かしはばやしの夜  清作[せいさく]は、さあ日暮[ひぐ]れだぞ、日暮[ひぐ]れだぞと云[い]ひながら、稗[ひえ]の根[ね]もとにせっせと土[つち]をかけてゐました。  そのときはもう、銅[あかゞね]づくりのお日[ひ]さまが、南[みなみ]の山裾[やますそ]の群青[ぐんじやう]いろをしたとこに落[お]ちて、野[の]はらはへんにさびしくなり、白樺[しらかば]の幹[みき]などもなにか粉[こな]を噴[ふ]いてゐるやうでした。  いきなり、向[むか]ふの柏[かしは]ばやしの方[はう]から、まるで調子[ちやうし]はづれの途方[とほう]もない変[へん]な声[こゑ]で、 「欝金[うこん]しやっぽのカンカラカンのカアン。」とどなるのがきこえました。  清作[せいさく]はびつくりして顔[かほ]いろを変[か]へ、鍬[くわ]をなげすてゝ、足音[あしおと]をたてないやうに、そつとそつちへ走[はし]つて行[ゆ]きました。  ちやうどかしはばやしの前[まへ]まで来[き]たとき、清作[せいさく]はふいに、うしろからえり首[くび]をつかれました。  びつくりして振[ふ]りむいてみますと、赤[あか]いトルコ帽[ばう]をかぶり、鼠[ねづみ]いろのへんなだぶだぶの着[き]ものを着[き]て、靴[くつ]をはいた無暗[むやみ]にせいの高[たか]い眼[め]のするどい画[ゑ]かきが、ぶんぶん怒[おこ]つて立[た]つてゐました。 「何[なん]といふざまをしてあるくんだ。まるで這[は]ふやうなあんばいだ。鼠[ねづみ]のやうだ。どうだ、弁解[べんかい]のことばがあるか。」  清作[せいさく]はもちろん弁解[べんかい]のことばなどはありませんでしたし、面倒臭[めんだうくさ]くなつたら喧嘩[けんくわ]してやらうとおもつて、いきなり空[そら]を向[む]いて咽喉[のど]いつぱい、 「赤[あか]いしやつぽのカンカラカンのカアン。」とどなりました。するとそのせ高[たか]の画[ゑ]かきは、にはかに清作[せいさく]の首[くび]すぢを放[はな]して、まるで咆[ほ]えるやうな声[こゑ]で笑[わら]ひだしました。その音[おと]は林[はやし]にこんこんひゞいたのです。 「うまい、じつにうまい。どうです、すこし林[はやし]のなかをあるかうぢやありませんか。さうさう、どちらもまだ挨拶[あいさつ]を忘[わす]れてゐた。ぼくからさきにやらう。いゝか、いや今晩[こんばん]は、野[の]はらには小[ちい]さく切[き]つた影法師[かげばふし]がばら播[ま]きですね、と。ぼくのあいさつはかうだ。わかるかい。こんどは君[きみ]だよ。えへん、えへん。」と云[い]ひながら画[ゑ]かきはまた急[きう]に意地悪[いぢわる]い顔[かほ]つきになつて、斜[なな]めに上[うへ]の方[はう]から軽[けい]べつしたやうに清作[せいさく]を見[み]おろしました。  清作[せいさく]はすつかりどぎまぎしましたが、ちやうど夕[ゆう]がたでおなかが空[す]いて、雲[くも]が団子[だんご]のやうに見[み]えてゐましたからあわてゝ、 「えつ、今晩[こんばん]は。よいお晩[ばん]でございます。えつ。お空[そら]はこれから銀[ぎん]のきな粉[こ]でまぶされます。ごめんなさい。」  と言ひました。  ところが画[ゑ]かきはもうすつかりよろこんで、手[て]をぱちぱち叩[たゝ]いて、それからはねあがつて言[い]ひました。 「おい君[きみ]、行[い]かう。林[はやし]へ行[い]かう。おれは柏[かしは]の木[き]大王[だいわう]のお客[きやく]さまになつて来[き]てゐるんだ。