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口語詩稿
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  阿耨達池幻想曲

こけももの暗い敷物
北拘盧州の人たちは
この赤い実をピックルに入れ
空気を抜いて瓶詰にする
どこかでたくさん蜂雀ハニーバードが鳴くやうなのは
たぶん稀薄な空気のせいにちがひない
そのそらの白さつめたさ
  ……辛度海から、あのたよりない三角洲から
    由旬を抜いたこの高原も
    やっぱり雲で覆はれてゐる……
けはしく繞る天末線スカイラインの傷ましさ
  ……たゞ一かけの鳥も居ず
    どこにもやさしいけだものの
    かすかなけはひもきこえない……
どこかでたくさん蜂雀の鳴くやうなのは
白磁器の雲の向ふを
さびしく渡った日輪が
いま尖尖の黒い巌歯の向ふ側
  ……摩渇大魚のあぎとに落ちて……
虚空に小さな裂罅ができるにさういない
  ……その虚空こそ
    ちがった極微の所感体
    異の空間への媒介者……
赤い花咲く苔の氈
もう薄明がぢき黄昏に入り交られる
その赤ぐろく濁った原の南のはてに
白くひかってゐるものは
阿耨達、四海に注ぐ四つの河の源の水
  ……水ではないぞ 曹達か何かの結晶だぞ
    悦んでゐて欺されたとき悔むなよ……
まっ白な石英の砂
音なく湛えるほんたうの水
もうわたくしは阿耨達池の白い渚に立ってゐる
砂がきしきし鳴ってゐる
わたくしはその一つまみをとって
そらの微光にしらべてみやう
すきとほる複六方錐
人の世界の石英安山岩デサイト
流紋岩リパライトから来たやうである
わたくしは水際に下りて
水にふるえる手をひたす
  ……こいつは過冷却の水だ
    氷相当官なのだ……
いまわたくしのてのひらは
魚のやうに燐光を出し
波には赤い条がきらめく



  発動機船 一

うつくしい素足に
長い裳裾をひるがへし
この一月のまっ最中
つめたい瑯■の浪を踏み
冴え冴えとしてわらひながら
こもごも白い割木をしょって
発動機船の甲板につむ
頬のあかるいむすめたち
  ……あの恐ろしいひでりのために
    みのらなかった高原は
    いま一抹のけむりのやうに
    この人たちのうしろにかゝる……
赤や黄いろのかつぎして
雑木の崖のふもとから
わづかな砂のなぎさをふんで
石灰岩の岩礁へ
ひとりがそれをはこんでくれば
ひとりは船にわたされた
二枚の板をあやふくふんで
この甲板に負ってくる
モートルの爆音をたてたまゝ
船はわづかにとめられて
潮にゆらゆらうごいてゐると
すこしすがめの船長は
甲板の椅子に座って
両手をちゃんと膝に置き
どこを見るともわからず
口を尖らしてゐるところは
むしろ床屋の親方などの心持
そばでは飯がぶうぶう噴いて
角刈にしたひとりのこどもの船員が
立ったまゝすりばちをもって
何かに酢味噌をまぶしてゐる
日はもう崖のいちばん上で
大きな榧の梢に沈み
波があやしい紺碧になって
岩礁ではあがるしぶきや
またきららかにむすめのわらひ
沖では冬の積雲が
だんだん白くぼやけだす

★本文4行目[瑯■(ロウカン)]の[■]は、ヘン[王]ツクリ[干]。「ロウカン」は「真珠のような色つやの玉、また玉に似た美しい石」。



  発動機船 三

石油の青いけむりとながれる火花のしたで
つめたくなめらかな月あかりの水をのぞみ
ちかづく港の灯の明滅を見まもりながら
みんなわくわくふるえてゐる
   ……水面にあがる冬のかげらふ……
もゝ引ばきの船長も
いまは鉛のラッパを吹かず
青じろい章魚をいっぱい盛った
樽の間につっ立って
やっぱりがたがたふるえてゐる
うしろになった■の崎の燈台と
左にめぐる山山を
やゝ口まげてすがめにながめ
やっぱりがたがたふるえてゐる
   ……ぼんやりけぶる十字航燈……
あゝ冴えわたる星座や水や
また寒冷な陸風や
もう測候所の信号燈や
町のうしろの低い丘丘も見えてきた
   羅賀で乗ったその外套を遁がすなよ

★本文11行目[■の崎(とどのさき)]の[■]は、ヘン[魚]ツクリ[毛]。



  こゝろ

光にぬるみ
しづかにける
そのことそれが巌のこゝろ

気流にゆらぎ曇ってとざす
それみづからが樹のこゝろだ

一本の樹は一本の樹
規矩のりない巌はたゞその巌



  〔めづらしがって集ってくる〕

〔冒頭一、二行不明〕

〔十数字不明〕ちで

〔約二行不明〕

〔十数字不明〕めづらしがって集ってくる

〔一、二行不明〕

ひらりと二重マントを脱げば
尻はしおったる黒綿入と
メリヤス白の股引に
ゴム長靴のおんいでたち
さてもあなたは玄関で
斜めにしょった風呂敷をおろし
裾もおろしてまづ一応のご挨拶
拙者もこっちで伺へば
その声けだし凛として
何か拙者もいゝ心地
あなたが風呂敷包みをといて
紫朱珍(だか何だか)の大法衣をばつまみ上げ
逆光線のまったゞ中に
さっとまばゆく着たまへば
更にひかって吹雪は過ぎ
紫いろの衣の袖は
匂ふすみれの花の滝
集まってくるこどもらは
鼻をたらしたり
髪をばしゃばしゃしながら
何か立派な極楽鳥でも見るふうなので
じつに訓導が制すれども制すれどもきかず
あつかひ兼ねてゐるひまに
あなたは早くも風呂敷をたゝみ
壁にかかった二重マントのかくしに入れ
やゝ快活に床をふみ
おももちむしろ颯爽として
丹田に力を加へ
職員室に来られます
そこで拙者も立ちあがれば
あなたは禅機 横眼のひかり
やっと一声気合もかけまじきけはひ
いのししのやうな髪毛した
〔数文字不明〕は
〔以下不明〕



心象スケッチ

  林中乱思

火を燃したり
風のあひだにきれぎれ考へたりしてゐても
さっぱりじぶんのやうでない
塩汁をいくら呑んでも
やっぱりからだはがたがた云ふ
白菜をまいて
金もうけの方はどうですかなどと云ってゐた
普藤なんぞをつれて来て
この塩汁をぶっかけてやりたい
誰がのろのろ農学校の教師などして
一人前の仕事をしたと云はれるか
それがつらいと云ふのなら
ぜんたいじぶんが低能なのだ
ところが怒って見たものの
何とこの焔の美しさ
柏の枝と杉と
まぜて燃すので
こんなに赤のあらゆるphaseを示し
もっともやはらかな曲線を
次々須臾に描くのだ
それにうしろのかまどの壁で
煤かなにかゞ
星よりひかって明滅する
むしろこっちを
東京中の
知人にみんな見せてやって
大いに羨ませたいと思ふ
じぶんはいちばん条件が悪いのに
いちばん立派なことをすると
さう考へてゐたいためだ
要約すれば
これも結局distinctionの慾望の
その一態にほかならない
林はもうくらく
雲もぼんやり黄いろにひかって
風のたんびに
栗や何かの葉も降れば
萓の葉っぱもざらざら云ふ
もう火を消して寝てしまはう
汗を出したあとはどうしてもあぶない



  〔鉛いろした月光のなかに〕

鉛いろした月光のなかに
みどりの巨きな犀ともまがふ
こんな巨きな松の枝が
そこにもここにも落ちてゐるのは
このごろのみぞれのために
上の大きな梢から
どしゃどしゃ欠いて落されたのだ
その松なみの巨きな影と
草地を覆ふ月しろの網
あすこの凍った河原の上へ
はだかのまゝの赤児が捨ててあったので
この崖上の部落から
嫌疑で連れて行かれたり
みんなで陳情したりした
それもはるか昔のやう
それからちゃうど一月たって
凍った二月の末の晩
誰か女が烈しく泣いて
何か名前を呼びながら
あの崖下を川へ走って行ったのだった
赤児にひかれたその母が
川へ走って行くのだらうと
はね起きて戸をあけたとき
誰か男が追ひついて
なだめて帰るけはひがした
女はしゃくりあげながら
凍った桑の畑のなかを
こっちへ帰って来るやうすから
あとはけはいも聞えなかった
それさへもっと昔のやうだ
いまもう雪はいちめん消えて
川水はそらと同じ鼠いろに
音なく南へ滑って行けば
その東では五輪峠のちゞれた風や
泣きだしさうな甘ったるい雲が
ヘりはぼんやりちゞれてかゝる
そのこっちでは暗い川面を
千鳥が啼いて溯ってゐる
何べん生れて
何べん凍えて死んだよと
鳥が歌ってゐるやうだ
川かみは蝋のやうなまっ白なもやで
山山のかたちも見えず
ぼんやり赤い町の火照りの下から
あわたゞしく鳴く犬の声と
ふたゝびつめたい跛調にかはり
松をざあざあ云はせる風と



