叙 事 文

     正岡子規


○叙事文      子規

文章の面白さにも様々あれども古文雅語などを用ゐて言葉のかざりを主としたるはここに言はず。将た作者の理想などたくみに述べて趣向の珍しきを主としたる文もこゝに言はず。こゝに言はんと欲する所は世の中に現れ来りたる事物(天然界にても人間界にても)を写して面白き文章を作る法なり。

或る景色又は人事を見て面白しと思ひし時に、そを文章に直して読者をして己と同様に面白く感ぜしめんとするには、言葉を飾るべからず、誇張を加ふべからず只ありのまゝ見たるまゝまに其事物を模写するを可とす。例へば須磨の景趣を言はんとするに

山水明媚風光絶佳、殊に空気清潔にして気候に変化少きを以て遊覧の人養痾【ようあ】の客常に絶ゆる事なし。

など書きたりとて何の面白味もあらざるべし。更に一歩を進めて

須磨は後の山を負ひ播磨灘に臨み僅かの空地に松林があつてそこに旅館や別荘が立つて居る。砂が白うて松が青いので実に清潔な感じがする。海の水も清いから海水浴に来る人も多い。敦盛【あつもり】の塚は西須磨よりももつと西の方にあつて其前には所謂敦盛蕎麦の名物が今でも残つて居る。須磨寺は…………

など書かんか、前の文章に比して精密に叙しあるだけ幾分か須磨を写したりといへども、須磨なる景色の活動は猶見るべからず。更に体裁を変じて

夕飯が終ると例の通りぶらりと宿を出た。焼くが如き日の影は後の山に隠れて夕栄のなごりを塩屋の空に留て居る。街道の砂も最早ほとぼりがさめて涼しい風が松の間から吹いて来る。狭い土地で別に珍しい処も無いから又敦盛の墓へでも行かうと思ふて左へ往た。敦盛の墓迄一町位しかないので直様行きついたが固より拝む気でも無い。只大きな五輪の塔に対してしばらく睨みくらをして居る許りだ。前にある線香立の屋台見たやうな者を手で敲いて見たり撫でゝ見たりして居たがそれも興が尽きて再びもとの道を引きかへして「わくらはに問ふ人あらば」とロの内で吟じながらぶらぶらと帰つて来た。宿屋の門迄来た頃は日が全く暮れて灯が二つ三つ見えるやうになつた。けれどもまだ帰りたくは無いので門の前を行き過ぎた。街道の右側に汽車道に沿ふて深い窪い溝があつて、そこには小さな花が沢山咲いて居る。それが宵闇の中に花ばかり白く見えるので丁度沢山の蝶々がとまつて居るやうに見える。溝には水は無いやうであるから探り探り下りて往て四五本折り取つた。それから浜に出て波打ち際をざくざくと歩行いた。ひやひやとした風はどこからともなく吹いて来るが、風といふべき風は無いので海は非常に静かだ。足がくたびれたまゝにチヨロチョロチョロチヨロと僅に打つて居る波にわざと足を濡らながら暫く佇んで真暗な沖を見て居る。見て居ると点のやうな赤いものが遙かの沖に見えた。いさり火でも無いかと思ひながら見つめて居ると赤い点は次第に大きく円くなつて往く。盆のやうな月は終に海の上に現れた。眠るが如き海の面はぼんやりと明るくなつて来た。それに少し先の浜辺に海が掻き乱されて不規則に波立つて居る処が見えたので若し舟を漕いで来るのかと思ふて見てもさふで無い。何であらうと不審に堪へんので少し歩を進めてつくづくと見ると真白な人が海にはいつて居るのであつた。併し余り白い皮膚だと思ふてよく見ると、白い著物を著た二人の少女であつた。少女は乳房のあたり迄を波に沈めて、ふわふわと浮きながら手の先で水をかきまぜて居る。かきまぜられた水は小い波を起してチラチラと月の光を受けて居る。如何にも余念なくそんな事をやつて居る様は丸で女神が水いたづらをして遊んで居るやうであったので、我は惘然【もうぜん】として絵の内に這入つて居る心持がした。………………

