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14.補遺詩篇二
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  〔這ひ松の〕

這ひ松の
なだらのはては雲に消え
息吐ける
阿部のたかしは
がま仙に肖る



  〔われら黒夜に炬火をたもち行けば〕

われら黒夜に炬火をたもち行けば
余燼はしげく草に降り
……みだるゝ鈴蘭の樹液その葉のいかに冴ゆるかも……
その熔くるがごとき火照りに見れば
木のみどり岩のたちまひ
……余燼よしげく草に降り……
たゞならずしていとゞ恐ろし



  プジェー師丘を登り来る

漆など
やうやくに
うすら赤くなれるを
奇しき服つけしひとびと
ひそかに丘をのぼりくる



  〔おしろいばなは十月に〕

おしろいばなは十月に
白き花咲き実を結ぶなり
その草に降る日ざしのなかに
おしろひばなはあわたゞしくも



  〔アークチュルスの過ぐるころ〕

アークチュルスの過ぐるころ
本堂の縁側にて、
月光にあたり居しに
わが爪に魔が入りて
むらさきにかゞやきに出でたり



  〔小き水車の軸棒よもすがら軋り〕

小き水車の軸棒よもすがら軋り
そらは藍いろの薄き鋼にて張られしかば
たとへその面を寒冷の反作用漲るとも
裂罅入らんことはありぬべし



  〔線路づたひの 雲くらく〕

線路づたひの
雲くらく
きつねのさゝげ
黄のはな咲けり



  〔病みの眼に白くかげりて〕

病みの眼に白くかげりて
白菜のたばはひかるゝ
荒れし手に銭をにぎりて
わが母のさびしきかなや



  〔いなびかり雲にみなぎり〕

いなびかり雲にみなぎり
みちはこれま青き運河

みじろがず雪より白く
鬼百合の花はいかれり



  〔わが父よなどてかのとき〕

わが父よなどてかのとき
舎監らの前を去るとき
銀時計捲きたりしや

左端にて足そべらかし
体操の教師とかいふ
かの舎監わらひしものを

盛岡は今日人なきや
なんぞこの春のしづけさ

あな父よかの舎監長
求めよと云ひしラムプや
バケツなどこの店にあり



  ある恋

なんだこの眼は 何十年も見た眼だぞ
昨日も今日も問ひ答へしたあの眼だぞ
向ふもぢっと見てゐるぞ
清楚なたましひたゞそのもの



  〔他の非を忿りて数ふるときは〕

他の非を忿りて数ふるときは
さながら大なる鬼神のごとく
わづかに身の非を思へるときは
母そのうなゐを見るにも似たり



  ロマンツェロ

あななつかしや なつかしや
こは毘沙門のおん矢なれ
天の功徳のそが故に
事とてならぬ年なくて
はや身は老ひし七十路の
すでにこゝろのたかぶりて
諸仏菩薩をあなづりて
悪道近きをあはれみまして
射て見たまひしおんかぶらやなり



  〔この夜半おどろきさめ〕

この夜半おどろきさめ
耳をすまして西の階下を聴けば
あゝまたあの児が咳しては泣きまた咳しては泣いて居ります
その母のしづかに教へなだめる声は
合間合間に絶えずきこえます
あの室は寒い室でございます
昼は日が射さず
夜は風が床下から床板のすき間をくゞり
昭和三年の十二月私があの室で急性肺炎になりましたとき
新婚のあの子の父母は
私にこの日照る広いじぶんらの室を与へ
じぶんらはその暗い私の四月病んだ室へ入って行ったのです
そしてその二月あの子はあすこで生れました
あの子は女の子にしては心強く
凡そ倒れたり落ちたりそんなことでは泣きませんでした
私が去年から病やうやく癒え
朝顔を作り菊を作れば
あの子もいっしょに水をやり
時には蕾ある枝もきったりいたしました
この九月の末私はふたゝび
東京で病み
向ふで骨にならうと覚悟してゐましたが
こたびも父母の情けに帰って来れば
あの子は門に立って笑って迎へ
また階子からお久しぶりでごあんすと声をたえだえ叫びました
あゝいま熱とあえぎのために
心をとゝのへるすべをしらず
それでもいつかの晩は
わがなぃもやと云ってねむってゐましたが
今夜はたゞたゞ咳き泣くばかりでございます
あゝ大梵天王こよひはしたなくも
こゝろみだれてあなたに訴へ奉ります
あの子は三つではございますが
直立して合掌し
法華の首題も唱へました
如何なる前世の非にもあれ
たゞかの病かの痛苦をば私にうつし賜はらんこと

