文体論

1

文は思想の機械なり、また粧飾なり。小説を編むには最も等閑にすべからざるものなり。脚色いかほどに巧妙なりとも、文をさなければ情通ぜず、文字如意ならねば摸写も如意にものしがたし。支那および西洋の諸国にては言文おほむね一途なるから、殊更に文体を選むべき要なしと雖も、わが国にては之れに異なり。文体にさま%\の差異ありて、各々一失一得あり、利不利、その用ひどころによりて異なる由あり。是れ小説に文体を選まざるべからざる所以なり。

2

わが国にていにしへより小説に用ひ来りし文体は一定ならねど、要するに雅と俗と雅俗折衷の三体の外にあらじ。詳細なることは之れを他日の論にゆづりて、此にはたゞ此三体の優劣を弁じて、読者の参考に供すべし。

3

わが国の小説文体の事につきては、おのれ尚ほ別に論あれども、あまりに冗長に渉るを恐れて、こゝには全く略きたれども、後日『神髄』の拾遺をものして、更に文体の変遷より、其改良をも論じつべし。

4

雅文体はすなはち倭文なり。其質優柔にして閑雅なれば、婉曲富麗の文をなすにはおのづから適へりといへども、惜しいかな活溌豪宕の気なし。物にたとへて之れを評すれば、なほ■々として気力に乏しき、風にもまるゝ柳の如しとやいふべからむ。之れを人にたとふれば猶ほ簾のうちにありて痞になやめる上臈の如し。されば此質の文章は特にうち見し所の幽艶なるのみにはあらで其音調も長閑にして且つおのづから古雅なるものから、激切の感情、豪放の挙動、もしくは跌宕なる情況なんどを写しいだすに適はぬ由あり。況てや殺伐の景情などを此優柔なる文体もて描きいだすは極めて難かり。およそ小説といふものは、宇宙に森羅星列せる無数無量の現象より、彼の百八の煩悩まで、今まのあたり眼をもて見るが如くに画きいだして之れを読者に見えしむるを其本分となすものゆゑ、其画くべき事物の中には優柔閑雅なるものもあるべく、激昂雄快なるものもあるべく、悲涼沈痛なるものもあるべく、抱腹絶倒すべきものもあるべし。されば小説の作者にして、唯々優柔なる条をのみ巧みに写すことを得るも、他の雄快なる条を写すに其筆至らぬ所あらば、可惜妙趣の脚色までも為に毀ふことあるべし。跌宕(ザブリミチイ)と富麗(ビウチイ)と哀情(ペイソス)と滑稽(レヂクラスネス)とは所謂華文の属性にて、殊に小説の文章とは離るべからざる物なるから、此四箇の唯一をだに欠乏したるものならむにはよしや其他の場合に於ては如何なる妙用ありといふとも、そを完全なる文体とは決して称しがたきことなりかし。按ずるに我が国には遠く上つ世の比よりして文武の官に差別ありて、文学は専ら文弱なる大宮人の手にのみなりしからに、文章ひたぶるに閑雅に流れて、自然に活溌豪放なる質には乏しくなり行きし歟。殊には後世倭文学の師表と仰げる書籍類は概ね藤原氏が摂政せし文弱婬靡の中古の世に婦人連の手になりたる閑暇の著述に外ならねば、その文章の気力なきもまた怪しむには足らざるなり。紫式部が倭文をもて『源氏物語』をかきつゞり名を後世に垂れたりしは、情文ともに至妙にして相適ひしに因るものから、また退いて考ふれば其文の質頗るよく時世の質にも適へばなり。それ小説の文の体はもとより千古不抜ならず、風俗人情進化すれば其進化せし度に応じていくらか改良せざるべからず。言語習慣変化すれば、其変化せし度にしたがひ多少斟酌折衷して更に一機軸をいださゞる可らず。然るは小説といふものは、時世々々の人情世態を写すを骨髄となせばなりけり。仮令紫女の大筆をもてするといふとも、我が文明の情態を彼の純粋なる倭文をもて写しいださむはかたかるべし。左の抜文を見て其一斑を窺ふべし。

5

因云。六樹園の大人のあらはされし『都の手振』といへる書は、大江戸の市街の様をば雅文体もてうつしいだしたるものにて、中にも馬喰町のはたごの景況ならびに夜鷹の情態などは殊に隈なううつしいだして目前に見るこゝちぞせらる。さはあれ其主意の鄙びたるに其文はいたく雅びたれば、たゞ何となく此れ彼れ相適はざる心地せられて、うち含笑まるゝことも多かり。物あらがひなどする条も、其言すこぶる優長なるから、所謂江戸ツ子の気性に乏しく、上方あたりの人とも思はる。是しかしながら、倭文をもて活溌磊《石へんに可》のありさまを写しいだすにかたかるべき一の証ともいふべきなり。又云。式亭三馬などが滑稽物の地の文をば時に雅文体にてものせしことあり。今一例をこゝにあげて読者の参考に供すべし。

6

「春はあけぽのやう/\白くなりゆく。あらひ粉にふるとしの顔をあらふ、初湯のけぶりほそくたなびきたる女湯のありさま、いかで見ん物をとて、松の内早仕舞ちふ札かけたる格子のもとにたゝずみ、障子のひまよりかいまみるに、そのさまをかしくもあり、又おのが身のぶざめいたるはあさましくもありけり。白き物ははつ湯の三方とかいふめる、ものはづけとやらんもうべなり。御祝儀の十二銅、男衆への水引包は、二つの三方にうづ高うして、雪消えぬ富士と筑波あらそへり。そも/\こゝには神代のありさまをやうつしたりけむ、注連縄ひきわたせる柘榴口の後には、榊葉ならぬ松真木もて風呂たく男の庭火燃すありて、湯汲場の天岩戸をさとひらきてより、常闇にまがへる朝湯の湯気はやゝはれわたり、人々の面白やといふところほひ、髪のかざしもすこしうすめの命めきたる女の指の爪に糸道てふ物の残れるは、世にいふ舞子、白拍子のたぐひとおぼし。彼太政入道どのゝ世にめでたくおはさば、あそびの者の推参はよのつねの事にさふらふなどいふて見参まをすべきくせものにこそ。」云々。(『浮世風呂』)

7

右はもとより純粋なる雅文体にはあらざれども、また以て我が所謂雅俗折衷の文体とは相異りたるものともいふべし。按ふに作者が地の文をば此文体もてものせしには、然るべき故よしありしならむ。総じて滑稽といふものは、専ら文字上より論ずるときには、詞の品位の其主意の品位に適せざるときに生ずるものにて、語をかへて之れをいへば、鄙猥の事物を写しいだすにいと厳なる文字を以てし、高尚の題目を論ずるにいと俚びたる言語を以てするに於て生ずべきなり。作者あらかじめ此意をさとりて、此に雅文体を用ひしもの歟。畢竟ずるに、雅文体は古雅の性質を帯たるものゆゑ、目下の世況を写しいだすには適当したるものとは思はれず。若しあながちに此体もて上下貴賎の差別もなく我が開明に赴きたる世の情態を見るが如くに描きいださまく企てなば、徒に笑ひを促し、むなしく滑稽の著述視せらるゝ歎あるべし。

