山川登美子
みをつくし
増田まさ子
しら梅の衣にかをると見しまでよ君とは云はじ春の夜の夢
恋やさだめ歌やさだめとわづらひぬおぼろごこちの春の夜の人
むつれつつ菫のいひぬ蝶のいひぬ風はねがはじ雨に幸あらむ
飛ぶ鳥かわがあこがれの或るものかひかり野にすと思ふに消えぬ
歌ひとつ君なぐさめむちからなし鬢の毛とりて風にことづてむ
母恋ふる心わすれてあこがれぬやさしおん手のひと花ゆゑに
みやこ人の集のしをりとつみつれどふさひふさふや楓のわか葉
なさけ未だよわきはげしきさだめ分かず酔へりとのみのこの子と知りぬ
かゝる夜の歌に消ぬべき秋人とおもふに淡き裳もふさふかな
世にそむき人にそむきて今宵また相見て泣きぬまぼろしの神
われにまた山の鐘鳴るゆふべなり雫や多き涙や多き
似つかしと思ひしまでよ菖蒲きり池のみぎはを南せし人
あすこむと告げたる姉を門の戸にまちて二日の日も暮れにけり
髪ときて秋の清水にひたらまし燃ゆる思の身にしきるかな
うらみわびこの世に痩せし少女子のひくきしらべをあはれませ君
みふみ得しその夕より黒髪のみだれおぼえて涙ぐましき
痩せ指に小鬢のぬけ毛からめつつさてこの秋にふさふ歌なき
人の名も仏の御名も忘れはて籠に色よき野花つみぬる
しら梅の朝のしづくに墨すりて君にと書かば姉にくまむか
二十とせは亡き母しのぶ夢にのみ光ほのかにさすと覚えし
わりなくも琴にのぼせて恋得つと御歌のぬしに告げば如何ならむ
つらき世のなさけいのらぬわれなれど夕となれば思あまりぬ
須磨琴のわかきわが師はめしひなり御胸病むとて指の細りし
ねいき細きこのわがのどに征矢ひきて夢路かへさぬ神もいまさば
川くまのふたもと櫟かげみれば猶も君見ゆわれ遠ざかる
わりなくも君が御歌に秋痩せてよわき胡蝶の羽もうらやみぬ
はかり得ぬ親のこころをかへりみずゆるせと君にものいひてける
わが面の母に肖るよと人いへばなげし鏡のすてられぬかな
ちる花のしたにかさねてまかせたり君が扇とわが小皷[#ルビの「こつづみ」は底本では「こづつみ」]と
紅梅の真垣のあるじ胸をいたみ泣くを隣りに小琴とききぬ
みなさけのあまれる歌をかきいだきわが世の夢は語らじな君
君によき水際や春の鳥も啼く細き柳は傘にかかりぬ
その御手にほそきかひなをゆるしませくづるる浪のはてしなくとも
京の春に桃われゆへるしばらくをよき水ながせまろき山々
夢に見し白き胡蝶の忘れ羽かあらず小百合のそのひと花か
泣きますな師をなぐさめむすべ知ると小百合つむ君うるはしきかな (以上二首は登美子の君に)
つらきかな袖に書きてもまゐらせむ逢はで別るゝ歌のみだれよ
なにとなきとなり垣根の草の名も知らばやゆかし春雨の宿
あづま人が扇に染めし梅の歌それおもひでに春とこそ思へ
この世をもはては我身も咀はるる竹ゆく水に沈む日みれば
袖おほひさびしき笑みの前髪にふさへる花はしら梅の花
うぐひすを春の桜におほはせて水の月さす夏の夜きかむ
山かげの柴戸をもれししはぶきに朝こぼれたりしら梅の花
われ思へば白きかよわの藻の花か秋をかなたの星うけて咲かむ
桃さくらなかゆく川の小板橋春かぜ吹きぬ傘と袂に
よき里と三とせ御筆のあとに見き今宵虫きくうす月の路 (渋谷にて)
君待たせてわれおくれこし木下路ときのふの蔭の花をながめぬ
花こえてその花をりて垣にそふ夢のゆくへの家うつくしき
初秋や朝睡の君に御湯まゐる花売るくるま門に待たせて
奇しきもの指につたへて胸に入る神も聞きませ七つの緒琴
こは天か人のさかひかまた逢ひぬ飽かずと泣きてわかれにし君
まれびとに椎の実まゐる山ずみの静なる日や秋の雨ふる
わが袖に掩ひややらむかれ/″\の野花はなれぬ蝶のましろき
わづらひかこれうらぶれか春のうすれ暮うするる夕栄を見る
