定家本「土左日記」整定本文

                     紀貫之


 

をとこもすといふ日記といふ物を、をむなもして心みむとて、するなり。

 

それのとし師走しはす二十日はつかあまり一日ひとひの日のいぬの時に、門出かとてす。そのよし、いさゝかに物にきつく。

 

ある人、あかた四年よとせ五年いつとせてゝ、れいのことどゝもみなしへて、解由けゆなどりて、たちよりでゝ、舟にるべき所へわたる。かれこれ、らぬをくりす。年来としころよくくらべつる人/\なむ、わかかたく思ひて、しきりにとかくしつゝのゝしるうちに夜けぬ。

 

廿二日に、和泉いつみくにまでと、たひらかに願つ。藤原ふちはらのときざね、船路ふなちなれど、むまのはなむけす。上中下かみなかしもきて、いとあやしく、潮海しほうみのほとりにて、あざれあへり。

 

廿三日、八木やきのやすのりといふ人あり。この人、くにかならずしも使つかものにもあらずなり。これぞ、たたゝはしきやうにて、むまのはなむけしたる。かみがらにやあらむ。くに人の心のつねとして、いまはとて、見えずなるを、心ある者(物)は、ぢずぞなむける。これはものによりてほむるにしもあらず。

 

廿四日、講師むまのはなむけしにでませり。ありとある上下、わらはまで、ひしれて、一文字をだにらぬもの、しがあしは十文字にみてぞあそぶ。

 

廿五日、かみたちより、びにふみたなり。ばれていたりて、日一日ひとひ一夜ひとよとかくあそぶやうにてけにけり。

 

廿六日、猶かみたちにてあるに、饗応あるしし、のゝしりて、郎等までにものかづけたり。漢詩からうたこゑげてひけり。和歌やまとうた主人あるし客人まらうとも、こと人もひあへりけり。漢詩からうたは、これにえかず。和歌やまとうた主人あるしかみめりける、

 

みやこでゝきみはむとし物を

しかひもなくわかれぬるかな」

 

となんありければ、かへさきかみめりける

 

白妙しろたへの浪地をとをひて

われべきはたれならなくに」

 

こと人/\のもありけれど、さかしきもなかるべし。とかくひて、さきかみいまのも、もろともにりて、今の主人あるしも、さきのも、手はして、酔言ゑひことに心よげなることして、でにけり。

 

廿七日、大津おほつより浦戸うらとをさしてづ。かくするうちに、京にてまれたりし女子をんなこくににてにはわかにせにしかば、このころのち、いそぎを見れど、何言なにことはず、京へかへるに、女子をんなこのなきのみぞかなしびふる。ある人/\もえへず、このあひたにあるひときてだせるうた

 

みやこへと思ふもゝのゝかなしきは

かへらぬ人のあればなりけり」

 

又ある時には、

 

「あるものとわすれつゝ猶なき人を

 

いづらとふぞかなしかりける」

 

ひけるあひたに、鹿児かこさきところに、かみ兄弟はらから、又こと人、これかれさけなにとて、いそりゐて、わかれがたきことをふ。かみたちの人/\のなかに、このたる人/\ぞ、こゝろあるやうにはれほのめく。

 

かくわかれがたくひて、かのひと/\の口網くちあみもゝろはちにて、この海辺うみへにて、になだせるうた

 

しと思ふ人やとまると葦鴨あしかも

 

うちれてこそわれにけれ」

 

ひてありければ、いといたくでゝく人のめりける、

 

さをさせどそこひもらぬわたつみの

ふかき心をきみに見るかな」

 

あひた楫取かちとり物のあはれもしらで、をのれさけらひつれば、はやなむとて、

 

しほちぬ。風もきぬべし」

 

さわげば、舟にりなんとす。

 

このおりにあるひと/\、折節おりふしにつけて、からうたども、時につかはしきふ。

 

又ある人、西国にしくになれど、甲斐かひうたなど言ふ。

 

「かくうたふに、船屋形ふなやかたちりそらくもたゝよひぬ」

 

とぞふなる。

今宵こよひ浦戸うらととまる。藤原ふちはらのときざね、たちはなのすゑひら、こと人/\、たり。

 

廿八日、浦戸うらとよりでゝ、大湊おほみなとふ。このあひたに、はやくのかみ、山くちの千みね、さけよき物どもて、ふねれたり。くゝゝふ。

 

廿九日、大湊おほみなととまれり。医師くすし、ふりはへて、屠蘇とうそ、白散、さけくはへてたり。心ざしあるにたり。

 

