水仙月[すゐせんづき]の四日[よつか]  雪婆[ゆきば]んごは、遠[とほ]くへ出[で]かけて居[を]りました。  猫[ねこ]のやうな耳[みゝ]をもち、ぼやぼやした灰[はい]いろの髪[かみ]をした雪婆[ゆきば]んごは、西[にし]の山脈[さんみやく]の、ちぢれたぎらぎらの雲[くも]を越[こ]えて、遠[とほ]くへでかけてゐたのです。  ひとりの子供[こども]が、赤[あか]い毛布[けつと]にくるまつて、しきりにカリメラ[・・・・]のことを考[かんが]へながら、大[おほ]きな象[ざう]の頭[あたま]のかたちをした、雪丘[ゆきをか]の裾[すそ]を、せかせかうちの方[はう]へ急[いそ]いで居[を]りました。  (そら、新聞紙[しんぶんがみ]を尖[とが]つたかたちに巻[ま]いて、ふうふうと吹[ふ]くと、炭[すみ]からまるで青火[あをび]が燃[も]える。ぼくはカリメラ鍋[なべ]に赤砂糖[あかさとう]を一[ひと]つまみ入[い]れて、それからザラメを一[ひと]つまみ入[い]れる。水[みづ]をたして、あとはくつくつくつと煮[に]るんだ。)ほんたうにもう一生[しやう]けん命[めい]、こどもはカリメラ[・・・・]のことを考[かんが]へながらうちの方[はう]へ急[いそ]いでゐました。  お日[ひ]さまは、空[そら]のずうつと遠[とほ]くのすさとほつたつめたいとこで、まばゆい白[しろ]い火[ひ]を、どしどしお焚[た]きなさいます。  その光[ひかり]はまつすぐに四方[しはう]に発射[はつしや]し、下[した]の方[はう]に落[お]ちて来[き]ては、ひつそりした台地[だいち]の雪[ゆき]を、いちめんまばゆい雪花[せつくわ]石膏[せくかう]の板[いた]にしました。  二|疋[ひき]の雪狼[ゆきおいの]が、べろべろまつ赤[か]な舌[した]を吐[は]きながら、象[ざう]の頭[あたま]のかたちをした、雪丘[ゆきをか]の上[うへ]の方[はう]をあるいてゐました。こいつらは人[ひと]の眼[め]には見[み]えないのですが、一[いつ]ぺん風[かぜ]に狂[くる]ひ出[だ]すと、台地[だいち]のはづれの雪[ゆき]の上[うへ]から、すぐぼやぼやの雪雲[ゆきぐも]をふんで、空[そら]をかけまはりもするのです。 「しゆ、あんまり行[い]つていけないつたら。」雪狼[ゆきおいの]のうしろから白熊[しろくま]の毛皮[けがは]の三角帽子[さんかくばうし]をあみだにかぶり、顔[かほ]を苹果[りんご]のやうにかがやかしながら、雪童子[ゆきわらす]がゆつくり歩[ある]いて来[き]ました。  雪狼[ゆきおいの]どもは頭[あたま]をふつてくるりとまはり、またまつ赤[か]な舌[したを吐は]いて走[はし]りました 「カシオピイア、  もう水仙[すゐせん]が咲[さ]き出[だ]すぞ  おまへのガラスの水車[みぐぐるま]  きつきとまはせ。」雪童子[ゆきわらす]はまつ青[あを]なそらを見[み]あげて見[み]えない星[ほし]に叫[さけ]びました。その空[そら]からは青[あを]びかりが波[なみ]になつてゆくわくと降[ふ]り、雪狼[ゆきおいの]どもは、ずうつと遠[とほ]くで焔[ほのほ]のやうに赤[あか]い舌[した]をべろべろ吐[は]いてゐます。 「しゆ、戻[もど]れつたら、しゆ、」雪童子[ゆきわらす]がはねあがるやうにして叱[しか]りましたら、いままで雪[ゆき]にくつきり落[お]ちてゐた 雪童子[ゆきわらす]の影法師[かげぼうし]は、ぎらつと白[しろ]いひかりに変[かは]り、狼[おいの]どもは耳[みゝ]をたてゝ一さんに戻[もど]つてきました。 「アンドロメダ、  あぜみの花[はな]がもう咲[さ]くぞ、  おまへのラムプのアルコホル、  しゆうしゆと噴[ふ]かせ。」  