  〔爺さんの眼はすかんぼのやうに赤く〕

爺さんの眼はすかんぼのやうに赤く
何かぶりぶり怒ってゐる
白髪はぢょきぢょき鋏でつんだ
いはゆるこゝらの芋の子頭
  ……そんならビタミンのX
    あるひはムチンのY号で
    この赤い眼が療らないか
    それは必ず治ってしまふ……
鍋の下ではとろとろ赤く火が燃える
おもてでは植えたばかりの茄子苗や
芽をだしかけた胡瓜の畑に
陽がしんしんと降ってゐて
下の川では
川上のまだまっ白な岩手山へ
南の風がまっかうに吹き
はりがねもピチピチ鳴れば
せきれいもちろちろ鳴いてゐるやうだけれども
条件の悪いことならば
いまよりもっと烈しいときがいくらもあった
この数月はたしかにどこかからだが悪い
  ……そんならビタミンのX
    あるひは乳酸石灰が
    この数月の傾向を
    療治するかと云ふのに
    こっちはそれを呑みたくない……
飯はぶうぶう湯気をふき
白髪の芋の子頭を下げて
ぢいさんは木を引いてゐる



  法印の孫娘

ほっそりとしたなで肩に
黒い雪袴モツペとつまごをはいて
栗の花咲くつゝみの岸を
むすめは一人帰って行った
品種のことも肥料のことも
仕事の時期やいきさつも
みんなはっきりわかってゐた
あの応対も透明で
できたら全部トーキーにも撮って置きたいくらゐ
栗や何かの木の枝を
わざとどしゃどしゃ投げ込んで
おはぐろのやうなまっ黒な苗代の畦に立って
今年の稲熱の原因も
大てい向ふで話してゐた
今日もじぶんで葉書を出して置きながら
どてらを着たまゝ酔ってゐた
あの青ぶくれの大入道の
娘と誰が考へやう
あの山の根の法印の家か
あそごはバグヂと濁り酒どの名物すと
みちを訊いたらあの知り合ひの百姓が云った
それほど村でも人付合ひが悪いのだらう
もっともばくちはたしかにうつ
あの顔いろや縦の巨きな頬の皺は
夜どほし土蔵の中にでも居て
なみなみでない興奮をする証拠である
ぜんたいあの家といふのが
巨きな松山の裾に
まるで公園のやうなきれいな芝の傾斜にあって
まっ黒な杉をめぐらし
山門みたいなものもあれば
白塗りの土蔵もあり
柿の木も梨の木もひかってゐた
それがなかからもう青じろく蝕んでゐる
年々注意し作付し居り侯へ共
この五六年毎年稲の病気にかゝりと書いた
あの筆蹟も立派だったが
どうしてばくちをやりだしたのか
或ひは少し村の中では出来過ぎたので
つい横みちへそれたのか
或ひはさういふ遺伝なものか
とにかくあのしっかりとした
新時代の農村を興しさうにさへ見える
うつくしく立派な娘のなかにも
その青ぐろい遺伝がやっぱりねむってゐて
こどもか孫かどこかへ行って目をさます
そのときはもう濁り酒でもばくちでもない
一千九百五十年から
二千年への間では
さういふ遺伝は
どこへ口火を見付けるだらう
西はうすい氷雲と青じろいそら
うしろでは松の林が
日光のために何かなまこのやうに見え
わづかに沼の水もひかる



  第三芸術

蕪のうねをこさえてゐたら
白髪あたまの小さな人が
いつかうしろに立ってゐた
それから何を播くかときいた
赤蕪をまくつもりだと答へた
赤蕪のうね かう立てるなと
その人はしづかに手を出して
こっちの鍬をとりかへし
畦を一とこ斜めに掻いた
おれは頭がしいんと鳴って
魔薬をかけてしまはれたやう
ぼんやりとしてつっ立った
日が照り風も吹いてゐて
二人の影は砂に落ち
川も向ふで光ってゐたが
わたしはまるで恍惚として
どんな水墨の筆触
どういふ彫塑家の鑿のかほりが
これに対して勝るであらうと考へた



  夏

もうどの稲も、分蘖もすみ
苗代跡の稲熱もきれいに喰ひとめたので
主人も安心したらしく
じぶんもわづかに茶をのんでゐる
並んで椽に腰かけて
古びた麻のももひきに
かうかんかんと日が照れば
何だか半分けむって見える
鍵にまがった厩から
馬がひょっくり顔を出す
それからその仔も顔を出す
上には絵馬がかけてある
辨柄で書いた赤い馬だ
やっぱりその子と二疋づれ
厩の上では梨の木が、
じつにきれいにひらめいてゐる
茶盆の前にはこの家の
あぃながりんと眼を張って
膝に手を置きすはってゐる
髪が赤くて七っつぐらゐ
発心前の地蔵菩薩の像のやう
事実
松林寺の地蔵堂も
こゝから遠くないものだから
典型的なお地蔵さんの申し子だ
お地蔵さんの申し子も
もう二十年たつうちに
どういふ風に変るかな
東は幾重の松の林の向ふの方で
山地が青くけむってゐる
それから南の川ばたでは
はんの木立がきらきらひかる



  蕪を洗ふ

洗った蕪の流れて行くのを押へてゐると
岸の草の上に
いきなり犬が走って出る
巨きなやつだ
つめたく白い川の反射をわくわく浴びて
変な顔して立ってゐる
犬はいきなり走り出し
野ばらの藪をちらちら下流へ走って行く
犬のあとからいまのっそりとあらはれたのは
まさしく新渡辺辯議士だ
相かはらずの猟服に
鳥打しゃぽは茶いろでございだ
去年の秋から
玉葱の苗床だの
チュウリップの畦だのに
大股な足あとを何べんもつけた
その正真の犯人だ
こいつをとっちめるには
まづ石膏であの足あとのネガとポジとをとることだ
しかるに人をもってして
ことさらにおれの童話を懇望したのは
まさしくこいつのおかみさん
そこで差引き勘定は
こゝで一発この青ぞらに
鉄砲を打ったら許してやらうといふ次第
ぜんたい鳥が居ないのか
見廻すと ゐる
ゐるゐる じつにたくさんゐるぞ
現に見なさい 辯護士よ
向ふの岸の萓からたった
あの一列の不定な弧線
なぜうたないのだ
上流へだんだんうつって行く
川向ふなのでうたないのか
川の向ふが禁猟区なのでうたないのか
鳥が小さいのでうたないのか
あたらないからうたないのだ
獅子鼻まで行くつもりだな
あすこで鴨をうつといふのか
勝手にしろ おれの方は蕪だ
どの蕪もみなまっしろで
みんなつめたく弾力がある
いゝ天気だけれども寒い
上流では岩手山がまっ白で
製板は湯気をふくし
橋は黒くてぬくさうだ
そこをゆっくり町へ行く馬
半透明な初冬の水は
青い葉っぱを越して行く



