烏の北斗七星  つめたいいぢの悪[わる]い雲[くも]が、地[ぢ]べたにすれすれに垂[た]れましたので、野[の]はらは雪[ゆき]のあかりだか、日[ひ]のあかりだか判[わか]らないやうになりました。  烏[からす]の義勇艦隊[ぎゆうかんたい]は、その雲[くも]に圧[お]しつけられて、しかたなくちよつとの間[あひだ]、亜鉛[とたん]の板[いた]をひろげたやうな雪[ゆき]の田圃[たんぼ]のうへに横[よこ]にならんで仮泊[かはく]といふことをやりました。  どの艦[ふね]もすこしも動[うご]きません。  まつ黒[くろ]くなめらかな烏[からす]の大尉[たいゐ]、若[わか]い艦隊長[かんたいちやう]もしやんと立[た]つたまゝうごきません。  からすの大監督[だいかんとく]はなほさらうごきもゆらぎもいたしません。からすの大監督[だいかんとく]は、もうずゐぶんの年老[としよ]りです。眼[め]が灰[はい]いろになつてしまつてゐますし、啼[な]くとまるで悪[わる]い人形[にんぎやう]のやうにギイギイ云[い]ひます。  それですから、烏[かぎす]の年齢[とし]を見分[みわ]ける法[はふ]を知[し]らない一人[ひとり]の子供[こども]が、いつか斯[か]う云[い]つたのでした。 「おい、この町[まち]には咽喝[のど]のこわれた烏[からす]が二|疋[ひき]ゐるんだよ。おい。これはたしかに間違[まちが]ひで、一|疋[ぴき]しか居[をり]ませんでしたし、それも決[けつ]してのどが壊[こわ]れたのではなく、あんまり永[なが]い間[あひだ]、空[そら]で号令[がうれい]したために、すつかり声[こゑ]が錆[ざ]びたのです。それですから烏[から]すの義勇艦隊[ぎゆうかんたい]は、その声[こゑ]をあらゆる音[と]の中[なか]で一等[いつとう]だと思[おも]つてゐました  雪[ゆき]のうへに、仮泊[かはく]といふことをやつてゐる烏[からす]の艦隊[かんたい]は、石[いし]ころのやうです。胡麻[ごま]つぶのやうです。また望遠鏡[ばうゑんきやう]でよくみると、大[おほ]きなのや小[ちい]さなのがあつて馬鈴薯[ばれいしよ]のやうです。  しかしだんだん夕方[ゆふがた]になりました。  雲[くも]がやつと少[すこ]し上[うへ]の方[はう]にのぼりましたので、とにかく烏[からす]の飛[と]ぶくらゐのすき間[ま]ができました。  そこで大監督[だいかんとく]が息[いき]を切[き]らして号令[かうれい]を掛[か]けます。 「演習[えんしふ]はじめいおいつ、出発[しゆつぱつ]」  艦隊長烏[かんたいちやうからす]の大尉[たいゐ]が、まつさきにぱつと雪[ゆき]を叩[たゝ]きつけて飛[と]びあがりました。烏[からす]の大尉[たいゐ]の部下[ぶか]が十八|隻[せき]、順々[じゆんじゆん]に飛[と]びあがつて大尉[たいゐ]に続[つゞ]いてきちんと間隔[かかく]をとつて進[すゝ]みました。  それから戦闘艦隊[せんたうかんたい]が三十二|隻[せき]、次々[つぎつぎ]に出発[しゆつぱつ]し、その次[つぎ]に大監督[だいかんとく]の大艦長[だいかんちやう]が厳[おごそか]に舞[ま]ひあがりました。  そのときはもうまつ先[さき]の烏[からす]の大尉[たいゐ]は、四[し]へんほど空[そら]で螺旋[うづ]を巻[ま]いてしまつて雲[くも]の鼻[はな]つ端[ぱし]まで行[い]つて、そこからこんどはまつ直[す]ぐに向[むか]ふの杜[もり]に進[すゝ]むところでした。  