『田舎の時計 他十二篇』

             萩原朔太郎著




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田舎の時計

大井町
郵便局

自殺の恐ろしさ
詩人の死ぬや悲し
群集の中に居て
虚無の歌

貸家札
この手に限るよ


 海

1

海を越えて、人人は向うに「ある」ことを信じてゐる。島が、陸が、新世界が。しかしながら海は、一の広茫こうぼうとしたながめにすぎない。無限に、つかみどころがなく、単調で飽きつぽい景色を見る。

2

海の印象から、人人は早い疲労を感じてしまふ。なみが引き、また寄せてくる反復から、人生の退屈な日課を思ひ出す。そして日向ひなたの砂丘に寝ころびながら、海を見てゐる心の隅に、ある空漠たる、不満のいらだたしさを感じてくる。

3

海は、人生の疲労を反映する。希望や、空想や、旅情やが、浪を越えて行くのではなく、空間の無限における地平線の切断から、限りなく単調になり、想像のむべき山影を消してしまふ。海には空想のひだがなく、見渡す限り、平板で、白昼まひるの太陽が及ぶ限り、その「現実」を照らしてゐる。海を見る心は空漠として味気がない。しかしながら物憂ものうき悲哀が、ふだんの浪音のやうに迫つてくる。

4

海を越えて、人人は向うにあることを信じてゐる。島が、陸が、新世界が。けれども、ああ! もし海に来て見れば、海は我我の疲労を反映する。過去の長き、いとはしき、無意味な生活の旅の疲れが、一時に漠然と現はれてくる。人人はげつそり[#「げつそり」に傍点]とし、ものうくなり、空虚なさびしい心を感じて、磯草いそくさの枯れる砂山の上にくづれてしまふ。

5

人人は熱情から――恋や、旅情や、ローマンスから――しばしば海へあこがれてくる。いかにひろびろとした、自由な明るい印象が、人人の眼をひろくすることぞ! しかしながらただ一瞬。そして夕方の疲労から、にはかに老衰してかへつて行く。

6

海の巨大な平面が、かく人の観念を正誤する。『日本詩人』1926年6月号


 田舎の時計

7

田舎においては、すべての人人が先祖と共に生活してゐる。老人も、若者も、家婦も、子供も、すべての家族が同じ藁屋根わらやねの下に居て、祖先の煤黒すすぐろ位牌いはいを飾つた、古びた仏壇の前で臥起ねおきしてゐる。

8

さうした農家の裏山には、小高い冬枯れの墓丘があつて、彼等の家族の長い歴史が、あまたの白骨と共に眠つてゐる。やがて生きてゐる家族たちも、またその同じ墓地に葬られ、昔の曾祖母や祖父と共に、しづかな単調な夢を見るであらう。

9

田舎に於ては、郷党のすべてが縁者であり、系図の由緒ゆいしよある血をひいてゐる。道にふ人も、田畑に見る人も、隣家に住む老人夫妻も、遠きまたは近き血統で、互にすべての村人が縁辺する親戚であり、昔からつながる叔父おじ伯母おばの一族である。そこではだれもが家族であつて、歴史の古き、伝統する、因襲のつながる「家」の中で、郷党のあらゆる男女が、祖先の幽霊と共に生活してゐる。

10

田舎に於ては、すべての家家の時計が動いてゐない。そこでは古びた柱時計が、遠い過去の暦の中で、先祖の幽霊が生きてゐた時の、同じ昔の指盤をしてゐる。見よ! そこには昔のままの村社があり、昔のままの白壁があり、昔のままの自然がある。そして遠い曾祖母の過去に於て、かれらの先祖が縁組をした如く、今も同じやうな縁組があり、のどかな村落のまがきの中では、昔のやうに、牛や鶏の声がしてゐる。

11

げに田舎に於ては、自然と共に悠悠として実在してゐる、ただ一の永遠な「時間」がある。そこには過去もなく、現在もなく、未来もない。あらゆるすべての生命が、同じ家族の血すぢであつて、冬のさびしい墓地の丘で、かれらの不滅の先祖と共に[#「先祖と共に」に二重丸傍点]、一つの霊魂と共に[#「霊魂と共に」に二重丸傍点]生活してゐる。昼も、夜も、昔も、今も、その同じ農夫の生活が、無限に単調につづいてゐる。そこの環境には変化がない。すべての先祖のあつたやうに、先祖の持つた農具をもち、先祖の耕した仕方でもつて、不変に同じく、同じ時間を続けて行く。変化することは破滅であり、田舎の生活の没落である。なぜならば時間が断絶して、永遠に生きる実在から、それの鎖が切れてしまふ。彼等は先祖のそばに居り、必死に土地を離れることを欲しない。なぜならば土地を離れて、家郷とすべき住家すみかはないから。そこには拡がりもなく、さわりもなく、無限に実在してゐる空間がある。