 〔何かをおれに云ってゐる〕

〔冒頭原稿なし〕
  何かをおれに云ってゐる
(ちょっときみ
 あの山は何と云ふかね)
  あの山なんて指さしたって
  おれから見れば角度がちがふ
(あのいたゞきに松の茂ったあれですか)
(さうだ)
(あいつはキーデンノーと云ひます)
  うまくいったぞキーデンノー
  何とことばの微妙さよ
  キーデンノーと答へれば
  こっちは琿河か遼河の岸で
  白菜ペツアイをつくる百姓だ
(キーデンノー?)
(地図には名前はありません
 社のある百五米かのそれであります)
(ははあこいつだ
 うしろに川があるんぢゃね)
(あります)
(なるほどははあ あすこへ落ちてくるんだな)
  あすこへ落ちて来るともさ
  あすこで川が一つになって
  向ふの水はつめたく清く
  こっちの水はにごってぬるく
  こゝらへんでもまだまじらない
(峠のあるのはどの辺だらう)
(ちゃうどあなたの正面です)
(それ?)
  手袋をはめた指で
  景色を指すのは上品だ
(あの藍いろの小松の山の右肩です)
(車は通るんぢゃね)
(通りませんな、はだかの馬もやっとです)
  傾斜を見たらわかるぢゃないか
(も一つ南に峠があるね)
(それは向ふの渡し場の
 ま上の山の右肩です)
  山の上は一列ひかる雲
  そこの安山集塊岩から
  モーターボートの音が
  とんとん反射してくる
(臥牛はソーシとよむんかね)
(さうです)
(いやありがたう
 きみはいま何をやっとるのかね)
(白菜を播くところです)
(はあ今かね)
(今です)
(いやありがたう)
  ごくおとなしいとうさんだ
  盛岡の宅にはお嬢さんだのあるのだらう
中隊長の声にはどうも感傷的なところがある
ゆふべねむらないのかもしれない
川がうしろでぎらぎらひかる



  〔こっちの顔と〕

こっちの顔と
凶年の週期のグラフを見くらべながら
なんべんも何か云ひたさうにしては
すこしわらって下を向いてゐるこの人は
たしかに町の二年か上の高等科へ
赤い毛布と栗の木下駄で
通って来てゐたなかのひとり
それから五年か六年たって
秋の祭りのひるすぎだった
この人は鹿踊りの仲間といっしょに
例ののばかまとわらじをはいて
長い割竹や角のついた、
面のしたから顔を出して
踊りももうあきたといふやうに、
ばちをもった片手はちょこんと太鼓の上に置き
悠々と豊沢町を通って行った
こっちが知らないで
たゞ鹿踊りだと思って見てゐたときに
この人は面の下の麻布をすかして
踊りながら昔の友だちや知った顔を
横眼で見たこともたびたびあったらう
けれどもいまになって
われわれが気候や
品種やあるひは産業組合や
殊にも塩の魚とか
小さなメリヤスのもゝ引だとか
ゴム沓合羽のやうなもの
かういふものについて共同の関心をもち
一諸にそれを得やうと工夫することは
じつにたのしいことになった
外では吹雪が吹いてゐてもゐなくても
それが十時でも午后の二時でも
二尺も厚い萓をかぶって
どっしりと座ったかういふ家のなかは
たゞ落ちついてしんとしてゐる
そこでこれからおれは稲の肥料をはなし
向ふは鹿踊りの式や作法をはなし
夕方吹雪が桃いろにひかるまで
交換教授をやるといふのは
まことに愉快なことである



  〔そもそも拙者ほんものの清教徒ならば〕

そもそも拙者ほんものの清教徒ならば
或ひは一〇〇%のさむらひならば
これこそ天の恵みと考へ
町あたりから借金なんぞ一文もせず
八月までは
だまってこれだけ食べる筈
けだし八月の末までは
何の収入もないときめた
この荒れ畑の切り返しから
今日突然に湧き出した
三十キロでも利かないやうな
うすい黄いろのこの菊芋
あしたもきっとこれだけとれ、
更に三四の日を保する
このエルサレムアーティチョーク
イヌリンを含み果糖を含み
小亜細亜では生でたべ
ラテン種族は煮てたべる
古風な果蔬トピナムボー
さはさりながらこゝらでは
一人も交易の相手がなく
結局やっぱりはじめのやうに
拙者ひとりでたべるわけ
但しこれだけひといろでは
八月までに必らず病む
参って死んでしまっても
動機説では成功といふ
ところが拙者のこのごろは
精神主義ではないのであって
動機や何かの清純よりは
行程をこそ重しとする
つまりは米もほしいとあって
売れる限りは本も売り
ぽろぽろ借金などもして
曖昧な暮しやうをするといふのは
いくら理屈をくっつけても
すでにはなはだ邪道である
とにかく汗でがたがた寒い
ごみを集めて
火を焚かう
槻の向ふに日が落ちて
乾いた風が西から吹く



  〔おぢいさんの顔は〕

おぢいさんの顔は
酒を呑む前のときのやうである
それは払ひ下げの重挽馬の
蹄の上の房毛がまっ白で
昨日おこした分の土のこゞりは
みんな朝日に影をひくためである

透明な
雪融の風であって
そらいっぱいの鳥の声である



  〔鳴いてゐるのはほととぎす〕

鳴いてゐるのはほととぎす
 …………to-te-to-to
 to-te-te-to-te-to-to ti-ti-ti-ti-ti-ti
ぐっしょりの寝汗だ
手拭を置くとよかった
    ti-ti-ti またやりだした
 to-te-te-to-te-to-to
 to-te-te-to-te-to-to ti-ti-ti-ti-ti-ti
川ばたよりはいくらか近い
三日月沼の上らしい
落ちるやうに飛んだり
斜に截ったりしてゐるらしい
三時十分だ
そらにかすかな菫のいろがうかぶころだ
鳥はもう鳴かない
まもなく崖にかくこうが来てなきだすころだ
それが互ひに呼んだり答へたり
一つが一つの反響のやうにきこえたり
にぎやかになれば
こんどは小さな鳥どもが
はじめは調子も何もなく
たゞ点々になきはじめる
そのころそらはもうしろく
となりでは
ぶりぶり憤りながら佐吉が起きる
起きるとそのまゝ顔も洗はず
今日の田植えの場所へ行って
ごみのうかんだつめたい水へはいり
だまって馬の指竿をとる
そのころまでは
まだ四五十分
もういちどねむらう

★本文2行目[te]の母音上に[″]が、3行目[te]の母音上に[′]、[ ]、[″]が、この順で記されている。(3行目2番目[te]の母音上に付点は無い。)
★本文7行目8行目[te]は、3行目と同じ。
★本文3行目8行目、最初の[ti]の母音に[′]がつけられている。



  密醸

汽車のひゞきがきれぎれ飛んで
酸っぱくうらさむいこの夕がた
楢の林の前に
ひどく猫背のおばあさんが
熊手にすがって立ってゐる
右手をかざして空をみる
それから何かを恐れるやうに
ごく慎重にあたりを見て
こっそり林へはいって行く
あともうかさとも音はせず
汽車のひゞきが遠くで湧いて
灰いろの雲がばしゃばしゃとぶ



  毘沙門天の宝庫

さっき泉で行きあった
黄の節糸の手甲をかけた薬屋も
どこへ下りたかもう見えず
あたりは暗い青草と
麓の方はたゞ黒緑の松山ばかり
東は畳む幾重の山に
日がうっすりと射してゐて
谷には影もながれてゐる
あの藍いろの窪みの底で
形ばかりの分教場を
菊井がやってゐるわけだ
そのま上には
巨きな白い雲の峯
ずゐぶん幅も広くて
南は人首あたりから
北は田瀬や岩根橋にもまたがってさう
あれが毘沙門天王の
珠玉やほこや幢幡を納めた
巨きな一つの宝庫だと
トランスヒマラヤ高原の
住民たちが考へる
もしあの雲が
ひでりのときに、
人の祈りでたちまち崩れ
いちめんの烈しい雨にもならば
まったく天の宝庫でもあり
この丘群に祀られる
巨きな像の数にもかなひ
天人互に相見るといふ
古いことばもまたもう一度
人にはたらき出すだらう
ところが積雲のそのものが
全部の雨に降るのでなくて
その崩れるといふことが
そらぜんたいに
液相のます兆候なのだ
大正十三年や十四年の
はげしい旱魃のまっ最中も
いろいろの色や形で
雲はいくども盛りあがり
また何べんも崩れては
暗く野はらにひろがった
けれどもそこら下層の空気は
ひどく熱くて乾いてゐたので
透明な毘沙門天の珠玉は
みんな空気に溶けてしまった
鳥いっぴき啼かず
しんしんとして青い山
左の胸もしんしん痛い
もうそろそろとあるいて行かう



