菊池寛
人物
国定忠治
稲荷の九郎助
板割の浅太郎
島村の嘉助
松井田の喜蔵
玉村の弥助
並河の才助
河童の吉蔵
闇雲の牛松
釈迦の十蔵
その他三名
時所
上州より信州へかかる山中。天保初年の秋。
情景
秋の日の早暁、小松のはえた山腹。地には小笹がしげっている、日の出前、雲のない西の空に赤城山がほのかに見える。幕が開くと、才助と浅太郎とが出てくる。二人ともうす汚れた袷の裾をからげ、脚絆をはき、わらじをつけている。めいめい腰に一本の長脇差をさしている。浅太郎の方は、割れかかった鞘を縄で括っている。二人が舞台の中央にかかった時、後ろから呼ぶ声が聞える。
呼ぶ声 おうい、浅兄い、待てえっ。
浅太郎 おうい、何じゃい。
呼ぶ声 おうい、おうい。浅兄い。
浅太郎 おうい、何じゃい。
呼ぶ声 少し足を止めてくれ。あんまり離れるな。
浅太郎 ようし、分かったぞ、待っているぞ。 おい才助、一休みしようじゃねえか。
才助 大丈夫かなあ、ここいらで足を止めていて。
浅太郎 大丈夫だとも。木戸の関を破ったのが、昨夜の五つ頃だ。あれから歩き通したもの。もうかれこれ十里近くも突っ走ってらあ。
才助 みんなよく足がつづいたものだ。
浅太郎 俺たちは、これぐらいのことではびくともしねえが、九郎助や牛松などの年寄は、あれでいい加減へこたれていらな。
才助 だがよく辛抱してついて来たなあ。
浅太郎 常日頃口幅ったいことをいっている連中だ。ついて来ずにはいられめえじゃねえか。
才助 やあ、稲荷の兄い、足は大丈夫かい。
九郎助 何を世迷言をいいやがる。こう見えたって若い時は、賭場が立つと聞いた時は、十里二十里の夜道は平気で歩いたものだ。いくら年が寄っても、足腰だけはお前たちにひけは取らねえや。
浅太郎 兄い、あんまりそうでもなさそうじゃねえか。榛名の山越えじゃ、少々参っていたようだぜ。
九郎助 何をいってやがらあ。それあお前たちのことだろう。この頃の若いやつらはまだ修業が足りねえや。俺ら若い時にゃ、忠次の兄いと一緒に、信州から甲州へ旅人で、賭場から賭場をかせぎ回ったもんだ。その頃にあ、日に十里や二十里は朝飯前だったよ。
弥助 そうだったなあ、稲荷の兄いの若い時は豪勢なもんだった。今の忠次の親分だって、ばくち打の式作法はまあお前に教わったようなものだな。
浅太郎 ふうん。そうかなあ。式作法は稲荷の兄いに教わったかも知れねえが、あの度胸骨と腕っ節は、まさか教わりゃしねえだろうねえ。
九郎助 何だと、おつなことをいうなよ。
浅太郎 何にもおつなことはいいやしねえ。よくお前さんは昔は昔はというが、いくらいったって昔は昔さ。昔は親分より一枚上のばくち打だったか知らねえが、今じゃ盃をもらって子分になってりゃ、俺たちとは朋輩だ。あんまり昔のことを振回しなさんなよ。
弥助 だが浅太郎、お前はな、いくら親分の気受けがいいからといって、あんまり年寄のことをつんけんいいなさんなよ。もう少し俺たちをいたわってくれたって、罰は当るめえ。
浅太郎 ふふん、いたわってくれか。笑わせやがらあ。
九郎助 野郎、何だと、何がどうしたと。
才助 おいおい、兄たちどうしたんだ。こんな時、仲間喧嘩をする時じゃねえじゃねえか。
浅太郎 だが、あんまり相手が年寄風を吹かすからだ。
九郎助 なあに、どちらがどちらだか、手前の方がよっぱど若い者風を吹かしゃがるじゃねえか。
弥助 まあ、いいじゃねえか。今に若い者が役に立つか年寄が役に立つか分かる時が来らあ。
才助 やあ親分がお見えになったぜ。
才助 親分お疲れでございましょう。
忠次 ううむ、心配するな。まだ五里十里は大丈夫歩けるぜ。
浅太郎 親分、こっちの方へおかけなさいませ。こっちの方が草がきれいですぜ。
忠次 足は疲れねえが、ねむいよ。
嘉助 ほんとうだ。それゃみんな同じことですぜ。
喜蔵 だが、安心はならねえ。足腰の立つうちに、信州境を越してしめいていものだ。
忠次 おい、赤城山が見えるじゃねえか。
浅太郎 雲がちっともねえものだから、あんなにはっきり見えていらあ。
忠次 なつかしい山だ。もうここが死場所だと思ったが、神仏の冥護とでもいうか、よく千人近い八州の捕手を斬りひらくことができたものだ。
喜蔵 親分、神仏が俺たちをかまって下さるものかねえ、みんな俺たちの腕っぷしだよ。
忠次 あはははは、それもそうか。とにかく、みんなよく働いてくれたな。改めて、礼をいうぜ。
一同 何をいわっしゃる。とんでもねえことだ。
忠次
吉蔵 親分、朝飯は手に入りましたぜ。下の百姓家で、折よく御飯を焚いていましたので、すっかりにぎりめしにしてもらうことにしました。
忠次 そいつはありがたい。鳥目
吉蔵 かしこまりました。
喜蔵 飯ができるまで、ゆっくり休めるというもんだ。
九郎助 飯が来るまで、一寝入りしようかな。
弥助 そいつはいい考えだ。
嘉助 おいらも一寝入りしようかな。
忠次 おい! ちょっと待ってくれ!
