蜘蛛くもとなめくじとたぬき
                   宮澤賢治

1

蜘蛛くもと、銀色ぎんいろのなめくじとそれから顔を洗ったことのないたぬきとはみんな立派りつぱな選手でした。

2

けれども一体いつたい何の選手だったのか私はよく知りません。

3

山猫やまねこもうしましたが三人はそれはそれは実に本気の競争きようそうをしていたのだそうです。

4

一体何の競争をしていたのか、私は三人がならんでかける所を見ませんし学校の試験しけんで一番二番三番ときめられたことも聞きません。

5

一体何の競争をしていたのでしょう、蜘蛛は手も足も赤くて長く、むねには「ナンペ」と書いた蜘蛛文字のマークをつけていましたしなめくじはいつも銀いろのゴムのくつをはいていました。また狸は少しこわれてはいましたが運動シャッポをかぶっていました。

6

けれどもとにかく三人とも死にました。

7

蜘蛛は蜘蛛暦くもれき三千八百年の五月にくなり銀色のなめくじがその次の年、狸が又その次の年死とししにました。三人の伝記でんきをすこしよく調べてみましょう。


8

一、あか手長てなが蜘蛛くも

9

蜘蛛くもの伝記のわかっているのは、おしまいの一ヶ年間だけです。

10

蜘蛛は森の入口いりくちならの木に、どこからかあるばん、ふっと風に飛ばされて来てひっかかりました。蜘蛛はひもじいのを我慢がまんして、早速さつそくお月様の光をさいわいに、あみをかけはじめました。

11

あんまりひもじくておなかの中にはもう糸がない位でした。けれども蜘蛛は
「うんとこせうんとこせ」といながら、一生けんめい糸をたぐり出して、それはそれは小さな二銭銅貨位にせんどうかくらいあみをかけました。

12

夜あけごろ、遠くからがくうんとうなってやって来てあみにつきあたりました。けれどもあんまりひもじいときかけた網なので、糸に少しもねばりがなくて、蚊はすぐ糸を切って飛んで行こうとしました。

13

蜘蛛くもはまるできちがいのように、葉のかげから飛び出してむんずと蚊に食いつきました。

14

蚊は「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」とあわれな声で泣きましたが、蜘蛛は物もわずに頭から羽からあしまで、みんな食ってしまいました。そしてホッと息をついてしばらくそらを向いて腹をこすってから、また少し糸をはきました。そして網が一まわり大きくなりました。

15

蜘蛛はそして葉のかげに戻って、六つの眼をギラギラ光らせてじっと網をみつめてりました。
「ここはどこでござりまするな。」と云いながらめくらのかげろうがつえをついてやってまいりました。
「ここは宿屋やどやですよ。」と蜘蛛が六つの眼を別々べつべつにパチパチさせて云いました。

16

かげろうはやれやれというように、巣へ腰をかけました。蜘蛛は走って出ました。そして
「さあ、お茶をおあがりなさい。」といながらかげろうの胴中どうなかにむんずとみつきました。

17

かげろうはお茶をとろうとして出した手を空にあげて、バタバタもがきながら、
「あわれやむすめ、父親が、
旅で果てたと聞いたなら」とあわれな声で歌い出しました。
「えい。やかましい。じたばたするな。」と蜘蛛くもが云いました。するとかげろうは手をあわせて
「お慈悲じひでございます。遺言ゆいごんのあいだ、ほんのしばらくお待ちなされて下されませ。」とねがいました。

18

蜘蛛もすこし哀れになって
「よし早くやれ。」といってかげろうの足をつかんで待っていました。かげろうはほんとうにあわれな細い声ではじめから歌い直しました。
「あわれやむすめちちおやが、

19

旅ではてたと聞いたなら、

20

ちさいあの手に白手甲しろてこう

21

いとし巡礼じゅんれの雨とかぜ。

22

もうしご冥加みようが報謝ほうしやと、

23

かどなみなみに立つとても、

24

非道ひどうの蜘蛛のあみざしき、

25

さわるまいぞや。よるまいぞ。」
しゃくなことを。」と蜘蛛はただ一息ひといきに、かげろうを食い殺してしまいました。そしてしばらくそらを向いて、はらをこすってからちょっと眼をぱちぱちさせて「小しゃくなことを言うまいぞ。」とふざけたように歌いながらまた糸をはきました。

