1
巴里の良人の許へ着いて、何と云ふ事なしに一ヶ月程を送つて仕舞つた。東京に居た自分、殊に出立前三月程の間の忙しかつた自分に比べると、今の自分は餘りに暇があるので夢の樣な氣がする。自分の手に一日でも筆の持たれない日があらうとは想像もしなかつたのに、此處へ來てからは全く生活の有樣が急變した。其れが氣樂かと云ふと反對に何だか心細い樣な不安な感が終始附いて廻る。好きな匂の高い煙草も仕事の間に飮んだ時と、外出の歸りに買つて來て、する事のない閑さに飮むのとは味が違ふ。新しい習慣に從ふことを久しい間の惰性が姑く拒むらしい。其れに自分が日本を立つたのは、唯だ良人と別れて居ることの堪へ難い爲めであつた。良人が歐洲へ來たのとは大分に心持が異ふ。歐洲の土を踏んだからと云つて、自分には胸を躍らす餘裕がない。ひたすら良人に逢ひたいと云ふ望で張詰めた心が自分を巴里へ齎した。而して自分は妻としての愛情を滿足させたと同時に母として悲哀をいよいよ痛切に感じる身と成つた。日本に殘した七人の子供が又しても氣に掛る。自分が良人の後を追うて歐洲へ旅行するに就いては幾多の氣苦勞を重ねた。子供を殘して行くと云ふ事は勿論その氣苦勞の一つであつた。其れが爲め特に良人の妹を地方から來て貰つて留守を任せた。子供等は叔母さんに直ぐ馴染んで仕舞つた。叔母さんからの手紙は斷えず子供等の無事な樣子を報じて來る。手紙を讀む度にほつと胸を安めながら矢張り忘れることの出來ないのは子供の上である。
2
巴里の街を歩いて居ると、よく帽に金筋の入つた小學生に出會ふ。其れが上の二人の男の子の行つて居る曉星小學の制帽と全く同じなので直ぐ自分の子供等を思ふ種になる。ルウヴルの美術館でリユブラン夫人の描いた自畫像の前に立つても其抱いて居る娘が、自分の六歳になる娘の七瀬に似て居るので思はず目が潤む。自分はなぜ斯う氣弱く成つたのかと、日本を立つ前の氣の張つて居たのに比べて我ながら別人の心地がする。
3
四月の半であつた。里に預けて置いた三番目の娘が少し病氣して歸つて來た。附いてる里親の愛に溺れ易いのを制する爲めに看護婦を迎へたりして其兒に家内中が大騷ぎをして居る中へ、四歳になる三男の麟が又突然發熱した。叔母さんも女中達も手が塞がつて居るので書齋の自分の机の傍へ麟を寢かせて自分が物を書きながら看護して居た。温厚しい性質の麟は一歳違ひの其妹よりも熱の高い病人で居ながら、覗く度に自分に笑顏を作つて見せるのであつた。而して無口な子が時時片言交りに一つより知らぬ讚美歌の「夕日は隱れて路は遙けし。我主よ、今宵も共にいまして、寂しき此身を育み給へ」と云ふのを歌ふのが物哀れでならなかつた。自分はそんな事を思ひ出しながら歩くので、巴里の文明に就いては良人が面白がつて居る半分の感興も未だ惹かない。過去半年に良人を懷ふ爲に痩せ細つた自分は、歐洲へ來て更に母として衰へるのであらうとさへ想はれる。
4
日本服を着て巴里の街を歩くと何處へ行つても見世物の樣に人の目が自分に集る。日本服を少しく變へて作つたロオヴは、グラン・ブル※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]アルの「サダヤツコ」と云ふ名の店や、巴里の三越と云つてよい大きなマガザンのルウヴルの三階などに陳べられて居るので、然まで珍しくも無いであらうが、白足袋を穿いて草履で歩く足附が野蠻に見えるらしい。自分は芝居へ行くか、特別な人を訪問する時かの外は成るべく洋服を着るやうにして居る。併し未だコルセに慣れないので、洋服を着る事が一つの苦痛である。でも大きな帽を着ることの出來るのは自分が久しい間の望みが達した樣に嬉しい氣がする。髮を何時でも剥き出しにする習慣がどれ丈日本の女をみすぼらしくして居るか知れない。大津繪の藤娘が被て居る市女笠の樣な物でも大分に女の姿を引立たして居ると自分は思ふのである。丸髷や島田に結つて帽の代りに髮の形を美しく見せる樣になつて居る場合に帽は却て不調和であるけれども、束髮姿には何うも帽の樣な上から掩ふ物が必要であるらしい。自分は今帽を着る樂みが七分で窮屈なコルセをして洋服を着て居ると云つて好い。
5
モンマルトルと云ふのは、山の樣に高くなつた巴里の北の方にある一部の街で、踊場や珈琲店、酒場などの多い、巴里人の夜明し遊びをしに來る所と成つて居るのである。十二時にならないと店を開けない贅澤な料理屋も其處此處にある。芝居歸りの正裝で上中流の男女が夜食を食べに來るのだ相である。夜が更けるに隨つて坂を上つて來る自動車や馬車の數が多くなつて行く。そんな處に近い※[#「井に濁点」、539-13]クトル・マツセ町の下宿住居が、東京にも見られない程靜かな清清した處だとは自分も來る迄は想像しなかつたのである。通りに大きな鐵の門があつて、一直線に廣い石の路次がある。夜はその片側に灯が一つ點る。路次の上には何階建てかの表の家があることは云ふ迄もない。突當りは奧の家の門で横に薄青く塗つた木製の低い四角な戸のあるのが自分達の下宿の入口である。同じ青色を塗つた金網が花壇に廻らされて居る。横が石の道で、左手の窓際にも木や草花が植つて居る。欄干の附いた石段が二つある。此二つの上り口の間が半圓形に突き出て居て、右と左の曲り目に二つの窓が一階毎に附けられてある。自分の居るのはこの半圓の間の三層目に當るのである。内方からは左になる窓の向うには庭のアカシヤが枝を伸して居る。木の先は未だ一丈許りも上に聳えて居るのである。下を眺めると雛罌粟や撫子や野菊や矢車草の花の中には青い腰掛が二つ置かれて居る。けれども自分を京都の下加茂邊りに住んで居る氣分にさせるのは、それは隣の木深い庭で、二十本に餘るマロニエの木の梢の高低が底の知れない深い海の樣にも見える。一番向うにある大きいマロニエは其背景になつて居る窓の少い倉庫の樣な七階の家よりも未だ勝れて高い。木の下は青い芝生で、中に砂の白い路が一筋ある。薔薇の這つた門や陶器の大きい植木鉢に植ゑられた一丈位の柘榴や櫻の木の竝べられてあるのも見える。其家の前は裏の通なのであるが、夜更にでもならなければ車の音などは聞えて來ない。この隣と自分の居る家との間には平家になつた此處の食堂があるのであるが、高い處からは目障にもならない。右の窓から青い木が見える。そして向ふの方に蔦の附いた趣のある壁が見える。メルルと云つて日本の杜鵑と鶯の間の樣な聲をする小鳥が夜明には來て啼くが、五時になると最早雀の啼き聲と代つて仕舞ふ。白いレエスの掛つた窓を開けると、何時も何處にあるのか知らないが白楊の花の綿が飛んで來る。(六月十日)
底本:「定本 與謝野晶子全集 第二十卷 評論感想集七」講談社
1981(昭和56)年4月10日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:今井忠夫
2003年12月15日作成
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公開:平成16年8月8日