水仙

       太宰 治


忠直卿行状記ただなおきょうぎょうじょうき」という小説を読んだのは、ぼくが十三か、四のときの事で、それっきり再読の機会を得なかったが、あの一編の筋書だけは、二十年後のいまもなお、忘れずに記憶している。奇妙にかなしい物語であった。

1

剣術けんじゅつ上手じょうずな若い殿様とのさまが、家来たちと試合をしてかたぱしから打ちやぶって、大いに得意で庭園を散歩していたら、いやなささやきが庭の暗闇の奥から聞えた。 「殿様もこのごろは、なかなかの上達だ。負けてあげるほうも楽になった。」 「あははは。」

2

家来たちの不用心な私語である。

3

それを聞いてから、殿様の行状は一変した。真実を見たくて、狂った。家来たちに真剣勝負をいどんだ。けれども家来たちは、真剣勝負に於いてさえも、本気にたたかってくれなかった。あっけなく殿様が勝って、家来たちは死んでゆく。殿様は、狂いまわった。すでに、おそるべき暴君である。ついには家も断絶せられ、その身も監禁せられる。

4

たしか、そのような筋書であったと覚えているが、その殿様を僕は忘れる事が出来なかった。ときどき思い出しては、溜息ためいきをついたものだ。

5

けれども、このごろ、気味の悪い疑念ぎねんが、ふいと起って、誇張こちょうではなく、夜も眠られぬくらいに不安になった。その殿様は、本当に剣術の素晴すばらしい名人だったのではあるまいか。家来たちも、わざと負けていたのではなくて、本当に殿様の腕前うでまえには、かなわなかったのではあるまいか。庭園の私語も、家来たちの卑劣な負けしみに過ぎなかったのではあるまいか。あり得る事だ。僕たちだって、先輩せんぱいにさんざん自分たちの仕事を罵倒ばとうせられ、その先輩の高い情熱と正しい感覚に、ほとほと参ってしまっても、その先輩とわかれた後で、 「あの先輩もこのごろは、なかなかの元気じゃないか。もういたわってあげる必要もないようだ。」 「あははは。」

6

などという実に、いやしい私語を交した夜も、ないわけではあるまい。それは、あり得る事なのである。家来というものは、その人柄に於いて、かならず、殿様よりも劣っているものである。あの庭園の私語も、家来たちのひねこびた自尊心じそんしんを満足させるための、きたない負けしみに過ぎなかったのではあるまいか。とすると、慄然りつぜんとするのだ。殿様とのさまは、真実をつかみながら、真実を追い求めて狂ったのだ。殿様は、事実、剣術けんじゅつの名人だったのだ。家来たちは、決してわざと負けていたのではなかった。事実、かなわなかったのだ。それならば、殿様が勝ち、家来が負けるというのは当然の事で、後でごたごたの起るべきはずは無いのであるが、やっぱり、大きい惨事さんじが起ってしまった。殿様が、御自分の腕前うでまえ確乎不動かっこふどうの自信を持っていたならば、なんの異変も起らず、すべてが平和であったのかも知れぬが、古来、天才は自分の真価を知ることはなはだうといものだそうである。自分の力が信じられぬ。そこに天才の煩悶はんもんと、深い祈りがあるのであろうが、ぼくは俗人の凡才だから、その辺のことは正確に説明できない。とにかく、殿様は、自分の腕前に絶対の信頼しんらいを置く事は出来なかった。事実、名人の卓抜たくばつの腕前を持っていたのだが、信じる事が出来ずに狂った。そこには、殿様という隔絶された身分にる不幸もあったに違いない。僕たち長屋住居の者であったら、 「お前は、おれを偉いと思うか。」 「思いません。」 「そうか。」

