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春と修羅 第三集補遺
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  〔白菜はもう〕

白菜はもう
三分の一やられたよ、
  ……悪どい雲だ……
鍬もながした
  ……大豆の葉が
    水のなかで銀いろにひかってゐる……
おいおい封介
どなって石をなげつけたって
  ……この温い黄いろな水だ……
来るところまでは来るよ
  ……いくら封介が黒く肩を張ってどなったところで
    水の方は、
    雲から風からひとから地物から、
    すっかり連鎖になって、
    きまってしまった巨きなもんだし
    封介の方は、
    やっといまびっくりして、
    むらきにどなりだしただけだ
    続けて五分もおこれない
    だからもう
    かたつむりの痕のやうにひかりながら
    うしろからも水がひたしてくるのだ……



  〔西も東も〕

西も東も
山の脚まで雲が澱んで
野はらへ暗い蓋をした
  ……レーキは削るぢしばり、ぢしばり、ぢしばり
    川は億千の針をながす……
川上にやっと一きれ白い天末
そのこっちでは
広告に大きくこさえた
練瓦会社の煙突が 幾日ぶりかで
黒い煙を吐いてゐる
  ……ぢしばりもいま、
    やっぱり冬にはいらうとして
    緑や苹果青あをや紅、紫、
    あらゆる色彩を支度する
    それをがりがり削いてとる……
もずが一むれ溯ってくる
矢羽をそらでたゝいてゐて
足ぶみをするやうなのは
岸の小松か何かの中へ
おりたいとでもいふのだらう
    (たゞ済まないと思ふばかり
     どうしてもう恨むことなどございませう)
練瓦会社の煙突から
黒いけむりがのぼって行って
しづかに雨の雲にまぶれる



  〔みんなは酸っぱい胡瓜を噛んで〕

みんなは酸っぱい胡瓜を噛んで
賦役に出ない家々から
集めた酒をのんでゐる
中で権左エ門の眼は
眼がねをかけたやうに両方あかく
立って宰領する熊氏の顔はひげ一杯だ
榾のけむりは稲いちめんにひろがって
雨はどしどしその青い穂に注いでゐる
おれはぼんやり稲の種類を答へてゐる
さっき何べんも何べんも
あの赤砂利をかつがせられた
顔のむくんだ弱さうな子は
みんなのうしろの板の間に
座って素麺むぎをたべてゐる
その赤砂利を盛った新らしい土橋は
楢や杉の暗い陰気な林をしょって
やっぱり雨に打たれてゐる
ほだのけむりがそこまで青く這ってゐる



  〔生温い南の風が〕

生温い南の風が
川を溯ってやってくる
紺紙の雲には日が熟し
川は鉛と銀とをながす
風は白い砂を吹いて吹いて
もういくつもの小さな砂丘を
畑のなかにつくってゐる



  〔降る雨はふるし〕

降る雨はふるし
倒れる稲はたほれる
たとへ百分の一しかない蓋然が
いま眼の前にあらはれて
どういふ結果にならうとも
おれはどこへも遁げられない
  ……春にはのぞみの列とも見え
    恋愛そのものとさへ考へられた
    鼠いろしたその雲の群……
もうレーキなどほうり出して、
かういふ開花期に
続けて降った百ミリの雨が
どの設計をどう倒すか
眼を大きくして見てあるけ
たくさんのこわばった顔や
非難するはげしい眼に
保険をとっても辨償すると答へてあるけ



  〔このひどい雨のなかで〕

このひどい雨のなかで
しづかに兎を飼ってゐる
いゝ兎なので
顔の銀いろなのもあり
めじろのやうになくのもある
そしてパチパチさゝげをたべる
けれどもこれも間に合はない
間に合はないと云ったところで
ああいふふうに若くて
頬もあかるく
髪もちゞれて黒いとなれば
べっかうゴムの長靴もはき
オリーヴいろの縮みのシャツも買って着る
そしてにがにがわらってゐる
かぐらのめんのやうなところがある
なにをやっても間にあはない
その親愛な仲間のひとりだ
くらく垂れた桑の林の向ふで
南のそらが灰いろにひかる



