小さいアルバム

       太宰 治

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せっかくおいで下さいましたのに、何もおかまい出来ず、お気のどくに存じます。文学論も、もう、あきました。なんの事はない、他人の悪口を言うだけの事じゃありませんか。文学も、いやになりました。こんな言いかたは、どうでしょう。「かれは、文学がきらいな余りに文士ぶんしになった。」

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本当ですよ。もともと戦いを好まぬ国民が、いまはしのぶべからずと立ち上った時、こいつは強い。向うところてきなしじゃないか。君たちも、も少し、文学ぎらいになったらどうだね。しんに新しいものは、そんなところから生れて来るのですよ。

3

まあ私の文学論は、それだけで、あとは、かぬほたる沈黙ちんもく海軍かいぐんというところです。

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どうも、せっかく遊びにおいで下さったのに、こんなに何も、あいそが無くては、私のほうでしょげてしまいます。お酒でもあるといいんだけど、二、三日前に配給はいきゅうされたお酒は、もう、その日のうちに飲んでしまって、まことに生憎あいにくでした。どこかへ飲みに出たいものですね。ところが、これも生憎で、あははは、――無いんだ。今月はお金を使いすぎて、蟄居ちっきょの形なのです。本を売ってまで飲みたくはないし、まあ、がまんして、お茶でも飲んで、今夜これからどうして遊ぶか、ゆっくり考えてみましようか。

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君はあそびに来たのでしょう? どこへ行っても軽蔑けいべつされるし、懐中かいちゅうも心細いし、Dのところへでも行ったら、あるいは気がれるかも知れん、と思ってやって来たのでしょう? 光栄こうえいな事だ。そんなに、たよりにされて、何一つ期待にわぬというのも、むごい話だ。

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よろしい。今夜は一つ、私のアルバムをお見せしましょう。面白い写真も、あるかも知れない。お客の接待せったいにアルバムを出すというのは、こいつあ、よっぽど情熱の無い証拠なのだ。いい加減かげんにあしらって、ていよく追い帰そうとしている時に、この、アルバムというやつが出るものだ。注意したまえ。おこっちゃいけない。私の場合は、そうじゃないんだ。今夜は、生憎あいにくお酒も無ければ、お金も無い。文学論も、いやだ。けれども君を、このままむなしく帰らせるのも心苦しくて、言わば、窮余きゅうよ一策いっさくとして、こんな貧弱ひんじゃくなアルバムを持ち出したというわけだ。元来、私は、自分の写真などを、人に見せるのは、実に、いや味な事だと思っている。失敬しっけいな事だ。よほど親しい間柄あいだがらの人にでもなければ、見せるものではない。男が、いいとしをして、みっともない。私は、どうも、写真そのものに、どだい興味きょうみがないのです。撮影さつえいする事にも、撮影される事にも、ちっとも興味がない。写真というものを、まるで信用していないのです。だから、自分の写真でも、ひとの写真でも、大事に保存しているというようなことは無い。たいてい、こんな、机の引出しなんかへれっぱなしにして置くので、大掃除や転居の度毎に少しずつ散逸さんいつして、残っているのは、ごくわずかになってしまいました。先日、家内が、その残っているわずかな写真を整理せいりして、こんなアルバムを作って、はじめは私も、大袈裟おおげさな事をする、と言って不賛成ふさんせいだったのですが、でも、こうして出来上ったのを、ゆっくり見ているうちに、ちょっとした感慨もいて来ました。けれどもそれは、私ひとりにかぎられたひそかな感慨かんがいで、よその人が見たって、こんなもの、ちっとも面白くもなんとも無いかも知れません。今夜は、どうも、他に話題わだいも無いし、せっかくおいで下さったのになんのおかまいも出来ず、これでは余り殺風景さっぷうけいですから、きゅうした揚句あげくはてに、こんなものを持ち出したのですから、そこのところは貧者一灯ひんじゃいっとう心意気こころいきにめんじて、面白くもないだろうけれど見てやって下さい。

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一つ、説明してあげましょうか。下手へた紙芝居かみしばいみたいになるかも知れませんが、笑わずに、まあ聞きたまえ。