12

荒寥こうりようとした自然の中で、田舎の人生は孤立してゐる。婚姻も、出産も、葬式も、すべてが部落の壁の中で、仕切られた時空の中で行はれてゐる。村落は悲しげに寄り合ひ、蕭条しようじようたる山のふもとで、人間の孤独にふるへてゐる。そして真暗な夜の空で、もろこしの葉がざわざわと風に鳴る時、農家の薄暗い背戸せどうまやに、かすかに蝋燭ろうそくの光がもれてゐる。馬もまた、そこの暗闇くらやみにうづくまつて、先祖と共に[#「先祖と共に」に二重丸傍点]眠つてゐるのだ。永遠に、永遠に、過去の遠い昔から居た如くに。『大調和』1927年9月号



 坂

13

坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、のすたるぢや[#「のすたるぢや」に傍点]の感じをあたへるものだ。坂を見てゐると、その風景の向うに、別のはるかな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がさうである。

14

坂が――風景としての坂が――何故にさうした特殊な情趣をもつのだらうか。理由わけは何でもない。それが風景における地平線を、二段に別別に切つてるからだ。坂は、坂の上における別の世界を、それの下における世界から、二つの別な地平線で仕切つてゐる。だから我我は、坂を登ることによつて、それの眼界にひらけるであらう所の、別の地平線に属する世界を想像し、未知のものへの浪漫的なあこがれ[#「あこがれ」に傍点]を呼び起す。

15

或る晩秋のしづかな日に、私は長い坂を登つて行つた。ずっと前から、私はその坂をよく知つてゐた。それは或る新開地の郊外で、いちめんに広茫とした眺めの向うを、遠くの夢のやうに這つてゐた。いつか一度、私はその夢のやうな坂を登り、切岸きりぎしの上にひらけてゐる、未知の自然や風物を見ようとする、詩的なAdventureに駆られてゐた。

16

何が坂の向うにあるのだらう? ついにやみがたい誘惑が、或る日私をその坂道に登らした。十一月下旬、秋の物わびしい午後であつた。落日の長い日影が、坂を登る私の背後うしろにしたがつて、瞑想者めいそうしやのやうな影法師をうつしてゐた。風景はひつそりとして、空には動かない雲が浮いてゐた。

17

無限に長く、空想にみちた坂道を登つて行つた。遂に登りつめた時に、眼界に一度に明るく、海のやうにひらけて見えた。いちめんの大平野で、すすき尾花おばなの秋草が、白く草むらの中に光つてゐた。そして平野の所所に、風雅な木造の西洋館が、何かの番小屋のやうに建つてゐた。

18

それは全く思ひがけない、異常な鮮新な風景だつた。私のどんな想像も、かつてこの坂の向うに、こんな海のやうな平野があるとは思はなかつた。一寸ちょっとの間、私はこの眺めの実在を疑つた。ふいに思ひがけなく、海上に浮んだ蜃気楼しんきろうのやうな気がしたからだ。

19

『おーい!』

20

理由もなく、私は大声をあげて呼んでみた。広茫とした平野の中で、反響がどこまで行くかをためさうとして。すると不意に、前の草むらが風に動いた。何物かの白い姿がそこにかくれてゐたのである。

21

すぐに私は、草の中で動くパラソルを見た。二人の若い娘が、秋の侘しい日ざしをあびて、石の上にむつまじく坐つてゐたのだ。

22

『娘たちは詩を思つてる。彼等の生活[#「生活」に傍点]をさまたげまい。なぜなら娘たちにとつては、詩が生活の一切だから。けれども僕にとつては! 僕は肯定さるべき所の、何物の観念でもない!』

23

さうして心が暗くなり、悲しげにそこを去らうとした。けれどもその時、背後をふりかへつた娘の顔が、一瞥いちべつの瞬間にまで、ふしぎな電光写真のやうに印象された。なぜならその娘こそ、この頃私の夢によく現はれてくるやさしい娘――悲しい夢の中の恋人――物言はぬお嬢さん――にそつくりだから。いくたび、私は夢の中でその人と逢つてるだらう。いつも夜あけ方のさびしい野原で、あるいは猫柳の枯れてる沼沢地方で、はかない、しづかな、物言はぬ媾曳あいびきをしてゐるのだ。

24

『お嬢さん!』

25

いつも私が、丁度夢の中の娘に叫ぶやうに、ふいに白日はくじつの中に現はれたところの、現実の娘に呼びかけようとした。どうして、何故に、夢が現実にやつて来たのだらうか。ふしぎな、言ひやうもない予感が、未知の新しい世界にまで、私を幸福感でいつぱいにした。実はその新しい世界や幸福感やは、幾年も幾年も遠い昔に、私がすつかり忘れてしまつてゐたものであつた。