嘉助 何だ親分、改まって?
忠次 おい! みんな。
忠次 おい! みんな。ちょっと耳をかしてもらいてえのだが、俺
喜蔵 そりゃ親分! 悪い了簡だろうぜ。一体、俺たちが妻子眷族
浅太郎 そうだとも。いくら大戸の御番所をこして、もうこれから信州までは大丈夫といったところで、お前さんばかりを手放すことは、できるものじゃねえよ。
嘉助 ほんとうだ。もっとも、こう物騒な野郎ばかりが、つながって歩けねえのは道理
多勢 そうだとも。そうだとも。
忠次
浅太郎 なあ! あっさりと名指しをしてくんねえか。
忠次
九郎助 こりゃ、もっともだ。親分のいうのがもっともだ。こんなまさかの場合に、捨てておかれちゃ誰だっていい気持はしねえからな。
浅太郎
九郎助 何だと野郎、手前こそまだ年若でお役に立ちませんから、この度の御用は外さまへねがいますといって引き下がれ。
浅太郎 何だと。
忠次 おい! 浅! 手前出すぎるぞ。黙っていろ!
浅太郎 はい。はい。
十蔵 なあ、親分いいことがあらあ。
二、三人 何だ。何だ。いってみろ。
十蔵 籤
忠次 なるほどな。こいつは恨みっこがなくていいや。
嘉助 親分何をいうんだい。こんな青二才のいうことを聞いちゃ、だめじゃねえか。籤引きだって、ばかな。もし籤が十蔵のような青二才に当ってみろ、親分のお伴どころか、親分の足手まといじゃねえか。籤引きなんて俺まっぴらだ。こんな時、いちばん物をいうのは腕っ節だ! なあ、親分! くだらねえ遠慮なんかしねえで、たった一言嘉助ついて来いっ! といっておくんなせい!
喜蔵 嘉助の野郎、大きいことをいうない。腕っ節ばかりで、世間さまは渡れねえぞ。まして、これから知らねえ土地を遍めくって、上州の国定忠次でございといって歩くには、駆引き万端の軍師がついていねえことには、動きはとれねえのだ。いくら手前が、大めし食いの大力だからといって、ドジばかりを踏んでいちゃ旅先で飯にはならねえぞ。
九郎助
浅太郎 九郎助じいさん、何をいうんだい。葬礼のお伴じゃねえんだぞ。年寄ばかりがついていて、いざとなった時はどうするんだ。
九郎助 手前たちにそんな心配をさせるものか。こう見えたって稲荷の九郎助だ。
浅太郎 その睨みが、あんまり利かなくなっているのだ。まあ、父さん、そう力みなさんなよ。
九郎助 この野郎!
喜蔵 けんかをしちゃいけねえったら!