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あまり古い写真は無い。前にも言ったように、移転いてんやら大掃除おおそうじやらで、いつのまにか無くなってしまいました。アルバムの最初のペエジには、たいてい、その人の父母の写真がられているものですが、私のアルバムにはそれも無い。父母の写真どころか、肉親にくしんの写真が一枚も無い。いや去年の秋、すぐ上の姉がその幼い長女と共に写した手札型てふだがたの写真を一枚送ってよこしたが、本当に、その写真一枚きりで、他の肉親の写真は何も無いのだ。私がわざと肉親の写真を排除はいじょしたわけではない。十数年前から、故郷こきょうの肉親たちと文通していないので、自然と、そんな結果けっかになってしまったのだ。また、たいていのアルバムには、その持主の赤児あかごの時の写真、あるいは小学生時代の写真などもあってきょうえているものだが、私のアルバムには、それも無い。故郷の家には、保存されているかも知れぬが、私の手許てもとには無い。だから、このアルバムを見ただけでは、人は私を、どこの馬のほねだか見当けんとうも何もつかぬはずです。考えてみると、うすら寒いアルバムですね。開巻かいかん、第一ペエジ、もう主人公はこのとおり高等学校の生徒せいとだ。実に、唐突とうとつな第一ペエジです。 

9

これはH高等学校の講堂こうどうだ。生徒が四十人ばかり、行儀ぎょうぎよくならんでいるが、これは皆、私の同級生どうきゅうせいです。主任の教授きょうじゅが、前列の中央にこしかけていますね。これは英語の先生で、私は時々、この先生にほめられた。笑っちゃいけない。本当ですよ。私だって、このころは、大いに勉強べんきょうしたものだ。この先生にばかりでなく、他の二、三の先生にもほめられた。本当ですよ。首席しゅせきになってやろうと思って努力どりょくしたが、到底とうていだめだった。この、三列目の端に立っている小柄こがらな生徒、この生徒だけには、どうしてもかなわなかった。こいつは、出来た。こんな、ぼんやりした顔をしていながら、実に、よく出来た。意気込んだところが一つも無くて、そうして堅実けんじつだった。あんなのを、ほんものというのかも知れない。いまは朝鮮ちょうせん銀行ぎんこうつとめているとかいう話だが、このひとにくらべたら私なんかは、まず、おっちょこちょいの軽薄才士けいはくさいしとでもいったところかね。見たまえ、私がこの写真のどこにいるか、わかるかね? そうだ、その主任の教授にぴったり寄りってこしかけて、いかにも、どうも、軽薄けいはくに、ニヤリと笑っている生徒が私だ。十九歳にして、すでにこのように技巧ぎこう的である。まったく、いやになるね。なぜ、笑ったりなんかしているのだろう。見給え、この約四十人の生徒の中で、笑っているのは、私ひとりじゃないか。とても厳粛げんしゅくな筈の記念撮影さつえいに、ニヤリと笑うなどとは、ふざけた話だ。不謹慎ふきんしんだよ。どうして、こうなんだろうね。撮影の前のドサクサにまぎれて、いつのまにやら、ちゃんと最前列の先生の隣席りんせきすわってニヤリと笑っている。あきれた奴だ。こんなのが大きくなって、掏摸すりの名人なんかになるものだ。けれども、案外にも、どこか一つ大きく抜けているところがあると見えて、掏摸の親方おやかたになれなかったばかりか、いやもう、みっともない失敗の連続れんぞくで、以後十数年間、泣いたりわめいたり、きざにうなるやらうめくやら大変なさわぎでありました。