26

しかしながら理性が、たちまちにして私の幻覚を訂正した。だれが夢遊病者でなく、夢を白日に信ずるだらうか。愚かな、馬鹿馬鹿しい、ありふれた錯覚を恥ぢながら、私はまた坂を降つて来た。しかり――。私は今もそれを信じてゐる。坂の向うにある風景は、永遠の『錯誤』にすぎないといふことを。『令女界』1927年9月号



 大井町

27

人生はふしぎなもので、無限の悲しい思ひやあこがれにみたされてゐる。人はさうした心境から、自分のすがた[#「すがた」に傍点]を自然にうつして、或は現実の環境に、或は幻想する思ひの中に、それぞれの望ましい地方を求めて、自分の居る景色の中に住んでるものだ。たとへてみれば、或る人は平和な田園に住家すみかを求めて、牧場や農場のある景色の中を歩いてゐる。そして或る人は荒寥こうりようとした極光地方で、孤独のぺんぎん鳥のやうにして暮してゐるし、或る人は都会の家並のんでる中で、賭博場や、洗濯屋や、きたない酒場や理髪店のごちやごちやしてゐる路地ろじを求めて、毎日用もないのにぶらついてゐる。或る人たちは、郊外の明るい林を好んで、若い木の芽や材木のにおひをいでゐるのに、或る人は閑静の古雅を愛して、物寂ものさびた古池に魚の死体が浮いてるやうな、芭蕉庵ばしようあんこけむした庭にたたずみ、いつもその侘しい日影を見つめて居る。

28

げに人生はふしぎなもので、無限のかなしい思ひやあこがれにみたされてゐる。人はその心境をもとめるために、現実にも夢の中にも、はてなき自然の地方を徘徊はいかいする。さうして港の波止場はとばに訪ねくるとき、汽船のおーぼー[#「おーぼー」に傍点]といふ叫びを聞き、ほばしらのにぎやかな林の向うに、青い空の光るのをみてゐると、しぜんと人間の心のかげに、憂愁のさびしい涙がながれてくる。

29

私が大井町へ越して来たのは、冬の寒い真中であつた。私は手に引つ越しの荷物をさげ、古ぼけた家具の類や、きたないバケツや、ほうき、炭取りの類をかかへ込んで、冬のぬかるみの街を歩き廻つた。空は煤煙でくろずみ、街の両側には、無限の煉瓦れんがの工場が並んでゐた。冬の日は鈍くかすんで、煙突から熊のやうな煙を吹き出してゐた。

30

貧しいすがたをしたおかみさん[#「おかみさん」に傍点]が、子供を半てんおんぶで背負ひこみながら、天日のさす道を歩いてゐる。それが私のかみさんであり、その後からやくざな男が、バケツや荷をいつぱい抱へて、痩犬やせいぬのやうについて行つた。

     大井町!

31

かうして冬の寒い盛りに、私共の家族が引つ越しをした。裏町のきたない長屋に、貧乏と病気でふるへてゐた。ごみためのやうな庭の隅に、まいにち腰巻やおしめ[#「おしめ」に傍点]を干してゐた。それに少しばかりの日があたり、小旗のやうにひらひらしてゐた。

     大井町!

32

無限にさびしい工場がならんでゐる、煤煙で黒ずんだ煉瓦の街を、大ぜいの労働者がぞろぞろと群がつてゐる。夕方は皆が食ひ物のことを考へて、きたない料理屋のごてごてしてゐる、工場裏の町通りを歩いてゐる。家家の窓はすすでくもり、硝子が小さくはめられてゐる。それに日ざしが反射して、黒くかなしげに光つてゐる。

     大井町!

33

まづしい人人の群で混雑する、あの三叉みつまたの狭い通りは、ふしぎに私の空想を呼び起す。みじめな郵便局の前には、大ぜいの女工が群がつてゐる。どこへ手紙を出すのだらう。さうして黄色い貯金帳から、むやみに小銭をひき出してる。

34

空にはいつも煤煙がある。屋台は屋台の上に重なり、泥濘のひどい道を、幌馬車ほろばしやの列がつながつてゆく。

     大井町!

35

鉄道工廠こうしようの住宅地域! 二階建ての長屋の窓から、工夫こうふのおかみさんが怒鳴つてゐる。亭主ていしゆは駅の構内で働らいてゐて、真黒の石炭がらを積みあげてゐる。日ぐれになると、そのシヤベルが遠くで悲しく光つてみえる。

36

長屋の硝子窓にはえがとまつて、いつまでもぶむぶむとうなつてゐる。どこかの長屋で餓鬼が泣いてゐる。嬶が破れるやうに怒鳴つてるので、亭主もかなしい思ひを感じてゐる。そのしやつぽ[#「しやつぽ」に傍点]を被つた労働者は、やけに石炭を運びながら、生活の没落を感じてゐる。どうせ嬶をたたき出して、宿場しゆくばの女郎でも引きずり込みたいと思つてゐる。

37

労働者のかなしいシヤベルが、遠くの構内で光つてゐる。

38

人生はふしぎなもので、無限のかなしい思ひやあこがれにみたされてゐる。人は自分の思ひを自然に映して、それぞれの景色の中に居住してゐる。

     大井町!

