産褥の記

與謝野晶子




1

わたしは未だ病院の分娩室に横になつて居る。室内では夕方になると瓦斯がす暖炉すとおぶが焚かれるが、好い陽気が毎日つづくので日のある間は暖い。其れに此室は南を受けて縁に硝子戸が這入つてゐるから、障子を少し位明けて置いても風の吹込む心配は無い。唯光線がまぶしいので二枚折の小屏風を障子に寄せて斜に看護婦が立てて置く。未だ新しい匂の残つてゐる畳の上に、妙華園の温室を出て来た切花を硝子の花瓶に挿した小い卓と、此月の新しい雑誌が十冊程と並べられてある外に何物も散ばつて居ない。整然として清浄な、而して静かな室である。

2

看護婦さんは次の副室に控へて居る。其処には火鉢や茶器や手拭掛や、調度を入れる押入や、食器を入れる箱などが備へてあるらしい。見舞に来る人は皆其処で帽や外套や被布こおとやを脱ぐ。其人達がわたしの前に現れる時は凡て掩ひを取去つた人達である。羽織袴の立派なのを改まつて著けてゐる人は少い。大抵は常著ふだんぎの人である。裸体で這入つて来るのと格別相違の無い人達である。見舞の言葉もくどくどと述べる人は無い。何れも「奥さん、どうですか」位のことを云つて、後は帝国劇場の噂とか、新刊小説の評判とかを少時しばらくして帰つて行く。わたしは其人達の他人行儀の無い、打解けた友情の温く濃かなのが嬉しい。

3

と云つて其人達はお互の交際範囲でばかり生きてゐる人で無い。芸術ばかりで生きて居られる時代に住んでゐる人でも無い。次の副室に退くや否や、或人は大学帽を被り、或人は獺の毛皮を襟に附けた外套を被り、或人は弁護士試験に応じる準備の筆記を入れた包を小脇に挟んで帰る。一歩この病院の門を出ればもう普通の人に混じて路を行くのである。わたしは見送に出られる身で無いけれど、わたしの友達が其れぞれ何う云ふ掩ひ物に身を鎧うて此病院の門から世間へ現れ「仮面」の生活を続けて行くかと云ふ事は大抵想像が附く。どうせ軍人にならない人達だから祖国で重宝がられる訳には行くまい。わたしは斯んな事を考へて思はず独で微笑んだ。

4

副室の前は廊下になつてゐて、玄関から此処まで来るには二三回も屈折して廿四五間もある長い廊下を、おまけに岡の様な地形を利用して建てられた病室の廊下であるから、急な傾斜を二三度も上下して通らねばならぬ。通る人は皆上草履を浮かす様にして通る。此処は音を忌む国なのである。「足音をお静に」と云ふ貼紙が幾所にもしてある。或病室の前には、「重症患者有之候に付特に足音を静に御注意被下度候」とさへ書いてあると云ふ。

5

併し斯うして病室に横になつてゐる身には、其最も忌むと云はれる「音」が何よりも恋しい。宇宙と云ひ人生と云ふも客観的に云へば畢竟線と色と音との複雑な集りから成立つて居る。学問芸術に携はる人は、其複雑な線と色と音とが有つて居る微妙にして偉大な調和を読んで、一般群集の前に闡明する者だと云つて可い。固よりわたしは然う云ふ立派な芸術家でも無く、殊に今のわたしは産後の疲労の恢復するのを待つて天井を眺めてゐる「只の女」である。其れにしても此病室で見る線と色とは余りに貧弱である。音と云つたら副室で沸る鉄瓶の音と、廊下の前の横長い手洗場で折折医員や看護婦さんが水道栓をぢて手を浄める音と、何処かで看護婦達の私語する声と、看護婦の溜で鳴る時計の音と、其れ位のものである。宅に居て何時も静かな家に住みたいと願つて居たわたしも此単調には堪へられない。二三日前までは時計の鳴るのを待ち兼ねたが、今ではもう、十二時頃だらうと思ふのに未だ宵の九時を打つたりするのでがつかりして、あの意地の悪い音は聞えない方がよいと思ふ。耳を澄まして何か新しい物音を探し当てようとするが、変つた音の聞えないのは苦痛である。