  火祭

火祭りで、
今日は一日、
部落そろってあそぶのに、
おまへばかりは、
町へ肥料の相談所などこしらえて、
今日もみんなが来るからと、
外套など着てでかけるのは
いゝ人ぶりといふものだと
厭々ひっぱりだされた圭一が
ふだんのまゝの筒袖に
栗の木下駄をつっかけて
さびしく眼をそらしてゐる
  ……帆舟につかず袋につかぬ
    大きな白い紙の細工を荷馬車につけて
    こどもらが集ってゐるでもない
    松の並木のさびしい宿を
    みんなでとにかくゆらゆら引いて
    また張合なく立ちどまる……
くらしが少しぐらゐらくになるとか
そこらが少しぐらゐきれいになるとかよりは
いまのまんまで
誰ももう手も足も出ず
おれよりもきたなく
おれよりもくるしいのなら
そっちの方がずっといゝと
何べんそれをきいたらう
   (みんなおなじにきたなくでない
    みんなおなじにくるしくでない)
  ……巨きな雲がばしゃばしゃ飛んで
    煙草の函でめんをこさえてかぶったり
    白粉をつけて南京袋を着たりしながら
    みんなは所在なささうに
    よごれた雪をふんで立つ……
さうしてそれもほんたうだ
   (ひば垣や風の暗黙のあひだ
    主義とも云はず思想とも云はず
    たゞ行はれる巨きなもの)
誰かゞやけに
やれやれやれと叫べば
さびしい声はたった一つ
銀いろをしたそらに消える



  霰

鍬をかついだり
のみ水の桶をもったりして
はだしで家にかけこむところは
やまと絵巻の手法である
現にいまこの消防小屋の横からぱっとあらはれて
ちらっと横目でこっちを見
きものの袖で頭をかくし
橋へかゝってゐる人などは
立派にその派の標本である
小屋の中には型のごとくにポムプはひとつ
ホースを巻いた車も一つ
黒びかりする大きなばれん
尖った軒の頂部では
赤く塗られた円電燈の
塗料がなかば剥げてゐる
雀がくれの苗代に
霰は白く降り込んで
そこらの家も土蔵もかすむ
もう山鳩も啼かないし
上の野原の野馬もみんなしょんぼりだらう



  三月

正午ひるになっても
五分だけ休みませうと云っても
たゞみんな眉をひそめ
薄い麻着た膝を抱いて
設計表をのぞくばかり
稲熱病いもちが胸にいっぱいなのだ
一本町のこの町はづれ
そこらは雪も大ていとけて
うるんだ雲が東に飛び
並木の松は
去年の古い茶いろの針を
もう落すだけ落してしまって
うす陽のなかにつめたくそよぎ
はては緑や黒にけむれば
さっき熊の子を車にのせ
おかしな歌をうたって行った
紀伊かどこかの薬屋たちが
白もゝひきをちらちらさせて
だんだん南へ小さくなる
みんなはいつか
ひそひそ何かはなしてゐる
つゝましく遠慮ぶかく
骨粉のことを云ってゐるのだ
一里塚一里塚
塚の下からこどもがひとりおりてくる
つゞいてひとりまたかけおりる
町はひっそり
火の見櫓が白いペンキで、
泣きだしさうなそらに立ち
風がにはかに吹いてきて
店のガラスをがたがた鳴らす



  牧歌

この五列だけ
もうりんと活着
鎗葉も青く天を指す
水にはごみもうかべば
泥で踏まれた畦のすぎなもそのまゝなのに
この五列だけ それからやっぱり向ふの五列
はっきりまはりとちがふのは
一体誰が植えたのだらう
考へて見れば
あの朝太田の堺から
女たちがたくさんすけに来た
林のへりからはじめて行って
甲助が植代を掻き
佐助が硫安をまき
喜作が面をこしらえて
それからあとはどんどん植えた
けれども結局あのときは
誰が誰だかわからなかった
とにかくこゝが一わたりつき
主人もほっとしたやうに立って
みんなをさそってあすこの巨きなひばのある
辻堂で朝めしといふことになった
霧の降るまっ青な草にすわって
箸をわったりわかめを盛ったりいろいろした
ところが太田の人たちは
もう済んで来たといって
どうしても来て座らなかった
まっ黒な林や
けわしい朝の雲をしょって
残った苗を集めたり
ところどころの畦根には
補植の苗を置いたりした
けれどもやはりあのときも
誰が誰だかわからなかった
それから霧がすつかり霽れて
日も射すやうになってから
みんなで崖を下りて行き
鉄ゲルの湧く下台の田をやり出した
さうだあの時なんでも一人
たいへん手早い娘が居た
いつでもいちばんまっさきに
畦根について一瞬立った
目が大きくてわらってゐるのは
どこかに栗鼠のきもちもあった
さうだたしかにさういふことを
おれは二へんか三べん見た
けれども早いからといって
こんなに早く活着くやうに
上手に植えたとかぎらない
遅れたおばあさんたちのうちこそ
かういふ五列のその植主があったかもしれない
しかし田植に限っては下手では早く進めない
それでは結局あの娘かな



  地主

水もごろごろ鳴れば
鳥が幾むれも幾むれも
まばゆい東の雲やけむりにうかんで
小松の野はらを過ぎるとき
ひとは瑪瑙のやうに
酒にうるんだ赤い眼をして
がまのはむばきをはき
古いスナイドルを斜めにしょって
胸高く腕を組み
怨霊のやうにひとりさまよふ
この山ぎはの狭い部落で
三町歩の田をもってゐるばかりに
殿さまのやうにみんなにおもはれ
じぶんでも首まで借金につかりながら
やっぱりりんとした地主気取り
うしろではみみづく森や
六角山の下からつゞく
一里四方の巨きな丘に
まだ芽を出さない栗の木が
褐色の梢をぎっしりそろへ
その麓の
月光いろの草地には
立派なはんの一むれが
東邦風にすくすくと立つ
そんな桃いろの春のなかで
ふかぶかとうなじを垂れて
ひとはさびしく行き惑ふ
一ぺん入った小作米は
もう全くたべるものがないからと
かはるがはるみんなに泣きつかれ
秋までにはみんな借りられてしまふので
そんならおれは男らしく
じぶんの腕で食ってみせると
古いスナイドルをかつぎだして
首尾よく熊をとってくれば
山の神様を殺したから
ことしはお蔭で作も悪いと云はれる
その苗代はいま朝ごとに緑金を増し
畔では羊歯の芽もひらき
すぎなも青く冴えれば
あっちでもこっちでも
つかれた腕をふりあげて
三本鍬をぴかぴかさせ
乾田を起してゐるときに
もう熊をうてばいゝか
何をうてばいゝかわからず
うるんで赤いまなこして
怨霊のやうにあるきまはる



  会見

(この逞ましい頬骨は
 やっぱり昔の野武士の子孫
 大きな自作の百姓だ)
(息子がいつでも云ってゐる
 技師といふのはこの男か
 も少しからだも強靱シナくって
 何でもやるかと思ってゐたが
 これではとても百姓なんて
 ひどい仕事ができさうもない
 だまって町で月給とってゐればいゝんだが)
(お互じっと眼を見合せて立ってゐれば
 だんだん向ふが人の分子を喪くしてくる
 鹿か何かのトーテムのやうな感じもすれば
 山伏上りの天狗のやうなところもある)
(みんなで米だの味噌だのもって
 寒沢川につれて行き
 夜は河原へ火をたいてとまり
 みづをたくさん土産にしょはせ帰さうと
 とてもそいつもできさうない)
(向ふの眼がわらってゐる
 昔 砲兵にとられたころの
 渋いわらひの一きれだ)
(味噌汁を食へ味噌汁を食へ
 台湾では黄いろな川をわたったり
 気候が蒸れたりしたときは
 どんな手数をこらへても
 兵站部では味噌のお汁を食はせたもんだ)
(たうとう眼をそらしたな
 平の清盛のやうにりんと立って
 じっと南の地平の方をながめてゐる)
(ぜんたいいまの村なんて
 借りられるだけ借りつくし
 負担は年々増すばかり
 二割やそこらの増収などで
 誰もどうにもなるもんでない
 無理をしたって却ってみんなだめなもんだ)
(眼がさびしく愁へてゐる
 なにもかもわかりきって、
 そんなにさびしがられると
 こっちもたゞもう青ぐらいばかり
 じつにわれわれは
 遠征につかれ切った二人の兵士のやうに
 だまって雲とりんごの花をながめるのだ)



