湯ヶ原ゆき
島崎藤村
一
1
定めし今時分は閑散だらうと、其閑散を狙つて來て見ると案外さうでもなかつた。殊に自分の投宿した中西屋といふは部室數も三十近くあつて湯ヶ原温泉では第一といはれて居ながら而も空室はイクラもない程の繁盛であつた。少し當は違つたが先づ/\繁盛に越した事なしと斷念めて自分は豫想外の室に入つた。
2
元來自分は大の無性者にて思ひ立た旅行もなか/\實行しないのが今度といふ今度は友人や家族の切なる勸告でヤツと出掛けることになつたのである。『其處に骨の人行く』といふ文句それ自身がふら/\と新宿の停車場に着いたのは六月二十日の午前何時であつたか忘れた。兔も角、一汽車乘り遲れたのである。
3
同伴者は親類の義母であつた。此人は途中萬事自分の世話を燒いて、病人なる自分を湯ヶ原まで送り屆ける役を持て居たのである。
『どうせ待つなら品川で待ちましようか、同じことでも前程へ行つて居る方が氣持が可いから』
と自分がいふと
『ハア、如何でも。』
4
其處で國府津までの切符を買ひ、品川まで行き、其プラツトホームで一時間以上も待つことゝなつた。十一時頃から熱が出て來たので自分はプラツトホームの眞中に設けある四方硝子張の待合室に入つて小さくなつて居ると呑氣なる義母はそんな事とは少しも御存知なく待合室を出て見たり入つて見たり、煙草を喫て見たり、自分が折り折り話しかけても只だ『ハア』『そう』と答へらるゝだけで、沈々默々、空々漠々、三日でも斯うして待ちますよといはぬ計り、悠然、泰然、茫然、呆然たるものであつた。其中漸く神戸行が新橋から來た。特に國府津止の箱が三四輛連結してあるので紅帽の注意を幸にそれに乘り込むと果して同乘者は老人夫婦きりで頗る空て居た、待ち疲れたのと、熱の出たのとで少なからず弱て居る身體をドツかと投げ下すと眼がグラついて思はずのめり[#「のめり」に傍点]さうにした。
5
前夜の雨が晴て空は薄雲の隙間から日影が洩ては居るものゝ梅雨季は爭はれず、天際は重い雨雲が被り[#「り」にママの注記]重なつて居た。汽車は御丁寧に各驛を拾つてゆく。
『義母此處は梅で名高ひ蒲田ですね。』
『そう?』
『義母田植が盛んですね。』
『そうね。』
『御覽なさい、眞紅な帶を結めて居る娘も居ますよ。』
『そうね。』
『義母川崎へ着きました。』
『そうね。』
『義母お大師樣へ何度お參りになりました。』
『何度ですか。』
6
これでは何方が病人か分なくなつた。自分も斷念めて眼をふさいだ。
二
7
トロリとした間に鶴見も神奈川も過ぎて平沼で眼が覺めた。僅かの假寢ではあるが、それでも氣分がサツパリして多少か元氣が附いたので懲ずまに義母に
『横濱に寄らないだけ未だ可う御座いますね。』
『ハア。』
8
是非もないことゝ自分も斷念めて咽喉疾には大敵と知りながら煙草を喫い初めた。老人夫婦は頻りと話して居る。而もこれは婦の方から種々の問題を持出して居るやうだそして多少か煩いといふ氣味で男はそれに説明を與へて居たが隨分丁寧な者で決して『ハア』『そう』の比ではない。
9
若し或人が義母の脊後から其脊中をトンと叩いて『義母!』と叫んだら『オヽ』と驚いて四邊をきよろ/\見廻して初めて自分が汽車の中に在ること、旅行しつゝあることに氣が附くだらう。全體旅をしながら何物をも見ず、見ても何等の感興も起さず、起しても其を折角の同伴者と語り合て更に興を増すこともしないなら、初めから其人は旅の面白みを知らないのだ、など自分は獨り腹の中で愚痴つて居ると