おもしろいものを見[み]せてやるぞ。」  画[ゑ]かきはにはかにまじめになつて、赤[あか]だの白[しろ]だのぐちやぐちやついた汚[きた]ない絵[ゑ]の具箱[ぐばこ]をかついで、さつさと林[はやし]の中[なか]にはいりました。そこで清作[せいさく]も、鍬[くわ]をもたないで手[て]がひまなので、ぶらぶら振[ふ]つてついて行[い]きました。  林[はやし]のなかは浅黄[あさぎ]いろで、肉桂[にくけい]のやうなにほひがいつぱいでした。ところが人口[いりぐち]から三|本目[ぼんめ]の若[わか]い柏[かしは]の木[き]は、ちやうど片脚をあげてをどりのまねをはじめるところでしたが二人[ふたり]の来[き]たのを見[み]てまるでびつくりして、それからひどくはづかしがつて、あげた片脚[かたあし]の膝[ひざ]を、間[ま]がわるさうにべろべろ嘗[な]めながら、横目[よこめ]でぢつと二人[ふたり]の通[とほ]りすぎるのをみてゐました。殊[こと]に清作[せいさく]が通[とほ]り過[す]ぎるときは、ちよつとあざ笑[わら]ひました。清作[せいさく]はどうも仕方[しかた]ないといふやうな気[き]がしてだまつて画[ゑ]かきについて行[い]きました。  ところがどうも、どの木きも画[ゑ]かきには機嫌[きげん]のいゝ顔[かほ]をしますが、清作[せいさく]にはいやな顔[かほ]を見[み]せるのでした。  一本[いつぽん]のごつごつした柏[かしはの木き]が、清作[せいさく]の通[とほ]るとき、うすくらがりに、いきなり自分[じぶん]の脚[あし]をつき出[だ]して、つまづかせやうとしましたが清作[せいさく]は、 「よつとしよ。」と云[い]ひながらそれをはね越[こ]えました。  画[ゑ]かきは、 「どうかしたかい。」といつてちよつとふり向[む]きましたが、またすぐ向[むか]ふを向[む]いてどんどんあるいて行きました。  ちやうどそのとき風[かぜ]が来[き]ましたので、林中[はやしぢう]の柏[かしは]の木[き]はいつしよに、 「せらせらせら清作[せいさく]、せらせらせらばあ。」とうす気味[きみ]のわるい声[こゑ]を出[だ]して清作[せいさく]をおどさうとしました。  ところが清作[せいさく]は却[かへ]つてじぶんで口[くち]をすてきに大[おほ]きくして横[よこ]の方[はう]へまげて 「へらへらへら清作[せいさく]、へらへらへら、ばばあ。」とどなりつけましたので、柏[かしは]の木[き]はみんな度[ど]ぎもをぬかれてしいんとなつてしまひました。画[ゑ]かきはあつはゝ、あつはゝとびつこのやうな笑[わら]ひかたをしました。  そして二人[ふたり]はずうつと木[き]の間[あひだ]を通[とほ]つて、柏[かしは]の木[き]大王[だいわう]のところに来[き]ました。  大王[だいわう]は大小[だいしやう]とりまぜて十九本[じふくほん]の手[て]と、一|本[ぽん]の太[ふと]い脚[あし]とをもつて居[を]りました。まはりにはしつかりしたけらいの柏[かしは]どもが、まじめにたくさんがんばつてゐます。  画[ゑ]かきは絵[ゑ]の具[ぐ]ばこをカタンとおろしました。すると大王[だいわう]はまがつた腰[こし]をのばして、低[ひく]い声[こゑ]で画[ゑ]かきに云[い]ひました。 「もうお帰[かへ]りかの。待[ま]つてましたぢや。そちらは新[あた]らしい客人[きやくじん]ぢやな。が、その人[ひと]はよしなされ。前科者[ぜんくわもの]ぢやぞ。前科[ぜんくわ]九十八犯[くじふはつぱん]ぢやぞ。」  