山男の四月

宮澤賢治




1

山男やまをとこは、きんいろのさらのやうにし、せなかをかがめて、にしねやまのひのきばやしのなかを、うさぎをねらつてあるいてゐました。

2

ところが、うさぎはとれないで、山鳥やまどりがとれたのです。

3

それは山鳥やまどりが、びつくりしてびあがるとこへ、山男やまをとこ両手りやうてをちぢめて、鉄砲てつぱうだまのやうにからだをげつけたものですから、山鳥やまどりははんぶんつぶれてしまひました。

4

山男やまをとこかほをまつにし、おほきなくちをにやにやまげてよろこんで、そのぐつたりくびれた山鳥やまどりを、ぶらぶらりまはしながらもりからてきました。

5

そしてあたりのいゝ南向みなみむきのかれしばうへに、いきなり獲物えものげだして、ばさばさのあか髪毛かみけゆびでかきまはしながら、かたまるくしてごろりところびました。

6

どこかで小鳥ことりもチツチツとき、かれくさのところどころにやさしくいたむらさきいろのかたくりのはなもゆれました。

7

山男やまをとこ仰向あふむけになつて、あをいああをいそらをながめました。おさまはあか黄金きんでぷちぷちのやまなしのやう、かれくさのいゝにほひがそこらをながれ、すぐうしろの山脈さんみやくでは、ゆきがこんこんとしろ後光ごくわうをだしてゐるのでした。
(飴あめといふものはうまいものだ。天道てんとあめをうんとこさえてゐるが、なかなかおれにはくれない。)

8

山男やまをとこがこんなことをぼんやりかんがへてゐますと、そのつたあをいそらをふわふわうるんだくもが、あてもなくひがしはうんできました。そこで山男やまをとこは、のどのとほくのはうを、ごろごろならしながら、またかんがへました。
(ぜんたいくもといふものは、かぜのぐあひで、つたりたりぽかつとくなつてみたり、にはかにまたでてきたりするもんだ。そこで雲助くもすけとかういふのだ。)

9

そのとき山男やまをとこは、なんだかむやみにあしとあたまがかるくなつて、さかさまに空気くうきのなかにうかぶやうな、へんなもちになりました。もう山男やまをとここそ雲助くもすけのやうに、かぜにながされるのか、ひとりでにぶのか、どこといふあてもなく、ふらふらあるいてゐたのです。
(ところがここはななもりだ。ちやんとななつつ、もりがある。まつのいつぱいえてるのもある、坊主ばうずいろなのもある。そしてここまでてみると、おれはまもなくまちく。まちへはいつて行くとすれば、けないとなぐりころされる。)

10

山男やまをとこはひとりでこんなことをひながら、どうやら一人ひとりまへの木樵きこりのかたちにけました。そしたらもうすぐ、そこがまち入口いりくちだつたのです。山男やまをとこは、まだどうもあたまがあんまりかるくて、からだのつりあひがよくないとおもひながら、のそのそまちにはいりました。

11

入口いりぐちにはいつもの魚屋さかなやがあつて、塩鮭しほざけのきたないたわらだの、くしやくしやになつたいわしのつらだのがだいにのり、のきにはあかぐろいゆで章魚だこが、いつつつるしてありました。その章魚たこを、もうつくづくと山男やまをとこはながめたのです。
(あのいぼのあるあかあしのまがりぐあひは、ほんたうにりつぱだ。郡役所ぐんやくしよ技手ぎての、乗馬じやうばずぼんをはいたあしよりまだりつぱだ。かういふものが、うみそこあをいくらいところを、おほきくをあいてはつてゐるのはじつさいえらい。)

12

山男やまをとこはおもはずゆびをくわいてちました。するとちやうどそこを、おほきな荷物にもつをしよつた、きたない浅黄服あさぎふく支那人しなじんが、きよろきよろあたりをまはしながら、とほりかゝつて、いきなり山男やまをとこかたをたゝいてひました。
「あなた、支那しな反物たんものよろしいか。六神丸ろくしんぐわんたいさんやすい。」

13

山男やまをとこはびつくりしてふりむいて、
「よろしい。」とどなりましたが、あんまりじぶんのこゑがたかゝつたために、まるかきをもち、かみをわけ下駄げたをはいた魚屋 かなや主人しゆじんや、けらをむらひとたちが、みんなこつちをてゐるのにがついて、すつかりあわてゝいそいでをふりながら、小声こごゑなほしました。
「いや、さうだない。ふ、ふ。」

