

おほいなるかれ身体からだ
にくかりき
そのまへにゆきてものとき




56

実務じつむむにはやくたざるうたびと
われひと
かねりにけり




57

とほくよりふえきこゆ
うなだれてあるゆゑやらむ
なみだながるる




58

それもよしこれもよしとてあるひと
そのがるさを
しくなりたり




59

ぬことを
持薬ぢやくをのむがごとくにもわれはおもへり
こころいためば




60

路傍みちばたいぬながながと呿呻あくびしぬ
われも真似まねしぬ
うらやましさに




61

真剣しんけんになりてたけもていぬ
小児せうにかほ
よしとおもへり




62

ダイナモの
おもうなりのここちよさよ
あはれこのごとくものはまし




63

剽軽へうきんさがなりしとも死顔しにがほ
あおつかれが
いまもにあり




64

かはひとつかへて
つくづくと
わががいやになりにけるかな




65

りようのごとくむなしきそらをどでて
えゆくけむり
ればかなく




66

こころよきつかれなるかな
いきもつかず
仕事しごとをしたるのちのこのつか




67

空寝入そらねいり生呿呻なまあくびなど
なぜするや
おもふことひとにさとらせぬため




68

はしめてふつとおもひぬ
やうやくに
のならはしにれにけるかな




69

あさはやく
婚期こんきぎしいもうと
恋文こひぶみめけるふみめりけり




70

しつとりと
みずひたる海綿かいめん
おもさにたる心地ここちおぼゆる




71

ねとおのれいか
もだしたる
こころそこくらきむなしさ




72

けものめくかほありくちをあけたてす
とのみてゐぬ
ひとかたるを




73

おや
はなればなれのこころもてしずかにむか
まづきや




74

かのふね
かの航海かうかい船客せんかく一人ひとりにてありき
にかねたるは




75

まえ菓子皿くわしざらなどを
かりかりとみてみたくなりぬ
もどかしきかな




76

よくわらわかをとこ
にたらば
すこしはこのさびしくもなれ




77

なにがなしに
いききれるまでしてみたくなりたり
草原くさはらなどを




78

あたらしき背広せびろなど
たびをせむ
しかく今年ことしおもぎたる




79

ことさらに燈火ともしびして
まぢまぢとおもひてゐしは
わけもなきこと




80

浅草あさくさ凌雲閣りよううんかくのいただきに
腕組うでくみし
なが日記にきかな




81

尋常じんじやうのおどけならむや
ナイフぬまねをする
そのかほそのかほ




82

こそこそのはなしがやがてたかくなり
ピストルりて
人生じんせいをは




83

ときありて
子供こどものやうにたはむれす
こひあるひとのなさぬわざかな




84

とかくしていへづれば
日光につくわうのあたたかさあり
いきふかく




85

つかれたるうしのよだれは
たらたらと
千万せんまんねんきざるごとし




86

路傍みちばた切石きりいしうへ
うでみて
そら見上みあぐるをとこありたり




87

なにやらむ
おだやかならぬ目付めつきして
鶴嘴つるはしむれてゐる




88

こころより今日けふれり
やまひあるけもののごとき
不平ふへいれり




89

おほどかのこころきたれり
あるくにも
はらちからのたまるがごとし




90

ただひとりかまほしさに
たる
宿屋やどや夜具やぐのこころよさかな




91

ともよさは
乞食こじきいやしさいとふなかれ
ゑたるときわれしかりき




92

あたらしきインクのにほひ
せんけば
ゑたるはらむがかなしも




93

かなしきは
のどのかわきをこらへつつ
夜寒よざむ夜具やぐにちぢこまるとき




94

一度いちどでもわれあたまげさせし
ひとみなねと
いのりてしこと




95

われとも二人ふたり
一人ひとり
一人ひとりらうでていま




96

あまりあるさいいだきて
つまのため
おもひわづらふともをかなしむ




97

打明うちあけてかたりて
なにそんをせしごとくおもひて
ともとわかれぬ




98

どんよりと
くもれるそらてゐしに
ひところしたくなりにけるかな




99

人並ひとなみさいぎざる
わがとも
ふか不平ふへいもあはれなるかな




100

たれてもとりどころなきをとこ
威張ゐばりてかへりぬ
かなしくもあるか




101

はたらけど
はたらけどなほわが生活くらしらくにならざり
ぢつと




102

なにもかも行末ゆくすゑことみゆるごとき
このかなしみは
ぬぐひあへずも




103

とある
さけをのみたくてならぬごとく
今日けふわれせちかねりせり




104

水晶すゐしやうたまをよろこびもてあそぶ
わがこのこころ
なにこころ




105

こともなく
つこころよくえてゆく
わがこのごろのものらぬかな




106

おおいなる水晶すゐしやうたま
ひとつ
それにむかひてものおもはむ




107

うぬるるとも
合槌あひづちうちてゐぬ
施与ほどこしをするごときこころ




108

あるあさのかなしきゆめのさめぎはに
はな
味噌みそ




109

こつこつと空地あきちいしをきざむおと
みみにつき
いへるまで




110

なにがなしに
あたまのなかにがけありて
日毎ひごとつちのくづるるごとし




111

遠方ゑんぱう電話でんわりんるごとく
今日けふみみ
かなしきかな




112

あかじみしあはせえり
かなしくも
ふるさとの胡桃くるみくるにほひす




113

にたくてならぬときあり
はばかりに人目ひとめけて
こはかほする




114

いつたいへい見送みおくりて
かなしかり
なに彼等かれらのうれひげなる




115

邦人くにびとかほたへがたくいやしげに
にうつるなり
いへにこもらむ




116

このつぎ休日やすみ一日いちにちてみむと
おもひすごしぬ
三年みとせこのかた




117

ときのわれのこころを
きたての
麺麭ぱんたりとおもひけるかな




118

たんたらたらたんたらたらと
雨滴あまだれ
いたむあたまにひびくかなしさ




119

あるのこと
へや障子しやうじをはりかへぬ
そのはそれにてこころなごみき




120

かうしてはられずとおも
ちにしが
戸外おもてうまいななきしまで




121

ぬけして廊下らうかちぬ
あららかにドアせしに
すぐきしかば




122

ぢつとして
くろはたあかのインク
かたくかわける海綿かいめん




123

たれても
われをなつかしくなるごとき
なが手紙てがみきたきゆふべ




124

うすみどり
めば身体からだみづのごときとほるてふ
くすりはなきか




125

いつもにらむラムプにきて
三日みかばかり
蝋燭らふそくにしたしめるかな




126

人間にんげんのつかはぬ言葉ことば
ひよつとして
われのみれるごとくおも




127

あたらしきこころもとめて
らぬ
まちなど今日けふもさまよひて




128

ともがみなわれよりえらくゆる
はな
つまとしたしむ




129

なにすれば
此処ここわれありや
ときにかく打驚うちおどろきてへやながむる




130

ひとありて電車でんしやのなかにつば
それにも
こころいたまむとしき




131

夜明よあけまであそびてくらす場所ばしよ
いへをおもへば
こころつめたし




132

ひとみながいへつてふかなしみよ
はかるごとく
かへりてねむ




133

なにかひとつ不思議ふしぎしめ
ひとみなのおどろくひまに
えむとおも




134

ひとといふひとのこころに
一人ひとりづつ囚人しうじんがゐて
うめくかなしさ




135

しかられて
わつと子供心こどもごころ
そのこころにもなりてみたきかな




136

ぬすむてふことさへしとおもひえぬ
こころはかなし
かくれもなし




137

はなたれしをんなのごときかなしみを
よわきをとこ
かんずるなり




138

庭石にはいし
はたと時計とけいをなげうてる
むかしのわれのいかりいとしも




139

かほあかめいかりしことが
あくる
さほどにもなきをさびしがるかな




140

いらだてるこころなれはかなしかり
いざいざ
すこし呿呻あくびなどせむ




141

をんなあり
わがいひつけにそむかじとこころくだ
ればかなしも




142

ふがひなき
わがもと女等をんなら
秋雨あきさめにののしりしかな




143

をとことうまれをとこまじ
けてをり
かるがゆゑにやあき




144

わがいだ思想しさうはすべて
かねなきにいんするごとし
あきかぜ




145

くだらない小説せうせつきてよろこべる
をとこあはれなり
初秋はつあきかぜ




146

あきかぜ
今日けふよりはのふやけたるをとこ
くちかじとおも




147

はてもえぬ
真直ますぐまちをあゆむごとき
こころを今日けふちえたるかな




148

何事なにごとおもふことなく
いそがしく
らせし一日ひとひわすれじとおも




149

何事なにごと金金かねかねとわらひ
すこし
またもにはかに不平ふへいつのり




150

われ
ピストルにてもてよかし
伊藤いとうのごとくにてせなむ




151

やとばかり
かつら首相しゆしやうとられしゆめみてめぬ
あき二時にじ






 


   




    