清作[せいさく]が怒[おこ]つてどなりました。 「うそをつけ、前科者[ぜんくわもの]だと。おら正直[しやうぢき]だぞ。」  大王[だいわう]もごつごつの胸[むね]を張[は]つて怒[おこ]りました。 「なにを。証拠[しやうこ]はちやんとあるぢや。また帳面[ちやうめん]にも載[の]つとるぢや。貴[き]さまの悪[わる]い斧[をの]のあとのついた九十八[くじふはち]の足[あし]さきがいまでもこの林[はやし]の中[なか]にちやんと残[のこ]つてゐるぢや。」 「あつはつは。おかしなはなしだ。九十八[くじふはち]の足[あし]さきといふのは、九十八[くじふはち]の切株[きりかぶ]だらう。それがどうしたといふんだ。おれはちやんと、山主[やまぬし]の藤助[とうすけ]に酒[さけ]を二|升買[しやうか]つてあるんだ。」 「そんならおれにはなぜ酒[さけ]を買[か]はんか。」 「買[か]ふいはれがない」 「いや、ある、沢山[たくさん]ある。買[か]へ」 「買[か]ふいはれがない」  画[ゑ]かきは顔[かほ]をしかめて、しよんぼり立[た]つてこの喧嘩[けんくわ]をきいてゐましたがこのとき、俄[には]かに林[はやし]の木[き]の間[あひだ]から、東[ひがし]の方[はう]を指[さ]さして叫[さけ]びました。 「おいおい、喧嘩[けんくわ]はよせ。まん円[まる]い大将[たいしやう]に笑[わら]はれるぞ。」  見[み]ると東[ひがし]のとつぷりとした青[あを]い山脈[さんみやく]の上[うへ]に、大[おほ]きなやさしい桃[もゝ]いろの月[つき]がのぼつたのでした。お月[つき]さまのちかくはうすい緑[みどり]いろになつて、柏[かしは]の若[わか]い木[き]はみな、まるで飛[と]びあがるやうに両手[りやうて]をそつちへ出[だ]して叫[さけ]びました。 「おつきさん、おつきさん、おつつきさん、  ついお見外[みそ]れして すみません  あんまりおなりが ちがふので  ついお見外[みそ]れして すみません。」  柏[かしは]の木[き]大王[だいわう]も白[しろ]いひげをひねつて、しばらくうむうむと云[い]ひながら、ぢつとお月[つき]さまを眺[なが]めてから、しづかに歌[うた]ひだしました。 「こよひあなたは ときいろの  むかしのきもの つけなさる  かしはばやしの このよひは  なつのをどりの だいさんや  やがてあなたは みづいろの  けふのきものを つけなさる  かしはばやしの よろこびは  あなたのそらに かゝるまゝ。」  画[ゑ]かきがよろこんで手[て]を叩[たゝ]きました。 「うまいうまい。よしよし。夏[なつ]のをどりの第三夜[だいさんや]。みんな順々[じゆんじゆん]にこゝに出[で]て歌[うた]ふんだ。じぶんの文句[もんく]でじぶんのふしで歌[うた]ふんだ。一|等賞[とうしやう]から九|等賞[とうしやう]まではぼくが大[おほ]きなメタルを書[か]いて、明日[あした]枝[えだ]にぶらさげてやる。」  清作[せいさく]もすつかり浮[う]かれて云[い]ひました。 「さあ来[こ]い。へたな方[はう]の一|等[とう]から九|等[とう]までは、あしたおれがスポンと切[き]つて、こわいとこへ連[つ]れてつてやるぞ。」  すると柏[かしは]の木[き]大王[だいわう]が怒[おこ]りました。 「何[なに]を云[い]ふか。無礼者[ぶれいもの]。」 「何[なに]が無礼[ぶれい]だ。もう九本切[くほんき]るだけは、とうに山主[やまぬし]の藤助[とうすけ]に酒[さけ]を買[か]つてあるんだ。」 