★本文25行目[ごあんす]の[ん]は小文字。



  〔聖女のさましてちかづけるもの〕

聖女のさましてちかづけるもの
たくらみすべてならずとて
いまわが像に釘うつとも
乞ひて弟子の礼とれる
いま名の故に足をもて
われに土をば送るとも
わがとり来しは
たゞひとすぢのみちなれや



  〔雨ニモマケズ〕

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ



  〔くらかけ山の雪〕

くらかけ山の雪
友一人なく
たゞわがほのかにうちのぞみ
かすかなのぞみを托するものは
麻を着
けらをまとひ
汗にまみれた村人たちや
全くも見知らぬ人の
その人たちに
たまゆらひらめく



  〔仰臥し右のあしうらを〕

仰臥し右のあしうらを
左の膝につけて
胸を苦しと合掌し奉る
忽ち
われは巌頭にあり
飛瀑百丈
我右側より落つ
幾条の曲面汞の如く
亦命ある水の如く
落ちては
■々轟々として
その脚を見ず
わが六根を洗ひ
毛孔を洗ひ
筋の一一の繊維を濯ぎ
なべての細胞を滌ぎて
清浄なれば
また病苦あるを知らず
われ恍として
前渓に日影の移るを見る

★本文11行目[■々]の[■]は、サンズイにツクリは[堂]。



  月天子

私はこどものときから
いろいろな雑誌や新聞で
幾つもの月の写真を見た
その表面はでこぼこの火口で覆はれ
またそこに日が射してゐるのもはっきり見た
后そこが大へんつめたいこと
空気のないことなども習った
また私は三度かそれの蝕を見た
地球の影がそこに映って
滑り去るのをはっきり見た
次にはそれがたぶんは地球をはなれたもので
最后に稲作の気候のことで知り合ひになった
盛岡測候所の私の友だちは
−−ミリ径の小さな望遠鏡で
その天体を見せてくれた
亦その軌道や運転が
簡単な公式に従ふことを教へてくれた
しかもおゝ
わたくしがその天体を月天子と称しうやまふことに
遂に何等の障りもない
もしそれ人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに

しかればわたくしが月を月天子と称するとも
これは単なる擬人でない

★本文14行目[−−]は、全角2文字分の棒線。(このテキストでは[−(マイナス)]を使用のため、縦書きにすると雰囲気がつかめません。)



  〔鱗松のこずゑ氷雲にめぐり〕

鱗松のこずゑ氷雲にめぐり
秋草めぐりシグナルめぐれば
萓どての上に
写生する
よきおかっぱの子二人あり



  小作調停官

西暦一千九百三十一年の秋の
このすさまじき風景を
恐らく私は忘れることができないであらう
見給へ黒緑の鱗松や杉の森の間に
ぎっしりと気味の悪いほど
穂をだし粒をそろへた稲が
まだ油緑や橄欖緑や
あるひはむしろ藻のやうないろして
ぎらぎら白いそらのしたに
そよともうごかず湛えてゐる
このうち潜むすさまじさ
すでに土用の七日には
南方の都市に行ってゐた画家たちや
ableなる楽師たち
次々郷里に帰ってきて
いつもの郷里の八月と
まるで違った緑の種類の豊富なことに愕いた
それはおとなしいひわいろから
豆いろ乃至うすいピンクをさへ含んだ
あらゆる緑のステージで
画家は曾って感じたこともない
ふしぎな緑に眼を愕かした
けれどもこれら緑のいろが
青いまんまで立ってゐる田や
その藁は家畜もよろこんで喰べるではあらうが
人の飢をみたすとは思はれぬ
その年の憂愁を感ずるのである