152

やまひのごと
思郷しきやうのこころなり
にあをぞらのけむりかなしも




153

おのをほのかにびて
なみだせし
十四じふしはるにかへるすべなし




154

青空あをぞらえゆくけむり
さびしくもえゆくけむり
われにしるか




155

かのたび汽車きしや車掌しやしやう
ゆくりなくも
中学ちゆうがくともなりしかな




156

ほとばしる喞筒ポンプみづ
心地ここちよさよ
しばしはわかきこころもて




157

ともらでめにき
なぞ
わが学業がくぎやうのおこたりのもと




158

教室けうしつまどよりげて
ただ一人ひとり
かの城址しろあときしかな




159

不来方こずかたのおしろくさころびて
そらはれし
十五じふごこころ




160

かなしみといはばいふべき
ものあぢ
われめしはあまりにはやかり




161

れしそらあふげばいつも
口笛くちぶえきたくなりて
きてあそびき




162

よるても口笛くちぶえきぬ
口笛くちぶえ
じふわれうたにしありけり




163

よくしかありき
ひげたるより山羊やぎづけて
口真似くちまねもしき




164

われととも
小鳥ことりいしげてあそ
後備大尉こうびたいゐもありしかな




165

城址しろあと
いし腰掛こしか
禁制きんせいをひとりあぢはひしこと




166

そののちわれてしとも
あのころとも書読ふみよ
ともにあそびき




167

学校がくかう図書庫としよぐらうらあきくさ
なるはなきし
いまらず




168

はなれば
ひとさきにしろふくいへづる
われにてありしか




169

いまあね恋人こひびとのおとうとと
なかよくせしを
かなしとおも




170

夏休なつやすててそのまま
かへり
わか英語えいご教師けうしもありき




171

ストライキおもでても
いまをどらず
ひそかにさび




172

盛岡もりをか中学校ちゆうがくかう
露台バルコン
欄干てすり最一度もいちどわれらしめ




173

かみりととも
きふせし
かの路傍みちばたくりもと




174

西風にしかぜ
内丸大路うちまるおほぢさくら
かさこそるをみてあそびき




175

そのかみの愛読あいどくしよ
大方おほかた
いま流行はやらずなりにけるかな




176

いしひとつ
さかをくだるがごとくにも
われけふのいたきたる




177

うれひある少年せうねんうらやみき
小鳥ことりぶを
びてうたふを




178

解剖ふわけせし
蚯蚓みみずのいのちもかなしかり
かの校庭かうてい木柵もくさくもと




179

かぎりなき知識ちしきよくゆる
あねいたみき
ひとふるかと




180

蘇峯そほうしよわれすすめしともはや
かう退しりぞきぬ
まづしさのため




181

おどけたるつきをかしと
われのみはいつもわらひき
博学はくがく




182

さいをあやまちしひとのこと
かたりきかせし
もありしかな




183

そのかみの学校がくかういちのなまけもの
いま真面目まじめ
はたらきて




184

田舎ゐなかめくたび姿すがた
三日みかばかりみやこさら
かへるともかな




185

茨島ばらじままつ並木なみき街道かいだう
われときし少女をとめ
さいをたのみき




186

みてくろ眼鏡めがねをかけしころ
そのころ
一人ひとりくをおぼえし




187

わがこころ
けふもひそかにかむとす
ともみなおのみちをあゆめり




188

さきんじてこひのあまさと
かなしさをりしわれなり
さきんじて




189

きようきたれば
ともなみだりて
酔漢ゑひどれのごとくなりてかたりき




190

ひとごみのなかをわけ
わがとも
むかしながらのふとつゑかな




191

よげなる年賀ねんがふみひと
おもひぎにき
三年みとせばかりは




192

ゆめさめてふつとかなしむ
わがねむ
むかしのごとくやすからぬかな




193

そのむかし秀才しうさいたかかりし
ともらうにあり
あきのかぜ




194

近眼ちかめにて
おどけしうたをよみでし
茂雄しげをこひもかなしかりしか




195

わがつまのむかしのねが
音楽おんがくのことにかかりき
いまはうたはず




196

ともはみな或日あるひ四方しはうきぬ
そののち八年やとせ
げしもなし




197

わがこひ
はじめてともにうちけしよるのことなど
おもづる




198

いとれし紙鳶たこのごとくに
わかこころかろくも
とびさりしかな



   二


199

ふるさとのなまりなつかし
停車場ていしやばひとごみのなか
そをきにゆく




200

やまひあるけもののごとき
わがこころ
ふるさとのことけばおとなし




201

ふとおも
ふるさとにゐて日毎ひごときしすずめくを
三年みとせかざり




202

くなれるがそのむかし
たまひたる
地理ちりほんなどりいでて




