1 ある晩、恭一はざうりをはいて、すたすた鉄道線路の横の平らなところをあるいて居りました。
2 たしかにこれは罰金です。おまけにもし汽車がきて、窓から長い棒などがでてゐたら、一ペんになぐり殺されてしまつたでせう。
3 ところがその晩は、線路見まはりの工夫もこず、窓から棒の出た汽車にもあひませんでした。そのかはり、どうもじつに変てこなものを見たのです。
4 九日の月がそらにかゝつてゐました。そしてうろこ雲が空いつぱいでした。うろこぐもはみんな、もう月のひかりがはらわたの底までもしみとほつてよろよろするといふふうでした。その雲のすきまからときどき冷たい星がぴつかりぴつかり顔をだしました。
5 恭一はすたすたあるいて、もう向ふに停車場のあかりがきれいに見えるとこまできました。ぽつんとしたまつ 赤なあかりや、硫黄のほのほのやうにぼうとした紫いろのあかりやらで、眼をほそくしてみると、まるで大きな お城があるやうにおもはれるのでした。
6 とつぜん、右手のシグナルばしらが、がたんとからだをゆすぶつて、上の白い横木を斜に下の方へぶらさげました。これはべつだん不思議でもなんでもありません。
7 つまりシグナルがさがつたといふだけのことです。一晩に十四回もあることなのです。
8 ところがそのつぎが大へんです。
9 さつきから線路の左がはで、ぐわあん、ぐわあんとうなつてゐたでんしんばしらの列が大威張りで一ペんに北のはうへ歩きだしました。みんな六つの瀬戸ものゝエポレツトを飾り、てつぺんにはりがねの槍をつけた亜鉛のしやつぽをかぶつて、片脚でひよいひよいやつて行くのです。そしていかにも恭一をばかにしたやうに、じろじろ横めでみて通りすぎます。
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うなりもだんだん高くなつて、いまはいかにも昔ふうの立派な軍歌に変つてしまひました。
「ドツテテドツテテ、ドツテテド、
でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐひなし
ドツテテドツテテ、ドツテテド
でんしんばしらのぐんたいは
きりつせかいにならびなし。」
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一本のでんしんばしらが、ことに肩をそびやかして、まるでうで木もがりがり鳴るくらゐにして通りました。
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みると向ふの方を、六 「ドツテテドツテテ、ドツテテド
二 六本んうで木の龍騎兵
ドツテテドツテテ、ドツテテド
いちれつ一 はりがねかたくむすびたり」
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どういふわけか、二 14
するとすぐうしろから来た元気のいゝはしらがどなりました。
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ふたりはいかにも辛さうに、いつしよにこたへました。
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うしろのはしらはもどかしさうに叫びました。
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二人はしかたなくよろよろあるきだし、つぎからつぎとはしらがどんどんやつて来ます。
「ドツテテドツテテ、ドツテテド
やりをかざれるとたん帽
すねははしらのごとくなり。
ドツテテドツテテ、ドツテテド
肩にかけたるエポレツト
重きつとめをしめすなり。」
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二人の影ももうずうつと遠くの緑青いろの林の方へ行つてしまひ、月がうろこ雲からぱつと出て、あたりはにはかに明るくなりました。
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でんしんばしらはもうみんな、非常なご機嫌です。恭一の前に来ると、わざと肩をそびやかしたり、横めでわらつたりして過ぎるのでした。
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ところが愕ろいたことは、六 「ドツテテドツテテ、ドツテテド、
寒さはだえをつんざくも
などで腕木をおろすべき
ドツテテドツテテ、ドツテテド
暑さ硫黄をとかすとも
いかでおとさんエポレツト。
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どんどんどんどんやつて行き、恭一は見てゐるのさへ少しつかれてぼんやりなりました。
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でんしんばしらは、まるで川の水のやうに、次から次とやつて来ます。みんな恭一のことを見て行くのですけれども、恭一はもう頭が痛くなつてだまつて下を見てゐました。
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俄かに遠くから軍歌の声にまぢつて、「お一二、お一二、」といふしわがれた声がきこえてきました。恭一はびつくりしてまた顔をあげてみますと、列のよこをせいの低い顔の黄いろなぢいさんがまるでぼろぼろの鼠いろの外套を着て、でんしんばしらの列を見まはしながら「お一二、お一二、」と号令をかけてやつてくるのでした。
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ぢいさんに見られた柱は、まるで木のやうに堅くなつて、足をしやちほこばらせて、わきめもふらず進んで行き、その変なぢいさんは、もう恭一のすぐ前までやつてきました。そしてよこめでしばらく恭一を見てから、でんしんばしらの方へ向いて、
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そこででんしんばしらは少し歩調を崩して、やつぱり軍歌を歌つて行きました。
「ドツテテドツテテ、ドツテテド、
右とひだりのサアべルは
たぐひもあらぬ細身なり。」
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ぢいさんは恭一の前にとまつて、からだをすこしかゞめました。
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ぢいさんはぼろぼろの外套の袖をはらつて、大きな黄いろな手をだしました。恭一もしかたなく手を出しました。ぢいさんが「やつ、」と云つてその手をつかみました。