みづいろの帯ふさはずやみだれ髪花のしろきに竹の青きに
うつくしき水に小橋に名おはせて里ずみ三月うらわかき人
その神のみすがた知らず御名知らず夢はましろの百合の園生に
まぼろしにうつらむものかわがおもひ紅きむらさき色のさま/″\
うたたねの額にかづく春の袖繍ひ来牡丹とこがねの蝶と
今はただ歌の子たれと願ふのみうらみじ泣かじおほかたの鞭
うつつなき春のなごりの夕雨にしづれてちりぬむらさきの藤
心とはそれより細き光なり柳がくれに流れにし蛍
あゝ君よ心とわれと別れきぬ深山に似たる秋かぜの家[#「秋かぜの家」は底本では「秋かぜの」]
花や雨や野の紫や春のひと酔ひてしばしの夢まどろまむ
海棠の室に歌かく春の宵ものあくがれの酒われに濃き
栄とくやもろしと云ふや君よ人よ蝶のむくろに春をうらなへ
このゆふべ色なき花にまたも泣くえにしつたなき春のわすれ子
髪あらへば髪に花さき山みづにさくらいざよふ清滝の里
野の虹のかたへうすれて鐘なりぬ柳にしばしたたずむや誰
奥の院の夕の壁に歌も染めず白き桔梗をたをりて下りぬ
おきてたるさとしかしこみ国出づと母の御墓の花に泣く人
ながれゆく汝れよ笹舟しばしまてこの歌染めていのち与へむ
紅蓮の花船ひとつ歌のせて君ある島へ夕ながさむ
夏くさを一里わけたる君がかど昨日も笑みてただに別れぬ
衾ぬけて戸をくる京の雪の朝この子が思ひ詩によみがへる
病む鳥を籠にあはれむ夕ばしら憂かりし春の又も眼に満つ
簾背に春の眼によき玉おばしま比良の[#「の」は底本では判読不可]むらさき二尺に足らぬ
おとろへにひとり面痩せ秋すみぬ山の日うすく銀杏ちる門
わが友の照る頬の春よ淀川のみどりあふれて君が門ゆけ (以下二首京にありしほど浪華の友に)
肩あげによき頬のにほひ君が春を才に耻もつわれ京の姉
ふと倚るに見たるは清き高きまどひその昨日もつしら梅の花
拍つ手ここに御池の緋鯉なれつるよ一人を京の春の子老いな
まぼろしに得たるみすがたたどる眼にいつしか霧の枯野を得たり
わが魂を武蔵やいづこ水よ引け夜の二百里花ふらしめよ
御手もろともそよ片山のこがらしにまぎれ消ぬべき我ならばとも
おんすくせわかき御尼に泣かれけり堂の夕寒わが袖まゐる
寒菊に涙さびしき夕別れせつなき別れ西の京にして
わがなれぬ寒さの袖にまたも雪風は愛宕の北のおろしよ
そのおもざし姉に似たるにまた泣きぬ雨のまくらをふた夜の人や (弟と京にてよめる)
知らざりしほころべば[#「ほころべば」は底本では「ほころべは」]黄に紫にきのふ垣根に名なかりし草
舟にして蓮きる御手の朝うつくし十九を滋賀の水によき君 (友に)
なぐさめむ人なき寮の夜のさくらおなじ愁の君にちるべき
夜の柳ひくき浪華の水なりき歌うて過ぐる君とのみ見し
笛を追ひてゆふべ船やる水一里蓮の香のせて櫓にやはらかき
なぐさみぬ都の旅の秋の身も歌に笑む夜は足る人のごと
李ちる京の夕かぜ又も泌むひととせ見たる美くしき窓
ゆく春をひとりしづけき思かな花の木間に淡き富士見ゆ
江戸川のさくら黄ばめる朝靄にわかれし人をえこそ忘れね
春雨に山吹うかぶ細ながれみどりこなたへ君をいざなへ (東の京より西の京の友へ)
秋の日のこがねにほへる遠木立そこにか母のありかたづねむ
磯にして君を思ふに清き夜や歌とは云はじ浪に得し珠 (以下二首上総の海辺にて)
汐あむや瑠璃を斫りたる桂なし海松ぶさささとも額ふれにける
とほく行く身にたまはりぬ琵琶だきて秋の雲みる西のみづうみ
この世にはあらずと知りしかたらひをしづかに思ふ森かげの道
春うたふ小鳥追ひ打つ世と知らずあくがれ出でし花の木づたひ (以下拾首さることにふれて)
うるはしきゆめみごこちやこのなさけこの歌天の母にそむかじ