39

煙突と工場と、さうして労働者の群がつてゐる、あのにぎやかでさびしい街に、私は私の住居を見つけた。私の泥長靴どろながぐつをひきずりながら、まいにちあの景色の中を歩いてゐた。何といふ好い町だらう。私は工場裏の路地を歩いて、とある長屋の二階窓から、ねずみ死骸しがいを投げつけられた。意地の悪い土方の嬶等が、いつせいに窓から顔を突き出し、ひひひひひと言つて笑つた。何といふうれしい出来事でせう。私はかういふ人生の風物からどんな哲学でも考へうるのだ。

40

どうせ私のやうな放浪者には、東京中を探したつて、大井町より好い所はありはしない。冬の日の空に煤煙! さうして電車をりた人人が、みんな煉瓦の建物に吸ひこまれて行く。やたら凸凹でこぼこした、狭くきたない混雑の町通り。路地は幌馬車でいつもいつぱい。それで私共の家族といへば、いつも貧乏にくらしてゐるのだ。年刊『詩と随筆集』第一輯1928年5月発行



 郵便局

41

郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢや[#「のすたるぢや」に傍点]の存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工のむれが、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合ってゐる。或る人人は為替かわせを組み入れ、或る人人は遠国への、かなしい電報を打たうとしてゐる。

42

いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舎の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤独に暮してゐる娘のもとへ、秋のあわせ襦袢じゆばんやを、小包で送つたといふ通知である。

43

郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてゐる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて乱れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活ライフの港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。

44

郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢや[#「のすたるぢや」に傍点]だ。『若草』1929年3月号



 墓

45

これは墓である。蕭条たる風雨の中で、かなしく黙しながら、孤独に、永遠の土塊つちくれが存在してゐる。

46

何がこの下に、墓の下にあるのだらう。我我はそれを考へ得ない。おそらくは深い穴が、がらんどうに掘られてゐる。さうしてわずかばかりの物質――人骨や、歯や、かわらや――が、蟾蜍ひきがえると一緒に同棲どうせいして居る。そこには何もない。何物の生命も、意識も、名誉も。またその名誉について感じ得るであらう存在もない。

47

ほしかしながら我我は、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだらう。我我はいつでも、死後の「無」について信じてゐる。何物も残りはしない。我我の肉体は解体して、他の物質に変つて行く。思想も、神経も、感情も、そしてこの自我の意識する本体すらも、空無の中に消えてしまふ。どうして今日の常識が、あの古風な迷信――死後の生活――を信じよう。我我は死後を考へ、いつも風にやうに哄笑こうしようするのみ!

48

しかしながら尚ほ、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだらう。我我は不運な芸術家で、あらゆる逆境に忍んで居る。我我は孤独に耐へて、ただ後世にまで残さるべき、死後の名誉を考へてゐる。ただそれのみを考へてゐる。けれどもああ、人が墓場の中に葬られて、どうして自分を意識し得るか。我我の一切は終つてしまふ。後世になつてみれば、墓場の上に花環をささげ、数万の人が自分の名作をたたへるだらう。ああしかし! だれがその時墓場の中で、自分の名誉を意識し得るか? 我我は生きねばならない。死後にも尚ほつ、永遠に墓場の中で、生きて居なければならない[#「生きて居なければならない」に二重丸傍点]のだ。

49

蕭条たる風雨の中で、さびしく永遠に黙しながら、無意味の土塊が実在して居る。何がこの下に、墓の下にあるだらう。我我はそれを知らない。これは墓である! 墓である!『新文学準備倶楽部』1929年6月号



 自殺の恐ろしさ

50

自殺そのものは恐ろしくない。自殺にいて考へるのは、死の刹那せつなの苦痛でなくして、死の決行された瞬時に於ける、取り返しのつかない悔恨である。今、高層建築の五階の窓から、自分は正に飛び下りようと用意して居る。遺書も既に書き、一切の準備は終つた。さあ! 目を閉ぢて、飛べ! そして自分は飛びおりた。最後の足が、遂に窓を離れて、身体からだが空中に投げ出された。

51

だがその時、足が窓から離れた一瞬時、不意に別の思想が浮び、電光のやうにひらめいた。その時始めて、自分ははつきり[#「はつきり」に傍点]と生活の意義を知つたのである。何たる愚事ぞ。決して、決して、自分は死を選ぶべきでなかつた。世界は明るく、前途は希望に輝やいて居る。断じて自分は死にたくない。死にたくない。だがしかし、足は既に窓から離れ、身体は一直線に落下して居る。地下には固い鋪石。白いコンクリート。血にまみれた頭蓋骨ずがいこつ! 避けられない決定!