『あれは何でしよう、そら彼の山の頂邊の三角の家のやうなもの。』
『どれだ。』
『そら彼の山の頂邊の、そら……。』
『どの山だ』
『そら彼の山ですよ。』
『どれだよ。』
『まア貴下あれが見えないの。アゝ最早見えなくなつた。』と老婦人は殘念さうに舌打をした。義母は一寸と其方を見たばかり此時自分は思つた義母よりか老婦人の方が幸福だと。
10
そこで自分は『對話』といふことに就て考へ初めた、大袈裟に言へば『對話哲學』又たの名を『お喋舌哲學』に就て。
11
自分は先づ劈頭第一に『喋舌る事の出來ない者は大馬鹿である』
三
『喋舌ることの出來ないのを稱して大馬鹿だといふは餘り殘酷いかも知れないが、少くとも喋舌らないことを以て甚く自分で豪らがる者は馬鹿者の骨頂と言つて可ろしい而して此種の馬鹿者を今の世にチヨイ/\見受けるに[#「に」にママの注記]は情ない次第である。』
『旅は道連、世は情といふが、世は情であらうと無からうと別問題として旅の道連は難有たい、マサカ獨りでは喋舌れないが二人なら對手が泥棒であつても喋舌りながら歩くことが出來る。』など、それからそれと考へて居るうち又眠くなつて來た。
12
睡眠は安息だ。自分は眠ることが何より好きである。けれど爲うことなしに眠るのはあたら一生涯の一部分をたゞで失くすやうな氣がして頗る不愉快に感ずる、處が今の場合、如何とも爲がたい、眼の閉るに任かして置いた。
[#改行天付きはママ]幾分位眠つたか知らぬが夢現の中に次のやうな談話が途斷れ/\に耳に入る。
『貴方お腹が空きましたか。』
『……甚く空いた。』
『私も大變空きました。大船でお辨を買ひましよう。』
13
成程こんな談を聞いて見ると腹が空いたやうでもある。まして沈默家の特長として義母も必定さうだらうと、
『義母お腹が空きましたらう。』
『イヽエ、そうでも有りませんよ。』
『大船へ着いたら何か食べましよう。』
『今度が大船ですか。』
『私は眠て居たから能く分りませんが、』と言ひながら外景を見ると丘山樹林の容樣が正にそれなので
『エヽ、最早直ぐ大船です。』
『大變早いこと!』
四
14
大船に着くや老夫婦が逸早く押ずしと辨當を買ひこんだのを見て自分も其眞似をして同じものを求めた。頸筋は豚に似て聲までが其らしい老人は辨當をむしやつき[#「むしやつき」に傍点]、少し上方辯を混ぜた五十幾歳位の老婦人はすし[#「すし」に傍点]を頬張りはじめた。
15
自分は先づ押ずし[#「ずし」に傍点]なるものを一つ摘んで見たが酢が利き過ぎてとても喰へぬのでお止めにして更に辨當の一隅に箸を着けて見たがポロ/\飯で病人に大毒と悟り、これも御免を被り、元來小食の自分、別に苦にもならず總てを義母にお任して茶ばかり飮んで内心一の悔を懷きながら老人夫婦をそれとなく觀察して居た。
『何故「ビールに正宗……」の其何れかを買ひ入れなかつたらう』といふが一の悔である。大船を發して了へば最早國府津へ着くのを待つ外、途中何も得ることは出來ないと思ふと、淺間しい事には猶ほ殘念で堪らない。
『酒を買へば可かつた。惜しいことを爲た』
『ほんとに、さうでしたねえ』と誰か合槌を打て呉れた、と思ふと大違の眞中。義母は今しも下を向て蒲鉾を食ひ欠いで居らるゝ所であつた。
16
