恋衣

山川 登美子 増田 雅子 与謝野 晶子



詩人薄田泣菫の君に捧げまつる



   詩目次

白百合

みをつくし

曙染

君死に給ふこと勿れ

恋ふるとて

いかが語らむ

皷いだけば

しら玉の

冥府のくら戸は



白百合


山川登美子



髪ながき少女とうまれしろ百合にぬかは伏せつつ君をこそ思へ

聖壇せいだんにこのうらわかきにへを見よしばしはしよくひやくにもまさむ

そは夢かあらずまぼろし目をとぢて色うつくしき靄にまかれぬ

日を経なばいかにかならむこの思たまひし草もいま蕾なり

射あつべし射あてじとても矢はつがへきんの桂にぬかまける君

恋せじと書かせたまふか琴にしてともにと植ゑし桐のおち葉に

こがね雲ただに二人をこめて捲けなかのへだてを神もゆるさじ

手もふれぬ琴柱ことぢたふれてうらめしき音をたてわたる秋の夕かぜ

何といふところか知らず思ひ入れば君に逢ふ道うつくしきかな

このもだえ行きて夕のあら海のうしほに語りやがて帰らじ

この塚のぬしを語るな名を問ふなただすみれぐさひとむら植ゑませ

べにの花朝々つむにかずつきず待つと百日もゝかをなぐさめ居らむ

ひとすぢを千金せんきんに買ふわうもあれ七尺みどり秋のおち髪

わがいきを芙蓉の風にたとへますな十三絃をひといき

またの世は魔神まがみの右手の鞭うばひ美くしき恋みながら打たむ

袖たてて掩ひたまふな罪ぞ君つひのさだめを早うけて行かむ

うつつなく消えても行かむわかき子のもだえのはての歌ききたまへ

わすれじなわすれたまはじさはいへど常のさびしき道ゆかむ身か

われゆゑに泣かせまつりぬゆるしませよわき少女にいま秋のかぜ

わが胸のみだれやすきに針もあてずましろききぬをかづきて泣きぬ

狂へりや世ぞうらめしきのろはしき髪ときさばき風にむかはむ

裾きえてずゐのまなかに立つと見ぬあめの香をもつ百合花ゆりばなのうへ

うるはしき神の旅路といらへまつりともづな解かむ波のまにまに

をみなへしをとこへし唯うらぶれて恨みあへるを京の秋に見し (明治三十三年の秋)

にほひもれて人のもどきのわづらはし袖におほひていだく白百合

さらば君氷にさける花のむろ恋なき恋をうるはしと云へ

その涙のごひやらむとのたまひしとばかりまでは語り得れども

その浜のゆふ松かぜをしのび泣く扇もつ子に秋問ひますな

狂ふ子に狂へる馬の綱あたへ狂へる人に鞭とらしめむ

薄月に君が名を呼ぶ清水かげ小百合ゆすれてしら露ちりぬ

とことはに覚むなと蝶のささやきし花野の夢のなつかしきかな

聴きたまへ神にゆづらぬやは胸にくしきひびきの我を語れる

手づくりのいちごよ君にふくませむわがさすべにの色に似たれば

里の夜を姉にも云はでねむの花君みむ道に歌むすびきぬ

紅梅にあわ雪とくる朝のかどわが前髪のぬれにけるかな

なにとなく琴のしらべもかきみだれ人はづかしく成れる頃かな

心なく摘みし草の名やさしみて誰におくると友のゑまひぬ

われ病みぬふたりが恋ふる君ゆゑに姉をねたむと身をはかなむと

髪あげてさむと云ひし白ばらものこらずちりぬ病める枕に

野に出でてさゆりの露を吸ひてみぬかれし血のけの胸にわくやと

世はしたにいかにも強ひようるはしき日知らで土鼠もぐら土を掘るごと

ぬる蝶のなさけやさしみ瓜畑のあだなる花もひとめぐりしぬ

雲きれて星はながれぬおもふこと神にいのれる夕ぐれの空

かがやかにしよくよびたまふの牡丹ねたむ一人ひとりのうらわかきかな

かずかずの玉の小琴をたまはりぬいざうちよりて神をたたへむ (新詩社をむすび給へる初に)

指の環を土になげうちほゝゑみし涙の面のうつくしきかな

うるはしき[#「うるはしき」は底本では「うるはきし」]マリヤを母とよびならひわかき尼ずみ寺に年へぬ

誰がために摘めりともなし百合の花聖書にのせて祷りてやまむ

くちなはの口や狐のまなざしや地のうへ二尺君はちやうの子

よわき子はあめさす指も毒に病むさかえを祝へ地なる醜草しこぐさ

いもうとの憂髪うきがみかざる百合を見よ風にやつれし露にやつれし (晶子の君に)

