徒然草
或者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏ことの後、酒など勧むることあらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。
この法師のみにもあらず、世間の人、なべて、このことあり。若きほどは、諸ことにつけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をも附き、学問をもせんと、行末久しくあらますことども心には懸けながら、世を長閑に思ひて打ち怠りつゝ、先づ、差し当りたる、目の前のことのみに紛れて、月日を送れば、こと々成すことなくして、身は老いぬ。終に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるゝ齢ならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰へ行く。
されば、一生の中、むねとあらまほしからんことの中に、いづれか勝るとよく思ひ比べて、第一のことを案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一ことを励むべし。一日の中、一時の中にも、数多のことの来らん中に、少しも益の勝らんことを営みて、その外をば打ち捨てて、大ことを急ぐべきなり。何方をも捨てじと心に取り持ちては、一ことも成るべからず。
例へば、碁を打つ人、一手も徒らにせず、人に先立 ちて、小を捨て大に就くが如し。それにとりて、三つの石を捨てて、十の石に就くことは易し。十を捨てて、十一に就くことは難し。一つなりとも勝らん方へこそ就くべきを、十まで成りぬれば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には換へ難し。これをも捨てず、かれをも取らんと思ふ心に、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。
京に住む人、急ぎて東山に用ありて、既に行き着きたりとも、西山に行きてその益勝るべきことを思ひ得たらば、門より帰りて西山へ行くべきなり。「此所まで来着きぬれば、このことをば先づ言ひてん。日を指さぬことなれば、西山のことは帰りてまたこそ思ひ立ため」と思ふ故に、一時の懈怠、即ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。
一ことを必ず成さんと思はば、他のことの破るゝをも傷むべからず、人の嘲りをも恥づべからず。万ことに換へずしては、一の大こと成るべからず。人の数多ありける中にて、或者、「ますほの薄、まそほの薄など言ふことあり。渡辺の聖、このことを伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮法師、その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑・笠やある。貸し給へ。かの薄のこと習ひに、渡辺の聖のがり尋ね罷らん」と言ひけるを、「余
りに物騒がし。雨止みてこそ」と人の言ひければ、「無下のことをも仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつゝ、習ひ侍りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゝしく、有難う覚ゆれ。「敏き時は、則ち功あり」とぞ、論語と云ふ文にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大ことの因縁をぞ思ふべかりける。
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