初夢

正岡子規




初 夢              子規子

1

(座敷の眞中に高脚の雑煮膳が三つ四つ据ゑてある。自分は袴羽織で上座の膳に着く。)「こんなに揃つて雑煮を食ふのは何年振りですかなア、實に愉快だ、ハゝー松山流白味噌汁の雑煮ですな。旨い、實に旨い、雑煮がこんなに旨かつたことは今迄ない。も一つ食ひませう。」「羽織の紋がちつと大き過ぎた様ぢやなア。」「何に大きいことは無い。五つ紋の羽織なんか始めて着たのだ。紋の大きいのは結構だ。(自分は嬉しいので袖の紋を見る。)仙臺平の袴も始めてサ。こんなにキウキウ鳴ると耻かしいやうだ。」「お雑煮を最一つ上げよか。」「もうよございます。屠蘇をも一杯飲まうか。おいおい硯と紙とを持て來い。何と書てやらうか。俳句にしようか。出來た出來た。〔入力者注:以下傍点〕大三十日愚なり元日尚愚なり〔ここまで〕サ。うまいだらう。嘗て僕が腹立紛れに亂暴な字を書いたところが、或人が龍飛鰐立と讃めてくれた事がある。今日のも釘立ち蚯蚓飛ぶ位の勢は慥かにあるヨ。これで、書初めもすんで、サア廻禮だ。」

2

「おい杖を持て來い。」「どの杖をナ」「どの杖てゝまさかもう撞木杖なんかはつきやしないヨ。どれでもいゝステツキサ。暫く振りで薩摩下駄を穿くんだが、非常に穿き心地がいゝ。足の裏の冷や冷やする心持は、なまぬるい湯婆へ冷たい足の裏をおつゝけて寒がつてゐた時とは大達ひだ。殊に麻裏草履をまづ車へ持ていて貰つて、あとから車夫におぶさつて來るなんどは昔の夢になつたヨ。愉快だ。たまらない。」(急いで出やうとして敷居に蹶づく。)「あぶないぞナ。」「なに大丈夫サ、大丈夫天下の志サ。おい車屋、眞砂町迄行くのだ。」

3

「お目出度う御座います。先生は御出掛けになりましたか。」「ハイ唯今出た所で、まア御上りなさいまし。」「イヤ今日は急いでゐるから上りません。」「あなたもうそんなにお宜しいので御座いますか。此前お目にかゝつた時と御形容なんどがたいした違ひで御座います。」「病気ですか、病気なんかもう厭き厭きしましたから、去年の暮にすつかり暇をやりましたヨ。今朝起きて見たら手や足が急に肥えて何でも十五貫位はありませうよ。」「さうですか、それは結構で御座います。まアお上りなすつて、屠蘇を一つさし上げませう。」「いや改めてゆつくり参りませう。サヨナラ。おい車屋、金助町だ。」

4

「ヤアこれは驚いた。先生もうそんなにお宜しいのですか。もうお出になつても宜しいのですか。マアどうぞ、サアこちらへ。(座敷へ通る。)お目出度う御座います。舊年中はいろいろ、相變りませず。」「お目出度う御座います。」「今朝もお噂さを致して居りましたところです。こんなによくおなりにならうとは實に思ひ懸けが無かつたのです。まだそれでもお足がすこしよろよろしてゐるやうですが。」「足ですか、足は大丈夫ですヨ。すこし屠蘇に酔つてるんでせう。時にけふの飾りはひどく洒落てゐますな。この朝日は探幽ですか。炭取りに枯枝を生けたのですか。いづれ又参りませう。おい車屋、今度は猿樂町だ。」

5

「や、お目出度う御座います。留守ですか。さうですか。成程斯ういふ内ですか。」「まアあんさん一寸お上りやす。」「いゝえ急いでゐますから……私の書生の頃この隣の下宿屋にゐたのですが、もう十四五年も前のことですから、この邊の様子はすつかり違つてゐますヨ。サヨナラ。」

6

「おやお珍らしう、もうそんなにすつかりお宜しう御座いますので、まアお上りなさいませ。(座敷に通る。)お目出度う御座います。舊年中は………相變りませず。」「お留守ですか。」「ハイ唯今河東さんがお出になつて一緒に出て行きました。」「マーチヤンお目〔入力者注:「全集では『出』を補う〕度う。」「マーチヤンお辞儀おしなさい。このおぢさん知つてゐますか。オホンオホンぢいちやんがネー御病気がすつかりよくおなりなすつていらしつたのだからお辭儀をしなくちやいけません。」「マーチヤンはことし四つになつたんでせう、さうしてあかチヤンの姉チヤンになつておとなしくなつたからこれをあげるヨ。」「おやいゝものを戴いて、此中には何が這入つてるだらう、あけて御覽んなさい。おやいゝもんだネー。オヤもうお歸でございますか。」