元日、猶おなとまり也。白散をあるものとて、船屋形ふなやかたにさしはさめりければ、風にらさせて、うみれて、えまずなりぬ。芋茎いもし荒布あらめも、歯固はかためもなし。かうやうの物もなきくに也。もとめしもかず。ただ(ゝ)、押鮎をしあゆくちをのみぞふ。人/\のくちを、押鮎をしあゆもし思ふやうあらんや。

 

今日けふみやこのみぞおもひやらるゝ」

 

小家こへかと注連縄しりくへなはのなよしのかしら柊(ひゝら木)ら、いかにぞ」

 

とぞひあへなる。

 

二日、猶大湊おほみなととまれり。講師、ものさけお(を)こせたり。

 

三日、おなじ所也。もし風なみの、猶しばしと、しむ心やあらん。心もとなし。

 

四日、風けば、えでたゝず。まさつら、さけよき物たてまつれり。このかうやうに物てくる人に、猶しもはあらでいさゝけわざせさす。ものもなし。にきわゝしきやうなれど、くる心地こゝちす。

 

五日、風波止まねば、猶同おなじ所にあり。人ゝゝえずとふらひに来。

 

六日、昨日きのふのごとし。

 

七日になりぬ。おなみなとにあり。今日けふ白馬あおむまなどおもへど、かひなし。ただ(ゝ)浪のしろきのみぞ見ゆる。

 

かゝるほどに人の家の池とある所より、こひはなくて、ふなよりはじめて、かはのもうみのも、こと物ども長櫃なかひつになつゝけておをこせたり。若菜わかな今日けふをばらせたる。うたあり。そのうた

 

浅茅生あさちふ野辺のへにしあれば水もなき

 

池にみつる若菜わかななりけり」

 

いともかしこし。このいけといふは、所の名なり。よき人のおとこにつきてくたりて、みけるなりけり。この長櫃なかひつの物は、みな人ゝゝにわらはまでにくれたれば、ちて、船子ふなこどもは、腹鼓はらつゝみちて、うみをさへおとろかして、なみてつべし。

 

かくて、このあひたことおほかり。今日けふ割籠わりこたせてたる人、そのど(ゝ)とぞや、いまおもでむ。この人、うたまむとおもふ心ありてなりけり。とかくひ/\て、

 

なみつなること」

 

うるひてめるうた

 

さきつ白浪の声よりも

をくれてかむわれやまさらん」

 

とぞめる。いと大声おほこゑなるべし。たる物よりは、うたはいかがゝあらん。このうたを、これかれあはれがれども、一人ひとりかへしせず。しつべき人もましれゝど、これをのみいたがり、物をのみひて、夜更よふけぬ。この歌主うたぬしは、

 

「まだまからず」

 

ひてちぬ。ある人のわらはなる、ひそかにふ。

 

「まろ、このうたかへしせん」とふ。おとろきて、

 

「いとをおかしきことかな。みてむやは。みつべくは。は(ゝ)やへかし」

 

ふ。

 

「「まからず」とてちぬる人をちてまん」

 

とて、もとめけるを、夜更けぬ、とにや、や(ゝ)がてにけり。

 

「そも/\、いかがゝむだる」

 

と、いぶかしがりてふ。このわらはさすがにぢてはず。ひてへば、へるうた

 

く人もとまるも袖の涙川なみたかは

みきはのみこそれまさりけれ」

 

となんめる。かくはふものか。うつくしければにやあらん、いとおもはずなり。

 

童言わらはことにては、なにかせむ。おんなをきなしつべし。しくもあれ、いかにもあれ、便たよりあらばやらむ」

 

とて、かれぬめり。

 

八日、さはることありて、なほおなところなり。今宵こよひ、月はうみにぞる。これを見て業平なりひらきみの、

 

「山のにけれずもあらなん」

 

といふうたなん、おほゆる。もし海辺うみへにてまゝしかば、「なみたちへてれずもあらなん」

 

ともみてましや。いまこのうたを思いてて、ある人のめりける。

 

る月のなかるゝればあまの河

つるみなとうみにざりける」

 

とや。

 

九日のつとめて、大湊おほみなとより奈半なはとまりはむとて、でけり。これかれたかひに、

 

くにさかひのうちは」

 

とて、見送をくりにる人、あまたがなかに、藤原のときざね、橘のすゑひら、長谷部はせへのゆきまさらなん、御館みたちよりたうびし日より、こゝかしこにる。この人ゝゝぞ心ざしある人なりける。このひと/\のふかき心ざしはこのうみにもおとらざるべし。これよりいまは、はなれてく。これを見をくらんとてぞ、この人どもはける。かくてくまに/\、うみのほとりにとまれる人も、とをくなりぬ。舟の人も見えずなりぬ。きしにもふことあるべし。舟にも思ふことあれど、かひなし。かゝれど、このうたをひとりことにしてやみぬ。