彼の天を知らぬ土鼠の宮守にわが歌悪しと憎まれにけり
耳しひしひじりはわかきうぐひすのよき音は問はず籠に閉ぢてのみ
われ咀ひ石のものいふ世と知りぬつめたき声に心こほりぬ
みなさけかねたみか仇かあざけりかほほゑみあまた我をめぐれる
歌はみな天のひかりにあこがれぬ母なき国に栖みわびぬれば
わが歌は鴿にやや似るつばさなり母ある空へ羽搏ち帰れと
大神のみまへめぐりて立たむときかしこき人ら今日を忘るな
わきて身にしむやこの秋もみぢ葉のこきひと葉すら咀はれの色
曙染
與謝野晶子
春曙抄に伊勢をかさねてかさ足らぬ枕はやがてくづれけるかな
あゝ野の路君とわかれて三十歩また見ぬ顔に似る秋の花
ほととぎす聴きたまひしか聴かざりき水のおとするよき寝覚かな
海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家
加茂川に小舟もちゐる五月雨われと皷をあやぶみましぬ
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな
おもはれて今年えうなき舞ごろも篋に黄金の釘うたせけり
養はるる寺の庫裏なる雁来紅輪袈裟は掛けで鶏おはましを
ほととぎす治承寿永のおん国母三十にして経よます寺
わが恋は虹にもまして美しきいなづまとこそ似むと願ひぬ
聖マリヤ君にまめなるはした女と壇に戒えむ日も夢みにし
頬よすれば香る息はく石の獅子ふたつ栖むなる夏木立かな
髪に挿せばかくやくと射る夏の日や王者の花のこがねひぐるま
紅させる人衆おほき祭街きやり唄はむ男と生ひぬ
紅の緒の金皷よせぬとさまさばやよく寝る人をにくむ湯の宿
今日のむかし前髪あげぬ十三を画にせし人に罪ありや無し
誰が罪ぞ永劫くらきうづしほの中にさそひし玉と泣くひと
里ずみの春雨ふれば傘さして君とわが植う海棠の苗
ほととぎす過ぎぬたま/\王孫の金の鎧を矢すべるものか
さくらちる春のゆふべや廃院のあるじ上※[#「藹」の「言」に代えて「月」」、第3水準1-91-26]赤裳ひいて来
花のあたりほそき滝する谷を見ぬ長谷の御寺の有明の月
掛け香のけむりひまなき柱をば白き錦につつませにけり
三井寺や葉わか楓の木下みち石も啼くべき青あらしかな
棹とりの矢がすり見たる舟ゆゑに浪も立てかししら蓮の池
姉なれば黒き御戸帳まづ上げぬ父まつる日のものの冷たき
更くる夜をいとまたまはぬ君わびず隅にしのびて皷緒しめぬ
きり/″\す葛の葉つづく草どなり笛ふく家と琴ひく家と
蓮を斫り菱の実とりし盥舟その水いかに秋の長雨
青雲を高吹く風に声ありて讃じたまひし恋にやはあらぬ
斯くは生ひてふりわけ髪の世も知らず古りし磬[#ルビの「けい」は底本では「けつ」]うつ深院のひと
春日の宮わか葉のなかのむらさきの藤のしたなる石の高麗狗
第一の美女に月ふれ千人の姫に星ふれ牡丹饗せむ
このあたり君が肩よりたけあまり草ばな白く飛ぶ秋の鳥
家鼬尾たるる相のむかしがほや瓜ひとめぐり嗅ぎても徃ぬる
才なさけ似ざるあまたの少女見むわれをためしに引くと聞くゆゑ
わが恋はいさなつく子か鮪釣りか沖の舟見て見てたそがれぬ
白きちさき牡丹おちたり憂かる身の柱はなれし別れの時に
星よびて地にさすらはす洪量の人と思ふに批もうちがたき
花に見ませ王のごとくもただなかに男は女をつつむうるはしき蕋
在さぬ二夜名しらぬ虫を籠に飼ひぬ寝がての歌は彼れに聞きませ
耳かして身ほろぶ歌と知りたまへ画ならばただに見てもあるべき
ややひろく廂だしたる母屋づくり木の香にまじるたちばなの花
祭の日葵橋ゆく花がさのなかにも似たる人を見ざりし
精好の紅としら茶の金襴のはりまぜ箱に住みし小皷
杉のうへに茅渟の海見るかつらぎや高間の山に朝立ちぬ我れ