8

されば滑稽の作にあらざる小説の文章に此雅文体を用ふる時には二箇の失利を生ずるなり。一はすなはち豪放活溌の気に乏しき事、一はすなはち滑稽詼謔に類似すること是れなり。
(『源氏物語』若紫の巻)紫のまだいとけなくておはせしころ源氏の君の訪ひ来ませる条に、
「(紫詞)小納言よ〔小納言は若紫の乳母なり〕なほし被たりつらんはいづら。宮〔宮の父君をいふ〕の在するかとてよりおはしたる御こゑいと可愛し。(源詞)宮にはあらねど又おもほしはなつべうもあらず。此処と宣たまふを羞かしかりし人とさすがに聞做して悪しう言ひてけりとおぼして乳母にさしよりて、(紫詞)いざかし寝ぶたきにと宣たまへば、」云々。
(又葵の巻)源氏の君が大臣を訪ひたまひて葵の上の亡れたまひしを歎きたまふ条に、
「心ながき人だにあらば見はてたまひなん物を命こそはかなけれとて、火をうちながめたまへる眼のうち濡たまへるほどぞめでたき。取別けてらうたくしたまひし小さき小女の親どももなく、いと心ぽそげに思へる、道理と見たまひて、(源詞)あてき〔小女の名〕は今は我をこそ思ふべき人なめれ、とのたまへば甚じく泣く。」云々。
(又榊の巻)藤壷の方が御ぐしをおろし給はむとおぼしたちたまひて東宮を訪ひたまふ条に、
「(藤詞)御らんぜで久しからん程に形容の異ざまにて、うたてげに変りて侍らばいかゞ思さるべきと聞えたまへば御かほをうちまもりて、(東宮詞)式部〔老女の名なるべし〕かやうにや争でか然はなりたまはんと笑みて宣給ふ。言ふ甲斐なく哀れにて、(藤詞)それは老いて侍れば醜きぞ然はあらで髪はそれよりも短くて、黒き衣などを被て、夜居の僧のやうになり侍らんとすれば、見たてまつらんこともいとゞ久しかるべきぞとて泣きたまへば、まめだちて、(東宮詞)久しうおはせば恋しきものをとて、涙のおつれば恥かしとおぼして、さすがに背きたまへる御ぐしはゆら/\と清らにて、眼のなつかしげに匂ひたまへるさま、おとなびたまふまゝに、たゞ彼の御かほをぬぎすべたまへり。」云々。
(又須磨の巻)御さすらへのありさまを写しいだしたる条に、
「月いと明うさし入て、はかなき旅のおまし所はおくまで隈なし。床の上に夜深き空も見ゆ。入がたの月すごく見ゆるに、たゞこれ西に行くなりと独ごちたまひて、〔ひとしく西へゆくといへども月の西へゆくは唯西へ行のみなり我は左遷され西へ行なりと歎じ給ふ。〕
(源詠)いづかたの雲路にわれもまよひなん月の見るらんこともはづかし。」云々。
(又同巻)暴風雨のありさまをいふところに、
「海のおもては衾を張りたらんやうに光みちて、神なりひらめく。〔雷電にて海面白くいかれるをいふ也〕」云々。

9

雅文体の性質はおほむね前にかゝげたるものの如し。『近江県物語』、『西山物語』、『筑紫船物語』等の如きは多少此質の文を用ひて物語を編みたるものといふべし。読む人件の三書を開きてみづから得失を考ふべし。

10

俗文体は通俗の言語をもてそのまゝに文になしたるものなり。故に文字の意味平易にして、啻に解しやすきの徳あるのみかは、別に活動の力あるから、所謂華文に必要なる簡易の品格、明晰の品格はいへばさらなり、峻抜雄健なる勢力あり、追懐愛慕の想念をも惹起しつべき品格あり。加之、時としては文字の音調、気韻共に頗る情趣に適応して、よく心底の感情をば表しいだすに妙なることあり。此をもて泰西の諸国はいふもさらなり、漢土の如きも、小説には地の文章を除くの外は成るべく通俗の語を用ひて、事物の形容をうつすなりけり。俗文体の利すでに斯の如しといへども、特りいかにせむ、わが国にては言文一途にいでざるから、文章上にて用ふる言語と、平談俗話に用ふる言語と、さながら氷炭の相違あり。さるからに俗言のまゝに文をなすときは、あるひは音調侏離に失し、或ひは其気韻の野なるに失して、いと雅びたる趣向さへ為にいとひなびたるものとなりて、俚猥の譏りを得ること多かり。且つ西の国々とは事かはりて、言語の変遷はげしきのみか、わづか数百里以内にして其方言の異なること彼の英仏の国語の相異なれるに似たるものあり。故に時代物の小説には此文体を用ふること、きはめて不便にして、且つ甚だ不都合なることといふべし。たゞ彼の当世の物語(世話物語)を此文体をもて綴りなさば、情文双つながら相適ひて、頗る精妙なるべけれど、それだに幾分か斟酌して折衷せざれば叶ひがたし。彼の為永派の作者といへども、やゝ厳格なる条にいたれば間々演劇の台詞めきたるをいくらかづつ仮用ひて、俗談をもていひ得がたき不便の条を補ひしは、読む人もまた知ることなるらむ。曲亭馬琴かつていへらく、
「唐山にて俗語もて綴れる書に、正文あり、方言あり。しからざれば用をなさず。又儒書方書仏教は正文なるべきものなれども、そが中に俗語あるは『二程全書』、『朱子語類』、俗語をもて綴りしは『寄功新事』、『傷寒条弁』、『虚堂録』、『光明蔵』の類なほあるべし。先輩已にこの弁あり。かゝれば彼が文華なるも言魂の資を得ざれば文を成すに如意ならず。矧やまた皇国の文章は和漢雅俗今古の差別あり。さるを今文場に遊ぶもの孰かよく貫通せん。いと難しともかたからずや。想ふにいにしへの草子、物語『竹取』、『宇津保』、『源氏物語』なども、作者つとめて其詞をあなぐり選みて綴れるにはあらざるべし。必ず是当時大宮人のつねのことば方言さへ、そがまゝに載たるめれど、古言はおのづから鄙俗ならず、且つ宮嬪の詞には雅俗打任したるもあれど、才子才女は其品殊にて、且つ能文の所為なれば、後世和文の山斗たり。かゝれば昔の草子物語は此にも俗語もて綴れるを思ふべし。和漢その文異なれども、情態をよくうつし得て其趣を尽せる者、俗語ならざれば成すこと難かる、彼我おなじく一揆なり。さればとて今此間の俚言俗語の転訛侏離の甚しきをそがまゝに文になすべからず。余が駁雑の文あるはこの侏離鄙俗を遁れんとてなり。」云々。

11

俗言の不便多かる実に馬琴翁の言のごとし。おのれに於ても此議論を賛成せざるを得ざるものから、なほ幾分か此議論と相径庭する由なきにもあらねば、いさゝか持論を陳述して、更に俗文を論明すべし。

