都の友へ、B生より

             島崎藤村



前略

1

ひさしぶりで孤獨こどく生活せいくわつつてる、これも病氣びやうきのおかげかもれない。色々いろ/\なことをかんがへてひさしぶりで自己じこ存在そんざい自覺じかくしたやうながする。これはまつた孤獨こどくのおかげだらうとおもふ。この温泉をんせんはたして物質的ぶつしつてきぼく健康けんかう效能かうのうがあるかいか、そんなことわからないがなにしろ温泉をんせんわるくない。すくなくとも此處こゝの、此家このや温泉をんせんわるくない。

2

森閑しんかんとした浴室ゆどの長方形ちやうはうけい浴槽ゆぶね透明すきとほつてたまのやうな温泉いでゆ、これを午後ごゝ時頃じごろ獨占どくせんしてると、くだらない實感じつかんからも、ゆめのやうな妄想まうざうからも脱却だつきやくしてしまふ。浴槽ゆぶねの一たん後腦こうなうのせて一たん爪先つまさきかけて、ふわりとうかべてつぶる。とき薄目うすめあけ天井際てんじやうぎは光線窓あかりまどる。みどりきらめくきり半分はんぶんと、蒼々さう/\無際限むさいげん大空おほぞらえる。老人らうじんなら南無阿彌陀佛なむあみだぶつ/\とくちうちとなへるところだ。老人らうじんでなくともこの心持こゝろもちおなじである。

3

居室へやかへつてると、ちやんと整頓かたづいる。とき書物しよもつやら反古ほごやら亂雜らんざつきはまつてたのが、もの各々おの/\ところしづかにぼくまつる。ごろりところげてだいなり、坐團布ざぶとん引寄ひきよせてふたつにをつまくらにしてまた手當次第てあたりしだいほんはじめる。陶淵明たうえんめい所謂いはゆる「不レ[#「レ」は返り点]求二[#「二」は返り点]甚解一[#「一」は返り点]」くらゐいがときに一ページむに一時間じかんもかゝることがある。何故なぜなら全然まるほかことかんがへてるからである。昨日きのふきみおくつてれたチエホフの短篇集たんぺんしふんでると、ツイ何時いつにか「ボズ」さんのことかんがした。

4

ボズさんの本名ほんみやう權十ごんじふとか五郎兵衞ろべゑとかいふのだらうけれど、この土地とちものだボズさんとび、本人ほんにん平氣へいき返事へんじをしてた。

5

この以前いぜんぼく此處こゝときことである、或日あるひ午後ひるすぎぼく溪流たにがは下流しも香魚釣あゆつりつてたとおもたまへ。その場所ばしよまつたくぼくつたのである、後背うしろがけからは雜木ざふきえだかさかさねておほひかゝり、まへかなひろよどみしづかうづまいながれてる。足場あしばはわざ/\つくつたやうおもはれるほど具合ぐあひい。此處こゝ發見みつけときぼくおもつた此處こゝるなられないでも半日位はんにちぐらゐ辛棒しんぼう出來できるとおもつた。ところぼく釣初つりはじめるともなく後背うしろから『れますか』と唐突だしぬけこゑけたものがある。

6

くと、それがボズさんとのちつた老爺ぢいさんであつた。七十ちかい、ひくいが骨太ほねぶと老人らうじん矢張やはり釣竿つりざをもつる。
今初いまはじめたばかりです。』とうち浮木うきがグイとしづんだからあはすと、餌釣ゑづりとしては、中々なか/\おほきいのがあがつた。
此處こゝなりれます。』と老爺ぢいさんぼくそばこしおろして煙草たばこひだした。けれど一人ひとり竿さをだけ場處ばしよだからボズさんはたゞ見物けんぶつをしてた。

7

もなくまた一尾いつぴきげるとボズさん、
旦那だんなはお上手じやうずだ。』
『だめ[#「だめ」に傍点]だよ。』
『イヤさうでない。』
『これでも上手じやうずうちかね。』
この温泉をんせんるおきやくさんのうちじア旦那だんなが一とうだ。』とおほげさ[#「げさ」に傍点]にめそやす。
なにしろ道具だうぐい。』とはれたのでぼくおもはず噴飯ふきだし、
『それじア道具だうぐるのだ、ハ、ハ、……』