垣づたひ萩のしたゆくいささ水にはぢらふ頬をばひたしぬるかな

うけられぬ人の御文みふみをなげぬれば沈まず浮かず藻にからまりぬ

くちぶえに小羊こひつじよびて鞭ふりて牧場まきばに成りし歌のふしとる

木屋街はかげ祇園は花のかげ小雨に暮るゝ京やはらかき

世のかぜはうす肌さむしあはれ君み袖のかげをとはにかしませ

利鎌とがまもて刈らるともよし君が背の小草のかずにせめてにほはむ

いろふかくゑまひこぼるるこの花よたまひし人によく似たるかな

わが舞へる扇の風に殿とのの火をもゝの牡丹のゆらぎぬと見る

いかならむ遠きむくいかにくしみか生れてさちに折らむ指なき (以下十首人に別れ生きながらへてよめる)

地にひとり泉は涸れて花ちりてすさぶ園生に何まもる吾

虹もまた消えゆくものかわがためにこの地この空恋は残るに

君は空にさらば磯回いそわの潮とならむ月にて往ぬ道もあるべき

待つにあらず待たぬにあらぬ夕かげに人の御車みくるまただなつかしむ

今の我に世なく神なくほとけなし運命さだめするどき斧ふるひ来よ

燃えて/\かすれて消えて闇に入るその夕栄ゆふばえに似たらずや君

帰り来む御魂と聞かば凍る夜の千夜ちよも御墓の石いだかまし

おもひ出づな恨に死なむ鞭のきず秘めよと袖の少女をとめに長き

夕庭のいづこに立ちてたづぬべき葡萄つむ手に歌ありし君 (以上)

みてづからひと葉つみませこのすみれ君おもひでのなさけこもれり

花さかばふたりかざしにさして見むこのすみれぐさ色はうつらじ

あたらしくひらきましたる詩の道に君が名たゝへ死なむとぞ思ふ

わが手もて摘みてかざせるひと花も君に問はれておも染めにけり

いづこ踏みいかに帰らむちる花は山をうづみぬ我をめぐりぬ

誰がためにつくる花環とほほゑみて花の名をさへ問ひたまふかな

手づくりの葡萄の酒を君に強ひ都の歌を乞ひまつるかな

迎へ待つ君は来まさずわが駒に百合の花のせ綱ひく夕野

ほほゑみて火焔ほのほも踏まむ矢も受けむ安きねむりの二人ふたりいざ見よ

それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ (晶子の君と住の江に遊びて)

羽子はごよ毬よみな母君にかくされて肩上かたあげあとの針目はりめさびしき

くれなゐに金糸の襟の舞の子を三月みつき画にすと京にある君

紅筆べにふでにわづらひたまふ歌よりも雪の兎に目をたまへ君

見じ聞かじさてはたのまじあこがれじ秋ふく風に秋たつ虹に

きぬでまりましろきなりに春のきてかがる色糸いろいとみなもつれたり

たてかけし琴の緒ひくくひびきたり御袖のはしも触れじと思ふに

てずさびにつなぎし路のいと柳誰れその上をまたむすびたる

ちる花に小雨ふる日の風ぬるしこの夕暮よ琴柱ことぢはづさむ

春さむし紅き蕾の枝づたひ病むうぐひすの戸にきより啼く

ひとみまだはえに酔はすな春の雲と袖もておほふ雛のうぐひす

夕顔に片頬あたへしおごりびと妬たしと星も今ちかう降れ

飢ゑていま血なきに筆もちからなし人よ魔と書く文字ををしへね

みいくさのふねの帆づなにいかりづなに召せや千すぢの魔もからむ髪

ふる鏡霜に裂けたるこだまなし夜烏よがらすむせび黄泉よみにや帰る

かたつぶりひさしに出でし雨ふつ日瓦にさきぬなでしこの花

たもち得ぬ才はたとへばうまざけのれしかめにも似たるこの人

ましら羽の鳥にふくます花ひとつ武蔵のあなた十里におちよ (上総なる林のぶ子の君を懐ひまつりて)

髪なでて鏡ゆかしむ夜もありぬ夢にや摘まむしろ百合の花

わが袖も春のひかりの帰らじや牡丹らせてつづみに添へば

雲に見る秋のうれひを葉に染めて泣くにしのぶに陰よき芭蕉

扇なす彩羽あやはの孔雀鳥の王おごりの塵を吹く春のかぜ

大原女おはらめのものうるこゑや京の町ねむりさそひて花に雨ふる

おばしまの牡丹の花にぬかたれて春の真昼をうつつなき人

さちはいまもやにうかびぬ夢はまたしづかにりて君と会ひにけり

薔薇ばらもゆるなかにしら玉ひびきしてゆらぐと覚ゆわが歌の胸

せめてただ女神めがみかむりしろ百合の花のひとつとひかりそへむまで

地にわが影そらに愁の雲のかげ鳩よいづこへ秋の日往ぬる

虹の輪のそらにながきをたぐりませ捲かれて往なむこの二人ふたりなり

戸によりてうらみ泣く夜のやつれ髪この子が秋を詩に問ふや誰

歌あらば海ゆく雨に添へたまへ山に夕虹なびくを待たむ (上総の浜辺に夏を過ぐせるまさ子の君に)

