二、三羽――十二、三羽
泉鏡花
1
引越しをするごとに、「雀はどうしたろう。」もう八十幾つで、耳が遠かった。――その耳を熟と澄ますようにして、目をうっとりと空を視めて、火桶にちょこんと小さくいて、「雀はどうしたろうの。」引越しをするごとに、祖母のそう呟いたことを覚えている。「祖母さん、一所に越して来ますよ。」当てずッぽに気安めを言うと、「おお、そうかの。」と目皺を深く、ほくほくと頷いた。
2
そのなくなった祖母は、いつも仏の御飯の残りだの、洗いながしのお飯粒を、小窓に載せて、雀を可愛がっていたのである。
3
私たちの一向に気のない事は――はれて雀のものがたり――そらで嵐雪の句は知っていても、今朝も囀った、と心に留めるほどではなかった。が、少からず愛惜の念を生じたのは、おなじ麹町だが、土手三番町に住った頃であった。春も深く、やがて梅雨も近かった。……庭に柿の老樹が一株。遣放しに手入れをしないから、根まわり雑草の生えた飛石の上を、ちょこちょことよりは、ふよふよと雀が一羽、羽を拡げながら歩行いていた。家内がつかつかと跣足で下りた。いけずな女で、確に小雀を認めたらしい。チチチチ、チュ、チュッ、すぐに掌の中に入った。「引掴んじゃ不可い、そっとそっと。」これが鶯か、かなりやだと、伝統的にも世間体にも、それ鳥籠をと、内にはないから買いに出る処だけれど、対手が、のりを舐める代もので、お安く扱われつけているのだから、台所の目笊でその南の縁へ先ず伏せた。――ところで、生捉って籠に入れると、一時と経たないうちに、すぐに薩摩芋を突ついたり、柿を吸ったりする、目白鳥のように早く人馴れをするのではない。雀の児は容易く餌につかぬと、祖母にも聞いて知っていたから、このまだ草にふらついて、飛べもしない、ひよわなものを、飢えさしてはならない。――きっと親雀が来て餌を飼おう。それには、縁では可恐がるだろう。……で、もとの飛石の上へ伏せ直した。
4
母鳥は直ぐに来て飛びついた。もう先刻から庭樹の間を、けたたましく鳴きながら、あっちへ飛び、こっちへ飛び、飛騒いでいたのであるから。
5
障子を開けたままで覗いているのに、仔の可愛さには、邪険な人間に対する恐怖も忘れて、目笊の周囲を二、三尺、はらはらくるくると廻って飛ぶ。ツツと笊の目へ嘴を入れたり、颯と引いて横に飛んだり、飛びながら上へ舞立ったり。そのたびに、笊の中の仔雀のあこがれようと言ったらない。あの声がキイと聞えるばかり鳴き縋って、引切れそうに胸毛を震わす。利かぬ羽を渦にして抱きつこうとするのは、おっかさんが、嘴を笊の目に、その……ツツと入れては、ツイと引く時である。
6
見ると、小さな餌を、虫らしい餌を、親は嘴に銜えているのである。笊の中には、乳離れをせぬ嬰児だ。火のつくように泣立てるのは道理である。ところで笊の目を潜らして、口から口へ哺めるのは――人間の方でもその計略だったのだから――いとも容易い。
7
だのに、餌を見せながら鳴き叫ばせつつ身を退いて飛廻るのは、あまり利口でない人間にも的確に解せられた。「あかちゃんや、あかちゃんや、うまうまをあげましょう、其処を出ておいで。」と言うのである。他の手に封じられた、仔はどうして、自分で笊が抜けられよう? 親はどうして、自分で笊を開けられよう? その思はどうだろう。
8
私たちは、しみじみ、いとしく可愛くなったのである。
9
石も、折箱の蓋も撥飛ばして、笊を開けた。「御免よ。」「御免なさいよ。」と、雀の方より、こっちが顔を見合わせて、悄気げつつ座敷へ引込んだ。
10少々極が悪くって、しばらく、背戸へ顔を出さなかった。
11
庭下駄を揃えてあるほどの所帯ではない。玄関の下駄を引抓んで、晩方背戸へ出て、柿の梢の一つ星を見ながら、「あの雀はどうしたろう。」ありたけの飛石――と言っても五つばかり――を漫に渡ると、湿けた窪地で、すぐ上が荵や苔、竜の髯の石垣の崖になる、片隅に山吹があって、こんもりした躑躅が並んで植っていて、垣どなりの灯が、ちらちらと透くほどに二、三輪咲残った……その茂った葉の、蔭も深くはない低い枝に、雀が一羽、たよりなげに宿っていた。正に前刻の仔に違いない。…様子が、土から僅か二尺ばかり。これより上へは立てないので、ここまで連れて来た女親が、わりのう預けて行ったものらしい……敢て預けて行ったと言いたい。悪戯を詫びた私たちの心を汲んだ親雀の気の優しさよ。……その親たちの塒は何処?……この嬰児ちゃんは寂しそうだ。
12
土手の松へは夜鷹が来る。築土の森では木兎が鳴く。……折から宵月の頃であった。親雀は、可恐いものの目に触れないように、なるたけ、葉の暗い中に隠したに違いない。もとより藁屑も綿片もあるのではないが、薄月が映すともなしに、ぼっと、その仔雀の身に添って、霞のような気が籠って、包んで円く明かったのは、親の情の朧気ならず、輪光を顕わした影であろう。「ちょっと。」「何さ。」手招ぎをして、「来て見なよ。」家内を呼出して、両方から、そっと、顔を差寄せると、じっとしたのが、微に黄色な嘴を傾けた。この柔な胸毛の色は、さし覗いたものの襟よりも白かった。
13
夜ふかしは何、家業のようだから、その夜はやがて明くるまで、野良猫に注意した。彼奴が後足で立てば届く、低い枝に、預ったからである。
14
朝寝はしたし、ものに紛れた。午の庭に、隈なき五月の日の光を浴びて、黄金の如く、銀の如く、飛石の上から、柿の幹、躑躅、山吹の上下を、二羽縦横に飛んで舞っている。ひらひら、ちらちらと羽が輝いて、三寸、五寸、一尺、二尺、草樹の影の伸びるとともに、親雀につれて飛び習う、仔の翼は、次第に、次第に、上へ、上へ、自由に軽くなって、卯の花垣の丈を切るのが、四、五度馴れると見るうちに、崖をなぞえに、上町の樹の茂りの中へ飛んで見えなくなった。
15
真綿を黄に染めたような、あの翼が、こう速に飛ぶのに馴れるか。かつ感じつつ、私たちは飽かずに視めた。
16
あとで、台所からかけて、女中部屋の北窓の小窓の小縁に、行ったり、来たり、出入りするのは、五、六羽、八、九羽、どれが、その親と仔の二羽だかは紛れて知れない。
17
――二、三羽、五、六羽、十羽、十二、三羽。ここで雀たちの数を言ったついでに、それぞれの道の、学者方までもない、ちょっとわけ知りの御人に伺いたい事がある。
18