7

というだけですむ事も、殿様ともなればそうも行くまい。天才の不幸、殿様の不幸、という具合いに考えて来ると、いよいよ僕の不安が増大して来るばかりである。似たような惨事が、僕の身辺に於いて起ったのだ。その事件の為に、僕は、あの「忠直卿行状記ただなおきょうぎょうじょうき」をおのずから思い出し、そうして一夜、ふいと恐ろしい疑念ぎねんにとりつかれたり等して、あれこれ思い合せ、誇張こちょうではなく、夜も眠られぬほど不安になった。あの殿様は、本当に剣術が素晴すばらしく強かったのではあるまいか。けれども問題は、もはやその殿様の身の上ではない。

8

僕の忠直卿は、三十三歳の女性である。そうして僕の役割は、あの、庭園であさましい負け惜しみを言っていた家来であったかも知れないのだから、いよいよ、やり切れない話である。

9

草田惣兵衛くさたそうべえ氏の夫人、草田静子。このひとが突然、あたしは天才だ、と言って家出したというのだから、おどろいた。草田氏の家と僕の生家とは、別に血のつながりは無いのだが、それでも先々代あたりからお互いに親しく交際こうさいしている。交際している、などと言うと聞えもいいけれど、実情は、僕の生家の者たちは草田氏の家に出入りを許されている、とでも言ったほうが当っている。俗にいう身分も、財産も、ぼくの生家などとは、まるで段違いなのである。言わば、僕の生家のほうで、交際をお願いしているというような具合いなのである。まさしく、殿様とのさまと家来である。当主の惣兵衛そうべえ氏は、まだ若い。若いと言っても、もう四十は越している。東京帝国大学の経済科けいざいか卒業そつぎょうしてから、フランスヘ行き、五、六年あそんで、日本へ帰るとすぐに遠い親戚筋の家(この家は、のち間もなく没落ぼつらくした)その家のひとりむすめ、静子さんと結婚けっこんした。夫婦の仲も、まず円満、と言ってよい状態であった。一女をもうけ、玻璃子はりこと名づけた。パリイを、もじったものらしい。惣兵衛氏は、ハイカラな人である。背の高い、堂々たる美男である。いつも、にこにこ笑っている。いい洋画を、たくさん持っている。ドガの競馬けいばの画が、その中でも一ばん自慢じまんのものらしい。けれども、自分の趣味しゅみの高さをほこるような素振そぶりは、ちっとも見せない。美術に関する話も、あまりしない。毎日、自分の銀行に通勤つうきんしている。要するに、一流の紳士である。六年前に先代がなくなって、すぐに惣兵衛氏が、草田くさたの家をいだのである。

10

夫人は、―─ああ、こんな身の上の説明をするよりも、僕は数年前の、或る日のささやかな事件を描写しよう。そのほうが早道である。三年前のお正月、僕は草田の家に年始に行った。僕は、友人にも時たまそれを指摘してきされるのだが、よっぽど、ひがみ根性こんじょうの強い男らしい。ことに、八年前ある事情で生家からはなれ、自分ひとりで、極貧ごくひんに近いその日暮しをはじめるようになってからは、いっそう、ひがみも強くなった様子である。ひとに侮辱ぶじょくをされはせぬかと、散りかけている枯葉かれはのようにえずぷるぷる命をけて緊張きんちょうしている。やり切れない悪徳あくとくである。僕は、草田の家には、めったに行かない。生家の母や兄は、今でもちょいちょい草田の家に、おうかがいしているようであるが、僕だけは行かない。高等学校の頃までは、僕も無邪気むじゃきあそびに行っていたのであるが、大学へはいってからは、もういやになった。草田の家の人たちは、みんないい人ばかりなのであるが、どうも行きたくなくなった。金持はいやだ、という単純たんじゅんな思想を持ちはじめていたのである。それが、どうして、三年前のお正月にかぎって、お年始などに行く気になったかというと、それは、そもそも僕自身が、だらしなかったからである。その前年の師走しわす、草田夫人から僕に、突然とつぜん招待しょうたいの手紙が来たのである。