二十九|隻[せき]の巡洋艦[じゆんやうかん]、二十五|隻[せき]の砲艦[はうかん]が、だんだんだんだん飛[と]びあがりました。おしまひの二|隻[せき]は、いつしよに出発[しゆつぱつ]しました。こゝらがどうも烏[からす]の軍隊[ぐんたい]の不規律[ふきりつ]なところです。  烏[からす]の大尉[たいゐ]は、杜[もり]のすぐ近[ちか]くまで行[い]つて、左[ひだり]に曲[ま]がりました。  そのとき烏[からす]の大監督[だいかんとく]が、「大砲撃[たいはうう]てつ。」と号令[がうれい]しました。  艦隊[かんたい]は一斉[いつせい]に、があがあがあがあ、大砲[たいはう]をうちました。  大砲[たいはう]をうつとき、片脚[かかあし]をぶんとうしろへ挙[あ]げる艦[ふね]は、この前[まへ]のニダナトラの戦役[せんえき]での負傷兵[ふしやうへい]で、音[おと]がまだ脚[あし]の神経[しんけい]にひびくのです。  さて、空[そら]を大[おほ]きく四[し]へん廻[まは]つたとき、大監督[だいかんとく]が、 「分[わか]れつ、解散[かいさん]」と云[い]ひながら、列[れつ]をはなれて杉[すぎ]の木[き]の大監督官舎[だいかんとくくわんしや]におりました。みんな列[れつ]をほごしてじぶんの営舎[えいしや]に帰[かへ]りました。  烏[からす]の大尉[たいゐ]は、けれども、すぐに自分[じぶん]の営舎[えいしや]に帰[かへ]らないで、ひとり、西[にし]のはうのさいかちの木[き]に行[い]きました。  雲[くも]はうす黒[くろ]く、たゞ西[にし]の山[やま]のうへだけ濁[にご]つた水色[みづいろ]の天[てん]の淵[ふち]がのぞいて底光[そこびか]りしてゐます。そこで烏仲間[からすなかま]でマシリイと呼[よ]ぶ銀[ぎん]の一つ星[ぼし]がひらめきはじめました。  烏[からす]の大尉[たいゐ]は、矢[や]のやうにさいかちの枝[えだ]に下[お]りました。その枝[えだ]に、さつきからじつと停[とま]つて、ものを案[あん]じてゐる烏[からす]があります。それはいちばん声[こゑ]のいゝ砲艦[はうかん]で、烏[からす]の大尉[たいゐ]の許嫁[いひなづけ]でした。 「があがあ、遅[をそ]くなつて失敬[しつけい]。今日[けふ]の演習[えんしふ]で疲[つか]れないかい。」 「かあお、ずゐぶんお待[ま]ちしたわ。いつかうつかれなくてよ。」 「さうか。それは結構[けつこう]だ。しかしおれはこんどしばらくおまへと別[わか]れなければなるまいよ。」 「あら、どうして、まあ大[たい]へんだわ。」 「戦闘艦隊長[せんたうかんたいちやう]のはなしでは、おれはあした山烏[やまがらす]を追[お]ひに行[ゆ]くのださうだ。」 「まあ、山烏[やまがらす]は強[つよ]いのでせう。」 「うん、眼玉[めだま]が出[で]しやばつて、嘴[くちばし]が細[ほそ]くて、ちよつと見掛[みか]けは偉[ゑら]さうだよ。しかし訳[わけ]ないよ。」 「ほんたう。」 「大丈夫[だいじやうぶ]さ。しかしもちろん戦争[せんさう]のことだから、どういふ張合[はりあひ]でどんなことがあるかもわからない。そのときはおまへはね、おれとの約束[やくそく]はすつかり消[き]えたんだから、外[ほか]へ嫁[い]つてくれ。」 「あら、どうしませう。まあ、大[たい]へんだわ。