6

偶※[#二の字点、140-11]廊下の遠くから幽かな上草履の音がして、其れが自分の副室の前で留つた時は胸を跳らさずに居られない。其れが行き過ぎて外の病室の見舞客である時は惨めである。人は孤立を嫌ふ。同情して貰ひたいのが素性であるらしい。

7

毎日学校の帰りに立寄る長男は、いくら教へて置いても廊下で音を立てる。わたしは気兼をしながら其子供らしい足音を聞くと気が引立つ。夜に入つて見舞に来て呉れる良人は、静かに廊下に立止つて指先で二度ほど軽く副室の入口の障子をはじく。中の人に注意を与へて置いて這入つて来るのであるが、しんとした静かな中で響く指音は、忍ぶ恋路の男がする合図の様に聞える。其瞬間、十年前に経験しなかつた若い心持をわたしは今更味ふ様な気がする。

8

看護婦さんは行儀の正しい無口な女で、物を言へば薄い銀線の触れ合ふ様なんだ声で明確はつきりと語尾を言ふ。感情を顔に出さずに意志の堅固さうな所は山口県生れの女などによく見る型である。わたしは院長さんの博士よりも此の看護婦さんに余計気が置ける。

9

いつも産をして五日目位から筆を執るのがわたしの習慣になつて居たが、今度は病院へ這入はひらねばならぬ程の容体であつたから後の疲労も甚しい。其れに心臓も悪い。熱も少しは出て居る。其れで筆を執らうなどとは考へないけれど、じつとうして寝て居ると種種いろいろの感想が浮ぶ。坐禅でもして居る気で其を鎮めようとしてもかへつて苦痛であるから、唯妄念の湧くに任せて置く。その中で小説が二種ばかり出来た。一つは二十回ばかり出来てまだ未完である。其等は諳誦して忘れない様にして居るが、歌の形をして浮んだ物丈は看護婦さんの居ない間を見計みはからつて良人に鉛筆で書き取つて貰ひ、約束のある新聞雑誌へ送つて居る。せめて側にある雑誌でも読みたいのであるが、院長さんのいましめを厳格に執り行ふ看護婦さんに遠慮して、婦人雑誌や三越タイムスの写真版の所ばかりを観るのを楽みにして居る。斯う云ふ意志の強い看護婦さんが側に居られる事は真に患者の為めになるのであると思ふ。

10

産前から産後へかけて七八日間は全く一睡もしなかつた。産前の二夜は横になると飛行機の様な形をした物がお腹から胸へ上る気がして、窒息する程呼吸が切ないので、真直に坐つた儘うめき呻き戸の隙間の白むのを待つて居た。此前の双児ふたごの時とは姙娠して三月目から大分に苦しさが違ふ。上の方になつて居る児は位置が悪いと森棟医学士が言はれる。其児がわたしには飛行機の様な形に感ぜられるのである。わたしは腎臓炎を起して水腫むくみが全身に行き亘つた。呼吸が日増に切迫して立つ事も寝る事も出来ない身になつた。わたしは此飛行機の為に今度は取殺されるのだと覚悟して榊博士の病院へ送られた。

