夏の夜の音

明治32年7月20日  正岡子規


夏の夜の音
                    子規子

時は明治三十二年七月十二日夜、処は上根岸の某邸の構内の最も奥の家、八畳の問の真中に病の牀を設けて南側の障子明け放せば上野おろしは闇の庭を吹いて枕辺の燈火を揺かす。我は横に臥したる体をすこしもたげながら片手に頭をさゝへ片手に蚊を打つに余念無し。

    午後八時より九時迄
北側に密接してある台所では水瓶の水を更ふる音、茶碗、皿を洗ふ音漸く止んで、南側の垣外にある最合【もあい】井の釣瓶の音まだ止まぬ。 垣の外に集まりし小供の鼠花火、音絶えて、南の家の小供は自分の家に帰つた。南東の藻洲氏の家では子供二人で唱歌を謳ふて居る。はては板の間で足拍子取ながら謳ふて居る。 南の家で赤子が泣く。 南へ一町ばかり隔てたる日本鉄道の汽車は衆声を圧して囂々【ごうごう】と通り過ぎた。

螢一ついづこよりか枕もとの硯箱に来てかすかに火をともせり。母は買物にとて坂本へ出で行き給へり。

上野の森に今迄鳴いて居た梟ははたと啼き絶えた。
最合井の辺に足音がとまつて女二人の話は始まつた。
一口二口で話が絶えると足音は南の家に這入つた。
例の唱歌は一旦絶えて又始まつたが今度は「支那のチヤンチヤン坊主は余ッ程弱いもの」といふ歌に変わつた。しばらくして軽業の口上に変わつた。同時に二三人が何やらしやべつて居る。終に総笑ひとなつた。
列車の少い汽車が通つた。

    午後九時より十時迄
東隣の家へ、此お屋敷の門番の人が来て、庭へ立ちながら話してすぐ帰つた。
南の家で、窓から外へ痰を吐いた。
誰やら水汲みに来た。
    障子を閉さしむ
南の家では、入口の前で、闇に行水する様子だ。
下り列車が通つた。
遠くに澤山の犬が吠える。
    体温を閲す、三十八度五分。
行水がすんで、団扇で尻か何か叩く音がする。
足音がした。南裏の木戸が明いた。
    母はちいさき燈寵とみそ萩とを提げて帰り給へり。
今年は阪本の町が広くなつて草市の店が賑かに出た。
    など話し給ふ。
汽車通る。やがて単行の汽鑵車が通る。
南の家で戸じまりの音がする。
南東の家で戸じまりの音がする。四隣漸く静まる。
次の間で麻木を折る音がする。
上野の十時の鐘が聞える。

    午後十時より十一時迄
下り列車通る。
単行の汽鑵車、笛を鳴らし鳴らし、今度は下つて往た。間も無く上り列車が来た。
上野停車場の構内で、汽鑵車が湯を吐きながら進行を始める音が聞える。
蛙の声が次第に高くなる。
遠くに犬が頻りに吠える。
門前の犬吠え出す。
又水汲みに来た。
東隣では雨戸をしめる。
又星が見えると独りごち給ふ。
戸締りの音
    蚊帳を釣り寝に就く

    午後十一時より十二時迄
枕もとの時計の音のみ聞えて天地は極めて静かな。
縁側に置いてある寵の鶉、物に驚いたやうにはねる音がする。
    うとうとと眠る
汽車が通つたさうな。
忽ち表の戸をはげしく敲く音に眼が覚めた。何事かと思へば新聞の配達人が人を起して新聞の不着の言訳をするのであつた。
十二時の鐘

    午前零時より二時迄起き居る問に
鼠の音一度

聞きしのみ。そよとの風も吹かず。犬の遠吠もせず。動物園のうなり声も聞えず。夜一夜騒く鶉も鼠も此夜は騒がず。梅雨中の静かさ、此時星の飛ぶもあるべし。


■このファイルについて
標題:夏の夜の音
著者:正岡子規
本文:「ほととぎす」 第二巻第十号 明治32・7・20

○漢字は現行の字体にかえた。
○本文・ふりがなの仮名づかいは、原文通りとした。ただしファイル作成時に補ったふりがなは、【  】の中に入れ現代仮名づかいで示した。
○「子規全集(講談社)」では、段落の頭は一字分空けているが、「ほととぎす」掲載時は、一字分空けていない。その当時はこのような表記の仕方であったのであろう。里実文庫の表記法と一致していることでもあるので、「ほととぎす」の表記法をそのまま採用する。
○改段は、1行空けることで示した。
○繰り返し記号は、ひらがな一字の場合は「ゝ」、漢字一字の場合は「々」をそのまま用いた。ただし二字以上の場合は、反復記号は用いず同語反復で表記した。

入力:里実福太朗
ファイル作成:里実工房
公開:2002年8月23日