八月や水蘆いとうたけのびてわれ喚びかねつ馬あらふひと
夕かぜの河原へ出づる小桟橋いそぎたまふにまへざし落ちぬ
眉つくるちさき盥に水くみて兎あらふを見にきまさぬか
今日みちて今日たらひては今日死なむ明日よ昨日よわれに知らぬ名
木曾の朝を馬子も御主も少女笠鞍に風ふくあけぼの染に
月あると同車いなみしとが負ひて歌おほくよむ夜のほととぎす
むらさきの蓮に似ませる客人や荷葉の水に船やりまつる
蚊やりしばし君にゆだねしけぶりゆゑおぼろになりし月夜と云ひぬ
紅しぼり緋むくなでしこ底くれなゐ我にくらべて名おほき花や
わが命に百合からす羽の色にさきぬ指さすところ星は消ぬべし
夕粧ひて暖簾くぐれば[#「くぐれば」は底本では「くぐれは」]大阪の風簪ふく街にも生ひぬ
五月晴の海のやうなる多摩川や酒屋の旗や黍のかぜ
高つきの燭は牡丹に近うやれわれを照すは御冠の珠
欠くる期なき盈つる期あらぬあめつちに在りて老いよと汝もつくられぬ (秀を生みし時)
たなばたをやりつる後の天の川しろうも見えて風する夜かな
蓮きると三寸とほき花ゆゑにみぎはの人のさそはれし舟
憂ければぞ爪に紅せぬ夕ぐれを色は問はずて衣もてまゐれ
舟にのれば瓔珞ゆらぐ蓮のかぜ掉のひとりは袞竜の袖
しら蓮や唐木くみたる庭舟に沈たきすてて伯父の影なき
われを問ふやみづからおごる名を誇る二十四時を人をし恋ふる
ここすぎて夕立はしる川むかひ柳千株に夏の雲のぼる
水浴みては渓の星かげ髪ほすと君に小百合の床をねだりし
百合がなかの紅百合としものたまふやをかし二人の君が子の母
誰れが子かわれにをしへし橋納凉十九の夏の浪華風流
露の路畑をまがれば君みえず黍の穂にこほろぎ啼きぬ
鳥と云はず白日虹のさす空を飛ばば翅ある虫の雌雄とも
夏の日の天日ひとつわが上にややまばゆかるものと思ひぬ
百間の大き弥陀堂ひとしきり煙みなぎり京の日くれぬ
夕されば橋なき水の舟よそひ渡らば秋の花につづく戸
母屋の方へ紅三丈の鈴の綱君とひくたび衣もてまゐる
君やわれや夕雲を見る磯のひと四つの素足に海松ぶさ寄せぬ
里ずみに老いぬと云ふもいつはりの歌と或る日は笑めりと思せ
きざはしの玉靴小靴いでまさずば牡丹ちらむと奏さまほしき
恋しき日や侍らひなれし東椽の隅のはしらにおもかげ立たむ
ほととぎす岩山みちの小笹二町深山といふにわらひたまひぬ
あやにくに虫歯[#ルビの「むしば」は底本では「むしは」]病む子とこもりゐぬ皷きこゆる昼の山の湯
君によし撫でて見よとて引かせたり小馬ましろき春の夕庭
花とり/″\野分の朝にもてきたる十人の姿よしと思ひぬ
七たりの美なる人あり簾して船は御料の蓮きりに行く
かしこうて蚊帳に書よむおん方にいくつ摘むべき朝顔の花
ふるさとやわが家君が家草ながし松も楓もひるがほの花
ほととぎす山門のぼる兄のかげ僧服なれば袖しろうして
よき箱と文箱とどめていもうとは玉虫飼ひぬうらみ給ふな
この恋びとをしへられては日記も書きぬ百合にさめぬと画蚊※[#「巾+厨」、第4水準2-8-91]に寝ぬと
水にさく花のやうなるうすものに白き帯する浪華の子かな
春の池楼ある船の歩み遅々と行くに慣れたるみさぶらひ人
夏花は赤熱病める子がかざしあらはに歌ひはばからぬ人
伯母いまだ髪もさかりになでしこをかざせる夏に汝れは生れぬ (弟の子の生れけるに夏子と名をえらみて)
行く春にもとより堪へぬうまれぞと聞かば牡丹に似る身を知らむ
妻と云ふにむしろふさはぬ髪も落ちめやすきほどとなりにけるかな
われに遅れ車よりせしその子ゆゑ多く歌ひぬ京の湯の山
夕かぜや羅の袖うすきはらからにたきものしたる椅子ならべけり
わが愛づる小鳥うたふに笑み見せぬ人やとそむき又おもひ出ず
かへし書くふたりの人に文字いづれ多きを知るや春の染紙
