徒然草
 

■第五十八段

「道心だうしんあらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、後世ごせを願はんに難かるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。げには、この世をはかなみ、必ず、生死を出でんと思はんに、何の興ありてか、朝夕君あさゆうきみに仕へ、家をかへりみる営みのいさましからん。心はえんにひかれて移るものなれば、しづかならでは、道はぎやう じ難し。

そのうつはもの、昔の人に及ばず、山林に入りても、うヱを助け、嵐をふせくよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから、世をむさぼるに似たることも、たよりにふれば、などかなからん。さればとて、「背 そむけるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」など言はんは、無下 むげのことなり。さすがに、一度ひとたび、道に入りて世をいとはん人、たとひのぞみありとも、いきほひある人の貪欲とんよく多きに似るべからず。紙のふすま、麻のころも一鉢ひとはちのまうけ、 あかぎあつもの、いくばくか人のつひえをなさん。求むる所は得やすく、その心はやく足りぬべし。かたちに恥づる所もあれば、さはいへど、悪には疎く、善には近づくことのみぞ多き。

人と生れたらんしるしには、いかにもして世をのがれんことこそ、あらまほしけれ。偏ひとへに貪ることをつとめて、菩提ぼだいおもむかざらんは、万の畜類に変る所あるまじくや。










松田史生氏が作成したテキストファイルを、岡島昭浩氏が手を加え、さらに江口聡氏がHTML化したファイルを以下のように変更しました。

変更箇所
  ルビ付きHTMLファイルに変換
  ルビをカタカナからひらがなに変更
  行間処理(行間180%)
  段落処理(形式段落ごとに<P>タグ追加、段落冒頭の一字下げを一行下げに変更)
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成13年10月