  事件

Sakkya
 の雪が 澱んでひかり
  野はらでは松がねむくて
  鳥も飛ばないひるすぎのこと
いきなり丘の枯草を
南の風が渡って行った
すると窪地に澱んでゐた
つめたい空気の界面に
たくさん渦が柱に立って
さながらミネルヴァ神殿の
廃址のやうになったので
窪みのヘりでゲートルもはき
頬かむりもした幸蔵が
萓のつぼけをとる手をやめて
おかしな顔でぼんやり立った

★本文1行目[Sakkya]は縦書き原稿の中で冒頭3行の行頭部分にまたがって、横書きされている。



  憎むべき「隈」辨当を食ふ

きらきら光る川に臨んで
ひとリで辨当を食ってゐるのは
まさしく あいつ「隈」である
およそあすこの廃屋に
おれがひとりで移ってから
林の中から幽霊が出ると云ったり
毎晩女が来るといったり
町の方まで云ひふらした
あの憎むべき「隈」である
ところがやつは今日はすっかり負けてゐる
第一 草に腰掛けて
一生けん命食ってゐるとき
まだ一ぺんも復讐されない
敵にうしろを通られること
第二にいつもの向ふの強味
こっちの邪魔たる群集心理が今日はない
青天の下まさしく一人と一人のこと
第三 やつはもういゝ加減腹いせをして
憎悪の念が稀薄である
そこでこっちもかあいさうなので
避けてやらうと思ふけれども
するとこんどはおれが遁げたと向ふが思ふ
こゝにおいてかおれはどうにも
今日は勝つより仕方ない
川がきらきら光ってゐて
下流では舟も鳴ってゐる
熊は小さな卓のかたちの
松の横ちょに座ってゐる
ぢろっと一つこっちを見る
それからじつにあわてたあわてた
黄いろな箸を二本びっこにもってゐて
四十度ぐらゐの角度にひろげ
その一本で
熊はもぐもぐ口中の飯を押してゐる
おれはたしかにうしろを通る
こんどはおれのうしろの方で
大将おそらく興奮して
味もわからずつゞけて飯を食ってゐる
然るにかうきっぱりと勝ってしまふと
あとが青黒くてどうもいけない
とは云ふものの別段おれは
何をしたといふ訳でない
向ふで勝手で播いたのを
向ふが勝手に刈ったのだ



  病院の花壇

夜どほしの温い雨にも色あせず
あんまり暗く薫りも高い
この十六のヒアシンス

まっ白な石灰岩の方形のなかへ
水いろと濃い空碧で
すっきりとした折線を
二つ組まうとおもったのに
東京農産商会は
このまっ黒な春の吊旗を送ってよこし
みんなはむしろいぶかしさうにながめてゐる
今朝は截って
春の水を湛えたコップにさし
各科と事務所へ三つづつ
院長室へ一本配り
こゝへは白いキャンデタフトを播きつけやう
つめくさの芽もいちめんそろってのびだしたし
廊下の向ふで七面鳥は
もいちどゴブルゴブルといふ
女学校ではピアノの音
にはかにかっと陽がさしてくる

鋏とコップをとりに行かう



  〔まぶしくやつれて〕

まぶしくやつれて、
病気がそのまゝ罪だとされる
風のなかへ出てきて
罪を待つといふふうに
みんなの前にしょんぼり立つ
みんなはなにかちぐはぐに
崖の杉だの雲だのを見る
家のまはりにめちゃくちゃに植えられた稲は
いま弱々と徒長して
どんどん風に吹かれてゐる
苗代にも波が立てば
雲もちゞれてぎらぎら飛ぶ

陽のなかで風が吹いて吹いて
ひとはさびしく立ちつくす
畔のすかんぼもゆれれば
家ぐねの杉もひゅうひゅう鳴る



  〔あしたはどうなるかわからないなんて〕

あしたはどうなるかわからないなんて、
百姓はけふ手を束ねてはゐられない
折鞄など誰がかゝえてあるいても、
木などはぐんぐんのびるんだ
日が照って
うしろの杉の林では
鳩がすうすう啼いてゐる
イギリスの百姓だちの口癖は
りんごなら
馬をうめるくらゐに堀れ
馬をうめるくらゐに堀れだと
遠慮なくこの乳いろの
花もさかせ
落葉松のきれいな青い芽も噴けだ。
そのうちどうでも喧嘩しなければいけなかったら
りんごも食ってやればいゝ
そのときの喧嘩の相手なんか
なにをいまからわかるもんか
くさったいがだの
落葉を燃やす青いけむりは
南の崖へながれて行って
そのまんなかで
かげらふも川もきらきらひかる



  保線工夫

クレオソートも塗り
飾りも済んだ電柱を
六本積んでトロを控へて待ってると
十時五分の貨物列車が
日向をごろごろ通って行き
一つの凾の戸口から
むやみに黒いぶちのある
仔牛が顔を出したので
まっさきに立つ詮太がわらひ
かしらもわらひみんなもわらひ
小倉の服で四っ角ばって
ポイントに立つメゴーグスカも
口に手あてゝくすくす云ふ
それからけむりの消えないうちに
丁場のはしまでとばして行った
ぎらぎらする雲の下で
こどもらがあちこち
缶にいなごをとってゐた



  会食

互に呼んで鍬をやめ、
北上岸の夏草に
蒼たる松の影をかぶって
簡手造氏とぼくとは座る、
手蔵氏着くる筒袖は
古事記風なる麻緒であって
いまその繊維柔軟にして
色典雅なる葱緑なるを
ぼうぼうとして風吹けば
人はいよいよ快適である
僕匆惶と帽子をさぐり
二のうら青きトマトを示し
角なるものを手蔵氏とれば
円なるものはわが手に残る
さて手蔵氏はしみじみとして
果を玩び熟視する
それシャンデリアかゞやく下に
人その饗を閲するならば
さがないわざとそしらるべきも
天光みなぎる午の草原に
はじめて穫りたる園芸品は
しさいに視るこそ礼にも契ふ、
僕またこれに習って視れば
じつにトマトの表面は
まひるながらに緑の微光を発してゐる
そはもしやにの類でもあって
蛍光菌のついたるもので
且ついま青山日ぞかげろへる
大ぬばたまの夜にありせば
人はこの松の下陰に
二つの青き発光体が
せわしく動きはたらくを
当然目睹するでもあらう
(烈しくはたらいたあととは云へ
手蔵氏はげに快適自身のごとくであるが
ぼくはまことはせなかがひどく痛いのである
さてもトマトの内部に於て
西条八十氏云ふごとき
じつに玲瓏たぐひなき
秘密の房を蔵することは
まこと造化の妙用にして
もしいまわれらかの川上の工兵諸氏と
手蔵氏いさかふ際は
ともに遁げ込むに適したること
まさに八十氏の柚にも類ふ)
さて手蔵氏はトマトを食み終へ
やゝ改まりぼくに云ふ
ひとびとは氏を蛇喰ひとして卑しんでゐる
しかるに蛇は何故食に不適であるか
ぼく意を迎へこれに云ふ
なめくじ、蛙を食するものは
第一流の紳士と呼ばれ
じゃるものはそしられる
そのこといとゞ奇怪である
否大紳士、たとへば大谷光瑞氏
氏が安南の竜肉を
推したるごとき遠きに属す
然るにこれが門徒のたぐひ
妄りにきみをわらふがごとき
まことに懺悔すべきであると
手蔵氏更に厳として云ふ
人蛇肉を食むときは
精気を加へ身も熱し
じつに風邪をも引かざるなりと
ぼく考へて答へて云ふ
微量の毒は薬なり
そはビタミンのAとD
且つ蛋白質と脂肪のせいか
手蔵氏更に和して云ふ
それ蛇たるや外貌悪しく
婦女子はこれを恐るゝも
逆剥ぎて見よその肉の美や
何等の醜汚をとゞめざるなり
きみも食ふをよしとせん、
ぼく雷同し更に云ふ
まことに多謝す さりながら
誰か鰻をはじめて食みし
誰かなまこをはじめて食みし
これ先覚にあらざるや
君またいつか人人に
先覚もって祀られなんと
風吹き来り風吹き来れば
手造氏やゝに身を起し
芝居の悪玉の眼付をもって
下流のかたをへいげいする
ぼくいさゝかに無気味となり
匆々に会を了へんと乞ひ
われらはおのおの畑に帰り
おのおのにまた鍬をとる