夕潮に玉藻たまもよるの秋ほそしさばかりをだに命なる歌

髪ながうなびけて雲はそぞろなり入日と風と恋をいどめる

鞭拍子むちびやうしやうやく慣れて南国なんごく牧場まきばの春の草に歌よき

百合牡丹にへの花姫なほ足らずばひじりの恋よ野うばらも

しら鳩も今むつまじく肩にきぬ君西びとの歌つづけませ

さりともとおさへて胸はしづめたれ夜を疑ひの涙さびしき

思あれば秋は袖うつひと葉にも涙こぼれて夕風なり

いつはりの濁るなみだのかかりなばこの袖たちてまた君を見じ

秋かぜに御粧殿みけはひどの小簾をすゆれぬ芙蓉ぞ白き透き影にして

ゆふばえやくれなゐにほいむら山にあめの火が書く君得しわが名

ぬのぎれに瓦つつみてさいはかる秤器はかりの緒にはのぼされにけり (以下拾弐首さることのありける時)

おとなしく母の膝よりならひ得し心ながらの歌といらへむ

鋳られてはひとつ形のひと色の埴輪はにわのさまにかまど出でむか

ひとりにはあまりさびしき秋の夜と筆がさそひしまぼろしよ君

地にあらず歌にただ見るまぼろしの美くしければ恋とこそ呼べ

書よみて智慧売る子とは生れざりへびのうすぎぬ価ある世よ

いきづけば花とかをらむ思あり人のいのちの燃ゆる胸より

相ふれては花もうなづく浪も鳴る枯木からき青木あをきも山を焼きぬる

おもひでを又はなやぎてかざらばや指さす人に歌ひ興ぜむ

歌よみて罪せられきと光ある今の世を見よ後の千とせに

師と友とわれとし読みてうなづかば足るべきしう智者ちしや達に言へ

あなかしこなみだのおくにひそませしいのちはつよき声にいらへぬ



みをつくし

 増田まさ子

しら梅のきぬにかをると見しまでよ君とは云はじ春の夜の夢

恋やさだめ歌やさだめとわづらひぬおぼろごこちの春の夜の人

むつれつつ菫のいひぬ蝶のいひぬ風はねがはじ雨にさちあらむ

飛ぶ鳥かわがあこがれの或るものかひかり野にすと思ふに消えぬ

歌ひとつ君なぐさめむちからなし鬢の毛とりて風にことづてむ

母恋ふる心わすれてあこがれぬやさしおん手のひと花ゆゑに

みやこびとしうのしをりとつみつれどふさひふさふやかへでのわか葉

なさけいまだよわきはげしきさだめ分かず酔へりとのみのこの子と知りぬ

かゝる夜の歌に消ぬべき秋人あきびととおもふにうすもふさふかな

世にそむき人にそむきて今宵また相見て泣きぬまぼろしの神

われにまた山の鐘鳴るゆふべなりしづくや多き涙や多き

似つかしと思ひしまでよ菖蒲あやめきり池のみぎはを南せし人

あすこむと告げたる姉をかどの戸にまちて二日ふつかの日も暮れにけり

髪ときて秋の清水にひたらまし燃ゆる思の身にしきるかな

うらみわびこの世に痩せし少女子のひくきしらべをあはれませ君

みふみ得しその夕より黒髪のみだれおぼえて涙ぐましき

痩せ指に小鬢こびんのぬけ毛からめつつさてこの秋にふさふ歌なき

人の名も仏の御名も忘れはて籠に色よき野花のばなつみぬる

しら梅の朝のしづくに墨すりて君にと書かば姉にくまむか

二十とせは亡き母しのぶ夢にのみ光ほのかにさすと覚えし

わりなくも琴にのぼせて恋得つと御歌みうたのぬしに告げば如何ならむ

つらき世のなさけいのらぬわれなれど夕となれば思あまりぬ

須磨琴すまごとのわかきわが師はめしひなり御胸みむね病むとて指の細りし

ねいき細きこのわがのどに征矢そやひきて夢路かへさぬ神もいまさば

川くまのふたもといちひかげみれば猶も君見ゆわれ遠ざかる

わりなくも君が御歌に秋痩せてよわき胡蝶のもうらやみぬ

はかり得ぬ親のこころをかへりみずゆるせと君にものいひてける

わがおもの母にるよと人いへばなげし鏡のすてられぬかな

ちる花のしたにかさねてまかせたり君が扇とわが小皷こつづみ[#ルビの「こつづみ」は底本では「こづつみ」]と

紅梅の真垣のあるじ胸をいたみ泣くを隣りに小琴とききぬ

みなさけのあまれる歌をかきいだきわが世の夢は語らじな君

君によき水際みぎはや春の鳥も啼く細き柳は傘にかかりぬ

その御手にほそきかひなをゆるしませくづるる浪のはてしなくとも

京の春に桃われゆへるしばらくをよき水ながせまろき山々

夢に見し白き胡蝶の忘れ羽かあらず小百合さゆりのそのひと花か

泣きますな師をなぐさめむすべ知ると小百合つむ君うるはしきかな (以上二首は登美子の君に)