52

この幻想のおそろしさから、私はいつも白布のやうに蒼ざめてしまふ。何物も、何物も、決してこれより恐ろしい空想はない。しかもこんな事実が、実際に有り得ないといふことは無いだらう。既に死んでしまつた自殺者等が、再度もし生きて口をいたら、おそらくこの実験を語るであらう。彼等はすべて、墓場の中で悔恨してゐる幽霊である。百度も考へて恐ろしく、私は夢の中でさへ戦慄する。『セルパン』1931年5月号



 詩人の死ぬや悲し

53

ある日の芥川龍之介が、救ひのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について私に語つた。それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。

54

「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある。」

55

ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に刺戟しげきし、真剣になつて怒らせてしまつた。あの小心で、はにかみやで、いつもストイツクに感情を隠す男が、その時顔色を変へてはげしく言つた。

56

「著作? 名声? そんなものが何になる!」

57

独逸ドイツのある瘋癲ふうてん病院で、妹に看病されながら暮して居た、晩年の寂しいニイチエが、或る日ふと空を見ながら、狂気の頭脳に記憶をたぐつて言つた。――おれも昔は、少しばかりの善い本を書いた! と。

58

あの傲岸ごうがん不遜ふそんのニイチエ。自ら称して「人類史以来の天才」と傲語したニイチエが、これはまた何と悲しく、痛痛しさの眼にみる言葉であらう。側に泣きぬれた妹が、兄を慰めるために言つたであらう言葉は、おそらく私が、前に自殺した友に語つた言葉であつたらう。そしてニイチエの答へた言葉が、同じやうにまた、空洞うつろな悲しいものであつたらう。

59

「そんなものが何になる! そんなものが何になる!」

60

ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラフアルガルの海戦で重傷を負つたネルソンが、軍医や部下の幕僚ばくりようたちに囲まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖国に対する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東郷とうごう大将やの人人が、おそらくはまた死の床で、静かに過去を懐想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。

61

「余は、余のすべきすべてを尽した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に満足して死んで行つた。

62

それゆえことわざは言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬやしと。だが我我の側の地球においては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと悩み深く言ひ換へられる。

63

――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!『行動』1934年11月号



 群集の中に居て


      群集は孤独者の家郷である。ボードレエル

64

都会生活の自由さは、人と人との間に、何の煩瑣はんさな交渉もなく、その上にまた人人が、都会を背景にするところの、楽しい群集を形づくつて居ることである。

65

昼頃になつて、私は町のレストラントに坐つて居た。店はにぎやかに混雑して、どの卓にも客があふれて居た。若い夫婦づれや、学生の一組や、子供をつれた母親やが、あちこちの卓に坐つて、彼等自身の家庭のことや、生活のことやを話して居た。それらの話は、他の人人と関係がなく、大勢の中に混つて、彼等だけの仕切られた会話であつた。そして他の人人は、同じ卓に向き合つて坐りながら、隣人の会話とは関係なく、夫夫それぞれまた自分等だけの世界に属する、勝手な仕切られた話をしやべつて居た。

66

この都会の風景は、いつも無限に私の心を楽しませる。そこでは人人が、他人の領域と交渉なく、しかもまた各人が全体としての雰囲気ふんいき群集の雰囲気を構成して居る。何といふ無関心な、伸伸のびのびとした、楽しい忘却をもつた雰囲気だらう。

67

黄昏たそがれになつて、私は公園の椅子に坐つて居た。幾組もの若い男女が、互に腕を組み合せながら、私の坐つてる前を通つて行つた。どの組の恋人たちも、うれしく楽しさうに話をして居た。そして互にまた、他の組の恋人たちを眺め合ひ、批判し合ひ、それの美しい伴奏から、自分等の空にひろがるところの、恋の楽しい音楽を二重にした。

68

一組の恋人が、ふと通りかかつて、私の椅子の側に腰をおろした。二人は熱心に、笑ひながら、はにかみながら嬉しさうにささやいて居た。それから立ち上り、手をつないで行つてしまつた。始めから彼等は、私の方を見向きもせず、私の存在さへも、全く認識しないやうであつた。

69

都会生活とは、一つの共同椅子の上で、全く別別の人間が別別のことを考へながら、互に何の交渉もなく、一つの同じ空を見てゐる生活――群集としての生活――なのである。その同じ都会の空は、あの宿なしのルンペンや、無職者や、何処どこへ行くといふあてもない人間やが、てんでに自分のことを考へながら、ぼんやり並んで坐つてる、浅草公園のベンチの上にもひろがつて居て、ともし頃の都会の情趣を、無限にわびしげに見せるのである。

