秋と漫歩

             萩原朔太郎著



1

四季を通じて、私は秋という季節が一番好きである。もっともこれは、たいていの人に共通の好みであろう。元来日本という国は、気候的にあまり住みよい国ではない。夏は湿気が多く、蒸暑いことで世界無比といわれているし、春は空が低く憂鬱であり、冬は紙の家の設備に対して、寒さがすこしひどすぎる。しかもその紙の家でなければ、夏の暑さがしのげないのだ。日本の気候では、ただ秋だけが快適であり、よく人間の生活環境に適している。

2

だが私が秋を好むのは、こうした一般的の理由以外に、特殊な個人的の意味もあるのだ。というのは、秋が戸外の散歩に適しているからである。元来、私ははなはだ趣味や道楽のない人間である。釣魚つりとか、ゴルフとか、美術品の蒐集しゅうしゅうなどという趣味娯楽は、私の全く知らないところである。碁、将棋の類は好きであるが、友人との交際がない私は、めったに手合せする相手がないので、結局それもしないじまいでいる次第だ。旅行ということも、私はほとんどしたことがない。きらいというわけではないが、荷造りや旅費の計算が面倒であり、それに宿屋に泊ることがいやだからだ。こうした私の性癖を知ってる人は、私が毎日家の中で、すこともない退屈の時間を殺すために、雑誌でもよんでごろごろしているのだろうと想像している。しかるに実際は大ちがいで、私は書き物をする時の外、殆ど半日も家の中にいたことがない。どうするかといえば、野良犬のらいぬみたいに終日戸外をほッつき廻っているのである。そしてこれが、私の唯一の「娯楽」でもあり、「消閑法」でもあるのである。つまり私が秋の季節を好むのは、戸外生活をするルンペンたちが、それを好むのと同じ理由によるのである。

3

前に私は「散歩」という字を使っているが、私の場合のは少しこの言葉に適合しない。いわんや近頃流行のハイキングなんかという、颯爽さっそうたる風情ふぜいの歩き様をするのではない。多くの場合、私は行く先の目的もなく方角もなく、失神者のようにうろうろと歩き廻っているのである。そこで「漫歩」という語がいちばん適切しているのだけれども、私の場合は瞑想めいそうふけり続けているのであるから、かりに言葉があったら「瞑歩」という字を使いたいと思うのである。

4

私はどんな所でも歩き廻る。だがたいていの場合は、市中のにぎやかな雑沓ざっとうの中を歩いている。少し歩き疲れた時は、どこでもベンチを探して腰をかける。この目的には、公園と停車場とがいちばん好い。特に停車場の待合室は好い。単に休息するばかりでなく、そこに旅客や群集を見ていることが楽しみなのだ。時として私は、単にその楽しみだけで停車場へ行き、三時間もぼんやり坐っていることがある。それが自分の家では、一時間も退屈でいることが出来ないのだ。ポオの或る小説の中に、終日群集の中を歩き廻ることのほか、心の落着きを得られない不幸な男の話が出ているが、私にはその心理がよく解るように思われる。私の故郷の町にいた竹という乞食こじきは、実家が相当な暮しをしている農家の一人息子ひとりむすこでありながら、家を飛び出して乞食をしている。巡査が捕えて田舎いなかの家に送り帰すと、すぐまた逃げて町へ帰り、終日賑やかな往来を歩いているのである。

5

秋の日の晴れ渡った空を見ると、私の心に不思議なノスタルジアが起って来る。何処どことも知れず、見知らぬ町へ旅をしてみたくなるのである。しかし前にいう通り、私は汽車の時間表を調べたり、荷物を造ったりすることが出来ないので、いつも旅への誘いが、心のイメージの中で消えてしまう。だが時としては、そうした面倒のない手軽の旅に出かけて行く。即ち東京地図を懐中にして、本所ほんじょ深川の知らない町や、浅草、麻布あざぶ、赤坂などの隠れた裏町を探して歩く。特に武蔵野むさしのの平野を縦横に貫通している、様々な私設線の電車に乗って、沿線の新開町を見に行くのが、不思議に物珍らしく楽しみである。碑文谷ひもんや、武蔵小山こやま戸越とごし銀座など、見たことも聞いたこともない名前の町が、広漠たる野原の真中に実在して、夢に見る竜宮城のように雑沓している。開店広告の赤い旗が、店々の前にひるがえり、チンドン楽隊の鳴らす響が、秋空に高くきこえているのである。

6

家を好まない私。戸外の漫歩生活ばかりをする私は、生れつき浮浪人のルンペン性があるのか知れない。しかし実際は、一人で自由にいることを愛するところの、私の孤独癖がさせるのである。なぜなら人は、戸外にいる時だけが実際に自由であるから。



底本:「猫町 他十七篇」岩波書店、岩波文庫
   1995平成年5月16日第1刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集」筑摩書房
   1976昭和51
入力:大野晋
校正:鈴木厚司
ファイル作成:鈴木厚司
2001年10月11日公開
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