  県技師の秋稲に対するレシタティヴ

電線には蜘蛛の糸がはられ
桜には青い−−がすると云っても
つめたい電柱の碍子の過ぎや
〔以下空白〕

★本文2行目[−−]は、全角2文字分の棒線。(このテキストでは[−(マイナス)]を使用のため、縦書きにすると雰囲気がつかめません。)



  〔丘々はいまし鋳型を出でしさまして〕

丘々はいまし鋳型を出でしさまして
いくむらの湯気ぞ漂ひ
蛇籠のさませし雲のひまより
白きひかりは射そゝげり
さてはまた赤き穂なせるすゝきのむらや
Black Swanの胸衣ひとひら
雲の原のこなたを過ぎたれ
ことし緑の段階のいと多ければと
風景画家ら悦べども
みのらぬ青き稲の穂の
まくろき森と森とを埋め
〔二字空白〕のさまの雲の下に
うちそよがぬぞうたてけん
あゝ野をはるに高霧して
イーハトヴ河
ましろき波をながすとや



  〔盆地をめぐる山くらく〕

盆地をめぐる山くらく
わづかに削ぐ青ぞらや
稲は青穂をうちなめて
露もおとさぬあしたかな



  〔topazのそらはうごかず〕

topazのそらはうごかず
峡はいま秋風なくて
互の目なる小き苗代
ましろなる水を湛えて
をちこちに稲はうち伏し
その穂並あるひはしろき
またブリキのいろなせる
蓮華には白き花さき
はるばると電柱は並み
はてにしてうちひらめける
温石の青き鋸
いと小き軽便の汽車
ほぐろなるけむりをはきて
ことことと峡をのぼれる
丘々のすゝきも倒れ
蘆の葉ぞひとり鋭き
このときぞろぞろと軽鉄過ぎ
卵を日にすかし見る
鉄道役員とも見ゆる人や
さては四人の運送屋
同じき鋭きカラつけて
何かはしらずほくそえみ
わらひて行けるものもあり



  〔白く倒れし萓の間を〕

白く倒れし萓の間を
一つらの溌溂たる鮎と
トマトの籠よき静物をたづさえて
みづからの需要によるといふに非ずして
たゞもて銭にかへんとて
秋の風を行くめる



  〔わが雲に関心し〕

わが雲に関心し
風に関心あるは
たゞに観念の故のみにはあらず
そは新なる人への力
はてしなき力の源なればなり



  〔われらぞやがて泯ぶべき〕

われらぞやがて泯ぶべき
そは身うちやみ あるは身弱く
また 頑きことになれざりければなり
さあらば 友よ
誰か未来にこを償え
いまこをあざけりさげすむとも
われは泯ぶるその日まで
たゞその日まで
鳥のごとくに歌はん哉
鳥のごとくに歌はんかな
身弱きもの
意久地なきもの
あるひはすでに傷つけるもの
そのひとなべて
こゝに集へ
われらともに歌ひて泯びなんを