14

すると支那人しなじん
はない、それかまはない、ちよつとるだけよろしい。」
 とひながら、背中せなか荷物にもつをみちのまんなかにおろしました。山男やまをとこはどうもその支那人しなじんのぐちやぐちやしたあかが、とかげのやうでへんにこわくてしかたありませんでした。

15

そのうちに支那人しなじんは、ばやく荷物にもつへかけたいろの真田紐さなだひもをといてふろしきをひらき、行李かうりふたをとつてたんもののいちばんうへにたくさんならんだ紙箱かみばこあひだから、ちひさなあか薬瓶くすりびんのやうなものをつかみだしました。
(おやおや、あのゆびはずゐぶんほそいぞ。つめもあんまりとがつてゐるしいよいよこわい。)山男やまをとこはそつとかうおもひました。

16

支那人しなじんはそのうちに、まるで小指こゆびぐらゐあるガラスのコツプをふたして、ひとつを山男やまをとこわたしました。
「あなた、このくすりのむよろしい。どくない。けつしてどくない。のむよろしい。わたしさきのむ。心配しんぱいない。わたしビールのむ、おちやのむ。どくのまない。これながいきのくすりある。のむよろしい。」支那人しなじんはもうひとりでかぷつとんでしまひました。

17

山男やまをとこはほんとうにんでいゝだらうかとあたりをますと、じぶんはいつかまちなかでなく、そらのやうにあをいひろい野原のはらのまんなかに、のふちのあか支那人しなじんとたつた二人ふたり荷物にもつあひだいてむかひあつてつてゐるのでした。二人ふたりのかげがまつくろくさちました。
「さあ、のむよろしい。ながいきのくすりある。のむよろしい。」支那人しなじんとがつたゆびをつきして、しきりにすすめるのでした。山男やまをとこはあんまりこまつてしまつて、もうんでげてしまはうとおもつて、いきなりぷいつとそのくすりをのみました。するとふしぎなことには、山男やまをとこはだんだんからだのでこぼこがなくなつて、ちぢまつてたひらになつてちいさくなつて、よくしらべてみると、どうもいつかちいさなはこのやうなものにかはつてくさうへちてゐるらしいのでした。
(やられた、畜生ちくしやう、たうたうやられた、さつきからあんまりつめとがつてあやしいとおもつてゐた。畜生ちくしやう、すつかりうまくだまされた。)山男やまをとこ口惜くやしがつてばたばたしやうとしましたが、もうたゞ一箱ひとはこちいさな六神丸ろくしんぐわんですからどうにもしかたありませんでした。

18

ところが支那人しなじんのはうはおほよろこびです。ひよいひよいと両脚りやうあしをかはるがはるあげてとびあがり、ばんばんとあしのうらをたたきました。そのおとはつづみのやうに、野原のはらとほくのはうまでひびきました。

19

それから支那人しなじんおほきなが、いきなり山男やまをとこまへにでてきたとおもふと、山男やまをとこはふらふらとたかいところにのぼり、まもなく荷物にもつのあの紙箱かみばこあひだにおろされました。

20

おやおやとおもつてゐるうちにうへからばたつと行李かうりふたちてきました。それでも日光につくわう行李かうりからうつくしくすきとほつてえました。
(たうたうらうにおれははいつた。それでもやつぱり、おさまはそとつてゐる。)山男やまをとこはひとりでこんなことをつぶやいて無理むりにかなしいのをごまかさうとしました。するとこんどは、きふにもつとくらくなりました。
(ははあ、風呂敷ふろしきをかけたな。いよいよなさけないことになつた。これからくらたびになる。)山男やまをとこはなるべくいてかうひました。

21

するとおどろいたことは山男やまをとこのすぐよこでものを言ふやつがあるのです。
「おまへさんはどこからなすつたね。」

22

山男やまをとこははじめぎくつとしましたが、すぐ、
(ははあ、六神丸ろくしんぐわといふものは、みんなおれのやうなぐあひに人間にんげんくすり改良かいりやうされたもんだな。よしよし、)とかんがへて、
「おれは魚屋さかなやまへからた。」とはらちかられてこたへました。するとそとから支那人しなじんみつくやうにどなりました。
こゑあまりたかい。しづかにするよろしい。」