★本文11行目[匆惶]及び87行目[匆々]の[匆]、元字は[勹]の中に[夕]。



  〔まあこのそらの雲の量と〕

まあこのそらの雲の量と
きみのおもひとどっちが多い
その複雑なきみの表情を見ては
ふくろふでさへ遁げてしまふ
清貧と豪奢はいっしょに来ない

複雑な表情を雲のやうに湛えながら
かれたすゞめのかたびらをふんで、
さういふふうに行ったり来たりするのも
たしかに一度はいゝことだな
どんより曇って
そして西から風がふいて
松の梢はざあざあ鳴り
鋸の歯もりんりん鳴る
きみ 鋸は楽器のうちにあったかな

清貧と豪奢とは両立せず
いゝ芸術と恋の勝利は一諸に来ない
労働運動の首領にもなりたし
あのお嬢さんとも
行末永くつき合ひたい
そいつはとてもできないぜ



  〔この医者はまだ若いので〕

この医者はまだ若いので
夜もきさくにはね起きる、
薬価も負けてゐるらしいし、
注射や何かあんまり手の込むこともせず
いづれあんまり自然を冒涜してゐない
そこらが好意の原因だらう
そしてたうたうこのお医者が
すっかり村の人の気持ちになって
じつに渾然とはたらくときは
もう新らしい技術にも遅れ
郡医師会の講演などへ行っても
たゞ小さくなって聞いてゐるばかり
それがこの日光と水と
透明な空気の作用である
こゝを汽車で通れば、
主人はどういふ人かといつでも思ふ
この美しい医院のあるじ
カメレオンのやうな顔であるので
大へん気の毒な感じがする
誰か四五人おじぎをした
お医者もしづかにおじぎをかへす



  〔みんな食事もすんだらしく〕

みんな食事もすんだらしく
また改めてごぼんごぼんとどらをたゝいたり
樹にこだまさせて柏手をうったり
林のなかはにぎやかになった
  −−ひでりや寒さやつぎつぎ襲ふ
    自然の半面とたゝかふほかに
    この人たちはいままで幾百年
    自分と闘ふことを教はり
    克明にそれをやってきた
    いまその第二をしばらくすてゝ
    形一そう瞭らかに
    烈しい威嚇や復讐をする
    新たな敵に進めといふ−−
あゝわたくしはこの樹を棄てて壇をのぼり
施無畏の大士遠く去って
うつろな拝殿のうすくらがり
古くからの幡や絵馬の間に
声あげて声あげて慟哭したい
杉の梢を雲がすべり
鳥居はひるの野原にひらく

★本文5行目、13行目[−]は原稿では長さ2文字分の棒線。(このテキストでは[−(マイナス)]を使用のため、縦書きにすると雰囲気がつかめません。)



  休息

地べたでは杉と槻の根が、
からみ合ひ奪ひ合って
この瘠せ土の草や苔から
恐ろしい静脉のやうに浮きでてゐるし
そらでは雲がしづかに東へながれてゐて
杉のウラは枯れ
槻のほずゑは何か風からつかんで食って生きてるやう
  ……杉が槻を枯らすこともあれば
    槻が杉を枯らすこともある……
   (米穫って米食って何するだぃ?
    米くって米穫って何するだぃ?)
技手が向ふで呼んでゐる
木はうるうるとはんぶんそらに溶けて見え
またむっとする青い稲だ



  〔四信五行に身をまもり〕

〔冒頭原稿なし〕
四信五行に身をまもり
次なるぼく輩百姓技師は
すでに烈しくやられて居り
最后の女先生は
ショールをもって濾してゐる
さても向ふの電車のみちや
部落のひばのしげりのなかに
黄の灯がついて
南の黒い地平線から
巨きな雲がじつに旺んに奔騰するといふ景況である



  〔湯本の方の人たちも〕

湯本の方の人たちも
一きりついて帰ったので
ビラの隙からおもてを見れば
雲が傷れて眼は痛む
西洋料理支那料理の
三色文字は赤から暮れ
硝子はひっそりしめられる
馬が一疋東へ行く
古びた荷縄をぶらさげて
雪みちをふむ
引いて行くのはまだ頬の円いこども
兵隊外套が長過ぎるので
縄でしばってたごめてゐる
行きちがひに出てくるのは
政友会兼国粋会の親分格
帽子もかぶらず
手は綿入の袖に入れ
がっしり丈夫な足駄をはいて
身体一分のすきもなく
こっちをぢろっと見るでもなし
さりとて全く見ないでもなし
堂々として行き過ぎるのは
さすが親分の格だけある
いつかおもてのガラスの前に
白いもんぱのぼうしをかぶり
絣の合羽にわらじをはいた
眼のうす赤いぢいさんが
読んでゐるのか見てゐるか
物でも噛むやうにして
だまってぢっと立ってゐる
ご相談でもありましたらと切り出せば
何か銭でもとられるか
かゝり合ひにでもなるかと
早速ぽろっと遁げて行くのは必定だ
結局こらえてだまってゐれば
またこの夏もいもちがはやる
こんどはこども 砂糖屋の家のこどもが
スケートをはき手をふりまはしてすべって行く
おぢいさんもぽろっと東へ居なくなる
高木の部落なら
その雪のたんぼのなかの
ひばのかきねに間もなくつくし
高松だか成島だか
猿ヶ石川の岸をのぼった
雑木の山の下の家なら
もうとっぷりと暮れて着く
たうたう出て来た林光左
広東生れのメーランファンの相似形
自転車をひっぱり出して
出前をさげてひらりと乗る
一目さんに警察の方へ走って行く
遠くでは活動写真の暮れの楽隊



  来訪

水いろの穂などをもって
三人づれで出てきたな
さきに二階へ行きたまへ
ぼくはあかりを消してゆく
つけっぱなしにして置くと
下台ぢゅうの羽虫がみんな寄ってくる
  ……くわがたむしがビーンと来たり、
    一オンスもあって
    まるで鳥みたいな赤い蛾が
    ぴかぴか鱗粉を落したりだ……
ちゃうど台地のとっぱななので
ここのあかりは鳥には燈台の役目もつとめ
はたけの方へは誘蛾燈にもはたらくらしい
三十分もうっかりすると
家がそっくり昆虫館に変ってしまふ
  ……もうやってきた ちいさな浮塵子うんか
    ぼくは緑の蝦なんですといふやうに
    ピチピチ電燈デンキをはねてゐる……
それでは消すよ
はしごの上のところにね
小さな段がもひとつあるぜ
  ……どこかに月があるらしい
    林の松がでこぼこそらへ浮き出てゐるし
    川には霧がしろくひかってよどんでゐる……
いやこんばんは
  ……喧嘩の方もおさまったので
    まだ乳熟の稲の穂などを
    だいじにもってでてきたのだ……



  春曇吉日

     朱塗の蓋へ、
     廻状至急と書きつけた、
     状箱をもって
     坂をのぼり
     ひばのかきねをはいり
     いちいちふれてあるくところ
     明か清かの気風だな
     あの調子では
     まだ二時間は集るまい
どうだい君はねむったら
よほどつかれてゐるやうだ
ぼくには今日が
じつにかんかんとして楽しい
大陸風の一日だけれども
君にとっては折角の日曜日が たゞもう一日
どんよりとして過ぎるわけ
ねむりたまヘ
オーヴァをぬいで
枯草に寝てからかぶるといゝ
寒いやうなら下のゐろりヘ行くか
この辺は木も充分なので
春でもむろん燃えてゐる
   ぼんやりとしたひかりの味は
   まるで古風な水墨だ
   松の生えた丘も……
   割木のかきねをめぐらした家も……
   下のはざまのうら青い麦も……
   かういふ気分になれてもしまはず
   くらしのいきさつにもとらはれないで
   毎日たゞこの感触を感触として生きてゐたら
   ずゐぶん楽しいことなんだが
ぜんたい今日の天気はなんだ
明るくなるでも曇るでもなし
ぬるいやうにまたうす寒いやうに
たゞどんよりとかすんでゐるのは

   誰か家からぽろっと出る
   茶盆をもってやってくる
   あの赤いのは絨氈らしい

あれはあすこの主人だよ
古くから伝はってゐる
こゝらの古い歌舞き芝居の親分だ
禿げた頭をたゞありのまゝ
ぼんやりとした氛気にさらし
茶盆ももってやってくる
どうしてそれが
いろいろ余裕もあるけれども
この下の田で稼いだり
山で雪の日たきぎもとって
それでこゝらの荒れ畑などを
絵に見立てたり公園として考へる
ずゐぶんえらい見識だ
一昨日管区へやってきて
おれに来るやう頼んだときも
たしかに さうだ
勝川春章ゑがいた風の
古い芝居をきどってゐた