つらきかな袖に書きてもまゐらせむ逢はで別るゝ歌のみだれよ

なにとなきとなり垣根の草の名も知らばやゆかし春雨の宿

あづまが扇に染めし梅の歌それおもひでに春とこそ思へ

この世をもはては我身も咀はるる竹ゆく水に沈む日みれば

袖おほひさびしき笑みの前髪にふさへる花はしら梅の花

うぐひすを春の桜におほはせて水の月さす夏の夜きかむ

山かげの柴戸をもれししはぶきに朝こぼれたりしら梅の花

われ思へば白きかよわの藻の花か秋をかなたの星うけて咲かむ

桃さくらなかゆく川の小板橋こいたばし春かぜ吹きぬ傘と袂に

よき里と三とせ御筆みふでのあとに見き今宵虫きくうす月の路 (渋谷にて)

君待たせてわれおくれこし木下路こしたぢときのふの蔭の花をながめぬ

花こえてその花をりて垣にそふ夢のゆくへの家うつくしき

初秋はつあき朝睡あさいの君に御湯みゆまゐる花売るくるまかどに待たせて

奇しきもの指につたへて胸に入る神も聞きませ七つの緒琴をごと

こはあめか人のさかひかまた逢ひぬ飽かずと泣きてわかれにし君

まれびとに椎の実まゐる山ずみの静なる日や秋の雨ふる

わが袖に掩ひややらむかれ/″\の野花のばなはなれぬ蝶のましろき

わづらひかこれうらぶれか春のうすれ暮うするる夕栄ゆふばえを見る

みづいろの帯ふさはずやみだれ髪花のしろきに竹の青きに

うつくしき水に小橋に名おはせて里ずみ三月みつきうらわかき人

その神のみすがた知らず御名みな知らず夢はましろの百合の園生に

まぼろしにうつらむものかわがおもひ紅きむらさき色のさま/″\

うたたねのひたひにかづく春の袖牡丹とこがねの蝶と

今はただ歌の子たれと願ふのみうらみじ泣かじおほかたの鞭

うつつなき春のなごりの夕雨にしづれてちりぬむらさきの藤

心とはそれより細き光なり柳がくれに流れにし蛍

あゝ君よ心とわれと別れきぬ深山に似たる秋かぜの家[#「秋かぜの家」は底本では「秋かぜの」]

花や雨や野の紫や春のひと酔ひてしばしの夢まどろまむ

海棠のむろに歌かく春の宵ものあくがれの酒われに濃き

はえとくやもろしと云ふや君よ人よ蝶のむくろに春をうらなへ

このゆふべ色なき花にまたも泣くえにしつたなき春のわすれ子

髪あらへば髪に花さき山みづにさくらいざよふ清滝の里

野の虹のかたへうすれて鐘なりぬ柳にしばしたたずむや誰

奥の院の夕の壁に歌も染めず白き桔梗をたをりてりぬ

おきてたるさとしかしこみ国出づと母の御墓の花に泣く人

ながれゆく汝れよ笹舟しばしまてこの歌染めていのち与へむ

紅蓮べにはすの花船ひとつ歌のせて君ある島へ夕ながさむ

夏くさを一里わけたる君がかど昨日も笑みてただに別れぬ

ふすまぬけて戸をくる京の雪の朝この子が思ひ詩によみがへる

病む鳥を籠にあはれむ夕ばしら憂かりし春の又も眼に満つ

すだれに春の眼によき玉おばしま比良の[#「の」は底本では判読不可]むらさき二尺に足らぬ

おとろへにひとり面痩せ秋すみぬ山の日うすく銀杏いてふちるかど

わが友の照る頬の春よ淀川のみどりあふれて君がかどゆけ (以下二首京にありしほど浪華の友に)

肩あげによき頬のにほひ君が春を才に耻もつわれ京の姉

ふと倚るに見たるは清き高きまどひその昨日きのふもつしら梅の花

拍つ手ここに御池みいけの緋鯉なれつるよ一人ひとりを京の春の子老いな

まぼろしに得たるみすがたたどる眼にいつしか霧の枯野を得たり

わが魂を武蔵やいづこ水よ引けよるの二百里花ふらしめよ

御手みてもろともそよ片山のこがらしにまぎれ消ぬべき我ならばとも

おんすくせわかき御尼みあまに泣かれけり堂の夕寒ゆふさむわが袖まゐる

寒菊に涙さびしき夕別れせつなき別れ西の京にして

わがなれぬ寒さの袖にまたも雪風は愛宕の北のおろしよ

そのおもざし姉に似たるにまた泣きぬ雨のまくらをふた夜の人や (弟と京にてよめる)

