時代小説の脚色


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時代小説の脚色を論ずるに先き立ちて、時代小説と歴史との区別を少しく論弁する所あるべし。蓋し区別をしらざる限りは、決して時代小説をなしがたければなり。議論あるひは重複に類する事もあるべし。読者希ふは見ゆるしたまへ。

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世の人あるひはいへらく、歴史小説の裨益は正史の遺漏を補ふにあり、此効用のあるが故に歴史小説を玩読するもの世上に尠からぬ事なれども、若し彼の正史が発達して完全無欠の物となりなば、また遺漏なき筈なるから、世間の小説、稗史のたぐひは世の人々に愛玩さるべき其根源をば失ふべし。さすれば架空の新案奇想に工夫を費す小説家は竟に其蹤を絶すべしと。実にマコウレイ其人の如きも、この感ありしものと思はれ、往々其著書に其言語に之れに類する議論を陳じて、小説、稗史の絶跡すべき理由を論ぜしことありたり。マコウレイいへらく、「それ邦国の来歴を詳かにするはひとり学者、学生のみの喜び嗜むことにはあらず。よしや学海の人にあらぬも、国家の歴史を繙読せば多少の愉快を覚ゆべきは勿論其筈の事なりかし。豈にただ小説、稗史に載せたる架空の説話を喜ばむや」と。それしかり、豈にそれ然らむや。げに英国にて行はるゝ所謂正史と称するものは、我が東洋に行はるゝ編年然たるものに比すれば、啻に雲壌のみならざる大逕庭の存することはいふまでもなき事なれども、さはとて今日の景況にては尚ほ正史家の筆鋒もてよく小説家の筆鋒を折き文壇以外に走らすべき偉力ありとは信じがたかり。それ歴史を編むの才と詩歌もしくは伝奇小説を綴るの才とは元来相異なるものなるから、小説の才あるもの必ず史才ある者にあらず、また史才ある者必ず小説の才ある者にあらず。例へばマコウレイ其人の如きは、大いに史才に富みたりしは謂ふまでもなき事なれども、別に詩歌の才をも有しき。さればとて氏に命じて小説、稗史を編ましめなば、其つたなくして無風致ならむは、多く弁論を俟たざるベし。英の史家中に錚録々たるロード・ブラハム氏の如きは、現に一部の小説をば著せしが、其脚色も拙劣、其文も無風致、ほと/\読むに堪へざるものなり。しかるに小説家は大いに之れに反する趣きありて、或ひは有名なる小説家にして亦た有名なる歴史をしも著述せしものも尠からず。英のサッカレイは小説を以て名を知られし近世屈指の大家なるが、数々正史を編まゝくして其艸稿をば起せしかど、発版するに至らずして中絶したりと聞及べり。若し同氏にして史を編みたらむには、其効績の大なりしは、おのれが確信する所になむ。何となれば、同氏の著したる『ヂョーヂ四代記』并びに『第十八世紀滑稽家伝』を読むにあたりて、常に同氏の史才の凡ならざるを認むればなり。其他ヂョーヂ・エリオット女史の如きも、殊に史才に乏しからず。又はリットン翁のごときも、現に幾部の正史をあらはし、世の喝采を博したりき。

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しからば小説家と正史家との区別は果していづこに在るかと問はゞ、おのれはまづ之れに答へていはむとす。それ小説家は多少妄誕なる事を嗜むものなり。故に事実を叙するに臨みて、只ありのまゝに其事をば記載し去るに忍びぬ由あり。識らず知らず幾分かの文飾を加へて、其事実をしも誤る事あり。是れ小説家の歴史家に異なる所以の第一点なり。然りと雖も人の事を叙するに当りて往々文飾に陥らむは、是れまた避くべからざる弊なるべし。さればこそマコウレイ氏の如きも、歴史を編み伝記を綴るにすら、時に虚妄に類似したるいと信じがたき事実をしも書きしるしたる事ありにき。彼の英国にて有名なるカアライルの翁の如きもまた甚だしく文飾ある文をものせし人にてありき。是れに因りて之れを観れば、未だ虚実の二字のみをもて、史家と小説家とを分ちがたかり。彼のウオルター・スコット翁の如きは時代物語の大家にして、常に正史上の事実をもて其脚色の起本として、其小説をば編みたりしが、さはとて之れを一読せば、その正歴史に異なる所以は灼然として明瞭なるべし。按ふに此差別の生ずる所以は、啻に事を叙するの詳細なると、文飾の多きとのみにあらざるなり。小説の正史に異なる所以は、如意に脱漏を補ひ得る事と親眤を擅まにする事とにあるなり。脱漏を補ふとは、正史中に脱漏せる事実を作者の想像をもて補ふことをいふ。親眤とは、作者が小説中の人物正史中にも在る人物なりの言行を叙するに、極めて精純周密にして、読者をして作者と小説中の人物と朝々暮々親眤するの感あらしむるをいふなり。正史家の事を叙するや、一事件毎に其由つて来る所なかるべからず。而して小説家に於ては大いに之れと異なり。実際に於ては決して成し得がたき人心の解剖をも自在になし、あるひは猥りに出入するを許されざる上臈の深閨にも闖入して其上臈の挙動を説き、あるひは門戸の開かざると襖障子の内外を論ぜず其景況を写し出すは、我が小説家の自由にして、敢て其由来をくだ/\しく説き出だすことを要せざるなり。