 

「思やる心はうみわたれども

ふみしなければらずやあるらん」

 

かくて宇多の松原をぐ。そのまつかすいくそばく、いく千歳ちとせへたりと、らず。もとごとに浪うちせ枝ごとにつるふ。おもしろし、と見るにへずして、ふな人のめるうた

 

見渡わたせば松のうれごとにつる

千代ちよのどちとぞ思ふべらなる」

 

とや。このうたところを見るに、えまさらず。かくあるを見つゝくまにゝゝ、山も海もみなれ、夜けて、西にしひんかしも見えずして、天気てけのこと、かちとりの心にまかせつ。

をのこらはぬは、いとも心ほそし。ましてをんなは、舟底ふなそこかしらきあてゝ、をのみぞく。かくおもへば、舟子ふなこかちとり舟唄ふなうたうたひて、なにともおもへらず。そのうたうたは、

 

はるにてぞをば若薄わかすゝきるきるむだるおややまぼるらんしうとめふらんかつらや昨夜よむへのうなゐもがなせにはむ空言そらことをしてをぎのりわざをしてせにをのれだにず」

 

これならずおほかれど、かず。これらを人のわらふをきて、うみるれども、心はすこしぎぬ。かくてらして、とまりいたりて、翁人おきなひと一人ひとり専女たうめ一人ひとりあるがなかに心地しみして、ものもゝのしばで、ひそまりぬ。

 

十日、今日けふは、この奈半なはとまりとまりぬ。

 

十一日、あかつきに舟をだして、室津むろつふ。人みなまだたれば、うみのありやうも見えず。ただゝ月を見てぞ、西にしひんかしをばりける。かゝるあひたに、みな夜明よあけて、あらひ、れいことどゝもして、ひるになりぬ。いまし、羽根はねといふ所にぬ。わかわらはこの所の名をきて、

 

羽根はねといふ所はとり羽根はねのやうにやある」

 

ふ。まだおさなわらはの言ことなれば、人/\わらふ時に、ありける女わらはなん、この歌をめる。

 

「まことにてく所羽根はねならば

ぶがごとくにみやこへもがな」

 

とぞへる。をとこをんなも、「いかでとく京へもがな」と思ふ心あれば、このうたよしとにはあらねど、「げに」と思て、人/\わすれず。この羽根はねといふ所わらはのついでにぞ、又むかしの人を思でゝ、いづれの時にかわするゝ。今日けふはまして、はゝかなしからるゝことは。くたりし時の人のかすらねば、古歌ふるうたに、

 

かすらでぞかへるべらなる」

 

といふことを思でゝ、人のめる。

 

「世中に思ひやれどもふる

おもひにまさるおもひなきかな」

 

ひつゝなん。

 

十二日、あめらず。ふむとき、これもちがふねをくれたりし、奈良志津ならしつより室津むろつぬ。

 

十三日のあかつきに、いさゝかにあめる。しばしありて、みぬ。女これかれ、

 

沐浴ゆあみなどせん」

 

とて、あたりのよろしき所にりてく。うみを見やれば、

 

くももみな浪とぞ見ゆる海人あまもがな

 

いづれかうみひてるべく」

 

となんうためる。さて、十日とうかあまりなれば、月おもしろし。舟にはしめし日より、舟にはくれなゐく、よききぬず。それは、

 

うみの神にぢて」

 

と、ひて、なに葦蔭あしかけにことつけて、老海鼠ほやのつまのいずし、すしあはひをぞ、心にもあらぬはきげて見せける。

 

十四日、あかつきよりあめれば、おなし所にとまれり。舟君ふなきみ、節忌(せち見)す。精進物さうしものなければ、むま時よりのち舵取かちとり昨日きのふりたりしたひに、せになければ、よねけて、ちられぬ。かゝること、なほありぬ。舵取かちとり、又たひたり。よねさけなど、る。舵取かちとり気色けしきしからず。

 

十五日、今日けふ小豆粥あつきかゆず。口惜くちおしく、なほ日のしければ、ゐざるほどにぞ、今日けふ二十日はつかあまりぬる。いたづらに日をれば、人/\海をなかめつゝぞある。わらはへる。

 

てばつゐれば又ゐるく風と

なみとは思ふどちにやあるらん」

 

いふかひなきものへるには、つかはし。

 

十六日、風なみまねば、なほおなじ所にありとまれり。ただゝ「うみに浪なくしていつしか御崎みさきといふところわたらん」とのみなんおもふ。風なみ、とにゝむべくもあらず、ある人の、この浪つを見てめるうた

 

「霜だにもかぬ方ぞといふなれど

なみなかにはゆきりける」

 