12

それ小説は情態をうつすをもて其骨髄となすものなり。故に下流の情態をば写しいださまくほりするときには、其人物の言語なんどに鄙俚猥俗なる言語あるはもとより脱れがたきことなりかし。其趣きだに尽したらば、よしや其言語は鄙俚なりとも、これなか/\に下流社会のまことの景状に外ならず。此故をもて、俗言をば我が小説に用ひがたき文句なりとはいふべからず。ヂッケンス翁の小説ならびにフヒールヂング翁の稗史などには、随分はなはだしき俚言などをいくらともなく用ひたれども、其故をもてヂッケンスを譏りて評せし者なければ、またフ翁をも罵るものなし。フ翁の著作は鄙猥なりとて排斥するものは多けれども、そは其趣向の猥雑を擯斥するより出でたることにて、文章の上をいふにはあらず。かゝれば転訛の方言たりとも、侏離甚だしき俚語たりとも、其機々に相応じて用ふれば敢て妨げなく、かへりて趣き深かるべし。さはあれ我が国の俗談平話は、兎角に冗長に失する弊あり。ならびに語法に定律なく、且つ音調も美ならざるがゆゑに、叙文(事物の歴由を叙する文章をいふ)ならびに記文(事物の形状性質等を記するもの)等には用ひて妙ならざるところ多かり。蓋し其冗長に失する所以は、我が本来の優柔なる倭言葉に因するなるべく、其用語法に定律なく、且つ音調の美ならざるは、和漢の言語、転訛の方言相混じたるに基くなるべし。加之、俗談には語法に三段の区別ありて、上流の人に対する言語と、同等の人に対する言語と、下流の人に対する言語と、おのおの著明しき相違ありて、西洋の国語と異なり。而して同等以下の人に対する言語の如きは、もともと現在と未来の区別のなきものあり。例へば「更に行衛の知れざりしかば」といふ叙事体の文を物する時にも「更に行衛が知れぬから」ともいひ得べく、「とんと行衛がしれなかつたものだから」ともいひ得べく、「更に行衛が知れぬもんだから」ともいひ得べし。而して第二と第三とは、俗談中の俗語にして最も鄙しき言語なるから、第一の言語をとりて事を叙するや疑ひなし。然るに第一の言語の如きは所謂現在の言語なるから、已に過ぎたる来歴などを叙するに至当とはいひ難かり。英国の文法にも、歴史現在と呼びならはせる一種の用語法ありといへども、そは稀々に用ふるものにて、常に用ふべきものにはあらず。現在のやうにうつしいだすは、其事柄の質によりては頗る面白く思はるれど、いと長々しき来歴をば我が冗長なる言語をもて過去現在の差別も設けでくだ/\しくも述べもて行きなば、竟には先後錯乱して事序を弁じがたきことあるべし。是れ第一に読者をして倦厭の気を発せしめむ。故におのれは断じていへらく、俗言をもて物語の詞(物語中に現はれたる人物の言語をいふ)を写すは妨害なし、但し地の文にいたりては、(我が国の俗言に一大改良の行はれざるあひだは)俗言をもて写すべからず。蓋し是れが為に物語の進歩をさまたげむかと恐るればなり。

13

左に為永派の人情本の抜文をあぐ。一読して其得失を窺ふべし。
「(前略)孝道無二のますらをながら、なまじ情に引されて、そがまゝ長者が許に戻り、義理ある父と忠太夫にせめて一筆書きのこさんと、硯ひきよせ摺りながす墨も泪ににじみがち、様子しらねば娘のお梅、唐紙あけて手をつかへ、梅「こんちはお寺参りからどちらへお往き遊ばしました。」源「おふくろの仏参から久しぶりで諸方あるいて来ました。」(中略)源「オヽでかす/\それでこそ武士の妻、卑怯未練の源太左衛門何程の事があらう、本望とぐるはまたゝくうち、必ず吉左右待つてゐやれ」といひつゝ雨戸を細目にあけ、外面をながめて、源「思ひの外に夜もふけた様子、今から出掛るから、父上と忠太夫に此書置をさしあげて、猶くはしくおまへから能うくおはなし申しておくれ。」梅「それではモウお出かけあそばしますか、随分お身を大切に。」源「お前もからだに気をつけて」ト〔すこし声をひくゝなし〕源「お牧さんが被下物をうつかりと喰ないやうに、其外お牧さんから父上様にあげる物にも気を附て、身を大事に時節をまちな。」梅「ハイ」といらへて取いだす刀ならねど若し此まゝに切れもやせんかと柄糸の唯つかのまも忘られず、割笄のわかれてもいつか下緒の結ばるゝ時こそあれと両の眼に浮む泪をみせじとて云々。」(松亭金水)

14

右に載する所のものは所謂俗文体の文章なれども、地には雅言をも交へ用ひて、俗言八分の文となしたり。蓋し前条に陳述せる幾多の不便のあるによるなり。地の文章と詞の文句とかゝる氷炭の相違あるは、また是非もなき事なれども、同じ言葉の文句のうちにて、さながら時代の違ひしごとくに其性質の異なれるは、甚だ妙ならぬ次第ならずや。例へば前の文章中なる「オヽでかす云々」の語は所謂演劇の台詞にして、今の世の人の言語にはあらず。前後の言語と比べ見なば、不都合の廉なしといはれず。是れ我が国の通常言の不便利よりして生ぜしことにて、作者を咎むべき限りにはあらねど、是等は俗文の神髄なる活動の妙味をそこなふ由あり。もとより望ましきことにはあらず。是れ併しながら文の質の其物語の質に適はで、いひあらはすべき情趣をしもいひ尽し得ぬによる事なり。故に前段にもいひしごとく、時代物語を綴る折には、俗文体を用ふることは極めて不都合多かるべければ、雅俗の言葉を折衷せる他の文体を取り用ひて其趣きをば叙すべきなり。

15

世話物語を綴る折にも、地の文章は拠ろなく雅言を幾分か取りまじへて叙事の便利に供すべきは、已に前にもいへるごとし。さはあれ雅俗折衷の地の文と、全く俗言もて綴りたる詞との接続塩梅すこぶるたやすからぬわざにしあれば、此文体を用ふる輩は十分心を用ひざれば奏功きはめて難かるべし。譬へば馬琴得意の文体もて地の文をものしたる続へたゞちに為永得意のベランメイ、オヨシナサイナなどやうの詞を綴りいださば、地と詞とほと/\撞着する勢ありて、口調もおのづから穏かならじ。さればとて此撞着あらざらしめむがために地の文をあまりに俗体にかたよらしめなば、彼の豪宕なる景況をば写しいだすに便ならざるべし。是れ第一の難儀なりかし。されば俗文体を用ひむとせば、宜しく一機軸の文をなすべし、決して馬琴の文と春水の文と合併して地と詞とをものせむと企つべからず。さるわざせむは、元のまゝに人情本文を綴るにも劣りて拙し。俗語などは、はかなきものゝやうなれども、なか/\に然らず。作者たらんものは能々こゝらを考ふべし。前に俗言は侏離の声多く訛言鄙語多しといひしからに、読者は必ず俗言をばひそかに譏りたりと思ひしならめど、そはまた甚だしき謬誤なり。言は魂なり。文は形なり。俗言には七情こと%\く化粧をほどこさずして現はるれど、文には七情も皆紅粉を施して現はれ、幾分か実を失ふ所あり。俗言のまゝに詞をうつせば、相対して談話するが如き興味あり。雅俗折衷の文をもて詞をつゞれば、書簡を読むの思ひあり。其おもしろみの薄かること、いふまでもなきことなりかし。俗文の利すでに斯くの如し。唯憾らくは世に其不便を除くの法なし。嗚呼、我が党の才子、誰れか此法を発揮すらむ。おのれは今より頸を長うして新俗文の世にいづる日を待つものなり。

