1
小説は美術なり、実用に供ふべきものにあらねば、其実益をあげつらはむことなか/\に曲ごとなるべし。さもあれ音楽、絵画の類にも暗に実益の存するごとくに、小説、稗史の場合に於ても、作者の敢て望まざりける裨益あるひは尠しとせず。蓋し美術家の望む所は、偏へに美妙の感覚を与へて人を娯ましめむとするにありて、敢て他に望む所あらざればなり、前にも已に論じたるが如く、美術の妙工神に入りて完美の程度に達れる物は、大いに人心を感動して暗に気格を高尚になし、教化を稗補する由あれども、そは妙工の神に入りて自然に生ぜし結果といふべく、決して美術の目的ならねば、其直接の利益といはむはいと大なる誤なるべし。かゝれば小説の利益を述べむとするにはまづ予め区別を設けて、一を直接の利益となし、一を間接の裨益となすべし。直接の利益は人心を娯ましむるにあり。語をかへて之れをいへば、小説の目的は娯楽を人に与ふるにあり。娯楽にも種類多かり。而して小説の目的とする所は人の文心を娯ましむるにあり。文心とは何をかいふ。日く美妙の情緒これなり。それ人野蛮にあらざるよりは、皆風流の妙想を娯み、高雅の現象を愛せざるなし。苟も美妙の感覚を抱けるからには、富麗なるものを見ては是れを楽み、豪宕なるものを見ては是れを愛し、或ひは尊厳偉大なるものを見てはそゞろに畏敬するの念を生じ、或ひは壮快激越なる物を見てはわれ知らず感激奮発なし、瀟洒婉曲なるものを見て喜び、洒々落々たるものを見て楽む。蓋し人間の常性なりかし。此感情に投合してもて人心を楽ましむるは、即ち美術家の務めにして、我が小説家の目的なり。もし小説の語る所よく人情の髄を穿ち、細かに世態の秘蘊を探りて、富麗なる物も宏壮なる物も、おもしろきものもをかしきものも、あはせ綴りて写しいださば、争でか文心を感ぜしめざらむや。況んや小説の主とする所は、音響にあらず、色彩にあらず、此活世界の人情なるから、一事一物総じてみな活動なさむず趣きあり。彼の音楽と絵画に比すれば、興味一層多かるとも、決して劣れる由はあらじ。さらぬだにジョン・モーレイは、人間世界の批判をもて人生の一大娯楽といひたり。小説は即ち人生の評判記にて、甲の失敗なしたる所以、乙の成功なしたる所以、或ひは権力を得て道義心の腐乱する趣き、或ひは情に牽かれて道理を誤る次第、歴々篇中に叙しいだして、もつて読者の評判に供ふ。具眼の人にしてこれを読まば、其興情の深からむこと他の経書をよみ、もしくは又正史をよむの比にはあらじ。是れ泰西の国々にては、大人、学士といはるゝ人々、皆争って稗史を繙き、快楽を求むる所以なりかし。我が国俗はいにしへより、小説をもて玩具と見做しつ。作者もまた之れに甘んじ、敢て小説を改良して大人、学士を楽ましむる美術となさむと思ひし者なし。さるからに我が国の小説、稗史は之れを泰西の小説と比ぶる時には、恰も歌川家の画工がものせし浮世錦絵といふものをば狩野家の絵画に比ぶるごとし。錦絵かならずしも拙きにあらねど、所謂高雅の質に乏しく、世の文心を慰するに足らねば、纔に童幼婦女子にのみもてあそばるゝを務めとせり。さればこそ小説固有の利益といへば、春の日永に独坐の睡魔を破り、秋の夜長に寂寥の欝陶を医する、只此効能あるのみなりと我が国俗は思ひしなれ。是れ併しながら小説をもて婦女童蒙の玩具と見做して美術視せざりし誤りより原因したる過失にして、其罪おほかたは見識なき作者の上にありといふべし。以上に述べたる所をもて小説、稗史の直接なる利益はおほむね尽しにたれば、更に間接の裨益を説くべし。間接の裨益は一にして足らず。曰く人の気格を高尚になす事、曰く人を勧奨懲誡なす事、曰く正史の補遺となる事、曰く文学の師表となる事、即ち是れなり。
坪内逍遙
2