大磯近くなつて漸と諸君の晝飯が了り、自分は二個の空箱の一には笹葉が殘り一には煮肴の汁の痕だけが殘つて居る奴をかたづけて腰掛の下に押込み、老婦人は三個の空箱を丁寧に重ねて、傍の風呂敷包を引寄せ其に包んで了つた。最も左樣する前に老人と小聲で一寸と相談があつたらしく、金貸らしい老人は『勿論のこと』と言ひたげな樣子を首の振り方で見せてたのであつた。
17
此二の悲劇が終つて彼是する中、大磯へ着くと女中が三人ばかり老人夫婦を出迎に出て居て、其一人が窓から渡した包を大事さうに受取つた。其中には空虚の折箱も三ツ入つて居るのである。
18
汽車が大磯を出ると直ぐ
『義母おつかさん今いまの連中れんちゆふは何者なにものでしよう。』
『今いまのツて何なに?』
『今いま大磯おほいそへ下おりた二人ふたりです。』
『さうねえ』
『必定きつと金貸かねかしか何なんかですよ。』
『さうですかね』
『でなくても左樣さう見みえますね』
『婆樣ばあさんは上方者かみがたものですよ、ツルリン[#「ツルリン」に傍点]とした顏かほの何處どつかに「間拔まぬけの狡猾かうくわつ」とでも言いつたやうな所ところがあつて、ペチヤクリ/\老爺ぢいさんの氣嫌きげんを取とつて居ゐましたね。』
『さうでしたか』
『妾めかけの古手ふるてかも知しれない。』
『貴君あなたも隨分ずゐぶん口くちが惡わるいね』とか何なんとか義母おつかさんが言いつて呉くれると、益々ます/\惡口雜言あくこうざふごんの眞價しんかを發揮はつきするのだけれども、自分じぶんのは合憎あいにく甘うまい言ことをトン/\拍子びやうしで言いひ合あふやうな對手あひてでないから、間まの拔ぬけるのも是非ぜひがない。
五
19
箱根はこね、伊豆いづの方面はうめんへ旅行りよかうする者ものは國府津こふづまで來くると最早もはや目的地もくてきちの傍そばまで着つゐた氣きがして心こゝろも勇いさむのが常つねであるが、自分等じぶんら二人ふたりは全然まるでそんな樣子やうすもなかつた。不好いやな處ところへいや/\ながら出でかけて行ゆくのかと怪あやしまるゝばかり不承無承ふしようぶしようにプラツトホームを出でて、紅帽あかばうに案内あんないされて兔とも角かくも茶屋ちやゝに入はひつた。義母おつかさんは兔うさぎにつまゝら[#「ら」にママの注記]れたやうな顏かほつきをして、自分じぶんは狼おほかみにつまゝら[#「ら」にママの注記]れたやうに[#「に」にママの注記]顏かほをして多分たぶん他ほかから見みると其樣そんな顏かほであつたらうと思おもふ『やれ/\』とも『先まづ/\』とも何なんとも言いはず女中ぢよちゆうのすゝめる椅子いすに腰こしを下おろした。
20
自分じぶんは義母おつかさんに『これから何處どこへ行ゆくのです』と問とひたい位くらゐであつた。最早もう我慢がまんが仕しきれなくなつたので、義母おつかさんが一寸ちよつと立たつて用ようたし[#「たし」に傍点]に行いつた間まに正宗まさむねを命めいじて、コツプであほつた。義母おつかさんの來きた時ときは最早もうコツプも空壜あきびんも無ない。
21
思おもひきや此この藝當げいたうを見みながら
『ヤア、これは珍めづらしい處ところで』と景氣けいきよく聲こゑをかけて入はひつて來きた者ものがある。
22
可愛かはいさうに景氣けいきのよい聲こゑ、肺臟はいざうから出でる聲こゑを聞きいたのは十年ねんぶりのやうな氣きがして、自分じぶんは思おもはず立上たちあがつた。見みれば友人いうじんM君エムくんである。
『何處どこへ?』彼かれは問とふた。
『湯ゆヶ原はらへ行ゆく積つもりで出でて來きたのだ。』
