石清虚

             国木田独歩

1

雲飛うんぴといふ人は盆石ぼんせきを非常に愛翫あいぐわんした奇人きじんで、人々から石狂者いしきちがひと言はれて居たが、人が何と言はうと一切頓着さいとんぢやくせず、めづらしい石の搜索さうさくにのみ日を送つて居た。

2

或日あるひ近所きんじよかはれふに出かけて彼處かしこふち此所こゝあみつてはるうち、ふと網にかゝつたものがある、いて見たが容易よういあがらないので川にはひつてさぐこゝろみると一抱ひとかゝへもありさうないしである。例の奇癖きへきかういふ場合ばあひにもあらはれ、若しや珍石ちんせきではあるまいかと、きかゝへてをかげて見ると、はたして! 四めん玲瓏れいろう峯秀みねひいたにかすかに、またと類なき奇石きせきであつたので、雲飛先生うんぴせんせいなみだの出るほどうれしがり、早速家さつそくいへかへつて、紫檀したんだいこしらえ之を安置あんちした。

3

れいなるかなこの石、てん雨降あめふらんとするや、白雲はくうん油然ゆぜんとして孔々こう/\より湧出わきいたにみねする其おもむきは、恰度窓ちやうどまどつてはるかに自然しぜん大景たいけいながむるとすこしことならないのである。

4

權勢家けんせいかなにがしといふが居て此靈妙このれいめうつたき、一けんもとめた、雲飛うんぴ大得意だいとくいでこれをとほして石を見せると、なにがしも大に感服かんぷくしてながめて居たがきふぼくめいじて石をかつがせ、うまむちうつて難有ありがたうともなんとも言はずつてしまつた。雲飛うんぴあしずりして口惜くやしがつたが如何どうすることも出來できない。

5

さてなにがしぼくしたが我家わがやをさしてかへみちすがらさき雲飛うんぴが石をひろつた川とおなじながれかゝつて居るはしまで來ると、ぼくすこかたやすめるつもりで石を欄干らんかんにもたせてほつ一息ひといきおもはず手がすべつて石は水煙みづけむり河底かていしづんでしまつた。

6

ふまでもなくうまむちぼく頭上づじやうあられの如くちて來た。早速金さつそくかねやとはれた其邊そこら舟子ふなこ共幾人どもいくにんうをの如く水底すゐていくゞつて手にれる石といふ石はこと/〃\きしひろあげられた。見る間になんといふヘボ石の行列ぎやうれつが出來た。けれども靈妙れいめうなる石はつひかげをも見せないので流石さすが權勢家けんせいか一先搜索ひとまづさうさくを中止し、懸賞けんしやうといふことにしていへかへつた。懸賞百兩ときいて其日から河にどぶん/\とび込む者が日に幾十人なんじふにんさながらの水泳場すゐえいぢやう現出げんしゆつしたが何人だれも百兩にありくものはなかつた。

7

雲飛うんぴは石をうばはれて落膽らくたんし、其後はうち閉籠とぢこもつて外出しなかつたが、いしかはおち行衞ゆくへ不明ふめいになつたことをつたき、或朝早あるあさはやく家を出で石のちたあととむらふべく橋上けうじやうたつて下を見ると、河水清徹かすゐせいてつれいの石がちやんとしたよこたはつて居たので其まゝみ、石をだい濡鼠ぬれねずみのやうになつてにぐるがごとうちかへつて來た。最早もうしめたものと、今度は客間きやくまに石をかず、居間ゐまとこ安置あんちして何人にもかくして、只だひとたのしんで居た。

8

すると一日あるひ一人ひとり老叟らうそう何所どこからともなくたづねて來て祕藏ひざうの石を見せてれろといふ、イヤその石は最早もう他人たにんられてしまつてひさしい以前から無いと謝絶ことわつた。老叟らうそうわらつて客間きやくまにちやんとえてあるではないかといふので、それでは客間きやくま御覽ごらんなさいけつして有りはしないからと案内あんないして内にはひつて見ると、こは如何いかに、居間ゐまかくして置いた石が何時いつにか客間のとこすゑてあつた。雲飛うんぴ驚愕びつくりして文句もんくない。

9

老叟らうそうしづかに石をでゝ、『我家うちの石がひさし行方知ゆきがたしれずに居たが先づ/\此處こゝにあつたので安堵あんどしました、それではいたゞいてかへることにいたしましよう。』