11

―─しばらくおい致しません。来年のお正月には、ぜひとも遊びにおいで下さい。主人も、たのしみにしてっております。主人も私も、あなたの小説の読者です。

12

最後の一句に、ぼくは浮かれてしまったのだ。ずかしい事である。その頃、僕の小説も、少し売れはじめていたのである。白状はくじょうするが、僕はその頃、いい気になっていた。危険きけんな時期であったのである。ふやけた気持でいた時、草田くさた夫人からの招待しょうたい状が来て、あなたの小説の読者ですなどと言われたのだから、たまらない。ほくそ笑んで、招待まことにありがたく云々うんぬんと色気たっぷりの返事へんじを書いて、そうしてあくる年の正月一日に、のこのこ出かけて行って、見事、眉間みけんをざくりとられる程の大恥辱ちじょくを受けて帰宅した。

13

その日、草田の家では、ずいぶん僕を歓待かんたいしてくれた。他の年始のお客にも、いちいち僕を「流行作家」として紹介するのだ。僕は、それを揶揄やゆ侮辱ぶじょくの言葉と思わなかったばかりか、ひょっとしたら僕はもう、流行作家なのかも知れないと考え直してみたりなどしたのだから、話にならない。みじめなものである。僕はった。惣兵衛そうべえ氏を相手に大いに酔った。もっとも、酔っぱらったのは僕ひとりで、惣兵衛氏は、いくら飲んでも顔色も変らず、そうして気弱そうに、無理に微笑びしょうして、僕の文学談を聞いている。 「ひとつ、奥さん、」と僕はに乗って、夫人へさかずきをさした。「いかがです。」 「いただきません。」夫人は冷く答えた。それが、なんとも言えず、骨のずいにてっするくらいの冷厳れいげんな語調であった。底知れぬ軽蔑感けいべつかんが、そのたった一語に、こめられて在った。僕は、まいった。酔いもさめた。けれども苦笑して、 「あ、失礼。つい酔いすぎて。」と軽く言ってその場をごまかしたが、ちょうえくりかえった。さらに一つ。僕は、もうそれ以上お酒を飲む気もせず、ごはんを食べる事にした。蜆汁しじみじるがおいしかった。せっせと貝の肉をはしでほじくり出して食べていたら、 「あら、」夫人は小さいおどろきの声をげた。「そんなもの食べて、なんともありません?」無心な質問である。

14

思わず箸とおわんを取り落しそうだった。この貝は、食べるものではなかったのだ。蜆汁は、ただその汁だけを飲むものらしい。貝は、ダシだ。貧しい者にとっては、この貝の肉だってなかなかおいしいものだが、上流の人たちは、この肉を、たいへん汚いものとして捨てるのだ。なるほど、蜆の肉は、おへそみたいで醜悪しゅうあくだ。ぼくは、何も返事へんじが出来なかった。無心なおどろきの声であっただけに、手痛かった。ことさらに上品ぶって、そんな質問をするのなら、僕にも応答の仕様がある。けれども、その声は、全く本心からの純粋じゅんすいな驚きの声なのだから、僕は、まいった。なりあがり者の「流行作家」は、はしとおわんを持ったまま、うなだれて、何も言えない。涙がいて出た。あんな手ひどい恥辱ちじょくを受けた事がなかった。それっきり僕は、草田くさたの家へは行かない。草田の家だけでなく、その後は、他のお金持の家にも、なるべく行かない事にした。そうして僕は、意地になって、貧乏の薄汚うすぎたない生活をつづけた。

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昨年さくねんの九月、僕の陋屋ろうおく玄関げんかんに意外の客人が立っていた。草田惣兵衛そうべえ氏である。 「静子が来ていませんか。」 「いいえ。」 「本当ですか。」 「どうしたのです。」僕のほうで反問はんもんした。

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何かわけがあるらしかった。 「家は、ちらかっていますから、外へ出ましょう。」きたない家の中を見せたくなかった。 「そうですね。」と草田氏はおとなしく首肯うなずいて、僕のあとについて来た。