総じて美術といへる物には此大裨益ある由をば已に前段にも論じたりしが、いま要略して再びのぶべし。それ小説は人間の肉慾に供する物にあらで、其風流の嗜好に投じて娯楽を与へむと望むものなり。しかして風流の嗜好、美妙の感情は、もつとも高尚なる情緒にして、文華発暢し、開化進達せる国人ならでは、決してこの情緒を有することなし。彼の蒙昧の野蛮を見るに、ひたすら肉体の慾に耽りて、所謂妙想を楽むことを知らねば、造次顛沛行住坐臥も、其為にするところを問へば皆肉慾にあらざるはなし。ゆゑに其心は卑野にながれて、たゞおのが利のみ是れ求めて、残忍なること酷しく、物の可憐といふことをば毫末だにも解せざるなり。蓋し劣情の為に貴められ、卑慾の為に追はるゝから、道理性はます/\退縮し、良心はいよ/\力を亡ひ、特り卑劣の情慾をして専ら発動せしむればなり。よしや蒙昧の民ならずとも、ひたすら功名、富貴を求めて競利場中に奔走なし、毫も其慾望を休ましむることなく、単に塵界の栄利にのみ其心をしも傾け尽さば、或ひは人情に戻りやすく、或ひは私慾に偏しやすく、卑劣陋猥の心にしも流れざらむと欲りすと雖も、豈によくこれを制め得むや。是れ併しながら其胸懐に彼の綽々たる余地なきまゝ、そゞろに情慾の奴となりて、其指頤をのみ受くればなるべし。此劣情を制するには道理の力を借らざるべからず。されども劣情烈しきときには、道理もまったく威力をうしなひ、これをいかにともなし得ぬことあり。譬へば劣情は熱病にかゝれる小児にひとし。烈しく勃発なしたる折には、たとひいかなる者来りて薬を飲ましめむとしたればとて、容易に之れを聴くものならず。道理はなほ厳父のごとし。いと苦々しく小児を叱咤したればとて、勃発はげしき時に於ては絶えて其誡を用ひざるべし。此時に当りては拠ろなく母親の手段を採らざる可らず。母親の手段とはいかにといふに、例へば小児に良薬を飲ましめむとする折なりせば、まづ甘味なる菓子を与へて小児の心を誘ひつゝ、彼漸く渇を覚えて飲を求むるときにいたりて、さて煎薬を飲ましむるなり。かくしてしば/\薬を服して其効能を知るにいたれば、其病苦をしも逃れむが為に、勧めずとてもみづから飲むベし。且つは煎薬をしば/\飲なば渇もいくらか減ずべければ、ひとへに水を求むるこゝろも次第々々にうすらぐべし。此比喩、もとより適切ならねど、劣情を制するにもまづその如く、勃発きはめて烈しき折には道理をもてして制すべからず。彼の温柔なる美術を用ひて、其文心に訴へつゝ美妙の感覚を喚起して、次第に劣情をおひしりぞけ、其当人の心をしも此塵界の外に誘ひ、一種微妙の感覚をば抱かしむるにいたりもせば、気韻おのづから尚うなりて、しばらく慾海を脱しつべし。是れなん美術の実益なうして尚ほ要用なる所以なりける。されば美術を常に愛して、しばしば之れを玩ばゞ、美妙の嗜好はます/\長じて、気格いよ/\高うなるべし。小説は即ち美術なるから、この神益ある勿論なり。但し我が国の小説中には、真に美術と称へつべき小説ほと/\稀れなるから、読者あるひは此議論を信しからずと思はるべし。おのれも是れを説解るの好方便のなきに困じぬ。已に前段に述べしごとく、我が国俗がもてはやせる小説、稗史は未熱にして尚ほ美術たるの質に乏しく、之れを絵画に比ふるときには、彼の浮世絵の位置にありて、真の絵画といふべからず。比喩の意を味ひみなば、所謂まことの小説とは果していかなる物なるかを概ね了解せらるべきなり。
坪内逍遙
3
小説の勧善懲悪に裨益する所ある由は、先に已にしば/\説きつ。世人もまた之れを口にする者多し。殊に東洋の小説作者は、医欝排悶の効能と勧善懲悪の裨益とをもて小説、裨史の目的と心得、専ら勧懲を主眼として稗史を編む者比々是れなり。奨善懲悪を主髄として小説、稗史をものするときには、其勧懲に裨益すべきはもとより其筈の事なりかし。よしや勧誡を主眼として、脚色趣向を結構せずとも、其妙神に入るにいたらば、暗に読者を奨誡して反省せしむることあるべし。おのれが奨誡の一条をば裨益の中へ加へたりしは、全く此意にいでたることにて、敢て世上にもてはやせる勧誡小説の裨益をしも事あたらしう説くにはあらねど、いま退いて考ふれば、世の活眼なき輩にありては勧懲小説の勧懲をだに効能なからむと疑ふ者あり。否、小説を罵り譏して誨婬導欲といふ者あり。為に一言をこゝに贅して、勧懲作者の寃をもとき、あはせて勧懲の益あるよしをばいさゝか説明なさまくほりす。