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それ、ごらん。その次の写真に於いて、既に間抜まぬけの本性を暴露ばくろしている。これもやはり高等学校時代の写真だが、下宿の私の部屋で、つくえ頬杖ほおづえをつき、くつろいでいらっしゃるお姿だ。なんという気障きざな形だろう。くにゃりと上体をねじげて、歌舞伎かぶきのうたた寝の形のごとく右のてのひらを軽くほおにあて、口を小さくすぼめて、目は上目使うわめづかいに遠いところを眺めているという馬鹿ばか加減かげんだ。紺絣こんがすり角帯かくおびというのもまた珍妙ちんみょう風俗ふうぞくですね。これあいかん。襦袢じゅばんえりを、あくまでも固くきっちり合せて、それこそ、われとわが襟でもって首をくくって死ぬつもり、とでもいったようなところだ。ひどいねえ。矢庭やにわにこの写真を、やぶっててたい発作ほっさにとらわれるのだが、でも、それは卑怯ひきょうだ。私の過去には、こんな姿も、たしかにあったのだ。鏡花きょうか悪影響あくえいきょうかも知れない。笑って下さい。逃げもかくれもせずに、ばつを受けます。いさぎよく御高覧ごこうらんに供する次第だ。それにしても、どうも、こいっは、ひどいねえ。そのころ高等学校では、硬派こうは軟派なんぱと対立していて、軟派の生徒が、時々、硬派の生徒になぐられたものですが、私が、このような大軟派の恰好かっこうで街を歩いても、ついに一度も殴られた事がない。忠告ちゅうこくされた事も無い。さすがの硬派たちも、私のこんな姿にせっしては、あまりの事に、あきれて、敬遠けいえんしたのかも知れませんね。私は今だってなかなかの馬鹿ばかですが、そのころは馬鹿より悪い。妖怪ようかいでした。贅沢三昧ぜいたくざんまいの生活をしていたから、生きているのがいやになって、自殺じさつはかった事もありました。何が何やら、わからぬ時代でありました。大軟派といっても、それは形ばかりで、女性には臆病おくびょうでした。ただ、むやみに、気取ってばかりいるのです。女の事で、実際じっさいに問題を起したのは、大学へはいってからです。

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これは大学時代の写真ですが、この頃になると、多少、生活苦せいかつくたものをめているので、顔の表情も、そんなに突飛とっぴでは無いようですし、服装ふくそうも、普通の制服制帽せいぼうで、どこやらすでに老いつかれている影さえ見えます。もう、この頃、私はる女のひとと同棲どうせいをはじめていたのです。でも、こんな工合いに大袈裟おおげさ腕組うでぐみをしているところなど、やっぱり少し気取っていますね。もっとも、この写真を写す時には、私もちょっと気取らざるを得なかったのです。私の両側に立っている二人の美男子びだんしに、見覚えがあるでしょう? そうです、映画俳優えいがはいゆうです。Yと、Tです。それから、前にしゃがんでいる二人の婦人にも、見覚えがあるでしょう? そうです、女優じょゆうのKとSです。おどろいたでしょう。これはね、私が大学へはいったとしの秋に、或るひとにれられて松竹しょうちく蒲田かまた撮影所さつえいじょへ遊びに行って、その時の記念写真なのです。その頃、松竹の撮影所は、蒲田にありました。その時、私を連れて行ってくれた人というのは、映画界の余程よほど顔役かおやくらしく、私たちはその日たいへん歓迎かんげいされました。うしろに二人、でっぷり太った男が立っているでしょう? 眼鏡をかけているのが、その顔役の人で、もうひとりの、色の白いのが撮影所の所長しょちょうです。この所長は、とても腰のひくいひとで、一介の書生に過ぎぬ私を、それこそ下にもかず、もてなしてくれました。商売人しょうばいにんのようないや味もなく、まじめな、礼儀正れいぎただしい人でした。本当に、感心な人でした。撮影所の中庭で、幹部かんぶの俳優たちと記念撮影をしたのですが、世の中から美男子と言われ騒がれているYもTも、私には、さほどの美男子とも思われず、三人ならぶと、私が一ばんいいのではなかろうかというような気がして、そこでこの大袈裟おおげさ腕組うでぐみという事になったのですが、あとで、この写真がとどけられたのを見たら、やっぱり、だめでした。どうして私はこんなに、あか抜けないのだろう。YもTも、こうしてみると、さすがにスッキリしていますね。二匹の競馬の馬の間に、駱駝らくだがのっそり立っているみたいですね。私は、どうしてこんなに、田舎いなかくさいのだろう。これでも、たいへんいいつもりで腕組みしたのですがね。自惚うぬぼれのつよい男です。自分の鈍重どんじゅうな田舎っぺいを、明確めいかくに、思い知ったのは、つい最近の事なのですからね。もっとも今では、自分のこの野暮やぼったさを、そんなにじてもいませんけれど。

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学生時代の写真は、この三枚だけです。この後の三、四年間の生活は滅茶苦茶めちゃくちゃで、写真をとってもらうような心の余裕よゆうも無かったし、また誰か物好きの人があって、当時の私の姿を撮影しようとくわだてたとしても、私は絶えずキョトキョト動き回って一瞬もじっとしていないので、撮影の計画を放棄ほうきするより他は無かったでしょう。それでも、服を着て銀座裏のバアの前に立っている写真など、二、三枚あったはずですが、いつのまにやら、無くなりました。ちっともしい写真ではありません。