203

そのむかし
小学校せうがくかう柾屋根まさやねげしまり
いかにかなりけむ




204

ふるさとの
かの路傍みちばたのすていし
今年ことしくさうづもれしらむ




205

わかれをればいもといとしも
あか
下駄げたなどしとわめくなりし




206

二日ふつかまえやましが
今朝けさになりて
にはかにこひしふるさとのやま




207

飴売あめうりのチャルメラ聴けば
うしなひし
をさなきこころひろへるごとし




208

このごろは
はは時時ときどきふるさとのことを
あきれるなり




209

それとなく
郷里くにのことなどかたでて
あきもちのにほひかな




210

かにかくに渋民村しぶたみむらこひしかり
おもひでのやま
おもひでのかは




211

はたりてさけのみ
ほろびゆくふるさとびと
こころする




212

あはれかのわれをしへし
子等こらもまた
やがてふるさとをててづるらむ




213

ふるさとを子等こら
相会あひあひて
よろこぶにまさるかなしみはなし




214

いしをもてはるるごとく
ふるさとをでしかなしみ
ゆるときなし




215

やはらかにやなぎあをめる
北上きたかみ岸辺きしべ
けとごとくに




216

ふるさとの
村医そんいつまのつつましき櫛巻くしまきなども
なつかしきかな




217

かのむら登記所とうきしよ
はいみて
もなくにしをとこもありき




218

小学せうがく首席しゆせきわれあらそひし
とものいとなむ
木賃宿きちんやどかな




219

千代治等ちよぢらちやうじてこひ
げぬ
わがたびにしてなせしごとくに




220

あるとしぼんまつり
きぬさむおどれとひし
をんなおも




221

うすのろのあに
不具かたはちちもてる三太さんたはかなし
よるふみ




222

われとも
栗毛くりげ仔馬こうまこうまはしらせし
はは盗癖ぬすみぐせかな




223

大形おほがた被布ひふ模様もやうあかはな
いま
六歳むつこひ




224

そのさへわすられしころ
飄然へうぜんとふるさとに
せきせしをとこ




225

意地悪いぢわる大工だいくなどもかなしかり
いくさでしが
きてかへらず




226

はい
極道地主ごくだうぢぬし総領そうりやう
よめとりのはるらいかな




227

宗次郎そうじろ
おかねがきて口説くど
大根だいこんはなしろきゆふぐれ




228

小心せうしん役場やくば書記しよき
れしうはさてる
ふるさとのあき




229

わが従兄いとこ
野山のやまかりきしのち
さけのみいへみてにしかな




230

われゆきてをとれば
きてしづまりき
ひてあばれしそのかみのとも




231

さけのめば
かたなをぬきてつま教師けうしもありき
むらはれき




232

としごとに肺病はいびやうやみのえてゆく
むらむかへし
わか医者いしやかな




233

ほたるがり
かはにゆかむといふわれ
山路やまぢにさそふひとにてありき




234

馬鈴薯ばれいしよのうすむらさきはな
あめおもへり
みやこあめ




235

あはれがノスタルジヤは
きんのごと
こころれりきよくしみらに




236

ともとしてあそぶものなき
性悪しやうわる巡査じゆんさ子等こら
あはれなりけり




237

閑古鳥かんこどり
となればおこるてふ
とものやまひのいかになりけむ




238

わがおもふこと
おほかたはただしかり
ふるさとのたよりけるあした




239

今日けふけば
かのさちうすきやもめびと
きたなきこひるるてふ




240

わがために
なやめるたまをしづめよと
讃美歌さんびかうたふひとありしかな




241

あはれかのをとこのごときたましひよ
いま何処いづこ
なにおもふや




242

わがにはしろ躑躅つつじ
薄月うすづき
りゆきしことなわすれそ




243

わがむら
はじめてイエス・クリストのみちきたる
わかをんなかな




244

きりふかき好摩かうまはら
停車場ていしやば
あさむしこそすずろなりけれ




245

汽車きしやまど
はるかにきたにふるさとのやまれば
えりただすも




246

ふるさとのつちをわがめば
なにがなしにあしかろくなり
こころおもれり




247

ふるさとにりてこころいたむかな
みちひろくなり
はしもあたらし




248

もしらぬ女教師をんなけうし
そのかみの
わが学舎まなびやまどてるかな




249

かのいへのかのまどにこそ
はる
秀子ひでことともにかはづきけれ




250

そのかみの神童しんどう
かなしさよ
ふるさとにくはそのこと




251

ふるさとの停車場路ていしやばみち
かわばたの
胡桃くるみした小石こいしひろへり




252

ふるさとのやまむかひて
ふことなし
ふるさとのやまはありがたきかな






 