凡そ事物を批判するには、まづ其事物を解剖して其結構を知りたる上にて、さて評判を下しつべし。さらずば、馬を評せむと欲りして、鹿を評するの謬あるべし。馬と鹿とは其形相似たり。故にまづよく馬をしりて、しかして評判をはじめずもあらば、其形の似たるをもて、鹿をば馬とあやまり認めて、鹿を評して馬に及び、馬は深山にもあるものなり、総身に斑点ありといひなば、人々かならず嘲笑ひて、是れ馬とのみ見あやまりて、しかと見とめぬ謬誤なり、あな馬鹿らしと動揺めくべし。小説を評するにもまづそのごとく、いかなるものが小説なるかをはじめに会得なすことなうして、妄りに批評を下さまくせば、小説に似て小説ならざる所謂奇異譚の類を評して小説に及ぶの誤謬あるべし。唐山の人々が小説を指して誨婬導欲と罵りたりしは、『金瓶梅』もしくは『肉蒲団』等の評なるべく、我が国俗が物語を擯斥して風儀を紊すの書なりといひしは、男女の痴情の隠微を写して鄙野婬猥に流れたりし情史の類を指すものならむ。然り而して『金瓶梅』、『肉蒲団』ならびに猥褻なる情史の如きは、是れ似而非なる小説なり。まことの小説とはいふべからず。其故いかにとなれば、是等の数種の小説には、美術に於て最も忌むべき鄙猥の原素を含むが故なり。否、猥褻なる情史の類は、もとより誨婬導欲をば其全篇の主眼としてものせること疑ひなし。かゝる似而非なる小説、稗史のしばしば世上にあらはるゝは、其罪読者の方にありて、作者にあらずといはむも不可なし。何となれば、作者は総じて、時好に応じて著作の筆をば操るものなるから、もし世の人が高雅にして、婬靡になづめることなくむば、などてか猥褻卑野なりける小説、稗史をものしつべき。『源語』の或部分が猥褻なりしも、また是れ藤原氏専権以来の文弱の弊のしからしめしものなり。豈にたゞ作者を咎むべきやは。かくいはゞ反対論者は更におのれを難じていはなむ、総じて小説といふものには、必ず男女の情話を載すめり、殊には摸写の主意をもてせば道に違ひし男女の情話も頗る多かることなるべし。近くは米国などに於ても小説、稗史に刺戟せられて道ならぬ恋に迷ひそめたる童男童女もありきと聞きぬ。かくても誨婬導欲ならずや其理を聴かむと罵るべし。おのれ即ち答へていへらく、げに小説は情を主として其脚色をばまうくるものゆゑ、男をなごの情話の如きはもつとも必須の材料なりかし。蓋し情慾多けれども愛憐といふ情合ほど主なるものはあらざればなり。されば真正の小説にも、主として男女の相思を説けども、彼の為永派の作者のごとくに、いふ可からざる隠微を穿ちて、卑猥の状をば写さむとはせず、たゞ人情の秘蘊を発きて、心理学者が説き洩らせる心理を仔細に見えしむるのみ。されば是等の稗史を閲して、邪婬の心を起せるもの、若しくは、悪意を萌せるものは、其罪おのれが心にありて、稗史の与るところに非ず。小説はもと世態をば写しいだせる者にしあれば、読者にして活眼ありなば、書中に叙したる所によりて反省すべきが当然なり。譬へば他人のなりふりを見て我がなりふりを正さむとするは、有識の人の常なるをや。もし久松がお染を将て出奔なしたる条下を読みて、こを艶羨する傾きありなば、よし小説を読まざるとも早晩其念起りつべし。譬へば東隣に娘子ありて其情人と出奔なさむに、たちまち之れに刺戟せられて、われもまた西隣の乙女を将て共に奔らむと企つベし。此種の人は、他の風を見て我が風をしも正すことを得ず、みづから辛苦を経験して初めて悟りを啓くの徒なり。かゝればかやうの徒に読まれて不当の非評をうけなむこと、いたき小説の寃罪にて、小説作者の迷惑なりかし。張竹坡は『金瓶梅』の巻初に於て、此書をよみて人よこしまなる念をいだかば、罪其人の心にありて此書の罪にはあらず、といひきとか。こはまた頗る無理なれども、若しこの語を真正なる小説の塲合にあてはめなば、至当の批評といふべきなり。論じてここに到りし序でに、一言いひおくべき事こそあれ。其事は余の儀にあらねど、西洋にても東洋にても、小説を玩具のやうにこゝろえ、まだ嫩若き童男童女に与へて読ましむる習慣あり。こはいと危険なる習慣といふべし。総じて幼少なる時に於ては感能もつとも敏なるから、外部の刺戟を感ずること大人にもましていと鋭し。故に小説はいふに及ばず、すべて人心に甚だしき刺戟、感触をば与ふる物を近づけざるをもて可とすべきなり。美術は玩具に相違なけれど、大人、学士の玩具なるから、よし危疑すべき理由はなくとも、児童の玩具に供へむこと已に其理に戻るといふべし。