別の儀でない。雀の一家族は、おなじ場所では余り沢山には殖えないものなのであろうか知ら? 御存じの通り、稲塚、稲田、粟黍の実る時は、平家の大軍を走らした水鳥ほどの羽音を立てて、畷行き、畔行くものを驚かす、夥多しい群団をなす。鳴子も引板も、半ば――これがための備だと思う。むかしのもの語にも、年月の経る間には、おなじ背戸に、孫も彦も群るはずだし、第一椋鳥と塒を賭けて戦う時の、雀の軍勢を思いたい。よしそれは別として、長年の間には、もう些と家族が栄えようと思うのに、十年一日と言うが、実際、――その土手三番町を、やがて、いまの家へ越してから十四、五年になる。――あの時、雀の親子の情に、いとしさを知って以来、申出るほどの、さしたる御馳走でもないけれど、お飯粒の少々は毎日欠かさず撒いて置く。たとえば旅行をする時でも、……「火の用心」と、「雀君を頼むよ」……だけは、留守へ言って置くくらいだが、さて、何年にも、ちょっと来て二羽三羽、五、六羽、総勢すぐって十二、三羽より数が殖えない。長者でもないくせに、俵で扶持をしないからだと、言われればそれまでだけれど、何、私だって、もう十羽殖えたぐらいは、それだけ御馳走を増すつもりでいるのに。
19
何も、雀に託けて身代の伸びない愚痴を言うのではない。また……別に雀の数の多くなる事ばかりを望むのではないのであるが、春に、秋に、現に目に見えて五、六羽ずつは親の連れて来る子の殖えるのが分っているから、いつも同じほどの数なのは、何処へ行って、どうするのだろうと思うからである。
20
が、どうも様子が、仔雀が一羽だちの出来るのを待って、その小児だけを宿に残して、親雀は塒をかえるらしく思われる。
21
あの、仔雀が、チイチイと、ありッたけ嘴を赤く開けて、クリスマスに貰ったマントのように小羽を動かし、胸毛をふよふよと揺がせて、こう仰向いて強請ると、あいよ、と言った顔色で、チチッ、チチッと幾度もお飯粒を嘴から含めて遣る。……食べても強請る。ふくめつつ、後ねだりをするのを機掛に、一粒銜えて、お母さんは塀の上――――其処そこから、裏露地を切って、向うの瓦屋根かわらやねへフッと飛ぶ。とあとから仔雀がふわりと縋すがる。これで、羽を馴らすらしい。また一組は、おなじく餌えを含んで、親雀が、狭い庭を、手水鉢ちょうずばちの高さぐらいに舞上まいあがると、その胸のあたりへ附着くッつくように仔雀が飛上とびあがる。尾を地へ着けないで、舞いつつ、飛びつつ、庭中を翔廻かけまわりなどもする、やっぱり羽を馴らすらしい。この舞踏が一斉いっときに三組みくみも四組よくみもはじまる事がある。卯うの花を掻乱かきみだし、萩はぎの花を散らして狂う。……かわいいのに目がないから、春も秋も一所いっしょだが、晴の遊戯あそびだ。もう些ちっと、綺麗きれいな窓掛まどかけ、絨毯じゅうたんを飾っても遣やりたいが、庭が狭いから、羽とともに散りこぼれる風情ふぜいの花は沢山ない。かえって羽について来るか、嘴くちばしから落すか、植えない菫すみれの紫が一本ひともと咲いたり、蓼たでが穂を紅あからめる。
22
ところで、何のなかでも、親は甘いもの、仔はずるく甘ッたれるもので。……あの胸毛の白いのが、見ていると、そのうちに立派に自分で餌えが拾えるようになる。澄ました面つらで、コツンなどと高慢に食べている。いたずらものが、二、三羽、親の目を抜いて飛んで来て、チュッチュッチュッとつつき合あいの喧嘩けんかさえ遣やる。生意気なまいきにもかかわらず、親雀がスーッと来て叱しかるような顔をすると、喧嘩の嘴くちばしも、生意気な羽も、忽たちまちぐにゃぐにゃになって、チイチイ、赤坊声あかんぼごえで甘ったれて、餌うまうまを頂戴と、口を張開はりひらいて胸毛をふわふわとして待構まちかまえる。チチッ、チチッ、一人でお食べなと言っても肯きかない。頬辺ほっぺたを横に振っても肯きかない。で、チイチイチイ……おなかが空いたの。……おお、よちよち、と言った工合に、この親馬鹿が、すぐにのろくなって、お飯粒まんまつぶの白い処ところを――贅沢ぜいたくな奴らで、内うちのは挽割麦ひきわりを交まぜるのだがよほど腹がすかないと麦の方へは嘴はしをつけぬ。此奴こいつら、大地震の時は弱ったぞ――啄ついばんで、嘴はしで、仔の口へ、押込おしこみ揉込もみこむようにするのが、凡およそ堪たまらないと言った形で、頬摺ほおずりをするように見える。
23
怪けしからず、親に苦労を掛ける。……そのくせ、他愛たわいのないもので、陽気がよくて、お腹なかがくちいと、うとうととなって居睡いねむりをする。……さあさあ一ひときり露台みはらしへ出ようか、で、塀の上から、揃ってもの干ほしへ出たとお思いなさい。日のほかほかと一面に当る中に、声は噪はしゃぎ、影は踊る。
24
すてきに物干ものほしが賑にぎやかだから、密そっと寄って、隅の本箱の横、二階裏にかいうらの肘掛窓ひじかけまどから、まぶしい目をぱちくりと遣やって覗のぞくと、柱からも、横木からも、頭の上の小廂こびさしからも、暖あたたかな影を湧わかし、羽を光らして、一斉いっときにパッと逃げた。――飛ぶのは早い、裏邸うらやしきの大枇杷おおびわの樹までさしわたし五十間けんばかりを瞬またたく間まもない。――この枇杷の樹が、馴染なじみの一家族の塒ねぐらなので、前通りの五本ばかりの桜の樹有島ありしま家にも一群ひとむれ巣を食っているのであるが、その組は私の内へは来ないらしい、持場が違うと見える――時に、女中がいけぞんざいに、取込とりこむ時引外ひきはずしたままの掛棹かけざおが、斜違はすかいに落ちていた。硝子がらす一重ひとえすぐ鼻の前さきに、一羽可愛かわいいのが真正面まっしょうめんに、ぼかんと留とまって残っている。――どうかして、座敷へ飛込とびこんで戸惑いするのを掴つかまえると、掌てのひらで暴れるから、このくらい、しみじみと雀の顔を見た事はない。ふっくりとも、ほっかりとも、細い毛へ一つずつ日光を吸込すいこんで、おお、お前さんは飴あめで出来ているのではないかい、と言いたいほど、とろんとして、目を眠っている。道理こそ、人の目と、その嘴はしと打撞ぶつかりそうなのに驚きもしない、と見るうちに、蹈ふまえて留とまった小さな脚がひょいと片脚、幾度も下へ離れて辷すべりかかると、その時はビクリと居直いなおる。……煩わずらって動けないか、怪我けがをしていないかな。……
25
以前、あしかけ四年ばかり、相州逗子そうしゅうずしに住すまった時三太郎さんたろうと名づけて目白鳥めじろがいた。