  蛇踊

こゝから草削ホウをかついで行って
玉菜畑へ飛び込めば
何か仕事の推進力と風や陽ざしの混合物
熱く酸っぱい亜片のために
二時間半がたちまち過ぎる
そいつが醒めて
まはりが白い光の網で消されると
ぼくはこゝまで戻って来て
かくのごとくに
水をごくごく呑むのである
それなる阿片は宗教または自己陶酔の類ではないと
管先生への報告のために
手帳へ書いて置くべきらしい
ははあ向ふの石場の上に
お蛇がちゃんとお出ましだ
この萌え出した柳の枝で
すこし頭を叩いてやらう
お蛇も笑って待ってるらしい
蛇がどんなに笑っても
やっぱり怒ったやうに見えるのは
眼の形と眼のまはりの鱗のならびのせいなんださうだ
こつりとひとつ ぼくは立派な蛇遣ひ
叩かれてぞろぞろまはる
はなはだ艶で無器用だ
しっぽをざらざら鳴らすのは
「それ響尾蛇に非るも
蛇はその尾を鳴らすめり」
ペルシャあたりの格言通り
それともペルシャがこの格言をもたないならば
ペルシャに蛇が居なかったか
格言などを王が歴代いやがったか
二つのうちであるかもしれん
さうその姿態ポーズ
「白びかりある攻勢」といふ主題だな
一つまはって
桃いろをした口をあく
怖さはんぶん見栄を切ったといふものだ
お日様青く■りだし
川からしめった風がきて
蛇はお藪へ
わたしは畑へお帰りです

★本文38行目[■]は、ヘンは[サンズイ]、ツクリは上[公(但し八は異体字)]下[秩n。



心象スケッチ、
  退耕

黒い雲が温く妊んで
一きれ一きれ
野ばらの藪を渉って行く。
そのあるものは
あらたな交会を望んで
ほとんど地面を這ふばかり
その間を縫って
ひとはオートの種子をまく
いきなり船が下流から出る
ぼろぼろの南京袋で帆をはって
山の鉛の溶けてきた
いっぱいの黒い流れを
からの酒樽をいくつかつけ
睡さや春にさからって
雲に吹かれて
のろのろとのぼってくれば
金貨を護送する兵隊のやうに
人が三人乗ってゐる
一人はともに膝をかゝえ
二人は岸のはたけや藪を見ながら
身構えをして立ってゐる
みんなずゐぶんいやな眼だ
じぶんだけ放蕩するだけ放蕩して
それでも不平で仕方ないとでもいふ風
憎悪の瞳も結構ながら
あんなのをいくら集めたところで
あらたな文化ができはしない
どんより澱む光のなかで
上着の裾がもそもそやぶけ
どんどん翔ける雲の上で
ひばりがくるほしくないてゐる



  雲

青じろい天椀のこっちに
まっしろに雪をかぶって
早池峯山がたってゐる
白くうるんだ二すじの雲が
そのいたゞきを擦めてゐる
雲はぼんやりふしぎなものをうつしてゐる
誰かサラーに属するひと
いまあの雲を見てゐるのだ
それは北西の野原のなかのひとところから
信仰と譎詐とのふしぎなモザイクになって
白くその雲にうつってゐる
 (いましがわれをみるごとく
  そのひといましわれをみる
  みなるまことはさとれども
  みのたくらみはしりがたし)
  ……さう
    信仰と譎詐との混合体が
    時に白玉を擬ひ得る
    その混合体はたゞ
    よりよい生活くらしを考へる……
信仰をさへ装はねばならぬ
よりよい生のこのねがひを
どうしてひとは悟らないかと
をはりにぼんやりうらみながら
雲のおもひは消えうせる
うすくにごった葱いろの水が
けむりのなかをながれてゐる



  〔倒れかかった稲のあひだで〕

倒れかかった稲のあひだで
ある眼は白く忿ってゐたし
ある眼はさびしく正視を避けた
  ……そして結局たづねるさきは
    地べたについたそのまっ黒な雲のなか……
あゝむらさきのいなづまが
みちの粘土をかすめれば
一すじかすかなせゝらぎは
わだちのあとをはしってゐる
それもたちまち風が吹いて
稲がいちめんまたしんしんとくらくなって
あっちもこっちも
ごろごろまはるからの水車だ
  ……幾重の松の林のはてで
    うづまく黒い雲のなか
    そこの小さな石に座って
    もう村村も町々も、
    衰へるだけ衰へつくし、
    うごくも云ふもできなくなる
    たゞそのことを考へやう……
百万遍の石塚に
巫戯化た柳が一本立つ



  表彰者

萓もたほれ稲もたほれて
野はらはいちめん
ぼんやり白い水けむり
その縁さきにちょこんと座って
おきなはうつろなまなこをあげ
そらのけはひを聴いてゐる
向ふは幾層つゝみの水が
灰いろをしてあふれてゐるし
幾群くらい松の林も
みな黒雲の脚とすれすれ
一様天地ののなかに
たゞ桃いろの稲づまばかり
そこらを一瞬ふしぎな邦と湧きたゝせ
やがては冬も麻を着て
せわしく過ぎた七十年を
頭ごなしに嘲けりながら
表彰するといったふう
  ……匪徒は歳ごと数も増せば
    慾求の質も貢進する……
白くながれる雲の川に
巫戯化た柳が一本たつ




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変更終了:平成14年2月