26

網は三まわり大きくなって、もう立派な蜘蛛の巣です。蜘蛛はすっかり安心して、又葉またはのかげにかくれました。その時下ときしたの方でいい声で歌うのをききました。
「赤いてながのくぅも、

27

天のちかくをはいまわり、

28

スルスル光のいとをはき、

29

きぃらりきぃらり巣をかける。」

30

見るとそれはきれいな女の蜘蛛でした。
「ここへおいで。」と手長てながの蜘蛛が云って糸を一本すうっとさげてやりました。

31

女の蜘蛛がすぐそれにつかまってのぼって来ました。そして二人は夫婦ふうふになりました。網には毎日沢山まいにちたくさん食べるものがかかりましたのでおかみさんの蜘蛛くもは、それを沢山たべてみんな子供にしてしまいました。そこで子供が沢山たくさん生まれました。所がその子供らはあんまり小さくてまるですきとおるくらいです。

32

子供らはあみの上ですべったり、相撲すもうをとったり、ぶらんこをやったり、それはそれはにぎやかです。おまけにある日とんぼが来て今度蜘蛛こんどくもむしけら会の相談役そうだんやくにするというみんなの決議けつぎをつたえました。

33

ある日夫婦のくもは、葉のかげにかくれてお茶をのんでいますと、下の方でへらへらした声で歌うものがあります。
「あぁかい手ながのくぅも、

34

できたむすこは二百ぴき

35

めくそ、はんかけ、のなみだ、

36

大きいところでひえのつぶ。」

37

見るとそれは大きな銀色のなめくじでした。

38

蜘蛛くものおかみさんはくやしがって、まるで火がついたように泣きました。

39

けれども手長てながの蜘蛛は云いました。
「ふん。あいつはちかごろ、おれをねたんでるんだ。やい、なめくじ。おれは今度は虫けら会の相談役そうだんやくになるんだぞ。へっ。くやしいか。へっ。てまえなんかいくらからだばかりふとっても、こんなことはできまい。へっへっ。」

40

なめくじはあんまりくやしくて、しばらく熱病ねつびようになって、
「うう、くもめ、よくもぶじょくしたな。うう。くもめ。」といっていました。

41

あみ時々ときどき風にやぶれたりごろつきのかぶとむしにこわされたりしましたけれどもくもはすぐすうすう糸をはいて修繕しゆうぜんしました。

42

二百疋の子供は百九十八疋ひゃくくじゅうはちひきまでありれて行かれたり、行衛不明ゆくえふめいになったり、赤痢せきりにかかったりして死んでしまいました。

43

けれども子供らは、どれもあんまりおたがいに似ていましたので、親ぐもはすぐ忘れてしまいました。

44

そして今はもう網はすばらしいものです。虫がどんどんひっかかります。

45

ある日夫婦の蜘蛛くもは、葉のかげにかくれてお茶をのんでいますと、一疋の旅のがこっちへ飛んで来て、それから網を見てあわてて飛び戻ってきました。

46

すると下の方で
「ワッハッハ。」と笑う声がしてそれから太い声で歌うのが聞こえました。
「あぁかいてながのくうも、

47

あんまりあみがまずいので、

48

八千二百里たびも、

49

くうんとうなってまわれ右。」

50

見るとそれは顔を洗ったことのないたぬきでした。蜘蛛はキリキリキリッとはがみをしていました。
「何を。狸め。一生いつしようのうちにはきっとおれにおじぎをさせて見せるぞ。」

51

それからは蜘蛛は、もう一生けん命であちこちにとおも網をかけたり、夜も見はりをしたりしました。ところが困ったことは腐敗ふはいしたのです。食物がずんずんたまって、腐敗したのです。そして蜘蛛の夫婦と子供にそれがうつりました。そこで四人よつたりは足のさきからだんだんくされてべとべとになり、ある日とうとう雨に流されてしまいました。