牛松 親分、俺あお伴はできねえかね。俺あ腕っ節は強くはねえ。また喜蔵のように軍師じゃねえ。が、お前さんのためには、一命を捨ててもいいと心の内で、とっくに覚悟をきめているんだ……。
三、四人 何をいいやがるんだ。親分のために命を投げ出しているのは手前一人じゃねえぞ。ふざけたことをぬかすねえ。
忠次 お前たちのように、そうザワザワ騒いでいちゃ、何時が来たって果てしがありゃしねえ。俺一人を手放すのが不安心だというのなら、お前たちの間で入れ札をしてみたらどうだい。札数の多い者から、三人だけ連れて行こうじゃねえか。こりゃいちばん恨みっこがなくていいだろうぜ。
喜蔵 こいつあ思付きだ。
浅太郎 そいつは趣向だ。
三、四人 なるほど、名案だな。
忠次 じゃ一つ入れ札できめてもらおうかな。
四、五人 ようがす。合点だ。
吉蔵 親分、めしが来ましたぜ。
忠次 こいつはいいところへ来た。みんなめしを食いながら誰を入れるか思案をしてもらうのだ。
吉蔵 さあ、みんな二つずつだぞ。沢庵は、三切れずつだ。
みんな ありがてえ、ありがてえ。
喜蔵 久し振りに、あたたかいめしが食えらあ。
忠次
吉蔵 水なら、半町ばかり向こうに流れがありますぜ。
忠次 そうか、じゃ行って飲んでこよう。
吉蔵 とってもねえ、いい水だよ。
三、四人 じゃ俺たちも行ってこよう。
浅太郎 俺も、顔を一つ洗いたいや。
九郎助
弥助 なぜだい、兄い!
九郎助 入れ札じゃ、俺三人の中へはいれねえや。
弥助 そんなにお前、自分を見限るにも当らねえじゃねえか。忠次の一の子分といえばお前さんにきまっているじゃねえか。
九郎助 上辺
弥助 ……。
九郎助 何ぞといえば、俺を年寄扱いにしやがるあの浅太郎への意地にだって、俺捨てて行かれたくねえや。
弥助 もっともだ。だが、心配することはいらねえや。お前が落っこちる心配はねえ。
九郎助 そうじゃねえ。怪しいものだ。どうも俺に札を入れてくれそうな心当りはねえや。
弥助 並河の才助がいるじゃねえか。あの男はお前によっぼど世話になっているだろう。
九郎助 いやあ、この頃の若いやつは、恩を忘れるのは早いや。あいつはこの頃じゃ、「浅兄い浅兄い」と、浅にばかりくっついていやがる。
弥助 ……。
九郎助 俺、こう思うんだ。浅には四枚へいらあ。喜蔵には三枚だ。すると後に四枚残るだろう、その四枚の中で、俺二枚取りていのだ。お前は俺に入れてくれるとして。
弥助
九郎助 お前が俺に入れてくれるとして、あとの一枚だ。俺、この一枚をとるためには、片腕でも捨てたいのだが。
弥助 冗談いっちゃいけねえ! そう思いつめなくとも大丈夫だよ。喜蔵だって、お前に入れねえものじゃねえよ。
九郎助 あいつは、俺とこの頃仲がいいからなあ! あと一枚だ。あ、あと一枚だ。
喜蔵 あんなにぎりめしを、もう十五、六食いていや。
浅太郎 あれでも、一時の虫抑えにはありがたい。さあめしはすんだ。入れ札を早くやってもらおうか。
喜蔵 心得た。
喜蔵 矢立の筆は、一本しかねえぞ。なるべく早く書いて回してくれ。書いたやつは、小さく折って、この割籠
忠次 札の多い者から三人だぜ。
十蔵 ええ承知しました。
喜蔵 十蔵、お前からかけ!
弥助 そら兄い、筆をやるぜ。
九郎助 ありがてえ。
浅太郎 おい、爺さん。早く筆を回してくんねえか。
九郎助 何だと!
浅太郎 考えるなら、筆をほかへ回してくれ!
九郎助 黙っていろ、いらねえ口をたたくなよ!
才助 爺さん、俺にかしてくれ。
九郎助 ほら。
才助 なあ、弥助兄い! 字を教えてくれ。
弥助 教えてやる! 何という字だ。
才助
弥助 よし、こう書くんだ。
才助 分かった。ありがてえ。
喜蔵 さあ、みんな書いたか。まだ書かねえ人はねえか。
忠次 われ、読み上げてみねえ。
喜蔵 よし、合点だ。
喜蔵
忠次
喜蔵 今度は、喜蔵だ
喜蔵 おや何だ。丸で、金くぎだ、何だ。くーろーすーけか九郎助だ。九郎助が一枚だ。
喜蔵 その次は浅だ。これで浅太郎三枚だ。おやありがてい、その次はまた喜蔵だぞ。喜蔵は三枚だ。その次は浅太郎だ。浅太郎が四枚。おやその次はまたこの俺さまだ。喜蔵四枚だ。これで俺と浅太郎はたしかだぞ。おやその次が嘉助だ。
嘉助 しめた!