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すったもんだの揚句あげく大病たいびょうになって、やっと病院から出て千葉県の船橋ふなばしの町はずれに小さい家を一軒りて半病人の生活をはじめた時の姿は、これです。ひどくせているでしょう? それこそ、骨と皮です。私の顔のようでないでしょう? 自分ながら少し、気味が悪い。爬虫類はちゅうるいの感じですね。自分でも、もう命が永くないと思っていました。このころ第一創作集の「晩年ばんねん」というのが出版せられて、その創作集の初版本しょはんぼんに、この写真をいれました。それこそ「晩年の肖像しょうぞう」のつもりでしたが、いまだに私は死にもせず、たとえば、昼のほたるみたいに、ぶざまにのそのそ歩きまわっているのです。めっきり、太った。この写真をごらんなさい。二年ほど船橋にいましたが、また東京へ出て来て、それまで六年間一緒いっしょに暮していた女のひとともわかれて、独りで郊外の下宿でごろごろしているうちに、こんなに太ってしまいました。最近はまた少しせましたけど、この下宿の時代は、私は、もぐらもちのように太っていました。この写真は、すなわち太りすぎて、てれて笑っているところです。「虚構きょこう彷徨ほうこう」という私の第二創作集に、この写真を挿入そうにゅうしました。カモノハシという動物に酷似こくじしていると言った友人がありました。また、ある友人はなぐさめて、ダグラスという喜劇俳優きげきはいゆうに似ている、おごれ、と言いました。とにかく、ひどく太ったものです。こんなに太っていると、さびしい顔をしていても、ちっとも、引立たないものですね。そのころ私は、太っていながら、たいへんさびしかったのですけれど、淋しさが少しも顔にあらわれず、こんな、てれた笑いのような表情になってしまうので、誰にもあまり同情されませんでした。見給え、この湖水こすいの岸にしゃがんで、うつむいて何か考えている写真、これはその頃、先輩たちに連れられて、三宅島へあそびに行った時の写真ですが、私はたいへん淋しい気持で、こうしてひとりしゃがんでいたのですが、冷静れいせい批判ひはんするならば、これはだらしなく居眠いねむりをしているような姿です。少しも憂愁ゆうしゅうの影が無い。これは、島の王様のA氏が、私の知らぬまに、こっそりうつして、そうしてこんなに大きく引伸ひきのばしをして私に送って下さったものです。A氏は、島一ばんの長者で、そうして詩など作って、言わば島の王様のようにゆったりとくらしている人で、この旅行も、そのA氏の招待しょうたいだったのです。私たち一行いっこうは、この時はずいぶんお世話せわになりました。筆不精ふでぶしょうの私は、いまだにお礼状も何も差し上げていない仕末ですが、こないだの三宅島爆発では、さぞ難儀なんぎをなさったろうと思いなから、これまたれいの筆不精でお見舞みまじょうも差し上げず、東京の作家というものは、ずいぶん義理知らずだと王様もあきれていらっしゃるだろうと思います。

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次は甲府こうふにいた頃の写真です。少しずつ、またせて来ました。東京の郊外の下宿から、かばん一つ持って旅に出て、そのまま甲府に住みついてしまったのです。二箇年ほど甲府にいて、甲府で結婚して、それからいまの三鷹みたかうつって来たのです。この写真は、甲府の武田神社たけだじんじゃで家内の弟が写してくれたものですが、さすがにもう、けた顔になっていますね。ちょうど三十歳だったと思います。けれども、この写真でみると、四十歳以上のおやじみたいですね。人並に苦労したのでしょう。ポーズも何も無く、ただ、ぼんやり立っていますね。いや、足もとの熊笹くまざさめずらしそうに眺めていますね。まるで、ぼけてります。それから、この縁側えんがわに腰を掛けて、眼をショボショボさせている写真、これも甲府に住んでいた頃の写真ですが、颯爽さっそうとしたところも無ければ、癇癖かんぺきらしい様子もなく、かぼちゃのように無神経むしんけいですね。三日も洗面しないような顔ですね。醜悪しゅうあくな感じさえあります。でも、作家の日常の顔は、これくらいでたくさんです。だんだん、ほんものになって来たのかも知れない。つまり、ほんものの俗人ぞくじんですね。