「そんならおれにはなぜ買[か]はんか。」 「買[か]ふいはれがない。」 「いやある、沢山[たくさん]ある。」 「ない。」  画[ゑ]かきが顔[かほ]をしかめて手[て]をせわしく振[ふ]つて云[い]ひました。 「またはじまつた。まあぼくがいゝやうにするから歌[うた]をはじめやう。だんだん星[ほし]も出[で]てきた。いゝか、ぼくがうたふよ。賞品[しやうひん]のうただよ。  一とうしやうは 白金[はくきん]メタル  二とうしやうは きんいろメタル  三とうしやうは すゐぎんメタル  四とうしやうは ニッケルメタル  五とうしやうは とたんのメタル  六とうしやうは にせがねメタル  七とうしやうは なまりのメタル  八とうしやうは ぶりきのメタル  九とうしやうは マッチのメタル  十とうしやうから百とうしやうまで  あるやらないやらわからぬメタル。」  柏[かしは]の木[き]大王[だいわう]が機嫌[きげん]を直[なほ]してわははわははと笑[わら]ひました。  柏[かしは]の木[き]どもは大王[だいわう]を正面[しやうめん]に大[おほ]きな環[わ]をつくりました。  お月[つき]さまは、いまちやうど、水[みづ]いろの着[き]ものと取[と]りかへたところでしたから、そこらは浅[あさ]い水[みづ]の底[そこ]のやう、木[き]のかげはうすく綱[あみ]になつて地[ち]に落[お]ちました。  画[ゑ]かきは、赤[あか]いしやつぽもゆらゆら燃[も]えて見[み]え、まつすぐに立[た]つて手帳[てちやう]をもち鉛筆[えんぴつ]をなめました。 「さあ、早[はや]くはじめるんだ、早[はや]いのは点[てん]がいゝよ。」  そこで小[ちい]さな柏[かしは]の木[き]が、一|本[ぽん]ひよいつと環[わ]のなかから飛[と]びだして大王[だいわう]に礼[れい]をしました。  月[つき]のあかりがぱつと青[あを]くなりました。 「おまへのうたは題[だい]はなんだ。」画[ゑ]かきは尤[もつと]もらしく顔[かほ]をしかめて云[い]ひました。 「馬[うま]と兎[うさ]です。」 「よし、はじめ、」画[ゑ]かきは手帳[てちやう]に書[か]いて云[い]ひました。 「兎[うさぎ]のみゝはなが……。」 「ちよつと待[ま]つた。」画[ゑ]かきはとめました。「鉛筆[えんぴつ]が折[お]れたんだ。ちよつと削[けづ]るうち待[ま]つてくれ。」  そして画[ゑ]かきはじぶんの右足[みぎあし]の靴[くつ]をぬいでその中[なか]に鉛筆[えんぴつ]を削[けづ]りはじめました。柏[かしは]の木[き]は、遠[とほ]くからみな感心[かんしん]して、ひそひそ談[はな]し合[あ]ひながら見[み]て居[を]りました。そこで大王[だいわう]もたうたう言[い]ひました。 「いや、客人[きやくじん]、ありがたう。林[はやし]をきたなくせまいとの、そのおこゝろざしはじつに辱[かたじ]けない。」  ところが画[ゑ]かきは平気[へいき]で。」 「いゝえ、あとでこのけづり屑[けづ]で酢[す]をつくりますからな。」  と返事[へんじ]したものですからさすがの大王[だいわう]も、すこし工合[ぐあひ]が悪[わる]さうに横[よこ]を向[む]き、柏[かしは]の木[き]もみな興[きやう]をさまし、月[つき]のあかりもなんだか白[しろ]つぽくなりました。  ところが画[ゑ]かきは、削[けづ]るのがすんで立[た]ちあがり、愉快[ゆくわい]さうに、 「さあ、はじめて呉[く]れ。」