  〔ねむのきくもれる窓をすぎ〕

ねむのきくもれる窓をすぎ
稲みなその穂を重げなり



  〔かくばかり天椀すみて〕

かくばかり天椀すみて
緑なる朝のなかを
馬ひきて重き荷かたげ
さては白き麻の上着に
寛雅なる恋をかたりて
ひとこゝをすぐると云へや



  医院

つたもからませ
ちゃぼひばも植え
小屋にはガラスもはめた
「ひごろにわれも東洋の」
〔以下空白〕



  〔樺と楢との林のなかに〕

樺と楢との林のなかに
大なる陰影の方室を
含みたるごときものあり
青き穂そのうれをそろへ
日はさながら小き鱗なせるごときありしか



  〔黒緑の森のひまびま〕

黒緑の森のひまびま
青き稲穂のつらなりて
そら青けれど
みのらぬ九月となりしを
あまりにも咲き過ぎし
風にみだれて
あるひは曲り
あるは倒れし
Helianthus Gogheanaかな



  〔見よ桜には〕

見よ桜には
おのおの千の位置ありて
青々と日にかゞやけるあり



  〔よく描きよくうたふもの〕

よく描きよくうたふもの
なにとてかくは身よはきぞと



  〔鎧窓おろしたる〕

鎧窓おろしたる
車室の夢のなかに
乱世のなかの
西郷隆盛のごときおももちしたるひとありて
眉ひそめし友の
更に悪き亀のごとき眼して
暑さと稲の青きを怒れり
洋傘の安き金具に日は射して
貴紳のさまして
鎧窓の下を旅し
淡くサイダーの息はく
をのこぞあはれなり
そこに幾ひら雲まよひ
そこにてそらの塵沈めるを
二時水あぐるてふ樋の
みのらぬ稲に影置ける
また立えりのえり裏返し
学生ら三四を連れ
肩いからして行けるものあり



  〔気圏ときに海のごときことあり〕

気圏ときに海のごときことあり
ひとときにふぐの如き権勢をなすことあり
ことにその人たてがみあれば
ふぐのなかまの獅子とも見ゆれ



  〔徒刑の囚の孫なるや〕

徒刑の囚の孫なるや
大なる鎌をうちかたぎ
青ぞらをこそ濶歩し来れる



  〔九月なかばとなりて〕

九月なかばとなりて
やうやくに苹果青のいろなせる稲の間を
農事試験場三十年の祭見に行くといふ人々に伴ひて
あしたはやく急ぎ行きしに
蜂の羽の音しげく
地平のはてに汽車の黒きけむりして
エーテルまたはクロヽフォルムとも見ゆる
高霧あえかに山にかゝりき



  〔高圧線は こともなく〕

高圧線は こともなく
けはしき霧に 立ちたれど
碍子の数は いかめしき
電話の線を あなづりて
丁場丁場の 尺ごとに
蜘蛛その網を はりわたし
あきつの翅と 霧をもて
あしたあやしく かゞやきにけり



  〔苹果青に熟し〕

苹果青に熟し
またはなほに青い
試験の稲の十のポットや
エナメルにて描ける
グラスの板の前に
物説くさまに腰かけて
空気は夜を淡くにごり
燈やゝにうみしころ
楚々として試験の稲の説明を読み
楚々として過ぎたる乙女



  〔南方に汽車いたるにつれて〕

南方に汽車いたるにつれて
何ぞ泣くごとき瞳の数の多きや
そは辛酸の甚しきといふのみにはあらず
北方に自然のなほ愍むるものあり
南方にたゞ人の冷きあるのみ



  〔妹は哭き〕

妹は哭き
兄は小松の梢を見き



  〔かくてぞわがおもて〕

かくてぞわがおもて
いやしくものはみあげつらふ
テートの類に劣るといふや
しかくぞつひに定まりて
われまたこれをうべがへば
わが世をあげて癒ゆるなき
今日のこの日にわざわいあれ
麦は黄ばみてすでに熟れ
雲はあらたなる雨をもてくればと
ひとびと祝しよろこべども
われにはなべてことならね



  〔物書けば秋のベンチの朝露や〕

物書けば秋のベンチの朝露や
コンクリートの裏玄関の
女看視のつむりあらはれ
鍵もてひらけば二人なり
すでにひらけし
表戸のまっ正面の街路をば
撒水車白き弓して水まきくる