雪童子[ゆきわらす]は、風[かぜ]のやうに象[ざう]の形[かたち]の丘[をか]にのぼりました。雪[ゆき]には風[かぜ]で介殻[かいがら]のやうなかたがつき、その項[いたゝき]には、一|本[ぽん]の大[おほ]きな栗[くり]の木[き]が、美[うつく]しい黄金[きん]いろのやどりぎのまりをつけて立[た]つてゐました。 「とつといで。」雪童子[ゆきわらす]が丘[をか]のをぼりながら云[い]ひますと、一|匹[ぴき]の雪狼[ゆきおいの]は、主人[しゆじん]の小[ちい]さな歯[は]のちらつと光[ひか]るのを見[み]るや、ごむまりのやうにいきなり木[き]にはねあがつて、その赤[あか]い実[み]のついた小[ちい]さな枝[えだ]を、がちがち噛[か]ぢりました。木[き]の上[うへ]でしきりに頸[くび]をまげてゐる雪狼[ゆきおいの]の影法師[かげばうし]は、大[おほ]きく長[なが]く丘[をか]の雪[ゆき]に落[お]ち、枝[えだ]はたうたう青[あを]い皮[かは]と、黄[き]いろの心[しん]とをちぎられて、いまのぼつてきたばかりの雪童子[ゆきわらす]の足[あし]もとに落[お]ちました。 「ありがたう。」雪童子[ゆきわらす]はそれをひろひながら、白[しろ]と藍[あゐ]いろの野[の]はらにたつてゐる、美[うつく]しい町[まち]をはるかにながめました。川[かは]がきらきら光[ひか]つて、停車場[ていしやば]からは白[しろ]い煙[けむり]もあがつてゐました。雪童子[ゆきわらす]は眼[め]を丘[をか]のふもとに落[おと]しました。その山裾[やますそ]の細[ほそ]い雪[ゆき]みちを、さつきの赤毛布[あかけつと]を着[き]た子供[こども]が、一[いつ]しんに山[やま]のうちの方[はう]へ急[いそ]いでゐるのでした。 「あいつは昨日[きのふ]、木炭[すみ]のそりを押[お]して行[い]つた。砂糖[さとう]を買[か]つて、じぶんだけ帰[かへ]つてきたな。」雪童子[ゆきわらす]はわらひながら、手[て]にもつてゐたやどりぎの杖[えだ]を、ぷいつとこどもになげつけまし森。枝[えだ]はまるで弾丸[たま]のやうにまつすぐに飛[と]んで行[い]つて、たしかに子供[こども]の目[め]の前[まへ]に落[お]ちました。  子供[こども]はびつくりして枝[えだ]をひろつて、きよろきよろあちこちを見[み]まはしてゐます。雪童子[ゆきわらす]はわらつて革[かは]むちを一[ひと]つひゆうと鳴[な]らしました。  すると、雲[くも]もなく研[みが]きあげられたやうな群青[ぐんぜう]の空[そら]から、まつ白[しろ]な雪[ゆき]が、さぎの毛[け]のやうに、いちめんに落[お]ちてきました。それは下[した]の平原[へいげん]の雪[ゆき]や、ビール色[いろ]の日光[につくわう]、茶[ちや]いろのひのきでできあがつた、しづかな奇麗[きれい]な日曜日[にちようび]を、一さう美[うつく]しくしたのです。  子[こ]どもは、やどりぎの枝[えだ]をもつて、  一|生[しやう]けん命[めい]にあるきだしました。  けれども、その立派[りつぱ]な雪[ゆき]が落[お]ち切[き]つてしまつたころから、お日[ひ]さまはなんだか空[そら]の遠[とほ]くの方[はう]へお移[うつ]りになつて、そこのお旅屋[たびや]で、あのまばゆい白[しろ]い火[ひ]を、あたらしくお焚[た]きなされてゐるやうでした。  そして西北[にしきた]の方[はう]からは、少[すこ]し風[かぜ]が吹[ふ]いてきました。  もうよほど、そらも冷[つめ]たくなつてきたのです。東[ひがし]の遠[とほ]くの海[うみ]の方[はう]では、空[そら]の仕掛[しか]けを外[はづ]したやうな、ちいさなカタツといふ音[おと]が聞[きこ]え、いつかまつしろな鏡[かゝみ]に変[かは]つてしまつたお日[ひ]さまの面[めん]を、なかにちいさなものがどんどんよこ切[ぎ]つて行[ゆ]くやうです。  