秋風のこころよさに



253

ふるさとのそらとほみかも
たかにひとりのぼりて
うれひてくだ




254

かうとしてたまをあざむく小人せうじん
あきといふに
ものおもへり




255

かなしきは
秋風あきかぜぞかし
まれにのみきしなみだしじながるる




256

あお
かなしみのたままくらして
まつのひびきをもすがら




257

かみびし七山ななやますぎ
のごとくめてりぬ
しづかなるかな




258

そをめば
うれるといふふみける
いにしへびとこころよろしも




259

ものなべてうらはかなげに
れゆきぬ
とりあつめたるかなしみの




260

水潦みづたまり
れゆくそらとくれなゐのひもうかべぬ
秋雨あきさめのち




261

秋立あきたつはみづにかも
あらはれて
おもひことごとあたらしくなる




262

うれ
おかにのぼれば
らぬとりついばめりあかばら




263

あきつじ
すぢのみちすぢへときゆくかぜ
あとえずかも




264

あきこゑまづいちはやみみ
かかるさが
かなしむべかり




265

になれしやまにはあれど
あきれば
かみまむとかしこみて




266

わがさむこときて
なが
かくしもあはれものおもふか




267

さららさらとあめきた
にはれゆくを
なみだわすれぬ




268

ふるさとのてら御廊みらう
みにける
小櫛をぐしてふゆめにみしかな




269

こころみに
いとけなきわれとなり
ものひてみむひとあれとおも




270

はたはたときびれる
ふるさとの軒端のきばなつかし
秋風あきかぜけば




271

れあへるかたのひまより
はつかにもきといふさへ
日記にきのこれり




272

風流男みやびをいまむかし
泡雪あわゆき
玉手たまでさしにしゆらし




273

かりそめにわすれてもまし
いしだたみ
はるふるくさうもるるがごと




274

そのむかし揺籃ゆりかご
あまたたびゆめにみしひと
せちになつかし




275

神無月かみなづき
岩手いはてやま
初雪はつゆきまゆにせまりしあさおもひぬ




276

ひでりあめさらさらちて
前栽せんざい
はぎのすこしくみだれたるかな




277

あきそら廓寥くわくれうとしてかげもなし
あまりにさびし
からすなど




278

雨後うごつき
ほどよくれし屋根瓦やねがはら
そのところどころひかるかなしさ




279

われゑてある
ほそりて
ゑてわれいぬつらよし




280

いつしかに
くといふことわすれたる
われかしむるひとのあらじか




281

汪然わうぜんとして
ああさけのかなしみぞわれきたれる
ちてひなむ




282

いとど
そのかたはらのいしきよ
わらひしてひとりもの




283

ちからなくみしころより
くちすこしきてねむるが
くせとなりにき




284

ひとひとりるにぎざることをもて
大願たいぐわんとせし
わかきあやまち




285

ものずる
そのやはらかき上目うはめをば
づとことさらつれなくせむや




286

かくばかりあつなみだ
初恋はつこいにもありきと
またなし




287

ながながわすれしとも
ふごとき
よろこびをもてみづおと




288

あき
鋼鉄はがねいろ大空おほそら
やまもあれなどおも




289

岩手山いはてやま
あきはふもとの三方さんぱう
つるむしなにくらむ




290

ちちのごとあきはいかめし
ははのごとあきはなつかし
いへたぬ




291

あきれば
ふるこころのいとまなさよ
もいがてにかりおほ




292

長月ながつきなかばになりぬ
いつまでか
かくもおさな打出うちいでずあらむ




293

おもふてふことはぬひと
おくり
わすれなぐさもいちじろかりし




294

あきあめ逆反さかぞりやすきゆみのごと
このごろ
きみのしたしまぬかな




295

まつかぜ夜昼よひるひびきぬ
ひとはぬやまほこら
石馬いしうまみみ




296

ほのかなる朽木くちきかを
そがなかのたけかをりに
あきやや深し




297

時雨しぐれるごときおとして
木伝こづたひぬ
ひとによくもりさるども




298

もりおく
とほきひびきす
のうろにうすひく侏儒しゆじゆくににかも




299

のはじめ
まづもりありて
半神はんしんひとそがなかまもりけむ




300

はてもなくすなうちつづく
戈壁ゴビみたまふかみ
あきかみかも




301

あめつちに
わがかなしみと月光げつくわう
あまねきあきとなれりけり




302

うらがなしき
よるものるを
ひろふがごとくさまよひきぬ




303

たび
ふるさとにねむるがに
げにしづかにもふゆしかな

 




 

忘れがたき人人

   

    