われぼめや十方あかき光明のわれより出でむ期しるものゆゑ
ふりそでの雪輪に雪のけはひすや橋のかなたにかへりみぬ人
かけものゝ牛の子かちし競馬のり梅にいこふをよしと思ひぬ
酒つくる神と注ある三尺の鳥居のうへの紅梅の花
われにまさる熱えて病むと云ひたまへあらずとならば君にたがはむ
菜の花のうへに二階の障子見え戸見え伯母見えぬるき水ふむ
あやまちて小櫛ながしゝ水なればくぐるは君が花垣なれば
河こえて皷凍らぬ夜をほめぬ千鳥なく夜の加茂の里びと
鹿が谷尼は磬うつ椿ちるうぐひす啼きて春の日くれぬ
くれなゐの蒲団かさねし山駕籠に母と相乗る朝ざくら路
あゝ胸は君にどよみぬ紀の海を淡路のかたへ潮わしる時
まる山のをとめも比叡の大徳も柳のいろにあさみどりして
法華経の朝座の講師きんらんの御袈裟かをりぬ梅さとちりぬ
いでまして夕むかへむ御轍にさざん花ちりぬ里あたたかき
歌よまでうたたねしたる犯人は花に立たせて見るべかりけり
うれひのみ笑みはをしへぬ遠びとよ死ねやと思ふ夕もありぬ
御供養の東寺舞楽の日を見せて桜ふくなり京の山かぜ
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に
紅梅や女あるじの零落にともなふ鳥の籠かけにけり
大木にたえず花さくわが森をともに歩むにふさふと云ひぬ
しろ百合と名まをし君が常夏の花さく胸を歌嘆しまつる (とみ子の君に)
審判の日をゆびきずくるとげにくみ薔薇つまざりし罪とひまさば
山の湯や懸想びとめく髪ながの夜姿をわかき師にかしこみぬ
廊馬道いくつか昨夜の国くればうぐひす啼きぬ春のあけぼの
こゝろ懲りぬ御兄なつかしあざみては博士得ませと別れし人も
うへ二枚なか着はだへ着舞扇はさめる襟の五ついろの襟
きよき子を唖とつくりぬその日より瞳なに見るあきじひの人
人春秋ねたしと見るはただに花衣に縫はれぬ牡丹しら菊
女さそひし歌の悪霊人生みぬ髪ながければ心しませや
春の夜の火かげあえかに人見せてとれよと云へど神に似たれば
明けむ朝われ愛着す人よ見な花よ媚ぶなと袋に縫へな
にくき人に柑子まゐりてぬりごめの歌問ふものか朝の春雨
よしと見るもうらやましきもわが昨日よそのおん世は見ねば願はじ
酔ひ寝ては鼠がはしる肩と聞き寒き夜守りぬ歌びとの妻
手ぢからのよわや十歩に鐘やみて桜ちるなり山の夜の寺
兼好を語るあたひに伽羅たかむ京の法師の麻の御ころも
かくて世にけものとならで相逢ひぬ日てる星てるふたりの額に
春の夜や歌舞伎を知らぬ鄙びとの添ひてあゆみぬあかき灯の街
玉まろき桃の枝ふく春のかぜ海に入りては真珠生むべき
春いそぐ手毬ぬふ日と寺々に御詠歌あぐる夜は忘れゐぬ
春の夜はものぞうつくし怨ずると尋のあなたにまろ寝の人も
駿河の山百合がうつむく朝がたち霧にてる日を野に髪すきぬ
伽藍すぎ宮をとほりて鹿吹きぬ伶人めきし奈良の秋かぜ
霜ばしら冬は神さへのろはれぬ日ごと折らるるしろがねの櫛
鬼が栖むひがしの国へ春いなむ除目に洩れし常陸ノ介と
髪ゆふべ孔雀の鳥屋に横雨のそそぐをわぶる乱れと云ひぬ
廊ちかく皷と寝ねしあだぶしもをかしかりけり春の夜なれば
集のぬしは神にをこたるはした女か花のやうなるおもはれ人か
さは思へ今かなしみの酔ひごこち歌あるほどは弔ひますな
君死にたまふことなかれ
旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて
あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。
君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思されむ。
