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三原三部
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  三原 第一部
                    一九二八、六、一三、

ぼんやりこめた煙のなかで
澱んだ夏の雲のま下で
鉄の弧をした永代橋が
にぶい色した一つの電車を通したときに
もうこの船はうごいてゐた

     しゅんせつ船の黒い函
     赤く巨きな二つの煙突
     あちこちに吹く石油のけむり
     またなまめかしい岸の緑の草の氈


     この東京のけむりのなかに
     一すじあがる白金ののろし
        東は明るく
     幾箇はたらくその水平な鉄の腕
うづまくけむりと雲の下
浜の離宮の黒い松の梢には
鶴もむれまた鵝もむれる
     きらきら光って
     船から船へ流れて落ちる黒炭の屑
     へさきの上でほのほも見えずたかれる火

 西はいま黒鉛のそら
 いくすじひかる水脈のうね
 ガスの会社のタンクとやぐら
 しづかに降りる起重機の腕




中の台場に立つものは
低い燈台四本のポール
三角標にやなぎとくるみ
緑の草は絨たんになり
南面はひかる草穂なみ
 その石垣のふもとには
 川から棄てた折函や・・・

 向ふからいまひかって来るのは
 小く白いモーターボートと
 ひきづなにつゞく
        九隻の汽船

次の台場は草ばかり
またその次は草も剥ぎ
黄土あらはに楊も見えず
うしろはけぶる東京市
ことにも何か・・・の
その灰いろの建物と
同じいいろの煙突そらにけむりを吐けば
   そのしたからもくろけむり


早くも船は海にたちたる鉄さくと
鉄の門をば通り抜け
日光いろの泡をたて
アクチノライトの水脈をも引いて
砒素鏡などをつくりはじめる
   品川の海
   品川の海

甘ずっぱい雲の向ふに
船もうちくらむ品川の海
海気と甘ずっぱい雲の下
なまめかしく青い水平線に
日に蔭るほ船の列が
夢のやうにそのおのおののいとなみをする

……南の海の
     南の海の
     はげしい熱気とけむりのなかから
     ひらかぬまゝにさえざえ芳り
     つひにひらかず水にこぼれる
     巨きな花の蕾がある……



  三原 第二部
                    一九二八、六、一四、

かういふ土ははだしがちゃうどいゝのです
噴かれた灰が・・・のメソッドとかいふやうなもので
気層のなかですっかり篩ひわけられたので
こゝらはいちめんちゃうど手頃な半ミリ以下になってゐて
礫もなければあんまり多くの膠質体もないのです
それで腐植も適量にあり
荳科のものがひとりで大へん育つところを考へますと
石灰なども決して少くないやうすです
燐酸の方はこれからだんだんわかります
たゞ旱害がときどき来るかもしれません
けれどもそれもいはゆる乾燥地農法ドライフアーミングでは
ほとんど仲間に入らないかもしれません
まあ敷草と浅土層ソイルマルチをつくること
この二つが一ばん手ごろとおもひます
つまりはげしい日でりのなかで
十ミリ雨が降ったとき、
(何ミリ降ったかそれはたとへば小屋コツトの屋根の平坪と
 貯水タンクの底面積を比較して
 その係数をだして置き
 タンクの水の増量を見てもわかります)
またすぐ日が照りだしたりすると
この十ミリは全く土の深い方には届かずに
わづかに表部の根を刺戟して
いままでなれたそのつゝましい蒸散を
俄かに拡大したまゝで
水がそのまゝ蒸発すれば
植物体はあとで却って弱ることさへあるのです
そのときもしもかういふふうな浅土層ソイルマルチをつくるなら
その水湿は蒸発せずに
徐々に深部に浸み通り
夜分にかけてよく植物を養ひませう
いったいかういふ砂質サンデー
割合深い土壌では
ひるの間はすっかり土も乾いたやうに見えてゐて
朝にはすっかり湿ってゐるのが普通です
それは土壌が一方毛管作用によって
底の方から水をとってはゐるのですが
ひるはそいつが蒸発分を補ふことができないで
夜には余りあるのです
若しも昼にもソイルマルチや敷藁や
あるひは日蔭を与へることで
二つの相償させますならば
一晩ぐらゐの雨さへあれば
そのあと二十日やそこらは大低困りません
雑草ですか いゝえそいつはちがひます
草は日蔭はつくっても
一方自分がごく精巧な一つの蒸散器官でせう
つまり自分が土壌の深くに吸引性の支店をもった
たこ配当の銀行などと同じことです
あなたの大事の預金をふいにしたといふ
さういふ風の銀行ですな
それではひとつやりませう
縄を向ふへ張ってください
そらかうですよ
ずゐぶん働きやすい土です
北上川の岸の砂地と同じことです
すぐうしろからさっきの肥料を入れてください
えゝ それぐらゐ、そんなふうです
肥料はいちばんむらのないのがいゝんです
それではそれをかういふ風に耡きこみますよ
それから上を
ごくしっかりと叩きつけます
ぼさぼさ堀って、ことに堆肥をしきこんで
乾いたまゝへいきなり種子を蒔きますと
水の不足でよほど発芽に難儀をします
さっきのやうに深いとこから吸ひあげるまで
かういふ風にしっかり叩いて置くのです
これでとにかく一畦やっとできましたから
こゝにはちしゃを播きませう
むらが少しもできないやうに
もう何べんにもごく叮寧に播くのです
あなたはそっちを播いてください
むらなところは吹いてください
またたなごころでまぶしてもようございます
大事な種子は箱か鉢かへ播きつけますが
一つぶ一つぶ小さな棒に水をつけて
ならべることもありますし
鳥の羽などで一めんまぶすこともあります
結局種子と種子の間が
相当きまってはなれてゐればいゝのです
それでは土をかけませう
土の厚さは種子の厚さの三倍あたりが原則ですが
かういふ軽い土ならもっとかけて置きます
いったい種子の発芽には
温熱水湿酸素の三つが要りますが
地表は酸素と熱には多く
深部は湿りが大きいために
土性とそれから気候によってこれら三つの調和の点を求めるのです
非常な旱魃続きのときに
巨きな粒の種子を播きつけしますには
アメリカンインデアンの式をとります
棒で三寸或は五寸も穴をあけ
中に二つぶぐらゐもまいて
わづかに土を投げて入れます
播く前種子を水に漬けるか漬けないか
それは天気とあとの処理とに従ひませう
もしもそのとき雨か或は雨が近くて
発芽がすぐにできますときは
一晩乃至二昼夜ぐらゐ
種子をきれいな水につけます
けれどもちゃうど今日のやうな日
いつまた雨が来るとも知れず
水をかけたりできないときは
むしろ乾いたまゝで播き
雨が来るのを待ちませう
それではどうぞ縄を向ふへ向けてください