26
桜山さくらやまに生れたのを、おとりで捕った人に貰もらったのであった。が、何処どこの巣にいて覚えたろう、鵯ひよ、駒鳥こまどり、あの辺にはよくいる頬白ほおじろ、何でも囀さえずる……ほうほけきょ、ほけきょ、ほけきょ、明あきらかに鶯うぐいすの声を鳴いた。目白鳥としては駄鳥だちょうかどうかは知らないが、私には大の、ご秘蔵――長屋の破軒やぶれのきに、水を飲ませて、芋いもで飼ったのだから、笑って故わざとごの字をつけておく――またよく馴れて、殿様が鷹たかを据すえた格かくで、掌てのひらに置いて、それと見せると、パッと飛んで虫を退治たいじた。また、冬の日のわびしさに、紅椿べにつばきの花を炬燵こたつへ乗せて、籠を開けると、花を被かぶって、密を吸いつつ嘴くちばしを真黄色まっきいろにして、掛蒲団かけぶとんの上を押廻おしまわった。三味線さみせんを弾いて聞かせると、音ねに競きそって軒で高囀たかさえずりする。寂しい日に客が来て話をし出すと障子の外で負けまじと鳴きしきる。可愛いもので。……可愛いにつけて、断じて籠には置くまい。秋雨あきさめのしょぼしょぼと降るさみしい日、無事なようにと願い申して、岩殿寺いわとのでらの観音かんおんの山へ放した時は、煩わずらっていた家内と二人、悄然しょうぜんとして、ツィーツィーと梢こずえを低く坂下さかさがりに樹を伝って慕したい寄る声を聞いて、ほろりとして、一人は袖そでを濡らして帰った。が、――その目白鳥の事で。……寒い風だよ、ちょぼ一風いちかぜは、しわりごわりと吹いて来ると田越村たごえむら一番の若衆わかいしゅうが、泣声を立てる、大根の煮える、富士おろし、西北風ならいの烈しい夕暮に、いそがしいのと、寒いのに、向うみずに、がたりと、門かどの戸をしめた勢いきおいで、軒に釣った鳥籠をぐゎたり、バタンと撥返はねかえした。アッと思うと、中の目白鳥は、羽ばたきもせず、横木を転げて、落葉の挟はさまったように落ちて縮んでいる。「しまった、……三太郎が目をまわした。」「まあ、大変ね。」と襷たすきがけのまま庖丁ほうちょうを、投げ出して、目白鳥を掌てのひらに取って据えた婦おんなは目に一杯涙を溜ためて、「どうしましょう。」そ、その時だ。試こころみに手水鉢ちょうずばちの水を柄杓ひしゃくで切って雫しずくにして、露にして、目白鳥の嘴くちばしを開けて含まして、襟えりをあけて、膚はだにつけて暖めて、しばらくすると、ひくひくと動き出した。ああ助たすかりました。御利益ごりやくと、岩殿いわとのの方かたへ籠を開いて、中へ入れると、あわれや、横木へつかまり得ない。おっこちるのが可恐こわいのか、隅の、隅の、狭い処ところで小ちいさくなった。あくる日一日は、些ちと、ご悩気のうけと言った形で、摺餌すりえに嘴くちばしのあとを、ほんの筋ほどつけたばかり。但ただし完全に蘇生よみがえった。
27
この経験がある。
28
水でも飲まして遣やりたいと、障子を開けると、その音に、怪我けが処どころか、わんぱくに、しかも二つばかり廻って飛んだ。仔雀は、うとりうとりと居睡いねむりをしていたのであった。……憎くない。
29
尤もっともなかなかの悪戯いたずらもので、逗子ずしの三太郎……その目白鳥めじろ――がお茶の子だから雀の口真似くちまねをした所為せいでもあるまいが、日向ひなたの縁えんに出して人のいない時は、籠のまわりが雀どもの足跡だらけ。秋晴あきばれの或日あるひ、裏庭の茅葺かやぶき小屋の風呂の廂ひさしへ、向うへ桜山さくらやまを見せて掛けて置くと、午ひる少し前の、いい天気で、閑しずかな折から、雀が一羽、……丁ちょうど目白鳥の上の廂合ひあわいの樋竹といだけの中へすぽりと入って、ちょっと黒い頭だけ出して、上から籠を覗込のぞきこむ。嘴はしに小さな芋虫いもむしを一つ銜くわえ、あっち向いて、こっち向いて、ひょいひょいと見せびらかすと、籠の中のは、恋人から来た玉章たまずさほどに欲しがって駈上かけあがり飛上とびあがって取ろうとすると、ひょいと面かおを横にして、また、ちょいちょいと見せびらかす。いや、いけずなお転婆てんばで。……ところがはずみに掛かかって振った拍子ひょうしに、その芋虫をポタリと籠の目へ、落したから可笑おかしい。目白鳥は澄まして、ペロリと退治たいじた。吃驚仰天びっくりぎょうてんした顔をしたが、ぽんと樋といの口を突出つきだされたように飛んだもの。
30
瓢箪ひょうたんに宿る山雀やまがら、と言う謡うたがある。雀は樋の中がすきらしい。五、六羽、また、七、八羽、横にずらりと並んで、顔を出しているのが常である。
31
或ある殿とのが領分巡回りょうぶんめぐりの途中、菊の咲いた百姓家に床几しょうぎを据えると、背戸畑せどばたけの梅の枝に、大おおきな瓢箪が釣つるしてある。梅見うめみと言う時節でない。
32
「これよ、……あの、瓢箪は何に致すのじゃな。」
33
その農家の親仁おやじが、
34
「へいへい、山雀の宿にござります。」
35
「ああ、風情ふぜいなものじゃの。」
36
能の狂言の小舞こまいの謡うたいに、
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いたいけしたるものあり。張子はりこの顔や、練稚児ねりちご。しゅくしゃ結びに、ささ結び、やましな結びに風車かざぐるま。瓢箪に宿る山雀、胡桃くるみにふける友鳥ともどり……
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37
「いまはじめて相分あいわかった。――些少ちとじゃが餌えの料りょうを取らせよう。」
38
小春こはるの麗うららかな話がある。
39
御前ごぜんのお目にとまった、謡うたいのままの山雀は、瓢箪を宿とする。こちとらの雀は、棟割長屋むねわりながやで、樋竹といだけの相借家あいじゃくやだ。
40
腹が空くと、電信の針がねに一座ずらりと出て、ぽちぽちぽちと中空なかぞら高く順に並ぶ。中でも音頭取おんどとりが、電柱の頂辺てっぺんに一羽留とまって、チイと鳴く。これを合図に、一斉いっときにチイと鳴出す。――塀へいと枇杷びわの樹の間に当って。で御飯をくれろと、催促をするのである。
41
私が即すなわち取次いで、
42
「催促やってるよ、催促やってるよ。」
43
「せわしないのね。……煩うるさいよ。」
44
