徒然草
底本 跋文
(慶長十八年八月十五日に烏丸光広が記した。)
這両帖、吉田兼好法師、燕居之日、徒然向暮、染筆写情者也。頃、泉南亡羊処士、箕踞洛之草廬、而談李老之虚無、説荘生之自然。且、以晦日、対二三子、戯講焉。加之、後将書以命於工、鏤於梓、而付夫二三子矣。越、句読・清濁以下、俾予糾之。予、坐好其志、忘其醜、卒加校訂而己。復、恐有其遺逸也。
慶長癸丑仲秋日 黄門
光広
這の両帖は、吉田の兼好法師、燕居の日、徒然として暮に向ひ、筆を染めて情を写すものなり。頃、泉南の亡羊処士、洛の草廬に箕踞 して、李老の虚無を談じ、荘生の自然を説き、且つ、暇日なるを以て、二三子に対し、戯れに焉を講ず。加之、後に、将に、書して以て工に命じ、梓に鏤みて、夫の二三子に付せんとす。越に、句読・清濁以下、予をして之を糾さしむ。予、坐に、其の志を好し、其の醜を忘れ、卒に校訂を加ふるのみ。復、其の遺逸あらんことを恐るるなり。
慶長癸丑の仲秋の日 黄門
光広