『湯ゆヶ原はらか。湯ゆヶ原はらも可いいが此頃このごろの天氣てんきじやアうんざり[#「うんざり」に傍点]するナア』
『君きみは如何どうしたのだ。』
『僕ぼくは四五日前まへから小田原をだはらの友人いうじんの宅うちへ遊あそびに行いつて居ゐたのだが、雨あめばかりで閉口へいかうしたから、これから歸京かへらうと思おもふんだ。』
『湯ゆヶ原はらへ行ゆき玉たまへ。』
『御免ごめん、御免ごめん、最早もう飽あき/\した。』
23
平凡へいぼんな會話くわいわじやアないか。平常ふだんなら當然あたりまへの挨拶あいさつだ。併しかし自分じぶんは友ともと別わかれて電車でんしやに乘のつた後あとでも氣持きもちがすが/\して清涼劑せいりやうざいを飮のんだやうな氣きがした。おまけに先刻さつきの手早てばやき藝當げいたうが其その效果きゝめを現あらはして來きたので、自分じぶんは自分じぶんと腹はらが定きまり、車窓しやさうから雲霧うんむに埋うもれた山々やま/\を眺ながめ
『走はしれ走はしれ電車でんしや、』
24
圓太郎馬車ゑんたらうばしやのやうに喇叭らつぱを吹ふいて呉くれると更さらに妙めうだと思おもつた。
六
25
小田原をだはらは街まちまで長ながい其その入口いりぐちまで來くると細雨こさめが降ふりだしたが、それも降ふりみ降ふらずみたい[#「たい」に傍点]した事こともなく人車鐵道じんしやてつだうの發車點はつしやてんへ着ついたのが午後ごゝの何時なんじ。半時間はんじかん以上いじやう待またねば人車じんしやが出でないと聞きいて茶屋ちやゝへ上あがり今度こんどは大おほぴらで一本ぽん命めいじて空腹くうふくへ刺身さしみを少すこしばかり入いれて見みたが、惡酒わるざけなるが故ゆゑのみならず元來ぐわんらい八度ど以上いじやうの熱ねつある病人びやうにん、甘味うまからう筈はずがない。悉こと/″\くやめてごろり轉ころがるとがつかり[#「がつかり」に傍点]して身體からだが解とけるやうな氣きがした。旅行りよかうして旅宿やどに着ついて此このがつかり[#「がつかり」に傍点]する味あぢは又また特別とくべつなもので、「疲勞ひらうの美味びみ」とでも言いはうか、然しかし自分じぶんの場合ばあひはそんなどころではなく病やまひが手傳てつだつて居ゐるのだから鼻はなから出でる息いきの熱ねつを今更いまさらの如ごとく感かんじ、最早もはや身動みうごきするのもいやになつた。
26
しかし時間じかんが來くれば動うごかぬわけにいかない只ただ人車鐵道じんしやてつだうさへ終をはれば最早もう着つゐたも同樣どうやうと其それを力ちからに箱はこに入はひると中等ちゆうとうは我等われら二人ふたりぎり廣ひろいのは難有ありがたいが二時間半じかんはんを無言むごんの行ぎやうは恐おそれ入いると思おもつて居ゐると、巡査じゆんさが二人ふたり入はひつて來きた。
27
一人ひとりは張飛ちやうひの痩やせて弱よわくなつたやうな中老ちゆうらうの人物じんぶつ。一人ひとりは關羽くわんうが鬚髯ひげを剃そり落おとして退隱たいゝんしたやうな中老ちゆうらう以上いじやうの人物じんぶつ。
28
※やせた張飛ちやうひは眞鶴まなづる駐在所ちゆうざいしよに勤務きんむすること既すでに七八年ねん、齋藤巡査さいとうじゆんさと稱しようし、退隱たいゝんの關羽くわんうは鈴木巡査すゞきじゆんさといつて湯ゆヶ原はらに勤務きんむすること實じつに九年ねん以上いじやうであるといふことは、後あとで解わかつたのである。
29
自分じぶんの注文通ちゆうもんどほり、喇叭らつぱの聲こゑで人車じんしやは小田原をだはらを出發たつた。