52

それは蜘蛛暦くもれき三千八百年の五月の事です。

53

二、銀色のなめくじ

54

丁度ちようど蜘蛛が林の入口いりくちならの木に、二銭銅貨にせんどうかくらいあみをかけたころ、銀色のなめくじの立派なおうちへかたつむりがやってまいりました。

55

その頃なめくじは林の中では一番親切しんせつだという評判ひようばんでした。かたつむりは
「なめくじさん。今度はわたしもすっかり困ってしまいましたよ。まるで食べるものはなし、水はなし、すこしばかりお前さんのためてあるふきのつゆをれませんか。」といました。

56

するとなめくじが云いました。
「あげますともあげますとも。さあ、おあがりなさい。」
「ああありがとうございます。助かります。」と云いながらかたつむりはふきのつゆをどくどくのみました。
「もっとおあがりなさい。あなたと私とは云わば兄弟。ハッハハ。さあ、さあ、も少しおあがりなさい。」となめくじが云いました。
「そんならも少しいただきます。ああありがとうございます。」と云いながらかたつむりはも少しのみました。
「かたつむりさん。気分きぶんがよくなったら一つ相撲すもうをとりましょうか。ハッハハ。ひさしぶりです。」となめくじがいました。
「おなかがすいて力がありません。」とかたつむりが云いました。
「そんならたべ物をあげましょう。さあ、おあがりなさい。」となめくじはあざみのやなんか出しました。
「ありがとうございます。それではいただきます。」といいながらかたつむりはそれをべました。
「さあ、すもうをとりましょう。ハッハハ。」となめくじがもう立ちあがりました。かたつむりも仕方しかたなく、
「私はどうも弱いのですから強く投げないで下さい。」と云いながら立ちあがりました。
「よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。」
「もうつかれてだめです。」
「まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。」
「もうだめです。」
「まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。よっしょ、そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。」
「もうだめ。」
「まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。よっしょ、そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。」
「もう死にます。さよなら。」
「まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。さあ。お立ちなさい。おこしてあげましょう。よっしょ。そら。ヘッヘッヘ。」かたつむりは死んでしまいました。そこで銀色のなめくじはかたつむりをペロリとべてしまいました。

57

それから一ヶ月ばかりたって、とかげがなめくじの立派なおうちへびっこをひいて来ました。そして
「なめくじさん。今日は。お薬を少しれませんか。」といました。
「どうしたのです。」となめくじは笑って聞きました。
「へびにまれたのです。」ととかげが云いました。
「そんならわけはありません。私が一寸ちよつとそこをめてあげましょう。なあにすぐなおりますよ。ハッハハ。」となめくじは笑って云いました。
「どうかお願い申します。」ととかげは足を出しました。
「ええ。よござんすとも。私とあなたとはわば兄弟。ハッハハ。」となめくじは云いました。

58

そしてなめくじはとかげの傷に口をあてました。
「ありがとう。なめくじさん。」ととかげは云いました。
「も少しよくめないとあとで大変ですよ。今度また来てももう直してあげませんよ。ハッハハ。」となめくじはもがもが返事をしながらやはりとかげを嘗めつづけました。
「なめくじさん。何だか足がけたようですよ。」ととかげはおどろいて云いました。
「ハッハハ。なあに。それほどじゃありません。ハッハハ。」となめくじはやはりもがもが答えました。
「なめくじさん。おなかが何だか熱くなりましたよ。」ととかげは心配して云いました。
「ハッハハ。なあにそれほどじゃありません。ハッハハ。」となめくじはやはりもがもが答えました。
「なめくじさん。からだが半分とけたようですよ。もうよして下さい。」ととかげは泣き声を出しました。
「ハッハハ。なあにそれほどじゃありません。ほんのも少しです。も一分五厘いちぶごりんですよ。ハッハハ。」となめくじが云いました。

59

それを聞いたとき、とかげはやっと安心しました。丁度心臓ちようどしんぞうがとけたのです。

60

そこでなめくじはペロリととかげをたべました。そして途方とほうもなく大きくなりました。

61

あんまり大きくなったのでうれしまぎれについあの蜘蛛くもをからかったのでした。

62

そしてかえって蜘蛛からあざけられて、熱病をおこしたのです。そればかりではなく、なめくじの評判ひようばんはどうもよくなくなりました。

63

なめくじはいつでもハッハハと笑って、そしてヘラヘラした声で物を言うけれども、どうも心がよくなくて蜘蛛やなんかよりはかえって悪いやつだというのでみんなが軽べつをはじめました。ことたぬきはなめくじの話が出るといつでもヘンと笑って云いました。
「なめくじなんてまずいもんさ。ぶま加減かげんは見られたもんじゃない。」