16

雅俗折衷の文体は一にして足らず、今大別して二種となし、仮に一を稗史体と称し、一を艸冊子体と称す。

17

(甲)稗史体は、地の文を綴るには雅言七八分の雅俗折衷の文を用ひ、詞を綴るには雅言五六分の雅俗折衷文を用ふ。さるからに地と詞と相齟齬するが如き患ひなく、雅なる趣きを叙するには雅言をもてし、野なる趣きを写すには俗言をもてし、臨機応変に貴賎雅俗を写し分つに便なり。且つ漢土の語をさへ其折々にまじへ用ひて国語の不足を補ふことゆゑ、富麗幽婉の状にいたれば倭文の嫻雅なるものをもてこれを彩飾り、宏壮激越の模様を叙するには漢語の雄健なるものを選用ひて、その足らざる所を補ひ、俗言を六七分まじへ用ひては天離る鄙の景情をあからさまに描きいだし、雅言を八九分かりもちひては久堅の雲の上人の遠き昔の言の葉も其文面にあらはすべし。時代物語を綴らむとせば之れに比へむ好文体またありとしも思はざるなり。世話物の小説のごときも、あるひは此文もて綴り得がたきにあらぬものから、他の俗文体、艸冊子体なんどに比ぶれば一歩を譲る所あらむ歟。蓋し其詞に一種の特質を有して、今の世の言語に比すれば大いに異なる所あればなり。故に世話物の小説には此文体を用ひざるこそ却りて当然と思はるゝなれ。

18

雅俗折衷の塩梅だに其宜しきを得たらむには、時代物語に適する文章実に此文の外にはあらじ。さはあれ雅俗折衷の加減塩梅いとたやすからぬ業にしあれば、なほ幼稚なる似而非作者はこを用ひむと企てつゝ、ほと/\読むにわづらはしき鄙俗の文をばなすことあり。試みに一つ二つ其難点を挙げていはゞ、まづ第一に雅調に偏しやすきこと是れなり。初心の作者が綴りたる稗史体の文を見るに、おほむね雅調に傾きて(作者もし倭学に心得深きものなれば)、文法にのみ心を配りて、貴賎の言語に弁別なく、句々きれ%\になりて、読むに美ならぬ文をなすか、然らざれば音調にのみ心を用ひて、長歌の如く今様の如き文をものして、事物活動の勢ひを失ふもの多かり。苟にも雅言をまじへ用ふるからには、倭の文法を守らむは勿論当然のことなれども、さればとてあまりに文法にのみ心を奪はれ、小説、稗史の本分たる人情世態を写しえずば、誡に益なきことゝいふベし。

19

第二には、俗体に偏ること是れなり。和文を深く心得ざるやからが、なまじひに多く俗言をまじへ用ひむと試むるときには、おほむね浄瑠璃本または端歌めきたる文体に流れ易く、音調は実に滑なる所もあれど、其声いやしうしてほとほと読むにたへざるものあり。瀬川如皐が著したる『鼎臣録』のごときはやゝ此譏りあるを免れざるべし。

20

さあらばいかなる文章が此文体の本質ぞといはむに、『八犬伝』、『美少年録』などは此体の文をもて綴りたる大筆の小説なり。こゝに抜文を挙ぐ。読んで其一斑を窺ふべし。

21

「這の眉上の黒子さへ一対なるは親子の徴、この児の顔と御身の容止、似ずや肖ざるや見給へといひっゝ鼻紙に附たりし懐中鏡を取り出して、照して見せつ推向て、珠よ爾〔にんべんつき〕の■〔父に多〕々公ぞや抱かれ給へと掻遺れば、まだいはけなき珠之助も争ひ難き血脈の恩愛、■〔父に多〕々様のうと呼かけて携るを軈て引よせて膝にのせたる瀬十郎、歎けばこそあれ目に脆き、涙歟露のひと滴。」云々。(『美少年録』)
「さらば左いはん右いふて身の憂事をつげの櫛、鬢の後毛かきあげて、人待つ縁の夕化粧、鏡も刀自に借りものと打向へども影暗き、日は没果て燈火の、こゝへとゞかぬ片ごころ、かゝる為にと貯の座席遺の蝋燭も、流れ渡りの身にしあれど、よろづよき日と暦手の、茶碗を覆す糸底に、立てゝ彩る唇燕脂の、笹色の香も知る人に、見せなんとての所為なりけり。」云々。(同前)

22

「客もあるじも沙量ならねば、是より酒■〔酉燕〕始まりて、献つ酬へつ果しなき、議論に興を催したる、朱之助ははや薄酔の、多弁に任して属日の欝気を恁とうち喞ちて、媒妁の目の前にて斯ういへばをかしからぬ不走向に似たれども、岳母の旦ても暮ても苦虫を嚼潰して、四角四面の気韻高く、斧柄もまた烏と共に起て糸を繰り機を織る、これより外に所作はなし。今様早唄こそ事ふりにたれ、説経弄斎椰節を学びたりやと問へば知らずと答ふ。況てきのふけふは田舎までも弄ぶ三絃なんどは、手で弾く物やら足でかきならす物なるや、夢にだも見たることはあらず。偶然に物いひかけても、泣出したげなる面色して返辞をするのみ余情もなく、寝る時だにも三つ指にて許させたまへといひながら、蒲団の端へ如恐怖に枕引よせて就寝なり。畢竟木彫の偶人と枕を並ぶるに異ならず。斯ても夫婦といふべきや、粉糠三合有ならば入婿になゝりそといひけん、昔の人の格言なるかな、察したまへと不楽しげに、意中をつくす酒興の述懐。箭五郎呵々とうち笑ひて、宣ふ趣き無理ならねど、世の常言に石の上にも三稔といふことあるならずや。さりとて貴所は入婿にしてまた世の入婿に同じからず。今にもあれ主用を果したまはゞ、袖打払ふて武蔵へ帰りたまはなん。しからばこゝもなほ旅なり。詰る所は趣きのなき衒妻を旅宿の当分月傭にせしなりと思ひたまはゞ不足はあらじ。且く堪忍したまへかし、といへば奥手も打笑ひて、斧柄さまの光忽子なる、そはその該の事に侍り、焦たる桐も製らねば良琴にはなり侍らず、煤けし竹も伐てこそめでたき笛になるとかいふ譬喩を女子の諸礼書にて見しことの侍りにき。斧柄さまも恁ぞかし。気長く教育たまひなば、遂には佳音を現はして暁毎に臥房の窓の隙よりしらむを共侶に、いとほしみつゝ離れかねぬる、楽しき中になりたまはん。そを教へずして備はらんことを求めたまふは疎にこそ。然はあらずやと慰むれば、」云々。(同前)