と云[い]ひました。  柏[かしは]はざわめき、月光[げつくわう]も青[あを]くすきとほり、大王[だいわう]も機嫌[きげん]を直[なほ]してふんふんと云[い]ひました、  若[わか]い木[き]は胸[むね]をはつてあたらしく歌[うた]ひました。 「うさぎのみゝはながいけど  うまのみゝよりながくない。」 「わあ、うまいうまい。あゝはゝ、あゝはゝ。」みんなはわらつたりはやしたりしました。 「一とうしやう、白金[はくきん]メタル。」と画[ゑ]かきが手帳[てちやう]につけながら高[たか]く叫[さけ]びました。 「ぼくのは狐[きつね]のうたです。」  また一|本[ぽん]の若[わか]い柏[かしは]の木[き]がでてきました。月光[げつくわう]はすこし緑[みどり]いろになりました。 「よろしいはじめつ。」 「きつね、こんこん、きつねのこ、  月[つき]よにしつぽが燃[も]えだした。」 「わあ、うまいうまい。わつはゝ、わつはゝ。」 「第[だい]二とうしやう、きんいろメタル。」 「こんどはぼくやります。ぼくのは猫[ねこ]のうたです。」 「よろしいはじめつ。」 「やまねこ、にやあご、ごろごろ  さとねこ、たつこ、ごろごろ。」 「わあ、うまいうまい。わつはゝ、わつはゝ。」 「第[だい]三とうしやう、水銀[すゐぎん]メタル。おい、みんな、大[おほ]きいやつも出[で]るんだよ。どうしてそんなにぐずぐずしてるんだ。」画[ゑ]かきが少[すこ]し意地[いぢ]わるい顔[かほ]つきをしました。 「わたしのはくるみの木[き]のうたです。」  すこし大[おほ]きな柏[かしは]の木[き]がはづかしさうに出[で]てきました。 「よろしい、みんなしづかにするんだ。」  柏[かしは]の木[き]はうたひました。 「くるみはみどりのきんいろ、な、  風[かぜ]にふかれて  すいすいすい、  くるみはみどりの天狗[てんぐ]のあふぎ、  風[かぜ]にふかれて  ばらんばらんばらん、  くるみはみどりのきんいろ、な、  風[かぜ]にふかれて  さんさんさん。」 「いゝテノールだねえ。うまいねえ、わあわあ。」 「第四[だいし]とうしやう、ニッケルメタル。」 「ぼくのはさるのこしかけです。」 「よし、はじめ。」  柏[かしは]の木[き]は手[て]を腰[こし]にあてました。 「こざる、こざる、  おまへのこしかけぬれてるぞ、  霧[きり]、ぼつしやん ぼつしやん ぼつしやん、  おまへのこしかけくされるぞ。」 「いゝテノールだねえ、いゝテノールだねえ、うまいねえ、うまいねえ、わあわあ。」 「第五[だいご]とうしやう、とたんのメタル。」 「わたしのはしやつぽのうたです。」それはあの入口[いりくち]から三ばん目[め]の木[き]でした。 「よろしい。はじめ。」 「うこんしやつぽのカンカラカンのカアン  あかいしやつぽのカンカラカンのカアン。」 「うまいうまい。すてきだ。わあわあ。」 「第六[だいろく]とうしやう、にせがねメタル。」  このときまで、しかたなくをとなしくきいてゐた清作[せいさく]が、いきなり叫[さけ]びだしました。 「なんだ、この歌[うた]にせものだぞ。さつきひとのうたつたのまねしたんだぞ。」 「だまれ、無礼[ぶれい]もの、その方[はう]などの口[くち]を出[だ]すところでない。」柏[かしは]の木[き]大王[だいわう]がぶりぶりしてどなりました。 「なんだと、にせものだからにせものと云つたんだ。生意気[なまいき]いふと、あした斧[をの]をもつてきて、片[かた]つぱしから伐[き]つてしまふぞ。」 