70

げに都会の生活の自由さは、群集の中に居る自由さである。群集は一人一人の単位であつて、しかも全体としての綜合そうごうした意志をもつてる。だれも私の生活に交渉せず、私の自由を束縛しない。しかも全体の動く意志の中で、私がまた物を考へ、し、あじわひ、人人と共に楽しんで居る。心のいたく疲れた人、思い悩みに苦しむ人、わけても孤独を寂しむ人、孤独を愛する人によつて、群集こそは心の家郷、愛と慰安の住家である。ボードレエルと共に、私もまた一つのさびしい歌を唄はう。――都会は私の恋人。群集は私の家郷。ああ何処までも、何処までも、都会の空を徘徊はいかいしながら、群集と共に歩いて行かう。浪の彼方かなたは地平に消える、群集の中を流れて行かう。『四季』1935年2月号



 虚無の歌


     我れは何物をも喪失せず
     また一切を失ひ尽せり。「氷島」

71

午後の三時。広漠とした広間ホールの中で、私はひとり麦酒ビールを飲んでた。だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。煖炉ストーブは明るく燃え、ドアの厚い硝子ガラスを通して、晩秋の光がわびしくしてた。白いコンクリートの床、所在のない食卓テーブル、脚の細い椅子の数数。

72

ヱビス橋のそばに近く、此所の侘しいビヤホールに来て、私は何を待つてるのだらう? 恋人でもなく、熱情でもなく、希望でもなく、好運でもない。私はかつて年が若く、一切のものを欲情した。そして今既に老いて疲れ、一切のものを喪失した。私は孤独の椅子を探して、都会の街街まちまちを放浪して来た。そして最後に、自分の求めてるものを知つた。一杯の冷たい麦酒ビールと、雲を見てゐる自由の時間! 昔の日から今日の日まで、私の求めたものはそれだけだつた。

73

かつて私は、精神のことを考へてゐた。夢みる一つの意志。モラルの体熱。考へるあしのをののき。無限への思慕。エロスへの切ない祈祷いのり。そして、ああそれが「精神」といふ名で呼ばれた、私の失はれた追憶[#「失はれた追憶」に二重丸傍点]だつた。かつて私は、肉体のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖し、不断にそれの解体を強ひるところの、無機物に対して抗争しながら、悲壮に悩んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。肉体!ああそれも私に遠く、過去の追憶にならうとしてゐる。私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、蟾蜍ひきがえるとが、地下で私を待つてるのだ。

74

ホールの庭にはきりの木がえ、落葉が地面に散らばつて居た。その板塀いたべいで囲まれた庭の彼方かなた、倉庫の並ぶ空地あきちの前を、黒い人影が通つて行く。空には煤煙ばいえんかすかに浮び、子供の群集する遠い声が、夢のやうに聞えて来る。広いがらん[#「がらん」に傍点]とした広間ホールの隅で、小鳥が時時さえずつて居た。ヱビス橋の側に近く、晩秋の日の午後三時。コンクリートの白つぽい床、所在のない食卓テーブル、脚の細い椅子の数数。

75

ああ神よ! もう取返すすべもない。私は一切を失い尽した。けれどもただ、ああ何といふ楽しさだらう。私はそれを信じたいのだ。私が生き、そして「有る」ことを信じたいのだ。永久に一つの「無」が、自分に有ることを信じたいのだ。神よ! それを信じせしめよ。私の空洞うつろな最後の日に。

76

今や、かくして私は、過去に何物をも喪失せず、現に何物をも失はなかつた。私は喪心者のやうに空を見ながら、自分の幸福に満足して、今日も昨日も、ひとりで閑雅な麦酒ビールを飲んでる。虚無よ! 雲よ! 人生よ。『四季』1936年5月号



 虫

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或る詰らない何かの言葉が、時としては毛虫のやうに、脳裏の中に意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く苦しめるものである。或る日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鉄筋コンクリート」といふ言葉を口に浮べた。何故にそんな言葉が、私の心に浮んだのか、まるで理由がわからなかつた。だがその言葉の意味の中に、何か常識の理解し得ない、或る幽幻な哲理のなぞが、神秘に隠されてゐるやうに思はれた。それは夢の中の記憶のやうに、意識の背後にかくされて居り、縹渺ひようびようとして捉へがたく、そのくせすぐ目の前にも、とらへることができるやうに思はれた。何かの忘れたことを思ひ出す時、それがつい近くまで来て居ながら、容易に思ひ出せない時のあの焦燥。多くの人人が、たれも経験するところの、あの苛苛いらいらした執念の焦燥が、その時以来きまとつて、絶えず私を苦しくした。家に居る時も、外に居る時も、不断に私はそれを考へ、この詰らない、解りきつた言葉の背後にひそんでゐる、或る神秘なイメ−ヂの謎を摸索もさくして居た。その憑き物のやうな言葉は、いつも私の耳元でささやいて居た。悪いことにはまた、それには強い韻律的の調子があり、一度おぼえた詩語のやうに、意地わるく忘れることができないのだ。「テツ、キン、コン」と、それは三シラブルの押韻おういんをし、最後に長く「クリート」とくのであつた。その神秘的な意味を解かうとして、私は偏執狂のやうになつてしまつた。明らかにそれは、一つの強迫観念にちがひなかつた。私は神経衰弱病にかかつて居たのだ。