23

「昨夜はなせし事により、吾儕は目今里長どのゝ宿所へゆかん、葛籠なる衣物出したまひね、といふに斧柄は心得て、取出しつゝ持て来ぬる手織小袖の染紬絹、太織は名のみ痩宍に、帯の端さへあまりぬる、真と辛苦をやる瀬なき、表衣ばかりを脱更て、繕ひのなき白踏皮も、水入らずなる親子仲、脱し旧衣たゝむ間に、鼻紙折て懐へ、これもと渡す印章を、取て収むる袖頭巾、ひさげて朱どの頼むぞや。斧柄留守を、と言ひつゝも、背戸より出でてゆきにけり。(中略)落葉は早くかへり来て、朱どの斧柄も歓びたまへ、那一種は手に入りにき。委細は後に辛度や、といふをさこそと朱之助、斧柄も共に慰めて、汲てすゝむる一柄杓、立茶の泡のあはれげに、恩義のために使るゝ、親さへ子さへ暇なき、心尽しを心ある、人に見せばや津の国に、ありといふなる武庫の山、壻に栄なき空花の、散りぞしぬべき入相の、山寺の鐘おとづれて、燈点比になりにけり。」云々。(同前)

24

「兼顕卿も賢房卿も共に名残を惜ませたまふ。愛顧は筆に現はれたる、そが中に兼顕卿の消息に、今より四稔さきつころ緑巽亭にあだまちさせしは紅葉見ならで、物いふ花を手折れといはぬばかりなりしわが愆こそ悔しけれ。今さらに恨みられやせん、鈍ましかりきと書せたまふを見れば、顔まづ■うなりしを、さらぬさまにてさや/\と、手早く巻て懐にうちをさめ、今にはじめぬ両卿のおんなさけこそ辱けれ。」云々。(同前)

25

上にかゝげし文の如きは纔に此体の一斑のみ。いまだ全豹を窺ふに足るべうもあらねど、其性質の他の二文体に異なる由は、已に明瞭に知られたりと思はる。已にもいひし如く、此体の文は地を綴るには雅言七八分をまじへ、詞を綴るには雅言五六分をまじふるからに、地と詞との間に甚だしき文調の相違もなく、偏へに筆頭の加減によりて貴賎老若男女の言語を写しわかつに便利多かり。されば上中下の情態を叙するにも、遠きむかしの景情を写すにも、最も適当せる好文体は即ち此質の文章なるべし。

26

稗史体の雅俗折衷の文を論ずるに当りて、おのづからいはで叶はぬこと二つ三つあり。曰く音韻転換の法、曰く意義転換の法、曰く古詩歌引用の法、曰く題目構成の法、すなはち是れなり。

27

音韻転換の法は、長歌の冠詞より転化したる法にて、既に一つの意をいひあらはしたる上の言葉の下半を借りてまた下の言葉の上半をいひあらはす法なり。例へば左の文にては、 「さては命は浪速江(無)の、短き蘆の薄命〔ふし(節)あはせ〕、あはずなりしをうらめしの、近江〔あふ(逢)み〕とはたが名づけゝん、さして往方は磨針の、最〔いと(糸)〕もはかなや叔母夫さへ、なき名聞して後々に、物思へとやつれもなき。」云々。(『美少年録』斧柄が愁歎の詞。)

28

傍示なしたるごとく、音韻転換のところいと多かり。蓋し省筆の一法なり。特り巧みを求むるがためにのみ用ひたるにはあらじ。しかれども初心の作者はこゝらの道理をさとらざるにや、音韻転換は是非行はねばならぬやうに心得たるものもあれど、決してさまで入用なるも切にはあらず。さればとて些も此法を用ひざれば、文のみ可厭に長々しうなりて、読むに興なく、且つ彩もなく香もなき文章となることあり。さればとて、さもあるまじき所につたなき相関言葉を設け、または左の如き、
「年は二八か二九からぬ」、「様子は何か白紙の」、「奥の一間へ入相の」、「なんとせんかた涙のみ。」

29

院本などにありふれて婦女児童も耳慣れたる、いとも拙き相関詞を得意貌に綴りいだすは、寔に可厭なり。なか/\に直に書きなしたるに劣りて醜し。

30

意義転換の法は、音韻転換に似てすこしく異なり。意義転換の法にありては、音韻の似ると似ざるとには係らず、もし前後上下の語を意義の相似たる詞をもていひあらはし得べしと思ふときは、筆を曲げてさる文字を選り用ふるなり。例へば左の文にて、
「消にし人は六の花、七歟八才を一期としけん。」云々。

31

「六の花」は「消にし」といひたるより転じ来れる詞にて、通常ならば「雪」とあからさまにいふべきなれども、意義転換の法を用ひむとすればこそ故意と「六の花」といひて、下の「七歟八才」を利したるなれ。これらも処によりては省筆のたすけとなることあれども、大方はただ文の光彩を添ふるにすぎず。

32

音韻転換も、意義転換も、強ひて筆をまげたる迹其文章の上に見えて、作者の苦心のあからさまに他に見らるゝはいと拙し。総じてかゝる相関詞を綴りいださまくほりする時には、まづ第一に転換工合の平易と平滑とをのぞむべきなり。語をかへて之れをいへば、普通の読書眼ある人にはただ一通よみたるのみにて、その転換の原く所のよく解るやうに綴るべきなり。一層巧みにしていと込入りたる転換といへども、再読すればたちまちに読者に解るやうに綴るべきなり。然らざればいか程巧妙なる転換といへども、読書が其意の解しがたきに苦むやうではおもしろからず。啻に面白からぬのみにはあらず、其全文の意味さへも其ために解しがたくなることあるべし。おのれが友人なにがし嘗ていへらく。転換法はまことに妙なる文法にて、地の文に於て之を用ふれば泰西の国々の文章にもいまだ知られざるの旨趣あれども、こを人物が相語らふ詞のうへにも用ふることは甚だ不都合の事にあらずや。何となれば相関詞は俗にいふ口合といふものに似たり。さあらんには前に挙し、 「短き蘆のふしあはせ、逢ずなりしをうらめしの、近江とはたが名附けん。」云々。
の文中なる「近江」の字は「逢」より転じたる口合ならずや。かゝる悲哀の語の中に口合をまじふるは不都合ならずや云々といひたりき。おのれ答へていふ、否、かゝる口合は用ふるも苦しからず。何となれば非情の物の名をさへに恨めしく思ひてうちかこつ所なか/\に淡き乙女の情合らしく見えていぢらしければなり。かかる例は世の中に現にある事なり。むかし英国の歌人にウイザア(凋枯)なにがしといふ人あり。あるとき其家運の衰頽せるをなげきて詠みたる歌に、
  「凋むてふ名にもしるしや我が宿にかゝるなげきの秋を見むとは。」
  "The very name of Wither shows decay."
といへり。又我が朝にては源三位頼政が平等院にて芝生に坐し已に生害をなさむとせし折辞世にとて、
  「埋木の花さくこともなかりしに身のなる果ぞ悲しかりける。」
とよまれし如きも所謂口合をばまじへたれども、其痛切なる情趣に於ては尋常の語にまさると思はる。
  因云。転換法はおほむね詞の冗長をはぶくためなりといひたれども、間々転換の法をもちひてかへりて冗長になることあり。例へば、
「別れし後ぞうき事を、「黄楊の小櫛」の告る間も、無き世がたりにならんとは、思ひがけなや「黒髪の、」神ならぬ身ぞ是非もなき。」云々。