「なにを、こしやくな。その方[はう]などの分際[ぞんざい]でない。」 「ばかを云[い]へ、おれはあした、山主[やまぬし]の藤助[とうすけ]にちやんと二|升酒[しやうさけ]を買[か]つてくるんだ」 「そんならなぜおれには買[か]はんか。」 「買[か]ふいはれがない。」 「買[か]へ。」 「いはれがない。」 「よせ、よせ、にせものだからにせがねのメタルをやるんだ。あんまりさう喧嘩[けんくわ]するなよ。さあ、そのつぎはどうだ。出[で]るんだ出[で]るんだ。」  お月[つき]さまの光[ひかり]が青[あを]くすきとほつてそこらは湖[みづうみ]の底[そこ]のやうになりました。 「わたしのは清作[せいさく]のうたです。」  またひとりの若[わか]い頑丈[がんじやう]さうな柏[かしは]の木[き]が出[で]ました。 「何[なん]だと、」清作[せいさく]が前[まへ]へ出[で]てなぐりつけやうとしましたら画[ゑ]かきがとめました。 「まあ、待[ま]ちたまへ。君[きみ]のうただつて悪口[わるぐち]ともかぎらない。よろしい。はじめ。」柏[かしは]の木[き]は足[あし]をぐらぐらしながらうたひました。 「清作[せいさく]は、一等卒[いつとうそつ]の服[ふく]を着[き]て  野原[のはら]に行[い]つて、ぶだうをたくさんとつてきた。  と斯[か]うだ。だれかあとをつゞけてくれ。」 「ホウ、ホウ。」柏[かしは]の木[き]はみんなあらしのやうに、清作[せいさく]をひやかして叫[さけ]びました。 「第七[だいしち]とうしやう、なまりのメタル。」 「わたしがあとをつけます。」さつきの木[き]のとなりからすぐまた一本[いつぽん]の柏[かしは]の木[き]がとびだしました。 「よろしい、はじめ。」  かしはの木[き]はちらつと清作[せいさく]の方[はう]を見[み]て、ちよつとばかにするやうにわらひましたが、すぐまじめになつてうたひました。 「清作[せいさく]は、葡萄[ぶだう]をみんなしぼりあげ  砂糖[さとう]を入[い]れて  瓶[びん]にたくさんつめこんだ。   おい、だれかあとをつゞけてくれ。」 「ホツホウ、ホツホウ、ホツホウ、」柏[かしは]の木[き]どもは風[かぜ]のやうな変[へん]な声[こゑ]をだして清作[せいさく]をひやかしました。  清作[せいさく]はもうとびだしてみんなかたつぱしからぶんなぐつてやりたくてむずむずしましたが、画[ゑ]かきがちやんと前[まへ]へ立[た]ちふさがつてゐますので、どうしても出[で]られませんでした。 「第八等[だいはつとう]、ぶりきのメタル。」 「わたしがつぎをやります。」さつきのとなりから、また一本[いつぽん]の柏[かしは]の木[き]がとびだしました。 「よし、はじめつ。」 「清作[せいさく]が 納屋[なや]にしまつた葡萄酒[ぶだうしゆ]は  順序[じゆんじよ]たゞしく  みんなはじけてなくなつた。」 「わつはつはつは、わつはつはつは、ホツホウ、ホツホウ、ホツホウ。がやがやがや……。」 「やかましい。きさまら、なんだつてひとの酒[さけ]のことなどおぼえてやがるんだ。」清作[せいさく]が飛[と]び出[だ]さうとしましたら、画[ゑ]かきにしつかりつかまりました。 「第九[だいく]とうしやう。マッチのメタル。さあ、次[つぎ]だ、次[つぎ]だ、出[で]るんだよ。どしどし出[で]るんだ。」  ところがみんなは、もうしんとしてしまつて、ひとりもでるものがありませんでした。 「これはいかん。