   生きて復かへらじと乗るわが車、刑場に似る病院の門。

と云ふのがわたしの実感であつた。

11

二月の初に一度産の気が附いて、産婆や看護婦が駈け付け、森棟先生に泊つて頂く様な騒ぎを夜通しながら其儘鎮まつて仕舞つた。此前の産も同じ様な事があつて一月程経つてから生れた。癖になると云ふから今度も三月に入つて生むのかと想ふと、其様に延びてはわたしの体が持ち相に無い。森棟さんも榊博士も人工的に分娩を計らねばなるまいと言はれる。良人も親戚の者も子供は何うなつても可いから母親の体を助けて欲しいと言ふ。わたし自身にも然う考へて居た。死を怖れるのでは勿論無い。死ぬる際の肉の苦痛を怖れるのかと云ふと、多少は其れもあるが、度度の産で荒瀬に揉まれて居る自分には、男子が初陣の戦で感じる武者ぶるひ程の恐怖は無い。又もつと生き永らへて御国の為に微力を尽したいの、社会上の名誉が何うのと云ふ様な気楽な欲望からでは更更無い。つづまる所良人と既に生れて居る子供との為に今しばらく生きて居たいと言ふ理由に帰着する。此の切端せつぱ詰つた場合の「自分」と言ふ物の内容は良人と子供とで総てである。平生の心で考へたなら、何も自分が居なくなつたからと云つて良人や子供が生きて行かれぬ訳も無いであらう。其れが此場合では、自分が亡くなると同時に良人と子供とが全く一無に帰して仕舞ふ気がしてならぬ。人は何処までも利己的である。禅家の大徳の臨終が立派であると云ふのは何よりも繋累けいるゐの無いと云ふ事が根柢になつては居ないでせうか。

12

わたしは斯んな事で産前十日程から不安に襲はれ、体の苦痛にさいなまれて、神経が例に無くひどくたかぶつて居た。

13

お産は二三度目が比較的楽で、度び重る程初産の時の様な苦痛をすると云ふ。産む人の体質にも由る事でせうが、わたしの経験した所ではよく其れが当てはまる。此前の産も重かつたが、今度のは更に重かつた。産む時ばかりで無く、産前産後に亘つて苦痛が多かつた。幸ひ人工的の施術しじゆつも受けず、二月廿二日の午前三時再び自然の産気が附いて、榊博士の御立会下さつた中で生みました。わたしは病院の御厄介になると云ふ事を従来これまで経験しませなんだが、お産を病院ですると云ふ事は経済さへ許せば万事に都合がよい。院長さんに親しく脈を取つて頂き、産婆さんや看護婦さんの手が揃つて居るので、産婦には何よりも心強い。

14

けれども産む時の苦痛は減じない。かへつて従来よりも劇しかつた。

   悪龍あくりようとなりて苦しみ、猪となりてかずば人の生み難きかな。
   蛇の子に胎を裂かるる蛇の母そを冷くも「時」の見詰むる。

15

と思つて悲鳴を続けて居るより外は無かつた。先に生れた児は思つたよりも容易でしたが、例の飛行機が縦横にわたしを苦める。博士が「手術をしよう」と沈着おちついた小声で言はれた時、わたしは真白な死のきりぎしに棒立になつた感がした。

16

逆児の飛行機が死んで生れた。後で聞くと院長さんが直ぐに人工呼吸を施して下さつた相であるけれど甲斐が無かつた。

   その母の骨ことごとく砕かるる呵責の中に健き児の啼く。
   胎の子は母を噛むなり。静かにも黙せる鬼の手をば振るたび。
   よわき児は力およばず胎に死ぬ。母と戦ひ姉と戦ひ。
   あはれなる半死の母と呼吸せざる児と横たはる。薄暗き床。

17

産後の痛みが又例に無い劇しさで一昼夜つづいた。此痛みの劇しいのは後腹の収縮の為に好い兆候だと云ふのですけれど、鬼の子の爪が幾つもお腹に引掛つて居る気がして、出た後でまでわたしを苦めることかと生れた児が一途に憎くてなりませなんだ。親子の愛情と云ふものも斯う云ふ場合には未だ芽をかない。考へて見ると変なものである。

18

隣の室で良人の弟とすばる発行所の和貝さんとが、死んだ児の柩に成るべく音を立てまいとして釘を打つて居る。良人が「一目見て置いて遣らないか。これまでに無い美くしい児だ」と云つたけれど、わたしは見る気がしなかつた。産後の痛みの劇しいのと疲労とで、死んだ子供の上などを考へて居る余裕は無かつた。