さて舟にりし日より今日けふまでに二十日はつかあま五日いつかになりにけり。

 

十七日、くもれるくもなくて、暁月夜あかつきつくよ、いともおもしろければ、舟をだしてく。このあひたくもうへうみそこも、おなじごとくになんありける。むべもむかしをとこは、

 

さおかべなみうへの月を、ふねそふうみうちそらを」

 

とは、ひけむ。れにける也。又ある人のめるうた

 

水底みなそこの月のうへよりぐ舟の

さおさはるはかつらなるらし」

 

これをきて、ある人の又める。

 

かけ見れば浪のそこなる久方ひさかた

そらわたわれぞわびしき」

 

かくあひたに、夜やうやくけるあひたくに、舵取かちとりら、

 

くろくもにはかにぬ。風きぬべし。御舟みふねかへしてむ」

 

ひて、舟かへる。このあひたりぬ。いとわびし。

 

十八日、なほおなじ所にあり。うみあらければ、舟(い)ださず。このとまりとほれども、ちかれども、いとおもしろし。かゝれどもくるしければ、何事なにことおもほえず。をとこどちは心やりにやあらん、漢詩からうたなどいふべし、舟もださでいたづらなれば、ある人のめる、

 

いそふりのするいそには年月を

 

いつともわかぬゆきのみぞる」

 

このうたつねにせぬ人のこと也。又人のめる、

 

「風にる浪のいそにはうくひす

 

春もえらぬ花のみぞく」

 

このうたどもを、すこしよろしときて舟のをさしけるおきな、月ごろくるしき心やりにめる、

 

つ浪を雪か花かと吹風ぞ

せつゝ人をはかるべらなる」

 

このうたどもを人のなにかとふを、ある人きふけりてめり。そのうためる文字もし三十文字みそもしあま七文字なゝもし。人みなえあらでわらふやうなり。歌主うたぬし、いと気色けしきしくてず。真似まねべども、え真似まねばず。けりとも、えゑへかたかるべし。今日けふだにかくかたし。ましてのちにはいかならん。

 

十九日、しければ、舟ださず。

 

廿日、昨日きのふのやうなれば、舟ださず。みな人ゝゝうれなけく。くるしく心もとなければ、ただゝ日のぬるかすを、「今日けふ幾日いくか」、「二十日はつか」、「三十日みそか」と、かそふれば、およひそこなはれぬべし。いとわびし。ず。

二十日はつかの月でにけり。山の端(葉)もなくて海のなかよりぞる。かやうなるを見てや、むかし阿倍あへの仲麿といひける人は、唐土もろこしわたりて、かへける時に、舟にるべき所にて、かのくに人、むまのはなむけし、わかしみて、かしこの漢詩からうたつくりなどしける。かずやありけん、二十日はつかの月づるまでぞありける。その月は、海よりぞでける。これを見てぞ仲麿まろぬし

 

くには、かゝる哥をなん神世より神もび、いまかみなかしもの人も、かやうにわかしみ、よろこびもあり、かなしびもある時にはむ」

 

とて、めりけるうた

 

青海原あをうなはらふりさけ見れば

春日かすかなる三笠みかさやま

でし月かも」

 

とぞめりける。かのくにるまじうおもほえたれどもこと男文字をとこもしにさまをだして、こゝの言葉ことはつたへたる人にらせければ、心をやたりけむ、いとおもひのほかになんでける。唐土もろこしとこのくにとはことことなるものなれど、月の影はおなじことなるべければ、人の心もおなじことにやあらん。さて、いま当時そのかみを思やりてある人のめるうた

 

みやこにて山のに見し月なれど

 

浪よりでゝ浪にこそれ」

 

廿一日、の時ばかりに舟だす。みな人/\のふねづ。これを見れば春の海に秋のの葉しもれるやうにぞありける。おぼろけの願によりてにやあらむ、風もかず、き日て、く。このあひた使つかはれんとて、きてわらはあり。それがうた舟唄ふなうた

 

「なほこそくにの方は見やらるれ父母ちゝはゝありとしおもへばかへらや」

 

うたふぞあはれなる。

 

かくうたふをきつゝるに、黒鳥くろとりといふ鳥、いはうへあつまりり。そのいはのもとに浪しろす。舵取かちとりふやう、

 

くろき鳥のもとにしろき浪をす」

 

とぞふ。その言葉ことはなにとにはなけれども物ふやうにぞこえたる。人のほとはねば、とかむるなり。

 

かくひつゝくに、舟君ふなきみなる人、浪を見て、

 

くによりはしめて、海賊かいそくむくゐせむ、といふなることをおもうへに海の又おそろしければ、かしらもみなしらけぬ。七十歳なゝそち八十歳やそちは、海にある物なりけり。