雪童子[ゆきわらす]は革[かは]むちをわきの下[した]にはさみ、堅[かた]く腕[うで]を組[く]み、唇[くちびる]を結[むす]んで、その風[かぜ]の吹[ふ]いて来[く]る方[はう]をぢつと見[み]てゐました。狼[おいの]どもも、まつすぐに首[くび]をのばして、しきりにそつちを望[のぞ]みました。  風[かぜ]はだんだん強[つよ]くなり、足[あし]もとの雪[ゆき]は、さらさらさらさらうしろへ流[なが]れ、間[ま]もなく向[むか]ふの山脈[さんみやく]の項[いたゝき]に、ぱつと白[しろ]いけむりのやうなものが立[た]つたとおもふと、もう西[にし]の方[はう]は、すつかり灰[はい]いろに暗[くら]くなりました。  雪童子[ゆきわらす]の眼[め]は、鋭[するど]く燃[も]えるやうに光[ひか]りました。そらはすつかり白[しろ]くなり、風[かぜ]はまるで引[ひ]き裂[さ]くやう、早[はや]くも乾[かは]いたこまかな雪[ゆき]がやつて来[き]ました。そこらはまるで灰[はい]いろの雪[ゆき]でいつぱいです。雪[ゆき]だか雲[くも]だかもわからないのです。  丘[をか]の稜[かど]は、もうあつちもこつちも、みんな一度[いちど]に、軋[きし]るやうに切[き]るように鳴[な]り出[だ]しました。地平線[ちへいせん]も町[まち]も、みんな暗[くら]い煙[けむり]の向[むか]ふになつてしまひ、雪童子[ゆきわらす]の白[しろ]い影[かげ]ばかり、ぼんやりまつすぐに立[た]つてゐます。  その裂[さ]くやうな吼[ほ]えるやうな風[かぜ]の音[おと]の中[なか]から、 「ひゆう、なにをぐづぐづしてゐるの。さあ降[ふ]らすんだよ。降[ふ]らすんだよ。ひゆうひゆうひゆう、ひゆひゆう、降[ふ]らすんだよ、飛[と]ばすんだよ、なにをぐづぐづしてゐるの。こんなに急[いそ]がしいのにさ。ひゆう、ひゆう、向[むか]ふからさへわざと三人連[さんにんつ]れてきたぢやないか。さあ、降[ふ]らすんだよ。ひゆう。」あやしい声[こゑ]がきこえてきました。  雪童子[ゆきわらす]はまるで電気[でんき]にかかつたやうに飛[と]びたちました。雪婆[ゆきば]んごがやつてきたのです。  ぱちつ、雪童子[ゆきわらす]の革[かは]むちが鳴[な]りました。狼[おいの]どもは一ペんにはねあがりました。雪[ゆき]わらすは顔[かほ]いろも青[あを]ざめ、唇[くちびる]も結[むす]ばれ、帽子[ばうし]も飛[と]んでしまひました。 「ひゆう、ひゆう、さあしつかりやるんだよ。なまけちやいけないよ。ひゆう、ひゆう。さあしつかりやつてお呉[く]れ。今日[けふ]はここらは水仙月[すゐせんづき]の四日[よつか]だよ。さあしつかりさ。ひゆう。」  雪婆[ゆきば]んごの、ぼやぼやつめたい白髪[しらが]は、雪[ゆき]と風[かぜ]とのなかで渦[うづ]になりました。どんどんかける黒雲[くろくも]の間[あひだ]から、その尖[とが]つた耳[みゝ]と、ぎらぎら光[ひか]る黄金[きん]の眼[め]も見[み]えます。  西[にし]の方[はう]の野原[のはら]から連[つ]れて来[こ]られた三人[さんにん]の雪童子[ゆきわらす]も、みんな顔[かほ]いろに血[ち]の気[け]もなく、きちつと唇[くぢびる]を噛[か]んで、お互[たがひ]挨拶[あひさつ]さへも交[か]はさずに、もうつづけざませわしく革[かは]むちを鳴[な]らし行[い]つたり来[き]たりしました。もうどこが丘[をか]だか雪[ゆき]けむりだか空[そら]だかさへもわからなかつたのです。