あんまりひどいわ、あんまりひどいわ。それではあたし、あんまりひどいわ、かあお、かあお、かあお、かあお」 「泣[な]くな、みつともない。そら、たれか来[き]た。」  烏[からす]の大尉[たいゐ]の部下[ぶか]、烏[からす]の兵曹長[へいさうちやう]が急[いそ]いでやつてきて、首[くび]をちよつと横[よこ]にかしげて礼[れい]をして云[い]ひました。 「があ、艦長殿[かんちやうどの]、点呼[てんこ]の時間[じか]でございます。一同整列[いちどうせいれつ]して居[を]ります。」 「よろしい。本艦[ほんかん]は即刻帰隊[そくこくきたい]する。おまへは先[さき]に帰[かへ]つてよろしい。」 「承知[しやうち]いたしました。」兵曹長[へいさうちやう]は飛[と]んで行[い]きます。 「さあ、泣[な]くな。あした、も一度列[いちどれつ]の中[なか]で会[あ]へるだらう。 丈夫[じやうぶ]でゐるんだぞ、おい、お前[まへ]ももう点呼[てんこ]だらう、すぐ帰[かへ]らなくてはいかん。手[て]を出[だ]せ。」  二|疋[ひき]はしつかり手[て]を握[にぎ]りました。大尉[たいゐ]はそれから枝[えだ]をけつて、急[いそ]いでじぶんの隊[たい]に帰[かへ]りました。娘[むすめ]の烏[からす]は、もう枝[えだ]に凍[こほ]り着[つ]いたやうに、じつとして動[うご]きません。  夜[よる]になりました。  それから夜中[よなか]になりました。 雲[くも]がすつかり消[き]えて、新[あた]らしく灼[や]かれた鋼[はがね]の空[そら]につめたいつめたい光[ひかり]がみなぎり、小[ちい]さな星[ほし]がいくつか聯合[れんがふ]して爆発[ばくはつ]をやり、水車[すゐしや]の心棒[しんばん]がキイキイ云[い]ひます。  たうたう薄[うす]い鋼[はがね]の空[そら]に、ピチリと裂罅[ひゞ]がはいつて、まつ二[ぷた]つに開[ひら]き、その裂[さ]け目[め]から、あやしい長[なが]い腕[うで]がたくさんぶら下[さが]つて、烏[からす]を握[つか]んで空[そら]の天井[てんじやう]の向[むか]ふ側[がは]へ持[もつ]て行[い]かうとします。烏[からす]の義勇艦隊[ぎゆうかんたい]はもう総掛[そうがゝ]りです。みんな急[いそ]いで黒[くろ]い股引[もゝひき]をはいて一生[いつしやう]けん命[めい]宙[ちう]をかけめぐります。兄貴[あにき]の烏[からす]も弟[おとうと]をかばふ暇[ひま]がなく、恋人同志[こひびとどうし]もたびたびひどくぶつつかり合[あ]ひます。  いや、ちがひました。  さうぢやありません。  月[つき]が出[で]たのです。青[あを]いひしげた二十日[はつか]の月[つき]が、東[ひがし]の山[やま]から泣[な]いて登[のぼ]つてきたのです。そこで烏[からす]の軍隊[ぐんたい]はもうすつかり安心[あんしん]してしまひました。  たちまち杜[もり]はしづかになつて、たゞおびへて脚[あし]をふみはづした若[わか]い水兵[すゐへい]が、びつくりして眼[め]をさまして、があと一発[いつぱつ]、ねぼけ声[ごゑ]の大砲[たいはう]を撃[う]つだけでした。  ところが烏[からす]の大尉[たいゐ]は、眼[め]が冴[さ]えて眠[ねむ]れませんでした。 「おれはあした戦死[せんし]するのだ。」大尉[たいゐ]は呟[つぶ]やきながら、許嫁[いひなづけ]のゐる杜[もり]の方[はう]にあたまを曲[ま]げました。  