くだもの(續)

正岡子規




    くだもの(續)             子 規

1

○覆盆子を食ひし事 明治廿四年六月の事であつた。學校の試験も切迫して來るので愈腦が悪くなつた。是では試験も受けられぬといふので試驗の濟まぬ内に余は歸國する事に定めた。菅笠や草鞋を買ふて用意を整へて上野の汽車に乘り込んた。軽井澤に一泊して善光寺に參詣してそれから伏見山迄來て一泊した。是は松本街道なのである。翌日猿が馬場といふ峠にかゝつて來ると、何にしろ呼吸病にかゝ〔入力者注:全集では『つ』を補う。〕てゐる余には苦しい事いふ迄もない。少しづゝ登つてやうやう半腹に來たと思ふ時分に、路の傍に木いちごの一面に熟してゐるのを見つけた。是は意外な事で嬉しさも亦格外であつたが、少し不思議に思ふたのは、何となく其處が人が作つた畑の様に見えた事である。やゝ躊躇してゐたが、此のあたりには人家も畑も何も無い事であるからわざわざ斯様な不便な處へ覆盆子を植ゑるわけもないといふ事に決定して終に思ふ存分食ふた。喉は乾いて居るし、息は苦しいし、此際の旨さは口にいふ事も出來ぬ。
明治廿六年の夏から秋へかけて奥羽行脚を試みた時に、酒田から北に向つて海岸を一直線に八郎湖迄來た。それから引きかへして、秋田から横手へと志した。其途中で大曲で一泊して六郷を通り過ぎた時に、道の左傍に平和街道へ出る近道が出來たといふ事が棒杭に書てあつた。近道が出來たのならば横手へ廻る必要もないから、此近道を行つて見やうと思ふて、左へ這入て行つたところが、昔からの街道で無いのだから晝飯を食ふ處も無いのには閉口した。路傍の茶店を一軒見つけ出して怪しい晝飯を濟まして、それから奥へ進んで行く所がだんだん山が近くなる程村も淋しくなる、心細い様ではあるが叉なつかしい心持もした。山路にかゝつて來ると路は思ひの外によい路で、あまり林などは無いから麓村などを見下して晴れ晴としてよかつた。併し人の通らぬ處と見えて、旅人にも會はねば木樵にも遇はぬ。もとより茶店が一軒あるわけでもない。頂上近く登つたと思ふ時分に向を見ると、向ふは皆自分の居る處よりも遙に高い山がめぐつてをる。自分の居る山と向ふの山との谷を見ると、何町あるかもわからぬと思ふ程下へ深く見える。其大きな谷あいには森もなく、畑もなく、家もなく、唯奇麗な谷あいであつた。それから山の脊に添ふて曲りくねつた路を歩むともなく歩でゐると、遙の谷底に極平たい地面があつて、其處に澤山點を打つた様なものが見える。何ともわからぬので不思議に堪へなかつた。だんだん歩いてゐる内に、路が下つてゐたと見え、曲り角に來た時にふと下を見下すと、さきに點を打つた様に見えたのは牛であるといふ事がわかる迄に近づいてゐた。愈々不思議になつた。牛は四五十頭もゐるであらうと思はれたが、人も家も少しも見えぬのである。それから叉暫く歩いてゐると、路傍の荊棘の中でがさがさといふ音がしたので、余は驚いた。見ると牛であつた。頭の上の方の崖でもがさがさといふ、其處にも牛がゐるのである。向ふの方が叉がさがさいふので牛かと思ふて見ると今度は人であつた。始て牛飼の居る事がわかつた。崖の下を見ると牛の群がつてをる例の平地はすぐ目の前に迄近づいて來て居つたのに驚いた。余の位地は非常に下つて來たのである。其處等の叢にも路にも幾つともなく牛が群れて居るので余は少し當惑したが、幸に牛の方で逃げてくれるので通行には邪魔にならなかつた。それから叉同じ様な山路を二三町も行た頃であつたと思ふ、突然左り側の崖の上に木いちごの林を見つけ出したのである。あるもあるも四五間の間は透間もなきいちごの茂りで、しかも猿が馬場で見た様な瘠いちごではなかつた。嬉しさはいふ迄もないので、餓鬼の様に食ふた。食ふても食ふても盡きる事ではない。時々後ろの方から牛が襲ふて來やしまひかと恐れて後振り向いて見ては叉一散に食ひ入つた。もとより厭く事を知らぬ余であるけれども、日の暮れかゝつたのに驚いていちご林を見棄てた。大急ぎに山を下り乍ら、遙かの木の間を見下すと、麓の村に夕日の残つてをるのが画の如く見えた。あそこい迄はまた中々遠い事であらうと思はれて心細かつた。
明治廿八年の五月の末から余は神戸病院に入院して居つた。此時虚子が來て呉れて其後碧梧桐も來て呉れて看護の手は充分に届いたのであるが、余は非常な衰弱で一杯の牛乳も一杯のソップも飲む事が出來なんだ。そこで醫者の許しを得て、少しばかりのいちごを食ふ事を許されて、毎朝こればかりは闕かした事がなかつた。それも町に賣つてをるいちごは古くていかぬといふので、虚子と碧梧桐が毎朝一日がはりにいちご畑へ行て取て來てくれるのであつた。余は病牀で其を待ちながら二人が爪上りのいちご畑でいちごを摘んでゐる光景などを頻りに目前に描いてゐた。やがて一籠のいちごは余の病牀に置かれるのであつた。此いちごの事がいつ迄も忘れられぬので余は東京の寓居に歸つて來て後、庭の垣根に西洋いちごを植ゑて樂んでゐた。