七
30
自分じぶんは如何どういふものかガタ馬車ばしやの喇叭らつぱが好すきだ。回想くわいさうも聯想れんさうも皆みな面白おもしろい。春はるの野路のぢをガタ馬車ばしやが走はしる、野のは菜なの花はなが咲さき亂みだれて居ゐる、フワリ/\と生温なまぬるい風かぜが吹ふゐて花はなの香かほりが狹せまい窓まどから人ひとの面おもてを掠かすめる、此時このとき御者ぎよしやが陽氣やうきな調子てうしで喇叭らつぱを吹ふきたてる。如何いくら嫁よめいびり[#「いびり」に傍点]の胡麻白ごましろ婆ばあさんでも此時このときだけはのんびり[#「のんびり」に傍点]して幾干いくらか善心ぜんしんに立たちかへるだらうと思おもはれる。夏なつも可よし、清明せいめいの季節きせつに高地テーブルランドの旦道たんだうを走はしる時ときなど更さらに可よし。
31
ところが小田原をだはらから熱海あたみまでの人車鐵道じんしやてつだうに此この喇叭がある。不愉快ふゆくわい千萬な此この交通機關かうつうきくわんに此この鳴物なりものが附ついてる丈だけで如何どうか興きようを助たすけて居ゐるとは兼かねて自分じぶんの思おもつて居ゐたところである。
32
先まづ二臺だいの三等車とうしや、次つぎに二等車とうしやが一臺だい、此この三臺だいが一列れつになつてゴロ/\と停車場ていしやぢやうを出でて、暫時しばらくは小田原をだはらの場末ばすゑの家立いへなみの間あひだを上のぼりには人ひとが押おし下くだりには車くるまが走はしり、走はしる時ときは喇叭らつぱを吹ふいて進すゝんだ。
33
愈※いよ/\平地へいちを離はなれて山路やまぢにかゝると、これからが初はじまりと言いつた調子てうしで張飛巡査ちやうひじゆんさは何處どこからか煙管きせると煙草入たばこいれを出だしたがマツチがない。關羽くわんうも持もつて居ゐない。これを見みた義母おつかさんは徐おもむろに袖たもとから取出とりだして
『どうかお使つかひ下くださいまし。』
と丁寧ていねいに言いつた。
『これは/\。如何どうもマツチを忘わすれたといふやつは始末しまつにいかんもので。』
と巡査じゆんさは一いつぷく點火つけてマツチを義母おつかさんに返かへすと義母おつかさんは生眞面目きまじめな顏かほをして、それを受うけ取つて自身じしんも煙草たばこを喫すいはじめた。別べつに海洋かいやうの絶景ぜつけいを眺ながめやうともせられない。
34
どんより曇くもつて折をり/\小雨こさめさへ降ふる天氣てんきではあるが、風かぜが全まつたく無ないので、相摸灣さがみわんの波靜しづかに太平洋たいへいやうの煙波えんぱ夢ゆめのやうである。噴煙ふんえんこそ見みえないが大島おほしまの影かげも朦朧もうろうと浮うかんで居ゐる。
『義母おつかさんどうです、佳いい景色けしきですね。』
『さうねえ。』
『向むかうに微かすかに見みえるのが大島おほしまですよ。』
『さう?』
35
此時このとき二人ふたりの巡査じゆんさは新聞しんぶんを讀よんで居ゐた。關羽巡査くわんうじゆんさは眼鏡めがねをかけて、人車じんしやは上のぼりだからゴロゴロと徐行じよかうして居ゐた。
八
36