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さもあれ、小説と正史との間の最も重大なる差別といふは、脱漏を補ふといふ事に外ならざるべし。今一例をこゝに挙げて其理由をば証明すべし。読む人試みに仏皇帝ナポレオン第一世が夕餐を終りたりといふ事を思へ。此事や実に疑ひもなき事実にして、必然さる事のありしならめど、之れを正史中に叙しいださば「くだらぬ」事実なりといはざるべからず。其他帝が其后ジョセフィン皇后を去るにさきだち幾多の悲惨の対話ありしは、かりにも仏国史を読みたるやからは常に想像する所なれども、さはとて件の小事件を事々しくも正史の中にて詳叙なさまく企てなば、また繁雑の譏を受くべし。さもあれ其実、是等の事は大いに人心を感ぜしむるものなり。彼の拙劣なる野乗を読み、または小冊子の歴史を閲して、読者が倦厭せる所以のものは、単に是等の野史のうちには彼のくだ/\しき事実をさへ数々詳録なせばなるべし。按ふに是等のくだ/\しき些細の事実を玩読して敢て倦むことなき所以のものは、全く読者が平生より彼のナポレオンの為人を深く追慕しておかざるより、苟にも那帝に因縁ある当時の事実を知り得れば、さながら帝と身親しく相接するの感ありて、さてこそ愉快を感ずるなれ。さはとて是等の小事実を大歴史中に詳録して、繁雑なりといふ嘲■を免れむとするは至難のわざにて、非常の才筆にあらざるよりは得てなしがたき事なりかし。しかるに小説家は之れに異なり。若しナポレオンの事蹟をのべ、其后ジョセフィン皇后の離別の一条より、帝がマリイ・ルイ夫人を娶れるに至る事柄をば仔細に綴らまく企てなば、まづ格別に緊要ならざる時と処より説き起して、次第に細微の模様を叙し、愈々出でて愈々妙なる佳境に読者を誘ひ、さながら当時の状況をば今眼のあたりに見るが如き夢幻の思想を抱かしむる、是れ小説家の伎倆になむ。故に斯くの如き小説を、読者が繙きて読む時には、那帝が深宮の奥にありて侍女、侍童らと珈琲を喫し、歓語談笑なすさまより、其応答の模様は更なり、何等の話柄を侍女らが帝に対ひて語りたるか、如何なる談話の末に於て何等の訳にてナポレオンが私に眉根を顰めしかまで、歴然として知らるゝなり。或ひは皇后ジョセフィンが胸に溢るゝ怨みをのみ、腸を断つ愁を制して、幾度となく眼に浮べる涙を袖に拭ひしなんどの細微の事実も知らるゝのみか、或ひは対談の長かるまま珈琲の冷ゆるに至りし事より、麺包牛酪を何が故に食する人もあらずして空しく卓に残したりや、或ひは纔に一片をばたゞ人前を粧ふために強ひて某が食せしなんどの些細の事実に至るまでも洩らさで窺ふ事を得べし。かゝる瑣細なる事実をさへ隈なく写しいだすことは、正史の成し得ざるところにして、小説の得意とする所になむ。

