狼森と笊森、盗森
宮澤賢治
1
小岩井農場の北に、黒い松の森が四つあります。いちばん南が狼森で、その次が笊森、次は黒坂森、北のはづれは盗森です。
2
この森がいつごろどうしてできたのか、どうしてこんな奇体な名前がついたのか、それをいちばんはじめから、すつかり知つてゐるものは、おれ一人だと黒坂森のまんなかの巨きな巌が、ある日、威張つてこのおはなしをわたくしに聞かせました。
3
ずうつと昔、岩手山が、何べんも噴火しました。その灰でそこらはすつかり埋まりました。このまつ黒な巨きな巌も、やつぱり山からはね飛ばされて、今のところに落ちて来たのださうです。
4
噴火がやつとしづまると、野原や丘には、穂のある草や穂のない草が、南の方からだんだん生えて、たうたうそこらいつぱいになり、それから柏や松も生え出し、しまひに、いまの四つの森ができました。けれども森にはまだ名前もなく、めいめい勝手に、おれはおれだと思つてゐるだけでした。するとある年の秋、水のやうにつめたいすさとほる風が、柏の枯れ葉をさらさら鳴らし、岩手山の銀の冠には、雲の影がくつきり黒くうつゝてゐる日でした。
5
四人の、けらを着た百姓たちが、山刀や三本鍬や唐鍬や、すべて山と野原の武器を堅くからだにしばりつけて、東の稜ばつた燧石の山を越えて、のつしのつしと、この森にかこまれた小さな野原にやつて来ました。よくみるとみんな大きな刀もさしてゐたのです。
6
先頭の百姓が、そこらの幻燈のやうなけしきを、みんなにあちこち指さして「どうだ。いゝとこだらう。畑はすぐ起せるし、森は近いし、きれいな水もながれてゐる。それに日あたりもいゝ。どうだ、俺はもう早くから、こゝと決めて置いたんだ。」と云ひますと、一人の百姓は、
「しかし地味はどうかな。」と言ひながら、屈んで一本のすゝきを引き抜いて、その根から土を掌にふるひ落して、しばらく指でこねたり、ちょつと嘗めてみたりしてから云ひました。
「うん。地味もひどくよくはないが、またひどく悪くもないな。」
「さあ、それではいよいよこゝときめるか。」
7
も一人が、なつかしさうにあたりを見まはしながら云ひました。
「よし、さう決めやう。」いまゝでだまつて立つてゐた、四人目の百姓が云ひました。
四人はそこでよろこんで、せなかの荷物をどしんとおろして、それから来た方へ向いて、高く叫びました。
「おゝい、おゝい。こゝだぞ。早く来お。早く来お。」
8
すると向ふのすゝきの中から、荷物をたくさんしよつて、顔をまつかにしておかみさんたちが三人出て来ました。見ると、五つ六つより下の子供が九人、わいわい云ひながら走つてついて来るのでした。
9
そこで四人の男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃へて叫びました
「こゝへ畑起してもいゝかあ。」
「いゝぞお。」森が一斉にこたへました。
みんなは又叫びました。
「こゝに家建てゝもいゝかあ。」
「ようし。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた声をそろへてたづねました。
声を揃へて叫びました
「こゝで火たいてもいいかあ。」
「いゝぞお。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた叫びました。
「すこし木貰つてもいゝかあ。」
「ようし。」森は一斉にこたへました。
10
男たちはよろこんで手をたゝき、さつきから顔色を変へて、しんとして居た女やこどもらは、にわかにはしやぎだして、子供らはうれしまぎれに喧嘩をしたり、女たちはその子をぽかぽか撲つたりしました。
11
その日、晩方までには、もう萱をかぶせた小さな丸太の小屋が出来てゐました。子供たちは、よろこんでそのまわりを飛んだりはねたりしました。次の日から、森はその人たちのきちがひのやうになつて、働らいてゐるのを見ました男はみんな鍬をピカリピカリさせて、野原の草を起しました。女たちは、まだ栗鼠や野鼠に持つて行かれない栗の実を集めたり、松を伐つて薪をつくつたりしました。そしてまもなく、いちめんの雪が来たのです。