  冗語

また降ってくる
コキヤや羽衣甘藍ケール
植えるのはあとだ
堆肥を埋めてしまってくれ

啼いてる啼いてる
水禽園で、
頭の上に雲の来るのが嬉しいらしい
孔雀もまじって鳴いてゐる
北緯三十九度六月十日の孔雀だな

ははは 羆熊の堆肥
かういふものをこさえたのは
恐らく日本できみ一人
どういふカンナが咲くかなあ

何だあ 雨が来るでもないぞ
羽山で降って
滝から奥へれたのか
電車が着いて
イムバネスだの
ぞろぞろあるく
光の加減で
みんなずゐぶん人相がわるい

さあこんどこそいよいよくるぞ
南がまるでまっ白だ
胆沢の方の地平線が
西はんぶんを消されてゐる
おゝい堆肥をはやく、
ぬれてしまふととても始末が悪いから

栗の林がざあざあ鳴る
風だけでない
東をまはって降ってきた



  〔しばらくだった〕

しばらくだった
やつれたなあ
とてもまだまだ降りさうもない
下葉が赤くなったらう
      ……冬は氷と火にあふれ
        春はけむりをながしてゐて
        いまはみんなの苦難をよそに
        この崖下を南へすべる北上川……
しまひの水を引いてから
今日で二十日になるんだな
ひゞわれでねえ
ちょっとの水では、
みんなくぐってしまふからねえ
      ……きのふまでは
        四十雀をじぶんで編んだ籠に入れて
        づしだまの実も添えて
        町へもってきてやったりした、
        わり合ひゆたかな自作農のこどもだ……
川から水をあげるにしても
こゝはどうにもできないなあ
水路が西から来るからねえ
      ……はんのき

上流から水をあげて来て
耕地整理をやるってねえ
容易でないと思ふんだ
こんどは水はあがっても
それの費用が大へんだ


いつかは怒ってすまなかった
中学生だのきみが連れてきたもんだから
それに仕事の休みでない日
ぼくのところへ人がくると
近処でとてもおこるんだ
休み日は村でちがふんだが

あゝはやく雨がふって
あたりまへになって
またいろいろ、
果樹だの蜜蜂だの、
計画をたてられるやうになればいゝなあ
藺草を染めて
桐の花だのかくこうだの
きれいに織りだすことならば
いくらでもやるきみなんだがな



  軍馬補充部主事

うらうらと降ってくる陽だ
うこんざくらも大きくなって
まさに老幹とも云ひつべし
花がときどき眠ったりさめたりするやうなのは
自分の馬の風のためか
あるひはうすい雲かげや、
かげらうなぞのためだらう
よう調教に加はって
震天がもう走って居るな
膝がまだ癒り切るまい
列から出すといゝんだが
いやこゝまで来るとせいせいする
ひばりがないて
はたけが青くかすんで居る
その向ふには経塚岳だ
山かならずしも青岱ならず
残雪あながちに白からずだ
五番の圃地を目的に
青塗りの播種車はしゆしや
から松をのろのろ縫って行くのは
まづ本部のタンクだな
いやあ、牧地となると
聯隊に居るときとはちがって
じつにかんかんたるものだ
しかしながら
このやうな浩然の大気によって
何人もだらけぬことが肝要だ
ところが何だ、あのさまは
みんなぴたっと座り居る
このまっぴるま
しかもはたけのまんなかで
さんさ踊りをやり居って
誰か命令したやうに
ぴたりとみんな座り居った
おれのかたちを見たんだな
雇ひ農婦どもの白い笠がきのこのやうだ
まだじっとしてかゞんでゐるのは
まるで野原の生蕃だ
いったい何といふ秩序だ
あすこは二十五番の圃地だ
けさ高日技手が玉蜀黍を播くとか云って
四班を率ひて行き居ったのに
このまっぴるま何ごとだ
しかもあの若ものは乗馬づぼんに
ソフトカラなどつけ居って
なかなかづ太いところがある
一番行ってどなるとするか、
大人気ないな
ははあ開所の祭りが近い
今年もやっぱり去年のやうに
各班みんな競争で
なにか踊りをやるんぢゃな
もちろん拙者の意も迎へ
衆もたのしむつもりぢゃらう
それならむろん文句はない
馬のかしらを立て直しぢゃ
粋な親分肌を見せるのは
かう云ふときにかぎるんぢゃ
さっきのうこんざくらをつんで
家内に手紙を書くとしやう



  〔熊はしきりにもどかしがって〕

熊はしきりにもどかしがって
権治と馬を待ってゐる
麻もも引のすねを二とこ藁でくくって
小束な苗をにぎりながら
里道のへりにつっ立って
ほとんどはぎしりしないばかり、
水のなかではみんなが苗をぐんぐん植える
権治が苗つけ馬をひいて
だんだんゆらゆら近づいたので
隈はすばやく眼をそらし
じっと向ふのお城の上のそらを見る
そのあしもとのすぎなの上に
けらが四五枚ひろげられ
上には赤い飯びつや椀
二三歩向ふへふみだして、
大きな朱塗の盃をさゝげ
権治をまって立ってゐるのは隈のお袋
半分白髪で腰もまがり
泥で膝までぬれてゐる
権治がすっかり前へくると
もううやうやしくそれを出す
権治はたづなをわきにはさみ
両手でとって拝むやうにしてのんでゐる
隈はもどかしいのをじっとこらえ、
ふし眼にブリキの水を見る
城あとのまっ黒なほこ杉の上には
雲の白髪がはげしく立って
燕もとび
ブリキいろの水にごみもうかぶ
田植の朝にすっかりなった



  夜

がほてって寝つけないときは
手拭をまるめて握ったり
黒い硅板岩礫イキイシを持ったりして
みんな昔からねむったのだ



  杉

倒した杉は
崖下の田に梢をひたし
田は刈株もかくれるくらゐ
雪融水があくってゐて
青いそらも映り
雲もまばゆく光りながら
ちゃうど杉が立ってゐたときのやうに
どんどん梢を擦って通る
伐株に座って見てゐると
空肥桶をかついだ男が
向ふの畔を歩いてゐる
影は逆さに水にうつり
やっぱり杉を擦ってとほる
しきりに変な顔をして
こっちをすかして見てゐるのは
林のなかだし崖のうしろに日があるので
おれがなかなか見えないためだ
かういふときに顔逞ましい孔夫子コーフーシユ
いよいよかたちをあらためて
樹を正視して座ってゐろといふかもしれん
星座のかたちにあざのある
朱子とかいった人などは
名乗りをあげろといふかもしれん
にもかゝはらずすべては過ぎる
もう過ぎた
もう次の田へ影をうつして
やっぱりぱくぱく奇蹟のやうにあるいて行けば
いかに悔ゆるもすべないことは
これも何かの本文通り
水にはしばらく雲もなくて
杉はいよいよ藻のごとくである