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或る日、電車の中で、それを考へつめてる時、ふと隣席の人の会話を聞いた。
  「そりや君。駄目だめだよ。木造ではね。」
  「やつぱり鉄筋コンクリートかな。」
  二人づれの洋服紳士は、たしかに何所どこかの技師であり、建築のことを話して居たのだ。だが私には、その他の会話は聞えなかつた。ただその単語だけが耳に入つた。「鉄筋コンクリート!」

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私はびあがるやうなショツクを感じた。さうだ。この人たちに聞いてやれ。彼等は何でも知つてるのだ。機会を逸するな。大胆にやれ。と自分の心をはげましながら
  「その……ちよいと……失礼ですが……。」
  と私は思ひ切つて話しかけた。
  「その……鉄筋コンクリート……ですな。エエ……それはですな。それはつまり、どういふわけですかな。エエそのつまり言葉の意味……といふのはその、つまり形而上けいじじようの意味……僕はその、哲学のことを言つてるのですが……。」

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私は妙に舌がどもつて、自分の意志を表現することが不可能だつた。自分自身には解つて居ながら、人に説明することができないのだつた。隣席の紳士は、吃驚びつくりしたやうな表情をして、私の顔を正面から見つめて居た。私が何事をしやべつて居るのか、意味がまるで解らなかつたのである。それから隣のつれを顧み、気味悪さうに目を見合せ、急にすつかり黙つてしまつた。私はテレかくしにニヤニヤ笑つた。次の停車場についた時、二人の紳士は大急ぎで席を立ち、逃げるやうにして降りて行つた。

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到頭或る日、私はたまりかねて友人の所へ出かけて行つた。部屋に入ると同時に、私はいきなり質問した。
  「鉄筋コンクリートつて、君、何のことだ。」

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友は呆気あつけにとられながら、私の顔をぼんやり見詰めた。私の顔は岩礁がんしようのやうに緊張して居た。
  「何だい君。」
  と、半ば笑ひながら友が答へた。
  「そりや君。中の骨組を鉄筋にして、コンクリート建てにした家のことぢやないか。それが何うしたつてんだ。一体。」
  「ちがふ。僕はそれを聞いてるのぢやないんだ。」
  と、不平を色に現はして私が言つた。
  「それの意味なんだ。僕の聞くはね。つまり、その……。その言葉の意味……表象……イメーヂ……。つまりその、言語のメタフイヂツクな暗号。寓意ぐうい。その秘密。……解るね。つまりその、隠されたパズル。本当の意味なのだ。本当の意味なのだ。」

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この本当の意味と言ふ語に、私は特に力を入れて、幾度も幾度も繰返した。

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友はすつかり呆気に取られて、放心者のやうに口を開きながら、私の顔ばかりつめて居た。私はまた繰返して、幾度もしつツこく質問した。だが友は何事も答へなかつた。そして故意に話題を転じ、笑談に紛らさうと努め出した。私はムキになつて腹が立つた。人がこれほど真面目まじめになつて、熱心に聞いてる重大事を、笑談に紛らすとは何の事だ。たしかに、此奴は自分で知つてるにちがひないのだ。ちやんとその秘密を知つてゐながら、私に教へまいとして、わざと薄とぼけて居るにちがひないのだ。否、この友人ばかりではない。いつか電車の中でつた男も、私の周囲に居る人たちも、だれも皆知つてるのだ。知つて私に意地わるく教へないのだ。
  「ざまあ見やがれ。此奴等!」

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私は心の中で友をののしり、それから私の知つてる範囲の、あらゆる人人に対して敵愾てきがいした。何故に人人が、こんなにも意地わるく私にするのか。それが不可解でもあるし、口惜しくもあつた。

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だがしかし、私が友の家を跳び出した時、ふいに全く思ひがけなく、その憑き物のやうな言葉の意味が、急に明るく、霊感のやうにひらめいた。
  「虫だ!」

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私は思はず声に叫んだ。虫! 鉄筋コンクリートといふ言葉が、秘密に表象してゐる謎の意味は、実にその単純なイメーヂに過ぎなかつたのだ。それが何故に虫であるかは、此所ここに説明する必要はない。或る人人にとつて、牡蠣かきの表象が女の肉体であると同じやうに、私自身にすつかり解りきつたことなのである。私は声をあげて明るく笑つた。それから両手を高く上げ、鳥の飛ぶやうな形をして、うれしさうに叫びながら、町の通りを一散に走り出した。『文藝』1937年1月号