8

ボズさんすこしく狼狽まごついて、
『イヤそれだれだつて道具だうぐります。如何いく上手じやうずでも道具だうぐわるいと十ぴきれるところは五ひきれません。』

9

それから二人ふたり種々いろ/\談話はなしをしてうち懇意こんいになり、ボズさんが遠慮ゑんりよなくところによるとぼく發見みつけ場所ばしよはボズさんのあじろ[#「あじろ」に傍点]のひとつで、足場あしばはボズさんがつくつたこと東京とうきやうきやくれてけといふから一緒いつしよると下手へたくせれないとおこつてことれないとつておこやつが一ばん馬鹿ばかだといふこと温泉をんせん東京とうきやうきやくにはういふ馬鹿ばかおほことうをでも生命いのちをしいといふこととうであつた。

10

其日そのひはそれでわかれ、其後そのごたがひさそつてつり出掛でかけたが、ボズさんのうちは一しかないふる茅屋わらや其處そこひとりでわびしげ[#「わびしげ」に傍点]にんでたのである。なんでも無遠慮ぶゑんりよはな老人らうじんうへことけてはないやうにしてた。けれどとほまはしにしたところによると、田之浦たのうらもの倅夫婦せがれふうふ百姓ひやくしやうをしてなりの生活くらしをしてるが、その夫婦ふうふのしうち[#「しうち」に傍点]がくはぬとつて十何年なんねんまへから一人ひとり此處こゝんでるらしい、そしてせがれからふだけの仕送しおくりをもらつてる樣子やうすである。成程なるほどさうへば何處どこ固拗かたくなのところもあるが、ぼくおもふには最初さいしよ頑固ぐわんこつたのながらのちにはかへつて孤獨こどくのわびずまひが氣樂きらくになつてたのではあるまいか。がれたひとおもむきがあるのはその理由わけであらう。

11

其處そこぼく昨日きのふチエホフ[#「チエホフ」に傍線]の『ブラツクモンク』をよみさしておもはずボズさんのことかんがし、その以前いぜん二人ふたり溪流たにがは奧深おくふかさかのぼつて「やまめ」をつたことなど、それからそれへとかんがへるとたまらなくなつてた。じつ今度こんどると、ボズさんがない。昨年きよねん田之浦たのうら本家うちかへつてなくなつたとのことである。

12

事實じゝつ此世このよひとかもれないが、ぼくにはあり/\とえる、菅笠すげがさかぶつた老爺らうやのボズさんが細雨さいううちたつる。
病氣びやうきくない、』『あめりさうですから』など宿やどものがとめるのもかず、ぼく竿さをもつ出掛でかけた。人家じんかはなれて四五ちやうさかのぼるとすでみちもなければはたけもない。たゞ左右さいう斷崕だんがい其間そのあひだ迂回うねながるゝ溪水たにがはばかりである。辿たどつておくおくへとのぼるにれて、此處彼處こゝかしこ舊遊きういうよどみ小蔭こかげにはボズさんの菅笠すげがさえるやうである。かつてボズさんと辨當べんたうべたことのある、ひらたいはまでると、流石さすがぼくつかれてしまつた。もとよりすこしもない。いはうへたつてジツ[#「ジツ」に傍点]としてるとさびしいこと、しづかなこと、深谷しんこくせまつてる。

13

暫時しばらくすると箱根はこね峻嶺しゆんれいからあめおろしてた、きりのやうなあめなゝめぼくかすめてぶ。あたまうへ草山くさやま灰色はひいろくもれ/″\になつてはしる。
『ボズさん!』とぼくおもはず涙聲なみだごゑんだ。きみ狂氣きちがひ眞似まねをするとたまふか。ぼくじつ滿眼まんがんなんだつるにかした。



底本:「定本 国木田独歩全集 第四巻」学習研究社
   1966昭和41年2月10日初版発行
   1978昭和53年3月1日増訂版発行
   1995平成7年7月3日増補版発行
入力:鈴木厚司
校正:mayu
ファイル作成:野口英司
2001年11月7日公開
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