その昆布[こんぶ]のやうな黒[くろ]いなめらかな梢[こづゑ]の中[なか]では、あの若[かわ]い声[こゑ]のいゝ砲艦[はうかん]が、次[つぎ]から次[つぎ]といろいろな夢[ゆめ]を見[み]てゐるのでした。  烏[からす]の大尉[たいゐ]とたゞ二人[ふたり]、ばたばた羽[はね]をならし、たびたび顔[かほ]を見合[みあは]せながら、青黒[あをぐろ]い夜[よる]の空[そら]を、どこまでもどこまでものぼつて行[い]きました。もうマヂエル様[さま]と呼[よ]ぶ烏[からす]の北斗七星[ほくとしちせい]が、大[おほ]きく近[ちか]くなつて、その一[ひと]つの星[ほし]のなかに生[は]えてゐる青[あを]じろい苹果[りんご]の木[き]さへ、ありありと見[み]えるころ、どうしたわけか二人[ふたり]とも、急[きふ]にはねが石[いし]のやうにこわばつて、まつさかさまに落[お]ちかゝりました。マヂエル様[さま]と叫[さけ]びながら愕[おど]ろいて眼[め]をさましますと、ほんたうにからだが枝[えだ]から落[お]ちかゝつてゐます。急[いそ]いではねをひろげ姿勢[しせい]を直[なほ]し、大尉[たいゐ]の居[ゐ]る方[はう]を見[み]ましたが、またいつかうとうとしますと、こんどは山烏[やまがらす]が鼻眼鏡[はなめがね]などをかけてふたりの前[まへ]にやつて来[き]て、大尉[たいゐ]に握手[あくしゆ]しやうとします。大尉[たいゐ]が、いかんいかん、と云[い]つて手[て]をふりますと、山烏[やまがらす]はピカピカする拳銃[ピトル]を出[だ]していきなりずどんと大尉[たいゐ]を射殺[いころ]し、大尉[たいゐ]はなめらかな黒[くろい]胸[むね]を張[は]つて倒[たふ]れかゝります、マヂエル様[さま]と叫[さけ]びながらまた愕[おどろ]いて眼[め]をさますといふあんばいでした。  烏[からす]の大尉[たいゐ]はこちらで、その姿勢[しせい]を直[なほ]すはねの音[おと]から、そらのマヂエルを祈[いの]る声[こゑ]まですつかり聴[き]いて居[を]りました。  じぶんもまたためいきをついて、そのうつくしい七[なゝ]つのマヂエルの星[ほし]を仰[あふ]ぎながら、あゝ、あしたの戦[たゝかひ]でわたくしが勝[かつ]ことがいゝのか、山烏[やまがらす]がかつのがいゝのかそれはわたくしにわかりません、たゞあなたのお考[かんが]へのとほりです、わたくしはわたくしにきまつたやうに力[ちから]いつぱいたゝかひます、みんなみんなあなたのお考[かんが]へのとほりですとしづかに祈[いの]つて居[を]りました。そして東[ひがし]のそらには早[はや]くも少[すこ]しの銀[ぎん]の光[ひかり]が湧[わ]いたのです。  ふと遠[とほ]い冷[つめた]い北[きた]の方[はう]で、なにか鍵[かぎ]でも触[ふ]れあつたやうなかすかな声[こゑ]がしました。烏[からす]の大尉[たいゐ]は夜間双眼鏡[ナイトグラス]を手早[てばや]く取[と]つて、きつとそつちを見[み]ました。星[ほし]あかりのこちらのぼんやり白[しろ]い峠[とふげ]の上[うへ]に、一|本[ぽん]の栗[くり]の木[き]が見[み]えました。その梢[こずゑ]にとまつて空[そら]を見[み]あげてゐるものは、たしかに敵[てき]の山烏[やまがらす]です。大尉[たいゐ]の胸[むね]は勇[いさ]ましく躍[おど]りました。 