7

「おい君暫く逢はなかつたネー。」「やあ珍らしい。まアお目〔入力者注:「全集では『出』を補う〕度う。」「君はいつから足が立つやうになつたのだ。僕は全く立たんと聞いてゐたが。」「なに今朝から立つたのだヨ。今朝立つて見たら君、痛みなんどはちつとも無いのだもの。」「さうか、そりや善かつた。大變心配してゐたんだヨ。もうとてもいけないだらうツて、誰れか言つた位であつたから。」「併し君は何處へ行くんだ。」「僕は新橋迄行くのだ。」「さうか、それじや僕も一緒に行かう。」「もう午ぢやが君飯食はないか。」「それぢや一緒に食はう。」

8

「これか、新橋ステーシヨンの洋食といふのは。兎に角日本も開らけたものだネー。爰處へ斯んな三階作りが出來て洋食を食はせるなんていふのは。ヤア品川灣がすつかり見えるネー、成程あれが築港の工事をやつてゐるのか。實に勇ましいヨ。どしどし遣らなくつちやいかんヨ。」「君はどの汽車に乘るのだ。」「僕は二時半の東海道線だが、尤も本所へも寄つて行きたいのだが、本所はづれ迄人力で往復しては日が暮れてしまうからネ。」「本所へ行くなら高架鐵道に乗ればよい。」「さうか。高架鐵道があるのだネ。そりや一番乘つて見やう。君この油画はどうだ非常にまづいぢやないか。こんな書き方つてないものだ。ヘーこれは牡丹の花だ。これが所謂室咲だな。此頃は役者が西洋へ留學して、農學士が植木屋になるのだからネ。」「オイオイ君ソツプがさめるヨ。」「成程これは旨い。病室で飲むソツプとは大達ひだ。」(ヂヤランヂヤランヂヤラン)

9

「寢臺附の車といふのはこれだな。こんな風に寢たり起きたりしてをれば汽車の旅も樂なもんだ。この邊の兩側の眺望はちつとも昔と變らないヨ。こんな煉瓦もあつたヨ。こんな庭もあつたヨ。松が四五本よろよろとして一面に木賊が植ゑてある、爰處だ爰處だ、イヤ主人が茶をたてゝゐるヨ、お目出度う、(と大きな聲をする。)聞こやしないや。こゝは山北だ。おいおい鮎の鮓は無いか。さうか。鮎の鮓は冬は無いわけだナ。此邊を通るのは、どうもいゝ心持だ。こゝが興津か。この家か、去年の秋移らうかといつたのは。成程これなら眺望がいゝだらう。」(大阪の連中が四五人汽車の窓の外に立つてゐる。)「先生お目出度う御座います。先生お目出度う御座います。先生お目出度う御座います。先生お目出度う御座います。先生お目出度う御座います。」「ヤアお目出度う御座います。諸君お揃ひで。」「今東京から電報が來たもんですからお出迎へに來たのです。」「さうですか、それは有難う御座いますが、一寸國へ歸て來やうと思ひますから、歸りによりませう。さうですか。サヨナラ。」

10

「おい車屋、長町の新町迄行くのだ。ナニ長町の新町といつてはもう通じないやうになつたのか。それならば港町四丁目だ。相變らず狭い町で低い家だナア。」

11

「アラ誰だと思ふたらのぼさんかな。サアお上り、お勞れつろ、もう病氣はそのいにようおなりたのか。」(座敷へ通る。)「アラおまいお戻りたか。」「マア目出度う。おばアさん相變らず御元気ぢやナア。」「いゝエおばあアはもうぼれてしそなんの益にもたゝんのヨ。」「おいさんはお留守かな。」「おいさんは親類だけ廻るといふて出たのぢやけれ、もうもんて來るぢやあろ。」「それぢやアあたしも親類だけ廻つて來やう。道後が奇麗になつたさうなナア。」「さうヨ、去年は皇太子殿下がおいでになるといふてこゝも道後も騒いだのぢやけれど、またそれが止みになつたといふことで、皆精を落してしまうたが、ことしはお出になるのぢやといふて待つてをるのぢやさうな。」「それぢや一寸出て來やう。」「マアお待ちやお酣酒だけせうわい。おなかゞすいたらお鮓でも食べといき。」「いゝエもうえゝ。」「そんならすぐもんておいでや。こよひはうちへお泊りるのぢやあらうナア。」「こよひかな。こよひは是非東京へ歸つて活動寫眞を見に行く約束があるから、泊るわけには行かんが。」「そのいにお急ぎるのか。」「さうヨ、今度は一寸出て來たのだから……兎に角うちの古い家を見て來よう。」

