徒然草

■第三十段

人の亡きあとばかり、悲しきはなし。

中陰ちゆういんのほど、山里などに移ろひて、便びんあしく、せば き所にあまたあひて、後のわざどもいとなみ合へる、心あわたたし。日数ひかずの速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。ての日は、いとなさけなう、たがひに言ふこともなく、我賢かしこげに物ひきしたため、ちりぢりにきあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のためむなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。

年月経としつきへても、つゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々にうとしと言へることなれば、さはいへど、そのきはばかりは覚えぬにや、よしなしこといひて、うちも笑ひぬ。からうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかりまうでつつ見れば、ほどなく、卒都婆そとばこけ むし、木の葉うづみて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。

思ひ出でてしのぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなくせて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々としどしの春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐にむせびし松も千年ちとせを待たでたきぎくだかれ、古きつかかれて田となりぬ。そのかただになくなりぬるぞ悲しき。










松田史生氏が作成したテキストファイルを、岡島昭浩氏が手を加え、さらに江口聡氏がHTML化したファイルを以下のように変更しました。

変更箇所
  ルビ付きHTMLファイルに変換
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  段落処理(形式段落ごとに<P>タグ追加、段落冒頭の一字下げを一行下げに変更)
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成13年10月