33

「黄楊の小櫛」並びに「黒髪」の文字は直に綴りなす時は不要なるものなり。そを「告る」にいひかけ「神ならぬ」にいひかけむ為に用ひたるは疣贅なり。蓋し文の光彩を添ふるに外ならざるなり。按ふにかゝる相関詞はなるべく用ひざるやうになして、文に必要なる光彩の如きは他の方法に求むること大いに望ましきことなるべし。其故は読者をして現実なりとの感覚を失はしめむかと恐るればなり。

34

古詩歌引用の法は古代の物語に於て最も多く見る所なり。古人の詩歌の一部分を抄出して地の文章の助補となし且つ光彩をも添ふるの法なり。
「月おぼろにさし出て池ひろく山こぶかきわたり心細げに見ゆるにも住はなれたらん岩ほのなかおぼしやらる。」云々。(『源語』須磨の巻)
「袖まきほさん人もなき身にうれしきこゝろざしにこそはと宣たまひて、」云々。(『同前』末摘花)

35

右の第一の文中なる「岩ほのなか」云々「いかならんいはほの中に住まばかは世のうきことのきこえこざらん」といへる古歌の一部分を借用ひて、地の文章の句を省きて言外に意味を含ませたるなり。又第二の文中なる「袖捲乾さん」云々は「淡雪はけふはな降りそ白妙の袖まきほさん人もあらなくに」といへる古歌を借用ひて詞の文句をば省きたるなり。漢詩を引用したる場合もあまたあるべけれど、今は記憶中にあらざる故こゝには其例を挙げざれども、其大方の模様をいはゞ、まづ人物の形容なんどを地の文をもてなるべくだけ細かに写しいだせし上にて、なほ足らざるを覚ゆる折には其形容に適合ひつべき古人の詩句をば抄出して其趣きをば補ふなり。西洋の小説文に此法を用ふるもの頗る多し。景況を叙したるのちに「正に是れ」の二字を置て自作の漢詩を掲載するもおなじ趣きの業にはあれど、古詩を用ふるの雅致あるには劣れり。

36

題目構成の法は別に一定の規もなければ、作者の随意たらむは勿論なれども、参考の助けにとて一言をこゝに費すべし。彼の漢土の小説の題目にならひて、対句やうの漢文字を二行にならぶるは事ふりにたり。さはとて「第一回何何の事」なんどとあからさまに掲げいだすも、あまりに興うすき事なりかし。西洋には古人の詩歌を抄出して題目の代りとなすことあり。我が国にも古人の発句を引き用ひて題にかへたる作者もありき。後の二法はすこぶる面白き趣向かと思はる。題目などいかやうにてもよきやうなれども、又退いて考ふれば読者の注意を促すべき一方便なりと思はるれば、宜しく応分の新工夫を命題にもまた費すべし。

37

おのれは前条にて雅俗折衷の稗史体の文例を挙るとて馬琴翁の文をのみ掲げたれば、或ひは思ひ誤りて馬琴翁の文を学ぶべしといふなりと思ふもあらむ。そは甚だしくおのれが見る所に違へり。おのれは唯雅俗の折衷塩梅を示さむとて彼の翁の文を引用せしのみ、決して馬琴翁の文を師表にすべしといひたるには非ず。翁は実に雅俗折衷文の大家なれども、彼の馬琴風の文の如きは翁独り専らにするを得る文体にして、後人の得て学び難き文体なりかし。しひて学ばむとすればかへりて損あり。たゞ雅言と俗言との折衷塩梅にのみ心を配りて臨機応変に筆を動かすべし。もし然らずして翁の文をのみ学ばむとすれば、例の模型の文となりて、筆路の進退意のごとくならず、猶ほ日を掩うて盃に酒を盛るが如き弊あるべし。雅俗の分量を標準として文を綴るは、なほ酒に水を混ふるがごとし。眼を覆うて酒を盛らむとすれば、あるひは盃に溢れむことを恐れて少しづつ盛る故に完全を得ること難かり。しからざれば溢れて席を汚すことあり。足らざるはもとより拙く、席をけがすはいよいよ醜し。酒に水をまじふるは其標準分量にあり。分量の加減は酒の気味を失はざらむ程になせば可し。下戸に飲すべき分はすこし水を多くし、上戸にすゝむべき分は更に水を減ずべし。然して其塩梅はひとり作者の心にありて、他人の指頤を要せざれば、みづから味ひみづから試み、さて分量の当不当を自在に考へ定むべきなり。酒はすなはち雅言なり。水はすなはち俗言なり。雅俗折衷の秘訣は酒と水との加減のごとし。折衷文を愛する作者はよろしく此意を味ふべし。

38

因云。おのれが友人某かつていへらく。おのれ倩々此間の小説家を見るに、概ね馬琴に心酔せるもの多し。さるからに其文は一向に彼の翁をまねびて、餓たるが如き文あり、痩たるが如きあり、甚だしきはまたく死したるが如きもありけり。豈に笑止ならずや。馬琴翁は『源語』、『平語』、『太平記』、『水滸』、『西遊』等の文を折衷して彼の一大機軸をいだせしなり。所謂翁が自得の文にて、杜撰もあれば牽強もあり。さはあれ翁の牽強杜撰は翁が自在の才筆もて臨機応変にものしたるものから、機によりては牽強杜撰もかへりて神妙なる所もあり。蓋し翁が自在の筆もてみづから加減すればなるべし。さるを今の世の作者輩はそこらを毫も思はざるにや将(はた)力の及ばざるにや、善も悪きも馬琴をまねびて、翁が杜撰の文句をだに手柄貌にとりいだしきて、左もあるまじき文句の続へしひてはめこまむとするものあり。豈に甚だしく謬らずや。小説文を学ばむとせば宜しく翁の本拠に遡り、『源語』、『平語』、『太平記』等を読み味ひて、更に一機軸を工夫すべし。『源語』、『平語』等実に名文の傑作なり。彼れをとりて更に折衷の文をなさば、空しく馬琴の翁をのみ小説文壇に推すべきやは。馬琴を学ばゝよしや其髄を得るよしありとも、到底後の馬琴たるに過ぎず、其上にいづるは難し。往古の小説文をとりて新たに折衷の文をなさば、其文は一家の文なり、他人の文にあらず。馬琴の文と拮抗すべく、また彼を圧し得べし。豈にたのしからずやといひけり。まことに格言なるかな。

