徒然草
　

■第百二十八段

雅房まさふさの大納言は、才ざえ賢く、よき人にて、大将にもなさばやと思おぼしける比、院の近習きんじゆなる人、「たゞ今、あさましきことを見侍りつ」と申されければ、「何ことぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹 たかに飼はんとて、生きたる犬の足を斬り侍りつるを、中墻なかがきの穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎く思おぼしめして、日来 ひごろの御気色みけしきも違たがひ、昇進しやうじんもし給はざりけり。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なきことなり。虚言そらごとは不便ふびんなれども、かゝることを聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心みこころは、いと尊きことなり。

大方おほかた、生ける物を殺し、傷いため、闘たたかはしめて、遊び楽しまん人は、畜生残害ちくしやうさんがいの類たぐいなり。万の鳥獣 とりけだもの、小さき虫までも、心をとめて有様ありさまを見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴ともなひ、嫉ねたみ、怒り、欲多く、身を愛し、命いのちを惜しめること、偏ひとへに愚痴ぐちなる故に、人よりもまさりて甚はなはだし。彼に苦しみを与へ、命を奪うばはんこと、いかでかいたましからざらん。

すべて、一切いつさいの有情うじやうを見て、慈悲じひの心なからんは、人倫じんりんにあらず。

松田史生氏が作成したテキストファイルを、岡島昭浩氏が手を加え、さらに江口聡氏がＨＴＭＬ化したファイルを以下のように変更しました。

変更箇所
　　ルビ付きＨＴＭＬファイルに変換
　　ルビをカタカナからひらがなに変更
　　行間処理（行間１８０％）
　　段落処理（形式段落ごとに＜Ｐ＞タグ追加、段落冒頭の一字下げを一行下げに変更）
変更作業：里実福太朗
変更終了：平成１３年１０月