かみの雪と磯辺いそへの白浪と

 

いづれまされりおき島守しまもり

舵取かちとりへ」

 

廿二日、昨夜よむへとまりより、異泊ことゝまりひてく。はるかに山見ゆ。としこゝのつばかりなるわらは、年よりはおさなくぞある。このわらは舟をぐまゝに、山もく、と見ゆるを見て、あやしきこと、うたをぞめる。そのうた

 

ぎてく舟にて見ればあしひきの

 

山さへくをまつらずや」

 

とぞへる。おさなわらは言(事)にては、つかはし。今日けふ、海らげにていそゆきり、なみの花けり。ある人のめる、

 

「浪とのみひとつにけどいろれば

ゆきと花とにまかひける哉」

 

廿三日、日りてくもりぬ。

 

「このわたり、海賊かいそくおそりあり」

 

へば、神ほとけいのる。

 

廿四日、昨日きのふおなじ所也。

 

廿五日、舵取かちとりらの、

 

北風きたかせし」

 

へば、舟ださず。

 

海賊かいそく

 

ふこと、えずこゆ。

 

廿六日、まことにやあらん、

 

海賊かいそくふ」

 

へば、夜中ばかり舟をだしてみち手向たむけする所あり。舵取かちとりしてぬさたいまつらするに、ぬさひんかしれば舵取かちとりの申てたてまつことは、

 

「このぬさかた御舟みふねすみやかにがしめたまへ」

 

と申てたてまつるをきて、あるわらはめる、

 

「わたつみの道触ちふりの神に手向たむけする

ぬさ追風おひかせまずかなん」

 

とぞめる。このほとに風のよければ舵取かちとりいたくほこりて、ふねげなどよろこぶ。そのをときて、わらはおきなもいつしかとおもほへばにやあらん、いたくよろこぶ。このなか淡路あはち専女たうめといふ人のめるうた

 

おひ風のきぬる時はく舟も

帆手ほてちてこそうれしかりけれ」

 

とぞ天気ていけのことにつけていのる。

 

廿七日、風吹き浪らければ、ふねださず。これかれ、かしこくなけく。をとこたちの漢詩からうたに、

 

「日をのそめば、みやことをし」

 

などふなる事のさまをきて、あるをんなめる、

 

「日をだにもあまちかく見る物を

みやこへと思ふみちはるけさ」

 

又ある人のめる、

 

「吹風のえへぬかぎりしれば

波路(なみ地)はいとど(ゝ)はるけかりけり」

日一日ひゝとひ、風まず。つまはしきしてぬ。夜もすがら、雨もまず。今朝けさも。

 

廿八日、

 

廿九日、ふねだしてく。うらゝゝとりてく。つめなかくなるを見て、日をかそふれば、今日けふは、の日なりければ、らず。月なれば京の子日のことでゝ、

 

「松もがな」

 

へど、海中うみなかなれば、かたしかし。をんなきてだせるうた

 

「おぼつかな今日けふは子日か海人あまならば

海松うみまつをだにかましものを」

 

とぞへる。うみにての日のうたにては、いかがゝあらん。又ある人のめるうた

 

今日けふなれど若菜わかなまず春日野かすかの

わたうらになければ」

 

かくひつゝく。おもしろきところに舟をせて、

 

「こゝやいづこ」

 

ひければ、

 

土佐とさとまり

 

ひけり。むかし土佐とさひけるところみける女、この舟にましれりけり。そがひけらく、

 

むかし、し(ゝ)ばしありし所のなくひにぞあなる。あはれ」

 

ひて、めるうた

 

「年ごろをみし所のにしへば

来寄きよる浪をもあはれとぞ見る」

 

とぞへる。

 

卅日、あめかず。

 

海賊かいそくよるありきせざなり」

 

きて、夜中ばかりに舟をだして、阿波あは水門みとわたる。夜なかなれば、西ひんかしも見えず。をとこをんな、からく神仏をいのりて、この水門みとわたりぬ。寅卯とらうの時ばかりに、沼島ぬしまといふ所をぎて、多奈川たなかはといふ所をわたる。からくいそぎて、和泉いつみなたといふところいたりぬ。今日けふ、海に浪にたるものなし。神仏のめくかうふれるにたり。今日けふ、舟にりし日よりかそふれば、三十日みそかあま九日こゝぬかになりにけり。いま和泉いつみくにぬれば、海賊かいそく物ならず。

 

二月一日、あしたあめる。むま時ばかりにみぬれば、和泉いつみなたといふ所よりでゝく。うみうへ昨日きのふのごとくに風なみえず。黒崎くろさき松原まつはらく。所の名はくろく、松のいろあおく、いそなみゆきのごとくに、かひいろ蘇芳すはうに、五色しきにいま一色ひといろらぬ。このあひたに、今日けふはこうらといふ所より綱手つなてきてく。かくあひたにある人のめるうた