「があ、非常召集[ひじやうせうしふ]、があ、非常召集[ひじやうせうしふ]」  大尉[たいゐ]の部下[ぶか]はたちまち枝[えだ]をけたてゝ飛[と]びあがり大尉[たいゐ]のまはりをかけめぐります。 「突貫[とつくわん]。」烏[からす]の大尉[たいゐ]は先登[せんたう]になつてまつしぐらに北[きた]へ進[すゝ]みました。  もう東[ひがし]の空[そら]はあたらしく研[と]いだ鋼[はがね]のやうな白光[しろびかり]です。  山烏[やまがらす]はあわてゝ枝[えだ]をけ立[た]てました。そして大[おほ]きくはねをひろげて北[きた]の方[はう]へ遁[に]げ出[だ]さうとしましたが、もうそのときは駆逐艦[くちくかん]たちはまはりをすつかり囲[かこ]んでゐました。 「があ、があ、があ、があ、があ」大砲[たいはう]の音[おと]は耳[みゝ]もつんぼになりさうです。山烏[やまがらす]は仕方[しかた]なく足[あし]をぐらぐらしながら上[うへ]の方[はう]へ飛[と]びあがりました。大尉[たいゐ]はたちまちそれに追[お]ひ付[つ]いて、そのまつくろな頭[あたま]に鋭[するど]く一突[ひとつ]き食[く]らはせました。山烏[やまがらす]はよろよろつとなつて地面[ぢめん]に落[お]ちかゝりました。そこを兵曹長[へいさうちやう]が横[よこ]からもう一突[ひとつ]きやりました。山烏[やまがらす]は灰[はい]いろのまぶたをとぢ、あけ方[がた]の峠[とうげ]の雪[ゆき]の上[うへ]につめたく横[よこた]はりました。 「があ、兵曹長。[へいさうちやう]その死骸[しがい]を営舎[えいしや]までもつて帰[かへ]るやうに。があ。引[ひ]き揚[あ]げつ。」 「かしこまりました。」強[つよ]い兵曹長[へいさうちやう]はその死骸[しがい]を提[さ]げ、烏[からす]の大尉[たいゐ]はじぶんの杜[もり]の方[はう]に飛[と]びはじめ十八|隻[せき]はしたがひました。  杜[もり]に帰[かへ]つて烏[からす]の駆逐艦[くちくかん]は、みなほうほう白[いろ]い息[いき]をはきました。 「けがは無[な]いか。誰[たれ]かけがしたものは無[な]いか。」烏[からす]の大尉[たいゐ]はみんなをいたはつてあるきました。  夜[よ]がすつかり明[あ]けました。  桃[もゝ]の果汁[しる]のやうな陽[ひ]の光[ひかり]は、まづ山[やま]の雪[ゆき]にいつぱいに注[そゝ]ぎ、それからだんだん下[した]に流[なが]れて、つひにはそこらいちめん、雪[ゆき]のなかに白百合[しろゆり]の花[はな]を咲[さ]かせました。  ぎらぎらの太陽[たいやう]が、かなしいくらゐひかつて、東[ひがし]の雪[ゆき]の丘[おか]の上[うへ]に懸[かゝ]りました 「観兵式[くわんペいしき]、用意[ようい]つ、集[あつま]れい。」大監督[だいかんとく]が叫[さけ]びました。 「観兵式[くわんペいしき]、用意[ようい]つ、集[あつま]れい。」各艦隊長[かくかんたいちやう]が叫[さけ]びました。  みんなすつかり雪[ゆき]のたんぼにならびました。  烏[からす]の大尉[たいゐ]は列[れつ]からはなれて、ぴかぴかする雪[ゆき]の上[うへ]を、足[あし]をすくすく延[の]ばしてまつすぐに走[はし]つて大監督[だいかんとく]の前[まへ]に行[い]きました。 「報告[はうこく]、けふあけがた、セビラの峠[とうげ]の上[うへ]に敵艦[てきかん]の淀泊[ていはく]を認[みと]めましたので、本艦隊[ほんかんたい]は直[たゞち]に出動[しゆつどう]、撃沈[げきちん]いたしました。