10

雲飛うんぴおどろいて『んだことを言はるゝ、これは拙者永年せつしやながねん祕藏ひざうして居るので、生命いのちにかけて大事だいじにして居るのです』

11

老叟らうそうわらつて『さう言はるゝにはなに證據しようこでもあるのかね、貴君あなたものといふれきとした證據しやうこが有るならうけたまはりいものですなア』

12

雲飛うんぴ返事へんじこまつて居ると老叟らうそうの曰く『拙者せつしやふるくから此石とは馴染なじみなので、この石の事なら詳細くはししつて居るのじや、そもそも此石には九十二のあながある、其中のおほきあなの中にはいつゝ堂宇だうゝがある、貴君あなたは之れを知つて居らるゝか』

13

言はれて雲飛うんぴ仔細しさい孔中こうちゆうると果して小さな堂宇だうゝがあつて、粟粒あはつぶほどの大さで、一寸ちよつとくらゐではけつしてつかぬほどのものである、又た孔竅あなかず計算けいさんするとこれ亦九十二ある。そこで内心非常ないしんひじやうおどろいたけれどなほも石を老叟らうそうわたすことはをしいので色々いろ/\あらそふた。

14

老叟はわらつて『左樣さうはるゝならそれでもよし、イザおいとまましよう、おほきにお邪魔じやま御座ござつた』と客間きやくまを出たので雲飛うんぴよろこもんまでおくり出て、内にかへつて見るといしが無い。こいつ老爺おやぢぬすんだときふおつかけて行くと老人悠々いう/\としてあるいて居るので追着おひつくことが出來た。其たもととらへて『あんまりじやアありませんか、何卒どうか返却かへしていたゞきたいもんです』と泣聲なきごゑになつてうつたへた。
『これはなことをはるゝものじや、あんなおほきいし如何どうしてたもとはひはずがない』と老人ろうじんに言はれて見ると、そでかるかぜひるがへり、手には一本のながつゑもつばかり、小石こいし一つ持て居ないのである。ここに於て雲飛うんぴはじめ此老叟このらうそうけつし唯物たゞものでないとき、無理むりやりに曳張ひつぱつうちかへり、ひざまづいていしもとめた。

15

そこで叟のふには『如何どうです、石は矢張やは貴君あなたの物かね、それとも拙者せつしやのものかね。』
『イヤまつたく貴君あなたの物で御座ございます、けれども何卒どうまげわたくしたまはりたう御座ございます』
『それで事はわかつた、へやを見なさい、石は在るから。』

16

言はれて内室ないしつはひつて見ると成程なるほど石は何時いつにか紫檀したんだいかへつて居たので益々ます/\畏敬ゐけいねんたかめ、うや/\しく老叟をあふぎ見ると、老叟『天下てんかたからといふものはすべてこれを愛惜あいせきするものにあたへるのが當然たうぜんじや、此石このいしみづかく其主人しゆじんえらんだので拙者せつしやよろこばしくおもふ、然し此石の出やうがすこはやすぎる、出やうがはやいと魔劫まごふれないから何時いつかはこれをもつて居るものにわざはひするものじや、一先ひとまづ拙者が持歸もちかへつて三年たつのち貴君あなた差上さしあげることにたいものぢや、それともいまこれを此處におけ貴君あなたの三年の壽命いのちちゞめるがよいか、それでも今ぐにほしう御座るかな。』

17

雲飛うんぴは三年の壽命位じゆみやうぐらゐなんでもないとこたへたので老叟、二本のゆびで一のあなふれたと思ふと石はあたかどろのやうになり、手にしたがつてぢ、つひ三個みつゝあなふさいでしまつて、さて言ふには、『これでし、のこりあなかず貴君あなたの壽命だ、最早もうこれでおいとまいたさう』と飄然老叟へうぜんらうそう立去たちさつしまつた。めてまらず、姓名きいてもいはずに。

18

其後石は安然あんぜん[#「ママ」の注記]に雲飛の内室ないしつ祕藏ひざうされて其清秀せいしうたいかへず、靈妙れいめううしなはずして幾年いくねんすぎた。

19

或年雲飛うんぴ用事ようじありて外出したひまに、小偸人こぬすびとはひつて石をぬすんでしまつた。雲飛は所謂いはゆ掌中しやうちゆうたまうばはれ殆どなうとまでした、諸所しよ/\に人をしてさがさしたが踪跡ゆきがたまるしれない、其中二三年ち或日途中とちゆうでふと盆石ぼんせきを賣て居る者に出遇であつた。ちかづいてるとれいの石をもつて居るので大におどろき其をとこひきずつて役場やくばに出て盜難たうなん次第しだいうつたへた。あなかず孔中こうちゆう堂宇だうゝの二證據しようこで、石は雲飛うんぴのものといふにきまり、石賣は或人より二十兩出してかつしなといふことも判然はんぜんして無罪むざいとなり、かくも石は首尾しゆびよく雲飛の手にかへつた。

