車上所見

明治31年11月10日  正岡子規


車上所見   子規子

秋晴れて、野に出でばや、稲は刈りをさめしや、稲刈り女の見知り顔なるもありや、あぜの草花は如何に色あせたらん、など日毎に思ひこがるれど、さすがにいたつきのまさんことも心もとなければ、さてやみつ。今日も朝日障子にあたりて蜻蛉の影あたゝかなり。世の人は上野、浅草、団子坂とうかるめり。われも出でなんや。出でなん。病ひのつのらばつのれ、待たばとて出らるゝ日の来るにもあらばこそ。車呼びてこといふ。やがて帰りて、車は皆出はらひたり、遠くに雇はんや、といふ。さまでは、今日の日和には足ある人ぞ先づ車にて出でたる、と笑ふ。昼餉待つとて天長節の原稿したゝめなどす。

一時過ぎて車は来つ。車夫に負はれて来る。成るべく静かに挽かせて鴬横町を出づるに垣に咲ける紫の小き〔花〕の名も知らぬが先づ目につく。

音無川に治ひて行く。八百屋の前を過ぐるにくだ物は何ならんと見るが常なり。川にて男三人ばかり染物を洗ふ。二人は水に立ち居り。傍に無花果【いちじく】の木ありて其下に大根のきれはしは芥と共に漂ひつ、いときたなげなるを、彼男に押し流させたく思はる。

笹の雪の横を野へ出づ。野はづれに小き家の垣に山茶花の一つ二つ赤う咲ける、窓の中に檜木笠を掛けたるもゆかし。

空忽ち開く。村々木立遠近につらなりて、右には千住の煙突四つ五つ黒き煙をみなぎらし、左は谷中飛鳥の岡つゞ〔き〕に天王寺の塔聳り。雲は木立の上すこし隔りて地平線にそひて長く横になびきたるが、上は山の如く高低ありて、下は截りたる如く一文字にに揃ひたる、絶えつ続きつ環をなして吾を囲みつ、見渡す限り眉墨程の山も無ければ、平地の眺めの広き、我国にてはこれ程の処外にはあらじと覚ゆ。〔胸〕開き気伸ぶ。

田は半ば刈りて牛ば刈らずあり。刈りたるは皆田の縁に竹を組みてそれに掛けたり。我故里にては稲の実る頃に水を落し刈る頃は田の面乾きて水なければ刈穂は尽く地干にするなり。此辺の百姓は落し水の味を知らざるべし。吾にはこの掛稲がいと珍らしく感ぜらる。榛の木に掛けたるは殊に趣あり。其上より森の梢、塔の九輪など見えたる更に面白し。

道の辺に咲けるは蓼の花ぞもつとも多き。そのくれなゐの色の老いてはげかゝりたる中に、ところどころ野菊の咲きまじる様、ふるひつくばかりにうれし。此情、人には語られず。

穂蓼野菊の衣にさはる程に掛稲の垂れたるもいとあはれに、檜にかゝまほしと思ふ。

我車のひゞきに、野川の水のちらちらと動くは目高の群の驚きて逃ぐるなり。あないとほし。目高を見るはわが野遊びのめあての一つなるを、なべての人は目高ありとも知らで過ぐめり。世に愛でられぬを思ふにつけていよいよいとほしさぞまさるなる。

10

小鮒にやあらんすばやく逃げ隠れたる憎し。たまたまに蛭の浮きたるはなくもがな。

11

向ふより人力車来れり。見れば男一人乗りて前に藁づとを置きたる、其端より黄なる実の漏れて見ゆるは蜜柑か金柑か。一足、町を離るれば見るものひなびて雅なり。

12

我車を挽きたる男、年は五十にも近からん、先程より頻りにふり返りて我を窺ひ居しが、遂にロを開きて、我国を問ふ。四国なり、といへば失望したる様なり。お前の国は、と問へば、越中なり、越後界にて海岸に臨めり、眺めは海岸に如く者なきを東京には海岸なければ、など東京をおとしめていふ。「かいがん」といふ漢語をいく度もいふが耳ざはりなり。越中は米国ならずや、といへば、さなり、今頃は皆刈尽して田には影もなし、新暦の十一月の中頃には最早ちらちらと降りそむるなり、など善く語る。