知らざりしほころべば[#「ほころべば」は底本では「ほころべは」]黄に紫にきのふ垣根に名なかりし草

舟にして蓮きる御手の朝うつくし十九を滋賀の水によき君 (友に)

なぐさめむ人なき寮の夜のさくらおなじ愁の君にちるべき

夜の柳ひくき浪華の水なりき歌うて過ぐる君とのみ見し

笛を追ひてゆふべ船やる水一里はすの香のせて櫓にやはらかき

なぐさみぬ都の旅の秋の身も歌に笑む夜は足る人のごと

すもゝちる京の夕かぜ又もむひととせ見たる美くしき窓

ゆく春をひとりしづけき思かな花の木間このまあはき富士見ゆ

江戸川のさくら黄ばめる朝靄にわかれし人をえこそ忘れね

春雨に山吹うかぶ細ながれみどりこなたへ君をいざなへ (東の京より西の京の友へ)

秋の日のこがねにほへる遠木立とほこだちそこにか母のありかたづねむ

磯にして君を思ふに清き夜や歌とは云はじ浪に得し珠 (以下二首上総の海辺にて)

汐あむや瑠璃を斫りたる桂なし海松みるぶさささともぬかふれにける

とほく行く身にたまはりぬ琵琶だきて秋の雲みる西のみづうみ

この世にはあらずと知りしかたらひをしづかに思ふ森かげの道

春うたふ小鳥追ひ打つ世と知らずあくがれ出でし花のづたひ (以下拾首さることにふれて)

