徒然草
悲田院尭蓮上人は、俗姓は三浦
の某とかや、双なき武者なり。故郷の人
の来りて、物語すとて、「吾妻人こそ、言ひつることは頼まるれ、都の人は、ことうけのみよくて、実なし」と言ひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、己れは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて、心柔かに、情ある故に、人の言ふほどのこと、けやけく否び難くて、万え言ひ放たず、心弱くことうけしつ。偽
りせんとは思はねど、乏しく、叶はぬ人のみあれば、自ら、本意通らぬこと多かるべし。吾妻人は、我が方なれど、げには、心の色なく、情おくれ、偏にすぐよかなるものなれば、始めより否と言ひて止みぬ。賑はひ、豊
かなれば、人には頼まるゝぞかし」とことわられ侍りしこそ、この聖、声うち歪み、荒々しくて、聖教の細やかなる理
いと辨へずもやと思ひしに、この一言の後、心にくゝ成りて、多かる中に寺をも住持せらるゝは、かく柔ぎたる所ありて、その益もあるにこそと覚え侍りし。
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変更終了:平成13年10月