   その母の命に代はる児なれども器の如く木の箱に入る。
   虚無を生む、死を生む、斯かる大事をも夢と現の境にて聞く。

19

実際其場合のわたしは、わが児の死んで生れたと云ふ事を鉢や茶椀が落ちて欠けた程の事にしか思つて居なかつた。桐ヶ谷の火葬場まで送つて来て呉れた弟が、その子煩悩な心から「可愛い児でしたのに惜しい事をしました」と云つて目を潤ませた時、初めてわたしも目が潤んだ。其れは死んだ児の為に泣いたのではない、弟の其子煩悩な美くしい涙に思はず貰泣をしたのであつた。

20

漸く産後の痛みが治つたので、うとうとと眠らうとして見たが、目をつぶると種種の厭な幻覚に襲はれて、此正月に大逆罪で死刑になつた、自分の逢つた事もない、大石誠之助さんの柩などが枕許に並ぶ。目を開けると直ぐ消えて仕舞ふ。疲れ切つて居る体は眠くて堪らないけれど、強ひて目を瞑ると、死んだ赤ん坊らしいものがほそい指で頻に目蓋まぶたを剥かうとする。止むを得ず我慢をして目を開けて居ることが又一昼夜ほど続いた。斯んな幻覚を見たのは初めてである。わたしの今度の疲労は一通で無かつた。

21

日が経つに従つて産後の危険期も過ぎ、余病も癒り、体も心持も次第に平日に復して行くらしい。昨日から少しづつ室内を歩く事を許され、文字なども短いものならば書いてよい事になつた。

22

わたしの目に触れないで消えて仕舞つた死んだ赤ん坊の印象は、産の苦痛の無くなつた今日何もわたしに残らない、まるで人事の様である。空である、虚無である。唯其児の為にと思つて拵へた赤い枕や衣類が、副室の押入に余計な物になつて居るのを見ると、物足らない淡い哀しみが湧いて来る。やはり他人に別れたのでは無い、棄てられた母と云つた様な淋しい気持である。

23

看護婦さんは硝子の花瓶から萎れたヘリオトロオプを一本抜いて捨てに行つた。

24

わたしは早く騒しい中六番町の宅へ帰りたい。

25

婦人問題を論ずる男の方の中に、女の体質を初から弱いものだと見て居る人のあるのは可笑をかしい。さう云ふ人に問ひたいのは、男の体質はお産ほどの苦痛に堪へられるか。わたしは今度で六度産をして八人の児を挙げ、七人の新しい人間を世界に殖した。男は是丈の苦痛が屡※[#二の字点、146-12]せられるか。少くともわたしが一週間以上一睡もしなかつた程度の辛抱が一般の男に出来るでせうか。

26

婦人の体質がふくよかに美しく柔かであると云ふ事は出来る。其れを見て弱く脆いと概論するのは軽卒で無いでせうか。更に其概論を土台にして男子に従属すべき者だと断ずるのは、論ずる人の不名誉ではありませんか。

   男をば罵る。彼等子を生まず命を賭けず暇あるかな。

27

わたしは野蛮の遺風である武士道は嫌ですけれど、命がけで新しい人間の増殖に尽す婦道は永久に光輝があつて、かの七八百年の間武門の暴力の根柢となつて皇室と国民とを苦めた野蛮道などとは反対に、真に人類の幸福は此婦道から生じると思ふのです。是は石婦うまずめの空言では無い、わたしの胎を裂いて八人の児を浄めた血で書いて置く。

28

日本の女に欧米の例を引いて結婚を避ける風を戒める人のあるのは大早計である。日本の女は皆幸福なる結婚を望んで居る。剛健なる子女を生まうと準備して居る。



底本:「日本の名随筆42・母」作品社
   1986(昭和61)年4月25日第1刷発行
   1988(昭和63)年1月20日第5刷発行
底本の親本:「定本・与謝野晶子全集・第14巻」講談社
   1980(昭和55)年3月
入力:もりみつじゅんじ
校正:菅野朋子
2000年6月1日公開
2003年5月18日修正
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公開:平成16年8月8日