九月十四日の朝
九月十四日の朝 子 規
朝蚊帳の中で目が覚めた。尚半ば夢中であつたがおいおいといふて人を起した。次の間に寝て居る妹と、座敷に寝て居る虚子とは同時に返事をして起きて来た。虚子は看護の為にゆふべ泊つて呉れたのである。雨戸を明ける。蚊帳をはづす。此際余は口の内に一種の不愉快を感ずると共に、喉が渇いて全く湿ひの無い事を感じたから、用意の為に枕許の盆に載せてあつた甲州葡萄を十粒程食つた。何ともいへぬ旨さであつた。金茎の露一杯といふ心持がした。斯くてやうやうに眠りがはつきりと覚めたので、十分に体の不安と苦痛とを感じて来た。今人を呼び起したのも勿論それだけの用はあつたので、直ちにうちの者に不浄物を取除けさした。余は四五日前より容態が急に変つて、今迄も殆ど動かす事の出来なかつた両脚が俄に水を持つたやうに膨れ上つて一分も五厘も動かす事が出来なくなつたのである。そろりそろりと臑【すね】皿の下へ手をあてがうて動かして見やうとすると、大盤石の如く落着いた脚は非常の苦痛を感ぜねばならぬ。余は屡種々の苦痛を経験した事があるが、此度の様な非常な苦痛を感ずるのは始めてゞある。それが為に此二三日は余の苦しみと、家内の騒ぎと、友人の看護旁【かたがた】訪ひ来るなどで、病室には一種不穩の徴を示して居る。昨夜も大勢来て居つた友人(碧梧桐、鼠骨、左千夫、秀真、節)は帰つてしまうて余等の眠りに就たのは一時頃であつたが、今朝起きて見ると、足の動かぬ事は前日と同じであるが、昨夜に限つて殆ど間断なく熟睡を得た為であるか、精神は非常に安穏であつた。顏はすこし南向きになつたまゝちつとも動かれぬ姿勢になつて居るのであるが、其儘にガラス障子の外を静かに眺めた。時は六時を過ぎた位であるが、ぼんやりと曇つた空は少しの風も無い甚だ静かな景色である。窓の前に一間半の高さにかけた竹の棚には葭簀【よしず】が三枚許り載せてあつて、其東側から登りかけて居る糸瓜は十本程のやつが皆瘠せてしまうて、まだ棚の上迄は得取りつかずに居る。花も二三輪しか咲いてゐない。正面には女郎花が一番高く咲いて、鶏頭は其よりも少し低く五六本散らばつて居る。秋海棠は尚衰へずに其梢を見せて居る。余は病氣になつて以来今朝程安らかな頭を持て静かに此庭を眺めた事は無い。嗽【うが】ひをする。虚子と話をする。南向ふの家には尋常二年生位な声で本の復習を始めたやうである。やがて納豆売が来た。余の家の南側は小路にはなつて居るが、もと加賀の別邸内であるので此小路も行きどまりであるところから、豆腐売りでさへ此裏路へ来る事は極て少ないのである。それで偶珍らしい飲食商人が這入つて来ると、余は奨励の爲にそれを買ふてやり度くなる。今朝は珍しく納豆売りが来たので、邸内の人はあちらからもこちらからも納豆を買ふて居る声が聞える。余も其を食ひ度いといふのでは無いが少し買はせた。虚子と共に須磨に居た朝の事などを話しながら外を眺めて居ると、たまに露でも落ちたかと思ふやうに、糸瓜の葉が一枚二枚だけひらひらと動く。其度に秋の涼しさは膚に浸み込む様に思ふて何ともいへぬよい心持であつた。何だか苦痛極つて暫く病気を感じ無いやうなのも不思議に思はれたので、文章に書いて見度くなつて余は口で綴る、虚子に頼んで其を記してもらうた。筆記し了へた処へ母が来て、ソツプは来て居るのぞといふた。 子 規 子 逝 く 九 月 十 九 日 午 前 一 時 遠 逝 せ り
■このファイルについて
標題:九月十四日の朝
著者:正岡子規
本文:「ほととぎす」 第六巻第十一号 明治35年9月20日
○漢字は現行の字体にかえた。
○本文の仮名づかいは、原文通りとした。ただしファイル作成時に補ったふりがなは、【 】の中に入れ現代仮名づかいで示した。
○「子規全集(講談社)」では、段落の頭は一字分空けているが、「ほととぎす」掲載時は、一字分空けていない。その当時はこのような表記の仕方であったのであろう。里実文庫の表記法と一致していることでもあるので、「ほととぎす」の表記法をそのまま採用する。
○明らかに誤植と考えられる箇所は、「子規全集(講談社)」を参照して修正した。修正したものについては、〔 〕に入れて示した。
○改段は、1行空けることで示した。
○繰り返し記号は、ひらがな一字の場合は「ゝ」、漢字一字の場合は「々」をそのまま用いた。ただし二字以上の場合は、反復記号は用いず同語反復で表記した。
入力:里実福太朗
ファイル作成:里実工房
公開:2002年8月29日