23

山男やまをとこはさつきから、支那人しなじんがむやみにしやくにさわつてゐましたので、このときはもういつぺんにかつとしてしまひました。
なんだと。なにをぬかしやがるんだ。どろぼうめ。きさまがまちへはいつたら、おれはすぐ、この支那人しなじんはあやしいやつだとどなつてやる。さあどうだ。」

24

支那人しなじんは、そとでしんとしてしまひました。じつにしばらくのあひだ、しいんとしてゐました。山男やまをとこはこれは支那人しなじんが、両手りやうてむねかさねていてゐるのかなともおもひました。さうしてみると、いままでたうげはやしのなかで、荷物にもつをおろしてなにかひどくほんがんでゐたやうな支那人しなじんは、みんなこんなことをたれかにはれたのだなとかんがへました。山男やまをとこはもうすつかりかあいさうになつて、いまのはうそだよとはうとしてゐましたら、そと支那人しなじんがあわれなしわがれたこゑひました。
「それ、あまり同情どうじやうない。わたし商売しやうばいたたない。わたしおまんまたべない。わたし往生わうじやうする、それ、あまり同情どうじやうない。」山男やまをとこはもう支那人しなじんが、あんまりどくになつてしまつて、おれのからだなどは、支那人しなじんが六十せんもうけて宿屋やどやつて、いわしあたま葉汁ぱじるをたべるかはりにくれてやらうとおもひながらこたへました。
支那人しなじんさん、もういゝよ。そんなにかなくてもいゝよ。おれはまちにはいつたら、あまりこゑさないやうにしやう。安心あんしんしな。」するとそと支那人しなじんは、やつとむねをなでおろしたらしく、ほおといふいきこゑも、ばんばんとあしたゝいてゐるおときこえました。それから支那人しなじんは、荷物にもつをしよつたらしく、くすり紙箱かみばこは、たがひにがたがたぶつつかりました。

25

「おい、たれだい。さつきおれにものを云ひかけたのは。」
山男やまをとこひましたら、すぐとなりから返事へんじがきました。
「わしだよ。そこでさつきのはなしのつゞきだがね、おまへはさかな屋のまへからきたとすると、いますゞき一匹いつぴきいくらするか、またほしたふかのひれが、十両ジツテール何片なんぎんくるかつてるだらうな。」
「さあ、そんなものは、あの魚屋さかなやにはなかつたやうだぜ。もつとも章魚たこはあつたがなあ。あの章魚たこあしつきは よかつたなあ。」
「へい。そんないい章魚たこかい。わしも章魚たこだいすきでな。」
「うん、たれだつて章魚たこのきらいなひとはない。あれをきらひなくらゐなら、どうせろくなやつぢやないぜ。」
「まつたくさうだ。章魚たこぐらゐりつぱなものは、まあ世界中せかいぢうにないな。」
「さうさ。おまへはいつたいどこからきた。」
「おれかい。上海しやんはいだよ。」
「おまへはするとやつぱり支那人しなじんだらう。支那人しなじんといふものはくすりにされたり、くすりにしてそれをつてあるいたりどくなもんだな。」
「さうでない。ここらをあるいてるものは、みんなちんのやうないやしいやつばかりだが、ほんたうの支那人しなじんなら、いくらでもえらいりつぱなひとがある。われわれはみな孔子聖人こうしせいじんすゑなのだ。」
「なんだかわからないが、おもてにゐるやつはちんといふのか。」
「さうだ。あああつい、ふたをとるといゝなあ。」
「うん。よし。おい、ちんさん。どうもむしあつくていかんね。すこしかぜれてもらひたいな。」
「もすこしつよろしい。」ちんそとひました。
はやかぜれないと、おれたちはみんなれてしまふ。おまへそんになるよ。」