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あとは皆、三鷹へ来てからの写真です。写真をとってくれる人も多くなって、右むけ、はい、左むけ、はい、ちょっと笑って、はい、という工合ぐあいにその人たちの命令のままにポーズを作ったのです。つまらない写真ばかりです。二つ三つ、面白い写真もあります。いや、滑稽こっけいな写真と言ったほうが当っている。裸体らたい写真が一枚あります。これは四万しま温泉にT君と一緒いっしょに行った時、T君は、私のお湯にはいっているところを、こっそりパチリと写してしまったのです。横向きの姿だから、たすかりました。正面だったらたまりません。あぶないところでした。でもこれはT君にたのんで、原板のフイルムも頂戴ちょうだいしてしまいました。焼増やきましなどされては、たまりませんからね。T君には、ずいぶん写してもらいました。これはことしのお正月にK君と二人で、共に紋服もんぷくを着て、井伏さんのお留守宅(作家井伏鱒二ますじ氏は、軍報道班員ぐんほうどうはんいんとしてその前年の晩秋ばんしゅう南方なんぽう派遣はけんせられたり)へ御年始にあがって、ちょうどT君も国民服こくみんふくを着て御年始に来ていましたが、その時、T君が私たち二人を庭先に立たせて撮影さつえいした物です。似合いませんね。へんですね。K君はともかく、私の紋服姿は、まるで、異様いようですね。K君の批評ひひょうると、モーゼが紋服を着たみたいだそうですが、当っていますかね。どうせ、まともではありません。ひどく顔がほねばって、そうして大きくなったようですね。ごらんなさい。これは或る友人の出版記念会の時の写真ですが、こんなにたくさんの顔が並んでいる中で、ずば抜けて一つ大きい顔があります。私の顔です。羽子板はたごいたがずらりと並んでいて、その中で際立って大きいのを、三つになるおじょうさんが、あれほしい、あれ買って、とだだをこねて、店のあるじの答えて言うには、お嬢さん、あれはいけません、あれは看板かんばんです、という笑い話。こんなに顔が大きくなると、恋愛れんあいなど、とても出来るものではありません。高麗屋こうらいやに似ているそうですね。笑ってはいけません。「きたな作り」の高麗屋です。もっとも、これは、床屋とこやへはいって、すっぱり綺麗きれいになるというあの「実は」という場面は無くて、おしまいまで、「きたな作り」だそうです。「作り」でもなんでもない、ほんものの「きたな」だった。芝居しばいにも何もなりません。でも、どこか似ているそうですよ。つまり、立派りっぱなのですね。物好きな婦人の出現を待つより他は無い。

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調子ちょうしづいて、馬鹿ばかな事ばかり言いました。あなたともあろうものが、あんな馬鹿話ばかばなしをなさるのはおよしなさい、お客様に軽蔑けいべつされるばかりです、もっと真面目まじめなお話が出来ないのですか、まるで三流の戯作者げさくしゃみたいです、と家内から忠告を受けた事もあるのですが、くるしい時に、素直すなおにくるしい表情のうかぶ人は、さいわいです。緊張きんちょうしている時に、そのまま緊張の姿勢をとれる人は、さいわいです。私は、くるしい時に、ははんと馬鹿ばか笑いしたくなるのでこまります。内心大いに緊張している時でも、突然、馬鹿話などはじめたくなるので困ります。「笑いながら、厳粛げんしゅくな事を語れ!」ニイチェもいい事を言います。もっとも、私は、怒る時には、本気におこってしまいます。私の表情には、怒りとわらいと、二つしか無いようです。意外にも、表情ひょうじょうとぼしい男ですね。このごろは、でも、おこるのも年に一回くらいにしようと思っています。たいていしのんで、笑っているように心けてります。そのかわり怒った時には、いや、脅迫きょうはくがましいような言いかたは、やめましょう。私自身でも不愉快ふゆかいです。怒った時には、怒った時です。この写真をごらんなさい。これは最近の写真です。ジャンパーに、半ズボンという軽装けいそうです。乳母車うばぐるましていますね。これは、私の小さい女の子を乳母車に乗せて、ちかくのかしら、自然文化園の孔雀くじゃくを見せにれて行くところです。幸福そうな風景ですね。いつまで続く事か。つぎのペエジには、どんな写真がられるのでしょう。意外の写真が。




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太宰治全作品集 1
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