うるはしきゆめみごこちやこのなさけこの歌あめの母にそむかじ

彼のあめを知らぬ土鼠もぐら宮守みやもりにわが歌悪しと憎まれにけり

耳しひしひじりはわかきうぐひすのよきは問はずに閉ぢてのみ

われ咀ひ石のものいふ世と知りぬつめたき声に心こほりぬ

みなさけかねたみか仇かあざけりかほほゑみあまた我をめぐれる

歌はみなあめのひかりにあこがれぬ母なき国に栖みわびぬれば

わが歌は鴿はとにやや似るつばさなり母ある空へ羽搏はうち帰れと

大神のみまへめぐりて立たむときかしこき人ら今日を忘るな

わきて身にしむやこの秋もみぢ葉のこきひと葉すら咀はれの色


曙染

 與謝野晶子

春曙抄しゆんじよせうに伊勢をかさねてかさ足らぬ枕はやがてくづれけるかな

あゝ野のみち君とわかれて三十また見ぬ顔に似る秋の花

ほととぎす聴きたまひしか聴かざりき水のおとするよき寝覚ねざめかな

海恋ししほの遠鳴りかぞへては少女となりしちゝはゝの家

加茂川に小舟をぶねもちゐる五月雨さつきあめわれとつゞみをあやぶみましぬ

鎌倉や御仏みほとけなれど釈迦牟尼は美男びなんにおはす夏木立かな

おもはれて今年ことしえうなき舞ごろもはこ黄金こがねくぎうたせけり

養はるる寺の庫裏くりなる雁来紅がんらいこう輪袈裟わげさは掛けでとりおはましを

ほととぎす治承ちしやう寿永じゆえいのおん国母こくも三十にしてきやうよます寺

わが恋は虹にもまして美しきいなづまとこそ似むと願ひぬ

せいマリヤ君にまめなるはしただんかいえむ日も夢みにし

よすれば香るいきはく石の獅子ふたつ栖むなる夏木立かな

髪にせばかくやくと射る夏の日や王者わうしやの花のこがねひぐるま

べにさせる人衆にんじゆうおほき祭街まつりまちきやり唄はむ男と生ひぬ

あけの緒の金皷きんこよせぬとさまさばやよくる人をにくむ湯の宿

今日けふのむかし前髪あげぬ十三を画にせし人に罪ありや無し

誰が罪ぞ永劫えうがふくらきうづしほのなかにさそひし玉と泣くひと

里ずみの春雨ふれば傘さして君とわが植う海棠の苗

ほととぎす過ぎぬたま/\王孫わうそんきんの鎧を矢すべるものか

さくらちる春のゆふべや廃院はいゐんのあるじ上※[#「藹」の「言」に代えて「月」」、第3水準1-91-26]じやうらふ赤裳あかもひいて

花のあたりほそき滝する谷を見ぬ長谷の御寺の有明の月

掛け香のけむりひまなきはしらをば白き錦につつませにけり

三井寺や葉わかかへで木下こしたみち石も啼くべき青あらしかな

さをとりの矢がすり見たる舟ゆゑに浪も立てかししら蓮の池

姉なれば黒き御戸帳みとちやうまづ上げぬ父まつる日のもののつめたき

更くる夜をいとまたまはぬ君わびず隅にしのびて皷緒つゞみをしめぬ

きり/″\す葛の葉つづく草どなり笛ふく家と琴ひく家と

はすを斫り菱の実とりし盥舟たらひぶねその水いかに秋の長雨ながあめ

青雲あをぐもを高吹く風に声ありて讃じたまひし恋にやはあらぬ

斯くはひてふりわけ髪の世も知らず古りしけい[#ルビの「けい」は底本では「けつ」]うつ深院しんゐんのひと

春日かすがの宮わか葉のなかのむらさきの藤のしたなる石の高麗狗こまいぬ

第一の美女びぢよに月ふれ千人せんにんの姫に星ふれ牡丹きやうせむ

このあたり君が肩よりたけあまり草ばな白く飛ぶ秋の鳥

家鼬いへいたち尾たるるさうのむかしがほやうりひとめぐりぎてもぬる

さいなさけ似ざるあまたの少女見むわれをためしに引くと聞くゆゑ

わが恋はいさなつく子かしび釣りか沖の舟見て見てたそがれぬ

白きちさき牡丹おちたり憂かる身の柱はなれし別れの時に

星よびて地にさすらはす洪量こうりやうの人と思ふにもうちがたき

花に見ませわうのごとくもただなかにをつつむうるはしきしべ

さぬ二夜ふたよ名しらぬ虫をに飼ひぬ寝がての歌は彼れに聞きませ

耳かして身ほろぶ歌と知りたまへ画ならばただに見てもあるべき

ややひろくひさしだしたる母屋もやづくり木の香にまじるたちばなの花

祭の日葵橋あふひばしゆく花がさのなかにも似たる人を見ざりし

精好せいがうあけとしら茶の金襴きんらんのはりまぜ箱に住みし小皷こつゞみ

杉のうへに茅渟ちぬの海見るかつらぎや高間たかまの山に朝立ちぬ我れ

八月や水蘆みづあしいとうたけのびてわれ喚びかねつ馬あらふひと

夕かぜの河原へ出づる小桟橋こさんばしいそぎたまふにまへざし落ちぬ

眉つくるちさき盥に水くみて兎あらふを見にきまさぬか

今日けふみちて今日たらひては今日死なむ明日あす昨日きのふよわれに知らぬ名

木曾の朝を馬子まご御主おしゆう少女笠をとめがさくらに風ふくあけぼの染に

月あると同車いなみしとが負ひて歌おほくよむ夜のほととぎす

むらさきのはすに似ませる客人まろうど荷葉かえふの水に船やりまつる

蚊やりしばし君にゆだねしけぶりゆゑおぼろになりし月夜と云ひぬ

べにしぼり緋むくなでしこ底くれなゐ我にくらべて名おほき花や

わがめいに百合からす羽の色にさきぬ指さすところ星は消ぬべし

夕粧ゆふげはひて暖簾のれんくぐれば[#「くぐれば」は底本では「くぐれは」]大阪の風かざしふく街にも生ひぬ

五月晴つゆばれの海のやうなる多摩川や酒屋の旗やもろこしのかぜ

高つきのしよくは牡丹に近うやれわれを照すは御冠みかむりの珠

欠くるなき盈つるあらぬあめつちに在りて老いよともつくられぬ (秀を生みし時)

