主人公の設置

1

主人公とは何ぞや。小説中の眼目となる人物是れなり。或ひは之れを本尊と命くるも可なり。主人公の員数には定限なし。唯一個なるもあり。二個以上なるもあり。されど主人公の無きことはなし。蓋し主人公欠けたらむには、彼の小説にて必要なる脈絡通徹といふ事をばほと/\行ふを得ざればなり。

2

主人公に男女の別あり。男性なる者を男本尊といひ、女性なる者を女本尊といふ。それ小説は人情を語るものなるから、おのづから男女の相思を説かざるを得ず。是れ小説に男女の本尊ある所以なり。今例を挙て之れをいはゞ、馬琴の『侠客伝』にては小六助則が男本尊にして、楠姑摩姫は女本尊なり。『松染情史』にては久松が男本尊にして阿染が女本尊なり。余は推しても知るべし。以上は単に本尊をば唯一対のみ設けし例なり。

3

脚色複雑なる稗史に於ては主公を幾組となく設くる事あり。リットン翁が著したる『慨世士伝』莉莚自外伝にては、作者が莉莚自男本尊に配するに那以那姫を以てし、亜度利安男本尊に配するに愛蓮嬢を以てし、門兎利以瑠男本尊に配するに阿地羅陰女を以てせり。

4

又男本尊ありて女本尊なきことあり、女本尊ありて男本尊なきことあり。例へば『朝比奈巡島記』にては、男本尊には義秀あれども、之れに配すべき女本尊なし。又『翠翹伝』馬琴之れを翻案して『金魚伝』といふにては、女本尊にては翠翹あれども、之れに配すべき男本尊なし。以上二例はいまだ適例といふべからずと雖も、今記憶中に好例なきまゝ仮に之れをもて貴めをふたぐ。

5

又一部の中に夥多の男本尊を設くる事あり。『八犬伝』、『巡島記』、『大内十杉伝』、『尼子九牛士伝』並びに『水滸伝』等是れなり。さはあれ此類の小説には、自然に主人公らに等級ありて、耽識中央主公なるものあり。例へば『巡島記』の朝比奈、『慨世士伝』の莉莚自ら是れなり。

6

今幼重のため更に二三の例をあぐべし。
  『白縫物語』
    男本尊青柳春之助  女本尊若菜姫
  『児雷也物語』
    男本尊尾形周馬 蛇麻呂  女本尊綱手
  『美少年録』
    男本尊末晴賢  女本尊児金
  『弓張月』
    男本尊為朝  女本尊白縫姫

7

わが国の小説には主公と主公ならざるものとの区別判然せざるも多し。『神稲水滸伝』にては小幡信行と稲葉鬼門が中央主公にして、余は第二等の主人公なるベし。

8

総じて小説を読むに当りては、其後回の脚色の如何を問ふよりは、寧ろまづ主公の性質に注意するを常とする者なり。若し小説の主公にして非凡異常の人質なりせば、読者おのづから之れを景慕し、其将来の成り行きをも十分得知らまく望むは常なり。故に脚色を巧妙に物する事の外に、読者の注意を促すべき卓越非凡の本尊を設け置くこと必要なり。さはとて才色兼備にして且つ善良なる人物を常に主人公となすを要せず。若したゞ読者を感動して非常の注意を促すべき非凡の資格を有したらむには、醜悪奸邪の人物といへども得て主人公となすべきなり。『美少年録』の主公の如き、『金瓶梅』の主公の如き、皆此例となるべきものなり。或ひは累、阿岩の如き容貌醜悪なる女性をもて其本尊となすも不可なし。但し陋劣なる愚蠢の人物、もしくは怯懦なる人物をば主公となすことは忌むべきなり。何となれば是等の陋劣なる本尊は啻に読者の感奮を牽起すの力なきのみならず、なか/\に読者をして其陋劣なる事蹟をしも知るを嫌はしむる傾向あればなり。さもあれ滑稽の小説には是等の種類の主公を用ひてかへりて大功を奏する事あり。故に滑稽の著作に於ては之れを用ふるも妨げなけれど、他の着実なる小説にはつとめて之れを忌むべきなり。