304

しほかをるきた浜辺はまべ
砂山すなやまのかの浜薔薇はまなす
今年ことしけるや




305

たのみつるとしわかさをかぞへみて
ゆびつめて
たびがいやになりき




306

三度みたびほど
汽車きしやまどよりながめたるまちなども
したしかりけり




307

函館はこだて床屋とこや弟子でし
おもひでぬ
みみらせるがこころよかりし




308

わがあとを
れるひともなき
辺土へんどみしははつまかな




309

ふねひてやさしくなれる
いもうとの
津軽つがるうみおもへば




310

ぢて
傷心しやうしんしてゐし
とも手紙てがみのおどけかなしも




311

をさなきとき
はし欄干らんかんくそりし
はなしともはかなしみてしき




312

おそらくは生涯しやうがいつまをむかへじと
わらひしとも
いまもめとらず




313

あはれかの
眼鏡めがねふちをさびしげにひからせてゐし
をんな教師けうし




314

ともわれにめしあたへき
そのともそむきしわれ
さがのかなしさ




315

函館はこだて青柳町あをやぎちやうこそかなしけれ
とも恋歌こひうた
ぐるまのはな




316

ふるさとの
むぎのかをりをなつかしむ
をんなまゆにこころひかれき




317

あたらしき洋書やうしよかみ
をかぎて
一途いちづかねしとおもひしが




318

しらなみのせてさわげる
函館はこだて大森浜おほもりはま
おもひしことども




319

あさあさ
支那しな俗歌ぞくかをうたひづる
まくら時計どけいでしかなしみ




320

漂泊へうはくうれひをじよしてらざりし
草稿さうかう
みがたさかな




321

いくたびかなむとしては
なざりし
わがしかたのをかしくかな




322

函館はこだて臥牛ぐわぎうやま半腹はんぷく
漢詩からうた
なかばわすれぬ




323

むやむやと
くちうちにてたふとげのことつぶや
乞食こじきもありき




324

とるにらぬをとこおもへとふごとく
やまりにき
かみのごときとも




325

巻煙草まきたばこくちにくはへて
なみあらき
いそ夜霧よぎりちしをんな




326

演習えんしふのひまにわざわざ
汽車きしやりて
ともとのめるさけかな




327

大川おほかはみづおもてるごとに
郁雨いくう
きみのなやみをおも




328

智慧ちゑとそのふか慈悲じひとを
もちあぐみ
すこともなくともあそべり




329

こころざし人人ひとびと
あつまりてさけのむ場所ばしよ
わがいへなりしかな




330

かなしめばたかわらひき
さけをもて
もんすといふ年上としうへとも




331

わかくして
数人すにんちちとなりしとも
なきがごとくへばうたひき




332

さりげなきたかわらひが
さけとともに
はらわたみにけらしな




333

呿呻あくび
夜汽車よぎしやまどわかれたる
わかれがいま物足ものたらぬかな




334

あめれし夜汽車よぎしやまど
うつりたる
山間やまあひまちのともしびのいろ




335

あめつよく汽車きしや
たえまなくしづくながるる
まど硝子ガラスかな




336

真夜中まよなか
倶知安駅くちあんえきりゆきし
をんなびんふるきずあと




337

札幌さつぽろ
かのあきわれのてゆきし
しかしていまてるかなしみ




338

アカシヤの街樾なみきにポプラに
あきかぜ
くがかなしと日記にきのこれり




339

しんとして幅広はばひろまち
あき
玉蜀黍たうもろこしくるにほひよ




340

わが宿やどあねいもとのいさかひに
初夜しよやぎゆきし
札幌さつぽろあめ




341

石狩いしかり美国びくにといへる停車場ていしやば
さくしてありし
あか布片きれかな




342

かなしきは小樽をたるまち
うたふことなき人人ひとびと
こゑあらさよ




343

くがごとくびふるはせて
さうせよといひし
易者えきしやもありき




344

いささかのぜにりてゆきし
わがとも
後姿うしろすがたかたゆきかな




345

わたりのつたなきことを
ひそかにも
ほこりとしたるわれにやはあらぬ




346

せしからだはすべて
謀叛気むほんぎのかたまりなりと
いはれてしこと




347

かのとしのかの新聞しんぶん
初雪はつゆき記事きじきしは
われなりしかな




348

椅子いすをもてわれたむと身構みがまへし
かのともひも
いまめつらむ




349

けたるもわれにてありき
あらそひのもとわれなりしと
いまおもへり




350

なぐらむといふに
なぐれとつめよせし
むかしわれのいとほしきかな




351

なれ三度みたび
この咽喉のどけんしたりと
かれ告別こくべつへりけり




352

あらそひて
いたくにくみてわかれたる
ともをなつかしくおも




353

あはれかのまゆひいでし少年せうねん
おとうとと呼べば
はつかにみしが




354

わがつま着物きものはせしともありし
ふゆはや
植民地しよくみんちかな




355

平手ひらてもて
吹雪ふぶきにぬれしかほ
とも共産きようさん主義しゆぎとせりけり




356

さけのめばおにのごとくにあをかりし
おほいなるかほ
かなしきかほ




357

樺太からふとりて
あたらしき宗教しうけうはじめむといふ
ともなりしかな




358

をさまれる事無ことなさに
きたりといひしころこそ
かなしかりけれ




359

共同きようどう薬屋くすりやひら
まうけむといふともなりき
詐欺さぎせしといふ




360

あをじろきほほなみだひからせて
をばかたりき
わか商人あきびと




361

ひて
ゆき停車場ていしやば
われ見送みおくりしつままゆかな




362

てきとしてにくみしとも
ややながをばにぎりき
わかれといふに




363

ゆるぎづる汽車きしやまどより
ひとさきかほきしも
けざらむため




364

みぞれ
石狩いしかり汽車きしやみし
ツルゲエネフの物語ものがたりかな




365

わがれるのちうはさ
おもひやる旅出たびではかなし
ににゆくごと




366

わかれてふとまたたけば
ゆくりなく
つめたきもののほほをつたへり




367

わす煙草たばこおも
ゆけどゆけど
やまなほとほゆき汽車きしや




368

うすあかゆきながれて
入日影いりひかげ
曠野あらの汽車きしやまどてらせり




369

はらすこしいたでしを
しのびつつ
長路ちやうろ汽車きしやにのむ煙草たばこかな




370