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小説を誹する者またいへらく、小説に寓する勧懲の意のごときは、士君子はもとより之れを悟れり、豈に小説を読みて後に之れをさとるが如きことあらむや。さあれば小説の寓意の如きは婦女稚童のためにまうけたるものにあらざれば、遊惰放逸に日をくらせる凡庸の徒のためにせしならむ。実にしからば小説は勧懲に裨益する所なかるべし。何となれば、婦女稚重は蒙昧にて、もとより事理にくらきものなり、小説を読みて其脚色の奇なるを喜ぶべしといへども、いかでか寓意をさとり得べき。また遊惰放逸の徒の小説を読むは、偏へに医欝排悶の媒介となさむが為のみ、豈に善悪醜美の差別などに眼を注ぐことあらむと。おのれふたゝび答へていへらく、若しそれ人生れて心ざま正しき父母の教育を受け、生長りて羞悪の心あり、廉恥の念を抱くものは、誡めずして悪を避け、勧めずして善に趣かむはさることなれども、尚ほ時としては知らず/\面白からぬことをなすことあり。これはもとより不義と譏り悪と罵るほどにはあらざめれど、もし公然に世に知れなば、かならず嘲■の種ともなるべし。勧懲小説の完全なるものは、かゝる些細の事共といへども洩さで懲誡するものなれば、道義を口にするものといへども、これを読むにいたりては時にうら恥づかしう思ふことなきにしもあらず。おのが友人某は東京の人なり。学は和漢洋に渉りて、心ざまいと正しく、最も侠気あるをもて人に称せらる。然れども尚ほ嘗て己れにいへらく、僕『八犬伝』を読みて犬士の交際を見て窃に恥づるところなきを得ずと。某の信義をもてすらこのことあり、おのれの如きは、かゝること常に多し。世人のこゝに感なきものは、小説に勧懲の徳なきにあらで、読者に読書の眼なきのみ。されば小説の勧懲をもて特り蒙昧の徒の為にせるものなりといふが如きは、此間に行はるゝ艸冊子を読める者の言なり。所謂奇異譚の評なり。笑ふべく駁するにあたらず。かく弁ずるはなか/\に大人気なしとやいはるべからむ。
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さて又婦女児童の輩にいたりては、元来稚蒙浅学なれば、脚色を読むのみにて寓意などは決して得知るまじき道理なれども、さはとて善悪美醜の弁別些少もなしとはいひ難かり。奨誡主眼の小説を屡々通読するに及ばゝ、勧懲の意はしらず/\其心肝に銘徹して、幾分か刺戟する由ありて其行為に影響あらむは疑ふべうもあらざるなり。唯その影響の力、具眼の読者に於けるものに比すれば弱し。是れ小説の専ら婦女児童の為にせざる所以なりかし。扨又放逸遊惰の徒の小説を読むは実に排悶の為なるべければ、寓意なんどを管せざるはもと其筈の事といふべし。さもあれ些少ばかりにても廉恥の心あるからは、よしや小説の寓意を知得てたゞちに悔悟慚羞して其行ひを改むるに至らずとも、誹刺されてこゝろよしと思ふ者は稀れなるべし。さればかゝる徒に於けるも尚ほ奨誡の意は通ぜり。たゞちに奨善の媒とはならずとも、暗に良心を喚起するの方便とはなるべし。良心数々喚起されて終に情慾を圧するにいたらば、悔悟改心の道を開かむ歟、これもまた知るべからず、兎にも角にも小説に勧懲の力なしといふは違へり。知らず、おのれの説かへりて牽強なるかも。