13

道の傍に稲刈る女、年の程を思ふに一人は兄よめにして一人は妹ならん。妹といふは十五六とおぼしく鎌持ちながら我を見る。顔も見にくきが、手拭を日の上まで冠りたればうしろへそる程仰向きて見おこせたる殊に心よからず。うつ向いて稲の穂を握りつゝ又ふり返つてちよと我を見る。直にうつ向きてさと刈る。其問に我車は過ぎ行きぬ。

14

三河島の入口に社あり。前に四抱へばかりの老樹の榎とも何とも知らぬが立てり。其幹に絵馬の形したる板一つ吊りさげあるを近づくまゝに見れば、絵と見しは鉄砲の絵にて「こゝにて打つべからず」と記せる、興さむるわざかな。

15

村に入る。山茶花の垣、衣多くつきていとうつくし。「やきいも」といふ行燈懸けて店には青蜜柑少し並べたる家につき当りて、左に折れ、地蔵にあらぬ仏の五つ六つ立てる処を右に曲りて、紺屋の横を過ぎ、くねりて復野に出づ。

16

畦の榛の並木間近く立てれば狭くるしき心もち前とはいたく異なり。やがてまた家居まばらにある処に入る。雑木茨など暗く繁りたる中に山茶花の火をともしたる荒れたる村のたましひ、俳人は見逃さぬなるべし。

17

夫婦してから竿を振り上げて席の稲穂を打つ。から竿は麦にこそ使へ、四国にては稲には用ゐず、といへば車夫、越中もしかなり、米国にて米の出来夥しければ何事も手早くあらましにするなり、東京の如くゆるやかなる事にては、などいひつゝ挽く。

18

一間ばかりの高さに稲を積みあげたる車二挺来たるに我は路ばたによけてやり過す。前の車は三十四五の男挽きて、後押しは同じ年ばえの女なり。夫婦なるべし。後の車は六十をも越えたる翁のいと苦しげに挽き居たれば如何なる女か後を押すらんと見るに三十許りの男なり。こは親子にやあらん。同じ事ながら前の車は楽しく、後のはくるしき心地す。

19

路のほとりに咲ける草にて葉と茎とは蕎麦に似て花は半ば薄紅なるが多く川辺にあり。蕪村か「水かれがれ蓼かあらぬか蕎麦か否か」といひしは此花にはあらずやと、見るたぴに思ふなり。車夫に名を尋ねたれど知らず。或は溝蕎麦といふ者か。

20

柿の樹に柿の残りたるはあちこちにあり。一つくひたし。烏瓜の蔓に赤き実の一つだに残りたる見ず。

21

畑中に高さ四尺ばかりの若木の柿に赤き実二つなりたる、其側に幼子の三人四人藁の束に上りなどして遊び居るがあり。その子供の柿を取らぬがいぶかしく思はるゝなり。或は渋いにもやあらん。