聞[きこ]えるものは雪婆[ゆきば]んごのあちこち行つたり来[き]たりして叫[さけ]ぶ声[こゑ]、お互[たがひ]の革鞭[かはむち]の音[おと]、それからいまは雪[ゆき]の中[なか]をかけあるく九疋[くひき]の雪狼[ゆきおいの]どもの息[いき]の音[おと]ばかり、そのなかから雪童子[ゆきわらす]はふと、風[かぜ]にけされて泣[な]いてゐるさつきの子供[こども]の声[こゑ]をききました。  雪童子[ゆきわらす]の瞳[ひとみ]はちよつとおかしく燃[も]えました。しばらくたちどまつて考[かんが]へてゐましたがいきなり烈[はげ]しく鞭[むち]をふつてそつちへ走[はし]つたのです。  けれどもそれは方角[はうがく]がちがつてゐたらしく雪童子[ゆきわらす]はずうつと南[みなみ]の方[はう]の黒[くろ]い松山[まつやま]にぶつつかりました。雪童子[ゆきわらす]は革[かは]むちをわきにはさんで耳[みゝ]をすましました。 「ひゆう、ひゆう、なまけちや承知[しやうち]しないよ。降[ふ]らすんだよ、降[ふ]らすんだよ。さあ、ひゆう。今日[けふ]は水仙月[すゐせんづき]の四日[よつか]だよ。ひゆう、ひゆう、ひゆう、ひゆうひゆう。」  そんなはげしい風[かぜ]や雪[ゆき]の声[こゑ]の間[あひだ]からすきとほるやうな泣声[なきごゑ]がちらつとまた声[きこ]えてきました。雪童子[ゆきわらす]はまつすぐにそつちへかけて行[い]きました。雪婆[ゆきば]んごのふりみだした髪[かみ]が、その顔[かほ]に気[き]みわるくさわりました。峠[たうげ]の雪[ゆき]の中[なか]に、赤[あか]い毛布[けつと]をかぶつたさつきの子[こ]が、風[かげ]にかこまれて、もう足[あし]を雪[ゆき]から抜[ぬ]けなくなつてよろよろ倒[たふ]れ、雪[ゆき]に手[て]をついて、起[お]きあがらうとして泣[な]いてゐたのです。 「毛布[けつと]をかぶつて、うつ向[む]けになつておいで。毛布[けつと]をかぶつて、うつむけになつておいで。ひゆう。」雪童子[ゆきわらす]は走[はし]りながら叫[さけ]びました。けれどもそれは子[こ]どもにはただ風[かぜ]の声[こゑ]ときこえ、そのかたちは眼[め]に見[み]えなかつたのです。 「うつむけに倒[たふ]れておいで。ひゆう。動[うご]いちやいけない。ぢきやむからけつとをかぶつて倒[たふ]れておいで。」雪[ゆき]わらすはかけ戻[もど]りながら又[また]叫[さけ]びました。子[こ]どもはやつぱり起[お]きあがらうとしてもがいてゐました。 「倒[たふ]れておいで、ひゆう、だまつてうつむけに倒[たふ]れておいで、今日[けふ]はそんなに寒[さむ]くないんだから凍[こゞ]やしない。」  雪童子[ゆきわらす]は、も一[いち]ど走[はし]り抜[ぬ]けながら叫[さけ]びました。子[こ]どもは口[くち]をびくびくまげて泣[な]きながらまた起[お]きあがらうとしました。 「倒[たふ]れてゐるんだよ。だめだねえ。」雪童子[ゆきわらす]は向[むか]ふからわざとひどくつきあたつて子[こ]どもを倒[たふ]しました。 「ひゆう、もつとしつかりやつておくれ、なまけちやいけない。さあ、ひゆう」雪婆[ゆきば]んごがやつてきました。その裂[さ]けたやうに紫[むらさき]な口[くち]も尖[とが]つた歯[は]もぼんやり見[み]えました。 「おや、おかしな子こがゐるね、さうさう、こつちへとつておしまひ。水仙月[すゐせんづき]の四日[よつか]だもの、一人[ひとり]や二人[ふたり]とつたつていゝんだよ。」 「えゝ、さうです。さあ、死[し]んでしまへ。」雪童子[ゆきわらす]はわざとひどくぶつつかりながらまたそつと云ひました。 「倒[たふ]れてゐるんだよ。動[うご]いちやいけない。動[うご]いちやいけないつたら。」  