景色けしきは大おほきいが變化へんくわに乏とぼしいから初はじめての人ひとなら兔とも角かく、自分じぶんは既すでに幾度いくたびか此海このうみと此この棧道さんだうに慣なれて居ゐるから強しひて眺ながめたくもない。義母おつかさんが定さだめし珍めづらしがるだらうと思おもつて居ゐたのが、例れいの如ごとく簡單かんたんな御挨拶ごあいさつだけだから張合はりあひが拔ぬけて了しまつた。新聞しんぶんは今朝けさ出でる前まへに讀よみ盡つくして了しまつたし、本ほんを讀よむ元氣げんきもなし、眠ねむくもなし、喋舌しやべる對手あひてもなし、あくびも出でないし、さて斯かうなると空々然くう/\ぜん、漠々然ばく/\ぜん何時いつしか義母おつかさんの氣きが自分じぶんに乘のり移うつつて血ちの流動ながれが次第々々しだい/\にのろく[#「のろく」に傍点]なつて行ゆくやうな氣きがした。
37
江えの浦うらへ一時半じはんの間あひだは上のぼりであるが多少たせうの高低かうていはある。下くだりもある。喇叭らつぱも吹ふく、斯かくて棧道さんだうにかゝつてから第だい一の停留所ていりうじよに着ついた所ところの名なは忘わすれたが此處こゝで熱海あたみから來くる人車じんしやと入いりちがへるのである。
38
巡査じゆんさは此處こゝで初はじめて新聞しんぶんを手離てばなした。自分じぶんはホツと呼吸いきをして我われに返かへつた。義母おつかさんはウンともスンとも言いはれない。別べつに我われに返かへる必要ひつえうもなく又また返かへるべき我われも持もつて居ゐられない
『此處こゝで又また暫時しばらく待またされるのか。』
と眞鶴まなづるの巡査じゆんさ、則すなはち張飛巡査ちやうひじゆんさが言いつたので
『いつも此處こゝで待またされるのですか。』
と自分じぶんは思おもはず問とふた。
『さうとも限かぎりませんが熱海あたみが遲おそくなると五分ふんや十分ぷん此處こゝで待またされるのです。』
39
壯丁さうていは車くるまを離はなれて水みづを呑のむもあり、皆みな掛茶屋かけぢやゝの縁えんに集あつまつて休やすんで居ゐた。此處こゝは谷間たにまに據よる一小村せうそんで急斜面きふしやめんは茅屋くさやが段だんを作つくつて叢むらがつて居ゐるらしい、車くるまを出でて見みないから能よくは解わからないが漁村ぎよそんの小せうなる者もの、蜜柑みかんが山やまの産物さんぶつらしい。人車じんしやの軌道きだうは村むらの上端じやうたんを横よこぎつて居ゐる。
40
雨あめがポツ/\降ふつて居ゐる。自分じぶんは山やまの手ての方はうをのみ見みて居ゐた。初はじめは何心なにごころなく見みるともなしに見みて居ゐる内うちに、次第しだいに今いま見みて居ゐる前面ぜんめんの光景くわうけいは一幅ぷくの俳畫はいぐわとなつて現あらはれて來きた。
九
41
軌道レールと直角ちよくかくに細長ほそながい茅葺くさぶきの農家のうかが一軒けんある其その裏うらは直すぐ山やまの畑はたけに續つゞいて居ゐるらしい。家いへの前まへは廣庭ひろにはで麥むぎなどを乾ほす所ところだらう、廣庭ひろにはの突つきあたりに物置ものおきらしい屋根やねの低ひくい茅屋くさやがある。母屋おもやの入口いりくちはレールに近ちかい方はうにあつて人車じんしやから見みると土間どまが半分はんぶんほどはすかひ[#「はすかひ」に傍点]に見みえる。
42