39

(乙)艸冊子体は雅俗折衷文の一種にして、その稗史体と異なる所以は、単に俗言を用ふることの多きと、漢語を用ふることの少きとにあり。故に跌宕豪壮なる情態形容を叙するに当りて、かの雅文体と同様なる不便不如意を感ずることあり。さはあれ漢語を用ふることをば強ち忌むといふにもあらねば、将来此体を用ふる作者は其時々の便機に応じて多少の漢語をとりまじへて、件の不便利を補ふとも決して不都合はあらざるべし。按ふに此体の文章にて、漢語をつとめて除きたりしは、仮名文字のみにて書きたるからに、読者が之れを読みたる時に解しがたからむかと思へばなるべし。且つや艸冊子といへるものは専ら幼童婦女子輩の玩弄ぐさに供せしものゆゑ、つとめて漢語を除きたりしもまた当然の事といふベし。

40

艸冊子文体にもさま%\の種類ありて、或ひは稗史体とほと/\相類似するものあり。或ひは俗文体に近きもあり。例へば京山、種彦の文章にはおもに京阪の俗言を用ひて冊子の詞を綴りたれども、種員または応賀なんどは多く雅言をまじへ用ひぬ。下に二三の文例を挙ぐ。熟読して其の相違する所を見るべし。

41

「それおそばへと突遣られ、深雪ははたとこけかゝり「マア兄さんの悪らしい、斯うくゝらずとも可ことを、嘸かしお手が痛みませう、ぶしつけながら」と結び目の、堅きに歯までてつだふて、漸々ほどけば権三もにつこり「まちがふて其後は、とんとお目にかゝりませぬ、健(たっしゃ)でお目でたい、又そのうちに」と立つのを引とめ、」云々。(種彦)

42

「村荻あたりを見回して、料紙硯を取いだし、墨すりながす其処へ、何心なく来かゝる夏野「おあついのに何処へのおふみ、もう黄昏でお暗からう、お手燭あげませう」と声かけられてふりかへり「久しう居やる其方には、何もかくす事はない、君吉さまが此おふみを持てござつて、母さまへあげよう、いゝや取るまい、とあらそふてござるやうすを遠目に見たゆゑ、お両人のおつしやる事は聞えねど、どうした訳かとおとどめまをし、取上げてつく%\見れば、当名の処へちらしがき、風になびかぬ村荻のもとへとあるは、光氏さまより妾の処へ来たおふみ、年のゆかぬあの子が取違へて、母さまへ持ておいでなされたれど、いゝや、それは娘ぢやと流石にあなたもおつしやりかね、ひよんな事でやりつかヘしつ、妾が目にかゝらぬと毫末(とんと)はてはつかぬところ。」云々。(同前)

43

右の二文章の如きは頗る俗言を多くまじへたるものなり而して其俗言はむかしの江戸言葉に似たるよりはむしろ京阪語に似たるものなり。按ふに、京阪の言葉の如きは頗る雅言に近きゆゑに、地と詞との撞着をばなるべく少くものせむとて作者が注意したるものなるべし。

44

「いな/\それは偽言ならん、姿は賎くやつすとも阿女は正しく匹婦にあらず。あまつさへ女子ににげなく、心のうちに大望を、思ひたつ身とみたは僻目か。おのれは年比世の人を、相することを修行なし、其術妙を得たるゆゑ、最前おことが街道に、馬ひきながらたゝずむを、一目みるより凡人ならぬ、者とは早くも見極めて、窃に問ふべき事あれば、すゝむる言葉をさいはひに、馬かりうけしも人とだえし、此あたりへ来りし上、素性を問はん為ぞかし。(中略)と言葉を尽くしていふをきゝ、少女はしばし黙然たりしが、やゝあつて泰然と形をあらため、翁にむかひて、おん身が明察感じ入る、星をさしたる其ことば、今はつゝまん要あらねば、いかにも実を告ぐべきが、それより先き妾もまた、おことに乞はんものこそあれ、きゝ入れてたまふべきや、と言葉もにはかにあらたまり。」云々。(種員)

45

「伊達五郎其儘たゝずみ、五人のものゝ潜びたるくさむらにきつと目をつけ、何事かいはんとせしが、思ひかへす由やありけん、傘うちひらきふりかたげ、声さへいとど高々と、此ものどもを手の下にうつは如何なる鬼神か、人間業にはよもあらじ、とわづかに謡ふ熊坂に、ふりさけ見ればなぎなたの、形に似たる月影は、雨後の雲間に研ぎだされ、こゝ青墓にあらなくて、旅のやどりはあなたぞと、あゆまんとして二足三足、よろめきながらふみとゞまり、呵々と高笑ひ、裕々としてあゆみゆく。」云云。(同前)

46

右の二文章の如きはほと/\稗史体と分別する能はざるものなり。種彦翁といへども『田舎源氏』の文章には多く雅言をまじへ用ひて、地と詞とを綴りいだせり。蓋し艸冊子の文章には近代の俗語多かるから、専ら俗語をのみ用ふるときは、時代違ひの情態を叙するに不都合のあればなるべし。

47

畢竟ずるに、艸冊子体は世話物語の文章には至適至当の物なれども、時代物語をものするにはいまだ適ひたりといふべからず。何となれば、已に前にも論じたるがごとく、足利時代もしくは又保元の比の人の言葉を俚語俗言をもて綴りいださば、唯何となく虚作めきて其情合の移らぬのみかは、また此間の俚言俗語に得ていひがたかる詞もあるべし。蓋しいにしへの人情風俗今とは頗る異なるから、其日用の言語の如きもまた随つて異なればなり。仮令また作者の才筆もて巧みに件の不都合をば掩ひ得る由ありとするも、別に一条の不便利あり、之れを全く除かむこと決して望みがたき事なりかし。例へば艸冊子の作者輩が時代物語を綴るに当りて、豪傑もしくは貴紳なんどの言葉を綴りいだす折には、おほむね雅言を多くまじへて「そなた」といふべきをも阿女といはせ、「云々しやれ」といふべきをも「云々したまへ」といはせなどす。しかるに下流の人物たる男女の言葉のうちには、「ござんせ」といふ詞もあり、「憎らしい」といふ言葉もあり。畢竟ずるに、下流社会は概して世話物の趣きありて、他の時代形に書きなしたる上流社会の趣きとはさながら雲泥の懸隔あり。つらつら考へ読みもてゆきなば、同国人とも思はれねば同じ時代の人間とも得思はれぬ廉多かり。さればとて此様なる不都合なからしめむがため、下流の人物の言葉のうちへ多く雅言をとりまじへて其言葉をしも綴りいださば、かの稗史体の文となりて艸冊子体に特別なる長所を失ふこと、もなるべし。是れもまた惜しきことなり。