などと言いながら、茶碗に装よそって、婦おんなたちは露地へ廻る。これがこのうえ後おくれると、勇悍ゆうかんなのが一羽押寄おしよせる。馬に乗った勢いきおいで、小庭を縁側えんがわへ飛上とびあがって、ちょん、ちょん、ちょんちょんと、雀あるきに扉ひらきを抜けて台所へ入って、お竈へッついの前を廻るかと思うと、上の引窓ひきまどへパッと飛ぶ。
45
「些ちと自分でもお働き、虫を取るんだよ。」
46
何も、肯分ききわけるのでもあるまいが、言ことばの下に、萩はぎの小枝を、花の中へすらすら、葉の上はさらさら……あの撓々たよたよとした細い枝へ、塀の上、椿つばきの樹からトンと下りると、下りたなりにすっと辷すべって、ちょっと末うらを余して垂下たれさがる。すぐに、くるりと腹を見せて、葉裏はうらを潜くぐってひょいと攀よじると、また一羽が、おなじように塀の上からトンと下りる。下りると、すっと枝に撓しなって、ぶら下るかと思うと、飜然ひらりと伝う。また一羽が待兼まちかねてトンと下りる。一株の萩はぎを、五、六羽で、ゆさゆさ揺ゆすって、盛さかりの時は花もこぼさず、嘴はしで銜くわえたり、尾で跳ねたり、横顔で覗のぞいたり、かくして、裏おもて、虫を漁あさりつつ、滑稽おどけてはずんで、ストンと落ちるかとすると、羽をひらひらと宙へ踊って、小枝の尖さきへひょいと乗る。
47
水上みなかみさんがこれを聞いて、莞爾にっこりして勧めた。
48
「鞦韆ぶらんこを拵こしらえてお遣やんなさい。」
49
邸やしきの庭が広いから、直ぐにここへ気がついた。私たちは思いも寄らなかった。糸で杉箸すぎばしを結ゆわえて、その萩の枝に釣った。……この趣おもむきを乗気のりきで饒舌しゃべると、雀の興行をするようだから見合わせる。が、鞦韆ぶらんこに乗って、瓢箪ぶっくりこ、なぞは何でもない。時とすると、塀の上に、いま睦むつまじく二羽啄ついばんでいたと思う。その一羽が、忽然こつねんとして姿を隠す。飛びもしないのに、おやおやと人間の目にも隠れるのを、……こう捜すと、いまいた塀の笠木かさぎの、すぐ裏へ、頭を揉込もみこむようにして縦に附着くッついているのである。脚がかりもないのに巧たくみなもので。――そうすると、見失った友の一羽が、怪訝けげんな様子で、チチと鳴き鳴き、其処そこらを覗のぞくが、その笠木のちょっとした出張でっぱりの咽のどに、頭が附着くッついているのだから、どっちを覗いても、上からでは目に附かない。チチッ、チチッと少時しばらく捜して、パッと枇杷びわの樹へ飛んで帰ると、そのあとで、密そっと頭を半分出してきょろきょろと見ながら、嬉うれしそうに、羽を揺ゆすって後から颯さっと飛んで行く。……惟おもうに、人の子のするかくれんぼである。
50
さて、こうたわいもない事を言っているうちに――前刻さっき言った――仔どもが育って、ひとりだち、ひとり遊びが出来るようになると、胸毛の白いのばかりを残して、親雀は何処どこへ飛ぶのかいなくなる。数は増しもせず、減りもせず、同じく十五、六羽どまりで、そのうちには、芽が葉になり、葉が花に、花が実になり、雀の咽のどが黒くなる。年々二、三度おんなじなのである。
51
……妙な事は、いま言った、萩はぎまた椿つばき、朝顔の花、露草つゆくさなどは、枝にも蔓つるにも馴れ馴染なじんでいるらしい……と言うよりは、親雀から教えられているらしい。――が、見馴れぬものが少しでもあると、可恐こわがって近づかぬ。一日でも二日でも遠くの方へ退のいている。尤もっとも、時にはこっちから、故わざとおいでの儀を御免蒙ごめんこうむる事がある。物干ものほしへ蒲団ふとんを干す時である。
52
お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい心持こころもちになって、ふっくりと、蒲団に団欒だんらんを試みるのだから堪たまらない。ぼとぼとと、あとが、ふんだらけ。これには弱る。そこで工夫をして、他所よそから頂戴して貯たくわえている豹ひょうの皮を釣って置く。と枇杷びわの宿にいすくまって、裏屋根へ来るのさえ、おっかなびっくり、坊主びっくり貂てんの皮だから面白い。
53
が、一夏ひとなつ縁日えんにちで、月見草つきみそうを買って来て、萩はぎの傍そばへ植えた事がある。夕月に、あの花が露を香におわせてぱッと咲くと、いつもこの黄昏たそがれには、一時ひととき留とまり餌えに騒ぐのに、ひそまり返って一羽だって飛んで来ない。はじめは怪あやしんだが、二日め三日めには心着こころづいた。意気地いくじなし、臆病。烏瓜からすうり、夕顔などは分けても知己ちかづきだろうのに、はじめて咲いた月見草の黄色な花が可恐こわいらしい……可哀相かわいそうだから植替うえかえようかと、言ううちに、四日めの夕暮頃から、漸やっと出て来た。何、一度味をしめると飛とびついて露も吸いかねぬ。
54
まだある。土手三番町どてさんばんちょうの事を言った時、卯うの花垣をなどと、少々調子に乗ったようだけれど、まったくその庭に咲いていた。土地では珍しいから、引越す時一枝ひとえだ折って来てさし芽にしたのが、次第に丈たけたかく生立おいたちはしたが、葉ばかり茂って、蕾つぼみを持たない。丁ちょうど十年目に、一昨年の卯月うづきの末にはじめて咲いた。それも塀を高く越した日当ひあたりのいい一枝だけ真白に咲くと、その朝から雀がバッタリ。意気地なし。また丁ちょうどその卯の花の枝の下に御飯おまんまが乗っている。前年の月見草で心得て、この時は澄ましていた。やがて一羽ずつ密そっと来た。忽たちまち卯の花に遊ぶこと萩に戯たわむるるが如しである。花の白いのにさえ怯おびえるのであるから、雪の降った朝の臆病思うべしで、枇杷塚びわづかと言いたい、むこうの真白の木の丘に埋うずもれて、声さえ立てないで可哀あわれである。
55
椿の葉を払っても、飛石の上を掻分かきわけても、物干に雪の溶けかかった処ところへ餌えを見せても影を見せない。炎天、日盛ひざかりの電車道でんしゃみちには、焦こげるような砂を浴びて、蟷螂とうろうの斧おのと言った強いのが普通だのに、これはどうしたものであろう。……はじめ、ここへ引越したてに、一、二年いた雀は、雪なんぞは驚かなかった。山を兎うさぎが飛ぶように、雪を蓑みのにして、吹雪を散らして翔かけたものを――
56
ここで思う。その児こ、その孫、二代三代に到って、次第おくり、追続おいつぎに、おなじ血筋ながら、いつか、黄色な花、白い花、雪などに対する、親雀の申しふくめが消えるのであろうと思う。