9

醜悪奸邪の主公を立つるは敢て妨げずといひたれども、奸邪の主公を設けし時には、成るべく之れに照対する良主人公を作るを要す。馬琴が『美少年録』を綴るに当りて、悪少年末朱之助らに照対するに杜四郎成勝らを以てせしも、『妙々車』に悪子魔土六に対する孝子志土六あるも、『時代鏡』に藤波由縁に対する白山雪若あるも、皆此必要より来りし者なり。蓋し主に脚色の雑駁を要すればなるべし。特り小説の脚色のみならず、総じて美妙の技術に在りては、脚色の統一と趣向の雑駁とを要するものなり。よし其脚色は周到にして通篇の脈絡は通徹するとも、趣向に雑駁の性質なく、あるひは単に醜悪なる奸邪の人物の身の上のみ毎篇毎章に綴りいだし、あるひは単に賎むべき卑屈の悪徒の事蹟をのみ間断もなく写しいでなば、読むもの終には之れに倦みて、巻を読み終るに堪へざるべし。譬へば人の刑せられて頭を梟木に懸らるゝや、其最先の一日には男女老幼貴賎の別なく皆争うて之れにおもむき、蟻のごとくに集り来て其醜貌を見るといへども、一二三日を経るに及べばみな一様に顰避して、また其頭はいふも更なり、其梟木だも見るもの稀れなり。若しそれ人の性質たる、珍奇を好むに切なるから、物の醜美と善悪とを問ひ試むるに及ばずして、其奇なるをのみもてあそべど、さはとて醜悪を好むの念、善美を好むにまさるは稀れなり。否、うつくしきをめでたしむたのしむ?は我が人間の天性にて、他の醜きをめでたしむは僅かに反動なり変則のみ。元来正当の事にあらねば、之れに■〔厭の下に食〕くことも早かるべし。是れ小説に善悪の両主公なからざるべからざる所以なり。曲亭馬琴の知己なりける琴魚といふ人の著したる『青砥の石文』といへる冊子は、馬琴の校閲を経たりし物にて其文章も拙からず、且つ其趣向もをさなからねど、其全篇の主公となるもの総じて醜悪卑劣にして毫も読者の愛慕心を喚起することあらざるゆゑ、最初の三四巻を終りし頃には、ほと/\読みをはらむ執心なし。其男本尊たる名艸劇斎村井長庵を翻せし者はいふに及ばず、女本尊たる阿れきをはじめ、其他の人物にいたるまでも、悉皆陋劣の匪徒のみにて、行往進退一挙一動たゞ読者をして忌嫌へる心を喚起せしむるのみ。其中に熊野丹蔵といへる人物のみは、頗る正廉の人質なれども、これまた前の劇斎らの強悪非道に匹敵する良主公とはいひがたかり。是れ此冊子の過失にして、作者の平生誡むべき一大欠点といふべきものなり。