12
その人たちのために、森は冬のあいだ、一生懸命、北からの風を防いでやりました。それでも、小さなこどもらは寒がって、赤くはれた小さな手を、自分の咽喉にあてながら、「冷たい、冷たい。」と云つてよく泣きました。
13
春になつて、小屋が二つになりました。
14
そして蕎麦と稗とが播かれたやうでした。そばには白い花が咲き、稗は黒い穂を出しました。その年の秋、穀物がとにかくみのり、新らしい畑がふえ、小屋が三つになつたとき、みんなはあまり嬉しくて大人までがはね歩きました。ところが、土の堅く凍つた朝でした。九人のこどもらのなかの、小さな四人がどうしたのか夜の間に見えなくなつてゐたのです。
15
みんなはまるで、気遣ひのやうになつて、その辺をあちこちさがしましたが、こどもらの影も見えませんでした。
16
そこでみんなは、てんでにすきな方へ向いて、一諸に叫びました。
「たれか童やど知らないか。」
「しらない。」と森は一斉にこたへました。
「そんだらさがしに行くぞお。」とみんなはまた叫びました。
「来お。」と森は一斉にこたへました。
17
そこでみんなは色々の農具をもつて、まづ一番ちかい狼森に行きました。森へ入りますと、すぐしめつたつめたい風と朽葉の匂とが、すつとみんなを襲ひました。
18
みんなはどんどん踏みこんで行きました。
19
すると森の奥の方で何かパチパチ音がしました。
20
急いでそつちへ行つて見ますと、すさとほつたばら色の火がどんどん燃えてゐて、狼が九疋、くるくるくる、火のまはりを踊つてかけ歩いてゐるのでした
21
だんだん近くへ行つて見ると居なくなつた子供らは四人共、その火に向いて焼いた栗や初茸などをたべてゐました。
22
狼はみんな歌を歌つて、夏のまはり燈龍のやうに、火のまはりを走つてゐました。
「狼森のまんなかで、
火はどろどろぱちぱち
火はどろどろぱちぱち、
栗はころころぱちぱち、
栗はころころぱちぱち。」
23
みんなはそこで、声をそろへて叫びました。
「狼どの狼どの、童しやど返して呉ろ。」
24
狼はみんなぴつくりして、一ペんに歌をやめてくちをまげて、みんなの方をふり向きました。
25
すると火が急に消えて、そこらはにわかに青くしいんとなつてしまつたので火のそばのこどもらはわあと泣き出しました。
26
狼は、どうしたらいゝか困つたといふやうにしばらくきよろきよろくしてゐましたが、たうたうみんないちどに森のもつと奥の方へ逃げて行きました。
27
そこでみんなは、子供らの手を引いて、森を出やうとしました。すると森の奥の方で狼どもが、
「悪く思わないで呉ろ。栗だのきのこだの、うんとご馳走したぞ。」と叫ぶのがさこえました。みんなはうちに帰つてから粟餅をこしらへてお礼に狼森へ置いて来ました。
28
春になりました。そして子供が十一人になりました。馬が二疋来ました。畠には、草や腐つた木の葉が、馬の肥と一諸に入りましたので、粟や稗はまつさをに延びました。
29
そして実もよくとれたのです。秋の末のみんなのよろこびやうといつたらありませんでした。
30
ところが、ある霜柱のたつたつめたい朝でした。
31
みんなは、今年も野原を起して、畠をひろげてゐましたので、その朝も仕事に出やうとして農具をさがしますと、どこの家にも山刀も三本鍬も唐鍬も一つもありませんでした。
32
みんなは一生懸命そこらをさがしましたが、どうしても見附かりませんでした。それぞ仕方なく、めいめいすきな方へ向いて、いつしょにたかく叫びました。
「おらの道具知らないかあ。」
「知らないぞお。」と森は一ぺんにこたへました。
「さがしに行くぞお。」とみんなは叫びました。
「来お。」と森は一斉に答えました。
33
みんなは、こんどはなんにももたないで、ぞろぞろ森の方へ行きました。はじめはまづ一番近い狼森に行きました。
34
すると、すぐ狼が九疋出て来て、みんなまじめな顔をして、手をせわしくふつて云ひました。
「無い、無い、決して無い、無い。外をさがして無かつたら、もう一ペんおいで。」
35
みんなは、尤もだと思つて、それから西の方