57
泰西たいせいの諸国にて、その公園に群むらがる雀は、パンに馴れて、人の掌てのひらにも帽子にも遊ぶと聞く。
58
何故なぜに、わが背戸せどの雀は、見馴れない花の色をさえ恐るるのであろう。実げに花なればこそ、些ちっとでも変った人間の顔には、渠かれらは大おおいなる用心をしなければならない。不意の礫つぶての戸に当る事幾度いくたびぞ。思いも寄らぬ蜜柑みかんの皮、梨の核しんの、雨落あまおち、鉢前はちまえに飛ぶのは数々しばしばである。
59
牛乳屋ちちやが露地へ入れば驚き、酒屋の小僧が「今日こんちは」を叫べば逃げ、大工が来たと見ればすくみ、屋根屋が来ればひそみ、畳屋たたみやが来ても寄りつかない。
60
いつかは、何かの新聞で、東海道の何某なにがしは雀うちの老手である。並木づたいに御油ごゆから赤坂あかさかまで行ゆく間に、雀の獲えもの約一千を下らないと言うのを見て戦慄せんりつした。
61
空気銃を取って、日曜の朝、ここの露地口に立つ、狩猟服の若い紳士たちは、失礼ながら、犬ころしに見える。
62
去年の暮にも、隣家りんかの少年が空気銃を求め得て高く捧げて歩行あるいた。隣家の少年では防ぎがたい。おつかいものは、ただ煎餅せんべいの袋だけれども、雀のために、うちの小母おばさんが折入おりいって頼んだ。
63
親たちが笑って、
64
「お宅の雀を狙ねらえば、銃を没収すると言う約条やくじょうずみです。」
65
かつて、北越、倶利伽羅くりからを汽車で通った時、峠の駅の屋根に、車のとどろくにも驚かず、雀の日光に浴しつつ、屋根を自在に、樋といの宿に出入ではいりするのを見て、谷に咲さき残のこった撫子なでしこにも、火牛かぎゅうの修羅しゅらの巷ちまたを忘れた。――古戦場を忘れたのが可いいのではない。忘れさせたのが雀なのである。
66
モウパッサンが普仏ふふつ戦争を題材にした一篇の読みだしは、「巴里パリイは包囲されて飢えつつ悶もだえている。屋根の上に雀も少くなり、下水の埃ごみも少くなった。」と言うのではなかったか。
67
雪の時は――見馴れぬ花の、それとは違って、天地を包む雪であるから、もしこれに恐れたとなると、雀のためには、大地震以上の天変である。東京のは早く消えるから可いいものの、五日十日積るのにはどうするだろう。半歳はんさい雪に埋うもるる国もある。
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或時あるときも、また雪のために一日形かたちを見せないから、……真個ほんとうの事だが案じていると、次の朝の事である。ツィ――と寂しそうに鳴いて、目白鳥めじろが唯ただ一羽、雪を被かついで、紅くれないに咲いた一輪、寒椿かんつばきの花に来て、ちらちらと羽も尾も白くしながら枝を潜くぐった。
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炬燵こたつから見ていると、しばらくすると、雀が一羽、パッと来て、おなじ枝に、花の上下うえしたを、一所いっしょに廻った。続いて三羽五羽、一斉いっときに皆来た。御飯おまんまはすぐ嘴くちばしの下にある。パッパ、チイチイ諸もろきおいに歓喜の声を上げて、踊りながら、飛びながら、啄ついばむと、今度は目白鳥が中へ交まじった。雀同志は、突合つつきあって、先を争って狂っても、その目白鳥にはおとなしく優しかった。そして目白鳥は、欲しそうに、不思議そうに、雀の飯いいを視ながめていた。
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私は何故なぜか涙ぐんだ。
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優しい目白鳥は、花の蜜に恵まれよう。――親のない雀は、うつくしく愛らしい小鳥に、教えられ、導かれて、雪の不安を忘れたのである。
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それにつけても、親雀は何処どこへ行ゆく。――
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――去年七月の末であった。……余り暑いので、愚ぐに返って、こうどうも、おお暑いでめげては不可いけない。小児こどもの時は、日盛ひざかりに蜻蛉とんぼを釣ったと、炎天に打ぶつかる気で、そのまま日盛ひざかりを散歩した。
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その気のついでに、……何となく、そこいら屋敷町の垣根を探してごんごんごまが見たかったのである。この名からして小児こどもで可いい。――私は大好きだ。スズメノエンドウ、スズメウリ、スズメノヒエ、姫百合ひめゆり、姫萩ひめはぎ、姫紫苑ひめしおん、姫菊ひめぎくの※ろうたけた称となえに対して、スズメの名のつく一列の雑草の中に、このごんごんごまを、私はひそかに「スズメの蝋燭ろうそく」と称して、内々贔屓ひいきでいる。
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分けて、盂蘭盆うらぼんのその月は、墓詣はかもうでの田舎道、寺つづきの草垣に、線香を片手に、このスズメの蝋燭、ごんごんごまを摘んだ思出の可懐なつかしさがある。
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しかもそのくせ、卑怯ひきょうにも片陰かたかげを拾い拾い小さな社やしろの境内けいだいだの、心当こころあたりの、邸やしきの垣根を覗のぞいたが、前年の生垣も煉瓦にかわったのが多い。――清水谷しみずだにの奥まで掃除が届く。――梅雨つゆの頃は、闇黒くらがりに月の影がさしたほど、あっちこっちに目に着いた紫陽花あじさいも、この二、三年こっちもう少い。――荷車のあとには芽ぐんでも、自動車の轍わだちの下には生えまいから、いまは車前草おんばこさえ直ぐには見ようたって間まに合わない。
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で、何処どこでも、あの、珊瑚さんごを木乃伊みいらにしたような、ごんごんごまは見当らなかった。――ないものねだりで、なお欲ほしい、歩行あるくうちに汗を流した。