  〔融鉄よりの陰極線に〕

融鉄よりの陰極線に
なかば眼を癈しつゝ
薄暮とさびしき竹の風のなかに
耳を尖らしうちゐる技師の
まこと不遇にあらざりせば
畳まざるらんあやしき皺
嘲けるごとくその唇を囲みたらずや



  〔さあれ十月イーハトーブは〕

さあれ十月イーハトーブは
電塔ひとしく香氛を噴く
雲ひくくしてひかると云はゞ
なほなれ雲に関心するやと
闘ひ勇める友らそしらん

  ……えならぬかほりときめくは
    いかなる雲の便りぞも……
白服は
八月に一度洗って
またうすぐらくすゝけたし
二百二十日を過ぎたのに
稲は青くて立ってるよ



  〔かのiodineの雲のかた〕

かのiodineの雲のかた
三番廐に用ありと
おとめはさきに行きけるを
いまこの道をもどり来て
柳の絮はしきりに飛び
松の風鳴れども
おとめが去りしかなたには
雲ひっそりと音もなく
山の茶褐の脈の上を
雲影次次すべり行けり。
あゝ俄かにもその緑なる
まぐさの丘の天末線より
赤又青の巾したる
おみな鎌をたづさへて
あらはれ出でぬ



  〔朝日は窓よりしるく流るゝ〕

朝日は窓よりしるく流るゝ
朝日を受た
巾もてかしらをつゝめる子
中学生らのなかにまじりて
いとあえかに心みだるゝさまなり

人うち倦みて窓よりは
塵を射込せる光の棒を
その子はやくつかれしか
ぼんやりとして前を見る



  〔雲影滑れる山のこなた〕

雲影滑れる山のこなた
樺の林のなかにして
黒きはんかち頸に巻きし
種畜場の事務員と
エプロンつけしその妻と
楊の花のとべるがなかに
まぶしげに立ちてありしを
赤靴などはき
赤き鞄など持ち
また炭酸紙にて記したる
価格表などたづさえて
わが訪ひしこそはづかしけれ
今年はすでに予算なければ
来年などと云ひしこと、
山にては雲かげ次々すべり
楊に囲まれし
谷の水屋絶えずこぼこぼと鳴れるは
げにわがいかなるこゝろにて
訪はゞ心も明るかりけん。



  〔朝は北海道の拓植博覧会へ送るとて〕

朝は北海道の拓植博覧会へ送るとて
標本あまたたづさえ来り
それが硬度のセメントに均しく
色彩宇内に冠たりなど
或はこれがひろがりは
大連蠣殻の移入を防遏すべき点
殊に審査を乞ふなどと
やゝ心にもなきこと書きて
県庁を立ち出でたりけるに
ときに小都を囲みたる
山山に雲低くして
木々泣かまほしき藍なりけるを
出でて次々米搗ける
門低き家また門広く乱れたる
家々を
次より次とわたり来り
おのもにまことのことばもて
或はことばやゝ低く
或は闘ふさまなして
二十二軒を経めぐりて
夕暮小都のはづれなる
小き駅にたどり来れば
駅前の井戸に人あまた集り
黒き煙わづかに吐けるポムプあり
余りに大なる屈たう性は
むしろ脆弱といふべきこと
禾本の数に異らずなど
こゝろあまりに傷みたれば
口うちそゝぎいこはんと
外の面にいづればいつしか
ポムプことこととうごきゐて
児らいぶかしきさまに眉をひそめみる
「この水よく呑むべしや」と戯るゝに
〈通〉のはんてん着たる
肩はゞ広きをのこ立ちありて
「何か苦しからんいざ召たまへ」とて
蛇管の口をとりてこれを揚げるに
水いと烈しく噴きて児ら逃げ去る
すなはち笑みて掬はんとするに
時に水すなはちやめり
をのこ
「こは惜しきことかな
いま少し早く来り給はゞ」
といと之を惜むさまなり
われすなはち
とみに疲れ癒え
全身洗へるこゝちして立ち
雲たち迷ふ青黒き山をば望み見たり
そは諸仏菩薩といはれしもの
つねにあらたなるかたちして
うごきはたらけばなり