48

因云。ちかごろの演劇には間々之れに類することあり。此度の千歳座の演劇の如きすなはち是れなり。義経の愛姫(おもひもの)静御前の詞のうちには「おことら」といふ言葉あり、「云々しつるぞかし」などいふ言葉もあり、「何々されたり」と堅くるしう言ひきる言葉あれば、「云々せるぞや」と文章めかしたる言葉もあり。しかるに同じ狂言中にて、下流社会はいふも更なり、相中俳優のわたり台詞もしくは侍女言葉なんどは頗る俚俗なる言葉にして、前の静女の台詞に比すれば月とすつぽんほど相違へり。其他さまざまの不条理不都合尚ほ穿鑿せばあるべけれど、畢竟演劇なればこそ其不都合も目だたぬなれ。若し此様なる不都合をば一々熟読玩味すべき文章の上にあらはしなば、ために読者の興味をきずつけ、いと面白き脚色をさへに、あるひは損ふことあるべし。在り来りたる艸冊子は専ら童幼婦女子ばらの玩具ぐさに供せしものゆゑ、仮令鵺言葉の不都合ありとも敢て咎むべきことならねど、若し将来の作者にして艸冊子体の文を用ひて一大小説を編まゝくせば、此不都合を取り除きて、美術の機械に適当せる巧妙文辞を綴るべきなり。

49

之れを要するに、艸冊子体は時代物語の文章には決して適当なるものにあらず、宜しく世話物の小説にのみ此文体を用ふべきなり。但し従来の文体には宏壮豪宕の情態をば叙するに不便の廉もあれば、作者が臨機に発明して多少の改良を加ふべきは勿論当然の事なりかし。按ふに時代物語は文政、文化の作者輩が最も得意とせし所にして、傑作も頗る多かるから、今の小説作者にして時代物語を綴ればとて、彼の馬琴の傑作小説を凌駕せむは容易からぬ事なるべし。如ず時代物を抛擲して世話物にのみ意匠を費し、未曾有の物語を工夫すべし。さらば文もなるべくだけ世話物語に適しつべきをまづ研究して其要求に応ずるやう準備すぺきや勿論なるべし。而して艸冊子の文の如きは最も世話物に相適ひて且つ改良に便なる物なり。我が将来の小説作者はよろしく此体を改良して完美完全の世話物語を編成なさまく企つべし。世の活眼なき似而非学者は我が艸冊子の文体をばいと鄙びたりとて罵れども、さるは小説の何たるを解せざるに出でたる謬錯のみ。小説は人情及び風俗を活るが如くに叙しいだして、読むものをして感ぜしむるを其目的とはなすものなり。仮令俗言俚語ありとも、其文章に神ありなば、他の画絵にも音楽にもまた詩歌にも恥ぢざるべき一大美術といふべきなり。

50

因云。此間の傍訓新聞紙に掲載せる所謂続話の雑報の如きは、おほむね艸冊子体の文章なれども、多少の改良を加へたるものなり。其改良の主なるものをいへば、詞のうちにまじへ用ふる京阪風の俚言を廃して専ら東京語となしたる事なり。故に此間の艸冊子体は種彦文に似たるよりは、むしろ俗文体(春水文)に似たるものなり。是れ併しながら東京府の、皇国の中央となりたるより自然に出来せし変更なるべし。今一つの原因は、新聞紙に載する続話は、其物語の架空無稽なるにもかゝはらず、総じて事実らしうもてなすことゆゑ、自然に世上に行はるゝ東京言葉をば取用ひて、其人物の言葉を綴りいださざるを得ざるべければなり。かくいへばとて、東京語を艸冊子文にまじふることは明治の作者が発明せし新工夫なりといふにはあらず、二世種彦をはじめとして春水などの艸冊子に已に専らに江戸言葉をまじへし例はありたるなり。されども其比は今の如く世話物語をおもてむきに世話物として綴るにあらで、時代形にして綴りしから、いくらか雅言もまじへしことあり、また京阪語もまじへしことあり、決して純粋なる江戸の言葉にてはあらざりしなり。

51

又いふ、ちかごろ世上に「かなのくわい」または羅馬字会などいろ/\の会どもあちこちに興りて、我が文章の改良を図らまくする人々あり。寔にしかるべき目論見にして、且つ頼もしき事ともいふべし。さもあれ退いて考ふれば、羅馬字をもて文をかく事も、仮名文字のみをもて文をかく事も、其人々の終極の目的にはあらざるべし。何となれば、我が党が将来永遠に企図する所のものは、宇内の万国を一統して一大共和国の有様となし、およぶべくだけ風俗をもまた政体をも国語をも同一ならしめむと望むにあり。さあらむには、将来には我が国語を改良して欧米の語と同うするか、または欧米の国語をして我れと同うなさしむるか、此二箇条の目的より外には終極の目的なからむ。而して欧米の開明文化は我が文明にまされることいふまでもなき事なるから、彼の国語をして我が国語に同じからしめむと望めばとて到底成得がたきことなるべし。さればこそ博識の有志者たちも羅馬字会を設立して、我が国語をして彼の国語に同うせしむる階梯とはなさるゝ事にてあらむずらめ。論じてこゝに至るに及べば、羅馬字会も「かなのくわい」も、みな終極の目的ならで階梯なるよしは明かならずや。とはいへ羅馬字の会の如きは頗る終極の目的にも相接近せるものなるから、学者、博士の方々が相集会して研究さるゝも極めて当然とも思はるれど、他のかなもじの会の如きは言はゞ階梯の階梯にて、羅馬字をもて文章を書かむ下稽古をなすにも似たり。已に下稽古をなす為なりせば、などて今少しく登りやすき捷径よりして始めざりける。後に羅馬字もて書くべきものをば種々さま%\なる工夫を凝らして仮名文字をもて書かむは要なし。所謂二度手間の贅沢ならずや。むしろ羅馬字もて記し得べき新文体をば工夫し出して、羅馬字主義の有志者たちに其全会の力をしも合はさるゝ方肝要ならずや。所謂艸冊子の文章の如きは、最も平易にして流暢なり、多少の改良を加へもせば万般の事をしるし得べき好文体ともなり行かむか、是れもまた図るべからず。仮名の会の有志者たちが此ごろ頻りに用ひらるゝ消化しかねたる折衷文には遙かにまさる由もあるべし。おのれは羅馬字の会にも入らねば仮名の会の反対者にもあらねど、序であるまゝ図らずして議論のこゝに及べるものから、仮名もじ会の主旨の如きはあるひはおのれの意見に違ひて他にあらむやも図りがたし。仮名の会の方々な叱らせたまひそ。


■使用したテキストファイル
入力者:網迫(あみざこ)さん
      http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/4728/index.html
■上記ファイルを、里実文庫が次のように変更しました。
変更箇所
  ルビ処理:ルビの記述を<RUBY>タグに変更
  行間処理:行間180%
  段落処理:形式段落ごとに<P>タグ追加
      :段落冒頭の一字下げを一行下げに変更
      :段落番号の追加
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成14年8月