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場所は言うまい。が、向うに森が見えて、樹の茂った坂がある。……私が覚えてからも、むかし道中の茶屋旅籠はたごのような、中庭を行抜ゆきぬけに、土間へ腰を掛けさせる天麩羅茶漬てんぷらちゃづけの店があった。――その坂を下おりかかる片側に、坂なりに落込おちこんだ空溝からみぞの広いのがあって、道には破朽やぶれくちた柵さくが結ゆってある。その空溝を隔てた、葎むぐらをそのまま斜違はすかいに下おりる藪垣やぶがきを、むこう裏から這はって、茂って、またたとえば、瑪瑙めのうで刻んだ、ささ蟹がにのようなスズメの蝋燭が見つかった。
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つかまえて支えて、乗出のりだしても、溝に隔てられて手が届かなかった。
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杖ステッキの柄えで掻寄かきよせようとするが、辷すべる。――がさがさと遣やっていると、目の下の枝折戸しおりどから――こんな処ところに出入口があったかと思う――葎戸むぐらどの扉を明けて、円々まるまると肥った、でっぷり漢ものが仰向あおむいて出た。きびらの洗いざらし、漆紋うるしもんの兀はげたのを被きたが、肥って大おおきいから、手足も腹もぬっと露出むきでて、ちゃんちゃんを被はおったように見える、逞たくましい肥大漢でっぷりものの柄がらに似合わず、おだやかな、柔和な声して、
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「何か、おとしものでもなされたか、拾ってあげましょうかな。」
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と言った。四十くらいの年配である。
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私は一応挨拶あいさつをして、わけを言わなければならなかった。
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「ははあ、ごんごんごま、……お薬用やくようか、何か禁厭まじないにでもなりますので?」
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とにかく、路傍みちばただし、埃ほこりがしている。裏の崖境がけざかいには、清浄きれいなのが沢山あるから、御休息かたがた。で、ものの言いぶりと人のいい顔色かおつきが、気を隔おかせなければ、遠慮もさせなかった。
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「丁ちょうど午睡時ひるねどき、徒然とぜんでおります。」
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導かるるまま、折戸おりどを入ると、そんなに広いと言うではないが、谷間の一軒家と言った形で、三方が高台の森、林に包まれた、ゆっくりした荒れた庭で、むこうに座敷の、縁えんが涼しく、油蝉あぶらぜみの中に閑寂しずかに見えた。私はちょっと其処そこへ掛けて、会釈で済ますつもりだったが、古畳で暑くるしい、せめてのおもてなしと、竹のずんど切ぎりの花活はないけを持って、庭へ出直すと台所の前あたり、井戸があって、撥釣瓶はねつるべの、釣瓶つるべが、虚空へ飛んで猿のように撥はねていた。傍かたわらに青芒あおすすきが一叢ひとむら生茂おいしげり、桔梗ききょうの早咲はやざきの花が二、三輪、ただ初々ういういしく咲いたのを、莟つぼみと一枝、三筋ばかり青芒を取添とりそえて、竹筒たけづつに挿して、のっしりとした腰つきで、井戸から撥釣瓶はねつるべでざぶりと汲上くみあげ、片手の水差みずさしに汲んで、桔梗に灌そそいで、胸はだかりに提さげた処ところは、腹まで毛だらけだったが、床とこへ据えて、円い手で、枝ぶりをちょっと撓ためた形は、悠揚ゆうようとして、そして軽い手際てぎわで、きちんと極きまった。掛物かけものも何も見えぬ。が、唯ただその桔梗の一輪が紫の星の照らすように据すわったのである。この待遇のために、私は、縁えんを座敷へ進まなければならなかった。
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「麁茶そちゃを一つ献じましょう。何事も御覧の通りの侘住居わびずまいで。……あの、茶道具を、これへな。」
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と言うと、次の間まの――崖がけの草のすぐ覗く――竹簀子たけすのこの濡縁ぬれえんに、むこうむきに端居はしいして……いま私の入った時、一度ていねいに、お時誼じぎをしたまま、うしろ姿で、ちらりと赤い小さなもの、年紀としごろで視みて勿論もちろんお手玉ではない、糠袋ぬかぶくろか何ぞせっせと縫ぬっていた。……島田髷しまだの艶々つやつやしい、きゃしゃな、色白いろじろな女が立って手伝って、――肥大漢でっぷりものと二人して、やがて焜炉こんろを縁側へ。……焚たきつけを入れて、炭を継ついで、土瓶どびんを掛けて、茶盆を並べて、それから、扇子おおぎではたはたと焜炉の火口ひぐちを煽あおぎはじめた。
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「あれに沢山たくさんございます、あの、茂りました処ところに。」
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「滝でも落ちそうな崖です――こんな町中に、あろうとは思われません。御閑静で実に結構です。霧が湧わいたように見えますのは。」
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「烏瓜からすうりでございます。下闇したやみで暗がりでありますから、日中から、一杯咲きます。――あすこは、いくらでも、ごんごんごまがございますでな。貴方あなたは何とかおっしゃいましたな、スズメの蝋燭ろうそく。」