喜蔵 これで浅とおれが、四枚ずつ、九郎助と嘉助とが一枚ずつだ。二人の勝負だ。
嘉助 あと一枚だな。ちょっと待ってくれ、俺と出るか九郎助と出るか。
九郎助 俺だとも。なあ、きまってらな弥助!
弥助
喜蔵 さあ! あけるぞ。どっちだ丁か半か。九郎助か嘉助か。ああ。……嘉助だ。
九郎助 なに、嘉助だって。
浅太郎 やっぱり、みんなは正直だ。ありがてい。やっぱり親分のためを思ってらな。みんなありがとう。お礼をいうぞ。親分のことは俺たちが引受けた。
才助 じゃ、浅兄い頼んだぜ。
忠次 じゃ、みんな腑に落ちたんだな。それじゃ、浅と喜蔵と嘉助とを連れてくぜ。九郎助は一枚入っているから連れて行きていが、最初
喜蔵
忠次 じゃ俺たちは、一足先に立つぜ。みんな気をつけて、行ってくれ。
一同 親分、ごきげんよう。お気をおつけなせえませ。
才助 浅兄い頼んだぜ。
浅太郎 安心していろよ。
十蔵 喜蔵兄い頼んだぜ。
喜蔵 合点だ。親分の身体は、俺たちの、目の黒いうちは、大丈夫だ。
牛松 浅たちがついてりゃ、ていした間違いはありゃしない。
才助 親分の胸の中だって、あの三人をめざしていたに違えねえや。
十蔵 違えねえや。あいつらをつけておけば大丈夫だ。
牛松 さあ、俺これから草津の方へ落ちてやらあ。
才助 おいらも、草津だ。
十蔵 おいらも草津へ出よう。
牛松 じゃ、草津組は一緒に出かけようや。九郎助兄い! お前は、どこへ行くんだ。
九郎助 おいら、もう半刻考えよう。
牛松 思案は、早い方が勝ちだぜ。
九郎助 ああいけねえ。こんなものが残っていると、とんだ手がかりにならねえとも限らねえ。
牛松 じゃ、稲荷の兄い、ごきげんよう。
九郎助 もう行くのか、あばよ。
十蔵 弥助兄い、ごきげんよう。
弥助 ごきげんよう。
弥助 おい兄い! お前は、どの方角へ行くんだ。
九郎助 うるせえや、今考えているというに。
弥助 おらあ、よっぽど草津から越後へ出ようと思ったが、よく考えてみると、熊谷在に伯父がいるのだ。少しは、熊谷はあぶねえかと思うが、故郷へ帰る足溜りにはもってこいだ。それで俺武州の方へ出るつもりだが、お前はどうする気だ。
九郎助
弥助 お前、よっぽど入れ札が気に入らなかったのだな。もっともだ、俺も今日の入れ札は、最初からいやだった。親分も親分だ! 餓鬼の時から、一緒に育ったお前を捨てて行くという法はねえや、浅や嘉助は、いくら腕っぷしが強くってもお前に比べれば、ほんの小僧っ子だ。また、たとい入れ札をするにしたところで、野郎たちがお前を入れねえという法はありゃしねえ。十一人の中でお前の名を書いたのは、この弥助一人だと思うと、おらああいつらの心根が全く分からねえや。
九郎助
弥助 書いたとも、俺よりほかにお前の名を書くやつなんかありゃしねえじゃねえか。
九郎助 ほんとうに書いたか。
弥助 書いたとも、俺よりほかに誰が書くと思う。
九郎助 手前、うそをつくと叩っ切るぞ。
弥助 論より証拠、お前の名が一枚出たじゃねえか。
九郎助
弥助 ううむ。
九郎助 これでも書いたというのか。
弥助 兄い、かんにんしてくれ。兄いわるかった! うそをついた俺を叩っ切ってくれ!
九郎助
弥助 だが不思議だな。俺が、書かないとしたら、それを誰が書いたんだろう。
弥助 誰が書いたんだろう。
九郎助 なな何をいう。
■上記ファイルを、里実文庫が次のように変更しました。
変更箇所
ルビ処理:ルビの記述を<RUBY>タグに変更
行間処理:行間180%
段落処理:形式段落ごとに<P>タグ追加
:段落冒頭の一字下げを一行下げに変更
:段落番号の追加
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成14年8月