 貸家札

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熱帯地方の砂漠さばくの中で、一疋の獅子ししが昼寝をして居た。肢体したいをできるだけ長く延ばして、さもだるさうに疲れきつて。すべての猛獣の習性として、胃の中の餌物えものが完全に消化するまで、おそらく彼はそのポーズで永遠に眠りつづけて居るのだらう。赤道直下の白昼まひる。風もなく音もない。万象ばんしようの死に絶えた沈黙しじまの時。

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その時、不意に獅子が眠から目をさました。そして耳をそば立て、起き上り、緊張した目付をして、用心深く、機敏に襲撃の姿勢をとつた。どこかの遠い地平の影に、彼は餌物を見つけたのだ。空気が動き、万象の沈黙しじまが破れた。

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一人の旅行者――ヘルメツト帽をかぶり、白い洋服をきた人間が、この光景を何所どこかで見て居た。彼は一言の口もかず、黙つて砂丘の上に生えてる、椰子やしの木の方へ歩いて行つた。その椰子の木には、ずつと前から、長い時間の風雨にさらされ、一枚の古い木札がくぎづけてあつた。

貸家アリ。瓦斯ガス、水道付。日当リヨシ。

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ヘルメツトを被つた男は、黙つてその木札をはがし、ポケツトに入れ、すたすたと歩きながら、地平線の方へ消えてしまつた。『いのち』1937年10月号、『シナリオ研究』1937年10月号



 この手に限るよ

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目がめてから考へれば、実に馬鹿馬鹿しくつまらぬことが、夢の中では勿体もつたいらしく、さも重大の真理や発見のやうに思はれるのである。私はかつて夢の中で、数人の友だちと一緒に、町の或る小綺麗こぎれいな喫茶店に入つた。そこの給仕女に一人の悧発りはつさうな顔をした、たいそう愛くるしい少女が居た。どうにかして、皆はそのメツチエンと懇意になり、自分に手なづけようと焦燥した。そこで私が、一つのすばらしいことを思ひついた。少女の見て居る前で、私は角砂糖の一つをつぼから出した。それから充分に落着いて、さも勿体らしく、意味ありげの手付をして、それを紅茶の中へそつと落した。

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熱い煮えたつた紅茶の中で、見る見る砂糖は解けて行つた。そして小さな細かい気泡きほうが、茶碗ちやわんの表面に浮びあがり、やがて周囲のへりに寄り集つた。その時私はまた一つの角砂糖を壺から出した。そして前と同じやうに、気取つた勿体らしい手付をしながら、そつと茶碗へ落し込んだ。その時私は、いかに自分の手際てぎわが鮮やかで、巴里パリ伊達者だてしゃがやる以上に、スマートで上品な挙動にかなつたかを、自分で意識して得意でゐた。茶碗の底から、再度また気泡が浮び上つた。そしてしばらく、真中にかたまり合つて踊りながら、さつと別れて茶碗のへりに吸ひついて行つた。それは丁度、よく訓練された団体遊戯マスゲームが、号令によつて、行動するやうに見えた。
  「どうだ。すばらしいだろう!」
  と私が言つた。
  「まあ。素敵ね!」
  とじつと見て居たその少女が、感嘆おくあたはざる調子で言つた。
  「これ、本当の芸術だわ。まあ素敵ね。貴方あなた。何て名前の方なの?」

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そして私の顔を見詰め、絶対無上の尊敬と愛慕をこめて、その長い睫毛まつげをしばだたいた。是非また来てくれと懇望した。私にしばしば逢つて、いろいろ話が聞きたいからとも言つた。

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私はすつかり得意になつた。そして我ながら自分の思ひ付に感心した。こんなすばらしいことを、何故なぜにもつと早く考へつかなかつたらうと不思議に思つた。これさへやれば、どんな女でも造作なく、自分の自由に手なづけることができるのである。かつて何人も知らなかつた、これほどの大発明を、自分が独創で考へたといふことほど、得意を感じさせることはなかつた。そこで私は、茫然ぼうぜんとしてゐる友人等の方をふり返つて、さも誇らしく、大得意になつて言つた。
  「女の子を手なづけるにはね、君。この手に限るんだよ。この手にね。」

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そこで夢から醒めた。そして自分のやつたことの馬鹿馬鹿しさを、あまりの可笑おかしさに吹き出してしまつた。だが「この手に限るよ。」と言つた自分の言葉が、いつ迄も耳に残つて忘られなかつた。
  「この手に限るよ。」

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その夢の中の私の言葉が、今でも時時聞える時、私は可笑しさにころがりながら、自分の中の何所かに住んでる、或る「馬鹿者フール」の正体を考へるのである。『いのち』1937年10月号


底本:岩波文庫版猫町他十七篇岩波書店、1997年12月5日発行第4刷
底本の親本:萩原朔太郎全集筑摩書房、1976年発行
テキスト入力:ryoko masuda
テキスト校正:浜野 智
青空文庫公開:1999年1月


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変更終了:平成14年8月