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西洋の博識なにがし嘗て、医欝排悶の裨益あるは皆人の知りたる事なれども、このほかに灼然なる実益あるを知りたるは稀れなり。小説は訓誡の種となるべき物を夥多納めたる宝蔵なり、問屋なり、人ひとたび其扉を開かば益を得ること蓋し小少のことにはあらじ。訓誡といへば一向に仁義道徳の主義を奉じて人の行状の曲正直邪を評判せるものとのみ思ふもあらむが、予がいふ訓誡は之れに異なり。げにや道徳の主義の如きは人生必須の規律にして寔に大切なる標準にしあれど、予のいふ訓誡は区域ひろくて、唯さることをのみいふにあらず。たとひ道徳の区域を離れたるものといへども、苟にも人間を警誡して其内外の体裁をば改良するの力ありなば、総じてこれらをも通称して訓誡とはいふなりけり。譬へば人間に諸礼法を教ふるも、機智頓才を磨かしむるも、人情の何たるを悟らしむるも、また情慾の千万無量なるを知らしむるも、皆これ訓誡の一端なるべし。世上の小説読者にして、もし此訓誡の所在を知得て、其真味をしも味ひ得なば、さてこそはじめて小説、稗史の真成の効能をも覚得べく、且は快楽の果実をしも摘得たりとはいふべきなれ。しかるに世間の小説読者は道理を知らぬ者多く、ひたすら趣向脚色のみを読みて、もて娯楽の果実をしも已に得たりと思ふは違へり。さるは快楽の花を観しのみ、果実を得たるにあらざるを云々、といへり。実に活眼の議論にして、よく小説に寓しつべき勧懲の質を明らめたる新説なりと称へつべし。勧懲の裨益につきては尚ほいふべき事すくなからねど、くだ/\しきまゝ此処には略きて、また後回に折を得なば更に説述ぶべき由あるべし。
坪内逍遙
7
補遺とは何ぞや。曰く、正史に漏れたる事蹟を補ひ、正史には細述せざる当時の風俗、習慣等を見るが如く、描けるが如く、いと精密に写しいだして、一部の風俗史をなすことをいふなり。されば此裨益はひとり時代物語の専占するところにして、余の小説にはこの事なし。さはれ世話の小説といへども、後世の人より之れを見れば過去小説に外ならざれば、何にしても小説には此裨益あるは争ふべからず。かゝれば小説の作者たるものは、力めて人情を穿つかたはら亦た風俗にも眼を注ぎて、苟にも妄誕無稽に類する時代ちがひの形容なんど描きいだすまじき事なりかし。此裨益のことにつきては、西洋の博識のいはれたりしこといと尠からねば、おのれが言葉をもてあげつらはむよりは、寧ろそを二つ三つこゝに掲げもて此益ある徴証となすべし。
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英国の小説大家サー・ウォーター・スコット翁いへらく、「時代物語は二種の読者に益するものなり。第一種の読者は、仮空の時代物語を読みて初めて歴史のおもしろきものなる由を覚えて、自然に小説の本拠となしたる正史の事実を知らまくほりして更に稗説を擲ちさり、正史を読まむことに心を傾くるもの是れなり。第二種の読者は、快楽の為にあらざれば書を繙くことを好まず、既往に何等の事柄ありしやも知らず、たゞ現今の世の事情のみを知り来りしが、時代物語を読むに及びて初めて歴史の大略を知るに至れるもの是れなり。」といへり。
9
ヒュー・ミラーもまたいへらく、「夫れ正史といへるものは其体裁厳格にして、名称年月いと精細に、事実もきはめて委しけれども、当時の人情風俗などは僅かに一斑の皮相のみを写して其真像を写すを得ず。稗史物語の人物事蹟は作者の意匠になれるをもて、あだかも戯作のごとくなれども、話譚に陰陽表裏あれば、却つて人情風俗を写しいだすに便利多く、当時の世態の写真鏡と称しつべきものいと多し。歴史を学ばむと思へる輩、もし我が曾祖父の代の景情を審に知らむと欲するならば、彼の『ドヅレイ』の年報を繙きて徒らに時日を費すは詮なきことなり。寧ろリチャードソン、フィールヂングらの稗史をよむべし。其得るところ果して小少ならざるべし。ホームは親しく一千七百四十五年の逆乱にたちまじりて、おのが目撃したる如く伝聞なしたる事をあはせて一部の大歴史を綴りたりしが、それだに彼のスコットの『ウェイバリイ』物語にのぶる所のものに比するときは、当時の情態をうつさゞることいと多かり。云々」といへり。
