再び歌よみに与ふる書

明治三十一年 二月十四日  正岡子規


貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候。其貫之や古今集を崇拝するは誠に気の知れぬことなどと申すものの、実は斯く申す生も数年前迄は古今集崇拝の一人にて候ひしかば今日世人が古今集を崇拝する気味會は能く存申候。崇拝して居る間は誠に歌といふものは優美にて古今集は殊に其粋を抜きたる者とのみ存候ひしも、三年の恋一朝にさめて見ればあんな意気地の無い女に今迄ばかされて居つた事かとくやしくも腹立たしく相成候。先づ古今集といふ書を取りて第一枚を開くと直ちに「去年とやいはん今年とやいはん」といふ歌が出て来る、実に呆れ返つた無趣味の歌に有之候。日本人と外国人との合の子を日本人とや申さん外国人とや申さんとしやれたると同じ事にて、しやれにもならぬつまらぬ歌に候。此外の歌とても大同小異にて駄洒落か理窟ツぽい者のみに有之候。それでも強ひて古今集をほめて言はば、つまらぬ歌ながら万葉以外に一風を成したる処は取得にて、如何なる者にても始めての者は珍しく覚え申候。只之を真似るをのみ芸とする後世の奴こそ気の知れぬ奴には候なれ。それも十年か二十年の事なら兎も角も二百年たつても三百年たつても其糟粕を嘗めて居る不見識に驚き入候。何代集の彼ン代集のと申しても皆古今の糟粕の糟粕の糟粕ばかりに御座候。

貫之とても同じ事に候。歌らしき歌は一首も相見え不申候。嘗て或る人に斯く申候処、其人が「川風寒み千鳥鳴くなり」の歌は如何にやと申され閉口致候。此歌ばかりは趣味ある面白き歌に候、併し外にはこれ位のもの一首もあるまじく候。「空に知られぬ雲」とは駄洒落にて候、「人はいさ心もしらず」とは浅はかなる言ひざまと存候。但貫之は始めて、箇様な事を申候者にて古人の糟粕にては無之候。詩にて申候へば古今集時代は宋時代にもたぐへ申すべく、俗気紛々と致し居候処は迚も唐詩とくらぶべくも無之候へ共、さりとて其を宋の特色として見れば全体の上より変化あるも面白く、宋はそれにてよろしく候ひなん。それを本尊にして人の短所を真似る寛政以後の詩人は善き笑ひ者に御座候。

古今集以後にては新古今稍々すぐれたりと相見え候。古今よりも善き歌を見かけ申候。併し其善き歌と申すも指折りて数へる程の事に有之候。定家といふ人は上手か下手か訳の分らぬ人にて新古今の撰定を見れば少しは訳の分つて居るのかと思へば自分の歌にはろくな者無之「駒とめて袖うちはらふ」「見わたせば花も紅葉も」抔が人にもてはやさるゝ位の者に有之候。定家を狩野派の画師に比すれば探幽と善く相似たるかと存候。定家に傑作無く探幽にも傑作無し。併し定家も探幽も相当に練磨の力はありて如何なる場合にも可なりにやりこなし申候。両人の名誉は相如く程の位置に居りて定家以後歌の門閥を生じ探幽以後画の門閥を生じ両家とも門閥を生じたる後は歌も画も全く腐敗致候、いつの代如何なる技芸にても歌の格画の格などといふやうな格がきまつたら最早進歩致す間敷候。

香川景樹は古今貫之崇拝にて見識の低きことは今更申す迄も無之候。俗な歌の多き事も無論に候。併し景樹は善き歌も有之候。自己が崇拝する貫之よりも善き歌多く候。それは景樹が貫之よりえらかつたのかどうかは分らぬ。只景樹時代には貫之時代よりも進歩して居る点かあるといふ事は相違無ければ、従て景樹は貫之よりも善き歌が出来るといふも自然の事と存候。景樹の歌がひどく玉石混淆である処は俳人でいふと蓼太に比するが適当と被思候。蓼太は雅俗巧拙の両極端を具ヘた男で其句に両極端が現れ居候。

且つ満身の覇気でもつて世人を籠絡し全国に夥しき門派の末流をもつて居た処なども善く似て居るかと存候。景樹を学ぶなら善き処を学ばねば甚しき邪路に陥り可申今の景樹派などと申すは景樹の俗な処を学びて景樹よりも下手につらね申候。ちゞれ毛の人が束髪に結びしを善き事と思ひて束髪にゆふ人はわざ/\毛をちゞらしたらんが如き趣有之候。こゝの処よく/\濶眼を開て御判別可有候。古今上下東西の文学など能く比較して御覧可被成くだらぬ歌書ばかり見て居つては容易に自己の迷を醒まし難く、見る所狭ければ自分の汽車の動くのを知らで隣の汽車が動くやうに覚ゆる者に御座候。不尽。

(明治三十一年二月十四日)




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