入口いりくちの外そとの軒下のきしたに橢圓形だゑんけいの据風呂すゑぶろがあつて十二三の少年せうねんが入はひつて居ゐるのが最初さいしよ自分じぶんの注意ちゆういを惹ひいた。此この少年せうねんは其その日ひに燒やけた脊中せなかばかり此方こちらに向むけて居ゐて決けつして人車じんしやの方はうを見みない。立たつたり、しやがん[#「しやがん」に傍点]だりして居ゐるばかりで、手拭てぬぐひも持もつて居ゐないらし[#「い脱カ」の注記]、又また何時いつ出でる風ふうも見みえず、三時間じかんでも五時間じかんでも一日でも、あアやつて居ゐるのだらうと自分じぶんには思おもはれた。廣庭ひろにはに向むいた釜かまの口くちから青あをい煙けむが細々ほそ/″\と立騰たちのぼつて軒先のきさきを掠かすめ、ボツ/\雨あめが其中そのなかを透すかして落おちて居ゐる。半分はんぶん見みえる土間どまでは二十四五の女をんなが手拭てぬぐひを姉樣ねえさまかぶりにして上あがりがまち[#「がまち」に傍点]に大盥おほだらひ程ほどの桶をけを控ひかへ何物なにものかを篩ふるひにかけて專念せんねん一意いの體てい、其桶そのをけを前まへに七ツ八ツの小女こむすめが坐すわりこんで見物けんぶつして居ゐるが、これは人形にんぎやうのやうに動うごかない、風呂ふろの中なかの少年せうねんも同おなじくこれを見物けんぶつして居ゐるのだといふことが自分じぶんにやつと解わかつた。
43
入口いりくちの彼方あちらは長ながい縁側えんがはで三人にんも小女こむすめが坐すわつて居ゐて其その一人ひとりは此方こちらを向むき今いましも十七八の姉樣ねえさんに髮かみを結ゆつて貰もらふ最中さいちゆう。前髮まへがみを切きり下さげて可愛かはゆく之これも人形じんぎやうのやうに順おとなしくして居ゐる廣庭ひろにはでは六十以上いじやうの而しかも何いづれも達者たつしやらしい婆ばあさんが三人立にんたつて居ゐて其その一人ひとりの赤兒あかんぼを脊負おぶつて腰こしを曲まげ居をるのが何事なにごとか婆ばあさん聲ごゑを張上はりあげて喋白しやべつて居ゐると、他たの二人ふたりの婆樣ばあさんは合槌あひづちを打うつて居ゐる。けれども三人にんとも手ても足あしも動うごかさない。そして五六人にんの同おなじ年頃としごろの小供こどもがやはり身動みうごきもしないで婆ばあさん達たちの周圍まはりを取とり卷まいて居ゐるのである。
44
眞黒まつくろな艷つやの佳いい洋犬かめが一匹ぴき、腮あごを地ぢに着つけて臥ねそべつて、耳みゝを埀たれたまゝ是これ亦また尾ををすら動うごかさず、廣庭ひろにはの仲間なかまに加くははつて居ゐた。そして母屋おもやの入口いりくちの軒陰のきかげから燕つばめが出でたり入はひつたりして居ゐる。
45
初はじめは俳畫はいぐわのやうだと思おもつて見みて居ゐたが、これ實じつに畫ゑでも何なんでもない。細雨さいうに暮くれなんとする山間村落さんかんそんらくの生活せいくわつの最もつとも靜しづかなる部分ぶゝんである。谷たにの奧おくには墓場はかばもあるだらう、人生じんせい悠久いうきうの流ながれが此處こゝでも泡立あわだたぬまでの渦うづを卷まゐて居ゐるのである。
十
46
隨分ずゐぶん長ながく待またされたと思おもつたが實際じつさいは十分ぷんぐらゐで熱海あたみからの人車じんしやが威勢ゐせい能く喇叭らつぱを吹ふきたてゝ下くだつて來きたので直すぐ入いれちがつて我々われ/\は出立しゆつたつした。
47
雨あめが次第しだいに強つよくなつたので外面そとの模樣もやうは陰鬱いんうつになるばかり、車内うちは退屈たいくつを増ますばかり眞鶴まなづるの巡査じゆんさがとう/\
『何方どちらへ行いらつしやいます。』と口くちを切きつた。
『湯ゆヶ原はらへ行ゆかふと思おもつて居ゐます。』と自分じぶんがこれに應おうじた。思おもつて居ゐるどころか、今現いまげんに行ゆきつゝあるのだ。けれど斯かふ言ふのが温泉場をんせんばへ行ゆく人ひと、海水浴場かいすゐよくぢやうへ行ゆく人ひと乃至ないし名所見物めいしよけんぶつにでも出掛でかける人ひとの洒落しやれた口調くてうであるキザな言葉ことばたるを失うしなはない。
