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小説を其主意より見て区分すれば二種あり。曰く勧懲、曰く摸写、即ち是れなり。勧懲小説は英語にてはヂダクチック・ノベルと称して、専ら奨誡を其主眼として人物を仮作り、脚色を構へて、世を諷誡せむとつとむる物なり。曲亭以後の著作は概ね此種の物と思はる。勧懲小説にもおのづから二種の別あり。一を褒誉といひ、一を誹刺といふ。褒誉は仁義礼智等の八行を本として暗に全篇の列伝を設け、その行為の尊むべく仰ぐべきを示して、読者をしておのづから景慕するの念を起さしめて、瞑々裡に良道に導かむことを期す。馬琴が仁義八行を列伝として『八犬伝』を綴り、智仁勇を人に擬して『朝夷奈巡島記』を編める、皆この主意に外ならざるべし。誹刺は全く之れに反して、暴虐非道の行為を述べ、若しくは不義不孝の状をあらはし、あるは癡愚の笑ふべきを写し、あるは醜行の恥づべきを描きてもて、訓誡せむと力むる者なり、曲亭翁の『夢想兵衛』の物語、式亭三馬の『浮世床』、『浮世風呂』をはじめとして、福内鬼外の戯作類は総じて此類の物かと思はる。さはれ馬琴の著作の如きは、概ね褒誉と誹刺とを兼ねたり。殊に晩年の作に於ては、褒貶自在にものせしものあり。『美少年録』の如きは其例なり。また誹刺法にも二様ありて、厳正なること馬琴の『美少年録』の如きものあり。或ひは滑稽洒落にして一読人を笑はしむる鬼外の戯作に類するものあり。
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摸写小説は所謂勧懲とは全く性質を異にしたる物にて、其主意は偏へに世態をば写しいだすに外ならざるなりされば人物を仮作するにも、又其脚色を設くるにも、前に述べたる主眼を体して、只管仮空の人物として、仮空界裡に活動せしめて、真に逼らしめむと力むる者なり。譬へば詩人が歌をものして真景を写し、真情を吐き、画工が丹青をもて花鳥山水を描き、彫像師が鑿をもて人または獣の形を彫れるが如く、専ら真に逼るを主として、傾向を構へ、列伝をまうけ、人情世態を穿てるものなり。故に此種の小説に於ては、あながち奨誡の意を寓して脚色を曲ぐる事をばなさず、ひたすら世間にあるべきやうなる情態をのみ描きいだして、さながらの真物のごとく見えしめむことを望み、力めて天然の富麗をうつし、自然の跌宕を描き、読者をしてしらず/\其仮作界に遊ばしめて、而して隠妙不可思議なる此人生の大機関をば察らしむるにいたるものなりされば摸写主意の小説には、求めずして誹刺諷誡の法そなはり、暗に人を教化するの力あり。就中この意をもて現世の情態を写しいださば、其物語は恰も現世の風潮を示し、時好の趣く所をしらしめ、輿情の傾斜を察らしむる一活歴史ともいふべければ、具眼の人にして之れを読まば、彼の迂遠なる伝記を繙き、時代違ひの事情を探りて、因果の理を察るに似ず、また二三回の経験によりて反省覚悟するの益鮮きに勝りて、其効能を覚ゆること果して小少ならざるべし。されども我が国の小説作者は、こゝらの道理をさとらざるにや、ひたすら笠翁が語を師とし、小説といへば毎に必ず事を凡近にとりて意を勧懲に発せざれば叶はざる事のやうに思ひて、奨誡といふ模型をつくりて、強て趣向をそのうちにて工夫なさまくしたりしは、いとも嗚呼なるわざならずや。
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さてまた小説を、其篇中に記載せる事件の性質によりて区分すれば、更に二種の小説となるなり。曰く往昔、曰く現世即ち是れなり。往昔物語は既往の事蹟を本として若しくは歴史上の人物を主人公となして、以て一篇の脚色を構へ、現世物語は現世の情態を材料としてもて其趣向を設くるものなり。我が国の小説は概ね往昔物語即ち時代小説ならぬは稀れなり。馬琴の著作はいへば更なり、俗に稗史と呼ならはせし真名まじりの半紙本は概して此類の物なりけり。しかして紫式部の『源氏物語』、為永春水の情史等は総じて現世物語の部類といふべし。
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左に載するは小説の種類を表する略図なり。
勧懲 摸写 仮作物語┬尋常の譚┬現世┬上流社会 │ │ ├中流社会 │ │ └下流社会 │ └往昔 └奇異譚┬厳正 └滑稽
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尚ほ此外にも政事小説、宗教小説、兵事小説、航海小説等其類一にして足らざれども、要するに現世往昔の小説の細別たるに過ぎざるなり。政事小説は専ら政事界の現况を写しいだして、暗に党議を張らまくする政事家の手になれる物多し。べカンズヒイルド侯の『春鴬囀』など其例なり。宗教小説は専ら布教を旨とする物なり。其適例となすべき物いまだ我が国には存せざれども、仮に其例を挙ていはゞ霊顕記、利生記のたぐひ、ならびに山東京伝翁が晩年にいたりて著したる物語類は此部に入るべし。兵事小説は征役中の事実を本として趣向をまうけ、若しくは仮空の人物を仮作りいだして征役中の情況などを写すものなり。我が国の戦記、軍記等とは異なり。航海小説は仮空の人物、仮空の事蹟を仮作りいだして、航海の情況をのぶるものなり。我が国の巡島記類のものと其質相似て異なるものなり。蓋し我が国の巡島記類は総じて奇異譚の部類なれども、航海小説は之れに反して、主に航海中の情況をのべたる尋常の小説に異ならざればなり。
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前の略図にて表示したるが如く、現世物語すなはち世話小説にもおのづから三箇の別あり。上流社会の情態を写すを主とする物あり。中流社会を物語の本尊となす物あり、或ひは下流社会の情況をば専らに描きいださむと力むるもあり。但し三種とも相関して、決して判然たる区別はなけれど、其主人公の性質によりて此区別をも生ずるなり。我が国には現世物語と称すべきもの極めて其類少なければ、例を掲ぐるに苦めども、まづ大概をこゝに示さば、為永春水の人情本は概して下流社会の情態を写し、時に上流社会のありさまをも写せり。京山翁の艸冊子なども、其名を時代物語にかることあれども、其実中流以下の世態をうつせる世話物語にほかならざるべし。松亭金水が翻案せし「鏡山」の情史ならびに「先代萩」の情史なんどは、上流社会を写せるもの歟。紫式部の『源氏』、大弐三位の『狭衣』などは、専ら上流社会の情態を写せる好き世話物語と称しつべし。
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