2

○桑の實を食ひし事 信州の旅行は蠶時であつたので道々の桑畑はいづこも茂つてゐた。木曾へ這入ると山と川との間の狭い地面が皆桑畑である。其桑畑の圍ひの處には幾年も切らずにゐる大きな桑があつて其には眞黒な實がおびたゞしくなつてをる。見逃がす事ではない、余は其を食ひ始めた。桑の實の味はあまり世人に賞翫されぬのであるが、其旨さ加減は他に較べる者も無い程よい味である。余は其を食ひ出してから一瞬時も手を措かぬので、桑の老木が見える處へは横路でも何でもかまはず這入つて行つて貪られるたけ貪つた。何升食つたか自分にもわからぬが兎に角其が爲に其日は六里許りしか歩けなかつた。寐覺の里へ來て名物の蕎麥を勸められたが、蕎麥などを食ふ腹はなかつた。もとより此日は一粒の晝飯も食はなかつたのである。木曾の桑の實は寐覺蕎麥より旨い名物である。

3

○苗代茱萸を食ひし事 同じ信州の旅行の時に道傍の家に苗代茱萸が眞赤になつてをるのを見て、余はほしくて堪らなくなつた。駄菓子屋などを覗いて見ても茱萸を賣つてゐる處はない。道で遊でゐる小さな兒が茱萸を食ひ乍ら余の方を不思議さうに見てをるなども時々あつた。木曾路へ這入つて贅川迄來た。爰は木曾第一の難處と聞えたる鳥井峠の麓で名物蕨餅を賣つてをる處である。余はそこの大きな茶店に休んだ。茶店の女主人と見えるのは年頃卅許りで勿論眉を剃つてをるがしんから色の白い女であつた。此店の前に馬が一匹繋いであつた。余は女主人に向いて鳥井峠へ上るのであるが馬はなからうかと尋ねると、丁度其店に休でゐた馬が歸り馬であるといふ事であつた。其馬士といふのはまだ十三四の子供であつたが、余はこれと談判して鳥井峠頂上迄の駄賃を十錢と極めた。此登路の難儀を十錢で免れたかと思ふと、余は嬉しくつて堪まらなかつた。併しそこらにゐた男共が其若い馬士をからかふ所を聞くと、お前は十銭のたゞもうけをしたといふ様にいふて、駄賃 が高過ぎるといふ事を暗に諷してゐたらしかつた。それから女主人は余に向ひて蕨餅を食ふかと尋ねるから、余は蕨餅は食はぬが茱萸は無いかと尋ねた。さうすると、其茱萸といふのがわからぬので、女主人は其處らに居る男共に相談して見たが、誰にもわからなかつた。余は再び手眞似を交ぜて解剖的の説明を試みた所が、女主人は突然と、あゝサンゴミか、といふた。それならば内の裏にもあるから行つて見ろといふので、余は臺所の様な處を通り抜けて裏迄出て見ると、一間半許りの苗代茱萸が累々としてなつて居つた。これをくれるかといへば、幾らでも取れといふ。余が取りつゝある傍へ一人の男が來て取つてくれる。女主人はわざわざ出て來て何か指圖をしてゐる。ハンケチに一杯程取りためたので、余はきりあげて店へ歸つて來た。此代はいくらやらうかといふと、代はいりませぬといふ。しかたがないから、少し許りの茶代を置いて余は馬の背に跨つた。女主人など丁寧に余を見送つた。菅笠を被つてゐても木曾路では斯ういふ風に歡待をせられるのである。馬はヒヨクリヒヨクリと鳥井峠を上つて行く。おとなしさうなので安心はしてゐたが、時々絶壁に臨んだ時には若しや狭い路を踏み外しはしまいかと膽を冷やさぬでもなかつた。余はハンケチの中から茱萸を出しながらポツリポツリと食ふてゐる。見下せば干仭の絶壁鳥の音も聞こえず、足下に連なる山又山南濃州に向て走る、とでもいひさうな此の壯快な景色の中を、馬一匹ヒヨクリヒヨクリと歩んでゐる、余は馬上に在つて口を紫にしてゐるなどは、實に愉快でたまらなかつた。茱萸はとうどう盡きてしまつた、ハンケチは眞赤に染んでゐる、もう鳥井峠の頂上は遠くはないやうであつた。

