ラムプの影

明治33年1月10日  正岡子規


ラムプの影         子 規

1

病の床に仰向に寝てつまらなさに天井をにらんで居ると天井板の木目が人の顔に見える。それは一つある節穴が人の眼のやうに見えてそのぐるりの木目が不思議に顔の輪郭を形づくつて居る。その顔が始終目について気になつていけないので、今度は右向きに横に寝ると、ふすまにある雲形の模様が天狗てんぐの顔に見える。いかにもうるさいと思ふてその顔を心で打ち消して見ると、ふすまの下の隅にある水か何かのしみが又横顔の輪郭を成して居る。仕方が無いから試に左向きに寝て見るとガラスごしに上野の杉の森が見えてその森の隙間すきまに向ふの空が透いて見える。その隙間すきまの空が人の顔になつて居る。丁度画探しの画のやうで横顔がやや逆さになつて見えるのは少し風変りの顔だ。再び仰向になつて、今度は顔の無い方の天井の隅をにらんで居ると、馬鹿に大きな顔が忽然こつぜんと現れて来る。

2

箇様に暗裏の鬼神を画き空中の楼閣を造るは平常の事であるが、ラムプの火影に顔が現れたのは今宵が始めてゞある。

3

年の暮の事で今年も例のやうに忙しいので、まだ十三四日の日子につしを余して居るにも拘らず、新聞へ投書になつた新年の俳句を病床で整理して居る。読む、点をつける、それそれの題の下に分けて書く、草稿へ棒を引いて向ふへ投げやる。それから次の草稿へ移る。又読む、点をつける、水祝みずいわいといふ題のところへ四五句書き抜く、草稿へ棒を引いて向ふへ投げやる。同じ事を繰り返して居る。夜はわずかけそめてもう周囲は静まつてある。いくらか熱が出て居るやうでもあるが毎夜の事だからそれにも構はず仕事にかゝつて居る。けれども熱のある間は呼吸が迫るので仕事はちつともはかどらぬ。それのみでない蒲団ふとんの上に横になつて、右のひじをついて、左の手に原稿紙を持つて、書く時には原稿紙の方を動かして右の手の筆のさきへ持つて往てやるといふ次第だから、ただでも一時間か二時間かやると肩が痛くなる。徹夜などした時は、仕事がすんでから右の手を伸ばさうとしても容易に伸ばす事が出来んやうになつてしまふ。今日も昼からつゞけさまに書いて居るので大分くたびれたから、筆を投げやつて、右のひじ蒲団ふとんの外へ突いて、頬杖ほおづえをして、しばらく休んだ。熱と草臥くたびれとで少しぼんやりとなつて、見るとも無く目を張つて見て居ると、ガラス障子しようじの向ふに、我枕元まくらもとにあるランプの火の影が写つて居る。もつともガラスとランプの距離は一間余りあるので火の影は揺れてやや大きく見える。それをただ見つめて居ると涙が出て来る。すると灯が二つに見える。けれどもガラスのきずの加減であるか、その二つの灯が離れて居ないで不規則に接続して見える。全くの無心でこの大きな火の影を見て居るとその火の中ににわかに人の顔が現れた。

4

見ると西洋の画に善くある、眼の丸い、くるくるした子供の顔であつた。それがたちまち変つて高帽の紳士となつた。もつとも帽の上部は見えて居らぬ。首から下も見えぬけれど何だか二重まわしを著て居るやうに思はれた。その顔が三たび変つた。今度は八つか九つ位の女の子の顔で眼は全く下向いて居る。額際の髪にはゴムの長いくしをはめて髪を押えて居る。四たび変つて鬼の顔が出た。この顔は先日京都から送つてもらふた牛祭の鬼の面に似て居る。箇様にして順々に変つて行く時間が非常に早くその顔は思はぬ顔が出て来るので、今度は興に乗つてどこまで変化するかためして見んと思ひはじめた。丸で見せ物でも見るやうな気になつたのだ。さう思ふとそれから変りやうがやや遅くなつた。

5

その次には猿の顔が出た。それが西洋の昔の学者か豪傑かの顔と変つた。その顔は少し横向きで柔かな髪は肩まで垂れて居る。極めて優しい顔であるがただ見たやうに思ふだけでだれの肖像か分らぬ。それから暫くは火が輝いで居るばかりで何の形も現れて来ぬ。なお見つめて居ると火の真中に極めて明るい一点が見えて来た。それが次第に大きくなつて往く。ついに一つの大目玉が成り立つた。それが崩れると又暫く何も出来ずに居たが、やうやう丸髷まるまげの女が現れた。そのの女のびんが両方へ張つて居るのは四方へ放つて居る光線がさう見えるのである。その光線のびんは白くまばらなので石膏せっこう細工の女かと思はれた。この女は初め下向いて眼をふさいで居たが、その眼を少しづゝ明けながらその顔を少しづゝあげると、段々すさまじい人相になつて、遂に髪の逆立つた三宝荒神さんぼうこうじんと変つてしまふた。荒神様が消えると耶蘇やそが出て来た。これは十字架上の耶蘇やそだと見えて首をうなたれて眼をつぶつて居るが、それにも拘らず頭の周囲には丸い御光が輝いて居る。耶蘇やそが首をあげて眼を開くと、面貌めんぼうを著けた武者の顔と変つた。その武者の顔をよくよく見て居る内に、それは面貌めんぼうでなくて、ロに呼吸器を掛けて居る肺病患者と見え出した。その次はすつかり変つて般若はんにやの面が小く見えた。それが消えると、癩病の、ほおのふくれた、眼をいだやうな、気味の悪い顔が出た。試にその顔の恰好かっこうをいふと、文学者のギボンの顔をあめ細工でこしらえてその顔の内側から息を入れてふくらました、といふやうな具合だ。たちまち火が三つになつた。

6

何か出るであらうと待つて居ると又前の耶蘇やそが出た。これではいかぬと思ふて、すこしく頭を後へ引くと、視線が変つたと共にガラスのきずの具合も変つたので、火の影は細長いかぎの様な者になつた。今度は屹度きっと風変りの顔が見えるだらうと見て居たけれど火の形が変なためか一向何も現れぬ。やゝしばらくすると何やら少し出て来た。段々明らかになつて来ると仰向に寝た人の横顔らしい。いよいよさうときまつた。眼は静かにふさいで居る。顔は何となく沈んで居ていささかの活気も無い。たしかにこれは死人の顔であらう。見せ物はこれでおやめにした。


■このファイルについて
標題:ラムプの影
著者:正岡子規
本文:「ほととぎす」 第三巻第四号 明治33年1月10日
表記:原文を尊重するが、コンピュータで扱える文字に限りがあること、また読みやすさを考慮して、以下の方針を採用した。

○漢字は現行の字体にかえた。
○本文の仮名づかいは、原文通りとした。
○読みにくいと思われる漢字には、ふりがな(現代仮名づかい)を付けた。ただし原文に元々付いていたふりがなは、後ろに「*」をつけて区別した。
○明らかに誤りと考えられる箇所は、他のテキストも参照して訂正した。その際、元の誤字を〔 〕に入れて示した。
○段落冒頭の一字下げは、用いない。また改段は、1行空けることで示した。
○段落番号を追加した。
○原文で使われている繰り返し記号は、ひらがな一字の場合は「ゝ」、漢字一字の場合は「々」をそのまま用いた。ただし二字以上の場合は、反復記号は用いず同語反復で表記した。

入力:今井安貴夫
ファイル作成:里実工房
公開:2003年8月10日