10

主公を造作するに二流派あり。一を現実派と称し、一を理想派と称す。所謂現実派は、現に在る人を主公とするにあり。現に在る人を主公とするとは、現在社会にありふれたる人の性質を基本として、仮空の人物をつくることなり。為永春水を初めとして、其流れを汲む人情本作者はみな此流派の者なるべし。所謂理想派は之れに異なり。人間社会にあるべきやうなる人の人質を土台として仮空の人物を作る者なり。現実派はありふれたる人を材料とし、理想派はあるべきやうなる人を材料とす。是れ其相異なる要点になむ。然り而して在るべきやうなる人質を作るにも、またおのづから二方法あるべし。所謂先天法演繹法些後天法帰納法となり。先天法とは、已に定断せる理想上の性質をば仔細に分析解剖して、以て篇中にあらはれたる主公の性質を造ることなり。曲亭翁の主人公は此法によりて成りたる者多し。『八犬伝』の八犬士並びに『巡島記』の三傑の如き、最も著明しき例なるべし。何となれば八犬士は仁義礼智忠信孝悌といふ形而上の性質をば、細かに解剖分析して形而下の場合に応用なし、しかして作りたる人物なり。語をかへて之れをいへば、八行といふ無形の物をば有形の人に擬したるなり。『巡島記』の三主公も之れに同じく、義秀は勇といへる一徳性を特異の一個人の上に表明したる者なり。源冠者義邦は仁といふ無形の性質を有形の一人物の上に応用なしたる者なり。さてまた光仲は智といふ形而上の人質をば形而下の人に擬したるなり。想ふに先天の方法たる頗る面白き手段にはあれど、作者が十分意を注ぎて斟酌折衷をなさゞる時には、人間に似て人間ならざる異様の怪物を造ることあり。『八犬士伝』の八主公が、さながら聖賢其人の如き希有異様なる人となりしも、蓋し哲学者の理論をもて其根拠となせばなるべし。かくいへばとて、先天法をば決して非とするにはあらぬものから、唯此法もて時代小説を綴るに当りて歴史上に已に名を知られし人物をば作るは甚だ不可なる事なり。例へば朝比奈義秀の如きは、現に歴史上の人間にて、仮空虚設の人物ならねば、之れをほしいまゝに勇に擬して其言行を製作するは、甚だ不当なる手段といふべし。已に前条にも論ぜしごとく、時代物語の目的たる、史に脱漏せる事蹟を補ひ、現に其人に親眤むごとき一種微妙の感覚をば読者に与ふるに外ならざり。しかるをあながちに意匠をもて勇てふ徳性に擬したらむには、その物語の朝比奈義秀は、現に歴史上にあらはれたる朝比奈義秀とはおなじからず。同名異人なりといはまくのみ。その実際の効績はしばらくおき其理論上につきていへば、斯く歴史中の人物をば作者が専断の意見をもて所謂先天の手段に用ひて、自儘につくるは非事なるべし。否、第一に肝要なる時代小説の神髄をば忘却なしたる物といふべし。近きころ矢野文雄大人の纂訳せられし『経国美談』といへる書は、智と徳性と情緒とを三俊傑に擬したるなり、と或博識が評されたり。此事はたして然らむには、あまり面白きことゝは思はず。何となれば、かのエパミノンダス、ペロピダスの輩は現に正史中の人間にて、仮設の人物にあらざればなり。

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後天法帰納は前とおなじからず。作者が想像の力もて、此人界にあるべきやうなる種々の性質をば選り集めて、程よく之れを調合して、以て人物を造るの法なり。故に此法を用ふる作者は、主に実験と観察とを其必須の手段として、人の性質の原素となるべき種々の性情をば造れるから、前の先天派の作者の如くに、あまりに極端なる空理にはしりて、人らしくもなき人間をば造る程にはいたらぬなり。英のスコット翁をはじめとして、十八世紀の小説家はおほむね此派のものなるべし。リットン翁の如きも頗る此流れを汲むものに似たり。

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現実派は前の二派に異なり。現に在る人を主公とするなり。『梅暦』の丹次郎、『源氏物語』の光君の如き即ち是れなり。春水翁の時代には、丹次郎其人の如きものは幾個も世の中にありしなるべく、又式部刀自の時代に於ては、かの光君に似たりし人現に貴紳中にありしなるべし。さればこそ曲学の和学者なんどは、『源氏物語』を評論して、時世を諷誡せし書ぞといひ、其篇中なる男女の如きもみなそれぞれに時の人を表せしものぞといひつたへき。是れ甚だしき誤謬にして、彼の式部刀自が現実派の作者たりしを知らざるものなり。之れを要するに、現実派は其門に入るに易くして、其室に登るに難く、理想派は其門に入るに難くして、其室に登るに易かり。其故いかにとなれば、前者はありのまゝの人情をば写しいだすを主とするゆゑ、あながち作者の工夫をもて完美完善の標準を製りいだすべき必要なし。しかるに後者は之れに反して、醜美善悪曲直正邪、総じて作者が理想になり且つ其工夫にいづるが故に、あらかじめ独断もて醜美の標準を定めおきて、扨善悪の人物をば作り設くるを必要とす。しかして件の標準にして若し十分に高尚ならずば、脚色もしたがつて卑しくなり、若しまた高尚に過ぎたるときには、人間には似ぬ人物をば造りいだすこと間々あるなり。是れ第一の難儀にしあれど、たゞ標準だに過不及なくんば、其余は作者の意匠もて造作すること易かるべし。現実派は之れに反して、入門の後に苦労多かり。物に喩へて之れをいへば、現実派は人間の形を画く画工の如く、理想派は天人を画く画工のごとし。人間の形を画き得るものはあまたあれども、画き得て神に入りたるものは尠し。天人を画き得るものは尠けれども、或ひは画き得て人を感ぜしむる者も多かるべし。蓋し虚実の相遠のしからしむるものなりかし。