でろ、でろ、みんなでないといかん。でろ。」画[ゑ]かきはどなりましたが、もうどうしても誰[たれ]も出[で]ませんでした。  仕方[しかた]なく画[ゑ]かきは、 「こんどはメタルのうんといゝやつを出[だ]すぞ。早[はや]く出[で]ろ。」と云[い]ひましたら、柏[かしは]の木[き]どもははじめてざわつとし ました。  そのとき林[はやし]の奥[おく]の方[はう]で、さらさらさらさら音[おと]がして、それから、 「のろづきおほん、のろづきおほん、  おほん、おほん、  ごぎのごぎのおほん、  おほん、おほん、」とたくさんのふくらふどもが、お月[つき]さまのあかりに青[あを]じろくはねをひるがへしながら、するするするする出[で]てきて、柏[かしは]の木[き]の頭[あたま]の上[うへ]や手[て]の上[うへ]、肩[かた]やむねにいちめんにとまりました。  立派[りつぱ]な金[きん]モールをつけたふくらふの大将[たいしやう]が、上手[じやうづ]に音[おと]もたてないで飛[と]んできて、柏[かしは]の木[き]大王[だいわう]の前[まへ]に出ました。そのまつ赤[か]な眼[め]のくまが、じつに奇体[きたい]に見[み]えました。よほど年老[としよ]りらしいのでした。 「今晩[こんばん]は、大王[だいわう]どの、また高貴[かうき]の客人[きやくじん]がた、今晩[こんばん]はちやうどわれわれの方[はう]でも、飛[と]び方[かた]と握[つか]み裂[さ]き術[じゆつ]との大試験[だいくけん]であつたのぢやが、たゞいまやつと終[おは]りましたぢや。  ついてはこれから聯合[れんがふ]で、大乱舞会[だいらんぶくわい]をはじめてはどうぢやらう。あまりにもたえなるうたのしらべが、わられのまどひのなかにまで響[ひゞ]いて来[き]たによつて、このやうにまかり出[で]ましたのぢや。」「たえなるうたのしらべだと、畜生[ちくしやう]。」清作[せいさく]が叫[さけ]びました。  柏[かしは]の木[き]大王[だいわう]がきこえないふりをして大[おほ]きくうなづきました。 「よろしうござる。しごく結構[けつこう]でござらう。いざ、早速[さつそく]とりはじめるといたさうか。」 「されば、」梟[ふくろふ]の大将[だいしやう]はみんなの方[はう]に向[む]いてまるで黒砂糖[くろさとう]のやうな甘[あま]つたるい声[こゑ]でうたひました。 「からすかんざゑもんは  くろいあたまをくうらりくらり、  とんびとうざゑもんは  あぶら一升[しやう]でとうろりとろり、  そのくらやみはふくろふの  いさみにいさむものゝふが  みゝづをつかむときなるぞ  ねとりを襲[おそ]ふときなるぞ。」  ふくらうどもはもうみんなばかのやうになつてどなりました。 「のろづきおほん、  おほん、おほん、  ごぎのごぎおほん、  おほん、おほん。」  かしはの木[き]大王[だいわう]が眉[まゆ]をひそめて云[い]ひました。 「どうもきみたちのうたは下等[かとう]ぢや。君子[くんし]のきくべきものではない。」ふくろふの大将[たいしやう]はへんな顔[かほ]をしてしまひました。すると赤[あか]と白[しろ]の綬[じゆ]をかけたふくろふの副官[ふくくわん]が笑[わら]つて云[い]ひました。 「まあ、こんやはあんまり怒[おこ]らないやうにいたしませう。うたもこんどは上等[じやうとう]のをやりますから。みんな一しよにおどりませう。さあ木[き]の方[はう]も鳥[とり]の方[はう]も用意[ようい]いゝか。  