こんどは所謂この農園の装景といふことをしませう
まづ第一にこの庭さきのみづきがあんまり混んでゐて
おまけに桜や五葉松までぎっしりで
大へん狭く苦しい感じがしますから
これをきれいに整理しませう
この木がぜんたいいちばん高くて乱暴です
まるでチーズのやうに切れます
さあではあなたも切ってください
それですそれですその木です
あゝ鋸を土につけてはいけませんなあ
刃がすぐすたってしまひます
たぶんあなたのちいさい時分
木小屋かどこかのひるすぎごろに
誰かゞひとりでしづかにそんな鋸の
目をたてたのをおぼえてませう
ああいふにしてしじゅう大事にするのです
それで結構向ふの樺も伐ってください
木立はいつでも一つの巨きなマッスになるか
さうでなければ一本一本幹から葉まで
見分かるやうになってゐないといけません
大へんそれでよくなりました
その木の二本の幹のうち
右手の方も伐ってください
そしたらひとつこゝから向ふをごらんください
そこらはみづきのうすい赤からアップルグリン
それもうしろはだんだん高く
喪神青になってゐて
向ふが暗い桜の並木
そのまたうしろがあの黒緑な松の梢
すなはちこれが一つの緑の段階で
近代的な浄化過程を示します
そしてうしろがあのかゞやかなタキスの天と
せわしくふるふあの銀いろの微塵です
そこでこんどはこれらの木立の下草に
月光いろのローンをつくるといたしませう
すなはちあすこの松や椿や
羊歯の小暗いトンネルを
どてからこっちへはいって来ると
みづきと桜のあの緑廊になりませう
そこもやっぱり青ぐらく
緑と紫銅のケールの列や
赤いコキヤのぼたんを数へ
しづかにまがってこゝまで来れば
小屋は窓までナスタシヤだの
まっ赤なサイプレスヴァインだの
ぎらぎらひかる花壇で前をよそほはれ
つかれたその眼をめぐらせば
ふたゝびさやかなこの緑色を見るでせう
これだけでまだ不足なら
さっきのみづきと畑のへりの梓をすこうし伐りとって
こゝへ一っつ 六面体の
つたとあけびで覆はれた
茶亭をひとつ建てませう
梓はどの木も枝を残し
停車場などのあのYの字の柱にし
みづきの方は青い網にもこしらえませう