たなばたをやりつるのちの天の川しろうも見えて風する夜かな

はすきると三寸とほき花ゆゑにみぎはの人のさそはれし舟

憂ければぞつめべにせぬ夕ぐれを色は問はずてきぬもてまゐれ

舟にのれば瓔珞えうらくゆらぐはすのかぜ掉のひとりは袞竜こんりようの袖

しら蓮や唐木からきくみたる庭舟にはぶねぢんたきすてて伯父の影なき

われを問ふやみづからおごる名を誇る二十四ときを人をし恋ふる

ここすぎて夕立はしる川むかひ柳千株せんしゆに夏の雲のぼる

水浴みあみては渓の星かげ髪ほすと君に小百合の床をねだりし

百合がなかの紅百合べにゆりとしものたまふやをかし二人ふたりの君が子の母

誰れが子かわれにをしへし橋納凉はしすゞみ十九の夏の浪華なには風流ふうりう

露の路畑をまがれば君みえずもろこしの穂にこほろぎ啼きぬ

鳥と云はず白日はくじつ虹のさす空を飛ばばはねある虫の雌雄めをとも

夏の日の天日てんじつひとつわがうへにややまばゆかるものと思ひぬ

百間ひやくけんの大き弥陀堂ひとしきり煙みなぎり京の日くれぬ

夕されば橋なき水のふなよそひ渡らば秋の花につづく戸

母屋もやかたあけ三丈の鈴のつな君とひくたびきぬもてまゐる

君やわれや夕雲を見る磯のひと四つの素足すあし海松みるぶさ寄せぬ

里ずみに老いぬと云ふもいつはりの歌と或る日は笑めりとおぼ

きざはしの玉靴たまぐつ小靴をぐついでまさずば牡丹ちらむとさうさまほしき

恋しき日やさもらひなれし東椽とうえんの隅のはしらにおもかげ立たむ

ほととぎす岩山みちの小笹をざゝ二町深山みやまといふにわらひたまひぬ

あやにくに虫歯むしば[#ルビの「むしば」は底本では「むしは」]病む子とこもりゐぬ皷きこゆる昼の山の湯

君によし撫でて見よとて引かせたり小馬ましろき春の夕庭

花とり/″\野分の朝にもてきたる十人とたりの姿よしと思ひぬ

なゝたりのなる人あり簾して船は御料ごりやうの蓮きりに行く

かしこうて蚊帳にふみよむおん方にいくつ摘むべき朝顔の花

ふるさとやわが君が草ながし松もかへでもひるがほの花

ほととぎす山門さんもんのぼる兄のかげ僧服そうふくなれば袖しろうして

よき箱と文箱とどめていもうとは玉虫飼ひぬうらみ給ふな

この恋びとをしへられては日記にきも書きぬ百合にさめぬと画蚊※[#「巾+厨」、第4水準2-8-91]ゑがやぬと

水にさく花のやうなるうすものに白き帯する浪華の子かな

春の池ろうある船の歩み遅々ちゝと行くに慣れたるみさぶらひ人

夏花は赤熱しやくねつ病める子がかざしあらはに歌ひはばからぬ人

伯母をばいまだ髪もさかりになでしこをかざせる夏にれは生れぬ (弟の子の生れけるに夏子と名をえらみて)

行く春にもとより堪へぬうまれぞと聞かば牡丹に似る身を知らむ

妻と云ふにむしろふさはぬ髪も落ちめやすきほどとなりにけるかな

われに遅れ車よりせしその子ゆゑ多く歌ひぬ京の湯の山

夕かぜや羅の袖うすきはらからにたきものしたる椅子ならべけり

わが愛づる小鳥うたふに笑み見せぬ人やとそむき又おもひ出ず

かへし書くふたりの人に文字いづれ多きを知るや春の染紙そめがみ

われぼめや十方じふぱうあかき光明のわれより出でむしるものゆゑ

ふりそでの雪輪ゆきわに雪のけはひすや橋のかなたにかへりみぬ人

かけものゝ牛の子かちし競馬けいばのり梅にいこふをよしと思ひぬ

酒つくる神とちうある三尺の鳥居のうへの紅梅の花

われにまさる熱えて病むと云ひたまへあらずとならば君にたがはむ

菜の花のうへに二階の障子さうじ見え戸見え伯母見えぬるき水ふむ

あやまちて小櫛をぐしながしゝ水なればくぐるは君が花垣なれば

河こえてつゞみ凍らぬ夜をほめぬ千鳥なく夜の加茂の里びと

鹿しゝが谷尼は磬うつ椿ちるうぐひす啼きて春の日くれぬ

くれなゐの蒲団かさねし山駕籠に母と相乗る朝ざくら路

あゝ胸は君にどよみぬ紀の海を淡路のかたへ潮わしる時

まる山のをとめも比叡の大徳だいとこも柳のいろにあさみどりして

法華経の朝座あさゞ講師かうしきんらんの御袈裟みけさかをりぬ梅さとちりぬ

いでまして夕むかへむ御轍みわだちにさざんくわちりぬ里あたたかき

歌よまでうたたねしたる犯人ぼんにんは花に立たせて見るべかりけり

うれひのみ笑みはをしへぬとほびとよ死ねやと思ふ夕もありぬ

御供養みくやう東寺とうじ舞楽ぶがくの日を見せて桜ふくなり京の山かぜ

金色こんじきのちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に

紅梅やをなごあるじの零落れいらくにともなふ鳥の籠かけにけり

大木たいぼくにたえず花さくわが森をともに歩むにふさふと云ひぬ

しろ百合と名まをし君が常夏とこなつの花さく胸を歌嘆かたんしまつる (とみ子の君に)