12

「オヤおや櫻の形勢がすつかり違つてしまつた。親櫻の方は消えてしまつて、子櫻の方がこんなに大きくなつた。これで此の子櫻の年が二十二三位になる筈だ。ヤア松の梢が見える。あの松は自分が土手から引て來て爰處へ植ゑたのだから、これも二十二三年位になるだらう。あの松の下に蘭があつて、其横にサフランがあつて、其後ろに石があつて、其横に白丁があつて、すこし置いて椿があつて、其横に大きな木犀があつて、其横に祠があつて、祠の後ろにゴサン竹といふ竹があつて、其竹はいつもおばアさんの杖になるので、其筍は筍のうちでも旨い筍だといふことであつた。其ゴサン竹の傍に菖も咲けば著莪も咲く、其邊はなんだかしめつぽい處で薄暗いやうな感じがしてゐる處であつたが、其しめつぼい處に菖や著莪がぐちやぐちやと咲いてゐるといふことが、今に頭の中に深く刻み込まれてをるのはどういふわけかわからん。兎に角自分が二つの歳から十六の歳迄毎日毎日見たり歩いたりしてゐた此庭が、今はどんなになつてゐるであらうか、一寸見たいと思ふけれど、今は他人の家になつてをるのだから仕方がない。垣から覗いて見やうと思ふにも、川の隔てがあるからそれも出來ん。」

13

「ヤア目出度う。お前いつお歸りたか。」「今歸つた許りサ。道後の三階といふのはこれかナ。あしやア此邊に隠居處を建てやうと思ふのぢやが、何處かえゝ處はあるまいか。」「爰處はどうかナ。」「これではちつと地面が狭いヨ。あしやア實は爰處で陶器をやる積りなんだが。」「陶器とはなんぞな。」「道後に名物がないから陶器を焼いて、道後の名物としやうといふのヨ。お前らも道後案内といふ本でも拵らへて、ちと他國の客をひく工面をしては何うかな。道家の旅店なんかは三津の濱の艀の着く處へ金字の大廣告をする位でなくちやいかんヨ。も一歩進めて、宇品の埠頭に道後旅館の案内がある位でなくちやだめだ。松山人は實に商賣が下手でいかん。」

14

「成程これや御城山へ登る新道だナ。男も女も馬鹿に澤山上つて行くがありやどういふわけぞナ。」「あれは皆新年官民懇親會に行くのヨ。」「それぢやあしも行つて見やう。」(向ふの家の中に人が大勢立つて混雑してゐる。其中から誰れやら一人出て來た。)「おい君も上るのか。上るなら羽織袴なんどぢやだめだヨ。この内で著物を借りて金剛杖を買つて來玉へ。」「そうか。それぢや君待つてくれ玉へ。(白衣に著更へ、金剛杖をつく。)サア君行かう。富士山の路は非常に險だと聞いたが、こんなものなら譯は無いヨ。オヤ君は爰に寫生してゐたのか。もう四五枚出來てる?、それはえらいネー。もう五合目い來たのか。兎に角あしこの茶屋で休まうぢやないか。ヤア日木茶店と書てある。何がある。しる粉がある?。それならしる粉くれ。頻りに皆立つて行くぢやないか。なんだ。日の出か。成程奇麗だ。赤いもんがキラキラしてゐらア。君もう下りるか。それぢや僕も一緒に下りやう。成程砂をすべつて下りるとわけは無いヨ。マア君待ち玉へ、馬鹿に早いナア。(急いで下りる積りで砂をふみ外して眞逆様に落ちたと思ふと夢が覚めた。)

      *  *  *  *  *

15

目を明いて見ると朝日はガラス戸越しに少しくさし込んで、ストーブは既に焚きつけてある。腰の痛み、脊の痛み、足の痛み、この頃の痛みといふものは身動きもならぬ始末であるが、去年の暮の非常に烈しい痛が少し薄らいだ爲めに新年はいくらか愉快に感ずるのである。アゝけふもエー天氣だ。





■このファイルについて
標題:初夢
著者:正岡子規
本文:「ホトトギス」 明治34年1月31日(復刻版)
表記:原文の表記を尊重して、可能な限り原文通り入力しましたが、以下のように扱った箇所があります。

○原文で用いられている字体を使えない場合は、現行の新字体に変えました。
○本文の仮名づかいは、原文通りとしました。
○原文で使われている山形(/\)の反復記号は用いず、同語反復で表記しました。
○いわゆる変体仮名は、現行の仮名に直しました。
○次の清音を濁音に直した箇所があります。
  て→で   す→ず

その他:

○段落番号を追加しました。
○行間処理(行間180%)を行いました。
○文章中の「全集」は、講談社版「子規全集」を指します。

入力:今井安貴夫
ファイル作成:里実工房
公開:2004年8月13日