  三原 第三部
                   一九二八、六、一五、

黒い火山岩礁に
いくたびいくたび磯波があがり
赤い排気筒の船もゆれ
三原も見えず
島の奥も見えず
黒い火山岩礁に
いくたびいくたび磯波が下がり
  ……風はさゝやき
    風はさゝやき……
波は灰いろから
タンブルブルーにかはり
枯れかかった磯松の列や
島の奥は蛋白彩の
けむりはあがり
いちめんapple greenの草はら
  ……それをわたくしは
    あの林のなかにも企図して来た……
狂ったかもめも波をめぐり
昨日座ったあの浜べでは
牛が幾匹しづかに
海霧のなかに草をはみ
奥地は霧の
奥地は霧の
もうこの船は・・・・の燈台を見ます
暗い雲にたった    の崎の燈台を見ます




いまわたくしは眼をさまして窓の外を見ましたら
船はもうずうっとおだやかな夕がたの海の上をすべってゐて
すぐ眼の前には緑褐色の平たい岬が
  ……よくあちこちの博覧会の模型に出る
一つの灰いろの燈台と
信号の支柱とをのせて横はって居りました
それは往くときの三崎だったとわたくしはおもひ
あの城ヶ島がどれであるかを見やうとして
しさいに瞳をこらしましたが
それはなれないわたくしには
崎と区別がつけられないだけ
うしろになって居りまして
たゞどんよりと白い日が
うしろのそらにかかって居り
却って淡い富士山が
案外小さく白い横雲の上に立ちます
わたくしはいま急いではね起きて
この甲板に出て来ますと
  ……福島県


なぜわたくしは離れて来るその島を
じっと見つめて来なかったでせう
もういま南にあなたの島はすっかり見えず
わづかに伊豆の山山が
その方向を指し示すだけです
たうたうわたくしは
いそがしくあなた方を離れてしまったのです




富士にはうすい雪の条があって
その下では光る白い雲が
平らにいちめんうごいて居り
上にはたくさんの小さな積雲が
灰いろのそらに立って居ります
これはもう純粋な葛飾派の版画だ
わたくしも描かうとひとりでわたくしは云ひました




三崎も遠く
かいろ青のそらの条片と雲のこっちにうかび
日がいまごろぼんやり雲のなかから出て
うすい飴いろの光を投げて居ります
それはわたくしの影を
排気筒の白いペンキにも投げます




もううしろには模型のやうな小さな木々や
崖のかたちをぼんやり見せた
安房の山山も見えてゐますし
わたくしの影はいま
パイプをはなれて
うしろの船室への入口の壁に
てすりといっしょにうつってゐます
それから富士の下方の雲は
どんどん北へながれてゐて
みんなまっかな瑪瑙のふうか
またごく怪奇なけだもののかたまりに変ってゐます
  ……甲板の上では
    福島県の紳士たちが
    熱海へ行くのがあらしでだめだとつぶやいて
    いろいろ体操などをやります……
おゝあなた方の上に
何と浄らかな青ぞらに
まばゆく光る横ぐもが
あたかも三十三天の
パノラマの図のやうにかゝってゐることでせう




日はいま二層の黒雲の間にはいって
杏いろしたレンズになり
富士はいつしか大へん高くけわしくなって
そのまっ下に立って居ります


      一隻の二とんばかりの発動機船が
      波をけたてゝ三崎の方へかけて行きます

そしてもうこの舷のうしろの方で
往くときも見えた
あの暗色の鉛筆の尖のかたちをした
燈台が二きれの黒い岩礁の
その小さな方の上に立って
橙いろのうすい灯を
燃したり消したりはじめてゐます


      黒い海鳥は
      幾羽 鈍い夕ぞらをうつした海面をすべり
船はもうまさしく左方に
その海礁の燈台を望み
またその脚に時々パッと立つ潮をも見ます
三崎の鼻はもう遠く
その燈台も
辛くくるみいろした
雲にうかんで見えるだけ
そしてあなたの方角は
もうあのかゞやく三十三天の図式も消えて
墨いろのさびしい雲の縞ばかり

それからほとんど突然に右手の陸で
ほとんど石炭のけむりのやうな雲が
いくひら いくひらあらはれて
もう富士山も
いま落ちたばかりのその日のあとの
光る雲の環もみんなかくしてしまひます


思ひがけなく
雲につゝまれた富士の右で
一つの灰いろの雲の峯が
その葡萄状の周縁を
かゞやく金の環で飾られ
さん然として立って居ります
      ……風と
        風と

海があんまりかなしいひすゐのいろなのに
そらにやさしい紫いろで
苹果の果肉のやうな雲もうかびます


船にはいま十字のもやうのはいった灯もともり
うしろには
もう濃い緑いろの観音崎の上に
しらしら灯をもすあのまっ白な燈台も見え
あなたの上のそらはいちめん
そらはいちめん
かゞやくかゞやく
       猩々緋です




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変更終了:平成14年2月