22

目高多き小川を過ぐ。

23

螽はいよく多く路はいよく細し。路にずいきを積み捨てたるが、処々高く毒を覆さんとす。

24

こゝより車を返す。

25

此路、此螽、こはわが忘れんとして忘れ得ざる者なり。こゝに来て螽の飛ぶを見ては我はそゞろに昔を忍ばざるを得ざりき。今より四年前の事なり。世は日清戦争にいそがはしく、わが身を委ねし事業は忽に倒れ、わが友は多くいくさに従ひて朝鮮に支那に渡りし頃の其秋なりき。此時専らわが心を動かせしは新聞紙上の戦報にして、我はいかにしてか従軍せんとのみ思へり。されどわが経歴とわが健康とはわが此願ひを許さるべくもあらねば、人にもいはず、ひとり心をのみ悩ましつゝ、日毎に郊外散歩をこゝろみたり。一冊の手帳と一本の鉛筆とは写生の道具にして、吾は写生的俳句をものせんとて、眼に映るあらゆるものを捕へて十七字に捏ねあげんとす。わか俳境のいくばくか進歩せし如く思ひしは此時にして、さ思ふにつけて猶面白ければ総てのうさを忘れて同じ道をさまよふめり。三河島付近はもつともしばしば遊びありきしところなり。ある日三河島を過ぎ更にある貧しき村を過ぎ、田のあぜ道を何処と定めず行く程に人里遠くへだゝりて、人の影だに見えぬまでなりぬ、そこにあぜ道とは見ゆれど幅梢広く草など生ひたる処あり。固より世の人の往来する路にあらず、いと淋しくて心置くかたも無ければ草に腰据ゑてしばらく憩ふ。此あたりは螽殊に多く覚えて、稲を揺かす音かしましく、あるは路草に遊ぶも多かりけるが、はてはわが袖ともいはず背ともいはず膝ともいはず飛びつきはね返り這ひ上りなどして、いとむつまじく馴れたり。鳥螽のたぐひなりなりとも我に慣れたるはさすがにいとほしくて、得去りもやらず。終にはくたびれたるまゝ草を枕に横臥しになり螽の音を聞く。うつらうつらと吾に返りては、驚きて都に返り務めに就く。をりをりこゝに遊びては螽を友にしてうさをはらすに、曾て人に遭ひし事なければおのづから別天地に得忘れず。翌春支那に行きしもかへつて病を得て帰りしかば其後こゝを見舞ふこと、今や思はずも此覚えある小路に来てうたゝ思ひ乱るゝに堪へず。ひそかに彼の別天地を思ひやるに、草いたづらに茂りて螽吾を待つらんかとも疑はれ、はた何者か吾に代りてかしこに寝ねたらんかと思ふに心猶穏ならず、漸く車向け直してもとの道をたどる。

26

童二人門の内より「人力人力」とわめく。

27

初めより少しづゝ痛みし腰の痛み今は堪へ難くなりぬ。手にて支えなどすれどかひなし。

28

わざと新しき道を右に取りて川ぞひに行く。向ふより来る女の童の十ばかりなるが、手拭を冠り左手には竹にて編みたる大きなる物を持ち、右手には小桶に鮒を入れたるを持ちたり。眼円くすゞしく、頻ふくやかにロしまりて、いと気高きさまはよの常の鄙育ちの兒とも見えず、殊に其さかしささへ眼の色に現れてなつかしさ限り無し。足にして立たば、彼童の後につきてひねもす魚捕るわざの伽にもなりなんと思ふ。せめては名だに聞かまほし。かよチヤンとは呼ばずや。

29

野道の回り角に肥溜ありて中に大きなる蛙七八つも浮きたり。たまたまきよツきよツと啼く声高くして道行く人を驚かす。斯る蛙を見る毎に不便に堪へず、助けやらましかば功徳にもならましと思ふにいつも志を果さず。肥溜なればせん方も無しとぞ人はいふめる。肥溜なればこそ救ひてやりたけれ。

30

焼場の前に出づ。昼なればにや煙ほそぼそと立つ。枳穀【枳殻:からたち】の垣につきて廻れば焼場の裏門より太鼓叩きておでん売の車あらはれたり。調和の悪き取合せ者なり。

31

諏訪神社の茶店に腰を休む。日傾き風俄に寒ければ興尽きて帰る。三年の月日を寝飽きたるわが褥も車に痛みたる腰を据うるに綿のさはりこよなくうれし。世にかひなき身よ。




■このファイルについて
標題:車上所見
著者:正岡子規
本文:「ほととぎす」 第二巻第十号 明治31年11月10日

○漢字は現行の字体にかえた。
○本文の仮名づかいは、原文通りとした。ただしファイル作成時に補ったふりがなは、【  】の中に入れ現代仮名づかいで示した。
○「子規全集(講談社)」では、段落の頭は一字分空けているが、「ほととぎす」掲載時は、一字分空けていない。その当時はこのような表記の仕方であったのであろう。里実文庫の表記法と一致していることでもあるので、「ほととぎす」の表記法をそのまま採用する。
○明らかに誤植と考えられる箇所は、「子規全集(講談社)」を参照して修正した。修正したものについては、〔 〕に入れて示した。 ○改段は、1行空けることで示した。
○繰り返し記号は、ひらがな一字の場合は「ゝ」、漢字一字の場合は「々」をそのまま用いた。ただし二字以上の場合は、反復記号は用いず同語反復で表記した。
○段落番号を追加した。

入力:里実福太朗
ファイル作成:里実工房
公開:2002年8月25日