乗合のりあひ砲兵士官はうへいしくわん
つるぎさや
がちやりとるにおもひやぶれき




371

のみりてえんもゆかりもなき土地とち
宿屋やどややすけし
いへのごと




372

つれなりしかの代議士だいぎし
くちあけるあお寝顔ねがほ
かなしとおもひき




373

今夜こんやこそおも存分ぞんぶんいてみむと
とまりし宿屋やどや
ちやのぬるさかな




374

水蒸気すゐいじようき
列車れつしやまどはなのごとてしをむる
あかつきのいろ




375

ごおとこがらしのあと
かわきたるゆきちて
はやしつつめり




376

空知川そらちがはゆきうもれて
とりえず
岸辺きしべはやしひとひとりゐき




377

寂莫せきばくてきとしともとし
ゆきのなかに
なが一生いつしやうおくひともあり




378

いたく汽車きしやつかれてなほ
きれぎれにおもふは
われのいとしさなりき




379

うたふごとえきびし
柔和にうわなる
わか駅夫えきふをもわすれず




380

ゆきのなか
処処しよしよ屋根やねえて
煙突えんとつけむりうすくもそらにまよへり




381

とほくより
ふえながながとひびかせて
汽車きしやいまとある森林しんりん




382

何事なにごとおもふことなく
一日いちにち
汽車きしやのひびきにこころまかせぬ




383

さいはてのえき
ゆきあかり
さびしきまちにあゆみりにき




384

しらしらとこほりかがやき
千鳥ちどりなく
釧路くしろうみふゆつきかな




385

こほりたるインクのびん
かざ
なみだながれぬともしびのもと




386

かほとこゑ
それのみむかしかはらざるともにもひき
くにはてにて




387

あはれかのくにのはてにて
さけのみき
かなしみのをりすするごとくに




388

さけのめばかなしみ一時いちじるを
ゆめみぬを
うれしとはせし




389

しぬけのをんなわら
みき
くりやさけこほ真夜中まよなか




390

わがひにこころいためて
うたはざるをんなありしが
いかになれるや




391

小奴こやつこといひしをんな
やはらかき
耳朶みみたぼなどもわすれがたかり




392

よりそひて
深夜しんやゆきなか
をんな右手めてのあたたかさかな




393

にたくはないかとへば
これよと
咽喉のんどきずせしをんなかな




394

芸事げいごとかほ
かれよりすぐれたる
をんなあしざまにわれへりとか




395

へといへばちてひにき
おのづから
悪酒あくしゆひにたふるるまでも




396

ぬばかりふをまちて
いろいろの
かなしきことをささやきしひと




397

いかにせしとへば
あをじろきひざめの
おもてひてみをつくりき




398

かなしきは
かの白玉しらたまのごとくなるうでのこせし
キスのあとかな




399

ひてわがうつむくとき
みづほしとひらくとき
びしなりけり




400

をしたふむしのごとくに
ともしびのあかるきいへ
かよひれにき




401

きしきしとさむさにめばいたきし
かへりの廊下ろうか
不意ふいのくちづけ




402

そのひざまくらしつつも
がこころ
おもひしはみなわれのことなり




403

さらさらとこほりくづ
なみ
いそ月夜つきよのゆきかへりかな




404

にしとかこのごろきぬ
こひがたき
さいあまりあるをとこなりしが




405

十年ととせまへにつくりしといふ漢詩からうた
へばとなへき
たびいしとも




406

ふごとに
はながぴたりとこほりつく
さむ空気くうきひたくなりぬ




407

なみもなき二月にぐわつわん
白塗しろぬり
外国ぐわいこくせんひくかべり




408

三味線さみせんいとのきれしを
火事くわじのごとさわありき
大雪おほゆき




409

かみのごと
とほ姿すがたをあらはせる
阿寒あかんやまゆきのあけぼの




410

郷里くににゐて
身投みなげせしことありといふ
をんな三味さみにうたへるゆふべ




411

葡萄色えびいろ
ふる手帳てちやうにのこりたる
かの会合あひびきときところかな




412

よごれたる足袋たび穿とき
気味きみわるきおもひにたる
思出おもひでもあり




413

わがへやをんなきしを
小説せうせつのなかのことかと
おもひづる




414

浪淘沙らうたうさ
ながくもこゑをふるはせて
うたふがごときたびなりしかな




   二


415

いつなりけむ
ゆめにふときてうれしかりし
そのこゑもあはれながかざり




416

さむ
流離りうりたびひととして
みちふほどのことひしのみ




417

さりげなくひし言葉ことば
さりげなくきみきつらむ
それだけのこと




418

ひややかにきよ大理石なめいし
はるしづかにるは
かかるおもひならむ




419

なかあかるさのみをふごとき
くろひとみ
いまにあり




420

かのときひそびれたる
大切たいせつ言葉ことばいま
むねにのこれど




421

真白ましろなるラムプのかさ
きずのごと
流離りうり記憶きおくしがたきかな




422

函館はこだてのかの焼跡やけあとりし
こころのこりを
いまのこしつ




423

ひとがいふ
びんのほつれのめでたさを
ものとききみたりし




424

馬鈴薯ばれいしよ花咲はなさころ
なれりけり
きみもこのはなきたまふらむ




425

やま
やまおもふがごとくにも
かなしきとききみおもへり




426

わすれをれば
ひよつとしたことおもたねにまたなる
わすれかねつも




427

むと
えしときて
四百里しひやくりのこなたに我はうつつなかりし




428

きみ姿すがたまちとき
こころをどりを
あはれとおも




429

かのこゑ最一度もいちどかば
すつきりと
むねれむと今朝けさおもへる




430

いそがしき生活くらしのなかの
時折ときおりのこのものおもひ
たれのためぞも




431

しみじみと
ものうちかたとももあれ
きみのことなどかたでなむ




432

ぬまでに一度いちどはむと
ひやらば
きみもかすかにうなづくらむか




433

ときとして
きみおもへば
やすしかりしこころにはかにさわぐかなしさ




434

わかれとしかさねて
としごとにこひしくなれる
きみにしあるかな




435

石狩いしかりみやこそと
きみいへ
林檎りんごはなりてやあらむ




436

ながふみ
三年みとせのうちに三度みたび
われきしは四度よたびにかあらむ






 

