徒然草
　

■第百六十七段

一道いちだうに携たづさはる人、あらぬ道の筵むしろに臨みて、「あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へること、常のことなれど、よに悪わろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨うらやましく覚おぼえば、「あな羨まし。などか習はざりけん」と言ひてありなん。我が智ちを取り出でて人に争ふは、角つのある物の、角を傾かたぶけ、牙きばある物の、牙を咬み出だす類たぐひなり。

人としては、善に伐ほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大きなる失しつなり。品しなの高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖せんぞの誉ほまれにても、人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心ないしんにそこばくの咎とがあり。慎つつしみて、これを忘るべし。痴をこにも見え、人にも言ひ消けたれ、禍 わざわひをも招くは、たゞ、この慢心まんしんなり。

一道にもまことに長ちやうじぬる人は、自みづから、明らかにその非ひ を知る故に、志こころざし常に満たずして、終ついに、物に伐ることなし。

松田史生氏が作成したテキストファイルを、岡島昭浩氏が手を加え、さらに江口聡氏がＨＴＭＬ化したファイルを以下のように変更しました。

変更箇所
　　ルビ付きＨＴＭＬファイルに変換
　　ルビをカタカナからひらがなに変更
　　行間処理（行間１８０％）
　　段落処理（形式段落ごとに＜Ｐ＞タグ追加、段落冒頭の一字下げを一行下げに変更）
変更作業：里実福太朗
変更終了：平成１３年１０月