26

するとちんそとでおろおろごゑしました。
「それ、もともこまる、がまんしてくれるよろしい。」
「がまんもなにもないよ、おれたちがすきでむれるんぢやないんだ。ひとりでにむれてしまふさ。はやふたをあけろ。」
「も二十分じつぷんまつよろしい。」
「えい、仕方しかたない。そんならもすこいそいであるきな。仕方しかたないな。ここにるのはおまへだけかい。」
「いゝや、まだたくさんゐる。みんないてばかりゐる。」
「そいつはかあいさうだ。ちんはわるいやつだ。なんとかおれたちは、もいちどもとのかたちにならないだらうか。」
「それはできる。おまへはまだ、ほねまで六神丸ろくしんぐわんになつてゐないから、丸薬ぐわんやくさへのめばもとへもどる。おまへのすぐよこに、そのくろ丸薬ぐわんやくびんがある。」
「さうか。そいつはいゝ、それではすぐまう。しかし、おまへさんたちはのんでもだめか。」
「だめだ。けれどもおまへがんでもとのとほりになつてから、おれたちをみんなみづけて、よくもんでもらひたい。それから丸薬ぐわんやくをのめばきつとみんなもとへもどる。」
「さうか。よし、けた。おれはきつとおまへたちをみんなもとのやうにしてやるからな。丸薬ぐわんやくといふのはこれだな。そしてこつちのびん人間にんげん六神丸ろくしんぐわんになるはうか。ちんもさつきおれといつしよにこの水薬みづぐすりをのんだがね、どうして六神丸ろくしんぐわんにならなかつたらう。」
「それはいつしよに丸薬ぐわんやくんだからだ。」
「ああ、さうか。もしちんがこの丸薬ぐわんやくだけんだらどうなるだらう。かはらない人間にんげんがまたもとの人間にんげんかはるとどうもへんだな。」

27

そのときおもてでちんが、
支那しなたものよろしいか。あなた、支那しなたものふよろしい。」
と云ふこゑがしました。
「ははあ、はじめたね。」山男やまをとこはそつとかうつておもしろがつてゐましたら、 にはかにふたがあいたので、もうまぶしくてたまりませんでした。それでもむりやりそつちをますと、ひとりのおかつぱの子供こどもが、ぽかんとちんまへつてゐました。

28

ちんはもう丸薬ぐわんやくひとつぶつまんで、くちのそばへつて行きながら、水薬みづぐすりとコツプをして、
「さあ、むよろしい。これながいきのくすりある。さあむよろしい。」とやつてゐます。
「はじめた、はじめた。いよいよはじめた。」行李かうりのなかでたれかがひました
「わたしビールむ、おちやのむ、どくのまない。さあ、むよろしい。わたしのむ。」

29

そのとき山男やまをとこは、丸薬ぐわんやくを一つぶそつとのみました。すると、めりめりめりめりつ。

30

山男やまをとこはすつかりもとのやうな、赤髪あかがみ立派りつぱなからだになりました。ちんはちやうど丸薬ぐわんやく水薬みづぐすりといつしょにのむところでしたが、あまりびつくりして、水薬みづぐすりはこぼして丸薬ぐわんやくだけのみました。さあ、たいへん、みるみるちんのあたまがめらあつとびて、いままでのばいになり、せいがめきめきたかくなりました。そして「わあ。」と云ひなが ら山男やまをとこにつかみかかりました。山男やまをとこはまんまるになつて一しやうけんめいげました。ところがいくらはしらうとしても、あしがからはしりといふことをしてゐるらしいのです。たうたうせなかをつかまれてしまひました。
たすけてくれ、わあ、」と山男やまをとこさけびました。そしてをひらきました。みんなゆめだつたのです。

31

くもはひかつてそらをかけ、かれくさはかんばしくあたたかです。

32

山男やまをとこはしばらくぼんやりして、してある山鳥やまどりのきらきらするはねをみたり、六神丸ろくしんぐわん紙箱かみばこみづにつけてもむことなどをかんがへてゐましたがいきなりおほきなあくびをひとつしてひました。

33

「えゝ、畜生ちくしやうゆめのなかのこつた。ちん六神丸ろくしんぐわんもどうにでもなれ。」

34

それからあくびをもひとつしました。




■このファイルについて
標題:山男の四月
著者:宮澤賢治
本文:「注文の多い料理店」
     新選 名著復刻全集 近代文学館   昭和51年4月1日 発行
              (第14刷)
表記:原文の表記を尊重しつつ、Webでの読みやすさを考慮して、以下のように扱います。

○誤字・脱字等と思われる箇所は訂正せず、底本通りとしました。
○本文のかなづかいは、底本通りとしました。
○旧字体は、現行の新字体に替えました。だだし、新字体に替えなかった漢字もあります。新字体がない場合は、旧字体をそのまま用いました。
○段落番号を追加しました。
○行間処理(行間200%)を行いました。

入力:今井安貴夫
ファイル作成:里実工房
公開:里実文庫
    2005年11月6日