徒然草
 

■第二百三十一段

その別当入道べつたうにふだうは、さうなき庖丁者ほうちやうじや なり。或人のもとにて、いみじきこひを出だしたりければ、皆人みなひと、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかゞとためらひけるを、別当入道、さる人にて、「このほど百日ひやくにちの鯉を切り侍るを、今日けふき侍るべきにあらず。枉げて申しけん」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、或人、北山太政入道きたやまのだいじやうにふだう殿に語り申されたりければ、「かやうのこと、おのれはよにうるさく覚ゆるなり。『切りぬべき人なくは、べ。切らん』と言ひたらんは、なほよかりなん。何条 なでう、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。

大方おほかた振舞ふるまひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、勝りたることなり。客人まれびと饗応きやうおうなども、ついでをかしきやうにとりなしたるも、まことによけれども、たゞ、そのこととなくてとり出でたる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これをたてまつらん」と云ひたる、まことの志なり。惜しむよししてはれんと思ひ、勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし。










松田史生氏が作成したテキストファイルを、岡島昭浩氏が手を加え、さらに江口聡氏がHTML化したファイルを以下のように変更しました。

変更箇所
  ルビ付きHTMLファイルに変換
  ルビをカタカナからひらがなに変更
  行間処理(行間180%)
  段落処理(形式段落ごとに<P>タグ追加、段落冒頭の一字下げを一行下げに変更)
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成13年10月