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少し歩くと、井の頭公園である。公園の林の中を歩きながら、草田氏は語った。 「どうもいけません。こんどは、しくじりました。薬が、ききすぎました。」夫人が、家出をしたというのである。その原因が、実に馬鹿ばかげている。数年前に、夫人の実家が破産はさんした。それから夫人は、みょうに冷く取りすました女になった。実家の破産を、非常な恥辱ちじょくと考えてしまったらしい。なんでもないじゃないか、といくらなぐさめてやっても、いよいよ、ひがむばかりだという。それを聞いて僕も、お正月の、あの「いただきません」の異様な冷厳れいげんが理解できた。静子さんが草田の家におよめに来たのは、僕の高等学校時代の事で、その頃は僕も、平気で草田の家にちょいちょいあそびに行っていたし、新夫人の静子さんとも話を交して、一緒いっしょに映画を見に行った事さえあったのだが、その頃の新夫人は、決してあんな、骨をすような口調でものを言う人ではなかった。無知むちなくらいに明るく笑うひとだった。あの元旦に、久し振りで顔を合せて、すぐに僕は、何も言葉を交さぬ先から、「変ったなあ」と思っていたのだが、それでは矢張やはり、実家の破産という憂愁ゆうしゅうが、あのひとをあんなにひどく変化させてしまっていたのに違いない。 「ヒステリイですね。」僕は、ふんと笑って言った。 「さあ、それが。」草田くさた氏は、ぼく軽蔑けいべつに気がつかなかったらしく、まじめに考え込んで、 「とにかく、僕がわるいんです。おだて過ぎたのです。薬がききすぎました。」草田氏は夫人をなぐさめる一手段として、夫人に洋画を習わせた。一週間にいちどずつ、近所の中泉花仙なかいずみかせんとかいう、もう六十歳近い下手へたくそな老画伯がはくのアトリエに通わせた。さあ、それからめた。草田氏をはじめ、その中泉という老耄ろうもうの画伯と、それから中泉のアトリエに通っている若い研究生たち、また草田の家に出入りしている有象無象うぞうむぞう、寄ってたかって夫人の画を褒めちぎって、あげくの果は夫人の逆上という事になり、「あたしは天才だ」と口走って家出したというのであるが、僕は話を聞きながら何度もき出しそうになって困った。なるほど薬がききすぎた。お金持の家庭にありがちな、ばかばかしい喜劇きげきだ。 「いつ、飛び出したんです。」僕は、もう草田夫妻を、ばかにし切っていた。 「きのうです。」 「なあんだ。それじゃ何もさわぐ事はないじゃないですか。僕の女房だって、僕があんまりお酒を飲みすぎると、里へ行って一晩とまって来る事がありますよ。」 「それとこれとは違います。静子は芸術家として自由な生活をしたいんだそうです。お金をたくさん持って出ました。」 「たくさん?」 「ちょっと多いんです。」

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草田氏くらいのお金持が、ちょっと多い、というくらいだから、五千円、あるいは一万円くらいかも知れないと僕は思った。 「それは、いけませんね。」はじめて少し興味きょうみを覚えた。貧乏人びんぼうにんは、お金の話には無関心でおれない。 「静子はあなたの小説を、いつも読んでいましたから、きっとあなたのお家へお邪魔じゃまにあがっているんじゃないかと、―─」 「冗談じょうだんじゃない。僕は、―─」敵です、と言おうと思ったのだが、いつもにこにこ笑っている草田氏が、きょうばかりはあおくなってしょげかえっているその様子を目前に見て、ちょっと言い出しかねた。

19

吉祥寺きちじょうじの駅の前でわかれたが、わかれる時に僕は苦笑くしょうしながらたずねた。 「いったい、どんな画をかくんです?」 「変っています。本当に天才みたいなところもあるんです。」意外の答であった。 「へえ。」ぼくは二の句がげなかった。つくづく、馬鹿ばかな夫婦だと思って、あきれた。