あゝをとうとよ、戦ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる。
暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を、
君わするるや、思へるや、
十月も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。
恋ふるとて
恋ふるとて君にはよりぬ、
君はしも恋は知らずも、
恋をただ歌はむすべに
こころ燃え、すがた※[#「やまいだれ+瞿」、第3水準1-88-62]せつる。
いかが語らむ
いかが語らむ、おもふこと、
そはいと長きこゝろなれ、
いま相むかふひとときに
つくしがたなき心なれ。
わが世のかぎり思ふとも、
われさへ知るは難からし、
君はた君がいのちをも
かけて知らむと願はずや。
夢のまどひか、よろこびか、
狂ひごこちか、はた熱か、
なべて詞に云ひがたし、
心ただ知れ、ふかき心に。
皷いだけば
皷いだけば、うらわかき
姉のこゑこそうかびくれ、
袿かづけば、華やぎし
姉のおもこそにほひくれ、
桜がなかに簾して
宇治の河見るたかどのに、
姉とやどれる春の夜の
まばゆかりしを忘れめや、
もとより君は、ことばらに
うまれ給へば、十四まで、
父のなさけを身に知らず、
家に帰れる五つとせも
わが家ながら心おき、
さては穂に出ぬ初恋や
したに焦るる胸秘めて
おもはぬかたの人に添ひ、
泣く音をだにも憚れば
あえかの人はほほゑみて
うらはかなげにものいひぬ、
あゝさは夢か、短命の
二十八にてみまかりし
姉をしのべば、更にまた
そのすくせこそ泣かれぬれ。
しら玉の
しら玉の清らに透る
うるはしきすがたを見れば、
せきあへず涙わしりぬ、
しら玉は常ににほひて
ほこりかに世にもあるかな。
人のなかなるしら玉の
をとめ心は、わりなくも、
ひとりの君に染みてより、
命みじかき、いともろき
よろこびにしもまかせはてぬる。
冥府のくら戸は
よみのくら戸はひらかれて
恋びとよよといだきよれ、
かの天に住む八百星は
かたみに目路をなげかはせ、
土にかくれし石屑は
皆よりあひて玉と凝れ、
わが胸こがす恋の息
今つく熱きひと息に。
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)画蚊※[#「巾+厨」、第4水準2-8-91]
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底本:「恋衣 名著復刻 詩歌文学館」日本近代文学館
1980(昭和55)年4月1日発行
底本の親本:「恋衣」本郷書院
1905(明治38)年1月1日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。固有名詞も原則として例外とはしませんでしたが、人名のみは底本のままとしました。
※変体仮名は、通常の仮名にあらためました。
※底本中で脱漏や誤りの可能性がある点については、「與謝野鉄幹・與謝野晶子集 明治文学全集51」筑摩書房、1968(昭和43)年、「與謝野寛 與謝野晶子 窪田空穂 吉井勇 若山牧水集 日本現代文学全集37」講談社、1964(昭和39)年を参照し、補訂しました。
入力:武田秀男
校正:kazuishi
2004年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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変更作業:里実福太朗
公開:平成16年8月14日