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するとぢいさんの眼だまから、虎のやうに青い火花がぱちぱちつとでたとおもふと、恭一はからだがぴりりつとしてあぶなくうしろへ倒れさうになりました。
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兵隊はやはりずんずん歩いて行きます。
「ドツテテドツテテ、ドツテテド、
タールを塗れるなが靴の
歩はばは三 30
恭一はすつかりこわくなつて、歯ががちがち鳴りました。ぢいさんはしばらく月や雲の工合をながめてゐましたが、あまり恭一が青くなつてがたがたふるえてゐるのを見て、気の毒になつたらしく、少ししづかに斯う云ひました。
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恭一も少し安心して
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ぢいさんはぷつとすまして、片つ方の頬をふくらせてそらを仰ぎました。それからちやうど前を通つて行く一 33
ぢいさんは手帳を出して、それから大きなめがねを出してもつともらしく掛けてから、また云ひました。
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でんしんばしらは、みんなまつすぐを向いて、すまし込んで通り過ぎながら一きわ声をはりあげて、
「ドツテテドツテテ、ドツテテド
でんしんばしらのぐんたいの
その名せかいにとゞろけり。」
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そのとき、線路の遠くに、小さな赤い二つの火が見えました。するとぢいさんはまるであわてゝしまひました。
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ぢいさんは片手を高くあげて、でんしんばしらの列の方を向いて叫びました
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でんしんばしらはみんな、ぴつたりとまつて、すつかりふだんのとほりになりました。軍歌はただのぐわあんぐわあんといふうなりに変つてしまひました
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汽車がごうとやつてきました。汽罐車の石炭はまつ赤に燃えて、そのまへで火夫は足をふんばつて、まつ黒に立つてゐました。
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ところが客車の窓がみんなまつくらでした。するとぢいさんがいきなり、
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でんしんばしらはしづかにうなり、シグナルはがたりとあがつて、月はまたうろこ雲のなかにはいりました。
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そして汽車は、もう停車場へ着いたやうでした。
■このファイルについて 新選 名著復刻全集 近代文学館 昭和51年4月1日 発行 (第14刷)
○誤字・脱字等と思われる箇所は訂正せず、底本通りとしました。
入力:今井安貴夫 2005年12月28日
「おい、はやくあるけ。はりがねがたるむぢやないか。」
「もうつかれてあるけない。あしさきが腐り出したんだ。長靴のタールもなにももうめちやくちやになつてるんだ。」
「はやくあるけ、あるけ。きさまらのうち、どつちかが参つても一
「なみ足い。おいつ。」と号令をかけました。
「今晩は、おまへはさつきから行軍を見てゐたのかい。」
「えゝ、見てました。」
「さうか、ぢや仕方ない。ともだちにならう、さあ、握手しやう。」
「ははあ、だいぶひびいたね、これでごく弱いはうだよ。わしとも少し強く握手すればまあ黒焦げだね。」
「おれは電気総長だよ。」
「電気総長といふのは、やはり電気の一種ですか。」ときゝました。するとぢいさんはまたむつとしてしまひました。
「わからん子供だな。ただの電気ではないさ。つまり、電気のすべての長、長といふのはかしらとよむ。とりもなほきず電気の大将といふことだ。」
「大将ならずゐぶんおもしろいでせう。」恭一がぼんやりたづねますと、ぢいさんは顔をまるでめちやくちやにしてよろこびました。
「はつはつは、面白いさ。それ、その工兵も、その竜騎兵も、向ふのてき弾兵も、みんなおれの兵隊だからな。」
「こらこら、なぜわき見をするか。」とどなりました。するとそのはしらはまるで飛びあがるぐらゐびつくりして、足がぐにやんとまがりあわてゝまつすぐを向いてあるいて行きました。次から次とどしどしはしらはやつて来ます。
「有名なはなしをおまへは知つてるだらう。そら、むすこが、エングランド、ロンドンにゐて、おやじがスコツトランド、カルクシャイヤにゐた。むすこがおやじに電報をかけた、おれはちやんと手帳へ書いておいたがね、」
「おまへは英語はわかるかい、ね、センド、マイブーツ、インスタンテウリイすく長靴送れとかうだらう、するとカルクシヤイヤのおやじめ、あわてくさつておれのでんしんのはりがねに長靴をぶらさけたよ。はつはつは、いや迷惑したよ。それから英国ばかりぢやない、十二
「あ、いかん、汽軍がきた。誰かに見附かつたら大へんだ。もう進軍をやめなくちやいかん。」
「全軍、かたまれい、おいつ。」
「おや、電燈が消えてるな。こいつはしまつた。けしからん。」と云ひながらまるで兎のやうにせ中をまんまるにして走つてゐる列車の下へもぐり込みました
「あぶない。」と恭一がとめやうとしたとき、客車の窓がぱつと明るくなつて、一人の小さな子が手をあげて
「あかるくなつた、わあい。」と叫んで行きました。
標題:月夜のでんしんばしら
著者:宮澤賢治
本文:「注文の多い料理店」
表記:原文の表記を尊重しつつ、Webでの読みやすさを考慮して、以下のように扱います。
○本文のかなづかいは、底本通りとしました。
○旧字体は、現行の新字体に替えました。だだし、新字体に替えなかった漢字もあります。新字体がない場合は、旧字体をそのまま用いました。
○段落番号を追加しました。
○行間処理(行間200%)を行いました。
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公開:里実文庫