20

それから三日目だったか、わが天才女史は絵具箱をひっさげて、僕の陋屋ろうおくに出現した。菜葉服なっぱふくのような粗末そまつな洋服を着ている。気味わるいほど頬がこけて、眼が異様に大きくなっていた。けれども、言わば、一流の貴婦人の品位は、犯しがたかった。 「おあがりなさい。」僕はことさらに乱暴な口をきいた。「どこへ行っていたのですか。草田くさたさんがとても心配していましたよ。」 「あなたは、芸術家ですか。」玄関げんかんのたたきにつっ立ったまま、そっぽを向いてそうつぶやいた。れいの冷い、高慢こうまんな口調である。 「何を言っているのです。きざな事を言ってはいけません。草田さんも閉口していましたよ。玻璃子はりこちゃんのいるのをお忘れですか?」 「アパートをさがしているのですけど、」夫人は、僕の言葉を全然黙殺もくさつしている。「このへんにありませんか。」 「奥さん、どうかしていますね。もの笑いの種ですよ。およしになって下さい。」 「ひとりで仕事をしたいのです。」夫人は、ちっとも悪びれない。「家を一軒いっけん借りても、いいんですけど。」 「薬がききすぎたと、草田さんも後悔こうかいしていましたよ。二十世紀には、芸術家も天才もないんです。」 「あなたは俗物ぞくぶつね。」平気なかおをして言った。「草田のほうが、まだ理解があります。」

21

僕に対して、こんな失敬しっけいなことを言うお客には帰ってもらうことにしている。僕には、信じている一事があるのだ。誰かれに、わかってもらわなくともいいのだ。いやなら来るな。 「あなたは、何しに来たのですか。お帰りになったらどうですか。」 「帰ります。」少し笑って、「画を、お見せしましょうか。」 「たくさんです。たいていわかっています。」 「そう。」僕の顔を、それこそ穴のあくほど見つめた。「さようなら。」

22

帰ってしまった。

23

なんという事だ。あのひとは、たしか僕と同じとしのはずだ。十二、三さいの子供さえあるのだ。人におだてられて発狂はっきょうした。おだてる人も、おだてる人だ。不愉快ふゆかい事件じけんである。僕は、この事件に対して、恐怖きょうふをさえ感じた。

24

それから約二月間、静子夫人の来訪らいほうはなかったが、草田惣兵衛くさたそうべえ氏からは、その間に五、六回、手紙をもらった。困り切っているらしい。静子夫人は、その後、赤坂あかさかのアパートに起居ききょして、はじめは神妙しんみょうに、中泉画伯なかいずみがはくのアトリエに通っていたが、やがてその老画伯をも軽蔑けいべつして、絵の勉強は、ほとんどせず、画伯のアトリエの若い研究生たちを自分のアパートに呼び集めて、その研究生たちのお世辞にって、毎晩まいばん有頂天うちょうてん馬鹿騒ばかさわぎをしていた。草田氏ははじをしのんで、単身赤坂のアパートをおとずれ、家へ帰るように懇願こんがんしたが、だめであった。静子夫人には、鼻であしらわれ、取巻きの研究生たちにさえ、天才のてきとして攻撃こうげきせられ、その上、持っていたお金をみんな巻き上げられた。三度おとずれたが、三度とも同じ憂目うきめった。もういまでは、草田氏も覚悟かくごをきめている。それにしても、玻璃子はりこ不憫ふびんである。どうしたらよいのか、男子としてこんな苦しい立場はない、と四十歳を越えた一流紳士の草田氏が、ぼくに手紙で言って寄こすのである。けれども僕も、いつか草田の家で受けたあの大恥辱ちじょくを忘れてはいない。僕には、時々自分でもぞっとするほど執念しゅうねん深いところがある。いちど受けた侮辱ぶじょくを、どうしても忘れる事が出来ない。草田の家の、たびの不幸に同情する気持など少しも起らぬのである。草田氏は僕に、再三さいさん、「どうか、よろしく静子に説いてやって下さい」と手紙でたのんで来ているのだが、僕は、動きたくなかった。お金持の使い走りは、いやだった。「僕は奥さんに、たいへん軽蔑されている人間ですから、とてもお役には立ちません。」などと言って、いつも断っていたのである。