64

なめくじはこれを聞いておこって又病気またびようきになりました。そのうちに蜘蛛は腐敗ふはいして雨で流れてしまいましたので、なめくじも少しせいせいしました。

65

次の年ある日雨蛙あまがえるがなめくじの立派なおうちへやって参りました。

66

そして、
「なめくじさん。こんにちは。少し水をませませんか。」と云いました。

67

なめくじはこの雨蛙あまがえるもペロリとやりたかったので、思い切っていい声で申しました。
「蛙さん。これはいらっしゃい。水なんかいくらでもあげますよ。ちかごろはひでりですけれどもなあに云わばあなたとわたしは兄弟。ハッハハ。」そして水がめの所へれて行きました。

68

蛙はどくどくどくどく水を呑んでからとぼけたような顔をしてしばらくなめくじを見てから云いました。
「なめくじさん。ひとつすもうをとりましょうか。」

69

なめくじはうまいと、よろこびました。自分が云おうと思っていたのを蛙の方が云ったのです。こんな弱ったやつならば五へん投げつければ大ていペロリとやれる。
「とりましょう。よっしょ。そら。ハッハハ。」かえるはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かえるは又投げつけられました。するとかえるは大へんあわててふところから塩のふくろを出して云いました。
土俵どひようへ塩をまかなくちゃだめだ。そら。シュウ。」塩がまかれました。

70

なめくじが云いました。
「かえるさん。こんどはきっとわたしなんかまけますね。あなたは強いんだもの。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」蛙はひどく投げつけられました。

71

そして手足をひろげて青じろい腹を空に向けて死んだようになってしまいました。銀色のなめくじは、すぐペロリとやろうと、そっちへ進みましたがどうしたのか足がうごきません。見るともう足が半分とけています。
「あ、やられた。塩だ。畜生ちくしよう。」となめくじが云いました。

72

蛙はそれを聞くと、むっくり起きあがってあぐらをかいて、かばんのような大きな口を一ぱいにあけて笑いました。そしてなめくじにおじぎをして云いました。
「いや、さよなら。なめくじさん。とんだことになりましたね。」

73

なめくじが泣きそうになって、
「蛙さん。さよ………。」と云ったときもう舌がとけました。雨蛙あまがえるはひどく笑いながら
「さよならと云いたかったのでしょう。本当にさよならさよなら。暗い細路ほそみちを通って向うへ行ったらわたし胃袋いぶくろにどうかよろしく云って下さいな。」と云いながら銀色のなめくじをペロリとやりました。

74

三、かおあらわないたぬき

75

たぬきかおあらいませんでした。

76

それもわざと洗わなかったのです。

77

狸は丁度蜘蛛ちようどくもが林の入口いりくちならの木に、二銭銅貨位にせんどうかぐらいをかけた時、すっかりお腹が空いて一本の松の木によりかかって目をつぶっていました。するとうさぎがやって参りました。
「狸さま。こうひもじくては全く仕方ございません。もう死ぬだけでございます。」

78

狸がきもののえりをき合せて云いました。
「そうじゃ。みんな往生じゃ。山猫大明神やまねこだいみようじんさまのおぼしめしどおりじゃ。な。なまねこ。なまねこ。」

79

うさぎ一諸いつしよ念猫ねんねこをとなえはじめました。
「なまねこ、なまねこ、なまねこ、なまねこ。」

80

狸は兎の手をとってもっと自分の方へ引きよせました。
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫やまねこさまのおぼしめしどおり、なまねこ。なまねこ。」と云いながらうさぎの耳をかじりました。兎はびっくりして叫びました。
「あ痛っ。狸さん。ひどいじゃありませんか。」

81

狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどおり。なまねこ。」と云いながら、とうとう兎の両方の耳をたべてしまいました。

82

うさぎもそうきいていると、たいへんうれしくてボロボロ涙をこぼして云いました。
「なまねこ、なまねこ。ああありがたい、山猫さま。私のような悪いものでも助かりますなら耳の二つやそこらなんでもございませぬ。なまねこ。」