の如く作者を土台に立て作者の見た事だけを見たとして記さんには、事柄によりて興味の浅深こそあれ、とにかく読者をして作者と同一の地位に立たしむるの効力はあるべし。作者若し須磨に在らば読者も共に須磨に在る如く感じ、作者若し眼前に美人を見居らば読者も亦眼前に美人を見居る如く感ずるは、此の如く事実を細叙したる文の長所にして、此文の目的も亦読者の同感を引くに外ならず。         (未完)

〔日本付録週報 明治33年1月29日(月)〕



○叙事文(続)         子規
   

歳晩歳始に関する儀式風俗等を記して各地方より寄贈を辱うしたるは我等の多謝する所なりといへども、其文の体裁は多く概叙的にして個人的ならざるがために幾許か平凡無趣味に陥りたるは甚だ遺憾とす。風俗儀式其物が非常に他に異なりて面白き時は只其風俗儀式を概念的に叙するも幾分の面白味を生ずべけれどそれとても猶乾燥に陥るを免れず。況して風俗儀式其物に趣味少き時はそれを概叙したる許りにては或は読者の欠伸を催すにも至るべし、例へば左義長(又は「どんど」ともいふ)の事を記するに

我地方にては一月某の日左義長といふ事あり。其方法は其前日に町中の子供等打ちつれて家々を廻り其家の飾りを貰ひ集め云々…………翌朝郊外に三間乃至五間ばかりの見あぐる程の飾りの塔を築き云々…………之に火を点ずれば見る見る火焔は天を焦して遂に塔は崩れたり云々…………此時皆持ち来りし餅を竹の尖に挟み其火の中に入れて焼き之を喰ふなり云々…………

など書かんには左義長のやり方の大体は之を知る(これは智識の上)事を得れども、左義長の趣味は全く之を感ず(これは感情の上)る事能はず。此種の文体を以て書かれたる大同小異の左義長の記事は各地より寄せられたれど、選ぶに難くて終にいづれも掲くる能はざりき。若し一人の人ありてわざわざ左義長を見に行きて其日の模様をありのまゝに書かれたらんには必ず面白き文となりしならん。例へば

…………此日の朝は一面の曇りで空は猶雪を催し居る。野はづれに出ると北の方に見ゆる山脈は一面に雪をかぶつて其中で一番高いのは○○山である。あたりの麦畑菜畑には隈々にまだ雪が残つて居る。云々…………

火は次第に広がつて竹のはじく音は実にすさましい忽ち○○おろしが吹いて来たと思ふと焔は頂迄吹き抜いて、見る見る眼前に一箇の火の柱は現れた。云々…………

の如き体裁に書くなり。併し我は大仕掛の左義長といふもの見し事あらねば全く之れを出だす能はざれども若し実地に左義長を見し人の見た儘を写し出ださば必ずや左義長の火の柱は読者の眼前に来るべし。もつとも此の如く作者自身の実験を写さば其記事は或る一部に限られて、全体の風俗儀式を尽くす能はざるの欠点あり。然れども美文即ち面白みの一点より見れば全体を尽さゞるは毫も欠点として見ざるのみならず、却て或る一部分のみが眼の前に活動し来るため、益々空想に遠かりて、実際の感に近つかしむるなり。

或る人が寒垢離【かんごり】といふ事を報知せられたるに、例の如く「当地の寒垢離といふは」と筆を起して、それより其人の種類、服装などを記したる者なり。されどこれにては面白からず。若し寒垢離を為さんとならば自ら実地に見に行きて之を写し出だすに如くはなし。それには前置の「附たり」などありても宜し。例へば