『湯ゆヶ原はらは可いい所とこです、初はじめてゞすか。』
『一二度ど行いつた事ことがあります。』
『宿やどは何方どちらです。』
『中西屋なかにしやです。』
『中西屋なかにしやは結構けつかうです、近來きんらい益※ます/\可いいやうです。さうだね君きみ。』と兔角とかく言葉ことばの少すくない鈴木巡査すゞきじゆんさに贊成さんせいを求もとめた。
『さうです。實際じつさい彼あの家うちが今いま一番ばん繁盛はんじやうするでしよう。』と關羽くわんうの鈴木巡査すゞきじゆんさが答こたへた。
48
先まづこんな有ありふれた問答もんだふから、だん/\談話はなしに花はながさいて東京博覽會とうきようはくらんくわいの噂うはさ、眞鶴近海まなづるきんかいの魚漁談ぎよれふだん等とうで退屈たいくつを免まぬかれ、やつと江えの浦うらに達たつした。
『サアこれから下くだりだ。』と齋藤巡査さいとうじゆんさが威勢ゐせいをつけた。
『義母おつかさんこれから下くだりですよ。』
『さう。』
『隨分ずゐぶん亂暴らんばうだから用心ようじんせんと頭あたまを打觸ぶつけますよ。』
『さうですか。』
49
齋藤巡査さいとうじゆんさが眞鶴まなづるで下車げしやしたので自分じぶんは談敵だんてきを失うしなつたけれど、湯ゆヶ原はらの入口いりくちなる門川もんかはまでは、退屈たいくつする程ほどの隔離かくりでもないので困こまらなかつた。
50
日ひは暮くれかゝつて雨あめは益※ます/\強つよくなつた。山々やま/\は悉こと/″\く雲くもに埋うもれて僅わづかに其麓そのふもとを現あらはすばかり。我々われ/\が門川もんかはで下おりて、更さらに人力車くるまに乘のりかへ、湯ゆヶ原はらの溪谷けいこくに向むかつた時ときは、さながら雲くも深ふかく分わけ入いる思おもひがあつた。
底本:「定本 国木田独歩全集 第四巻」学習研究社
1971昭和46年2月10日初版発行
1978昭和53年3月1日増訂版発行
1995平成7年7月3日増補版発行
入力:鈴木厚司
校正:mayu
ファイル作成:野口英司
2001年11月7日公開
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
・本文中の※は、底本では次のような漢字JIS外字が使われている。
※やせた張飛ちやうひは
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第4水準2-85-45
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愈※いよ/\平地へいちを離はなれて
近來きんらい益※ます/\可いいやうです。
雨あめは益※ます/\強つよくなつた。
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面区点番号1-2-22
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■上記ファイルを、里実文庫が次のように変更しました。
変更箇所
ルビ処理:ルビの記述を<RUBY>タグに変更
行間処理:行間180%
段落処理:形式段落ごとに<P>タグ追加
:段落冒頭の一字下げを一行下げに変更
:段落番号の追加
変更作業:里実福太朗
変更終了:平成14年3月