おつきさんおつきさん まんまるまるゝゝん  おほしさんおほしさん ぴかりぴりるゝん  かしははかんかの   かんからからゝゝん  ふくろはのろづき   おつほゝゝゝゝゝん。」  かしはの木[き]は両手[りやうて]をあげてそりかへつたり、頭[あたま]や足[あし]をまるで天井[てんじやう]に投[な]げあげるやうにしたり、一生[いつしやう]けん命[めい]踊[おど]りました。それにあはせてふくろふどもは、さつさつと銀[ぎん]いろのはねを、ひらいたりとぢたりしました。じつにそれがうまく合[あ]つたのでした。月[つき]の光[ひかり]は真珠[しんじゆ]のやうに、すこしおぼろになり、柏[かしは]の木[き]大王[だいわう]もよろこんですぐうたひました。 「雨[あめ]はざあざあ ざつざゞゞゞゞあ  風[かぜ]はどうどう どつどゞゞゞゞう  あらればらばらばらばらつたゝあ  雨[あめ]はざあざあ ざつざゞゞゞゞあ」 「あつだめだ、霧[きり]が落[お]ちてきた。」とふくらふの副官[ふくくわん]が高[たか]く叫[さけ]びました。  なるほど月[つき]はもう青白[あをじろ]い霧[きり]にかくされてしまつてぼおつと円[まる]く見[み]えるだけ、その霧[きり]はまるで矢[や]のやうに林[はやし]の中[なか]に降[お]りてくるのでした。  柏[かしは]の木[き]はみんな度[ど]をうしなつて、片脚[かたあし]をあげたり両手[りやうて]をそつちへのばしたり、眼[め]をつりあげたりしたまゝ化石[くわせき]したやうにつつ立[た]つてしまひました。  冷[つめ]たい霧[きり]がさつと清作[せいさく]の顔[かほ]にかゝりました。画[ゑ]かきはもうどこへ行[い]つたか赤[あか]いしやつぽだけがほうり出[だ]してあつて、自分[じぶん]はかげもかたちもありませんでした。  霧[きり]の中[なか]を飛[と]び術[じゆつ]のまだできてゐないふくらふの、ばたばた遁[に]げて行[ゆ]く音[おと]がしました。  清作[せいさく]はそこで林[はやし]を出[で]ました。柏[かしは]の木[き]はみんな踊[をどり]のまゝの形[かたち]で残念[ざんねん]さうに横眼[よこめ]で清作[せいさく]を見送[みおく]りました。  林[はやし]を出[で]てから空[そら]を見[み]ますと、さつきまでお月[つき]さまのあつたあたりはやつとぼんやりあかるくて、そこを黒[くろ]い犬[いぬ]のやうな形[かたち]の雲[くも]がかけて行[い]き、林[はやし]のずうつと向[むか]ふの沼森[ぬまもり]のあたりから、 「赤[あか]いしやつぽのカンカラカンのカアン。」と画[ゑ]かきが力いつぱい叫[さけ]んでゐる声[こゑ]がかすかにきこえました。 ■このファイルについて 標題:かしはばやしの夜 著者:宮澤賢治 本文:「注文の多い料理店」 発行:大正十三年十二月一日 販売元:杜陵出版部/東京光原社  新選 名著復刻全集 近代文学館   昭和51年4月1日 発行                           (第14刷) 表記:原文の表記を尊重しつつ、以下のように扱います。 ○誤字・脱字等は訂正せず、底本通りとしました。 ○本文のかなづかいは、底本通りとしました。 ○旧字体は、現行の新字体に替えました。だだし、新字体に替えなかった漢字もあります。新字体がない場合は、旧字体をそのまま用いました。 ○繰り返し記号/\は用いず、同語反復としました。 入力:今井安貴夫 ファイル作成:里実工房 公開:里実文庫  2005年12月20日