手套を脱ぐ時




437

手套てぶくろふと
なにやらむ
こころかすめしおものあり




438

いつしかに
じやうをいつはることりぬ
ひげてしもそのころなりけむ




439

あさ
湯槽ゆぶねのふちにうなじ
ゆるくいきするものおもひかな




440

なつれば
うがひぐすり
やまひあるあさのうれしかりけり




441

つくづくとをながめつつ
おもひでぬ
キスが上手じやうずをんななりしが




442

さびしきは
いろにしたしまぬのゆゑと
あかはななど買はせけるかな




443

あたらしきほん夜半よは
そのたのしさも
ながくわすれぬ




444

たび七日なのか
かへりぬれば
わがまどあかきインクのみもなつかし




445

古文書こもんじよのなかにいでし
よごれたる
吸取紙すひとりがみをなつかしむかな




446

にためしゆきくるが
ここちよく
わが寝飽ねあきたるこころには




447

うすれゆく障子しやうじ日影ひかげ
そをつつ
こころいつしかくらくなりゆく




448

ひやひやと
よるくすりのにほふ
医者いしやみたるあとのいへかな




449

まど硝子ガラス
ちりあめとにくもりたるまど硝子ガラスにも
かなしみはあり




450

六年むとせほど日毎ひごと日毎ひごとにかぶりたる
ふる帽子ばうし
てられぬかな




451

こころよく
はるのねむりをむさぼれる
にやはらかきにわくさかな




452

赤煉瓦あかれんぐわとほくつづける高塀たかべい
むらさきにえて
はるながし




453

はるゆき
銀座ぎんざうらさんがい煉瓦れんぐわづくり
やはらかに




454

よごれたる煉瓦れんぐわかべ
りてりてはくる
はるゆきかな




455

める
わかをんなりかかる
まどにしめやかにはるあめ




456

あたらしきのかをりなど
ただよへる
新開町しんかいまちはるしずけさ




457

はるまち
よげにけるをんな
門札かどふだなどをみありくかな




458

そことなく
蜜柑みかんかわくるごときにほひのこりて
ゆふべとなりぬ




459

にぎはしきわかをんな集会あつまり
こゑみて
さびしくなりたり




460

何処どこやらに
わかをんなぬごときなやましさあり
はるみぞれ




461

コニヤツクのひのあとなる
やはらかき
このかなしみのすずろなるかな




462

しろさら
きてはたなかさねゐる
酒場さかばすみのかなしきをんな




463

かわきたるふゆ大路おほぢ
何処いづくやらむ
石炭酸せきたんさんのにほひひそめり




464

赤赤あかあか入日いりひうつれる
かはばたの酒場さかばまど
しろかほかな




465

あたらしきサラドのさら
のかをり
こころにみてかなしきゆふべ




466

空色そらいろびんより
山羊やぎちちをつぐ
のふるひなどいとしかりけり




467

すがた
いきのくもりにされたる
ひのうるみのまみのかなしさ




468

ひとしきりしづかになれる
ゆふぐれの
くりやにのこるハムのにほひかな




469

ひややかにびんのならべるたなまへ
せせるをんな
かなしとも




470

ややながきキスをかはしてわか
深夜しんやまち
とほ火事かじかな




471

病院びやうゐんまどのゆふべの
ほのじろかほにありたる
あは見覚みおぼ




472

何時いつなりしか
かの大川おほかは遊船いうせん
ひしをんなをおもひにけり




473

ようもなきふみなどながきさして
ふとひとこひし
まちてゆく




474

しめらへる煙草たばこを吸へば
おほよその
わがおもふこともかろくしめれり




475

するどくも
なつきたるをかんじつつ
雨後うご小庭こにはつち




476

すずしげにかざてたる
硝子ガラスまへにながめし
なつつき




477

きみるといふに
しろシヤツの
そでのよごれをにするかな




478

おちつかぬおとうと
このごろの
のうるみなどかなしかりけり




479

どこやらにくひおと
大桶おほをけをころがすおと
ゆきふりいでぬ




480

人気ひとけなき事務じむしつ
けたたましく
電話でんわりんりてみたり




481

さまして
ややありてみみきた
真夜中まよなかすぎのはなしごゑかな




482

てをれば時計とけいとまれり
はるるごと
こころはまたもさびしさに




483

朝朝あさあさ
うがひのしろ水薬すゐやく
びんがつめたきあきとなりにけり




484

なだらかにむぎあをめる
をか
小径こみちあか小櫛をぐしひろへり




485

裏山うらやま杉生すぎふのなかに
まだらなる日影ひかげ
あきのひるすぎ




486

港町みなとまち
とろろときてえがとびあつせる
しほぐもりかな




487

小春日こはるびくもり硝子ガラスにうつりたる
鳥影とりかげ
すずろにおも




488

ひとならびおよげるごとき
家家いへいへ高低たかひくのき
ふゆ




489

京橋きやうばし滝山町たきやまちやう
新聞しんぶんしや
ともるころのいそがしさかな




490

よくいかひとにてありしわがちち
ごろいからず
いかれとおも




491

あさかぜ電車でんしやのなかにれし
やなぎのひと
にとりて




492

ゆゑもなくうみたくて
うみ
こころいたみてたへがたき




493

たひらなるうみにつかれて
そむけたる
をかきみだすあかおびかな




494

今日けふひしまちをんな
どれもどれも
こひにやぶれてかへるごとき




495

汽車きしやたび
とある野中のなか停車場ていしやば
夏草なつくさのなつかしかりき




496

あさまだき
やつとひし初秋はつあき旅出たびで汽車きしや
かた麺麭ぱんかな




497

かのたび夜汽車よぎしやまど
おもひたる
がゆくすゑのかなしかりしかな




498

ふとれば
とあるはやし停車場ていしやば時計とけいとまれり
あめ汽車きしや




499

わかれ
燈火あかり小暗をぐら汽車きしやまどもてあそ
あを林檎りんご




500

いつも
この酒肆さかみせのかなしさよ
ゆふ赤赤あかあかさけ




501

