月夜のでんしんばしら

　ある晩［ばん］、恭一［きやういち］はざうりをはいて、すたすた鉄道線路［てつだうせんろ］の横［よこ］の平［たひ］らなところをあるいて居［を］りました。
　たしかにこれは罰金［ばつきん］です。おまけにもし汽車［きしや］がきて、窓［まど］から長［なが］い棒［ばう］などがでてゐたら、一ペんになぐり殺［ころ］されてしまつたでせう。
　ところがその晩［ばん］は、線路［せんろ］見［み］まはりの工夫［こうふ］もこず、窓［まど］から棒［ばう］の出［で］た汽車［きしや］にもあひませんでした。そのかはり、どうもじつに変［へん］てこなものを見［み］たのです。
　九日［こゝのか］の月［つき］がそらにかゝつてゐました。そしてうろこ雲［ぐも］が空［そら］いつぱいでした。うろこぐもはみんな、もう月［つき］のひかりがはらわたの底［そこ］までもしみとほつてよろよろするといふふうでした。その雲［くも］のすきまからときどき冷［つめ］たい星［ほし］がぴつかりぴつかり顔［かほ］をだしました。
　恭一［きやういち］はすたすたあるいて、もう向［むか］ふに停車場［ていしやば］のあかりがきれいに見［み］えるとこまできました。ぽつんとしたまつ
赤［か］なあかりや、硫黄［いわう］のほのほのやうにぼうとした紫［むらさき］いろのあかりやらで、眼［め］をほそくしてみると、まるで大［おほ］きな
お城［しろ］があるやうにおもはれるのでした。
　とつぜん、右手［みぎて］のシグナルばしらが、がたんとからだをゆすぶつて、上［うへ］の白［しろ］い横木［よこぎ］を斜［なゝめ］に下［した］の方［はう］へぶらさげました。これはべつだん不思議［ふしぎ］でもなんでもありません。
　つまりシグナルがさがつたといふだけのことです。一晩［ひとばん］に十四回［じふしくわい］もあることなのです。
　ところがそのつぎが大［たい］へんです。
　さつきから線路［せんろ］の左［ひだり］がはで、ぐわあん、ぐわあんとうなつてゐたでんしんばしらの列［れつ］が大威張［おほゐば］りで一［いつ］ペんに北［きた］のはうへ歩［ある］きだしました。みんな六［む］つの瀬戸［せと］ものゝエポレツトを飾［かざ］り、てつぺんにはりがねの槍［やり］をつけた亜鉛［とたん］のしやつぽをかぶつて、片脚［かたあし］でひよいひよいやつて行［い］くのです。そしていかにも恭一［きやういち］をばかにしたやうに、じろじろ横［よこ］めでみて通［とほ］りすぎます。
　うなりもだんだん高［たか］くなつて、いまはいかにも昔［むかし］ふうの立派［りつぱ］な軍歌［ぐんか］に変［かは］つてしまひました。
　　　「ドツテテドツテテ、ドツテテド、
　　　　でんしんばしらのぐんたいは
　　　　はやさせかいにたぐひなし
　　　　ドツテテドツテテ、ドツテテド
　　　　でんしんばしらのぐんたいは
　　　　きりつせかいにならびなし。」
一｜本［ぽん］のでんしんばしらが、ことに肩［かた］をそびやかして、まるでうで木［ぎ］もがりがり鳴［な］るくらゐにして通［とほ］りました。
　みると向［むか］ふの方［はう］を、六｜本［ぽん］うで木［ぎ］の二十二の瀬戸［せと］ものゝエポレツトをつけたでんしんばしらの列［れつ］が、やはりいつしよに軍歌［ぐんか］をうたつて進［すゝ］んで行［い］きます。
　　　「ドツテテドツテテ、ドツテテド
　　　　二｜本［ほん］うで木［ぎ］の工兵隊［こうへいだい］
　　　　六本［はん］んうで木［ぎ］の龍騎兵［りうきへい］
　　　　ドツテテドツテテ、ドツテテド
　　　　いちれつ一｜万［まん］五｜千人［せんにん］
　　　　はりがねかたくむすびたり」
　どういふわけか、二｜本［ほん］のはしらがうで木［ぎ］を組［く］んで、びつこを引［ひ］いていつしよにやつてきました。そしていかにもつかれたやうにふらふら頭［あたま］をふつて、それから口［くち］をまげてふうと息［いき］を吐［つ］き、よろよろ倒［たふ］れさうになりました。
　するとすぐうしろから来［き］た元気［げんき］のいゝはしらがどなりました。