★本文34行目[〈通〉]の表記は、[○]の中に[通]の文字が入っている。



  〔青ぞらにタンクそばたち〕

青ぞらにタンクそばたち
容量を一〇〇と名乗りつ
青き旗せはしく振られ
杉の影ひたにうつれば
杉たてる丘のかなたに
かの川のうち流るらし
かの丘のかなたのそらに
工場長いまかもひとり
広き肩日射しに張りて
たよりなくさまよひすらん
さてはまた竹うち生ふる
かの崖の上をもとほり
発破長の伊藤工手が
煙硝のけむりのたえま
いと渋くほゝえみぬらん



  〔このとき山地はなほ海とも見え〕

このとき山地はなほ海とも見え
Tourquoiseのそらははてしなくひろがりいき
谷を覆へる杉むらの
〔以下空白〕



  〔黄と橙の服なせし〕

黄と橙の服なせし
唐子に似たるひとりの児
桜ともアカシヤともつかぬ
奇怪なる木のま下より
こぼるゝごとくに立ち出づる



  〔中風に死せし新 が〕

中風に死せし新〔一字空白〕が
かってこゝらの日ざしのなかの
蕗の茎たつ長方形の草地をば
みなことごとに截りとりて
広軌にせんと云ひしとか



  〔雪のあかりと〕

雪のあかりと
杉の房の下にして
黄のあらかべの小屋の軒近く
泯びし手工業ハンデクラフトのなごりとばかり
むかしはさこそなしにけん
いとやと染めし一尺の
紺ののれんを巻きにけり
桑の条ひかりてのびる



  〔丘にたてがみのごとく〕

丘にたてがみのごとく
ひのきたちならべる



  〔梢あちこち繁くして〕

梢あちこち繁くして
氷雲の下に織りたるは
やどりぎかとも見えたれど
その黒くして陰気なる
緑金いろをなさざるは
この丘なみの樺の木の
天狗巣群とおぼゆなれ



  〔はるばると白く細きこの丘の峡田に〕

はるばると白く細きこの丘の峡田に
施さん石灰抹を求むとて
さびしくわれの今日旅する



  〔そゝり立つ江釣子森の岩頸と〕

そゝり立つ江釣子森の岩頸と
枝みだれたる雪の松
枝すぐならぬ雪の松
そらのけぶりにうちみだれ
か黒き針を垂るゝとか

  余りに大なる屈撓性は
  無節操とぞそしられぬ
  県官をとはんとて
  今日わがひとり行けば
  電線あやふく雲に上下し
  保線工夫のひとびとの
  空きし車室のかたすみに
  さびしくもだして腰掛くる



  〔たまたまに こぞりて人人購ふと云へば〕

たまたまに
こぞりて人人購ふと云へば
夜もねむらずたかぶれる
わがこゝろこそはかなけれ
さあれば今日は人なべて
情なきさまにうち笑みて
松うちゆする雨ぞらに
さびしくそぼちわが立てば
つかれやぶれし廃駅の、
はかなき春を金巾の、
黄格子縞の外套と
大人のさまに頬かぶれる
児をつれ行ける母もあり



  〔光と泥にうちまみれ〕

光と泥にうちまみれ
わづかに食めるひとびとを
ひとひ機械のとゞろきに
石うち砕くもろびとの
手なるわづかの食みものを
けづりて老いてさらばへる
嫗にこそは与へしは
われはひとりの鬼なれや