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其他風習、衣裳の如きも、正史中には画くが如くに写し出すこと難かるべし。小説家にして之れを写すはきはめて便宜の多かるのみか、活風俗史をなすに近かり。スコット翁の如きは最も時代小説の髄を得たるものなり。馬琴、京伝の如きは其名は時代物語の作者なれども、其実世話物の作者に近かり。蓋し馬琴らの叙する所は、当時の風俗、衣裳にはあらで、寛永以降の風俗をば「ぼんやり」叙したるに外ならねばなり。

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時代物語を綴るに当りて最も注意すべき主なる事は、なるべく正史の裏を描きて、表を省略する事なり。表とは正史に記載したる事なり、裏とは正史に知られざる事なり。曲亭翁が『弓張月』にて彼の保元の軍の模様をたゞ陰影としてのみ叙したるは、外伝の旨趣を得たるに近く、頗る妙なりといふべきなり。又『朝比奈巡島記』にて、北条時政らが奸侫なる臓腑肺肝を探りいだして仔細に写したるもいと妙なり。其他『侠客伝』、『美少年録』のたぐひも此点よりして論を下せば、まづ大方は純然たる時代小説といふも可ならむ。

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畢竟ずるに時代物語の目的は、風俗史の遺漏を補ふと、正史の欠漏を補ふとの二点にあり。故に此二ケ条の目的は其一をだに達し得なば、其本分はすなはち足るべし。是非正史上の大事実もしくは正史上の人物をば引用するにも及ばざれども、なるべくだけは風俗、遺事、双方ともにならび存して其物語の髄ともなりなば、最も完全と称すべきなり。

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正史物語を編むに臨みて作者がしば/\醸し易き疾病一にして足らざれども、その主なるは、第一は年代の齟齬、第二に事実の錯誤、および第三に風俗の謬写是れなり。

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年代の齟齬は正史家だに間々之れを行ふ事なり。妄誕仮空の小説には些少の間違ひありたればとて敢て苦しからぬやうなれども、決して望ましき事にはあらねば、及ぶだけ年代にも齟齬なからしむるを要するなり。蓋し年代に甚だしき相違謬妄ある時には、其物語の美妙にして真に逼るにも係らず、読む人具眼の人なりせば、たちまち妄誕にこゝろづきて、彼の夢幻界に逍遥して古人に親眤する感覚をば亡失することあるべければなり。我が従来の小説作者は此相違を意とせず、公然読む人にうちむかひて其無要なるを説きしもあり。曲亭翁の如きはさすがに此点にも注意せしかば、『八犬伝』といひ、『巡島記』といひ、仮にも時代物と称する物にはさまで甚だしき錯誤はなし。但し翁が得意の作たる『侠客伝』には此病ひも多少見えたりきと記憶し居れり。

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事実の錯誤は正史上の事蹟を誤る事にて、例へば善良の人を悪人の如くにいひなし、奸悪の人を善人の如くにいひなす等をすべて此類の錯誤に入るべし。我が小説家には此弊多し。馬琴翁の如きは頗る此弊を矯ることに力を尽したる人なり。是れ実に除かざるべからざるの疾病なり。何となれば、正史の事蹟ならびに人物の裏面を叙するは時代物語の本旨なるに、若し其事蹟と人物の表面に已に甚だしき錯誤ありなば、其裏面なる事蹟の如きは勿論虚妄なるものなればなり。仮令脚色は巧妙なりとも、また風俗には謬写なくとも、此事実の錯誤ありては、いまだ時代物の完全なるものとはいふべからず。些も事実に依頼らずしてまつたく虚構仮設にいでたる人物事件を土台として他の風俗のみ詳精に写しいだすに如ざるなり。

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風俗の謬写とは、時代違ひの器具調度もしくは衣裳粧飾もしくは飲食物等を写しいだし、あるひは当時代にはあらざりける風習なんどを正々しく物語の脚色に加ふることなり。例へば足利時代の人物に煙艸を喫せしめ三線をもてあそばしめ、北条時代の人物に鳥銃を放たしめ槍を用ひさする等是れなり。其他慶長年間の婦人に島田髷を結ばしめ大振袖を着するなんども、皆此部類の杜撰といふべし。之れより甚だしきもの尚ほあるべし。其一斑を例とするのみ。風俗の謬写は、前の事実の謬誤にひとしく、時代物語の大過失なり。此過失にして除かざれば、時代小説の目的をば得て遂ぐること能はざるなり。馬琴翁の大筆なるも此一点には過失多かり。否、此過失を除かむとて嘗て力めたりし事なかりき。豈にをしむべき事ならずや。


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