  〔もう二三べん〕

もう二三べん
おれは甲助をにらみつけなければならん
山の雪から風のぴーぴー吹くなかに
部落総出の布令を出し
杉だの栗だのごちゃまぜに伐って
水路のへりの楊に二本
林のかげの崖べり添ひに三本
立てなくてもいゝ電柱を立て
点けなくてもいゝあかりをつけて
そしてこんどは電気工夫の慰労をかね
落成式をやるといふ
林のなかで呑むといふ
幹部ばかりで呑むといふ
おれも幹部のうちだといふ
なにを! おれはきさまらのやうな
一日一ぱいかたまってのろのろ歩いて
この穴はまだ浅いのこの柱はまがってゐるの
さも大切な役目をしてゐるふりをして
骨を折るのをごまかすやうな
そんな仲間でないんだぞ
今頃煤けた一文字などを大事にかぶり
繭買ひみたいな白いずぼんをだぶだぶはいて
林のなかで火をたいてゐる醜悪の甲助
断じてあすこまで出掛けて行って
もいちどにらみつけなければならん
けれどもにらみつけるのもいゝけれども
雨をふくんだ冷い風で
なかなか眼が痛いのである
しかも甲助はさっきから
しきりにおれの機嫌をとる
にらみつければわざとその眼をしょぼしょぼさせる
そのまた鼻がどういふわけか黒いのだ
事によったらおれのかういふ憤懣は
根底にある労働に対する嫌悪と
村へ来てからからだの工合の悪いこと
それをどこへも帰するところがないために
たまたま甲助電気会社の意を受けて
かういふ仕事を企んだのに
みな取り纏めてなすりつける
過飽和である水蒸気が
小さな塵を足場にして
雨ともなるの類かもしれん
さう考へれば柱にしても
全く不要といふでもない
現にはじめておれがこゝらへ来た時は
ぜんたいこゝに電燈一つないといふのは
何たることかと考へた
とにかく人をにらむのも
かう風が寒くて
おまけに青く辛い煙が
甲助の手許からまっ甲吹いてゐては
なかなか容易のことでない
酒は二升に豆腐は五丁
皿と醤油と箸をうちからもってきたのは
林の前の久治である
樺はばらばらと黄の葉を飛ばし
杉は茶いろの葉をおとす
六人も来た工夫のうちで
たゞ一人だけ人質のやう
青い煙にあたってゐる
ほかの工夫や監督は
知らないふりして帰してしまひ
うろうろしてゐて遅れたのを
工夫慰労の名義の手前
標本的に生け捕って
甲助が火を、
しきりに燃してねぎらへば
赤線入りのしゃっぽの下に
灰いろをした白髪がのびて
のどぼねばかり無暗に高く
きうくつさうに座ってゐる
風が西から吹いて吹いて
杉の木はゆれ樺の赤葉はばらばら落ちる
おれもとにかくそっちへ行かう
とは云へ酒も豆腐も受けず
たゞもうたき火に手をかざして
目力をつくして甲助をにらみ
了ってたゞちに去るのである

★後から6行目[ばらばら]の、後の[ばら]は[く]形の記号で書かれている。



  〔馬が一疋〕

馬が一疋
米を一駄大じにつけて
ひかって浅い吹雪の川を
せいいっぱいにあるいてくる
ひともやっぱり
十本ばかりの松の林をうしろにしょって
下ばかり見てとぼとぼくる
駒頭から台へかけて、
草場も林も
山は一列まっ白だ
上ではそらが青じろく晴れて
マイナスのシロッコともいふやうな
乾いてつめたい風を
まっかうから吹きつければ
その青びかるそらが、
つい敵といふ気にもなる
傘のかたちの林をしょって
五十駄の収穫が六十駄になっても
かくべつくらしは楽にならないと
あきらめたやうなわらひを
蓮華の花びらの形の唇にうかべ
しづかに吹雪をわたってくる
馬の髪はばしゃばしゃ
びっしょり汗をかきながら
吹雪に吹かれてあるいてゐるのだ



  〔職員室に、こっちが一足はいるやいなや〕

職員室に、こっちが一足はいるやいなや
ぱっと眉をひそめたものは
黄の狩衣によそほへる
日高神社の別当だ
半分立って迎へるものは
黒紋付に袴をはいた
二人の小さなお百姓
当然ここで
ぼくが何かを云ふべきであるが
何せあのまっ青な大高気圧の下で
引き汐のやうに奔ってゐる
乾いて光る吹雪のなかを
二里も泳いでやってきたので
耳だの頬だのぼうぼう熱り
咽喉はひきつって声が出ない
みんなだまってお茶をのむ
わづかに濁り粕もはいった日本の緑茶
校長さんもだまってお茶をつぎまはる
日高神社の別当は
怒らなくてもいゝわけだ
あの早池峰の原林を
いくらじぶんが先達で
夜なかにやってきたからといって
だまってみちに立ってゐる
こっちにいきなりつきあたって
叫びをあげて退いたのは
そっちの方が悪いのだ
アスティルベの花の穂が
あちこち月にひかってゐたし
そんな闇ではなかったのだ
けれども向ふの怒るのは
こっちの覇気でもあるらしい
こどもらがこっそりかはるがはる来て
がらすの戸から口をあいたりのぞくのは
水族館のやうでもある
おとなもそろそろ来てゐるやうだ
日高神社の別当は
いまだに眉をはげしく刻む



  審判

北軍の突撃は奏功しました
  よろこんだらうモカロフめ
  かういふ微妙な場合には
  剛毅果敢の士といへど
  ソフトな口調をもちふべし
  そこで次は
南軍ルート八中隊は
向ふのひかる片雲の下
まっ白なぼさの線までぇ
川をわたっていそいでさがれ
  ははあぶつぶつ云ってゐる
 それから各々昼食……と
  こいつはおれの分でない
  つるつる晴れた
  カピドール少佐の砲列は
  あの果樹園にあるんだが
  熟した苹果を三十ぐらゐ
  廃砲にでも装填して
こっちへ射ってよこさんかな
ふう
とにかくおれも飯にしやう
おかあさまただいまとかいって
メリがさがってくるころだ



  〔あかるいひるま〕

あかるいひるま
ガラスのなかにねむってゐると
そとでは冬のかけらなど
しんしんとして降ってゐるやう
蒼ぞらも聖く
羊のかたちの雲も飛んで
あの十二月南へ行った汽車そっくりだ
Look there,a ball of mistletoe!と
おれは窓越し丘の巨きな栗の木を指した
Oh,what a beautiful specimen of that!
あの青い眼のむすめが云った
汽車はつゞけてまっ赤に枯れたこならの丘や
濃い黒緑の松の間を
どこまでもその孔雀石いろのそらを映して
どんどんどんどん走って行った
"We say also heavens,
but of various stage."
"Then what are they?" むすめは〔以下不明〕

〔一、二行不明〕

聖者たちから直観され〔以下不明〕
古い十界の図式まで
科学がいまだに行きつかず
はっきり否定もできないうちに
たうたうおれも死ぬのかな
いま死ねば
いやしい鬼にうまれるだけだ



  〔高原の空線もなだらに暗く〕

高原の空線もなだらに暗く
乳房のかたちの種山は
濁った水いろのそらにうかんで
みちもなかばに暮れてしまった
  ……ひるは真鍮のラッパを吹いて
    あつまる馬に食塩をやり
    いまは溶けかかったいちはつの花をもって
    ひとは峠を下って行った……
その古ぼけた薄明穹のいたゞきを
すばやく何か白いひかりが擦過する
そこに巨きな魚形の雲が
そらの夕陽のなごりから
尻尾を赤く彩られ
しづかに東へ航行する
ふたたびそらがかがやいて
雲の魚の嘴は
一すじ白い折線を
原の突起にぎらぎら投げる
音もごろごろ聞えてくれば
はやくも次の赤い縞
いままた赤くひらめいて
浅黄ににごったうつろの奥に
二列の尖った巻層雲や
うごくともない水素の川を
わくわくするほど幻怪に見せ
つぶやくやうなそのこだま
凸こつとして苔生えた
あの ■岩の 残丘モナドノツク
そのいたゞきはいくたびふるひ
海よりもさびしく暮れる
はるかな草のなだらには
ひるの馬群がいつともしらず
いくつか円い輪をつくり
からだを密に寄り合ひながら
このフラッシュをあびてるだらう
そこに四疋の二才駒
あの高清の命の綱も
首を垂れたり尾をふったり
やっぱりじっと立ってゐる
蛾はほのじろく艸をとび
あちこちこわれた鉄索のやぐらや
谷いっぱいの青いけむり
この県道のたそがれに
あゝ心象イメーヂの高清は
しづかな磁製の感じにかはる

★本文28行目[■岩]の[■]は、ヘン[王]ツクリ[分]。



  〔あらゆる期待を喪ひながら〕

あらゆる期待を喪ひながら
ぼんやり立って
青草くらい丘の頂部にむかってゐれば
しづかに集る測量班と
くもって寒い風の向ふに
烱とひらける東の天

計算尺のできないことを
わづかな霧がやるとも見える



  〔黄いろにうるむ雪ぞらに〕

黄いろにうるむ雪ぞらに
縄がいっぽん投げあげられる

 バンス! ガンス! アガンス!
 ちょろちょろしたこどもらをかり集めて
 制服を着せて
 何か教へるまねをする
 やくざなはなしだ

でんしんばしらの斉唱と
風の向ふで更に白白饑えるもの




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変更作業:里実福太朗
変更終了:平成14年2月