25

十一月のはじめ、庭の山茶花さざんかが咲きはじめた頃であった。その朝、僕は、静子夫人から手紙をもらった。

26

―─耳が聞えなくなりました。悪いお酒をたくさん飲んで、中耳炎ちゅうじえんを起したのです。お医者に見せましたけれども、もう手おくれだそうです。薬缶やかんのお湯が、シュンシュンいている、あの音も聞えません。窓の外で、の枝が枯葉を散らしてゆれ動いておりますが、なんにも音が聞えません。もう、死ぬまで聞く事が出来ません。人の声も、地の底から言っているようにしか聞えません。これも、やがて、全く聞えなくなるのでしょう。耳がよく聞えないという事が、どんなにさびしい、もどかしいものか、今度という今度は思い知りました。買物などに行って、私の耳の悪い事を知らない人達が、ふつうの人に話すようにものを言うので、私には、何を言っているのか、さっぱりわからなくて、悲しくなってしまいます。自分をなぐさめるために、耳の悪いあの人やこの人の事など思い出してみて、ようやくの事で一日を過します。このごろ、しょっちゅう、死にたい死にたいと思います。そうしては、玻璃子はりこの事が思い浮んで来て、なんとかしてねばって、生きていなければならぬと思いかえします。こないだうち、泣くと耳にわるいと思って、がまんにがまんしていた涙を、つい二、三日前、こらえ切れなくなって、いちどに、たきのように流しましたら、気分がいくらか楽になりました。もういまでは、耳の聞えない事に、ほんの少し、あきらめも出て来ましたが、悪くなりはじめの頃は、半狂乱でしたの。一日のうちに、何回も何回も、火箸ひばしでもって火鉢ひばちのふちをたたいてみます。音がよく聞えるかどうか、ためしてみるのです。夜中でも、目が覚めさえすれば、すぐに寝床ねどこ腹這はらばいになって、ぽんぽん火鉢をたたいてみます。あさましい姿です。畳をつめでひっかいてみます。なるべく聞きとりにくいような音をえらんでやってみるのです。人がたずねて来ると、その人に大きな声を出させたり、ちいさい声を出させたり、一時間も二時間も、しつこく続けて注文ちゅうもんして、いろいろさまざま聴力ちょうりょくをためしてみるので、お客様たちは閉口して、このごろは、あんまりたずねて来なくなりました。夜おそく、電車通りにひとりで立っていて、すぐ目の前を走って行く電車の音に耳をすましていることもありました。