今夜は寒垢離を見よと思ふてわざわざ出かけて往た。月は冴えて風は肌を刺すやうに吹いて居る。

などゝ筆を起し

いくら此の辻に立つて待つて居ても寒垢離は来ない。夜は次第に更けるが地上に写つて居る自分の影法師は小さくなつて足もとは氷りつくやうに冷えて来る。時々聞こえる犬の遠吠に其度ごと頬の粟粒が殖えるやうに思はれる。チリンチリンといふ音が聞えた。来たと思ふてそちらを見ると饂飩【うどん】屋が荷を担いで今こゝへ曲つて来たので、寒垢離の鈴でなかつた。余は失望の余り、じつと饂飩屋を睨んで居ると饂飩屋は人の立つて居る事を知つて、何か悪い者かと思ふたか足早に通り過ぎようとした。出しぬけに「オイ」と声をかけると「ハイ」と驚ろいた返事をして立ち止つた。「オイ饂飩一杯くれ」といふたので始めて安心した様子で荷を卸した。饂飩の玉を鍋へ入れながら「今夜は近頃に無いお寒さでござります。私などは火を扱ふ商買でございますが、それでさへ今夜はたまりません」などゝ紋切形をいふて居る。「オイ此辺を寒垢離は通らんか」「へ」と不審な返事をする。「ナニ寒垢離サ寒垢離の奴はこゝらを通らんかナ」「へ、○○の不動へお詣りに行く寒垢離の衆が一人や二人は通ります。寒垢離も私どもの若い時分はまだすたりませんでしたが今は寒垢離と申してもからだめでございます…………

などゝ無駄を書き

チリンチリン。白い著物の人は一人現れた…………

などゝ本題に入る。此の如き前置即ち序幕も冗長にならぬ限りは面白き事あるべけれど、さりとて無き事を机上に製造して前置と為すは必ず失敗を招くのもとなれば宜しからず。我がこゝに例として書ける記事も若し実地を見て書きしものならば幾倍の面白味を増したるや疑無し。  (未完)

〔日本付録週報 明治33年2月5日(月)〕



○叙事文(続)        子規

以上述べし如く実際の有のまゝを写すを仮に写実といふ。又写生ともいふ。写生は画家の語を借りたるなり。又は虚叙(前に概叙といへるに同じ)といふに対して実叙ともいふべきか。更に詳にいはゞ虚叙は抽象的叙述といふべく、実叙は具象的叙述といひて可ならん。要するに虚叙(抽象的)は人の理性に訴ふる事多く、実叙(具象的)は殆んど全く人の感情に訴ふる者なり。虚叙は地図の如く実叙は絵画の如し。地図は大体のの地勢を見るに利あれども或一箇所の景色を詳細に見せ且つ愉快を感ぜしむるは絵画に如く者なし。文章は絵画の如く空間的に精細なる能はざれども、多くの粗画(或は場合には多少の密画をなす)を幾枚となく時間的に連続せしむるは其長所なり。然れども普通の実叙的叙事文は余り長き時間を連続せしむるよりも、短き時間を一秒一分の小部分に切って細く写し、秒々分々に変化する有様を連続せしむるが利なるべし。

写生といひ写実といふは実際有のまゝに写すに相違なけれども固より多少の取捨選択を要す。取捨選択とは面白い処を取りてつまらぬ処を捨つる事にして、必ずしも大を取りて小を捨て、長を取りて短を捨つる事にあらず。例へば或場処へ行く道の程を記するに

たしかに一番汽車へ乗る約束をして置いたのに○○子はまだ影も見せない。例の寝坊だらう、困つたものだ、と語りながら△△子と共に切符を買ふて汽車に乗つた。…………

などいふやうな具合に、何の面白味も無き事を長々しく書くは宜しからず。約束した友の来ると来ぬとは其人の心には著く影響する事なれど読者には何等の感をも起さしめざるなり。或は飲食の事を詳に叙するが如きも宜しからず。飲食の如何によりては其人に非常の愉快を与へ又は不愉快を与ふるものなれど、読者にありては毫も同感の情を起す者にあらず。一膳めしなどのわびたる様を写すは面白けれど普通の飲食は成るべく短く叙するを可とす。