 

たまくしげはこ浦浪うらなみたぬ日は
うみかゝみとたれか見ざらむ」
舟君ふなきみはく、

 

「この月までなりぬること」

 

なけきて、くるしきにへずして、

 

「人もふこと」

 

とて心やりにへる、

 

く舟の綱手つなてなかき春の日を

四十日よそか五十いかまでわれにけり」

く人のおもへるやう、

 

「なぞただ(ゝ)ことなる」

 

とひそかにふべし。

 

舟君ふなきみのからくひねだしてよしとおもへることを。じもこそしべ」

 

とて、つゝめきてみぬ。にはかに猶なみたかければとゝまりぬ。

 

二日、あめまず。日一日ひゝとひもすがら神仏をいのる。

 

三日、うみうへ昨日きのふのやうなれば、舟ださず。風のくことまねば、きしなみかへる。これにつけてもめるうた

 

りてかひなき物はもる

なみたたまかぬなりけり」

 

かくて、今日けふれぬ。

 

四日、舵取かちとり

 

今日けふ風雲くも気色けしきはなはだし」

 

ひて、ふねださずなりぬ。しかれども、終日ひねもすなみたず。この舵取かちとりは、日もえはからぬかたゐなりけり。

 

このとまりはまにはくさくさのうるはしきかひいしなどおほかり。かゝれば、ただ(ゝ)むかしの人をひつゝふねなる人のめる、

 

する浪ちもせなんふる

ひとわすかひりてひろはむ」

 

へば、あるひとへずして、舟の心やりにめる、

 

「忘かひひろひしもせじ白玉しらたま

ふるをだにもかたみとおもはん」

 

となんへる。女のためには、おやをさなくなりぬべし。

 

たまならずもありけんを」

はむや。されども、

 

かほよかりき」

 

ふやうもあり。

 

なほおなじ所に、日をることをなけきて、あるをんなめるうた

 

てゝさむさもらぬいつみにぞ

むとはなしに日ごろにける」

 

五日、今日けふからくして和泉いつみなたより小津をつとまりふ。松原まつはらもはる/\なり。これかれ、くるしければ、めるうた

 

けど猶行やられぬはいも

小津をつうらなるきし松原まつはら

 

かくつゝくるほとに、

 

「舟とくげ。日のよきに」

 

と、もよほせば、舵取かちとり舟子ふなこどもにはく、

 

舟よりおほせぶなり。朝北あさきたさきに、綱手つなてはやけ」

 

ふ。この言葉ことはうたのやうなるは、舵取かちとりのおをのづからの言葉ことはなり。舵取かちとりは、うつたへに、われうたのやうなることふとにもあらず。く人の、

 

「あやしくうためきてもひつるかな」

 

とて、だせれば、げに三十文字みそもしあまりなりけり。

 

今日けふ、浪なちそ」

 

と人/\終日ひねもすいのるしるしありて、風なみたず。いまし、かもめれゐて、あそぶ所あり。京のちかづくよろこびのあまりに、あるわらはめるうた

 

いの風間かさまふをあやなくも

かもめさへだになみと見ゆらん」

 

ひてあひたに、いしつとところ松原はらおもしろくて、浜辺はまへとほし。又住吉すみよしのわたりをく。ある人のめるうた

 

いま見てぞ身をもりぬる住の

 

松よりさきわれにけり」

 

こゝにむかしひとは(ゝ)一人ひとりかた時もわすれねばめる、

 

住吉すみのえに舟さしせよ忘草

 

しるしありやとみてくべく」

 

となん。うつたへにわすれなむとにはあらで、こひしき心しばしやすめて、又もふるちからにせむとなるべし。かくひて、なかめつゝあひたに、ゆくりなく風きてげども/\、後方しりへ退しそきに退しそきて、ほと/\しくうちはめつべし。舵取かちとりはく、

 

「この住吉の明神は、れいの神ぞかし。しき物ぞおはすらん」

 

とは、いまめくものか。さて、

 

ぬさたてまつたまへ」

 

ふ。ふにしたかひて、ぬさたいまつる。かくたいまつれど、もはら風まで、いやきに、いやちに、かせなみあやふければ、舵取かちとりはく、

 

ぬさには心のかねば、御舟みふねかぬなめり。なほ、うれしとおもぶべき物たいまつべ」

 

ふ。またふにしたかひて、「いかが(ゝ)はせむ」とて、

 

まなこもこそふたつあれ、ただ(ゝ)ひとつあるかゝみたいまつる」

 