13

上巻なる小説の主眼の章下に於て已にも幾分か論じたりし如く、小説中の人物を作るに当りて最も注意を要すべき事は、作者の性質を掩ひ蔵して之れを人物の挙動の上に見えしめざるやうする事なり。自己の性質を材料として仮空の人物を作らむとすれば、自然におなじ質の人物のみ幾人となく出来るゆゑ、其物語の趣きさへ終にはうそらしう思はるれば、読人もまた興を失ひ、かの夢幻界に遊ぶが如き佳境を覚ゆること能はざるべし。初心の作者が著述類には間々此疾病ある事なり。『七偏人』并びに『和合人』の如きは、其脚色は面白けれども、此疾病のあるが為に、他の『膝栗毛』と相並べて其優劣を論ずる時には、雲壌月鼈の差あることいふまでもなき事なりかし。何となれば『七偏人』中の道楽者は、和二郎一人を除くの外は総じて同質の人間にて、ほとんど同一人の如く思はるゝなり。類は友を集め同気相求むといへど、斯ほどまでに甚だしく言行双ながら相同じき人間あるべしとは信じがたかり。若し肩書の人名なくんば、七偏人とは名目のみにて、篇中わづかに二三人の人物の外に見るものなからん。蓋し通篇の言論行為は、概して同脈同轍にして、七人の人物の言行とは思はれず。さながら作者が独語の如く思はるればなり。物に喩へて之れをいはば、かの乙女子らが翫べる役者百面相といふ玩具に似たり。百日鬘を被らすれば石川五右衛門の容貌となり、坊主鬘を被らすれば横川覚範の面となり、蜻蜒髪を被らすれば猿廻し与二郎となり、島田鬘を被らすれば白拍子花子となる。其容貌は異なれども、其人は常に相同じく、つく%\見れば此れも彼れも芝翫の容貌に外ならねば、只女童の淡々しき眼を娯まする由あるのみ。決して大人、識者をして其奇に感ぜしむるに堪へざるなり。若しそれ作文は至難技なり。論文といひ記文といひ、其結構と布置の塩梅、おの/\工夫を要する事にて、孰れもおろかはあらざれども、我が小説は至難中の最も至難なるものなるから、他の尋常の文章の如く作者自身の感情、思想を只ありの儘にあらはし得て以て足れりとするものならで、力めて作者の感情思想を外に見えざるやう掩ひ蔵して、他の人間の情合をば千変万化極りなく見るが如くに画きいだし、活たる如くに写しいだすを其本分とはなすものなり。物に喩へて之れをいはゞ、尋常の文章家は宜しく老練なる演説家の如くなすべし。自己が満腔の熱心だに其文の上にあらはし得て、読む人々を感動すれば、その本分も其妙技も共に達したりといはまくのみ。小説作者は之れに反して、弁士に似たるは最も拙く、人形遺に似たるは益々つたなし。たゞ造化児が天下の衆生を弄べるが如くになすべし。止むを得ずんば、老練なる手品師が数間を離れて無情の器物をかけはしらせ又は跳らしむる如くにせば、或ひは其妙にちかゝるべし。詮ずる所は、小説作者と其人物との関係をば読者に知らしめては不妙の極なり。是れ眼目の秘訣にして、かりにも小説を編まゝくせば等閑にすべからざる大事になん。


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