27

もう今では、電車の音も、紙を引きくくらいの小さい音になりました。間も無く、なんにも聞えなくなるのでしょう。からだ全体が、わるいようです。毎夜、お寝巻ねまきを三度も取りかえます。寝汗でぐしょぐしょになるのです。いままでかいた絵は、みんなやぶって棄てました。一つ残さず棄てました。私の絵は、とても下手へただったのです。あなただけが、本当の事をおっしゃいました。他の人は、みんな私を、おだてました。私は、出来る事なら、あなたのように、まずしくとも気楽な、芸術家の生活をしたかった。お笑い下さい。私の家は破産はさんして、母も間もなく死んで、父は北海道へ逃げて行きました。私は、草田の家にいるのが、つらくなりました。その頃から、あなたの小説を読みはじめて、こんな生きかたもあるか、と生きる目標もくひょうが一つ見つかったような気がしていました。私も、あなたと同じ、まずしい子です。あなたにおいしたくなりました。三年前のお正月に、本当に久し振りにお目にかかる事が出来て、うれしゅうございました。私は、あなたの気ままないかたを見て、ねたましいくらい、うらやましく思いました。これが本当の生きかただ。虚飾きょしょく世辞せじもなく、そうしてひとりほこりを高くして生きている。こんな生きかたが、いいなあと思いました。けれども私には、どうする事も出来ません。そのうちに主人が私に絵をかく事をすすめて、私は主人を信じていますので、(いまでも私は主人を愛しております)中泉なかいずみさんのアトリエに通う事になりましたが、たちまち皆さんの熱狂的ねっきょうてき賞賛しょうさんまとになり、はじめは私もただ当惑とうわくいたしましたが、主人まで真顔になって、お前は天才かも知れぬなどと申します。私は主人の美術鑑賞眼びじゅつかんしょうがんをとても尊敬そんけいしていましたので、とうとう私も逆上し、かねてあこがれの芸術家の生活をはじめるつもりで家を出ました。ばかな女ですね。中泉さんのアトリエにかよっている研究生たちと一緒いっしょに、二、三日箱根はこねで遊んで、その間に、ちょっと気にいった絵が出来ましたので、まず、あなたに見ていただきたくて、いさんであなたのお家へまいりましたのに、思いがけず、さんざんな目にいました。私はずかしゅうございました。あなたに絵を見てもらって、ほめられて、そうして、あなたのお家の近くに間借りでもして、お互いまずしい芸術家としてお友だちになりたいと思っていました。私はくるっていたのです。あなたに面罵めんばせられて、はじめて私は、正気になりました。自分の馬鹿ばかを知りました。わかい研究生たちが、どんなに私の絵をめても、それは皆あさはかなお世辞せじで、かげではしたを出しているのだという事に気がつきました。けれどもその時には、もう、私の生活が取りかえしのつかぬところまで落ちていました。引きかえすことが出来なくなっていました。落ちるところまで落ちて見ましょう。私は毎晩お酒を飲みました。わかい研究生たちと徹夜てつやさわぎました。焼酎しょうちゅうも、ジンも飲みました。きざな、ばかな女ですね。

28

愚痴ぐちは、もう申しますまい。私は、いさぎよくばつを受けます。窓のそとのの枝のゆれぐあいで、風がひどいなと思っているうちに、雨が横なぐりに降って来ました。雨の音も、風の音も、私にはなんにも聞えませぬ。サイレントの映画のようで、おそろしいくらい、さびしい夕暮です。この手紙に返事は要りませんのですよ。私のことは、どうか気になさらないで下さい。淋しさのあまり、ちょっと書いてみたのです。あなたは平気でいらして下さい。──

29

手紙には、アパートのところ番地も認められていた。ぼく出掛でかけた。

30

小綺麗こぎれいなアパートであったが、静子さんの部屋は、ひどかった。六畳間で、そうして部屋には何もなかった。火鉢ひばちつくえ、それだけだった。畳は赤ちゃけて、しめっぽく、部屋は日当りも悪くて薄暗うすぐらく、果物のくさったようないやなにおいがしていた。静子さんは、窓縁にこしかけて笑っている。さすがに身なりは、きちんとしている。顔にも美しさが残っている。二月前に見た時よりも、ふとったような感じもするが、けれども、なんだか気味がわるい。目に、ちからが無い。生きている人の目ではなかった。ひとみが灰色ににごっている。 「無茶ですね!」とぼくさけぶようにして言ったのであるが、静子さんは、首を振って、笑うばかりだ。もう全く聞えないらしい。僕は机の上の用箋ようせんに、「草田くさたノ家へ、カエリナサイ」と書いて静子さんに読ませた。それから二人の間に、筆談ひつだんがはじまった。静子さんも机の傍に座って熱心に書いた。