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これよりして、私は、茶の煮える間まと言うもの、およそこの編へんに記しるした雀の可愛さをここで話したのである。時々微笑ほほえんでは振向ふりむいて聞く。娘か、若い妻か、あるいは妾おもいものか。世に美しい女の状さまに、一つはうかうか誘さそわれて、気の発奮はずんだ事は言うまでもない。
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さて幾度か、茶をかえた。
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「これを御縁に。」
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「勿論かさねまして、頃日このごろに。――では、失礼。」
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「ああ、しばらく。……これは、貴方あなた、おめしものが。」
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……心着こころづくと、おめしものも気恥きはずかしい、浴衣ゆかただが、うしろの縫ぬいめが、しかも、したたか綻ほころびていたのである。
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「ここもとは茅屋あばらやでも、田舎道ではありませんじゃ。尻端折しりばしょり……飛んでもない。……ああ、あんた、ちょっと繕つくろっておあげ申せ。」
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「はい。」
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すぐに美人が、手の針は、まつげにこぼれて、目に見えぬが、糸は優しく、皓歯しらはにスッと含まれた。
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「あなた……」
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「ああ、これ、紅あかい糸で縫えるものかな。」
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「あれ――おほほほ。」
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私がのっそりと突立つッたった裾すそへ、女の脊筋せすじが絡まつわったようになって、右に左に、肩を曲くねると、居勝手いがってが悪く、白い指がちらちら乱れる。
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「恐縮です、何ともどうも。」
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「こう三人と言うもの附着くッついたのでは、第一私わしがこの肥体ずうたいじゃ。お暑さが堪たまらんわい。衣服きものをお脱ぎなさって。……ささ、それが早い。――御遠慮があってはならぬ――が、お身に合いそうな着替きがえはなしじゃ。……これは、一つ、亭主が素裸すはだかに相成あいなりましょう。それならばお心安い。」
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きびらを剥はいで、すっぱりと脱ぎ放はなした。畚褌もっこふどしの肥大裸体でっぷりはだかで、
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「それ、貴方あなた。……お脱ぎなすって。」
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と毛むくじゃらの大胡座おおあぐらを掻く。
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呆気あっけに取られて立たちすくむと、
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「おお、これ、あんた、あんたも衣きものを脱ぎなさい。みな裸体はだかじゃ。そうすればお客人の遠慮がのうなる。……ははははは、それが何より。さ、脱ぎなさい脱ぎなさい。」
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串戯じょうだんにしてもと、私は吃驚びっくりして、言ことばも出ぬのに、女はすぐに幅狭はばぜまな帯を解いた。膝へ手繰たぐると、袖そでを両方へ引落ひきおとして、雪を分けるように、するりと脱ぐ。……膚はだは蔽おおうたよりふっくりと肉を置いて、脊筋せすじをすんなりと、撫肩なでがたして、白い脇を乳ちちが覗のぞいた。それでも、脱ぎかけた浴衣ゆかたをなお膝に半ば挟はさんだのを、おっ、と這はうと、あれ、と言う間まに、亭主がずるずると引いて取った。
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「はははは。」
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と笑いながら。
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既にして、朱鷺色ときいろの布一重ぬのひとえである。
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私も脱いだ。汗は垂々たらたらと落ちた。が、憚はばかりながら褌ふんどしは白い。一輪の桔梗ききょうの紫の影に映はえて、女はうるおえる玉のようであった。
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その手が糸を曳ひいて、針をあやつったのである。