とて、うみにうちはめつれば、口惜くちをし。されば、うちつけに、うみかゝみおもてのごとなりぬれば、ある人のめるうた

 

「ちはやぶる神の心のるゝ海に

かゝみれてかつつるかな」

 

いたく、すみの江、わすくさきし姫松ひめまつなどいふ神にはあらずかし。もうつらゝゝ、かゝみに神のこゝろをこそは見つれ。舵取かちとりの心は神のみ心なり。

 

六日、澪標みをつくしのもとよりでゝ、難波なにはきて、河尻かはしりる。みなみなひと/\をんなおきなひたひてゝ、よろこぶこと、ふたつなし。かの舟酔ふなゑひの淡路あはちしまおほ

 

みやこちかくなりぬ」

 

ふをよろこびて、舟底ふなそこよりかしらをもたげ、かくぞへる。

 

「いつしかといぶせかりつる難波潟なにはかた

あし退けてにけり」

 

いとおもひのほかなる人のへれば、ひと/\あやしがる。これがなかに、心地こゝちなや舟君ふなきみ、いたくでゝ、

 

舟酔ふなゑひしうべりし御顔みかほには、ずもあるかな」

 

ひける。

 

七日、今日けふ、河しりに舟ちて、のほるに、河の水て、なやみわづらふ。舟ののほること、いとかたし。かゝるあひた舟君ふなきみの病者、もとよりこちゝゝしき人にて、かうやうのこと、さらにらざりけり。かゝれども、淡路あはち専女たうめうたに、でゝみやこほこりにもやあらん、からくしてあやしきうたひねだせり。そのうたは、

 

ては河のほり地の水をあさ

 

舟もが身もなづむ今日けふかな」

 

これはやまひをすればめるなるべし。一歌ひとうたにことのかねば、今一いまひとつ、

 

「とくと思ふ舟なやますはがために

みつの心のあさきなりけり」

 

このうたみやこちかくなりぬるよろこびにへずして、へるなるべし。

 

淡路あはちうたおとれり。ねたき。はざらましものを」

 

と、くやしがるうちに、よるになりてにけり。

 

八日、なほ、河のほりになづみて、鳥飼とりかひ御牧みまきといふほとりにとまる。今宵こよひ舟君ふなきみれいやまひおこりていたくなやむ。

 

あるひとあさらかなるものたり。よねして返ごとす。をとこどもひそかにふなり。

 

飯粒いひほしてもつる」

 

とや。かうやうのこと、所/\にあり。今日けふ節忌せちみすれば、いを不用。

 

九日、心もとなさに、けぬから、舟をきつゝのほれども、河の水なければ、ゐざりにのみぞゐざる。このあひたにわだのとまりのあかれの所といふところあり。よねいをなどへば、をこなひつ。

 

かくて舟のほるに、なきさの院といふ所をつゝく。その院、むかしを思やりてれば、おもしろかりける所也。後方しりへなるをかには、松の木どもあり。なかにはには、むめはなけり。こゝに、ひと/\のはく、

 

「これ、むかし名高なたかこえへたる所也。故惟喬これたか親王みこ御供おほんともに、故在原ありはら業平なりひらの中将の、

『世なかえへてさくらかざらばはるこゝろはのどけからまし』

 

といふうためるところなりけり」

いま今日けふあるひと、所にたるうためり。

 

千代ちよたる松にはあれどいにしへ

こゑさむさははらざりけり」

 

又、ある人のめる、

 

きみひて世を宿やとの梅花

むかしにぞ猶にほひける」

 

と、ひつゝぞ、みやこちかづくをよろこびつゝのほる。かくのほる人/\のなかに、京よりくたりし時に、みな人子どもなかりき、いたれりしくににてぞ、子生める者(物)どもありあへる。人みな、舟のとまところに子をいたきつゝりす。これを見て、むかしはゝかなしきにへずして、

 

「なかりしも有つゝかへる人の子を

 

ありしもなくてるがかなしさ」

 

ひてぞきける。ちゝもこれをきて、いかが(ゝ)あらん。かうやうのこともうたも、このむとてあるにもあらざるべし。唐土もろこしもこゝも、思ふことにへぬ時のわざとか。

今宵こよひ鵜殿うとのといふところとまる。

 

十日、さはることありてのほらず。

 

十一日、あめいさゝかにりてみぬ。かくて、さしのほるに、東の方に、山のよこほれるを見て、人にへば、

 

八幡やはたの宮」

 

ふ。これをきてよろこびて人/\をかたてまつる。

さきはしゆ。うれしきことかぎりなし。こゝに相応寺のほとりに、しばし舟をとゝめて、とかくさたむることあり。このてらきしほとりに、柳おほくあり。ある人このやなきかけの河のそこうつれるをめるうた