しろ蓮沼はすぬまくごとく
かなしみが
ひのあひだにはつきりと




502

かべごしに
わかをんなくをきく
たび宿屋やどやあき蚊帳かやかな




503

りいでし去年こぞあはせ
なつかしきにほひ
初秋はつあきあさ




504

にしたるひだりひざいたみなど
いつかなほりて
あきかぜ




505

りて
手垢てあかきたなきドイツ辞書じしよのみのこ
なつすゑかな




506

ゆゑもなくにくみしとも
いつしかにしたしくなりて
あきれゆく




507

赤紙あかがみ表紙へうしれし
国禁こくきん
ふみ行李かうりそこにさがす




508

ることをめられし
ほん著者ちよしや
みちにてへるあきあさかな




509

今日けふよりは
われさけなどあふらむとおもへるより
あきかぜ




510

大海だいかい
その片隅かたすみにつらなれる島島しまじまうへ
あきかぜ




511

うるみたる
した黒子ほくろのみ
いつもにつくともつまかな




512

いつても
毛糸けいとたまをころがして
くつしたをんななりしが




513

葡萄色えびいろ
長椅子ながいすうへねむりたるねこほのじろ
あきのゆふぐれ




514

ほそぼそと
其処そこ此処ここらにむし
ひる手紙てがみかな




515

よるおそくりをれば
しろきものにわを走れり
いぬにやあらむ




516

二時にじまど硝子ガラス
うすあか
めておとなき火事くわじいろかな




517

あはれなるこひかなと
ひとりつぶやきて
夜半よは火桶ひをけすみへにけり




518

真白ましろなるラムプのかさ
をあてて
さむにするものおもひかな




519

みづのごと
身体からだをひたすかなしみに
ねぎなどのまじれるゆふべ




520

ときありて
ねこのまねなどしてわら
三十路みそぢとものひとりみかな




521

気弱きよわなる斥候せきこうのごとく
おそれつつ
深夜しんやまち一人ひとり散歩さんぽ




522

皮膚ひふがみなみみにてありき
しんとしてねむれるまち
おも靴音くつおと




523

よるおそく停車場ていしやば
すわ
やがてでゆきぬばうなきをとこ




524

がつけば
しつとりと夜霧よぎりりて
ながくもまちをさまよへるかな




525

しあらば煙草たばこめぐめと
りて
あとなしびと深夜しんやかた




526

曠野あらのよりかへるごとくに
かへ
東京とうきやうをひとりあゆみて




527

銀行ぎんかうまどしたなる
舗石しきいししもにこぼれし
あをインクかな




528

ちよんちよんと
とある小藪こやぶ頬白ほほじろあそぶをなが
ゆきみち




529

十月じふぐわつあさ空気くうき
あたらしく
いきひそめし赤坊あかんぼのあり




530

十月じふぐわつさん病院びやうゐん
しめりたる
なが廊下ろうかのゆきかへりかな




531

むらさきのそでれて
そら見上みあげゐる支那しなじんありき
公園こうゑん午後ごご




532

孩児をさなござはりのごとき
おもひあり
公園こうゑんてひとりあゆめば




533

ひさしぶりに公園こうゑん
とも
かたにぎ口疾くちどかた




534

公園こうゑん
小鳥ことりあそべるを
ながめてしばしいこひけるかな




535

れし公園こうゑん
あゆみつつ
わがこのごろのおとろへを




536

思出おもひでのかのキスかとも
おどろきぬ
プラタスのりてれしを




537

公園こうゑんすみのベンチに
二度にどばかりかけしをとこ
このごろえず




538

公園こうゑんのかなしみよ
きみとつぎてより
すでに七月ななつきしこともなし




539

公園こうゑんのとある木蔭こかげ捨椅子すていす
おもひあまりて
をばせたる




540

わすられぬかほなりしかな
今日けふまち
捕吏ほりにひかれてめるをとこ




541

マチれば
しやくばかりのあかるさの
なかをよぎれるしろのあり




542

をとぢて
口笛くちぶえかすかにきてみぬ
られぬまどにもたれて




543

わがとも
今日けふははなきひて
かの城址しろあとにさまよへるかな




544

よるおそく
つとめさきよりかへり
いまにしてふけるかな




545

二三ふたみこゑ
いまはのきはにかすかにもきしといふに
なみださそはる




546

真白ましろなる大根だいこんゆるころ
うまれて
やがてにしのあり




547

おそあき空気くうき
三尺四方さんじやくしはうばかり
ひてわがにゆきしかな




548

にし
むね注射ちうしやはり
医者いしやもとにあつまるこころ




549

そこれぬなぞむかひてあるごとし
死児しじのひたひに
またもをやる




550

かなしみのつよくいたらぬ
さびしさよ
わがのからだえてゆけども




551

かなしくも
くるまではのこりゐぬ
いききれしはだのぬくもり

                     ー(をはり)ー





明治四十三年十一月廿八日印刷
明治四十三年十二月 一日発行
     著 者   石 川 啄 木
     発行者  西 村 寅次郎
     印刷者  横 田 五十吉
     印刷所  横 田 活版所
発行所     東 雲 堂 書 店


■このファイルについて
標題:一握の砂
著者:石川啄木
本文:「一握の砂」 明治43年2月1日発行(初版)
     新選 名著復刻全集 近代文学館   昭和47年4月10日 発行
参照:啄木全集 第一巻 歌集
     1967年6月30日 初版第一刷発行
     1972年6月30日 初版第六刷発行
     発行所 筑摩書房
表記:原文の表記を尊重しますが、読みやすさに配慮して、以下のように扱います。

○旧字体は、現行の新字体に変えました。新字体がない場合は、旧字体をそのまま用いました。
○本文のかなづかいは、底本通りとしました。
○底本通り総ルビをふりました。
ただし、歌番号「427」の「我」だけには、ルビが振られていません。ルビは追加せず、そのままにしてあります。
○歌番号を追加しました。
○行間処理(行間200%)を行いました。

入力:今井安貴夫
ファイル作成:里実工房
公開:2005年3月12日 里実文庫