わが軍死者[ぐんししや]なし。報告終[はうこくをは]りつ。」  駆逐艦隊[くちくかんたい]はもうあんまりうれしくて、熱[あつ]い涙[なみだ]をぼろぼろ雪[ゆき]の上[うへ]にこぼしました。  烏[からす]の大監督[だいかんとく]も、灰[はい]いろの眼[め]から涙[なみだ]をながして云[い]ひました。 「ギイギイ、ご苦労[くらう]だつた。ご苦労[くらう]だつた。よくやつた。もうおまへは少佐[せうさ]になつてもいゝだらう。おまへの部下[ぶか]の叙勲[しよくん]はおまへにまかせる。」  烏[からす]の新[あた]らしい少佐[せうさ]は、お腹[なか]が空[す]いて山[やま]から出[で]て来[き]て、十九|隻[せき]に囲[かこ]まれて殺[ころ]された、あの山烏[やまがらす]を思[おも]ひ出[だ]して、あたらしい泪[なみだ]をこぼしました。 「ありがたうございます。就[つい]ては敵[てき]の死骸[しがい]を葬[ほうむ]りたいとおもひますが、お許[ゆる]し下[くだ]さいませうか。」 「よろしい。厚[あつ]く葬[ほうむ]つてやれ。」  烏[から]すの新[あた]らしい少佐[せうさ]は礼[れい]をして大監督[だいかんとく]の前[まへ]をさがり、列[れつ]に戻[もど]つて、いまマヂエルの星[ほし]の居[み]るあたりの青[あを]ぞらを仰[あふ]ぎました。(あゝ、マヂエル様[さま]、どうか憎[にく]むことのできない敵[てき]を殺[ころ]さないでいゝやうに早[はや]くこの世界[せかい]がなりますやうに、そのためならば、わたくしのからだなどは、何[なん]べん引[ひ]き裂[さ]かれてもかまひません。)マヂエルの星[ほし]が、ちやうど来[き]てゐるあたりの青[あを]ぞらから、青[あを]いひかりがうらうらと湧[わ]きました。  美[うつくし]くまつ黒[くろ]な砲艦[はうかん]の烏[からす]は、そのあひだ中[ぢう]、みんなといつしよに、不動[ふどう]の姿勢[しせい]をとつて列[なら]びながら、始終[しじう]きらきらきらきら涙[なみだ]をこぼしました。砲艦長[はうかんちやう]はそれを見[み]ないふりしてゐました。あしたから、また許嫁[いひなづけ]といつしよに、演習[えんしふ]ができるのです。あんまりうれしいので、たびたび嘴[くちばし]を大[おほ]きくあけて、まつ赤[か]に日光[につくわう]に透[す]かせましたが、それも砲艦長[はうかんちやう]は横[よこ]を向[む]いて見逃[みの]がしてゐました。 ■このファイルについて 標題:烏の北斗七星 著者:宮澤賢治 本文:「注文の多い料理店」 発行:大正十三年十二月一日 販売元:杜陵出版部/東京光原社  新選 名著復刻全集 近代文学館   昭和51年4月1日 発行                           (第14刷) 表記:原文の表記を尊重しつつ、以下のように扱います。 ○誤字・脱字等は訂正せず、底本通りとしました。 ○本文のかなづかいは、底本通りとしました。 ○旧字体は、現行の新字体に替えました。だだし、新字体に替えなかった漢字もあります。新字体がない場合は、旧字体をそのまま用いました。 ○繰り返し記号/\は用いず、同語反復としました。 入力:今井安貴夫 ファイル作成:里実工房 公開:2005年10月3日 里実文庫