「おい、はやくあるけ。はりがねがたるむぢやないか。」
　ふたりはいかにも辛［つら］さうに、いつしよにこたへました。
「もうつかれてあるけない。あしさきが腐［くさ］り出［だ］したんだ。長靴［ながぐつ］のタールもなにももうめちやくちやになつてるんだ。」
　うしろのはしらはもどかしさうに叫［さけ］びました。
「はやくあるけ、あるけ。きさまらのうち、どつちかが参［まゐ］つても一｜万［まん］五｜千人［せんにん］みんな責任［せきにん］があるんだぞ。あるけつたら。」
　二人［ふたり］はしかたなくよろよろあるきだし、つぎからつぎとはしらがどんどんやつて来［き］ます。
　　　「ドツテテドツテテ、ドツテテド
　　　　やりをかざれるとたん帽［ばう］
　　　　すねははしらのごとくなり。
　　　　ドツテテドツテテ、ドツテテド
　　　　肩［かた］にかけたるエポレツト
　　　　重［おも］きつとめをしめすなり。」
　二人［ふたり］の影［かげ］ももうずうつと遠［とほ］くの緑青［ろくせう］いろの林［はやし］の方［はう］へ行［い］つてしまひ、月［つき］がうろこ雲［ぐも］からぱつと出［で］て、あたりはにはかに明［あか］るくなりました。
　でんしんばしらはもうみんな、非常［ひじやう］なご機嫌［きげん］です。恭一［きやういち］の前［まへ］に来［く］ると、わざと肩［かた］をそびやかしたり、横［よご］めでわらつたりして過［す］ぎるのでした。
　ところが愕［おど］ろいたことは、六｜本［ぽん］うで木［ぎ］のまた向［むか］ふに、三｜本［ぼん］うで木［ぎ］のまつ赤［か］なエポレツトをつけた兵隊［へいたい］があるいてゐることです。その軍歌［ぐんか］はどうも、ふしも歌［うた］もこつちの方［はう］とちがふやうでしたが、こつちの声［こゑ］があまり高［たか］いために、何［なん］をうたつてゐるのか聞［き］きとることができませんでした。こつちはあひかはらずどんどんやつて行きます。
　　　「ドツテテドツテテ、ドツテテド、
　　　　寒［さむ］さはだえをつんざくも
　　　　などで腕木［うでぎ］をおろすべき
　　　　ドツテテドツテテ、ドツテテド
　　　　暑［あつ］さ硫黄［いわう］をとかすとも
　　　　いかでおとさんエポレツト。
　どんどんどんどんやつて行［い］き、恭一［きやういち］は見［み］てゐるのさへ少［すこ］しつかれてぼんやりなりました。
　でんしんばしらは、まるで川［かは］の水［みづ］のやうに、次［つぎ］から次［つぎ］とやつて来［き］ます。みんな恭一［きやういち］のことを見［み］て行［ゆ］くのですけれども、恭一［きやういち］はもう頭［あたま］が痛［いた］くなつてだまつて下［した］を見［み］てゐました。
　俄［には］かに遠［とほ］くから軍歌［ぐんか］の声［こゑ］にまぢつて、「お一二、お一二、」といふしわがれた声［こゑ］がきこえてきました。恭一［きやういち］はびつくりしてまた顔［かほ］をあげてみますと、列［れつ］のよこをせいの低［ひく］い顔［かほ］の黄［き］いろなぢいさんがまるでぼろぼろの鼠［ねづみ］いろの外套［ぐわいたふ］を着［き］て、でんしんばしらの列［れつ］を見［み］まはしながら「お一二、お一二、」と号令［がうれい］をかけてやつてくるのでした。
　ぢいさんに見［み］られた柱［はしら］は、まるで木［き］のやうに堅［かた］くなつて、足［あし］をしやちほこばらせて、わきめもふらず進［すす］んで行［い］き、その変［へん］なぢいさんは、もう恭一［きやういち］のすぐ前［まへ］までやつてきました。そしてよこめでしばらく恭一［きやういち］を見［み］てから、でんしんばしらの方［はう］へ向［む］いて、
「なみ足［あし］い。おいつ。」と号令［がうれい］をかけました。
　そこででんしんばしらは少［すこ］し歩調［ほてう］を崩［くづ］して、やつぱり軍歌［ぐんか］を歌［うた］つて行［い］きました。
　　　「ドツテテドツテテ、ドツテテド、
　　　　右［みぎ］とひだりのサアべルは
　　　　たぐひもあらぬ細身［ほそみ］なり。」