 

「さざ(ゝ)れ浪するあやをば青柳あをやき

かけいとしてるかとぞ見る」

 

十二日、山さきにあり。

 

十三日、なほ山さきに。

 

十四日、あめる。今日けふくるま、京へりにやる。

 

十五日、今日けふくるまたり。舟のむつかしさに、ふねより人の家にうつる。この人の家、よろこべるやうにて供応あるししたり。この主人あるしの、また供応あるしのよきを見るに、うたておもほゆ。いろ/\にかへりごとす。家の人のり、にくげならず、ゐやゝかなり。

 

十六日、今日けふようさつかた、京へのほる。ついでに見れば、山崎やまさき小櫃こひつも、まがりの大鉤おほちかたも、はらざりけり。

 

ひとこゝろをぞらぬ」

 

とぞふなる。

 

かくて、京へくに、島坂しまさかにて、ひと供応あるししたり。かならずしもあるまじきわざなり。ちてきし時よりは、かへる時ぞ人はとかくありける。これにもかへことす。よるになして、京にはらん、とおもへば、いそぎしもせぬほとに、月でぬ。桂河、月のかきにぞわたる。人/\のはく、人/\のはく、

 

「この河、飛鳥あすか河にあらねば、淵瀬ふちせさらにはらざりけり」

 

ひて、ある人のめるうた

 

「久方の月にひたる桂河かつらかは

そこなるかけはらざりけり」

 

又、ある人のへる、

 

天雲あまくもはるかなりつる桂河

そてでゝもわたりぬるかな」

 

又、ある人、めり。

 

「桂河が心にもかよはねど

おなふかさになかるべらなり」

 

京のうれしきあまりに、哥もあまりぞおほかる。夜けて、所/\もえへず。京にりたちてうれし。

 

家にいたりて、かとるに、月かければ、いとよく有様ありさま見ゆ。きしよりもまして、ふかひなくぞこほやふれたる。いへあつけたりつる人の心もれたるなりけり。中垣なかゝきこそあれ、ひといへのやうなれば、のそみてあつかれる也。さるは、便たよりごとにものえへずさせたり。今宵こよひ

 

「かゝること」

 

と、声高こわたかものはせず。いとはつらくゆれど、心ざしはせむとす。

 

さて、いけめいてくほまりみつける所あり。ほとりに松もありき。五年いつとせ六年むとせのうちに、千年とせぎにけん、片方かたへはなくなりにけり。いまひたるぞましれる。大方おほかたのみなれにたれば、「あはれ」とぞ、人/\ふ。おもでぬことなく、おもこひしきがうちに、このいへにてまれしをんなこのもろともにかへらねば、いかが(ゝ)はかなしき。ふな人もみなたかりてのゝしる。かゝるうちに、なほかなしきにへずして、ひそかに心れる人/\へりけるうた

 

まれしもかへらぬ物を宿やと

小松こまつのあるをるがかなしさ」

 

なほ、かずやあらむ、又、かくなん。

 

し人の松の千歳ちとせましかば

とほかなしきわかれせましや」

 

わすれがたく口惜くちをしきことおほかれど、えくさず。とまれかうまれ、とくりてん。




 

Last updated 11/24/98
Maintained by Eiichi Shibuya

定家本「土左日記」整定本文

凡例
1 定家本「土左日記」を原態どおりに本文整定した。
2 読解の便宜をはかって、次のような本文整定をした。
  1 仮名に適宜漢字を宛てた。その際には元の文字を( )内に残した。( )を伴わない漢字は原文の漢字である。
  2 仮名遣いを歴史的仮名遣いに正した。その際には元の仮名遣いを( )内に残した。
  3 仮名には清濁をつけた。ただし、( )内の元の文字や仮名遣いには濁点はつけなかった。
  4 文章には句読点をつけた。
  5 会話引用句等には「 」をつけた。
3 丁数行数はそのままにした。
4 反復記号は、ゝ(一字)と/\(二字以上)を使用した。

土左日記

渋谷栄一研究室へ


 
■使用したテキストファイル
平成7年度
《研究成果報告書》
研究種目 一般研究(C) 課題番号 07801057
藤原定家自筆の仮名文字に関するテキストデータベースと画像データベースの作成研究
---定家本「土左日記」本文の基礎的研究---

 
■変更箇所
  ルビ処理:ルビの記述を<RUBY>タグに変更。
  行間処理:行間180%
  段落処理:段落冒頭の一字下げを一行下げに変更。
  反復記号:ルビ冒頭の「ゝ」は、該当する仮名に直した。
変更作業:里実工房
公開:平成15年5月18日