審判さばきの日をゆびきずくるとげにくみ薔薇ばらつまざりし罪とひまさば

山の湯や懸想けさうびとめく髪ながの夜姿よなりをわかき師にかしこみぬ

廊馬道らうめどういくつか昨夜よべの国くればうぐひす啼きぬ春のあけぼの

こゝろ懲りぬ御兄みあになつかしあざみては博士得ませと別れし人も

うへ二まいなかはだへ舞扇はさめる襟の五ついろの襟

きよき子を唖とつくりぬその日より瞳なに見るあきじひの人

ひと春秋はるあきねたしと見るはただに花きぬに縫はれぬ牡丹しら菊

さそひし歌の悪霊あくりやう人生みぬ髪ながければ心しませや

春の夜の火かげあえかに人見せてとれよと云へど神に似たれば

明けむ朝われ愛着あいぢやくす人よ見な花よ媚ぶなと袋に縫へな

にくき人に柑子かうじまゐりてぬりごめの歌問ふものか朝の春雨

よしと見るもうらやましきもわが昨日きのふよそのおん世は見ねば願はじ

酔ひ寝ては鼠がはしる肩と聞き寒き夜りぬ歌びとの妻

ぢからのよわや十歩とあしに鐘やみて桜ちるなり山の夜の寺

兼好を語るあたひに伽羅たかむ京の法師の麻のころも

かくて世にけものとならで相逢ひぬ日てる星てるふたりのぬか

春の夜や歌舞伎を知らぬ鄙びとの添ひてあゆみぬあかき灯の街

玉まろき桃の枝ふく春のかぜ海に入りては真珠しんじゆ生むべき

春いそぐ手毬ぬふ日と寺々てら/″\御詠歌みえいかあぐる夜は忘れゐぬ

春の夜はものぞうつくしゑんずるとひろのあなたにまろ寝の人も

駿河の山百合がうつむく朝がたち霧にてる日を野に髪すきぬ

伽藍すぎ宮をとほりて鹿しか吹きぬ伶人れいじんめきし奈良の秋かぜ

霜ばしら冬は神さへのろはれぬ日ごと折らるるしろがねの櫛

鬼が栖むひがしの国へ春いなむ除目ぢもくに洩れし常陸ノ介と

髪ゆふべ孔雀の鳥屋とや横雨よこあめのそそぐをわぶる乱れと云ひぬ

廊ちかくつゞみと寝ねしあだぶしもをかしかりけり春の夜なれば

しうのぬしは神にをこたるはした女か花のやうなるおもはれ人か

さは思へ今かなしみの酔ひごこち歌あるほどは弔ひますな

   君死にたまふことなかれ
     旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親はやいばをにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

さかひの街のあきびとの
旧家きうかをほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
けものの道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかでおぼされむ。

あゝをとうとよ、戦ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家をり、
やすしと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる。

暖簾のれんのかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻にひづまを、
君わするるや、思へるや、
十月とつきも添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。

   恋ふるとて

恋ふるとて君にはよりぬ、
君はしも恋は知らずも、
恋をただ歌はむすべに
こころ燃え、すがた※[#「やまいだれ+瞿」、第3水準1-88-62]せつる。

   いかが語らむ

いかが語らむ、おもふこと、
そはいと長きこゝろなれ、
いま相むかふひとときに
つくしがたなき心なれ。

わが世のかぎり思ふとも、
われさへ知るは難からし、
君はた君がいのちをも
かけて知らむと願はずや。

夢のまどひか、よろこびか、
狂ひごこちか、はた熱か、
なべて詞に云ひがたし、
心ただ知れ、ふかき心に。

   皷いだけば

つゞみいだけば、うらわかき
姉のこゑこそうかびくれ、
うちぎかづけば、華やぎし
姉のおもこそにほひくれ、
桜がなかにすだれして
宇治の河見るたかどのに、
姉とやどれる春の夜の
まばゆかりしを忘れめや、
もとより君は、ことばらに
うまれ給へば、十四まで、
父のなさけを身に知らず、
家に帰れる五つとせも
わが家ながら心おき、
さては穂に出ぬ初恋や
したに焦るる胸秘めて
おもはぬかたの人に添ひ、
泣く音をだにも憚れば
あえかの人はほほゑみて
うらはかなげにものいひぬ、
あゝさは夢か、短命たんめい
二十八にてみまかりし
姉をしのべば、更にまた
そのすくせこそ泣かれぬれ。

   しら玉の

しら玉の清らにとほ
うるはしきすがたを見れば、
せきあへず涙わしりぬ、
しら玉は常ににほひて
ほこりかに世にもあるかな。

人のなかなるしら玉の
をとめ心は、わりなくも、
ひとりの君にみてより、
命みじかき、いともろき
よろこびにしもまかせはてぬる。

   冥府のくら戸は

よみのくら戸はひらかれて
恋びとよよといだきよれ、
かのあめに住む八百星やほぼし
かたみに目路めぢをなげかはせ、
土にかくれし石屑いしくづ
皆よりあひて玉と凝れ、
わが胸こがす恋のいき
今つく熱きひといきに。


   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
   (例)画蚊※[#「巾+厨」、第4水準2-8-91]

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底本:「恋衣 名著復刻 詩歌文学館」日本近代文学館
   1980(昭和55)年4月1日発行
底本の親本:「恋衣」本郷書院
   1905(明治38)年1月1日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。固有名詞も原則として例外とはしませんでしたが、人名のみは底本のままとしました。
※変体仮名は、通常の仮名にあらためました。
※底本中で脱漏や誤りの可能性がある点については、「與謝野鉄幹・與謝野晶子集 明治文学全集51」筑摩書房、1968(昭和43)年、「與謝野寛 與謝野晶子 窪田空穂 吉井勇 若山牧水集 日本現代文学全集37」講談社、1964(昭和39)年を参照し、補訂しました。
入力:武田秀男
校正:kazuishi
2004年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



■上記ファイルを、里実工房が次のように変更しました。
変更箇所
  ルビ処理:ルビの記述を<RUBY>タグに変更
  行間処理:行間180%
  段落処理:形式段落ごとに<P>タグ追加
      :段落冒頭の一字下げを一行下げに変更
      :段落番号の追加
変更作業:里実福太朗
公開:平成16年8月14日