或る景色又は或る人事を叙するに最も美なる処又は極めて感じたる処を中心として描けば其景其事自ら活動す可し。しかも其最美極感の処は必ずしも常に大なる処著き処必要なる処にあらずして、往々物陰に半面を現すが如き隠微の間にある者なり。薄暗き恐ろしき森の中に一本の赤椿を見つくれば非常にうつくしく且つ愉快な感じを起す。此時には椿を中心として書くに宜しけれど、椿を中心とするとは必ずしも椿を詳叙するの謂にあらず。森の薄暗き恐ろしき様を稍々詳に叙して後に赤き椿を点出せば一言にして著き感動を読者に与へ得べし。或は花見の雑鬧【ざっとう】を叙するにも茶番、目かつら、桜のかんざし、言問団子、きぬかつき、此等の者を力を極めて細叙しても猶物足らぬといふ時、最後に、

派出所に二人の迷子が泣いて居た。

といふ一句を加へて全面が活動する事あるべし。仰山にいへば画龍点睛の手段なり。

然れども此の如き空論は効力少し。「ほとゝぎす」を見たる人は此種の文字(浅草寺のくさくさ、女易者、百八の鐘等)に馴れたるべし。此種の文字にして失敗したる一例として二月初の紙上雑寄欄内にありし「貞鷄」と題せる一筋を挙ぐべし。(予め作者に向て無礼を謝す)貞鷄は二日続きなりしが初日の分一欄程は虚叙にして実叙にあらず、虚叙にても時々多少の実叙を交へて面白くする工夫あれどこれは甚だ平淡にして面白からざりき。次の月の分二欄程は実叙(結末の主観的文字はありて善し)なれども少しも面白からぬのみか却て冗長を感ぜり。第一に此事実面白からざりしために、第二に作者が取捨選択の法を知らざりしために此無趣味の文をなしたるなり。作者若し此事実を面白からしめんとせば普通の事実は成るべく短く叙して、其代りに或る一二箇処を詳かに叙するを可とす。試にいはゞ先づ平日二鷄相親むの状を実叙的に詳叙し(原文は虚叙なるが故面白からず)次に雄鷄が犬に取られて後羽毛の風に飛び来る処を詳叙し其外の処は省かれるだけ省き短くなし得るだけ短くすべし。始より終迄のべつに平等に叙し去つてはいかなる文にても面白からざるべきに況して事実の面白からぬ者は猶更の事なり。

文体は言文一致か又はそれに近き文体が写実に適し居るなり。言文一致は平易にして耳だゝぬを主とす。貞鷄の文の如く言文一致の内に不調和なるむづかしき漢語を用ゐるは極めて悪し。言葉の美を弄するは別に其体あり。写実に言葉の美を弄すれば写実の趣味を失ふ者と知るべし。

別に主観的の一二句を插みて客観的の叙事を面白くする法あり。他日論ずべし。  (完)

附記 歳晩歳始の報道に就きては皆虚叙法を採りて実叙法を採られざりしは深く遺憾に思ふ。今後何事に拘らず実叙法によりて叙述したる文章(西大寺会陽記の如き)御寄送あらん事を請ふ。

〔日本付録週報 明治33年3月12日(月)〕

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  叙事文


■このファイルについて
標題:叙事文
著者:正岡子規
本文:「日本付録週報」
    明治33年1月29日・2月5日・3月12日版

「日本付録週報」は、新聞「日本」の付録として一週間ごとに発行された。現在の「日曜版」のようなものであるが、これは月曜日に発行されていた。

○漢字は現行の字体にかえた。
○本文・ふりがなの仮名づかいは、原文通りとした。ただしファイル作成時に補ったふりがなは、【  】の中に入れ現代仮名づかいで示した。
○「子規全集(講談社)」では、改段後の行頭は一字分空けているが、「日本付録週報」掲載時は、行頭は一字分空けていない。その当時はこのような表記の仕方であったのだろう。里実文庫の表記法と一致しているので、「日本付録週報」の表記法をそのまま採用する。
○改段は、1行空けることで示した。
○繰り返し記号は、ひらがな一字の場合は「ゝ」、漢字一字の場合は「々」をそのまま用いた。ただし二字以上の場合は、反復記号は用いず同語反復で表記した。

入力:里実福太朗
ファイル作成:里実工房
公開:2002年8月18日