  〔水路を一つすぽんととんでふりかへり〕

水路を一つすぽんととんでふりかへり
水いろをした試験の稲に
申し訳けだけちょっとさわってやれば
〔以下空白〕



  〔奥中山の補充部にては〕

奥中山の補充部にては
どてはるばるとめぐらせる
ラリックスのうちに
青銅いろして
その枝孔雀の尾羽根のかたちをなせる
変種たしかにあり



  〔朝ごとに見しかの丘も〕

朝ごとに見しかの丘も
いまははるかのみどりにて
雨さへ窓をうちたれば
きみがまちとて見えわかず

去りしがゆゑにひとつきの
つとめおはりていまきみの
しばしはこゝろやすらはん
そのことわれにいとかなし



  鮮人鼓して過ぐ

肺炎になってから十日の間
わたくしは昼もほとんど恍惚とねむってゐた
さめては息もつきあえず
わづかにからだをうごかすこともできなかったが
つかれきったねむりのなかでは
わたくしは自由にうごいてゐた
まっしろに雪をかぶった
巨きな山の岨みちを
黄いろな三角の旗や
鳥の毛をつけた槍をもって
一列の軍隊がやってくる



  〔あゝそのことは〕

あゝそのことは
どうか今夜は云はないで
どうか今夜は云はないでください
半分焼けてしまった肺で
からくもからくも
炭酸を吐き
わづかの酸素を仰ぐいま、
どうしてそれがきめられませう
あゝそのことは
健康な十年の思索も
ついに及ばぬものなのです
その爆弾が
わたくしの頭の中でまっしろに爆発すれば
そこに湧くはげしい熱や
血を凍らせる悪瓦斯を
もうわたくしははきだすことも
洗ひ去ることもできないのです


  〔雨が霙に変ってくると〕

雨が霙に変ってくると
室はよどんで黄いろにくらく
仰いでさびしく息すれば
おゝまた左肺よ左肺のなかに
にごったルビーの洋燈がともる



  〔穂を出しはじめた青い稲田が〕

穂を出しはじめた青い稲田が
つかれのなかに匆忙と消え
縮れてひかる七月の雲や
組合小屋の亜鉛のやねから
さわやかなrice marshのひるすぎを
町へ芝居の脚本をとりに行く
組合主事は更鶴声と名のり
傘松やはやくもわたる秋の鳥
あるひははるかなかすみのはてに
あいなくそびえる積雲の群
まっしろなそらと
いま穂を出したすゝきの波と
B.Gant Destupagoは大きな黒の帽子をかぶり
Faseloはえりおりの白いしゃつを着て
rakeをかついであとから行く
酸性土壌で草も育たぬのに
小松はたいへん荒っぽく
その針痛い野はらです
あゝひるすぎのつかれのなかに
むしろ寒天風にもけぶり
むしろ液体状にも青く
膠朧として過ぎて行く
線路の岸の萓むらです



  〔雨すぎてたそがれとなり〕

雨すぎてたそがれとなり
森はたゞ海とけぶるを



  〔島わにあらき潮騒を〕

島わにあらき潮騒を
うつつの森のなかに聴き
羊歯の葉しげき下蔭に
青き椿の実をとりぬ

  南の風のくるほしく
  波のいぶきを吹き来れば
  百千鳥 すだきわぶる

三原の山に燃ゆる火の
なかばは雲に鎖されぬ



  〔二日月かざす刃は音なしの〕

二日月
 かざす刃は音なしの
 みそらも二つと切りさぐる
          その竜の介

日は落ちて
   鳥はねぐらにかへれども
    ひとはかへらぬ修羅の旅



  耕母黄昏

カゼタチテ コダチサワギ
トリトビテ クレヌ
コラヨマタン イザカヘレ
ユフゲタキテ ヤスラハン

カゼタチテ ホムギサワギ
クモトビテ クレヌ
コラヨマタン イザカヘリ
ユフゲタキテ イコヒナン




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変更箇所
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  行間処理:行間180%
  段落処理:形式段落ごとに<P>タグ追加
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成14年2月