31

草田ノ家へ、カエリナサイ。   スミマセン。

32

トニカク、カエリナサイ。   カエレナイ。

33

ナゼ?   カエルシカク、ナイ。

34

草田サンガ、マッテル。   ウソ。

35

ホント。   カエレナイノデス。ワタシ、アヤマチシタ。

36

バカダ。コレカラドウスル。   スミマセン。ハタラクツモリ。

37

オ金、イルカ。   ゴザイマス。

38

絵ヲ、ミセテクダサイ。   ナイ。

39

イチマイモ?   アリマセン。

40

僕は急に、静子さんの絵を見たくなったのである。みょうな予感がして来た。いい絵だ、すばらしくいい絵だ。きっと、そうだ。

41

絵ヲ、カイテユク気ナイカ。   ハズカシイ。

42

アナタハ、キットウマイ。   ナグサメナイデホシイ。

43

ホントニ、天才カモ知レナイ。   ヨシテ下サイ。モウオカエリ下サイ。

44

ぼくは苦笑して立ちあがった。帰るより他はない。静子夫人は僕を見送りもせず、座ったままで、ぼんやり窓の外をながめていた。

45

その夜、僕は、中泉画伯なかいずみがはくのアトリエをおとずれた。 「静子さんの絵を見たいのですが、あなたのところにありませんか。」 「ない。」老画伯がはくは、ひとの好さそうな笑顔えがおで、「自分で、全部やぶってしまったそうじゃないですか。天才的だったのですがね。あんなに、わがままじゃいけません。」 「書きそんじのデッサンでもなんでも、とにかく見たいのです。ありませんか。」 「待てよ。」老画伯は首をかたむけて、「デッサンが三枚ばかり、私のところに残っていたのですが、それを、あのひとがの間やって来て、私の目の前でやぶってしまいました。誰か、あの人の絵をこっぴどくやっつけたらしく、それからはもう、あ、そうだ、ありました、ありました、まだ一枚のこっています。うちのむすめが、たしか水彩すいさいを一枚持っていたはずです。」 「見せて下さい。」 「ちょっとお待ち下さい。」

46

老画伯は、奥へ行って、やがてにこにこ笑いながら一枚の水彩を持って出て来て、 「よかった、よかった。娘が秘蔵ひぞうしていたので助かりました。いま残っているのは、おそらく此の水彩いちまいだけでしょう。私は、もう、一万円でも手放しませんよ。」 「見せて下さい。」

47

水仙の絵である。バケツに投げ入れられた二十本程の水仙の絵である。手にとってちらと見てビリビリと引きいた。 「なにをなさる!」老画伯は驚愕きょうがくした。 「つまらない絵じゃありませんか。あなた達は、お金持の奥さんに、おべっかを言っていただけなんだ。そうして奥さんの一生を台無しにしたのです。あの人をこっぴどくやっつけた男というのは僕です。」 「そんなに、つまらない絵でもないでしょう。」老画伯は、急に自信を失った様子で、「私には、いまの新しい人たちの画は、よくわかりませんけど。」

48

僕はその絵を、さらにこまかに引き裂いて、ストーヴにくべた。僕には、絵がわかるつもりだ。草田くさた氏にさえ、教える事が出来るくらいに、わかるつもりだ。水仙の絵は、だんじて、つまらない絵ではなかった。美事だった。なぜそれを僕が引き裂いたのか。それは読者の推量すいりょうにまかせる。静子夫人は、草田氏の手許てもとに引きとられ、そのとしの暮に自殺した。ぼくの不安は増大する一方である。なんだか天才の絵のようだ。おのずから忠直卿ただなおきょうの物語など思い出され、る夜ふと、忠直卿も事実素晴すばらしい剣術けんじゅつの達人だったのではあるまいかと、奇妙きみょう疑念ぎねんにさえとらわれて、このごろは夜も眠られぬくらいに不安である。二十世紀にも、芸術の天才が生きているのかも知れぬ。




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