83

狸もそら涙をボロボロこぼして
「なまねこ、なまねこ、わたしのようなあさましいものでも助かりますなら手でも足でもさしあげまする。ああありがたい山猫さま。みんなおぼしめしのまま。」と云いながら兎の手をむにゃむにゃ食べました。

84

兎はますますよろこんで、
「ああありがたや、山猫さま。私のようないくじないものでも助かりますなら手の二本やそこらはいといませぬ。なまねこ、なまねこ。」

85

狸はもうなみだで身体からだもふやけそうに泣いたふりをしました。
「なまねこ、なまねこ。わたしのようなとてもかなわぬあさましいものでも、お役にたてて下されますか。ああありがたや。なまねこなまねこ。おぼしめしのとおり。むにゃむにゃ。」

86

兎はすっかりなくなってしまいました。

87

そこで狸のおなかの中で云いました。
「すっかりだまされた。お前の腹の中はまっくろだ。ああくやしい。」

88

狸はおこっていました。
「やかましい。はやく消化しろ。」

89

そして狸はポンポコポンポンとはたつづみをうちました。

90

それから丁度ちようど二ヶ月たちました。ある日、狸は自分のうちで、れいのとおりありがたいごきとうをしていますと、狼がお米を三升さんじようさげて来て、どうかお説教せつきようをねがいますと云いました。

91

そこで狸は云いました。
「みんな山ねこさまのおぼしめしじゃ。お前がおこめ三升さんじようもって来たのも、わしがお前に説教せつきようするのもじゃ。山ねこさまはありがたいお方じゃ。うさぎはおそばにまいって、大臣になられたげな。お前もものの命をとったことは、五百や千ではくまいに、はようざんげさっしゃれ。でないと山ねこさまにえらい責苦せめくにあわされやすいぞい。おお恐ろしや。なまねこ。なまねこ。」

92

おおかみはおびえあがって、きょろきょろしながらたずねました。
「そんならどうしたら助かりますかな。」

93

たぬきが云いました。
「わしは山ねこさまのお身代みがわりじゃで、わしの云うとおりさっしゃれ。なまねこ。なまねこ。」
「どうしたらようございましょう。」とおおかみがあわててききました。たぬきいました。
「それはな。じっとしていさしゃれ。な。わしはお前のきばをぬくじゃ。な。お前の目をつぶすじゃ。な。それから。なまねこ、なまねこ、なまねこ。お前のみみを一寸ちょっとかじるじゃ。なまねこ。なまねこ。こらえなされ。お前のあたまをかじるじゃ。むにゃ、むにゃ。なまねこ。堪忍かんにんが大事じゃぞえ。なま……。むにゃむにゃ。お前のあしをたべるじゃ。うまい。なまねこ。むにゃ。むにゃ。おまえのせなかを食うじゃ。うまい。むにゃむにゃむにゃ。」

94

狼は狸のはらの中で云いました。
「ここはまっくらだ。ああ、ここにうさぎの骨がある。たれか殺したろう。殺したやつは狸さまにあとでかじられるだろうに。」

95

たぬき無理むりに「ヘン。」と笑っていました。

96

さて蜘蛛くもはとけて流れ、なめくじはペロリとやられ、そして狸は病気にかかりました。

97

それはからだの中にどろや水がたまって、無暗むやみにふくれる病気で、しまいには中に野原や山ができて狸のからだは地球儀ちきゆうぎのようにまんまるになりました。

98

そしてまっくろになって、熱にうかされて、
「うう、こわいこわい。おれは地獄行じごくゆきのマラソンをやったのだ。うう、せつない。」といいながらとうとうげて死んでしまいました。

99




なるほどそうしてみると三人とも地獄行きのマラソン競争をしていたのです。




使用したテキストファイル
  使用権フリー作品集シリーズ 1
     宮澤賢治童話全集
  制作・販売:マイクロ テクノロジー株式会社
変更箇所
  ルビ付きHTMLファイルに変換
  行間処理(行間180%)
 段落処理  形式段落ごとに<P>タグ追加
       段落冒頭の一字下げを一行下げに変更
       段落番号追加
変更作業:里見福太朗
変更終了:平成13年9月