20

今度こんどは石をにしきつゝんでくらをさ容易よういにはそとに出さず、時々出してたのしむ時は先づかうたいしつきよめるほどにして居た。ところが權官けんくわんに某といふ無法者むはふものが居て、雲飛の石のことをき、是非ぜひに百兩でひたいものだと申込まうしこんだ。なにがさて萬金かへじと愛惜あいせきして居る石のことゆゑ、雲飛は一言のもとに之を謝絶しやぜつしてしまつた。某は心中ふか立腹りつぷくして、ほかの事にかこつけて雲飛を中傷ちゆうしやうつひとらへてごくとうじたそして人を以てひそか雲飛うんぴつまに、じつは石がほしいばかりといふ内意ないゝつたへさした。雲飛のつま早速さつそく相談さうだんし石を某權官なにがしけんくわんけんじたところ、雲飛はもなくごくを出された。

21

ごくからかへつて見ると石がない、雲飛うんぴは妻をのゝしち、いかりいかり、くるひにくるひ、つひ自殺じさつしようとして何度なんど妻子さいし發見はつけんされては自殺することも出來できず、懊惱煩悶あうなうはんもんして居ると、一夜、ゆめ一個ひとり風采堂々ふうさいだう/\たる丈夫ますらをあらはれて、自分は石清虚せきせいきよといふものである、けつして心配しんぱいなさるな、君とわかれて居るのは一年ばかりのことで、明年八月二日、朝早あさはや海岱門かいたいもんまう見給みたまへ、二十錢の代價だいかふたゝきみかたはらかへつて來ること受合うけあひだと言ふ。其言葉ことばの一々を雲飛は心にめいし、やゝ取直とりなほして時節じせつるのをまつた。

22

そこで權官けんくわん首尾しゆびよく天下てんか名石めいせきうばてこれを案頭あんとうおい日々ひゞながめて居たけれども、うはさきし靈妙れいめうはたらきは少しも見せず、雲のわくなどいふ不思議ふしぎしめさないので、何時いつしか石のことは打忘うちわすれ、へや片隅かたすみ放擲はうてきして置いた。

23

翌年よくとしになり權官は或罪あるつみを以てしよくはがれてしまい、つい死亡しばうしたので、ぼくひそかに石をぬすみ出してりにたのが恰も八月二日の朝であつた。

24

此日雲飛はちにつた日がたので明方あけがた海岱門かいたいもんまうで見ると、はたして一人のあやしげな男が名石めいせきかついで路傍みちばたに立て居るのを見た。だいくとはたして二十錢だといふ、よろこんでり、石は又もや雲飛の手にかへつた。

25

其後そのご雲飛うんぴは壯健にして八十九歳にたつした。我が死期來しききたれりと自分で葬儀さうぎ仕度したくなどをとゝの遺言ゆゐごんして石をくわんおさむることをめいじた。はたしてもなくんだので子は遺言通ゆゐごんどほり石を墓中ぼちゆうをさめてほうむつた。

26

半年ばかりたつ何者なにものとも知れず、はかあばいて石をぬすさつたものがある。子は手掛てがかりがないのでふことも出來ず其まゝにして二三日たつた。一日ぼくしたがへて往來わうらいあるいて居るとたちまむかふから二人の男、ひたひからあせみづの如くながし、空中くうちゆうあがあがりしてはしりながら、大聲おほごゑで『雲飛先生うんぴせんせい、雲飛先生! さう追駈おつかけくださいますな、わづか四兩のかねで石を賣りたいばかりに仕たことですから』と、あたか空中人くうちゆうひとあるごとくにさけるのに出遇であつた。

27

矢庭やには引捕ひつとらへてくわんうつたへると二のもなく伏罪ふくざいしたので、石の在所ありか判明はんめいした。官吏やくにんぐ石を取寄とりよせて一見すると、これ亦たたちま慾心よくしんおこし、これはくわん沒收ぼつしうするぞとおごそかにわたした。其處そこ廷丁てい/\は石をくらに入んものとあげて二三歩あるくや手はすべつて石はち、くだけてすうぺんになつてしまつた。

28

雲飛うんぴ許可ゆるしを得て其片々へんぺん一々ひとつ/\ひろつて家に持歸もちかへり、ふたゝ亡父なきちゝはかをさめたといふことである。

※/\は、二倍の踊り字「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号、濁点付きの二倍の踊り字は「/〃\」



底本:「國木田獨歩全集 第四巻」学習研究社
   1946昭和41年2月10日發行
入力:小林徹
校正:しず
ファイル作成:野口英司
1999年6月22日公開
2001年4月21日修正
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