　ぢいさんは恭一［きやういち］の前［まへ］にとまつて、からだをすこしかゞめました。
「今晩［こんばん］は、おまへはさつきから行軍［かうぐん］を見［み］てゐたのかい。」
「えゝ、見［み］てました。」
「さうか、ぢや仕方［しかた］ない。ともだちにならう、さあ、握手［あくしゆ］しやう。」
　ぢいさんはぼろぼろの外套［ぐわいたふ］の袖［そで］をはらつて、大［おは］きな黄［き］いろな手［て］をだしました。恭一［きやういち］もしかたなく手［て］を出［だ］しました。ぢいさんが「やつ、」と云つてその手［て］をつかみました。
　するとぢいさんの眼［め］だまから、虎［とら］のやうに青［あを］い火花［ひばな］がぱちぱちつとでたとおもふと、恭一［きやういち］はからだがぴりりつとしてあぶなくうしろへ倒［たふ］れさうになりました。
「ははあ、だいぶひびいたね、これでごく弱［よわ］いはうだよ。わしとも少［すこ］し強［つよ］く握手［あくしゆ］すればまあ黒焦［くろこ］げだね。」
　兵隊［へいたい］はやはりずんずん歩［ある］いて行［い］きます。
　　　「ドツテテドツテテ、ドツテテド、
　　　　タールを塗［ぬ］れるなが靴［くつ］の
　　　　歩［ほ］はばは三｜百［びやく］六｜十尺［じうしやく］。」
　恭一［きやういち］はすつかりこわくなつて、歯［は］ががちがち鳴［な］りました。ぢいさんはしばらく月［つき］や雲［くも］の工合［ぐあひ］をながめてゐましたが、あまり恭一［きやういち］が青［あを］くなつてがたがたふるえてゐるのを見［み］て、気［き］の毒［どく］になつたらしく、少［すこ］ししづかに斯［か］う云［い］ひました。
「おれは電気総長［でんきそうちやう］だよ。」
　恭一［きやういち］も少［すこ］し安心［あんしん］して
「電気総長［でんきそうちやう］といふのは、やはり電気［でんき］の一種［いつしゆ］ですか。」ときゝました。するとぢいさんはまたむつとしてしまひました。
「わからん子供［こども］だな。ただの電気［でんき］ではないさ。つまり、電気［でんき］のすべての長［ちやう］、長［ちやう］といふのはかしらとよむ。とりもなほきず電気［でんき］の大将［たいしやう］といふことだ。」
「大将［だいしやう］ならずゐぶんおもしろいでせう。」恭一［きやういち］がぼんやりたづねますと、ぢいさんは顔［かほ］をまるでめちやくちやにしてよろこびました。
「はつはつは、面白［おもしろ］いさ。それ、その工兵［こうくい］も、その竜騎兵［りうきへい］も、向［むか］ふのてき弾兵［たんべい］も、みんなおれの兵隊［へいたい］だからな。」
　ぢいさんはぷつとすまして、片［かた］つ方［ぽう］の頬［ほほ］をふくらせてそらを仰［あふ］ぎました。それからちやうど前［まへ］を通［とほ］つて行［い］く一｜本［ぽん］のでんしんばしらに、
「こらこら、なぜわき見［み］をするか。」とどなりました。するとそのはしらはまるで飛［と］びあがるぐらゐびつくりして、足［あし］がぐにやんとまがりあわてゝまつすぐを向［む］いてあるいて行［い］きました。次［つぎ］から次［つぎ］とどしどしはしらはやつて来［き］ます。
「有名［いうめい］なはなしをおまへは知［し］つてるだらう。そら、むすこが、エングランド、ロンドンにゐて、おやじがスコツトランド、カルクシャイヤにゐた。むすこがおやじに電報［でんぱう］をかけた、おれはちやんと手帳［てちやう］へ書［か］いておいたがね、」
　ぢいさんは手帳［てちやう］を出［だ］して、それから大［おほ］きなめがねを出［だ］してもつともらしく掛［か］けてから、また云［い］ひました。
