小説法則総論

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若し夫春去り夏来り秋と更り冬と換はるは四時の法度なり。日暮れ夜継ぐは一日の則なり。宇宙間の森羅万象一として自ら或法度を有せざるはなし。天工の事物すら尚ほ然り、矧や人為のものをや。などてか法度なからざるべき。よしや小技末術なりとも、まつたく法なく則なうして是れを成さむは難かるべし。絵画に画法あり、音楽に音律あり、詩歌といひ、舞踏といひ、皆それ%\に規矩をそなへて、後進の子弟を導くべき便利を図る事あるからには、わが小説にも之れにひとしき規矩法則のなからずやは。是れ予が此論ある所以なりかし。

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世には、小説、稗史のたぐひは法則もなく規矩もなく、作者が意匠の成れるまゝに孟浪咄嵯の筆を下して書き綴る物語とも思ひあやまてるやからもあらめど、そは浅見の惑ひにして、稗史の性質の何たるを会得せざるに因ることなり。それ小説は尋常なる伝記、実録のたぐひに異なり、人物といひ事蹟といひ、悉皆作者の想像もて仮作りいだせる虚空のものにて、根も拠憑もあるべきならねば、いくらか初めに土台をまうけて、さて構造に着手せざれば、前後錯乱、事序繽紛、精麁当らず、緩急度なく、よしや小説の目的たる人情世態は写しいだして其真髄に入るよしありとも、脚色繁雑しければ読むに煩はしく、布置法宜しきを得ざるときには奇しき話譚もあぢはひ薄かり。読者もかゝる物語は中道にして読むに倦みて、いまだ佳境に入らざる前に全く巻を擲抛べし。故に小説を綴り做すは、猶ほ一大文章をものするがごとし。結構布置の法なかるべからず、起伏開合の則なかるべからず、趣向に波瀾あり頓挫あり、記事に精疎あり繁簡あり、且つまた摸写する情態にも斟酌の法存すればこそ、よく読む人を感動して音楽、詩歌にも恥ざるべき美術の誉を得ることなれ。さもあれ、あながち法則にのみ拘泥して、彼の工が規矩準縄もてものするごとく強ひて意を枉げ筆を矯めて脚色を結構なさまくせば、世の人情と風俗とを自在に写しいだすを得じ。よし幸ひに情態をば隈なく写し得たればとて、全篇活動の神に乏しく、いと味なき物となるべし。譬へば文章を作るに当りて、しひて抑揚頃挫を試み、故意と照応波瀾を設けて、ひたすらに規律にしたがふを其目的となすときには、決して妙辞をなし難かり。小説、稗史を作る者もまたこの心得あるべきなり。

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小説の手段は猶は庖人の料理塩梅のごとし。羹といひ炙魚といひ、鱠といひ塩といひ、料理に関する慣習ありて、苟にも庖人となりたるからには、其方法をとり用ひて料理となさむは勿論なれども、たゞ味だに美からば炙魚をすゝめつべき順序となりたる機に於ても生魚をすゝめて妙なるべく、あるは鱠となすべき魚をば新工夫をもて塩魚とし、あるは羹にして■(すす)むべきものをば炙魚となすなんども、敢て苦しからぬ事なるのみか、かへりて面白き料理といはむ。味は主なり、塩梅は従なり、味を旨くするの方法なり。従を先きにして主を後にすべき道理はなし。こゝをもて機智頓才ある庖人は、時に巧妙の庖刀を下して意表にいづる塩梅をなすことあり。小説の秘訣もまた之れにひとしく、読者を感動せしむるは主なり、法則を設けて物語を結構するは読者を倦まざらしめむがためなり、読者の感心を得むがためなり。故に法則は従なり方法なり、方法は須らく臨機応変なるべし。千古不抜なる法則も無きにはあらねど、悉く確定したるものと見做すは違へり。読者の心を感動する力あるべしとだに思ひ得たらば、機に臨み変に応じて斟酌折衷の手段を施すべきは勿論なり。これらは作者の機転にして、俗にいはゆる「ハタラキ」なり。ひとり小説のみにあらず、総て文壇に遊ぶものは此心をもて筆を執らざるべからず。此用心に乏しき輩は完全からむことを欲りしてみづから欠き、活かさまく欲してみづから殺す。惜むべきかな。

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総じて法則といふものは、俗にいふ忠告と同種のものなりと思ひて可なり。忠告は未だ事に着手せざる前にありてこそ用をもなせ、已に事に着手して後に「しかしては悪し、斯く/\せよ。」といはれなば、仮令失策すべき所をそれがために助かりしにもせよ、其事の所置ぶり何とやらむ不手際にて、成功りし後にてもいと醜き廉多かるべし。法則もまたそのごとく、いまだ趣向を構へざるまへに十分二れを細嚼して会得しつくすを必要とす。もし然らずして、規もて物の長短を度るごとくに毎回規律に拘泥して其物を編みもてゆきなば、例の模型の作となりて、見るに堪へざるものとなるべし。老練の作者には期せずして功を奏することあれども、初心の作者には期して功を奏せざることいと多かり。思はざるべからざるなり。

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下に述ぶべき数ケ条をば名づけて法則といふものから、其実咄嵯の議論にして、もとより周全なるものならねば、言ひ洩したるも、尽くさゞるも、極めて多かるべき事なりかし。殊に稗官、伝奇のたぐひは、其人々のうまれ得たる才の多少と優劣とによりて主に巧拙を生ずるもの故、天賦の才なき人にありては幾百千の法則を隈なく諳んじ得たればとて、毫も法則規律を知らざる自然の才子に劣りつべし。むかし馬琴が京伝翁の門を叩きて戯作を学ばむと乞ひたりしに、戯述は師伝の技にあらずと翁がいろひて其乞ひをば退けたりしも宜なるかな。故に小説の法則なんどは所謂以心伝心にて、得ていひ難き物多かり。然るを強ひてあからさまに法則といふ名を設けて此に論弁する所以のものは、我が浅識なる小説者流に小説といふ一大美術の其目的のある所を残る隈なく知らせむとの老婆深切にいでたる事にて、決して以心伝心なる真の法度を語るにあらねば、世の賢明なる博識たち妄りに法則の二字を捉へておのれの不明をな咎めたまひそ。且つや下条に述ぶるところは、おほむねおのれが管見にて、或ひは非なるものも多かるべし。識者もし嘲■(あざけり)の唇を転じて一言一字の師となられもせば、寔に編者の本意にして、幸ひこよなうも侍らむかし。


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