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サッカレイもまたいへらく、「予は稗説を読みて得る所きはめて多し。当時の世界の最情を知り、時勢を知り、風俗を知り、衣裳の流行を知り、快楽滑稽遊戯の類の現世と異なる所以を知る。已に死去りたる人も再びよみがへり、已に往たる世も再びかへり、さながら往昔の英吉利国にふたゝび旅するの思ひあり。嗚呼、大筆の正史にして此余に益する所ありや。云々」といへり。
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此他、正史小説の裨益を説く者尚ほ且つあまたありといへども、要するに大同小異にして、之れを風俗史視するに外ならざれば、こゝには繁雑を厭ひて省きつ。後に正史物語を論ずるにいたりて、更に説のぶることあるべし。
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文学の師表となる事。
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師表の裨益とは小説の文章上の裨益なり。小説の大筆になるものは、特り其趣向の奇にして巧みなるのみならず、其文もまた絶妙にして句々錦繍なるが故に、文を学ばむとするものゝ為に益となること尠からず。『源語』、『水滸』を見ても思ふべし。そも/\文章なるものは思想を表するの機械なるから、激越なる思想を表示せむと思へる折にはおのづから激越なる文章を用ひざるべからず、優雅なる思想をいひあらはさむと欲するときには又おのづから優雅なる文章を用ひざるべからず。或ひは簡単なる文章を要する場合もあれば、或ひは長やかに説述ぶる場合もあるべし。機に臨み変に応じて簡繁強柔、富麗純樸、其宜しきを得たらむもの、之れを巧妙の文といふべし。もし然らずして終始一轍、愁情苦境を叙したる文句も、娯しき思ひを述ぶる文句も、其質全くおなじうして毫末も差別のあることなくんば興も情もおのづから移らざれば、之れを読む者もまた感ぜざるべし。例へば、甚だしく怒りし折、もしくは大いに悲しめる折には、用ふる言語は簡略にして且つ多く華言を吐くなり。華言とは何ぞ。曰く、擬詞の事なり。擬詞といへるものは、西洋にては「フィガア・オブ・スピイチ」と称して、文章の飾りともなり、省略の一法ともなる物なり。其一例をあげていはゞ、人を罵る折などに「人でなしめ」といふべきをば「畜生」といひ「人非人」などいふは、これ其人の廉恥なきを獣に比したる擬言にして、いはゆる華言といふ物なり。もし平常の折柄なりせば「其方は義理を知らぬ奴であるぞ。」といと長やかにいふべきなれども、激しく怒りし時にありては心中さながら沸騰りて、いふこともまた整はねば、自然に言語も簡略にて、只「畜生」とか「人非人」とか一二言をのみ発言して、余は思入れと身振りをもて意のある所をあらはすこと、世の人のみな知る事なりかし。されども世間の事に老いて、世の人情を知らざるかぎりは、此道理も知易からねば、彼の幼稚なる操觚者流は、すこぶる文に長じながらも、尚ほ且つ巧緻の文をものして人を感ぜしむること能はず、むなしく死文を綴りいだし、我が思ふ由の僅かに一斑を漸く表示なすこと多かり。是れ併しながら、如何なる折には如何なる性質の文を要するか、何等の思想を表はすには何等の文体が宜しきかを会得せざるに因ることにて、即ち思想の文章に適応せざるかにもとづくものなり。さはとて人の感情思想はもとより千差万別なるから、一々之れに適しつべき文をなさむことは極めて難し。希有なる英才にあらざる限りは、箇様々々の感情思想は箇様々々の文もてあらはし、また云々の趣きには云々の語を用ふべしと学ばで知るべきやうなければ、必ず模範を要するなるべし。しからば如何なる文章をば先づその模範となすべきやと問はむに、先進大家がものしたりし論文のみ模範とせば、たゞいたづらに理窟に偏して文章淡泊にすぐるの患あり。さはとて記事の文のみ学ぺば、またおのづから緻密に失して、活動の妙を損ふことあり。