4

○御所柿を食ひし事 明治廿八年神戸の病院を出て須磨や故クとぶらついた末に、東京へ歸らうとして大坂迄來たのは十月の末であつたと思ふ。其時は腰の病のおこり始めた時で少し歩くのに困難を感じたが、奈良へ遊ばうと思ふて、病を推して出掛けて行た。三日程奈良に滯留の間は幸に病氣も強くならんので余は面白く見る事が出來た。此時は柿が盛になつてをる時で、奈良にも奈良近邊の村にも柿の林が見えて何ともいへない趣であった。柿などゝいふものは從來詩人にも歌よみにも見離されてをるもので、殊に余良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかった事である。余は此新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかつた。或夜夕飯も過ぎて後、宿屋の下女にまた御所柿は食へまいかといふと、もうありますといふ。余は國を出てから十年程の間御所柿を食つた事がないので非常に戀しかつたから、早速澤山持て來いと命じた。やがて下女は直徑一尺五寸もありさうな錦手の大丼鉢に山の如く柿を盛て來た。流石柿好きの余も驚いた。それから下女は余の爲に庖丁を取て柿をむいでくれる様子である。余は柿も食ひたいのであるが併し暫しの間は柿をむいでゐる女のやゝうつむいてゐる顔にほれほれと見とれてゐた。此女は年は十六七位で、色は雪の如く白くて、目鼻立まで申分のない様に出來てをる。生れは伺處かと聞くと、月か瀬の者だといふので余は梅の精靈でもあるまいかと思ふた。やがて柿はむけた。余は其を食ふてゐると彼は更に他の柿をむいでゐる。柿も旨い、場所もいゝ。余はうつとりとしてゐるとボーンといふ釣鐘の音が一つ聞こえた。彼女は、オヤ初夜が鳴るといふて尚柿をむきつゞけてゐる。余には此初夜といふのが非常に珍らしく面白かつたのである。あれはどこの鐘かと聞くと、東大寺の大釣鐘か初夜を打つのであるといふ。東大寺が此頭の上にあるかと尋ねると、すぐ其處ですといふ。余が不思議さうにしてゐたので、女は室の外の板間に出て、其處の中障子を明けて見せた。成程東大寺は自分の頭の上に當つてある位である。何日の月であつたか其處らの荒れたる木立の上を淋しさうに照してある。下女は更に向ふを指して、大佛のお堂の後ろのあそこの處へ來て夜は鹿が鳴きますからよく聞こえます、といふ事であつた。


■このファイルについて
標題:くだもの(續)
著者:正岡子規
本文:「ホトトギス」 第四巻第六號、明治34年4月25日(復刻版)
表記:原文の表記を尊重して、可能な限り原文通り入力しましたが、以下のように扱った箇所があります。
 ・原文で用いられている字体を使えない場合は、現行の字体に変えました。
 ・清音表記を濁音に直した箇所があります。
 ・原文で使われている山形(/\)の反復記号は用いず、同語反復で表記しました。
 ・本文の仮名づかいは、原文通りとしました。
その他:
 ・行頭に○がある部分ごとに段落番号をつけました。
 ・行間処理(行間180%)を行いました。
 ・文章中の「全集」は、講談社版「子規全集」を指します。

入力:今井安貴夫
ファイル作成:里実工房
公開:2004年9月1日