狼[おいの]どもが気[き]ちがひのやうにかけめぐり、黒[くろ]い足[あし]は雪雲[ゆきぐも]の間[あひだ]からちらちらしました。 「さうさう、それでいゝよ。さあ、降ふらしておくれ。なまけちや承知[しやうち]しないよひゆうひゆうひゆう、ひゆひゆう。」雪婆[ゆきば]んごは、また向[むか]ふへ飛[と]んで行きました。  子供[こども]はまた起[お]きあがらうとしました。雪童子[ゆきわらす]は笑[わら]ひながら、も一度[いちど]ひどくつきあたりました。もうそのころは、ぼんやり暗[くら]くなつて、まだ三|時[じ]にもならないに、日[ひ]が暮[く]れるやうに思[おも]はれたのです。こどもは力[ちから]もつきて、もう起[お]きあがらうとしませんでした。雪童子[ゆきわらす]は笑[わら]ひながら、手[て]をのばして、その赤[あか]い毛布[けつと]を上[うへ]からすつかりかけてやりました。 「さうして睡[ねむ]つておいで。布団[ふとん]をたくさんかけてあげるから。さうすれば凍[こゞ]えないんだよ。あしたの朝[あさ]までカリメラ[・・・・]の夢[ゆめ]を見[み]ておいで。」  雪[ゆき]わらすは同[おな]じとこを何[なん]べんもかけて、雪[ゆき]をたくさんこどもの上[うへ]にかぶせました。まもなく赤[あか]い毛布[けつと]も見[み]えなくなり、あたりとの高[たか]さも同[おな]じになつてしまひました。 「あのこどもは、ぼくのやつたやどりぎをもつてゐた。」雪童子[ゆきわらす]はつぶやいて、ちよつと泣[な]くやうにしました。 「さあ、しつかり、今日[けふ]は夜[よる]の二時[にじ]までやすみなしだよ。ここらは水仙月[すゐせんづき]の四日[よか]なんだから、やすんぢやいけない。さあ、降[ふ]らしておくれ。ひゆう、ひゆうひゆう、ひゆひゆう。」  雪婆[ゆきば]んではまた遠[とほ]くの風[かぜ]の中で叫[さけ]びました。  そして、風[かぜ]と雪[ゆき]と、ばさばさの灰[はい]のやうな雲[くも]のなかで、ほんたうに日[ひ]に暮[く]れ雪[ゆき]は夜[よる]ぢう降[ふ]つて降[ふ]つて降[ふ]つたのです。やつと夜明[よあ]けに近[ちか]いころ、雪婆[ゆきば]んごはも一度[いちど]、南[みなみ]から北[きた]へまつすぐに馳[は]せながら云[い]ひました。 「さあ、もうそろそろやすんでいゝよ。あたしはこれからまた海[うみ]の方[はう]へ行[い]くからね、だれもついて来[こ]ないでいいよ。ゆつくりやすんでこの次[つぎ]の仕度[したく]をして置[お]いておくれ。ああまあいいあんばいだつた。水仙月[すゐせんづき]の四日[よつか]がうまく済[す]んで。」  その眼[め]は闇[やみ]のなかでおかしく青[あを]く光[ひか]り、ばさばさの髪[かみ]を渦巻[うづま]かせ口[くち]をびくびくしながら、東[ひがし]の方[はう]へかけて行[い]きました。  野[の]はらも丘[をか]もほつとしたやうになつて、雪[ゆき]は青[あを]じろくひかりました。空[そら]もいつかすつかり霽[は]れて、桔梗[ききやう]いろの天球[てんきう]には、いちめんの星座[せいざ]がまたたきました  雪童子[ゆきわらす]らは、めいめい自分[じぶん]の狼[おいの]をつれて、はじめてお互挨拶[たがひあいさつ]しました。 「ずゐぶんひどかつたね。」 「ああ、」 「こんどはいつ会[あ]ふだらう。」 「いつだらうねえ、しかし今年中[ことしぢう]に、もう二へんぐらゐのもんだらう。」 「早[はや]くいつしよに北[きた]へ帰[かへ]りたいね。」 「ああ。」 「さつきこどもがひとり死[し]んだな。」 「大丈夫[だいじやうぶ]だよ。眠[ねむ]つてるんだ。あしたあすこへぼくしるしをつけておくから。」 