問答文のみを学べば記事に妙ならず、歴史文のみを模範とすれば論評の文をものしがたし。蓋し一方に偏すればなるべし。千変万化の文体を用ひて千変万化の思ひを吐くもの之れを完全の才筆といふとスペンサー翁はいはれき。たゞ一種文に偏するものは完全の文章家といふべからず。かりにも文壇の大家たらまくほりする輩は、千変万化極りなき美妙巧緻の文章をもて其模範となし師表となしてもて其文を練るべきなり。一二百年の昔にありては只一種文に妙を得ればそれにて足りぬることなりしが、文化駸々日々に進めるけふこのごろの世界となりては、いふべき事も筆すべきことも極めて多端となりたれば、政事の論難評議にだに記事体の文を要することあり。また歴史文を要することあり。彼のバーク氏が議事院にてヘスチングスを弾劾せし折に記事文体の演説もて満院の士を感ぜしめしは人のよく知る所なりかし。しからば如何なる文章をもて師表となしなば可ならむかと問はむに、千変万化極りなき美妙巧緻の好文章は、希世の大家の手になりたる小説の文に越えたるものなし。蓋し小説といへるものは、千変万化の世態を描写し、千変万化の情趣を写して、毫末遺漏なからむことをば其務めとはなすものなるから、富麗の文あり、豪宕の文あり、或ひは悲壮淋漓たる、或ひは優婉閑雅なるあり。来歴を叙する折には歴史体の文を用ひ、景況を語るときには記事体の文を用ふ。問答の文あれば、論難の文あり、詼謔の文あれば、厳格の文あり。奮激せる者の思想をいひあらはすには之れに適すべき活溌なる言語を用ひ、愁傷せる者の感情をいひあらはすには之れにかなふべき悲しげなる言語を用ふ。之れを要するに、文と情との適応することを主となすから、求めざれども其文体千変万化して極まりなし。これ小説の文章家の師表となるべき所以なりかし。此論いまだ尽くさゞれども、余りに冗長に渉れるまゝ、しばらく筆をこゝに擱き、また折を得て説継ぐべし。
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上にのべたる議論は、すべて完全なる小説につきていへることなり。此間に行はるゝ艸冊子のたぐひを論ぜしにはあらず。看官誤り認めて疑団を抱くなかれ。
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若しそれ小説にして実にかくのごとき裨益ありなば、わが未熱なる小説、稗史を次第に修正改良して、彼の泰西のものに駕すべき完全無欠のものとなして、国家の花と称へつべき一大美術となさゞらむはわが大いなる懈怠ならずや。さりとて是れをなさまくせば、まづ先進の得たりし所以、また失したりし理を察し、同轍の過失に墜らざらむことをつとめ、その長じたりし妙所を探りていよいよ之れを発暢なし、完全無欠の好稗史を編むべき手段を定めずもあらば、わが東洋の小説、稗史は幾星霜を経といふとも、依然としてローマンスの地位に止り、進歩すべき機なからむ。おのれ学窓を退きてより白なほ極めて浅きが故に、心は著述にあるものから、著述はさらなり、翻訳をだにものしたりしはいと/\稀れなり。かゝれば実際なる経験にはいと乏しき身なれども、多年古今の稗史を閲して、理論上にて得たりしところは必ずしも些少ならずと思へば、かりに一篇の小説法則の論を綴りて、これを下巻にて陳述し、もて世の参考に供へまくほりす。をこがましとのみ笑ひたまはで、熟読翫昧せられもせば、小説といふ一大美術の至難技たるをば知らるゝのみかは、わが艸冊子の久しからで真成の小説、稗史となるべき道をひらかむ便機となるべし。あなかしこ、あなかしこ。
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入力者:網迫(あみざこ)さん
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/4728/index.html
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変更終了:平成14年8月