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縫えると、帯をしめると、私は胸を折るようにして、前のめりに木戸口へ駈出かけだした。挨拶は済ましたが、咄嗟とっさのその早さに、でっぷり漢ものと女は、衣きものを引掛ひっかける間もなかったろう……あの裸体はだかのまま、井戸の前を、青すすきに、白く摺すれて、人の姿の怪あやしい蝶ちょうに似て、すっと出た。
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その光景は、地獄か、極楽か、覚束おぼつかない。
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「あなた……雀さんに、よろしく。」
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と女が莞爾にっこりして言った。
123
坂を駈上かけあがって、ほっと呼吸いきを吐ついた。が、しばらく茫然として彳たたずんだ。――電車の音はあとさきに聞えながら、方角が分らなかった。直下の炎天に目さえくらむばかりだったのである。
124
時に――目の下の森につつまれた谷の中から、一いっセイして、高らかに簫しょうの笛が雲の峯に響いた。
125
……話の中に、稽古けいこの弟子も帰ったと言った。――あの主人は、簫を吹くのであるか。……そういえば、余りと言えば見馴れない風俗ふうだから、見た目をさえ疑うけれども、肥大漢でっぷりものは、はじめから、裸体はだかになってまで、烏帽子えぼしのようなものをチョンと頭にのせていた。
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「奇人だ。」
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「いや、……崖下がけしたのあの谷には、魔窟があると言う。……その種々いろいろの意味で。……何しろ十年ばかり前には、暴風雨あらしに崖くずれがあって、大分、人が死んだ処ところだから。」――
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と或ある友だちは私に言った。
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炎暑、極熱のための疲労つかれには、みめよき女房の面おもてが赤馬あかうまの顔に見えたと言う、むかし武士さむらいの話がある。……霜しもが枝に咲くように、汗――が幻を描いたのかも知れない。が、何故なぜか、私は、……実を言えば、雀の宿にともなわれたような思いがするのである。
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かさねてと思う、日をかさねて一月ひとつきにたらず、九月一日いちにちのあの大地震であった。
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「雀たちは……雀たちは……」
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火を避けて野宿しつつ、炎の中に飛ぶ炎の、小鳥の形を、真夜半まよなかかけて案じたが、家に帰ると、転げ落ちたまま底に水を残して、南天なんてんの根に、ひびも入いらずに残った手水鉢ちょうずばちのふちに、一羽、ちょんと伝っていて、顔を見て、チイと鳴いた。
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後に、密そっと、谷の家を覗のぞきに行った。近づくと胸は轟とどろいた。が、ただ焼原やけはらであった。
134
私は夢かとも思う。いや、雀の宿の気がする。……あの大漢おおおとこのまる顔に、口許くちもとのちょぼんとしたのを思え。卯うの毛で胡粉ごふんを刷はいたような女の膚はだの、どこか、頤あぎとの下あたりに、黒いあざはなかったか、うつむいた島田髷しまだの影のように――
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おかしな事は、その時摘つんで来たごんごんごまは、いつどうしたか定かには覚えないのに、秋雨あきさめの草に生えて、塀を伝っていたのである。
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「どうだい、雀。」
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知らぬ顔して、何にも言わないで、南天燭なんてんの葉に日の当る、小庭に、雀はちょん、ちょんと遊んでいる。
底本:「鏡花短篇集」川村二郎編、岩波文庫、岩波書店
1987昭和62年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二七巻」岩波書店
1942昭和17年10月
入力:砂場清隆
校正:松永正敏
ファイル作成:野口英司
2000年8月30日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫http://www.aozora.gr.jp/で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
本文中の※は、底本では次のような漢字JIS外字が使われている。
※ろうたけた称となえ
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第3水準1-91-26
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■上記ファイルを、里実文庫が次のように変更しました。
変更箇所
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行間処理:行間180%
段落処理:形式段落ごとに<P>タグ追加
:段落冒頭の一字下げを一行下げに変更
:段落番号の追加
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成14年3月