「ああ、もう帰[かへ]らう。夜明[よあ]けまでに向[むか]ふへ行[い]かなくちや。」 「まあいゝだらう。ばくね、どうしてもわからない。あいつはカシオペーアの三[み]つ星[ぼし]だらう。みんな青[あを]い火[ひ]なんだらう。それなのに、どうして火[ひ]がよく燃[も]えれば、雪[ゆき]をよこすんだらう。」 「それはね、電気菓子[でんきぐわし]と同じだよ。そら、ぐるぐるぐるまはつてゐるだらうザラメがみんな、ふわふわのお菓子[くわし]になるねえ、だから火[ひ]がよく燃[も]えればいゝんだよ。」 「ああ。」 「ぢや、さよなら。」 「さよなら。」  三|人[にん]の雪童子[ゆきわらす]は、九|疋[ひき]の雪狼[ゆきおいの]をつれて、西[にし]の方[はう]へ帰[かへ]つて行[い]きました。  まもなく東[ひがし]のそらが黄[き]ばらのやうに光[ひか]り、琥拍[こはく]いろにかゞやき、黄金[きん]に燃[も]えだしました。丘[をか]も野原[のはら]もあたらしい雪[ゆき]でいつぱいです。  雪狼[ゆきおいの]どもはつかれてぐつたり座[すわ]つてゐます。雪童子[ゆきわらす]も雪[ゆき]に座[すわ]つてわらひました。その頬[ほゝ]は林檎[りんご]のやう、その息[いき]は百合[ゆり]のやうにかほりました。  ギラギラのお日[ひ]さまがお登[のぼ]りになりました。今朝[けさ]は青味[あをみ]がかつて一[いつ]さう立派[りつぱ]です。日光[につくわう]は桃[もゝ]いろにいつぱいに流[なが]れました。雪狼[ゆきおいの]は起[お]きあがつて大[おほ]きく口[くち]をあき、その口[くち]からは青[あを]い焔[ほのほ]がゆらゆらと燃[も]えました。 「さあ、おまへたちはぼくについておいで。夜[よ]があけたから、あの子[こ]どもを起[おこ]さなけあいけない。」  雪童子[ゆきわらす]は走[はし]つて、あの昨日[きのふ]の子供[こども]の埋[うづ]まつてゐるとこへ行[い]きました。 「さあ、ここらの雪[ゆき]をちらしておくれ。」  雪狼[ゆきおいの]どもは、たちまち後足[あとあし]で、そこらの雪[ゆき]をけたてました。風[かぜ]がそれをけむりのやうに飛[と]ばしました。  かんぢきをはき毛皮[けがは]を着[き]た人[ひと]が、村[むら]の方[はう]から急[いそ]いでやつてきました。 「もういゝよ」。雪童子[ゆきわらす]は子供[こども]の赤[あか]い毛布[けつと]のはじが、ちらつと雪[ゆき]から出[で]たのをみて叫[さけ]びました。 「お父[とう]さんが来[き]たよ。もう眼[め]をおさまし。」雪[ゆき]わらすはうしろの丘[をか]にかけあがつて一|本[ぽん]の雪[ゆき]けむりをたてながら叫[さけ]びました。子[こ]どもはちらつとうごいたやうでした。そして毛皮[けがは]の人[ひと]は一|生[しやう]けん命[めい]走[はし]つてきました。 ■このファイルについて 標題:水仙月の四日 著者:宮澤賢治 本文:「注文の多い料理店」 発行:大正十三年十二月一日 販売元:杜陵出版部/東京光原社  新選 名著復刻全集 近代文学館   昭和51年4月1日 発行                           (第14刷) 表記:原文の表記を尊重しつつ、以下のように扱います。 ○誤字・脱字等は訂正せず、底本通りとしました。 ○本文のかなづかいは、底本通りとしました。 ○旧字体は、現行の新字体に替えました。だだし、新字体に替えなかった漢字もあります。新字体がない場合は、旧字体をそのまま用いました。 ○繰り返し記号/\は用いず、同語反復としました。 入力:今井安貴夫 ファイル作成:里実工房 公開:里実文庫  2005年10月30日