「おまへは英語［えいご］はわかるかい、ね、センド、マイブーツ、インスタンテウリイすく長靴［ながくつ］送［おく］れとかうだらう、するとカルクシヤイヤのおやじめ、あわてくさつておれのでんしんのはりがねに長靴［ながぐつ］をぶらさけたよ。はつはつは、いや迷惑［めいわく］したよ。それから英国［えいこく］ばかりぢやない、十二｜月［ぐわつ］ころ兵営［へいえい］へ行［い］つてみると、おい、あかりをけしてこいと上等兵殿［じやうとうへいどの］に云［い］はれて新兵［しんペい］が電燈［でんたう］をふつふつと吹［ふ］いて消［け］さうとしてゐるのが毎年［まいねん］五｜人［にん］や六｜人［にん］はある。おれの兵隊［へいたい］にはそんなものは一人［ひとり］もないからな。おまへの町［まち］だつてさうだ、はじめて電燈［でんたう］がついたころはみんながよく、電気会社［でんきくわいしや］では月［つき］に百石［ひやくこく］ぐらゐ油［あぶら］をつかふだらうかなんて云［い］つたもんだ。はつはつは、どうだ、もつともそれはおれのやうに勢力不滅［せいりよくふめつ］の法則［はふそく］や熱力学第二則［ねつりきがくだいにそく］がわかるとあんまりおかしくもないがね、どうだ、ぼくの軍隊［ぐんたい］は規律［きりつ］がいゝだらう。軍歌［ぐんか］にもちやんとさう云［い］つてあるんだ。」
　でんしんばしらは、みんなまつすぐを向［む］いて、すまし込［こ］んで通［とほ］り過［す］ぎながら一［ひと］きわ声［こゑ］をはりあげて、
　　　「ドツテテドツテテ、ドツテテド
　　　　でんしんばしらのぐんたいの
　　　　その名［な］せかいにとゞろけり。」
と叫［さけ］びました。
　そのとき、線路［せんろ］の遠［とほ］くに、小［ちい］さな赤［あか］い二［ふた］つの火［ひ］が見［み］えました。するとぢいさんはまるであわてゝしまひました。
「あ、いかん、汽軍［きしや］がきた。誰［たれ］かに見附［みつ］かつたら大［たい］へんだ。もう進軍［しんぐん］をやめなくちやいかん。」
　ぢいさんは片手［かたて］を高［たか］くあげて、でんしんばしらの列［れつ］の方［はう］を向［む］いて叫［さけ］びました
「全軍［ぜんぐん］、かたまれい、おいつ。」
　でんしんばしらはみんな、ぴつたりとまつて、すつかりふだんのとほりになりました。軍歌［ぐんか］はただのぐわあんぐわあんといふうなりに変［かは］つてしまひました
　汽車［きしや］がごうとやつてきました。汽罐車［きくわんしや］の石炭［せきたん］はまつ赤［か］に燃［も］えて、そのまへで火夫［くわふ］は足［あし］をふんばつて、まつ黒［くろ］に立［た］つてゐました。
　ところが客車［きやしや］の窓［まど］がみんなまつくらでした。するとぢいさんがいきなり、
「おや、電燈［でんたう］が消［あ］えてるな。こいつはしまつた。けしからん。」と云［い］ひながらまるで兎［うさぎ］のやうにせ中［なか］をまんまるにして走［はし］つてゐる列車［れつしや］の下［した］へもぐり込［こ］みました
「あぶない。」と恭一［きやういち］がとめやうとしたとき、客車［きやくしや］の窓［まど］がぱつと明［あか］るくなつて、一人［ひとり］の小［ちい］さな子［こ］が手［て］をあげて
「あかるくなつた、わあい。」と叫［さけ］んで行［い］きました。
　でんしんばしらはしづかにうなり、シグナルはがたりとあがつて、月［つき］はまたうろこ雲［ぐも］のなかにはいりました。
　そして汽車［きしや］は、もう停車場［ていしやば］へ着［つ］いたやうでした。


■このファイルについて
標題：月夜のでんしんばしら
著者：宮澤賢治
本文：「注文の多い料理店」
発行：大正十三年十二月一日
販売元：杜陵出版部／東京光原社
　新選　名著復刻全集　近代文学館　　　昭和５１年４月１日　発行
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（第１４刷）

表記：原文の表記を尊重しつつ、以下のように扱います。
○誤字・脱字等は訂正せず、底本通りとしました。
○本文のかなづかいは、底本通りとしました。
○旧字体は、現行の新字体に替えました。だだし、新字体に替えなかった漢字もあります。新字体がない場合は、旧字体をそのまま用いました。
○繰り返し記号／＼は用いず、同語反復としました。

入力：今井安貴夫
ファイル作成：里実工房
公開：里実文庫　　２００５年１２月２８日